« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015年10月29日 (木)

ジェントル・ジャイアント(4)

 さてさて、とりあえず今年聞いたプログレッシヴ・ロックのアルバムについて綴っているのだが、手当たり次第に聞いていたので、何かの基準や一定のルールがあるわけではない。
 だから読んでいる人には支離滅裂で、何を言っているのかよくわからないかもしれないが、そこはお許し願いたい。

 それで今回は、ジェントル・ジャイアントの後期3部作についてである。ジェントル・ジャイアント(以下GGと略す)についてはこのブログでも、5年前の12月にまとめて書いているが、とにかく自分にとっては理解しにくいプログレ・バンドだった。4
 このGGとヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイター(以下VDGGと略す)だけは、いまだによくわからない。あと、ドイツのカンやグル・グルなどの音響系もほとんど聞かないが、それでもアヴァンギャルドだと割り切れば、理解はできる。ソフト・マシーンやゴングもジャズ・ロックだと思えば、非常にわかりやすい音楽だ。

 でもGGとVDGGは、簡単にジャンル分け出来ない。だからジャンル分けが好きな日本人には、そう簡単には受けないのではないかと思っている。

 特に、GGは変拍子を用いた複雑怪奇な曲からシンプルなメロディーを基軸にした曲まで、その揺れ幅が大きくてつかみどころがない。また、高度なテクニックを駆使して、いとも簡単に曲を再現できる玄人集団でもある。5
 さらに、商業的な成功よりも自分たちの納得のいく芸術性を重視していたから、別に売れなくても気にしていなかった(実際には、ヨーロッパではかなりの人気があったようだ)。彼らは、あくまでも自分たちの主義を貫き通していた。音楽はよくわからなかったけれども、その姿勢は潔かったし、わかりやすかった。

 そんな彼らが、急にポップになった時期があった。それが1977年から解散する1980年までのアルバムだった。
 実はそれ以前の1975年のアルバム「フリーハンド」もアメリカのマーケットを意識した聞きやすい音楽になっていて、全米アルバム・チャートで48位まで上昇していた。

 これはレコード会社をジェスロ・タルが在籍していたクリサリス・レーベルに移籍したからで、タルが2枚のアルバムで全米No.1に輝いた実績に倣おうとしたからだった。(ちなみにタルのアルバムは、1972年と73年に全米アルバム・チャートの1位を獲得した。当時はプログレッシヴ・ロックの黄金時代だったのである)

 それで1977年の「ザ・ミッシング・ピース」を発表したのだが、このアルバムでは、ごくごく普通のサウンドになったGGを聞くことができる。 1
 なぜこうなったのかというと、時代はまさにパンク・ロック全盛期だったからだ。それまでの重厚長大な曲は投げ捨てられ(とくにイギリスでは!)、トンガってコンパクトなメッセージ色のある曲が好まれていた。
 アメリカではイギリスほどではないにしても、チャートを意識してか、有名ミュージシャンもソリッドでコンパクトな曲を発表するようになった。

 この「ザ・ミッシング・ピース」でも1曲目の"Two Weeks in Spain"からアッと驚くような短い曲(3分台)が続いている。2曲目の"I'm Turning Around"は、まるで10ccか、ポップ化したジェネシスのようだ。この曲はシングル・カットされたようだが、残念ながらヒットしなかった。

 また3曲目の"Betcha Thought We Couldn't Do It"は、完全にGG流パンク・ロックだ。この時代でなければ、生まれてこなかった曲だろう。2分20秒しかないが、ゲイリー・グリーンのギター・ソロがカッコいい。

 6曲目の"As Old As You're Young"で、従来の複雑なコーラス・ワークの片鱗を伺わせ、7曲目の"Memories of Old Days"で、やっと本来のGGの音楽を聞かせてくれた。摩訶不思議なキーボードによるイントロに絡むように始まるパーカッションとアコースティック・ギターの構成は、従来のファンが待ち焦がれていたものである。しかも7分15秒もの間、SEや転調などで構成されているのだ。

 残りの2曲は4分少々の曲で、このアルバムの中では長い方だろう。ジョン・ウェザーズのドラムが光る"Winning"、疾走感のある"For Nobody"など、やはりパンクの洗礼を受けたような曲だった。

 個人的には好きなアルバムだったのだが、シングル・ヒットはなく、アルバムも全米81位と不調に終わった。
 それでもGGはこのポップ路線を進めていき、翌年にはGG流ポップ・アルバム「ジャイアント・フォー・ア・デイ」を発表した。Photo
 1曲目の"Words From the Wise"が、このアルバムを象徴している。まるで初期のイエスを髣髴させるような三声のコーラスとポップなメロディ・ラインが妙にマッチしているところが、彼らには申し訳ないが、笑いを誘うのである。

 続く"Thank You"は、のちの“アンプラグド”・ブームを先取りしたようなアコースティックな曲で、アルバム・タイトル曲の"Giant For a Day"は、ボーカルに絡みながら小刻みにビートを刻むキーボードが印象的な曲だ。

 とにかくこのアルバムは、まるで10ccかアラン・パーソンズ・プロジェクトのようで、GGという名前で発表しなければ、ひょっとしたら売れていたかもしれない。こういう音楽もやれるというのは、それはそれでGGの表現力の深さを示しているのだろうが、従来からのファンからは、はっきり言って嫌われてしまったようである。

 確かにこの時期は、大物プログレッシヴ・ロック・バンドにとっては辛い時期だった。ジェネシス、イエス、キャメルや、あのピンク・フロイドでさえも大曲志向を捨て、コンパクト化路線を走っていたし、そうしなければバンドの存続自体が図れないという状況だった。(逆に、もともとポップだったムーディー・ブルースは活動休止から目覚めようと図り、賢明なロバート・フリップは、すでにキング・クリムゾンを解散させていた)

 ただ、1つだけわからないのは、なぜGGはそこまでアメリカのマーケットを意識しなければならなかったのか、ということだ。無理に時流に合わせなくても、自分たちの音楽を信じて続けていけば、ファンは増えることはなくても減ることはないだろうと思うのだが、そこはやはりミュージシャンとしてのプライドみたいなものがあったのだろうか。

 はたまた、75年の「フリーハンド」のプチ成功を忘れられなかったのだろうか。時間がたてばたつほど、過去の記憶は美化されやすいものだが、GGにとっては全米での成功が見果てぬ夢だったのだろう。

 彼らの最後のアルバムとなった12枚目の「シヴィリアン」は、1980年に発表された。とにかくアメリカで売れるために、彼らは全員ロサンゼルスに移住までして、アルバムを制作した。2
 当時アメリカで流行っていたニュー・ウェーヴの影響を受けた"Convenience(Clean and Easy)"で幕を開けるこのアルバムでは、アコースティック・ギターは一切使用されておらず、フルメタリックな音作りになっていた。彼らの決意の固さを思わせるようなサウンドだったが、残念ながらその思いは報われなかった。

 ジャーニーやフォーリナーを思い出させる"All Through the Night"やロイ・ビタンのピアノのようなイントロで始まる"Shadows on the Street"など、佳曲は多いのだが、昔からのファンにはソッポを向かれ、新しいファンの獲得も無理だった。もちろんチャートにも登場することはなかった。

 個人的には、彼らの意思を反映したかのようなタイトルの"Number One"はハード・ロック風で好きだし、プログレっぽい感じの"Underground"や"I am a Camera"などもいい線をいっていると思うのだが、どうだろうか。

 このアルバムには8曲収められていたが、全体で32分41秒と恐ろしく短くて、彼らのアルバムの中で、一番短い作品になってしまった。ひょっとしたら途中でやる気を失ったんではないだろうか。

 いろんなことを思いながら、後期の3作品を聞いたのだが、それまでのGGのイメージを一新していて、非常に聞きやすくなっていた。今まで彼らのことが苦手だった人でも、この3枚のアルバムのどれか1枚でも聞けば、きっと気に入るのではないだろうか。特に10ccやサッド・カフェ、アラン・パーソンズ・プロジェクトが好きな人にはお勧めだろう。

 このあとのGGについては、以前にも述べたのだが、もう一度確認すると、アメリカ進出の夢を絶たれた彼らは、1980年の6月16日にロサンゼルスで解散コンサートを開き、以来、オリジナル・メンバーでの再結成は、行われることはなかった。

 メンバーのうち、ギタリストのゲイリー・グリーンとオリジナル・ドラマーだったマルコム・モルティモア、キーボード担当のケリー・ミネアの3人が、スリー・フレンズというバンド名で2009年から半年間程度活動を行った。

 スリー・フレンズはメンバーを代えて今でも散発的に活動中だが、最近では、スリー・フレンズを脱退したケリーが、レイ・シャルマンとプロジェクトを組むことを発表している。

 どうなるかは“神のみぞ知る”というところだろうが、通好みのプログレッシヴ・ロック・バンドとして、GGは後世まで語られていくであろう。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月22日 (木)

ジャン=リュック・ポンティ

 今年聞いたプログレッシヴ・ロック・シリーズ第3弾は、フランスのミュージシャン、ジャン=リュック・ポンティのアルバムについてである。

 彼はジャズ・ヴァイオリニストだ。自分はジャズは聞かないのでよくわからないのだが、それでもロックのフィールドに近いものについては聞くことがある。例えば、ウェザー・リポートやマハヴィシュヌ・オーケストラ、ジャコ・パストリアスなどだ。

 ロックの分野でも割とジャズに近い70年代のジョニ・ミッチェルや初期のフランク・ザッパ、イギリスのカンタベリー系の音楽なども、自分のテイストにあっていると思う。

 ただ、ジャン=リュック・ポンティについては、今までノー・マークだった。ロックのヴァイオリニストといえば、エディ・ジョブソンやダリル・ウェイなどが幅を利かせていたから、彼のことまで手が回らなかったのだ。

 最初は、ジャン・ミッシェル・ジャールと混同していた。ジャン・ミッシェルの方は有名なキーボーディストで、シンセサイザーを多用したアルバムを発表していたから、日本での知名度は上だったのではないだろうか。
 特に70年代半ばのアルバム「幻想惑星」などは、日本のFMラジオでもよく流されていた。

 だからジャン=リュック・ポンティのことを知った時は、彼はヴァイオリンも演奏するのかなどと、頓珍漢なことを思ったりもしていた。彼がフランク・ザッパのアルバムに客演していたのを思い出した時のことだった。1

 今回“プログレッシヴ・ロック生誕45周年記念”シリーズで、彼のアルバムが再発されたので、きちんと向かい合って聞こうと思った。最初に聞いたのは1976年の「桃源への旅立ち」だった。このアルバムには、ギタリストとしてダリル・ステューマーやドラマーとしてマーク・クレイニーが参加していた。

 ダリルは、ご存じのようにジェネシスのツアー・ギタリストやバック・バンドの一員として有名だったし、マークの方はジェスロ・タルの1980年のアルバム「A」に参加していたから、彼らのことは以前から知っていたので、聞く前からワクワクしていた。

 冒頭の曲"New Country"を聞いて、ビックリした。ポップだし、アイルランドのケルティック・ダンスのような軽快な曲だったからだ。また、時間も3分少々と短かったし、自分の中でジャズといえば、ダークで重くてグニャグニャしたようなものというイメージがあったから、ちょっとこれは違うのではないかとも考えた。

 ただ、ダリルの弾くアコースティック・ギターはキレがあり速かったし、トム・ファウラーの演奏するベースにはうねりがあって、新鮮に感じられたのも確かである。

 2曲目の"The Gardens of Babylon"は、自分がイメージしたようなややダークで、テクニカルなものだった。やはりジャズ・ロックはこうでなくてはいけないというお手本のような曲だった。
 リズム陣はタイトでしっかりしているし、メインのフレーズはわかりやすい上に、それぞれの楽器がソロ・パートを取ってくれるので、聞いていて安心感があった。もちろんジャンの演奏するヴァイオリンは流れるように美しい。

 3曲目の"Wandering on the Milky Way"はヴァイオリンによる多重録音。まさに天の川の中を漂うかのように幻想的で夢幻的な曲だ。時間的には1分50秒と短く、次の曲のプレリュードのような扱いだった。

 4曲目の"Once Upon A Dream"でやっとジャンのヴァイオリンが目立ってくる。彼とアラン・ザヴォットの演奏するシンセサイザーがスペイシーな雰囲気を醸し出していた。
 その4曲目をもっと複雑にしたような曲が次の"Tarantula"で、ダリルの弾くエレクトリック・ギターも目立っている。意外とダリル・ステューマーって、上手だったんだというのが分かる曲でもある。

 そしてこのアルバムでの一番のハイライトは、組曲"Imaginary Voyage"だろう。パート1から4まであるこの曲は、当時のレコードのサイドB一面を使って制作されたもので、それぞれのパートが“起承転結”を担っている。

 2分余りのPart1が終わった後は、ジャンのヴァイオリンとアランのシンセサイザーが目立つPart2に移行する。
 Part3ではテンポの良いリズムに乗って、ジャンのヴァイオリンが宙に舞い、8分もある最後のPart4で大団円を迎えるのである。

2
 なかなかの好盤だったこのアルバムに気をよくした自分は、さらに次の年に発表された「秘なる海」も聞いてみようと思った。このアルバムにはダリルだけでなく、アラン・ホールズワースが参加していると聞いたことも、そうさせた一因だった。

 前作はサイドBが組曲だったが、このアルバムには2つの組曲"Enigmatic Ocean"、"The struggle of the Turtle to the Sea"が収められ、それぞれがパート4とパート3に分けられていて、それを中心に間に"Overture"と他に3曲が挿入されるという構成になっていた。全体としては、“海”をテーマにした1枚のトータル・アルバムといった感じである。

 最初の"Overture"~"The Trans-Love Express"からリスナーを唸らせてくれる。ジャンの弾くヴァイオリンの短いパッセージとダリルの演奏する2分過ぎからのテクニカルなギター・ソロが素晴らしい。本当にダリルは、過小評価されているギタリストだと思った。

 次の曲"Mirage"はタイトルとは違って、ヴァイオリンとシンセサイザーがリードを取りながらテンションの高い演奏が繰り広げられている。
 この"Mirage"は海に浮かぶ蜃気楼のことだろう。だからラクダに乗ってゆっくり行くようなリズムではないのである。

 さて4曲目から、いよいよ組曲"Enigmatic Ocean"が始まる。これも“起承転結”に分かれているのだが、特筆すべきは5曲目のPart2だろう。3分35秒という短い間に、ヴァイオリン~ギター1~キーボード~ギター2とソロがあって、特にギター2のソロは速すぎてついていけない。もちろんアランが弾いているのだろうが、次のPart3では最初からソロを弾いていて、ある意味、ジャンよりも目立っている。

 さらに、まるで音のシャワーのように、ジャンとアランの掛け合いが凄すぎる。時に交互に、時にユニゾンで演奏する様が息もピッタリと合っていて、聞いているこちらまで息をひそめてしまうのである。窒息したらどう責任を取るつもりなのだろうか。

 8曲目の"Nostalgic Lady"もジャンとアランの独壇場だ。5分24秒と割と長めの曲の中で、最初にジャンが、3分過ぎからアランがリードを取っている。最初はアランはおとなしめだが、徐々に加速し、4分過ぎにはメイン・フレーズをジャンとユニゾンで演奏している。

 前の組曲もそうだが、ここでもジャンがギター・ソロのように、アランがヴァイオリンのソロのように演奏していて、まるでジェフ・ベックの"Blue Wind"や"Sophie"のようで、ジャンとアランはヤン・ハマーとジェフ・ベックのような気がした。だからこのアルバムは、ヴァイオリン版「ワイヤード」なのである。

 後半の組曲"The struggle of the Turtle to the Sea"は、テレビでのウミガメの産卵というドキュメンタリー番組から着想を得た曲らしく、3部形式になっている。
 Part1ではアラン・ゾイドのシンセサイザーが目立っていて、ジャンのヴァイオリンがメイン・フレーズを奏で、Part2では静かなエレクトリック・ピアノのイントロからバンドとしての演奏が始まってくる。このパートでのメイン・リードはヴァイオリンだ。

 そして最後の曲Part3になるのだが、最初に、ジャンとともにマハヴィシュヌ・オーケストラに在籍していたラルフ・アームストロングのフレットレス・ベース・ソロがフィーチャーされて、ダリルのギター・ソロ、スティーヴ・スミスのドラム・ソロと続いている。

 ドラマーのスティーヴは、この後ジャーニーに参加したが、彼がジャズ・ドラマーだったとは知らなかった。確かに正確なタイム感覚とキレのよいハイハットは素晴らしいと思う。
 そしてトリを飾るギター・ソロはアランだ。彼のギター・ソロはレガートが多用されているので、一聴してすぐに彼だとわかる。ここではエンディングに弾いているのだが、もう少し彼の演奏を聞きたかった。少し欲求不満が残るのである。Photo
 とにかくこの2枚のアルバム、特に「秘なる海」は歴史的な名盤だと思う。ヴァイオリン版「ワイヤード」と書いたが、今までこんな素晴らしいアルバムを知らなかった自分が恥ずかしかった。
 アメリカでは、チャート的にも成功し、ジャズ・アルバム・チャートでは第1位、全米アルバム・チャートでも35位まで上昇している。

 このあと彼はさらにアルバムを発表し、黄金の70年代、80年代を築くことになるのだが、それはまた別の機会に譲ることにする。別の機会があればの話だが…

 1942年9月生まれなので、現在ジャンは72歳だ。最近では、70歳になる元イエスのジョン・アンダーソンとアンダーソン・ポンティ・バンドというプロジェクトを組んで、「ベター・レイト・ザン・ネヴァー~真世界への旅」というアルバムを発表した。どんなアルバムになったのか興味津々である。このブログでも取り上げてみたいと思っている。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月15日 (木)

ウォーリー

 今年はプログレッシヴ・ロック生誕45周年ということで、ワーナー・ミュージック・ジャパンはアニヴァーサリー・コレクションと銘打って、企画ものを発表している。

 ところで、今年で45周年ということは、1970年がプログレッシヴ・ロックの誕生年になるわけだが、なぜ1970年なのかがよくわからない。
 1970年といえば、ピンク・フロイドが「原子心母」を発表した年だが、それなら彼らのデビュー・アルバムやキング・クリムゾンの1969年の「クリムゾン・キングの宮殿」はどうなるのだろうか。

 個人的には、1967年のムーディー・ブルースのアルバム「ディズ・オブ・フューチャー・パスト」がプログレッシヴ・ロックのアルバムで、世界的に有名になった第1号だと認識している。だから今年が45周年とは思えないのだが、こんなことでいたずらに時間をつぶしても仕方がないので、とっとと先に進むことにする。

 それで、このアニヴァーサリー・コレクションの中から、自分が聞いたものを紹介することにした。最初はイギリスのバンド、ウォーリーの2枚のアルバムについてである。

 このバンドはイギリスのヨークシャー州のハロゲートで誕生した。ボーカル担当のロイ・ウェバーとキーボード担当のポール・ジェレットを中心に、アコースティック&エレクトリック・ギター担当のピート・コスカー、ベース担当のポール・ミドルトン、ドラム&パーカッション担当のマイク・スミス、そしてバイオリン・マンドリン担当のピート・セイジの6人だった。3

 バンド名は犬の名前から取られている。映画「ウッドストック」の中で、若者が自分の愛犬を見失って、“ウォーリー”と叫ぶシーンがあるそうだが、そんなシーンがあったかどうかは覚えていない。今度機会があったら、注意深く見てみようと思う。

 最初彼らは、アメリカのカントリー・ミュージックやブルーグラス・ミュージックを演奏していたが、やがては英国風のフォーク・ミュージックへと移行し、そしてプログレッシヴ・ロックを目指すようになった。

 転機は1972年に訪れた。(1973年という説もある)彼らはメロディー・メイカー・マガジン主催の新人バンド・コンテストに出場し、2位を獲得した。(1位はドゥルイドだった)
 審査員長だったボブ・ハリスは、いたく彼らのことを気に入り、アトランティック・レコードの当時の責任者にウォーリーのことを紹介し、レコード・デビューをさせたのである。

 デビュー・アルバム「ウォーリー」は、1974年に発表された。プロデューサーはボブ・ハリスが担当し、アドバイザーとしてイエスを脱退したばかりのリック・ウェイクマンも加わっていた。
 実は、彼らのイメージをサウンドとして再現させるためには、当時の自分たちの楽器では満足できるようなものができなかったようで、キーボード類に関しては、リックのものを借用したらしい。1

 アルバムの1曲目"The Martyr"は穏やかな雰囲気に包まれていて、バイオリンとチェンバロをベースに、アタック音の強いベース・ギターと野太いエレクトリック・ギターがフィーチャーされている。

 表現は悪いが、イエスをもっとマイルドにして、バイオリンを加えたようだ。2曲目の"I Just Wanna Be A Cowboy"や3曲目の"What to Do"は、まるでC,S&Nが歌っているかのような三声のコーラスが見事である。アコースティック・ギターがメイン楽器として使用されていて、この辺はデビュー前の彼らの姿勢が反映されている。 

 彼らのデビュー・アルバムには、抒情性が満ちていて、ゆったりとくつろぐことができる。ただし躍動感は不足しているので、技巧的なプログレッシヴ・ロックを期待している人は満足できないだろう。

 個人的には、1曲目、2曲目、3曲目までは我慢できたが、4曲目"Sunday Walking Lady"、5曲目"To the Urban Man"、最後の"Your Own Way"とミディアム・テンポの同じような楽曲が続くので、途中で眠くなってしまった。ちょうどバークレイ・ジェイムズ・ハーヴェストの亜流のようで、これならまだ同時期のポール・マッカートニー&ウィングスの方がまだロックしていると思う。

 たしかにまどろむ時や睡眠導入時には、申し分ないサウンドである。彼らはイエスやリック・ウェイクマンのサポート・アクトとして公演を行ったが、残念ながら商業的な成功を得ることができず、次のアルバム制作に取りかかった。
 その途中でキーボード担当のポールが脱退して、代わりにニック・グレニー・スミスが加入して、セカンド・アルバム「幻想の谷間」を1975年に発表した。

 このアルバムは、前作とは打って変わってキーボードやエレクトリック・ギターなどが目立っていて、緩急をつけた音作りになっている。2
 1曲目"Valley Gardens"は急~緩~急という10分近い構成になっていて、小型のイエスといった感じがした。

 2曲目の"Nez Perce"はエレクトリック・ピアノ主体のバラードで、後半でのバイオリンの伴奏がいい味を出している。この曲はデビュー・アルバムの雰囲気を残していて、イギリスの田園風景が浮かんできそうだ。

 "The Mood I'm In"と名付けられた3曲目も幻想的な要素を携えていて、アコースティックかつサイケデリックな味わいがある。「クリムゾン・キングの宮殿」でいえば、"Moonchild"にあたるような曲だ。
 あそこまで幻想的にならず、適度にポップな味わいはある。エンディング部分のサックスがキラリと光っている。

 このアルバムには、4曲しか収められていない。オリジナルのレコードではサイドB全部を使った3部構成の"The Reason Why"は19分20秒あり、このアルバムのハイライトとして位置づけられている。

 この曲も緩~急~緩という構成になっていて、第1部"Nolan"ではエレクトリック・ピアノとバイオリンが曲をリードをしていく。この辺は確かに美しい部分だ。また、エンディングのエレクトリック・ギター・ソロも余情を残していて見事である。

 6分過ぎからギター中心のハードな"The Charge"が始まる。ギターとキーボードが主だが、この掛け合いをもっと聞きたかった。約3分しか続かず、やがて切れぎれのシンセサイザーが雰囲気だけ作っていくが、このシンセはいらない。

 キャメルのように抒情性だけではなく、インストゥルメンタルにも力を入れてほしかった。第3部の"Disillusion"もコーラスの入ったバラード系なので、"The Reason Why"に占める静かなパートは8割近くあるだろう。

 確かにイギリスでは、プログレッシヴ・ロック衰退期に入っていて、名のあるプログレ・バンドは音楽的行き詰まりを迎え、商業的にも苦戦していた。
 状況的にもパンク勃興前で、そういう時期にこのようなアルバムを発表するのは、かなり勇気が必要だったのではないかと思う。

 また、親会社のプロモーションも全くといっていいほど受けることができなかった。実はウォーリーは1975年に来日をして、11都市15公演を行っている。しかもあの日本武道館でも演奏をしているのだが、残念ながら、ミッシェル・ポルナレフのバック・バンドとしての来日だった。
 この時はセカンド・アルバム発表後だったが、もちろん自分たちの曲を演奏することはなく、ひたすらポルナレフの代表曲を演奏していた。

 彼らは帰国後、第15回レディング・フェスティバルに出場するも期待された結果を出せず、サード・アルバムの企画も消えてしまい、1976年に解散してしまった。

 それから約30年後の2008年に初代キーボーディストのポール・ジェレットが心臓発作で亡くなったことから、彼らは2009年に再結成を行い、2010年には初期の音源にいくつかの新曲を加えたニュー・アルバム「モンペリエ」を発表した。またライヴ・アルバムやそのDVDも発表している。その後は、地元のハロゲートを中心に活動しているようだ。

 ウォーリーは演奏技術は申し分なく、十分プログレ・バンドとしても通用するのだが、如何せん曲が静かすぎて、ロック的要素が不足していた。
 もう少しハードな部分を前面に出していけば、知名度も上がり、生き残ることができたかもしれない。残念なバンドだったと思う。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月 8日 (木)

ガリバルディ&ウーノ

 さて、いよいよプログレッシヴ・ロック特集が始まった。今回は、今年聞いたプログレッシヴ・ロックのアルバムを紹介しようということになった。それで10月から来年の1月までのロング・ランになるが、興味と関心のある方は、ぜひのぞいてほしいと思っている。

 第1回は、イタリアン・プログレッシヴ・ロックから、2枚のアルバムを紹介しようと思う。イタリアン・プログレッシヴ・ロックについては、このブログでもかなりのアルバムを紹介したつもりだが、この2枚のアルバムについては初登場である。

 最初はガリバルディというバンドのアルバム「アストロラービオ」についてである。このバンドは、ギタリストのピエール・ニコロ・“バンビ”・フォッサーティのソロ・プロジェクトといっていいだろう。Photo
 彼はジミ・ヘンドリックスの熱烈な信奉者で、このアルバムでも、ジミヘン張りに弾きまくっている。つまりは、イタリアのジミ・ヘンドリックスといえば、彼のことを指すのであろう。

 ただ、イタリアン・プログレッシヴ・ロック・シリーズにカタログ化されるくらいだから、それだけではない。このアルバムでは彼のギターを支えるキーボードも忘れてはならないだろう。本物のジミヘンのアルバムにはキーボードはそれほど目立ってはいなくて、強いてあげるなら「エレクトリック・レディランド」でのスティーヴ・ウインウッドの客演ぐらいだろう。

 このアルバムでは、リオ・マルキのスペイシーなプレイが目立っていて、結構、自己主張している気がした。
 特に1曲目の約20分ある"Madre Di Cose Perdute"(邦題;失った物の母)ではシンセサイザーを全面的に使用しているし、2曲目の"Sette?"(邦題;7?)でもシンセサイザーとメロトロンが活躍していて、8分過ぎにはハモンド・オルガンも使用し、ギターと掛け合いを演じている。だから、誰が聞いてもサポート役としては十二分に貢献していると思うはずだ。

 もう少しだけ説明させてもらうと、確かにジミヘンになりきってはいるものの、ジミヘン並みのテクニックがあるかどうかというと、ちょっと微妙である。上手だけど、オリジナリティはない。
 彼がワールドワイドで評判にならなかったのも、こういった背景があったのではないかと思っている。

 言い忘れたが、このアルバムはガリバルディとしては2枚目で、しかも最後のアルバムになったものである。
 オリジナル・リリースは1973年で、全2曲しか収められていない。両曲とも20分以上の演奏時間で、特に2曲目の"Sette?"はライヴ録音になっていた。

 ライヴだから、基本的には一発録りなのだろうが、キーボードが目立つ以外は、ギターとボーカルは完全にジミヘンになりきっている。もう少し緊張感があってもいいのだろうが、途中のキーボードの掛け合い以降は、何となくダラダラと弾いているような気もしないではない。

 アルバム・タイトルの「アストロラーベ」とは、“古代の天体観測機”という意味らしい。また、バンド名は、19世紀にイタリアの国家統一に貢献した国民的英雄の名前から取ったもので、このアルバム発表後解散をしたが、“バンビ”は90年代になってもアルバムを発表していて、引退はしていないようだ。

 もう1枚のアルバムは、1974年に出されたウーノというバンドの同名タイトルのアルバムだ。彼らはこの1枚を発表して解散したから、たった1枚の公式アルバムということになる。Photo_2
 全7曲だが、こちらのアルバムの方が、雰囲気といい曲形式といい、なかなかのプログレッシヴ・ロックの香りを放っている。

 それもそのはず、ウーノのメンバーは、オザンナの中心人物のボーカル、ダニーロ・ルスティーチとサックスのエリオ・ダンナだったからだ。
 この2人にドラマーとしてヴィンチェンツォ・ヴァッリチェッリが加わっている。また、これら以外の楽器はすべてダニーロが演奏したといわれている。

 面白いことに、アルバム・ジャケットはマッシーモ・グアリーノ、インナー写真はリーノ・ヴァイレッティが担当していて、要するにオザンナのメンバー全員がこのアルバム制作のために、何らかの貢献をしたことになる。当時のオザンナは分裂状態といわれていたのだが、実際はそうでもなかったのかもしれない。

 1曲目の"Right Place"は、フルートとギターのアルペジオで始まる。イントロだけを聞くと、何となくP.F.M.のある曲のように思えてくる。全体的に静かで穏やかだ。
 2曲目は"Popular Girl"という曲で、フリーキーなサックスが目立つロック調の曲でもある。基本的に、英語の題名曲は英語で、イタリア語のタイトル曲はイタリア語で歌われている。

 3曲目の"I Cani E La Volpe"(邦題;犬と狐)は、だからイタリア語で歌われていて、アコースティック・ギターとサックス、キーボードでバランスよくまとめられている。イタリア独特のカンツォーネをロックにアレンジした感じだ。軽快なリズムも心地よい。
 "Stay With Me"と題された4曲目には、フルートが幻想的な雰囲気を高めていて、気持ちの良いラヴ・ソングに仕上げられている。

 自分が一番好きなのは"Uomo Come Gli Altri"(邦題;ありきたりの男)で、イタリアの古民謡を美しく歌い上げている。次の曲"Uno Nel Tutto"(邦題;大勢の中の一人)が継ぎ目もなく続き、サックスやエレクトリック・ギター、メロトロンなどもフィーチャーされ、かなりハードなパートと抒情性が目立つソフトなパートで構成されていたので、この2曲の対比が印象的だった。
 ただ、"Uno Nel Tutto"(邦題;大勢の中の一人)のエンディングのピアノ弾き語りの部分を、もう少し聞かせてほしかった。プログレッシヴ・ロックを名乗るのであれば、少し物足りない気がした。

 最後の曲"Goodbye Friend"には、ピンク・フロイドのアルバム「狂気」で美しく崇高なスキャットを披露していた女性ボーカリストのライザ・ストライクが、ゲストで参加している。アコースティック・ギターがメインになっていて、秋の夜長にふさわしい曲でもある。

 ウーノは、ダニーロの弟でギタリストのコッラード・ルスティーチを加えて活動を続けたが、やがてノヴァと名前を変えて1976年に「ブリンク」というアルバムを発表した。

 残念ながらダニーロは、オザンナの再結成を目指してバンドを脱退し、残されたメンバーはジャズ・ロックを目指して、アメリカへと渡っていった。
 ちなみにこのノヴァには、ジェフ・ベックのアルバムにも参加していたあの有名なドラマーのナラダ・マイケル・ウォルデンも参加していた。

 このガリバルディとウーノの2枚のアルバムは、イタリアン・プログレッシヴ・ロックの中でも、ややマイナーな位置づけだと思うのだが、実際に聞けば何となくその理由もわかってくるというものだ。ガリバルディはジミヘンの単なる再生産でしかないし、ウーノの方にはもう少し装飾というか、ハッタリというか、演出が欲しかった。

 プログレッシヴ・ロックには、現実を忘れさせてくれる音や、ここではないどこかに連れてってくれそうな雰囲気が、過剰なほどに必要なのではないだろうか。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2015年10月 1日 (木)

ニュー・イングランド

 さて、10月になった。本格的な秋を迎えたわけだが、日によってはまだまだ30℃近いこともある。朝夕は涼しくても、寒暖の差が大きいから体調に気を付けないといけないようだ。

 秋になると、このブログでは毎年、プログレッシヴ・ロックの特集を行っていて、昨年は英米以外の今を生きるプログレッシヴ・ロックを紹介した。
 自分の中では、けっこう頑張ったつもりだったのだが、いつものように、あっけなく終わってしまった。
 それでもプログレッシヴ・ロック特集は幕を閉じない。"The Show Must Go On"の精神で続けていくつもりである。

 それで今回は、その前哨戦ということでプログレッシヴ・ロックではなくて、プログレッシヴ・ハード・ロックのバンドを紹介したい。それがニュー・イングランドである。

 自分が持っている彼らのアルバムは1枚しかないのだが、そのデビュー・アルバム「失われし魂」の帯には、このように書かれている。「アメリカン・プログレ・ハードを代表する'79の名盤がここに復刻!P.スタンレー(KISS)プロデュース作」3

 確かにこのアルバムにはキッスのボーカル&ギタリストのポール・スタンレーが1枚噛んでいて、プロデュースを行っている。
 ただし、正確に言うと、ポールだけではなく、エンジニアのマイク・ストーンも共同プロデューサーとして関わっていた。

 マイク・ストーンといえば、クィーンやジャーニー、エイジアのプロデュースも行っていて、この手のサウンド・プロデュースはお手の物といった感じである。
 ちなみにマイクは、アルコール依存症になり、その合併症からの病気で、2002年に51歳の若さで亡くなっている。クィーンのブライアン・メイは、クィーンの全アルバムのリマスタリングについての彼の手腕を讃嘆していて、若手のプロデューサーによい手本になると述べていた。残念である。

 さて、ニュー・イングランドの方は、4人組で70年代の初頭よりボストン周辺で活動をしていた。当時の名前は、ターゲットといっていたようで、バンドの中心人物は、ギター&ボーカル担当のジョン・ファノンという人だった。彼はデビュー・アルバムの全曲を手掛けてもいる。

 先ほど、キッスのポール・スタンレーのサポートがあったと書いたが、正確に言うと、キッスのマネージャーをしていたビル・オーコインという人が見つけて、ポールに話をしたところからトントン拍子に話が進んでいったようだ。

 彼らはレコード・デビューと同時に、キッスのサポート・アクトとしてライヴ活動をともにした。
 このデビュー・アルバムはビルボードでも50位まで上昇し、新人バンドとしては、まずまずの好成績を残している。

 ただ個人的な感想としては、“プログレ・ハードの傑作”とは思えない。軽快なリズムと爽やかなコーラス、口ずさみやすいメロディラインが基本のアメリカン・ポップ・ソング集だと思っている。

 全10曲のうち、7曲が3分台、残りの3曲が5分少々という構成で、ギターよりもキーボードの方が目立っている。キーボードといってもほとんどがシンセサイザーで、ハモンド・オルガンやピアノの使用は少ない。
 彼らのサウンドが“プログレ・ハード”と言われたのも、このシンセの音が目立っていたからだろう。今から聞くと、そんなに大したサウンドではないのだが、当時は“ハード・ロック+シンセサイザー”という音にポップな要素が加わったサウンドが新奇だったに違いない。

 もちろんギターが目立っている"Shoot"という曲もあるし、エレクトリック・ピアノが使用されたミディアム・バラードの"Turn Out the Light"、"The Last Show"という曲もあるので、一概に決めつけるのはよくないとは思っている。

 ただどの曲も同じようなテンポだし、間奏に入るギター・ソロは確かに上手なものの、没個性的で印象的なフレーズに乏しいのだ。
 また、コーラスがクィーン的な"Encore"などを聞くと、どうしても本家を思い出してしまう。

 シングル・カットされた2曲、"Hello, Hello, Hello"、"Don't ever Wanna Lose Ya"は、アルバムの1曲目と2曲目に収められていて、前者はギターよりもキーボードが目立つ軽快なロックン・ロールで、後者は異様にシンセサイザーが目立つ壮大な曲だった。
 ちなみに前者の"Hello, Hello, Hello"はシングル・チャートの69位、後者は40位と中ヒットを記録している。

 面白いのは、なぜかギターは3曲目以降から目立ってくるようで、これだけ弾けるのなら、もっと最初からガンガン、アピールしてほしかった。

 でも悪いものでもないので、もう少しギターとキーボード、ハードな曲とバラードをバランスよく配置すれば、もっと売れたに違いない。
 彼らにとって運が悪いことには、当時のMCAの子会社であるレコード会社が倒産(正確には吸収合併された)してしまい、レコード契約を一時失ったことだった。

 その後、エレクトラ・レコード契約を結ぶも、レーベルの特徴上、あまりハードなものにはプロモーションを加えなかったし、ヒット・シングルも生まれず、彼らは1982年に解散してしまった。

 1981年の3枚目のアルバムなどは、トッド・ラングレンのプロデュースを仰いだのだが、あのトッドをしても売れなかったのだから、これはもうどうしようもないということだろう。

 解散後は、キーボーディストのジミー・ウォルドとベーシストのゲイリー・シェアは、あのグラハム・ボネットとイングウェイ・マルムスティーンとともにアルカトラスを結成した。
 また、ドラマーのハーシュ・ガードナーは、音楽プロデューサーのような仕事を続けていたが、2002年のソロ・アルバムに他の3人が集まったことから、2005年以降、オリジナル・メンバーで活動を再開した。1

  とにかく、当時のジャーニーやカンサス、スティクスなら“プログレ・ハード”という言葉も納得できるのだが、ニュー・イングランドは、どちらかといえば、チープ・トリックやREOスピードワゴンのような感じがした。この売り文句で彼らのアルバムを買って後悔した人は、結構いるのではないだろうか。

 人生とは後悔の連続かも知れないが、できればその回数は少ない方がいいのは、いうまでもないだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »