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2015年4月

2015年4月29日 (水)

レーナード・スキナード(2)

 今月から仕事場が代わり、今までのように毎日片道40分以上運転しなくてもよいことになった。
 だからシューマッハのように、レースもどきの通勤はなくなったので、交通事故に遭う確率は減り、血圧が上がることもなくなった。めでたし、めでたしである。

 ただ残念なのは、片道でアルバムを聞き通すようなことが、できなくなったことだ。レコード時代のCDであれば、余裕で聞き終わっていた。往復していたから、1日で最低2枚は聞いていたことになる。

 新しい職場は自宅から6㎞くらいなので、じっくりと聞くことができない。どうしてもBGM的になってしまう。この点は非常に残念である。

 ところで、そんな“通勤時の風景”であるが、最近聞いて改めて素晴らしいと思ったアルバムに、レーナード・スキナード(以下、LSと略す)の「セカンド・ヘルピング」がある。
 このアルバムは、まさにレコード時代のものをCD化したもので、当然のことながらボーナス・トラックなどはなく、8曲しか収められていない。(ただし、リマスター盤には未発表曲などが収録されている)Photo このアルバムの中では、一番有名なのは、やはり"Sweet Home Alabama"だろう。この曲は、あのニール・ヤングの1970年のアルバム「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」に収録されていた"Southern Man"に対するアンサー・ソングだった。

 ニール・ヤングは、いまだに根深く残っている人種差別について、歌を通して訴えたのだが、別にアラバマ州だけを対象にしたものではなく、広くアメリカ南部地域について歌ったものである。

 しかし、LSにとっては、南部人としてのプライドが許さなかったのだろう。"Sweet Home Alabama"の中ではっきりと"Well, I hope Neil Young will remember a southern man don't need him around anyhow"と歌っている。要するに、“南部人はおまえをもう必要としていないということを覚えておけ”という意味だろう。

 話題性といい、歌詞の内容といい、この曲で間違いなくLSは、南部は言うまでもなく、全国的にその地位を確立してしまった。

 ただ、このアルバムの素晴らしさは、この曲だけではなく、他にもたくさんあって、全体として非常にレベルの高いものに仕上げられている点だ。これもひとえにプロデューサーとして、またミュージシャンとして参加したアル・クーパーの貢献度のせいかも知れない。

 たとえば1曲目の"Sweet Home Alabama"の後には、バラードの"I Need You"が続くが、イントロのアレン・コリンズとゲイリー・ロッシントンの重層的なギター・ソロが聴く者の心を奪ってしまう。7分近い曲だが、その長さを全く感じさせない名曲だと思う。

 続く"Don't Ask Me No Questions"は3分程度のポップな曲で、シングル・カットにもなっている。ピアノはアル・クーパーが担当している。途中のサックスは、ストーンズのアルバムにも参加していたボビー・キーズだ。

 問題作はもう1曲含まれていて、"Working For MCA"と名付けられた曲は、所属しているレーベル会社との確執?を歌にしていた。歌詞にもあるように、LSは9000ドルでデビュー契約を結んだが、その後のプロモーション不足を訴えている。

 また、エド・キングのギター・ソロがカッコよくて、それを支える他の2人のギターも鳴り響いているし、ビリー・パウエルのピアノも印象的だ。もし歌詞がまともな内容だったら、ロックの歴史に残ったかもしれないほどカッコいい。
 しかしこういう曲を許可したMCAも太っ腹というか、ある意味、逆に話題になって売れるというそろばんをはじいたのかもしれない。

 5曲目の"The Ballad of Curtis Loew"はスライド・ギターもフィーチャーされていて、いかにもブルーズ風味を含んだサザン・ロック・ソングだ。この曲のピアノもアル・クーパーが担当している。

 "Swamp Music"もタイトル通りの小気味良いテンポのロック・ソングで、ちょうどオールマン・ブラザーズ・バンドの"Jessica"のようだ。ただしあちらはインストゥルメンタル曲だったという違いはあるけれども。
 エド・キングというギタリストは、こういうアップ・テンポの曲を得意としているようで、この曲や"Working For MCA"はエドの手によるものだった。

 "The Needle And The Spoon"は、文字通りドラッグ中毒者についての曲。そういえばニール・ヤングも"Needle And The Damage Done"というその手の曲を作っていたが、当時も今もドラッグ中毒者は後を絶たない。

 最後の曲"Call Me The Breeze"はJ.J.ケイルの曲で、ゲイリーのリード・ギターだけでなく、ビリー・パウエルのラグタイムのようなピアノ・ソロも忘れ難い。そのせいか原曲よりも軽やかで、聞きやすい曲に変わっている。

 LSについては、2008年6月10日付のブログで紹介しているが、レオナルド・スキナーという体育教師を見返そうと?、彼らは1973年にアルバム・デビューをした。
 最初の3枚のアルバムまでは、アル・クーパーがプロデュースを行い、4枚目はトム・ダウドが担当したが、ライヴ・アルバムを挟んで5枚目のスタジオ・アルバム発表後、ツアーの移動中に飛行機事故に遭い、中心メンバーが死亡。バンドは、解散してしまった。

 今はかつてのメンバーと、亡くなったボーカリストの弟や新ギタリストを加えて、バンド活動を行っていて、ライヴでは70年代の曲で大いに盛り上がっているようだ。2

 この1974年のアルバム「セカンド・ヘルピング」は確かに名盤である。彼らの代表作といってもいいだろう。
 楽曲、演奏ともに充実していて、サザン・ロックを代表するバンドに上り詰めようとする勢いがパッケージされている。彼らの音楽に対する情熱と熱気の様子が、こちら側まで伝わってくる。

 「セカンド・ヘルピング」というのは“(食事での)おかわり”を意味するそうだが、自分は文字通り“2度目の救済”のことだと思っていた。

 当時の彼らは、順風満帆だったから、救済などとは全く無縁だったに違いないが、その後の彼らの歩みを知ってしまうと、ひょっとしたら、このアルバム・タイトルは彼らの未来を暗示していたのかもしれない、などと余計なことを考えてしまうのである。

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2015年4月22日 (水)

フォガット(2)

 最近、なぜか急にフォガットを聞きたくなった。フォガットといえば、元はイギリスのブルーズ・ロック・バンドのサヴォイ・ブラウンから派生したブギー・ロック・バンドである。Foghat

 詳細については、2008年の10月6日付の本ブログで述べているので、割愛をしたいが、結成は1971年で、最初はトッド・ラングレンのプロデュースのもと、彼が所属していたレーベル、ベアズヴィル・レコードから出されていた。

 自分は、彼らの代表作ともいえる1975年の5枚目のアルバム「フール・フォー・ザ・シティ」や1977年の「ライヴ」などを持っていたが、確かにそれらは素晴らしいアルバムだった。だが、どうしても一本調子という印象が強くて、数回聞いて、あとは投げ出していた。

 ところが、数年前、国内盤の紙ジャケット盤が発売されていて、彼らの再評価が高まってきたようで、自分としても、もう一度彼らの音楽を、きちんと聞いてみようと思った。
 また、それらの紙ジャケ盤が中古CDショップにも売られていたから、それなりに流通があったのだろうとも考えた。

 だから例によって、アマゾンの通販で彼らの3枚目のアルバム「エナジーズド」と4枚目のアルバム「ロック・アンド・ロール・アウトローズ」が1枚のCDにカップリングされたものを購入したのである。

 これら2枚は1974年の1年間に発表されたもので、このときの彼らの制作意欲がいかに高かったがわかるというものだろう。81ylbinybsl__sl1423_
 最初のアルバム「エナジーズド」には8曲収められていて、いずれも彼ら流のハード・ブギー調のロックン・ロールに仕上げられている。
 1曲目は"Honey Hush"という曲で、彼らの代表作の中の1曲。のちのライヴ盤の中でも披露されていた。確かにアップテンポで、ノリノリの曲だから、ライヴでは盛り上がっただろう。

 また4曲目の"Home in My Hand"もまたライヴ盤に収められていたもので、これはミディアム・テンポで、ロッド・プライスのスライド・ギターがフィーチャーされている。

 面白いのは、バディ・ホリーの"That'll Be the Day"がフォガット流に解釈されている点だろう。メロディラインは、ほとんどオリジナルに近いが、女性のバック・コーラスとロンサム・デイヴのギター・ソロがアクセントになっているようだ。

 このアルバムのプロデューサーは、Tom Dawesという人が担当しているのだが、自分はてっきりTom Dowdと錯覚していて、これは凄いプロデューサーに頼んだなあと感心していた。
 でもよく見ると、DowdではなくてDawesだった。この人は、サークルというポップ・バンドのメンバーだった人で、彼らには1966年に"Red Rubber Ball"というヒット曲がある。今ではほとんど“一発屋”扱いだけれども…

 それでこのTom Dawesの方は、フォガットの2枚のアルバムをプロデュースしたのだが、だんだんメンバーの意向とプロデューサーの方針がずれていったようで、同じ年の11月に発表されたアルバム「ロック・アンド・ロール・アウトローズ」では、ニック・ジェイムソンに交代していた。

 彼らの自家用ジェット機を背景にしたアルバム・ジャケットがカッコいいこのアルバムも、前作と同様8曲収められている。
 自分は、こちらの方のアルバムが大好きで、ある意味、彼らの代表作といってもいいのではないかと思っている。

 その理由は、曲のリフやメロディが印象的ということと、曲ごとにバラエティに富んでいて、アルバムを聞き通しても疲れないし、飽きが来ないからだった。

 1曲目の"Eight Days on the Road"はイントロのリフと、ロンサム・デイヴのリード・ギターが非常に素晴らしい。元々は1963年の"Six Days on the Road"という曲からモチーフをとったもので、R&Bシンガーのハワード・テイトという人の持ち歌だった。

 2曲目は一転してアコースティック・ギターも使用された"Hate to See You Go"で、ミディアムテンポのブルーズ・ブギーに仕上げられている。
 次の曲は6分37秒もあるドラマティックな曲"Dreamer"で、ブルーズ化したウィッシュボーン・アッシュのような感じだ。ここではロンサム・デイヴとロッド・プライスのツイン・リード・ギターを聞くことができる。

 4曲目の"Trouble in My Way"は3分少々の短い曲で、しかも珍しいことにアコースティック・ギターがメインとなっていて、今までの彼らの音楽的姿勢からは想像もできないほど爽やかなものになっている。エンディングでのスライド・ギターでさえも光り輝いているようなサウンドを生み出していた。

 5曲目のアルバム・タイトルと同名曲は、おそらくオリジナル・レコードではサイドBのトップに位置していた曲だろう。だから彼ら本来のブギー調に戻っている。
 次の"Shirley Jean"はスライド・ギターがフィーチャーされたテンポのよい曲で、やはりフォガットと言えば、こうでなくてはいけないという典型的なロックン・ロールである。

 そして"Blue Spruce Woman"は、ミディアム調のブギー・ロックで、最後の曲"Chateau Lafitte '59 Boogie"もタイトル通りのロックン・ロールだ。後半は一気にブギー・ロックで押し切っているところは、まさに彼らの真骨頂だろう。

 とにかくこのアルバム「ロック・アンド・ロール・アウトローズ」はスライド・ギターだけでなく、ツイン・リード・ギターやアコースティック・ギターなど、それまで以上に使用楽器が拡がっているし、曲調もブギー・ロックだけでなく、バラードやロックン・ロール、複雑で凝った構成の曲も含まれていて、彼らのファンだけでなく、広く一般に受け入れられる内容だと思っている。

 アルバム「エナジーズド」はアメリカ東海岸のロング・アイランドで収録されたが、「ロック・アンド・ロール・アウトローズ」は彼らの地元イギリスのウェールズで録音された。こういう環境の違いも、結果的に良い影響を与えたのだろう。

 ところで、このニック・ジェイムソンという人は、次作の「フール・フォー・ザ・シティ」ではプロデュースだけではなく、ベース・ギターやキーボードまで担当していた。よほど彼らとの相性が良かったのだろう。28901
 その結果が、2枚のシングル・ヒットを生み出し、アルバムの売り上げにつながったのだが、やはりプロデューサー選びは大切だという好事例かもしれない。

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2015年4月15日 (水)

フレンチ・ポップ

 むかしむかし、某国営放送のFMラジオの番組で、“夕べのひと時”というのがあった。ハワイアン・ミュージック風のインスト曲がテーマ・ソングに使われていて、毎週月曜日から金曜日の午後6時から約50分間放送されていたと記憶している。

 その番組の中では、ときどきリクエスト特集が組まれていて、3月の終わりか4月の初めには、必ず春に因んだ曲をリスナーから募って、流していた。

 春に因んだ曲なら、洋の東西を問わず、何でもよくて、たとえば洋楽では、オリビア・ニュートン=ジョンの"Have You Never Been Mellow(そよ風の誘惑)"とか、サイモン&ガーファンクルの"April Come She Will(4月になれば彼女は)"、リン・アンダーソンの"Rose Garden"やスリー・ドッグ・ナイトの"Pieces Of April"などが、定番としてよくリクエストされていた。

 邦楽では、キャンディーズの"春一番"や柏原芳江の"春なのに"、よしだたくろうの"春だったね"、泉谷しげる"春のからっ風"などが、よくかかっていた。

 それで、その時に初めて知った曲が、フレンチ・ポップスの曲である"Dans Le Meme Wagon(そよ風にのって)"だった。歌っていた人は、マジョリー・ノエルという人だった。0picture
 この人は1945年12月29日生まれで、ちょうどクリスマス・シーズンだったので、芸名に“ノエル”と名付けたようだ。
 ただ、ノエルさんは、2000年の4月30日に54歳で亡くなっている。理由はよくわからない。彼女は19歳でデビューして、翌年の1965年に"Va Dire A L'Amour(慕情の季節)"という曲で、ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場している。結果は9位だったという。

 この曲は1965年に発表されていて、本国フランス以上に日本でヒットした。この曲は、まさに春を連想させるような軽快なテンポで作られていて、途中の“フッ、フッ、フッ”というコーラスがとても印象的だった。

 日本では伊東ゆかりや弘田美枝子がカバー・バージョンを出しているが、ノエル自身も日本語バージョンをリリースしている。
 “夕べのひと時”では、フランス語のオリジナル盤と日本語盤の両方を聞いた覚えが、かすかにある。300x300
 自分は長らくこの曲をもう一度聞きたいと思っていて、ずっと中古CDなどを探していたのだが、当然のことながら、50年以上も前の曲が見つかるはずもない。
 それに自分はこの曲の題名を、"愛はそよ風にのって"もしくは"恋はそよ風にのって"と勘違いしていたから、いつも徒労に終わっていた。

 そこで今回は真剣に探してみようと思い、アマゾンで検索したところ、“そよ風”がキーワードとなって、この曲を含むフレンチ・ポップ集のCDがヒットした。そのCDのタイトルは「ボンジュール・パリス!ボン・ボン・フレンチ・スペシャル」という。

 全20曲も収められているし、消費税と送料込みで2000円程度と安い方だった。内容もフレンチ・ポップスの定番ともいえるダニエル・ビダルの"Les Champs-Elysees(オー・シャンゼリゼ)"やフランス・ギャルの"Poupee De Cire, Poupee De Son(夢見るシャンソン人形)"、ミッシェル・ポルナレフの"Tout, Tout Pour Ma Cherie(シェリーに口づけ)"から、ポール・モーリアの"Penelope(エーゲ海の真珠)"のようなムード・ミュージックも収録されている。51ax7ea0ppl ユニークな曲としては、ジェーン・バーキンの"Ex Fan Des Sixties(想い出のロックン・ローラー)"とダリダの"Generation78"が挙げられるかもしれない。

 前者は1978年に発表された曲で、曲中にビートルズのメンバーの名前やバーズ、ドアーズ、アニマルズ、T・レックス、ムーディー・ブルースなどのバンド名、個人としてはブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、エディ・コクラン、バディ・ホリーにジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング、ジャニス・ジョップリン、エルヴィス・プレスリーの名前が織り込まれていて、タイトルにあるような60年代のロック・ミュージック揺籃期へのオマージュになっている。

 作詞と作曲は、自身も歌手だったセルジュ・ゲンスブール。ジェーン・バーキンは、彼の3度目の妻になった人だ。ちなみに女優のシャルロット・ベンスブールは2人の間に生まれた娘である。

 ダリダの歌う"Generation78"は、当時のディスコ・ブームに乗ってヒットした曲で、自分自身の往年のヒット曲をメドレー形式で歌ったもの。当時はこうしたメドレー形式の曲がヒットしていて、ラジオやディスコで頻繁に流されていた。

 とくに有名なのはビートルズやアバの曲をまとめた"Stars On 45"シリーズであろう。ほかにもローリング・ストーンズやショッキング・ブルーの曲もメドレーで歌っていて、今でいうサンプリングのはしりかもしれない。

 とにかく、個人的には今まで探し回っていた曲が収められていたので、個人的にはとても満足しているのだが、それだけではなくて、時期的にもピッタリだし、気分転換にも向いていると思う。

 それにフランス語は、鳥のさえずりのような音声だし、愛を語る上で一番ぴったりと合う言葉だといわれている。その魅力が十二分に詰まっているCDである。何度聞いても飽きない。疲れた時やハードな音楽の合間に聞くには、最適な音楽ではないだろうか。イージー・リスニングとは、こういう音楽なのだろう。

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2015年4月 8日 (水)

サム・スミス

 今年の2月8日に行われた第57回グラミー賞で主要部門を独占したのが、サム・スミスのシングル曲"Stay With Me"だった。

 まず最優秀新人賞から始まり、次に最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞、最優秀ベスト・ポップ・ボーカル・アルバム賞などを獲得した。逃したのは最優秀アルバム賞くらいだろうか。
 でもこの賞にもノミネートはされていたのだから、大したものである。

 新人賞というくらいだから、当然、デビューして間もないのだが、実際は2012年のディスクロージャーというバンドのデビュー曲"Latch"という曲で歌っていた。

 このディスクロージャーという兄弟バンドは、エレクトロ・ダンス・ミュージックをやっていて、いわゆる“ハウス・ミュージック”というジャンルに属するのだろうが、自分の趣味とは180度真逆の音楽なので、全く聞いたことがない。

 とにかく、彼らの"Latch"という曲にゲスト参加したことから、サム・スミスは注目を集めるようになり、2013年2月に"Lay Me Down"という曲でデビューしたのである。2
 彼は1992年5月生まれだから、今年で23歳になる。イギリスはケンブリッジシャー州出身で、母親は金融業界でも有名なコンサルタントで、父親は専業主夫だった。この辺の家庭環境も彼に何がしかの影響を与えたのかもしれない。

 子どもの頃から音楽に興味があったサムは、ホイットニー・ヒューストンやチャカ・カーン、マライヤ・キャリーなどを聞いて育ち、10代の頃からバック・シンガーとしてステージに立つようになった。

 もちろん両親のバックアップも見逃せないわけで、幼少期からジョアンナ・エデンというジャズ歌手に師事させて、音楽的なスキルを磨かせていた。

 やはり才能ある人をミューズの神様は見逃さないようで、あるときステージに立っていた彼を見染めたのが、アデルのマネージャーだった。そこから彼の運命は大きく回転して、ディスクロージャーの楽曲にジョイントするという機会も生まれたのである。

 もちろん、そこには彼の恵まれた歌の才能や努力もあったことは、言わずもがなである。2013年から"Lay Me Down"、"Together"、"Money on My Mind"と立て続けにシングル・ヒット曲を連発し、2014年の4月に、グラミー賞を獲得することになる"Stay With Me"を発表した。

 この曲は本国イギリスだけでなく、アメリカやカナダ、ニュージーランド、ヨーロッパ各国で、大ヒットを記録している。
 そしてこれらのヒット曲を収録したアルバム「イン・ザ・ロンリー・アワー」が満を持して発表された。

 当然のことながら、このアルバムも英国で2週連続して1位、アメリカでも2位という大ヒットになり、日本でもクリス・ハートや福原美穂などがカバー曲を出すほどの人気になった。世界的にも500万枚以上売れていて、英米の年間チャートでも2位になっている。Photo_2
 基本的に彼の音楽は、R&Bである。一聴したかぎりでは、キーの高いジョージ・マイケルだと思った。また、曲によってはアメリカの俳優でシンガーのジャスティン・ティンバーレイクのような感じのものもあった。

 アルバムは、意外にもアップテンポの"Money on My Mind"から始まる。全英1位を記録したこの曲にも、彼のファルセット・ボイスが活かされている。次の曲"Good Thing"もミディアム・テンポのノリのよい曲で、静と動の対比やバックのストリングスが効果的だ。

 3曲目が話題沸騰した"Stay With Me"で、日本ではデビュー・シングルになった。確かに声よし、曲よし、アレンジよしで、これなら売れても当たり前だろう。

 日本では(あるいは世界でもそうかもしれないが)、“第2のアデル”というキャッチフレーズがまかり通っているようだが、曲調や雰囲気がそうおもわせるだけであって、あるいは同じマネージメントに所属しているからだろうが、自分としては、ちょっと違う感じがした。

 確かにファルセットの使い方や、R&Bの影響などは共通しているが、歌唱力やテクニックではサムの方が上手ではないだろうか。幼少の頃からジャズ・ミュージシャンに師事していたことが、その背景にあるような気がしてならない。

 楽曲は、これもアデルと同じく、他のミュージシャンとの曲作であるが、アップテンポの曲もあれば、バラードもあり、バラエティに富んでいる。"I'm Not The Only One"、"I've Told You Now"は泣かせるバラードだし、アデルの"Rolling in the Deep"をパクッタような"Like I Can"などもある。

 また注目を浴びるきっかけになった"Latch"のアコースティック・バージョンも収録されているが、この穏やかな曲がダンス・ミュージックと結びつくところが不思議である。ボーカル・パートは、確かに七色の鮮やかさを放っているけれども。

 DJ兼プロデューサーであるノーティ・ボーイの曲"LaLaLa"が収められているところも、うれしい。この曲も全英No.1を獲得していて、サビの"La-La, LaLaLaLa-LaLaLaLa-La"というところがいつまでも耳に残る。
 
 ただ気になるところは、ジョージ・マイケルのようにはなってほしくないということだ。彼のソロ・デビュー作「フェイス」は大ヒットしたものの、その後のアルバム売り上げは下降線をたどり、彼自身も猥褻行為で逮捕されるなど、パッとしない。1作で運も力も使い果たしたようだ。

 また、エイミー・ワインハウスはアルコールとドラッグ過剰で死亡するし、アデルは出産、育児でしばらくは音楽活動ができないだろう。

 そんな感じで、R&Bシンガーが長続きしないイギリス音楽業界であるが、久しぶりの大型新人だ。R&Bのジャンルだけでなく、今後も大きく世界に羽ばたいてほしいし、息の長い活躍を願っている。

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2015年4月 1日 (水)

ロジャー・マッギン

 最近、珍しく中古CD漁りに励んでいて、その中で元ザ・バーズのリーダーだったロジャー・マッギンのソロ・アルバムを2枚購入した。

 ロジャー・マッギンについては、今さら改めてここで述べる必要もないほどの有名なミュージシャンであるが、一応、簡単にそのバイオグラフィーを述べておきたい。

 彼は1942年生まれなので、今年で73歳になる。あのポール・マッカートニーと同じ年だ。シカゴ生まれの彼は、高校生の時からギターやバンジョーを演奏し始め、卒業後はフォーク・バンドのライムライターズのギター奏者として本格的なプロの道を歩き始めた。

 その後、ボビー・ダーリンやジュディ・コリンズの演奏やレコーディングにも参加したが、1964年にある映画に強く影響を受けて、リッケンバッカーの12弦エレクトリック・ギターを手にするようになった。

 その映画とはザ・ビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」だった。この映画の中で、ジョージ・ハリソンが弾いていた12弦ギターに魅了されたのである。彼は借金をしてまで、同じ型のギターを手に入れたといわれている。12strings
 同じ頃、ジーン・クラークとデヴィッド・クロスビーの3人でバンド結成を思い立ち、ザ・ジェット・セットと名乗り始め、それにクリス・ヒルマン、マイケル・クラークも加わって、ザ・ビーフィターズ、そしてザ・バーズと名前を変えていった。

 そして、1965年にボブ・ディランのカバー曲"Mr. Tambourine Man"で全米1位を獲得して以降、彼らはアメリカン・ロックにその足跡を残していくのである。

 ザ・バーズは、結局、約9年間でその活動の幕を閉じるのだが、基本的には“フォーク・ロック”に位置づけられている。
 ただ、メンバー・チェンジが頻繁に行われていて、アルバムごとにサイケデリックな音楽やカントリー・ミュージックにもアプローチしていた。だからその音楽性は幅広い。

 その中で最初から最後までバンドにいたのが、ロジャー・マッギンだった。だから“ザ・バーズ=ロジャー・マッギン”といってもいいかもしれない。Photo
 そんな彼が1973年に初めてのソロ・アルバム「ロジャー・マッギン」を発表した。これには彼自身の幅広い音楽性が反映されていて、フォークからカントリー、ジャズにサイケデリック・ミュージックさらにはスワンプ・ロックまで収録されていた。

 ゲスト陣も豪華で、デヴィッド・クロスビーやボブ・ディランだけでなく、ザ・バーズのオリジナル・メンバーやサックス奏者のチャールス・ロイドなどが参加して、彼の再出発を祝福していた。

 ただ残念ながら、商業的にはそんなに成功しなかった。ある意味、彼の音楽は彼の趣味性を反映しているようで、時代の求める音楽は、そんな彼の音楽観とはマッチしていなかったようだ。

 そして自分が購入した「ピース・オン・ユー」は、1974年に発表された彼のセカンド・ソロ・アルバムである。
 このアルバムは、少し売れた。ビルボードのチャートでは全米92位まで上昇した。それは曲がよいからで、どの曲もポップで聞きやすい。また、アレンジとストリングスはアル・クーパーが担当していて、彼の功績もあるのかもしれない。彼はまた"One More Time"という曲も提供している。

 全10曲のうち、ロジャーの手によるものは半分の5曲で、アルバム・タイトル曲の"Peace On You"はチャーリー・リッチという人のカバー曲、他には当時は無名に近かったダン・フォーゲルバーグの"Better Change"、後にシカゴのギタリストになったドニー・ディカスの曲"Going to the Country"、"Do What You Want To"などが収められていた。

 自作曲の"Same Old Sound"や最後の曲"The Lady"では、彼のトレードマークである12弦ギターの爽やかな音色を聞くことができるが、まるでザ・バーズかジョージ・ハリソンの曲のような気がした。2_2
 全体的に当時のウエスト・コースト風の楽曲で占められていて、いずれも耳に馴染みやすく、聞いていくにつれて70年代中期の当時の雰囲気が甦ってきそうだった。
 そんなにあくせく急ぎすぎるのではなく、マイペースで自分らしく生きようというようなメッセージを感じたのだが、自分の思い込み過ぎかもしれない。

 どの曲も捨てがたいが、逆にアルバム全体を通して聞くと、印象に残るような曲は少ない。可もなく不可もなくというところか。ただ、それもまた彼の特長なのかもしれない。

 翌年の1975年は、アメリカ建国200周年という記念の年だった。それを記念してかボブ・ディランは、メイフラワー号が到着したマサチューセッツ州プリマスを皮切りに全米50か所以上でライヴ演奏を行った。これがアメリカン・ロック史上名高い“ローリング・サンダー・レヴュー”である。

 このライヴが有名になったのは、その内容と提示の仕方だった。ボブ・ディランは、今では考えられないのだが、事前の告知や連絡を一切行わずに、場所や時間帯については約1週間くらい前に、場合によっては数日前にチラシやポスターで知らせるといった方法を採ったのである。

 だからライヴがどこでいつ行われるかは、ほとんど口コミで広まっていった。今ならネットですぐにわかるのだが、当時はそんなものはなかったから、まさに人づてだった。

 それにそのライヴにはディランだけでなく、様々なゲスト・ミュージシャンが参加していた。基本的にはディランのアルバム「欲望」に参加していたミュージシャンが主に出演していたが、それ以外にもジョーン・バエズや若き日のT・ボーン・バーネット、詩人のアレン・ギンズバーグ、デヴィッド・ボウイとの共演で有名なギタリストのミック・ロンソンも加わっていて、1回の公演が3時間から4時間以上になることもあったらしい。

 さらにはゲストとして、ロビー・ロバートソンやジョニ・ミッチェル、リッチー・ヘヴンズにパティ・スミス、さらには街で見つけたストリート・ミュージシャンまで登場したようで、とにかく異例ずくめのライヴだった。

 この様子は、彼のブートレッグやライヴ・アルバム「激しい雨」、映像としては「レナルド・アンド・クララ」で伺うことができるが、ディランはアメリカのルーツを探る目的や当時勃興したパンク・ミュージックに共鳴したからとも言われている。

 そんなライヴ演奏にロジャー・マッギンも同行していて、そのせいか1976年の4枚目のソロ・アルバム「海賊」のプロデューサー&サポート・ミュージシャンにはミック・ロンソン、当時のディランのバンドのリズム陣のロブ・ストーナーとハウイー・ワイエス、バイオリン&バンジョーにデヴィッド・マンスフィールドなどが担当していた。いずれもローリング・サンダー・レヴューのメンバーだった。3
 全9曲のうち、5曲はロジャーの手によるもので、他の1曲はトラディショナルの曲にロジャー・マッギンが味付けしたもの、残りの3曲はディランとジョニ・ミッチェルから提供されたものと、クリス・クリストファーソンとボビー・ニューワースとの共作曲だった。

 一般的には、このアルバムが彼の代表作と呼ばれているようだが、自分としてはそんな風には思えなかった。むしろ「ピース・オン・ユー」の方が気に入っている。

 軽快な"Take Me Away"でアルバムは幕を開けるのだが、2曲目の"Jolly Roger"から少々様子が異なってくる。
 この曲は実在の海賊カーディフ・ローズのことを歌っているようで、アルバムのタイトルにもなっている。何となくジェスロ・タルが歌うような古風なイギリス民謡のようで、多様な音楽性を持つロジャーならではのものだろう。また、曲名と自分の名前を掛けているようだ。

 3曲目はミディアム・テンポのロックン・ロールだが、4曲目のアコースティック・ナンバーのバラード曲である"Friend"を聞いていると、どうしてもディランの幻影がちらついてくる。
 そう、このアルバムはジャケットの絵が示しているように、全体的にダークな雰囲気なのだ。

 特に当時はまだ未発表曲だったディランの"Up to Me"は、歌い方から雰囲気までディランにソックリである。
 ディランの曲だからそうなるのだろうが、もう少し工夫してもよかったのではないだろうか。そのせいかどうかはわからないが、次の曲"Round Table"やその次のトラディショナル曲である"Pretty Polly"までディラン調に聞こえてきてしまった。

 アルバムの最後を飾るのは、これも当時はまだ未発曲だったジョニ・ミッチェルの手による"Dreamland"だ。オリジナルは、1977年の「ドンファンのじゃじゃ馬娘」に登場するのだが、ここでは完全なロック・ナンバーに仕上げられている。エンディングのサックスがカッコいい。

 個人的には、このアルバムにはオリジナリティーが感じられない。アルバムの途中からまるでボブ・ディランの作品に聞こえてくるし、12弦ギターの煌めきや清涼感も全く感じられない。

 ボーナス・トラックの"Soul Love"に至っては、これはプロデューサーのミックの意向なのかもしれないが、もう噴飯ものである。全然似合っていない。なぜデヴィッド・ボウイの、しかもこの選曲にしたのかが理解できない。

 このアルバムが彼の最高傑作とは思えない。何をどう聞けば最高傑作に思えたのか、こちらが聞きたいくらいだった。
 要するに、このアルバムに関して言えば、ミック・ロンソンのプロデュースが強く出ているし、さらにはボブ・ディランの影響も強く受けていて、ロジャー・マッギンのオリジナリティが不足しているのである。

 確かにローリング・サンダー・レヴューでのライヴ活動が、ロジャーの身に影を落としているのは間違いないだろう。それにしてもザ・バーズ時代から、ディランの曲によってかなり助けられているような気もする。彼が、自分自身をフォーク・シンガー出身と位置付けているのであれば、それもまた致し方ないのかもしれない。

 ロジャー・マッギンは、1995年から自分のウェブサイト“Folk Den”というものを開設していて、そこで昔のフォーク・ソングや新しく発掘してきたものをレコーディングしたり、曲の解説などをしていて、外でのライヴ活動よりも自宅での活動を優先している。まだまだ音楽に懸ける情熱は衰えていないようだった。

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