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2015年11月

2015年11月30日 (月)

3人のスティーヴ(ン)〔2〕

 今年聞いたプログレッシヴ・ロック・アルバムについて綴っているのだが、スティーヴという名前のギタリストは、意外と多いということに気がついた。

 前回のスティーヴ・ハケットを始め、イエスのスティーヴ・ハウもいれば、元ゴングのギタリスト、スティーヴ・ヒレッジもいた。スティーヴ・ヴァイやスティーヴ・ルカサー、スティーヴ・スティーヴンスなどはプログレッシヴ・ロックというよりはハード・ロック寄りだが、プログレ関連のアルバムにも顔を出しているから、広義の意味では、プログレ・ギタリストの仲間に入れてもいいのかもしれない。

 それで、2人目のギタリスト、スティーヴは、マリリオンのギタリスト、スティーヴ・ロザリーにした。彼は今年の9月に初めてのソロ・アルバムを発表したからだ。

 スティーヴ・ロザリーといえば、マリリオンに在籍しているベテラン・ミュージシャンである。1979年から、ということはバンドのデビュー期から活動を続けているのだが、ソロ・スタジオ・アルバムを制作、発表したのは、今回が初めてだった。Photo

 ただ、ザ・ウィッシング・ツリーというプロジェクトではハンナ・ストバートという美人ボーカリストとともにアコースティック中心の幻想的なアルバムを、1996年と2009年に2枚発表している。自分も1枚持っているが、よくいえば静謐で幻想的だが、悪くいえば躍動感がなく、ロック的ダイナミズムに欠けていた。

 それはともかく、芸歴35年以上で初めてのソロ・スタジオ・アルバムだ。何かきっかけでもあったのだろうか。
 今回のアルバム制作費については、キックスターターというクラウドファウンディング・サイトを通して出資者を募り、そのお金を元手にアルバムを作ったという。

 これはミュージシャン側にとっては、レーベル会社やマネージメントの意向や契約、強制に従う必要がないというメリットがあり、自由に自分のやりたい音楽を追及することができるし、ファンにとっては、出資金の金額によって、グッズの割引購入やライヴ・チケットの優先割当てなどの様々な恩恵に浴することができる。双方にとってメリットの高いシステムだ。

 このクラウドファウンディング・システムは、元イエスのジョン・アンダーソンも採用していて、ジャン=リュック・ポンティとともにニュー・アルバムを発表している。こういう方法はこれから主流になっていくであろう。

 前置きはこれくらいにして、このソロ・アルバムのタイトルは「ザ・ゴースツ・オブ・プリピャチ」というもので、全7曲オール・インストゥルメンツだった。1
 ギリシャ神話に題材をとった"Morpheus"から、彼特有の繊細で情感豊かなギター・サウンドが鳴り響いている。5分過ぎからのギター・ソロをスティーヴ・ハケットが弾いていて、途中で2人のスティーヴによるユニゾン・プレイに変化していく。8分近い大曲だが、時間の長さを全く感じさせない。
 "Morpheus"はギリシャ神話での夢の神の名前だが、確かに夢心地にさせてくれる曲でもある。

 2曲目の"Kendris"では、ややリズムが強調されていて心地よい。ちょうど車で時速50kmぐらいの速さで走るときにピッタリな曲だ。また、様々なエフェクトやギター類が使われていて、単調にならないように工夫されている。6分9秒。

 次の"Old Man of  the Sea"では、アコースティック・ギターから始まり、ロザリーの弾くエレクトリック・ギター、ロザリーの友人のデイヴ・フォスターの演奏するギター・シンセサイザーなどが絡まっていく。
 途中でブレイクしてテンポ・ダウンをするが、後半ギター・ソロから始まり徐々にピッチを上げ、キーボードも加わって力強いエンディングを迎える。時間的には11分42秒もある大作だった。

 大作の次は、穏やかな"White Pass"に移っていく。スティーヴ・ロザリー・バンドのもうひとりのギタリスト、デイヴ・フォスターのリズム・ギターをバックに、艶やかなロザリーのギターが鳴っている。

 "White Pass"とは、雪山に続く道や山に雪がまだらな帯になって積もっている状態のことを指していて、それをイメージしているようだ。
 この曲も4分過ぎからソリッドなギター・ソロが展開されていて、約3分間それが続いている。時間的にも7分52秒と長くなっている。

 "Yesterday's Hero"は、戦後70年を回顧しての作品か。第2次世界大戦における旧ソ連勝利に貢献した人たちのことを描いているのかもしれない。
 この曲の広がりも素晴らしく、静寂から官能的なギター・ソロに続き、アコースティック・ギターのカッティング・ブレイク、エフェクティヴでパワフルな後半部分に至るまで考えられている。

 後半のギター・ソロは、まるで全盛期のデイヴ・ギルモアを髣髴させる艶のあるギターを堪能することができるし、7分21秒と長めの構成にはなっているが、これも時間の長さを感じさせない。それほど展開が工夫されているのであろう。

 6曲目の"Summer's End"も静かに始まり、徐々にギターやキーボードの音が重ねられていく。タイトル通りの夏の終わりをイメージした曲のせいか、あまり饒舌にならず、装飾も少ない。

 5分30秒からのギター・ソロでやっと本領発揮という感じである。ギター・ソロとそれに伴うオルガン・プレイが印象的でもある。やはりギタリストのソロ・アルバムなのだから、自分の見せ場というものを考えているのだろう。これも結果的には、8分35秒と長い曲になっている。

 そしてラストは、アルバム・タイトル曲の"The Ghosts of Pripyat"だ。2本のアコースティック・ギターのデュオ演奏が序奏で、2分過ぎからエレクトリック・ギターが走り出す。

 "Pripyat"というのは、ウクライナにある町の名前で、かつては約5万人近い住民が住んでいた緑豊かな場所だった。ところが1986年にチェルノブイリの原子力発電所の爆発事故が起こり、現在では廃墟と化している。2_2
 このタイトル曲も、それを象徴するかのように、約2分過ぎまでが静かで平和だった町の様子を、後半のハードなリフが連なるエレクトリック・サウンドが荒れ果てた様子を描いているようだ。

 ただこの曲は、ラストソングで、しかもアルバム・タイトル曲であるにもかかわらず、約5分30秒と短かった。少し拍子抜けの感があったが、コンパクトにまとめた点は評価できるのではないだろうか。

 このアルバムにはカラーのブックレットが付随していて、それには雄大で豊かな自然と、それらと対照的に廃棄された車両や銅像、朽ち果てた観覧車などが収められている。
 まさに事故前と事故後、もしくは人は去って行っても自然は変わらない美しさを保っているということを、視覚的にも訴えているかのようだ。

 初めてのソロ・アルバムというせいもあるのだろうか、テーマも重厚で質感のあるトータル・アルバムだ。しかもオール・インストゥルメンタルというのも最近では珍しいのではないだろうか。

 久しぶりにプログレッシヴ・ロック・ギタリストのソロ・アルバムを聞いた感じがした。さすがマリリオンの現役ギタリストだと思う。プログレッシヴ・ロック・愛好家なら、ぜひ一度は耳を傾けてほしいアルバムだと思うのである。

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2015年11月23日 (月)

3人のスティーヴ(ン)〔1〕

 今年聞いたプログレッシヴ・ロック特集が続いているが、今回からスティーヴ(ン)という名前の3人のギタリストたちのアルバムを紹介したいと思う。

 第1回目はスティーヴ・ハケットの最新アルバム「ウルフライト」について。スティーヴ・ハケットといえば、元ジェネシスのギタリストで、ライトハンド奏法の発案者としても有名、ソロになってからも数多くのアルバムを発表している。3
 以前にもこのブログで述べたが、個人的には、ソロになってからの3枚の作品「プリーズ・ドント・タッチ」、「虹色の朝」、「ディフェクター」は、ギタリストのアルバムとしては、プログレ史上でも類を見ないほどの優れたアルバムだったと思っている。

 そんな彼は、ジェネシスの曲を再解釈したものをライヴで再現するというツアーを行っていて、過去4年間で20ヵ国以上訪れて演奏しているが、その合間を縫って曲を書き、レコーディングしていた。

 その曲を集めて発表されたのが「ウルフライト」だった。このアルバムは彼の25枚目のスタジオ・アルバムで、今までの彼の活動をまとめあげたような、様々な音楽的要素が詰め込まれている。

 彼のファンなら知っていると思うけれども、初期の象徴主義的なプログレッシヴ・ロック・アルバムからカリビアンなポップ・アルバムに移行したかと思うと、アコースティック・ギターをフィーチャーしたクラシック・ミュージックやアンビエントな楽曲、はてはブルース・アルバムからケルティックな民族音楽までと、彼の守備範囲は相当に広い。

 ある意味、自分のやりたい音楽を追及していると言えばカッコいいが、はた目から見ると、何となく首尾一貫していないようにも見えた。
 しかし、21世紀に入って、過去のライヴ音源を発掘し始めた時から、徐々に軌道修正が図られ、2009年頃からプログレッシヴ・ロックのフィールドに戻ってきたようだ。

 ところで、タイトルの意味は、文字通り“オオカミの光”を指している。これは夜明け前の朝日がさすかささないかの時間帯を指していて、ハケット自身が言うには、精神的にも覚醒しているのかまどろんでいるのか微妙な状態をいうようである。こういう英語があるのかないのかわからないが、ひょっとしたらハケットの造語かも知れない。

 彼は、今までにこういう時に多くの曲を書き、アルバムを作ってきたそうで、彼の創作意欲が一番湧くときなのだろう。

 輸入盤のアルバムは全10曲約55分、タイトルに因んでオオカミの遠吠えから始まっている。先ほどにも書いたが、彼の音楽的素養がそこかしこに散りばめられていて、彼のファンなら間違いなく満足するだろう。Photo
 冒頭の曲"Out of the Body"は2分少々のインストゥルメンタルで、オオカミの遠吠えを包み込むようにアグレッシヴなリズムとストリングス・アンサンブルが始まり、その中をハケットのギターが縦横無尽に駆け巡るという感じだ。一聴してわかるような彼独特の手癖というかフレージングが聞けるのもうれしい。

 アルバム・タイトルの"Wolflight"は、お得意のアコースティック・ギターのイントロから彼のボーカルへと続き、壮大なストリングスがブレンドされる。曲のメロディ自体はシンプルで聞きやすいが、アレンジが素晴らしい。

 最近の彼のソロ・アルバムでは、過剰なアレンジが賛否両論を呼んでいたが、このアルバムでは以前よりも控えめである。この曲でもエレクトリック・ギターとアコースティック・ギターのバランスがうまく調整されている。

 3曲目の"Love Song to a Vampire"はバラード・タイプの曲で、ちょうど「虹色の朝」の中の"Lost Time in Córdoba"のようなスパニッシュ系のアコースティック・ギターで始まり、ボーカルとキーボードがバックアップしてくる。後半のエレクトリック・ギターは官能的なフレーズを紡ぎ出している。

 ちなみにベース・ギターを担当しているのは、故クリス・スクワイヤだった。クリスとスティーヴは、2012年にスクワケット名義で、アルバム「ア・ライフ・ウィズイン・ア・ディ」を発表していたから、そのときのアウトテイクかコラボの結果なのかもしれない。

 "The Wheel's Turning"では、イントロが歌劇の幕間のような役割を果たしていて、それからELOばりのポップな曲調に転換する。「プリーズ・ドント・タッチ」の2曲目"Carry On Up the Vicarage"のようだ。ただ、ギター・ソロは結構ハードであり、途中ハケット自身のマウス・ハープも聞くことができる。

 ギリシャ神話にモチーフを得た"Corycian Fire"は、民族音楽に近いようなエキゾチックな曲。エンディング近くの男女混声コーラスが、より一層雰囲気を高めてくれる。こういう曲も彼のお得意の分野だろう。

 "Earthshine"は、21世紀の"Horizons"といったところか。6弦ナイロン・ギターのインストゥルメンタルで、時間は3分20秒、流れるようなフレージングが美しい。この曲は次の曲の"Loving Sea"に繋がっている。

 その"Loving Sea"はアコースティック・ギターを基調としたフォーク・ソングのようで、ポップな印象を受けた。時間も3分余りと短い。

 8曲目の"Black Thunder"は、このアルバムの中ではダークな曲調で、ハケット流ヘヴィ・ロックかもしれない。ただ間奏のギター・ソロは、いかにもスティーヴ・ハケット的で流麗かつテクニカルである。
 このスティーヴ・ハケットという人は、以前“3Gライヴ”を行ったように、実はかなりのテクニシャンで、短いながらも速弾きなどはお手のもののようだ。

 次の曲の"Dust and Dreams"はアラビア音楽の影響を受けている。これはハケット自身が、モロッコを旅行中に、砂漠の向こうから聞こえてきた音楽にインスパイアされたようで、砂漠の中に浮かぶ蜃気楼や、その中を進むラクダの隊商を表現しているようだ。

 この5分30秒少々の曲は、最後の曲"Heart Song"の序曲のように繋がっていて、一転してポップな曲調に転換してしまうところがハケットらしい。

 アルバムの冒頭はおどろおどろしかったのだが、最後の曲は、2分余りに短くまとめている。この辺の引き出しの多さは、さすがスティーヴ・ハケットである。ただ、プログレッシヴ・ロック原理主義者にとっては、もう少し首尾一貫してほしいと思うかもしれない。

 全10曲のうち、半分の5曲には現在の奥さんであるジョー・ハケットの名前がクレジットされている。恐らくは曲のイメージ作りや作詞に貢献しているのであろう。

 前妻のキムさんはアルバム・ジャケットを手掛けていたが、今の奥さんは曲作りに貢献している。ハケットの奥さんになるには、何がしかの才能がないと務まらないのかもしれない。2
 そんなことはどうでもいいのだが、とにかく久しぶりに充実したハケットのソロ・アルバムを聞いたような気がした。初期のソロ3部作には及ばないところはあるものの、イメージ豊かなソングライティングとギターのイマジネイティヴなフレージングについては、ここ数年の彼の作品では群を抜いているのではないだろうか。

 これも彼の私生活が充実しているに違いないからだと勝手に思い込んでいる。うらやましいとついつい思ってしまうのだが、これは俗人の悲しさであろう。

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2015年11月16日 (月)

キーツ

 今回は、今年聞いたプログレッシヴ・ロック・アルバムの中で、一番失望したアルバムを紹介しようと思う。

 普通はそんなことをしないのだが、なぜかこのアルバムのことを褒め称えているブログやHPが多くて、自分はそんなことはないと感じたからだ。
 また、ひょっとしたら期待を持ってこのアルバムを購入して、自分と同じような落胆を味あわせないようにとも思ったからだった。

 せめて自分のブログの中だけでも、本音を語っていきたいと思う。その分、日頃から抑圧され、自分を抑えているからだろう。漱石も言っていたけれども、世の中とは生きていくには辛いところだと痛感している。

 そんなことはどうでもいいのだが、この失望させたバンド名はキーツという。イギリスのロマン派の詩人、ジョン・キーツから名前を取ったのではないかと噂されていたが、正確には彼の記念館の近くにあったレストランの名前からだった。

 そのレストランは、バンドのメンバーがレコーディング後に飲みに行く、いわば行きつけの場所だったようで、そこで、毎夜自分たちの演奏の反省会やバンドの将来について話し合いをした。ちなみにバンドのメンバーとは、次のような人たちだった。

ギター…イアン・べアンソン
ベース…デヴィッド・ペイトン
ドラムス…スチュワート・エリオット
ボーカル…コリン・ブランストーン

 それに時々、友人のエリック・ウルフソンやアラン・パーソンズが加わって、音楽談義に話を咲かせることもあったようだ。

 もうわかったと思うけれど、要するに彼らは、アラン・パーソンズ・プロジェクトのメンバーである。Evestudio

 どんな音楽について話し合っていたのかわからないが、とにかく彼らは、アラン・パーソンズ・プロジェクトとは別の種類の音楽を目指していたようだ。

 それで自分たちに足りないものはキーボーディストということになり、当時、コリン・ブランストーンのシングル曲をプロデュースしてくれたピート・バーデンスに声をかけて、バンドのメンバーに引き入れたのである。

 ピート・バーデンスといえば、泣く子も笑うかもしれないあのビッグ・グループ、キャメルのメンバーだった人だ。キャメルを世界的なビッグ・グループにしたアルバム「スノー・グース」や「ライヴ・ファンタジア」での抒情的でファンタジックなサウンドの立役者でもある。

 そんなビッグなネーム・ヴァリューを持つ人が加入したのだから、彼らは頑張ってやっていこうと決意した。どんな決意をしたかというと、“第2のエイジア”になるという決意だった。

 確かに、当時はプログレッシヴ・ロック・バンドも生き残りを図って、有名ミュージシャン集合アルバムを発表したり、80年代用の売れ線サウンドを意図的に組み入れた音楽を奏でたりしていた。

 その代表格がエイジアだった。元イエスや元キング・クリムゾン、元E,L&Pに在籍していたミュージシャンが高度なテクニックを駆使して、4分間のポップ・ソングを奏でるのだから、これが売れないわけがない。アルバムは、瞬く間に全米1位になり、全世界で1500万枚以上のセールスを記録してしまった。

 キーツのメンバーが、それにあやかろうとしたのも無理もない。彼ら自身もやや小粒ではあるが、エイジアのメンバーとは優るとも劣らないビッグ・ネームだったからだ。
 ギターとベースの2人は、元パイロットのメンバーで、日英でシングル・ヒットを出していたし、ボーカルのコリンは、ゾンビーズで歌ってヒット曲を出していた。Stage_di

 しいて言えば、ドラムスのスチュワート・エリオットがやや知名度が低いかもしれないが、それでもアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムには必ずクレジットされていたし、それ以前は、スティーヴ・ハーリー&コックニー・レベルに所属していたから、それなりに知られていたのである。そうでなければアラン・パーソンズ・プロジェクトに声がかからなかっただろう。

 ところが、あけてびっくり玉手箱。出てきた音楽は、当時流行っていたAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)だったのである。オリジナルは全10曲。ひょっとしたらバリー・マニロウかバーティ・ビギンズのアルバムと間違えて買ったのではないかと思われる楽曲ばかりだった。

 プログレッシヴ・ロックのポップ化は別に珍しくもなかったから、ポップな曲になってもある程度は許容できるが、おいおいメロトロンはどうした、えっ、ギター・ソロもないの、何このムーディーなサックスは、という調子で、とても聞けたものではなかった。

 本来ならここで各曲について、簡単なコメントを記したりするのだが、とてもそんな気も起りはしないアルバムだった。

 個人的には、いわゆるポップ・ソングとして聞けば2曲目の"Tragedy"などはよく出来た曲とは思うが、ただエイジアのようなビッグ・ヒットにつながるかといったら、それはないだろうという感じである。Photo

 しかもこのアルバムは、“プログレッシヴ・ロック・生誕45周年記念シリーズ”の一環として発売されている。確かにメンツ的にはそうかもしれないが、過度な期待と思い込みは厳禁だと思う。

 これを名盤という人は、おそらくポップ・フィールドに近い人だろう。プログレ愛好家は決してそんなことは言わないだろう。

 確かに、ギターのイアン・ベアンソンは、有名になる前のベイ・シティー・ローラーズに在籍していたし、パイロットというバンドもシングル・ヒット中心のバブルガム・バンドだった。
 でも、彼はもともとは根っからのギター小僧で、ギターの腕前は昔からかなり高く評価されていたのだ。

 たとえば、アラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバム「運命の切り札」の後半の組曲での彼のギター・ソロは、とてもカッコよくて印象的である。パイロットの頃の楽曲からは想像できないほど、印象的なフレージングを残している。

 だから、ケイト・ブッシュの各アルバムやアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムに招聘されたのである。彼とスノーウィ・ホワイトは、“世界で最も過小評価されている名ギタリスト”のベスト5に入ると自分は思っているのだが、どうだろうか。Photo_2
 さらにこのアルバム・ジャケットも決してセンスがあるとは言えない。このイラストを手掛けた人は、ジャミロクワイなどのアルバム・ジャケットも制作したようだが、もうちょっと何とかならなかったのだろうか。ロジャー・ディーンとまではいわないが、せめてもう少し幻想的でイマジネイティヴな画像にしてほしかった。確かに印象には残るだろうが…

 というわけで今回は、プログレッシヴ・ロックとして聞くと後悔してしまうアルバムを紹介した。彼らもいわゆるスーパー・バンドの部類に入れられるのだろうが、残念ながら“世界で最も失敗したスーパー・バンド・ベスト5”内にランクされてもおかしくはない結果になってしまった。売れなかったのも当然だろう。

 “第2のエイジア”はおろか、“第2のフォーリナー”にもなれなかったキーツである。彼らの才能と努力は素晴らしいと思うのだが、結果が伴わなかった。その理由は“羊頭狗肉”にあるように思えてならないのである。

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2015年11月 9日 (月)

アナセマ

 今年聞いたプログレッシヴ・ロックのアルバムを紹介していて、今回はイギリスのバンド、アナセマの登場になる。(アナセマとは「呪われし者」という意味らしい)

 このバンドは私の“師匠”が、今年のお正月に教えてくれたものだった。高校の同窓会のときに少し立ち話をしたのだが、さすがに“師匠”は、最先端を行っていて、いまは(といってもほとんど1年前の話になるが)このバンドを聞いているというようなことを話されていた。

 それでさっそく自分もアマゾンで購入して聞いたのだが、確かに21世紀を生きるプログレッシヴ・ロックの音だった。
 ただ、このバンドのスタートは、プログレッシヴ・ロックではないということが面白いし、だからというわけでもないのだろうが、70年代のプログレッシヴ・ロックとは一味違っていて、そういう意味では独自性を備えているのかもしれない。

 どういうことかというと、1990年にリバプールで結成されたときは、ゴシック・メタル・バンドだったからだ。90年代だから世の中はグランジ/オルタナティヴ・ブームの真っただ中で、当時のイギリスでもパラダイス・ロストと並び称される?ほどの人気と知名度があったらしい。3

 そんな彼らが徐々に方向転換をして、2010年のアルバム「ウィ・アー・ヒア・ビコーズ・ウィ・アー・ヒア」から完全にプログレッシヴ・ロックのフィールドに移行した。
 理由は、所属していたレーベル会社が2004年に倒産してしまったからで、移籍先を探していた彼らが見つけたのが、今を時めくKscopeだったのである。

 Kscopeといえば、誰しもスティーヴン・ウィルソンを思い出すはずだ。現在のプログレッシヴ・ロック・シーンを牽引するバンドのリーダーであり、同時に、昔のバンドの古いアルバムを、今の時流に合うようにリマスター化させる手腕は天下一品、唯我独尊、諸行無常、誰も彼にはかなわない。それだけプログレッシヴ・ロックの歴史に精通し、その本質に熟知しているからこそ、できる技なのであろう。

 アナセマは1993年にデビュー・アルバムを発表し、2015年までに10枚のスタジオ・アルバムを発表しているが、自分が最初に聞いたのは2012年に発表された彼らの9枚目のスタジオ・アルバム「ウェザー・システム」だった。

 このアルバムには9曲収められていて、短い曲で3分半程度、長い曲で9分半程度で、冒頭の2曲"Untouchable"はpart1とpart2に分けられていた。Photo
 リズミカルなアコースティック・ギターのアルペジオで始まる"Untouchable part1"では、深みのあるボーカルに続きキレのよいドラムスが続く。従来のプログレとは違って、美メロのロック・スタイルの曲だ。

 続く"Untouchable part2"との曲間はほとんどなく、すぐに"part2"が始まるのだが、趣向を変えてピアノの弾き語りから始まり、男性ボーカル、女性ボーカルと続いていく。この辺りの展開は秀麗で、見事の一言に尽きる。こちらの心が癒されていくようだった。
 男女の混声ボーカルを壮大なストリングス・キーボードが包んでいく有様は、美しい西日が静かに地平線の陰へと沈んでいくようだ。

 3曲目の"The Gathering of the Clouds"も、男女のボーカル・ハーモニーとそれを支えるバックの演奏陣のバランスが見事で、映画音楽のBGMにでも使われてもおかしくない曲だ。ただその場合には、映像を凌駕してしまい、音楽の方が印象に残ってしまうだろう。

 全体的には、このアルバムは静かな曲調で占められていて、今どきの季節には最適なのだ。また、静かな中にも激情するパートは含まれていて、必ずドラマティックな要素を備えている。

 たとえば、女性ボーカルを担当しているリー・ダグラスがフィーチャーされた"Lightning Song"では3分過ぎから盛り上がるし、次の曲"Sunlight"も2分過ぎから徐々に高揚感のあるテンポに移り、3分過ぎにはドラムが連打され、交響曲のようにすべての楽器が鳴り響いていく。

 曲の基本はギターかピアノ主体で作られているのだろうが、それを劇的に盛り上げていく方法が見事である。聞きようによっては、コールドプレイの延長版のようでもあるし、音の使い方は、アメリカのマーキュリー・レヴを想起させた。

 アルバムの方向性は、リーダーであるヴィンセント・カヴァナーが形造っているようだが、ストリングス・アレンジメントでは、あのデイヴ・スチュワート(エッグなどに在籍していたキーボーディストの方)が担当している。

 ちなみにアナセマの現メンバーは6人で、長兄のヴィンセントを中心に、双子の弟ダニエルと兄のジェイミー・カヴァナー、ドラムス&パーカッションのジョン・ダグラスとその妹の女性ボーカルのリー・ダグラス、キーボード&ドラムス担当のダニエル・カルドーゾで構成されている。

 また、双子のダニエルの方はピアノやギター、ボーカルがメインで、ジェイミーの方はベース・ギターを受け持っていて、特にダニエルはほとんどの曲を手掛けるバンドのソングライターでもある。

 3兄弟と2兄妹を中心のバンドとは、いかにも英国らしい。まさに職人の家族のように、一つ一つの音を紡いでいるのだろう。まるで21世紀版のTOTOのようだ。

 彼らの最新スタジオ・アルバムは2014年に発表された「ディスタント・サテライツ」で、前作の「ウェザー・システム」と同じ方向性で制作されている。どの曲もエモーショナルでドラマティック、静と動が絶妙にブレンドされていた。2
 全曲10曲で、"The Lost Song part1"、"part2"、"part3"を中心に、自分たちのバンド名を冠した非常に美しく荘厳な"Anathema"、スティーヴン・ウィルソンがミキシングを手掛けた"You Are Not Alone"、"Take Shelter"、インストゥルメンタルの"Firelight"など聞きどころ満載になっている。

 特に、前半では"The Lost Song"の3曲を中心に、前作の延長線上のような豊潤なサウンドを聞くことができるし、後半は6曲目の"Anathema"からスタートして、呪術的に言葉が繰り返される"You Are Not Alone"から最後の"Take Shelter"まで一気に聞かせてくれる。

 スティーヴン・ウィルソンがミキシングを手がけた"You Are Not Alone"は3分少々と短いのだが、途中からのエキセントリックなギター音は、ちょうどクリムゾンの"Starless"のようにアグレッシヴで破壊的だった。

 逆に続く"Firelight"はアンビエントなキーボードのみのインストゥルメント曲だから、その破壊衝動を癒すかのような効果がある。そしてそれらを含みながらアルバム・タイトル曲の"Distant Satellites"が始まる。よく考えられた構成だと思う。

 このアルバムのリリース前に、バンドは、“このアルバム(ディスタント・サテライツ)は、今まで自分たちが追求してきた音楽の集大成になるだろう”という声明を発表していた。ということは、次のアルバムでは、彼らの新しい音楽観やアイデアが吹き込まれるということになる。どういう展開になるのか興味が尽きない。

 自分がアナセマの音楽を聞いて一番思ったのは、70年代のプログレッシヴ・ロックと単純に比べてはいけないということだった。彼らの音楽には、複雑な変拍子やテクニカルな楽器ソロは見当たらない。それでも今を生きるプログレッシヴ・ロック・バンドの1つと言われている。

 この音楽傾向はマリリオンなどにも共通している。各個人のテクニックよりも、楽曲勝負というか、曲本来のメロディや構成に重きを置いていて、トータルな意味での美しさとリスナーの情感をかき立てていく傾向は、いまを生きるプログレッシヴ・ロック・バンドにとっては、必要条件なのかもしれない。

 ある意味、芸術性と商業性を止揚させているのだろう。別にプログレッシヴ・ロックのファンではなくても、このサウンドやメロディは気に入るに違いない。

 彼らは昔ながらのベタなプログレ・バンドではないが、その抒情性や構築性などは、確かに70年代のプログレッシヴ・ロックの遺伝子を受け継いでいるようだ。
 プログレッシヴ・ロックというものは、このようにして時代とともに、文字通り、“進歩”していくのである。

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2015年11月 2日 (月)

ロイ・ウッド(2)

 プログレッシヴ・ロック45周年記念シリーズで、ロイ・ウッド関連のアルバムが売り出されていたので、即購入した。

 購入したアルバムは、彼自身のソロ・アルバム「オン・ザ・ロード・アゲイン」とロイ・ウッド・ウィゾ・バンド名義の「スーパー・アクティヴ・ウィゾ」の2枚だった。

 ロイ・ウッドに関しては、このブログでも2011年に詳述しているので詳細は省くが、イギリスはバーミンガム出身のミュージシャンだ。今年で68歳になる。
 日本では知名度が低く、ほとんど誰も知らないだろうが、欧米では“ミュージシャンズ・ミュージシャン”として、正当に評価されている。

 とにかくマルチ・ミュージシャンで、ギターやベース、キーボードは当然のこと、ほとんどすべての弦楽器、金管楽器、打楽器まで演奏してしまう。彼のソロ・アルバムでは、そんな彼の歌と演奏を楽しめる。さらにまた、アレンジ、プロデュースのみならず、アルバム・ジャケットまでも手掛けているから、まさにマルチ・ミュージシャンである。

 70年代初期には、“世界最小のオーケストラ”として活動を始めたエレクトリック・ライト・オーケストラ(以下、ELOと称す)の設立メンバーとして、ジェフ・リンとともに活動していたのだが、まもなく脱退して、自分のアイデアが試せるように、ソロ活動やバンド活動を始めていった。1973__roy_wood0
 とにかくワーカホリックな人で、ソロやバンドでの演奏活動、アルバム制作などを同時で行うことを厭わないのだ。また上の写真を見ても分かるように、70年代初期は当時のグラム・ロックのブームにのって、奇抜なメイクやファッションをしていた。こんなところから“奇人、変人、ロイ・ウッド”とまで謳われていたのである。

 それでアルバムのことに話を戻すと、「スーパー・アクティヴ・ウィゾ」は1977年の作品で、アルバム・タイトルが表しているように、ウィゾ・バンドを結成してのものだった。

 とにかく、この時期のロイは大忙しで、1972年にELOを脱退してからは、ウィザードというバンドを結成して約3年ほど活動したあと、ウィゾ・バンドにシフトした。そしてこの間に、計5枚のソロやバンド形式のアルバムを制作している。
 3年間で5枚のアルバム制作と、その間をぬってのプロモーション活動やライヴ演奏を行っていたのだから、いかに忙しかったかが分かると思う。

 その中の1枚が「スーパー・アクティヴ・ウィゾ」だった。元相棒のジェフ・リンは、「オーロラの救世主」や「アウト・オブ・ザ・ブルー」などを発表していた頃で、まさにこれから絶頂期を迎えようとしていた。

 それに対してロイの方はというと、60年代からの神通力もさすがに消えかかりそうだった。いや、才能はあったのだが、あふれ出る音楽的才能に対して、現実がついていけなかったようだ。
 あるいは、ひょっとしたらロイの頭の中には、ELOへの対抗心もあったのかもしれないし、商業的な面ではプレッシャーもかかっていたのかもしれない。

 この新しい面子で結成されたウィゾ・バンドでのニュー・アルバムも、内容的にはジャズとロックが融合した斬新なものだったが、商業的な成功を得ることはできなかった。2
 1曲目の"Life is Wonderful"には、サックスやトロンボーンがフィーチャーされていてノリがよいのだが、77年当時の流行には合っていなかった。
 次の曲の"Waiting at This Door"はポップなナンバーで、コーラスがELOっぽい。サックスやエレクトリック・ギターが少しだけ目立っている。シングルのサイドBになった曲でもあり、そのせいか5分48秒と短い収録になっている。

 メロディラインについては、さすが60年代のザ・ムーヴ時代から定評があったロイ・ウッドだけあって、なかなか心地よい。ただこのアルバムについては、ジャズとロックの融合を目指したせいか、そちらの方が目立っていてポップな部分はやや控えめだった。

 3曲目の"Another Wrong Night"は11分15秒の長尺な曲で、ギターや金管楽器、ドラム・ソロなどが目立っているが、基本はポップなメロディで構成されていて、個人的には気に入っている。
 ただ、最後がフェイドアウトされていたのが残念で、こうなったらすべての楽器をフィーチャーして20分以上の曲に仕上げてほしかった。

 レコードではサイドBの冒頭の曲だった"Sneakin'"は、ロイ・ウッドのセンスが十分発揮されていて、骨太なロック・ミュージックにジャズやクラシックの要素が添えられている。
 また"Giant Footsteps(Jubilee)"は当時の恋人だったルネッサンスの女性ボーカリストのアニー・ハズラムとの共作曲で、のちにロイのシングル曲のサイドBにもなったインストゥルメンタル。メインのフレーズをリードする楽器はエレクトリック・シタールのようだ。

 最後の曲"Earthrise"も11分22秒と長い曲で、メインのフレーズを基本に、ロイのボーカルと他の5人のメンバーによる様々な楽器が絡んでくる。

 ただ、このパンク/ニュー・ウェーヴの時代に、全6曲、長くて11分以上、短くても5分以上の曲を含むアルバムが売れるはずもなかった。目の付け所はよかったが、時代には合ってはいなかったのである。

 ロイには、それなりに売れるアルバムを作ることは簡単だったのだろうが、売れることよりも自分の信念を優先させたのだろう。

 それを反省したのかどうかは不明だが、約2年後に当時のELOばりにポップなソロ・アルバムを発表した。それが「オン・ザ・ロード・アゲイン」で、全10曲のうち最長でも5分33秒、ほとんどが3分少々の曲で構成されていた。

 しかもゲストが豪華で、アニー・ハズラムは当然のこと、ギターにアンディ・フェアウェザー・ロウ、ドラムスにジョン・ボーナム、元ザ・ムーヴのリード・ボーカルだったカール・ウェイン、元ウィザードのドラマー、チャーリー・グリマらが参加していた。

 アルバム冒頭の"On the Road Again"からカラフルでポップな曲が続いている。どこかで聞いたような懐かしい感じをさせてくれるのが、ロイのもつ魅力の一つだろう。ELOのようで、あそこまで過剰にならずに適度にシンプルなのがよい。Photo
 サックスとアコースティック・ギターがフィーチャーされた"Wings Over The Sea"、ジョン・ボーナム生前最後の録音となった"Keep Your Hands On the Wheel"、ロイ・ウッド・ウィゾ・バンド名義でシングル・カットされた"Dancin' At the Rainbow's End"など、聞きどころは多い。

 特にジョン・ボーナムの豪放なドラムを聞くことができる"Keep Your Hands On the Wheel"や、ポップな中にも転調が目立ち、ジャージーなギター・ソロが展開する"Colourful Lady"、ジーン・ヴィンセントのような"Road Rocket"などは必聴だろう。

 また本家のELOに、エルトン・ジョンのような曲調を加えた"Backtown Sinner"、ロイ・オービソン風の"Jimmy Lad"、チャーリー・グリマの叩くタムタムがいい味を出している"Another Night"、バラード・タイプの"Way Beyond the Rain"などもよい。このアルバムには捨て曲などはないようだ。

 ただ残念ながら、このアルバムはアメリカとドイツでしか販売されず、しかもシング・カットされた曲も売れず、商業的には失敗した。さらに2007年までCD化されることもなく、ファンの間では幻のアルバムとして有名だった。

 それでもある意味、ロイの4枚の公式ソロ・アルバムの中では、1987年の「スターティング・アップ」と並んで、一番ポップなサウンドで占められているのではないだろうか。

 この後、ロイはマイ・ペースな活動に移行するも、21世紀に入ってから再評価されるようになり、日本だけでなく本国イギリスを始めヨーロッパやアメリカでも、オリジナル・アルバムやコンピレーションなどが再発されるようになった。

 彼の不幸は、時代よりも1歩も2歩も先を行き過ぎたポップ・センスが真っ当に評価されなかった点である。2015年の今になってみれば、彼の才能の大きさが分かるのだが、その当時の音楽業界では彼のルックスのみに目が行ってしまい、正当に評価されていなかった。

 また、所属レコード会社による思うようなバックアップに恵まれなかったのも、大きな損失につながった。たとえば70年代後半ならば、ディスコ・ミュージックやニュー・ウェーヴ風の音楽をやれば、レコード会社はすぐに飛びついただろうが、彼はそんな風潮には見向きもせず、自分の方針を貫き通したのである。

 さすがにかつてのような旺盛な創作意欲は見られないようだが、未発表曲集でもいいので、できればもう1、2枚オリジナル・アルバムを発表してほしいと願っている。個人的に、イギリスの人間国宝だと思っているからだ。

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