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2015年6月

2015年6月30日 (火)

ティーンエイジ・ファンクラブ

 6月も最後ということで、そろそろグラスゴー出身のバンドやミュージシャンについても、幕引きするときが来たようだ。

 それにしてもつくづく不思議に思うのは、グラスゴーという街から、こんなに多くの世界的に有名なミュージシャンが陸続と輩出しているということである。
 東京都の約20分の一の人口しかないのに、イギリスを代表するバンドが目白押しで、しかも1970年代から途切れることなく、21世紀の現在まで続いている。如何にイギリス北部の音楽環境が充実しているかが分かるだろう。

 個人的に思うのは、ロンドンを中心としたイギリス南部とは違って、独自の伝統を保っている地方ということもあるだろうし、アイルランドに近く、その音楽的影響を受けてきたということもあるかもしれない。

 それで今回は、80年代から2010年代まで現役バンドとして第一線で活躍しているティーンエイジ・ファンクラブ(長いので、以下TFCと略す)のことについて紹介することにした。Tff
 このTFCはグラスゴーはもちろんのこと、イギリスを代表するバンドでもある。しかも活動歴が長く、後進に与えた影響は、グラスゴー地域に限って言えば、ビートルズやストーンズと並び称されるくらい力強いものがある。

 結成は1989年で、イギリスの戯曲から命名された“ザ・ボーイ・ヘアドレッサーズ”という名前だった。
 このバンドの最大の特長は、3人のソングライターがいるということだ。当初はノーマン・ブレイクがほとんどの曲を書いていたが、やがてギタリストのレイモンド・マッギンリーとベーシストのジェラルド・ラヴも曲を提供し始めるようになり、ライヴでは3人がほぼ平等に自分の持ち歌を歌うこともあるという。

 また、この3人はマルチ・プレイヤーでもあり、それぞれギターやベース、キーボードを担当している。なんとなくウィングスのような感じだ。

 自分が最初に聞いた彼らのアルバムは、1995年の「グランプリ」だった。デビュー当初の彼らは、アメリカのニルヴァーナの影響が強くて、ラフなギターとボーカルが印象的なバンドだったが、1991年の「バンドワゴネスク」からポップでマイルドな傾向になり、このアルバムでは、まさにバッドフィンガーのような感じになっていた。Tff1
 個人的にこのアルバムのことを気に入っていて、自分はTFCのベスト・アルバムだと思っている。全13曲も収められているのだが、最初の曲"About You"の冒頭のコーラスから、彼ら特有の甘酸っぱくてエヴァグリーンなメロディを聞くことができるからだ。

 ノーマン・ブレイクの曲は5曲、レイモンド・マッギンリーの曲は4曲、ジェラルド・ラヴのは4曲と、ほぼ均等に収められていて、どの曲も印象的だ。どちらかというと、レイモンドやジェラルドはギター中心のパワー・ポップで、ノーマンの書く曲は、メロディアスでバラード系を得意にしている感じがした。ピアノ弾き語りの"Tears"などは感動ものだった。

 とにかく、このアルバムで彼らのことを知り、彼らのアルバムを購入するようになった。1991年の「バンドワゴネスク」もよかったが、まだアメリカのグランジ・ロックの影響が残っていたから、自分はあまり好きではなかった。

 ドラマーが交代して制作された1997年のアルバム「ソングス・フロム・ノーザン・ブリテン」もまた「グランプリ」と同傾向のアルバムで、捨て曲なしの傑作アルバムに仕上げられていた。Tff2

 全12曲、このアルバムも3人がそれぞれ4曲ずつ提供して、自分の曲は自分でボーカルを取っている。("Planets"だけノーマンと、オリジナル・メンバーでのちにドラマーとしてアルバムに加わるフランシス・マクドナルドが共作している)

 このアルバムは曲もよいが、アルバム・ジャケットやブックレットに収められた風景写真が秀逸で、スコットランド地方の自然の美しさが印象的だった。写真を見ながら彼らの曲を聞くと、また違う感想を抱くに違いない。視覚的にも優れたアルバムといってもいいだろう。

 また"Planets"ではストリングスが使用され、サウンドに厚みをつけているし、"Take the Long Way Around"や"Ain't That Enough"では、バリバリのパワー・ポップを聞かせてくれる。
 3人のソング・ライティングの技量もアルバムを発表するたびに、成長しているようだった。そのせいか、このアルバムは全英チャートで3位まで上昇している。

 自分は「グランプリ」とこのアルバムが好きで、時々だが、今でも聞いている。2000年や2005年に発表された「ハウディ!」や「マン・メイド」も悪くはないが、90年代の彼らのアルバムの方が彼らの魅力を知るには適切かもしれない。

 そんな彼らの素晴らしさを手っ取り早く知るには、やはりベスト盤を聞くしかないだろう。2003年に発表された「フォー・サウザンド・セヴン・ハンドレッド・アンド・シックスティシックス・セカンズ~ア・ショート・カット・トゥ・ティーンエイジ・ファンクラブ」(邦題:ヒット大全集)という長いタイトルのものだ。Tff3
 表題通りに、CDの限界近い4766秒(約80分)に渡って曲が収められていて、1990年のデビュー・アルバム「カソリック・エデュケーション」から2000年の「ハウディ!」までの代表曲と1曲の新曲の計21曲が並べられている。

 確かに初期の曲はワイルドで荒々しいが、メロディに対するきらりと光るセンスは輝いている。約35年に渡る活動を行っているTFCだが、当初から彼らの音楽に対する姿勢は変化がないようだ。

 グラスゴーの音楽シーンの人脈図には、必ずTFCのメンバーが上がってきて、他のバンド・メンバーとの交流を行っていることがよくわかるが、それは彼ら自身の長い音楽歴における影響力の多大さのなせる業なのだ。

 元オアシスのリアム・ギャラガーが、世界で2番目に偉大なバンドだと彼らのことを称えたのも、うなずける話である。

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2015年6月23日 (火)

トラヴィス

 すでに西日本は梅雨入りをしていて、毎日一日中雨が降ったり、雨は降らなくても蒸し暑い日が続いている。
 一方で、イギリスのスコットランド地方は6月にまとまって雨が降るということはなく、日本の約半分程度で、むしろ冬に雪が降ることの方が多い。だから、統計的には夏よりも冬に降水量が多いことになる。

 そんな北海道よりも高緯度のスコットランドにあるグラスゴー出身のバンドを見てきたが、今回も1990年代後半から現在まで活躍しているバンドを紹介する。1997年のデビュー・アルバム以来、現在まで7枚のスタジオ・アルバムを発表しているトラヴィスである。

 彼らは4人組のバンドで、活動は1990年頃から始めている。当時は女性ボーカリストを加えた5人組で、自らを“グラス・オニオン”と名乗っていた。もちろんこれはビートルズ時代にジョン・レノンが作った曲名から取られたものだった。

 1991年に女性ボーカルのキャサリン・マックスウェルが脱退してしまったので、バンドはオーディションを行い、それに合格したのが、当時美術学校に在籍していたフラン・ヒーリーだった。バンド名も、映画「パリ、テキサス」の登場人物から拝借して、ここから彼らの歴史が大きく変わることになった。

 当時から曲を書いていたフランは、バンドに所属してからのデモ音源をプライベートCDとして発表した。現在ではこれらのCDには10万円以上のプレミアがついていると言われている。

 その後、彼らはそれらのデモ音源をソニー・ミュージックに送り、彼らに興味を抱いたソニー側は彼らの演奏を確認するために、わざわざエジンバラまで訪れて契約書にサインをした。
 そのときのライヴ演奏は散々な出来で、PAは爆発するし、お客は暴動を起こすし、結局、2~3曲しか演奏できなかったそうで、フランは到底契約などはできないと落ち込んでいたという。

 なぜ彼らが契約できたかというと、当時から彼らはメロディの美しい曲を書き、それをストレートにリスナーに訴えていたからで、実力だけでなくそういう真面目な姿勢も評価されたからである。2

 バンドは、メンバー・チェンジ後、ロンドンに進出してアンディ・マクドナルドと出会い、1997年にデビュー・アルバム「グッド・フィーリング」を発表した。
 アンディ・マクドナルドは、彼らを第二のU2やオアシスにさせたかったようで、このアルバムのプロデュースをU2で有名なスティーヴ・リリーホワイトに任せている。

 だからかどうかはわからないが、彼らのワイルドな魅力の方が前面に出ていて、セカンド・アルバムのような落ち着いた美メロを味わうことはできない。それでもチャート的には全英9位まで上昇していて、新人バンドとしては異例のヒット・アルバムになった。

 彼らが世界的な評価を得たのは、セカンド・アルバム「ザ・マン・フー」が大ヒットしたからである。
 1999年に発表されたこのアルバムは、サウンドの繊細さやメロディの美しさ、フランの歌声の優しさなど、彼らの魅力が十二分に発揮されていて、本来あるべき彼らの姿がパッケージされていた。

 プロデューサーにレディオヘッドやベック、ポール・マッカートニーと作業したナイジェル・ゴッドリッチを迎え、フランスの古城やロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音されたこのアルバムは、全英アルバム・チャートでは1位を獲得し、全世界で2700万枚以上も売れた。

 ミディアム調の"Writing to Reach You"の歌声は、優しい天使のようで、コード・ストローク中心のギター・ソロはかつてのU2やコールドプレイのようだ。
 続く"The Fear"はアコースティック・ギターを中心とした曲で、フランは丁寧に歌っているし、"As You Are"はストリングスを伴うバラードで、熱唱するフランの歌声を聞くことができる。

 マイナー調の曲が続く中で、"Driftwood"は明るいイメージを与えてくれる。また、エレクトリック・シタールがバックの味付けになっている"The Last Laugh of The Laughter"は夢の中を浮遊している感じだ。

 さらにハーモニカとアコースティック・ギターの絶妙なコラボが味わえる"Luv"も美しいバラードだし、"She's So Strange"もアコースティックを基調とした子守歌のような穏やかな曲だ。Photo
 これらの曲の多くは1995年から96年にかけて作られたもので、中には"Turn"や"She's So Strange"のように“グラス・オニオン”時代の曲も含まれていた。昔から彼らの音楽的姿勢は一貫していたということだろう。

 ところで、このタイトルは"The Man Who Mistook His Wife for a Hat"(自分の妻と帽子を取り違えた男)という精神分析の本から取られていて、このアルバムはなぜかスタンリー・キューブリックに捧げられている。

 自分はこのアルバムを聞いて、たぶん彼らは“一発屋”で終わるだろうと思っていた。確かに1曲1曲は繊細で美しいのだが、全体を通して聞くと、一本調子で起伏が少なく、ロック的なカタルシスを味わうことができなかったからだ。

 だから彼らのアルバムは、この1枚しか持っていない。眠りにつくときに聞くには最適なアルバムなのだが、高揚感や疾走感を味わうことはできないのが、残念である。

 2000年前後のトラヴィスは、レディオヘッドとコールドプレイとともに、21世紀のブリティッシュ・ロックを飾る新御三家と呼ばれていたが、最近ではこのトラヴィスだけが取り残されているようで、やや落ち目の感がある。

 それでも今年になって、ニュー・アルバムの録音に取り掛かったことが発表された。フラン・ヒーリーもまだ41歳の若さである。落ちぶれるのは、まだまだ早いようだ。

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2015年6月16日 (火)

ベル・アンド・セバスチャン

 イギリスのスコットランド地方にあるグラスゴーは、イギリス全土で4番目の大きさを誇る都市である。4番目といっても約58万人の人口なので、そんなに大きいとは思えない。
 ただ、昔から音楽は盛んなようで、その人口の割には世界的に有名なバンドやミュージシャンを多数輩出しているところが、信じられない。

 今まで数回にわたって、そんなバンドやミュージシャンを見てきたが、今回は90年代に生まれたバンドを紹介しようと思う。それがベル・アンド・セバスチャンだ。(長いので、以下B&Sと略す)

 先ずは名前の由来から。元はフランス人の女性、セシル・オーブリーという人が書いた物語からきているようで、セバスチャン少年とピレネー犬のベルのお話は1970年代前半に、テレビでもシリーズ化されている。

 バンドの中心人物であるスチュワート・マードックは、この物語を子どもの頃に読んで感銘を受けたそうで、そのままバンド名にしてしまった。Photo

 次に、バンドの歴史について。B&Sは、1996年にスチュワート・マードックとスチュワート・デヴィッドを中心に結成された。当初は5人組だったようで、1000枚限定の“タイガーミルク”という自主制作盤が、音楽活動の始まりだった。

 翌年には「イフ・ユア・フィーリング・シニスター」(邦題:「天使のため息」)を発表したが、わずか5日間で制作したアルバムとは思えないほど、このアルバムはイギリスだけでなく、アメリカでも評判を呼び、カレッジ・チャートでは第5位まで上昇している。

 メンバー構成は流動的なようで、このアルバムでは7人組になり、1998年の「ザ・ボーイ・ウィズ・ジ・アラブ・ストラップ」ではトランペット奏者が加わり、8人組になっている。
 基本的にはキーボーディストを備えたロック・バンドのフォーマットなのだが、それにバイオリンとチェロ、トランペットが加わっていた。2015年現在では、チェロ奏者とトランペット奏者が抜けて、6人組になったようだ。

 彼らは着実にアルバムを発表していて、その都度、人気拡大につながっている。特に2003年に発表されたアルバム、「ディア・カタストロフィ・ウェイトレス」は、インディ・レーベルの大御所であるラフ・トレードから発表されていて、しかもアルバムのプロデューサーは、泣く子も黙るトレヴァー・ホーンだった。

 このアルバムはアメリカのチャートでは、84位まで上がり、以降、アルバムを発表するたびに、イギリス国内は当然のことながら、アメリカでも上々のチャート・アクションを収めている。

 そして、肝心な音楽性について。彼らの音楽は、いわゆる“浮遊系”のポップ・ミュージックである。類似のバンドを探してみると、たとえば同時代のフェアグラウンド・アトラクションや70年代に一世風靡したコクトー・ツインズだろう。
 
 特にコクトー・ツインズはスチュワート・マードックのフェイヴェリット・バンドの1つに挙げられていて、過剰な装飾音を剥ぎ取ったシンプルなコクトー・ツインズを想像してもらえば、B&Sの音楽性はわかりやすいかもしれない。

 だから、いわゆるロックン・ロールのような疾走感や性急な音楽観とは一線を画している。むしろ対極の音楽かも知れない。だから、この手の音楽が好きな人にはたまらないだろうが、ハードな音楽が好きな人には無縁のものかもしれない。だから自分は、1枚聞いて沈黙してしまった。

 「ザ・ボーイ・ウィズ・ジ・アラブ・ストラップ」について。自分は1998年のこのアルバムを聞いて、初めて彼らのことを知った。彼らの世界的な人気を、決定付けた作品でもあった。2
 アルバムはイギリス特有の霧がかかったようなフォーキーな曲"If Could Have Been A Brilliant Career"から始まる。呟くようなボーカルと徐々に楽器数が増えていく曲構成は、いかにも彼ららしい特長が表れている。

 2曲目はテンポのはやい"Sleep the Clock Around"で、車の運転にはふさわしいかもしれない。ループ的なシンセサイザーとトランペットが印象的でもある。
 次の曲の"Is It Wicked Not To Care?"はチェロ奏者のイゾベル・キャンベルが可愛い声で歌っていて、夢見るような感じだ。

 今回、この稿を書くにあたってこのアルバムを聞き直したのだが、意外にテンポの速い曲が多かったのには、驚いた。こんな感じではなかったようだったが、記憶はあてにならないものである。
 "Ease Your Feel in The Sea"もアコースティック・ギターを基本にしたテンポのよい曲だ。ただ、同傾向の曲は他にもあって、似たような曲調は区別しづらいかもしれない。判断するには、歌い方や使用楽器で判断するしかない感じだった。

 アルバム・タイトル曲の"The Boy With The Arab Strap"は、何やら意味深な曲で、彼らと同郷のバンド、“ジ・アラブ・ストラップ”のことを指しているのかと思ったが、性交時に長時間持続させる小道具のことらしい。これを装着した男の子のことを歌っていて、いかにもイギリス的なウィットに富んだ内容だと思った。日本では自主規制の対象になるにだろう。

 他にはソフト・ロックに分類されるドリィーミーな"Chickfactor"や"Seymour Stein"、6分36秒もある"The Rollercoaster Ride"なども収められているが、いずれも穏やかで白日夢を体験しているかのような錯覚を覚えてしまう。B&Sのマジックに違いない。

 B&Sの現在について。彼らは今年の1月に9枚目のスタジオ・アルバムを発表している。「ガールズ・イン・ピースタイム・ウォント・トゥ・ダンス」というタイトルで、90年代のアルバムよりも垢抜けて、タイトルにあるようなダンス・チューンもあるらしい。Photo_2
 このアルバムもまた、英米では好評で、イギリスでは9位に、アメリカでは28位まで上昇した。B&Sは、ワールドワイド的なポピュラー・バンドに成長しているようである。

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2015年6月 9日 (火)

オレンジ・ジュース

 オレンジ・ジュースというと、まさに飲み物のことだが、ここでは1980年代初頭、日本でも人気のあったグラスゴー出身のバンドのことを指している。

 このオレンジ・ジュース(紛らわしいので、以下OJと略す)というバンドは、1979年にデビューした。前身バンドのノー・ソニックスというパンク・バンドは、その2年前にグラスゴーで活動していたようである。

 バンドの中心メンバーは、ボーカル&ギターのエドウィン・コリンズという人で、当時の彼はバンド活動を続けてはいるものの、レコードを発表する伝手を持たなかった。2
 それでマネージャーのアラン・ホーンとともに、レコード会社を設立した。それがやがてはスコットランドを代表する会社に成長するポストカード・レコーズ・オブ・スコットランドだった。

 このブログでも見てきたように、アズティック・カメラやオーストラリアで結成されたゴー・ビトウィーンズなど、80年代から活躍していたグラスゴー周辺のバンドのいくつかは、そのポストカーズ・レコードに所属していた。その源はこのOJにあったのである。

 ただ残念ながらインディ・レーベルだったため、OJはスコットランドでは有名だったが、イギリス全土では無名に近かったため、1981年にポリドール・レコードと契約してメジャー・デビューを果たした。

 当時のイングランドでは、ポスト・パンク・ロックのムーヴメントが流れていて、その一つにネオ・アコースティック・ブーム、略して“ネオ・アコ”と呼ばれているものがあった。その代表的なバンドが前回のアズティック・カメラであり、今回のOJだ。

 今回、改めて彼らの1982年のデビュー・アルバム「ユー・キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーレヴァー」を聞いてみたのだが、なぜこれが“ネオ・アコ”なのか、わからなかった。
どこをどう聞いても、よくわからないのだ。

 何しろ最初のシングルが、アル・グリーンの"L.O.V.E.Love"なのである。アル・グリーンといえば、アメリカのソウル・シンガーだし、この"L.O.V.E.Love"という曲は、1975年のアルバムに収録されていて、そのアルバムは全米No.1を記録しているものだった。

 このOJのシングルには、サックスやトランペットなどの金管楽器が目立っているし、女性コーラスも曲を盛り上げていて、どう聞いてもアコースティックの雰囲気はない。
 また、セカンド・シングルの"Felicity"にはアコースティック・ギターだけでなく、エレクトリック・ギターも使われているし、むしろそちらの方が目立っていた。Photo_2
 何しろアルバム冒頭の"Falling and Laughing"からクラブで踊れそうなビートとエレクトリックなカッティング・ギターが鳴り響いているし、続く"Untitled Melody"にも目立っているのはエレクトリック・ギターとキーボードだった。

 確かにアコースティック・ギターは使用されてはいるものの、それがフィーチャーされている曲は2曲ぐらいだ。基本的にはノリのよいダンサンブルな曲がメインで、ときおりミディアム・テンポの曲が挿入されているといったところだろう。

 とにかく当時のイギリスでは、ヒットする要因として“踊れる音楽”というものが、コンセプトの1つとしてあった。これがやがて80年代半ばの“ユーロビート”の大流行に繋がっていったに違いない。
 だからいくら“アコースティック”とはいえ、やはりそこにはリズムが重要な要素として関わってくるのである。

 それにボーカルのエドウィン・コリンズの声は粘っこくて、少し淡泊なエルヴィス・プレスリーのようだった。だからかもしれないが、アル・グリーンのソウルフルな曲を歌ったのだろう。自分自身のスタイルをよく理解しているようだ。

 彼は1985年にバンドを解散させ、ソロ活動を始めた。80年代はシンガーとしてヒット曲もだし、90年代ではプロデューサー業も兼ねるようになった。Photo_3
 彼は2005年には脳溢血で倒れ、以後リハビリ生活を送っていたが徐々に回復して、2007年には小規模ながらもライヴ活動まで行うまでになった。素晴らしい回復力である。

 さらに2013年には、「アンダーステイティッド」というアルバムまで発表している。まだ55歳だし、これからも元気に活動してほしいと願っている人は多いだろう。

 ところで80年代のグラスゴーでは、彼ら以外にも“ネオ・アコ”ブームに火をつけたバンドが多くて、代表的なところでは、1982年に結成されたザ・パステルズや1枚のアルバムで解散してしまったザ・ブルーベルズ、フレンズ・アゲインなどだろう。これらのバンドはOJよりもかなりアコースティックなので、アコースティック好きにはたまらないと思う。

 今となってはなぜか“ネオ・アコ”の文脈で語られるOJだが、その本質はソウルフルなダンス・ミュージックだと思っている。

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2015年6月 2日 (火)

アズティック・カメラ

 2000年代のイギリス、グラスゴーのミュージック・シーンを見てきたが、ポップ・ミュージックだけでなく、ロックの分野でも見てみようと思った。しかも今から30年以上も前の話になる。まさに歴史を振り返るような話だ。

 1980年当時のイギリスには、ネオ・アコースティック・ムーブメントというブームがあって、エレクトリック・ギターを使ってハードな曲をガンガンやるのではなくて、文字通り、アコースティック・ギター主体の音楽を演奏する曲がヒットしていた。

 ちょうど70年代のアメリカで、シンガー・ソングライターの音楽が流行していたが、似たようなものである。ただし、あちらは個人が主体だったが、イギリスでは個人の音楽というよりは、バンド全体でアコースティックな曲を披露するというもので、それにダンサンブルな要素も混じったものだった。

 そのネオ・アコースティック・ムーブメントの代表的なバンドのひとつに、グラスゴー出身のアズティック・カメラがあった。

 彼らは地元で活躍していたローカル・バンドで、当時若干16歳のロディ・フレームというボーカル&ギタリストを中心にしていて、かなり人気が高かったようだ。3
 地元のレーベルだったポストカード・レコーズから1981年にデビューしたロディ・フレーム一行は、2枚のシングルを発表したあと、同年にラフ・トレイド・レコードと契約を結び、1983年には満を持して、デビュー・アルバム「ハイ・ランド、ハード・レイン」を発表した。

 このアルバムは当時の音楽シーンを代表するアルバムとして、今もなおその評価は高い。特にアルバム冒頭の"Oblivious"は日本でも大ヒットした。ロディは、イギリスの音楽番組“トップ・オブ・ザ・ポップス”に出演できそうな曲を書こうと思って作ったと回想しているが、美しいメロディと切れの良いリズム、爽やかなアコースティックの音色と、まさにヒット曲のツボを押さえている曲だった。

 ただ、アルバムは基本、アコースティックなのだが、7曲目の"Release"のように、若干キーボードが目立つ曲もある。
 また、最近のアルバムではボーナス・トラックも含まれていて、その中の"Orchid Girl"では、ウエス・モンゴメリーやジョー・ストラマーを意識しながらギターを演奏したらしい。
 そのせいかどうかはわからないが、このアルバムはアメリカでも話題になり、チャートの129位にまで上がった。Photo

 次作の「ナイフ」はマーク・ノップラーをプロデューサーに迎えて、1984年に発表された。このアルバムを制作する前には、ロディはアメリカのニューオリーンズで暮らしていた。アコースティックな部分はもちろんあるが、そこから脱却しようとする雰囲気も何となく伝わってくる。アメリカでの生活の影響もあったのだろう。

 セカンド・アルバムから約3年、ファンが待望していたのが1987年のサード・アルバム「ラヴ」だった。自分はこれを聞いたときに、ビックリした思い出がある。それは、それまでのアコースティックな部分が全くと言っていいほど無くなったことだった。

 前々からダンサンブルな音楽も得意としていたアズティック・カメラだったが、このアルバムではソウル・ミュージックといていいほど、ブラック色が強くなっていた。ブラック色というよりは、今となっては死語に近いかもしれないが、ほとんどブラック・コンテンポラリー・ミュージックだった。

 時折挿入されるギター・ソロは、アコースティックだったが、それ以外は、以前のアズティック・カメラとは似ても似つかないもので、自分はこの変化に戸惑いを覚え、徐々に彼らの音楽から離れていった。ブラック・ミュージックは、やはり黒人がやるものの方が良質なものが多いからだ。

 ただし、アルバム自体の出来はすこぶる素晴らしい。ロディの声はブラック・ミュージックにも対応できるということが分かったし、何しろ曲自体がいい。ポップで踊りやすい"One And One"、珍しくエレクトリック・ギターがフィーチャーされた"More Than A Law"。そして"Killermont Street"はラストを飾るにふさわしいバラード曲だ。

 ただ残念なのは、全体で30分少々しかないことか。もう少し聞きたかったなあ、という印象も残っている。

 この変化は、別に彼がニューオーリンズで暮らしたからという理由だけではなくて、彼の最初の奥さんキャシーの影響が強く出ているようで、彼女が旦那のロディに、アニタ・ベイカーやランディ・クロフォード、ジョージ・クリントンなどを勧めたらしい。

 それに対して、変化を求めていたロディは、素直にそれらの音楽を受け入れ、このアルバムに反映させたようである。

 だから"How Men Are"のように、女性コーラスをフィーチャーした曲や、サックスやトランペットを用いた"Everybody is A Number One"のような曲を収めたのだろう。

 このアルバムはまた、ボストンやニューヨークで録音されていて、そのせいかスティーヴ・ガッドやマーカス・ミラーなどの一流セッション・ミュージシャンも起用されている。
 アメリカでの成功を夢見たロディだったが、残念ながらその夢は叶わず、ビルボードのチャートにも上がらなかった。

 ただし、イギリスでは大ヒットした。シングル・カットされた"Somewhere in My Heart"はチャートの3位に上がり、アルバム自体も10位まで上昇している。
 ちなみにアルバムからは4枚シングル・カットされた。1枚は"Somewhere in My Heart"だが、残りの3枚は"How Men Are"、"Working in A Goldmine"、"Deep & Wide & Tall"で、それぞれ25位、31位、55位にランクされた。2
 この後、アズティック・カメラは、3枚のアルバムを発表するも、徐々に人気は下がっていった。中には日本人の坂本龍一がプロデュースした1993年の「ドリームランド」というアルバムもあったが、話題性はあったものの、商業的には上手くいかなかった。

 結局、ロディはソロ活動を始めていくのだが、元々彼自身のバンドだったから、ロディ個人にとっては、そんなに違いはなかったに違いない。

 ロディ・フレイムはまた、ギタリストとしても定評があり、ザ・スミスのジョニー・マーが脱退した後の後任ギタリストの候補に挙がっていて、新作アルバムのレコーディングのサポートも依頼されていた。ただ、気が乗らなかったようで、ロディは断っている。

 現在、ロディは51歳。新作の予定はないが、ライヴ活動には積極的で、主にイギリス、ヨーロッパを中心に活動しているようだ。
 とにかく、「ハイ・ランド、ハード・レイン」は、初夏の今頃の季節にはピッタリのアルバムの1枚だろう。ドライブのお伴には適していると思っているのだが、どうだろうか。

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