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2016年3月 3日 (木)

 「福山ロス」という言葉が、昨年、流行語大賞の候補の一つに挙げられた。もちろんこれは、福山雅治の結婚に対して多くの女性が喪失感を覚えたことを意味する言葉だった。

 同じように、今年の1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイに対して、「ボウイ・ロス」という言葉を口にする人たちがいたが、自分もその中の一人だった。
 仕事は可能だし、生活も何とか送ることはできたのだが、ふとした瞬間に、ボウイのことを思い出し、ボウイの過去の曲が反芻され、ボウイのニュー・アルバムを傾聴したいという欲求が高まってくるのである。18021

 1月12日火曜日の毎日新聞でのボウイの死亡記事を読んだ。そこにはある評論家がボウイのニュー・アルバム「★」に対して、“陰々滅々の音”という全く的外れのことを言っていた。この著名な女性評論家は、いったい何を聞いてそう思ったのだろうか?自分は、この人は悲しみのあまりに、彼の音楽を正しく受け止めきれなかったのではないだろうかと思ったほどだった。

 2013年に発表された「ザ・ネクスト・ディ」は10年間のインターバルを埋めるには出来すぎの作品だったが、それはその当時のボウイというよりは、約10年の間に彼が書いてきた楽曲が並べられていた。だから、彼が何かの新しい音楽分野に挑戦したり、新しいキャラクターを作り出したというわけではなかった。

 それは、アルバムにクレジットされたミュージシャンを見てもわかるだろう。比較的新しく参加したギタリストのデヴィッド・トーンやドラマーのザッカリー・アルフォードを始め、お馴染みのトニー・レヴィンにアール・スリック、古顔のマイク・ガーソンもいた。

 ある意味、それまでのボウイの音楽観が、1枚のロック・アルバムに凝縮されていたのだ。だから、もちろん音楽的内容については期待を裏切るものではなかったけれども、ファンにとってはその内容よりも、とにかくボウイが復活したということの方が重要だったに違いない。

 そしてボウイは、2016年の1月8日、自分の誕生日に合わせて25枚目のスタジオ・アルバム「★」を発表した。(サウンドトラックやティン・マシーン時代のものを除く)51sxk8rvhsl__sl1500_
 このアルバムには創造者、表現者としてのデヴィッド・ボウイがよく表れている。ある人も言っていたけれど、ひょっとしたら70年代後半の「ベルリン三部作」の再現の第一歩を示すアルバムになったかもしれない、そんな意義のあるアルバムだった。

 先ず、ボウイは、ジャズにアプローチしている。もう少し正確に言うと、ジャズをやっているのではなくて、ジャズ・ミュージシャンを起用して、ジャズの方法論を取り入れた斬新で実験的なロック・アルバムを制作したのである。

 ジャズは、ボウイにとって音楽の原点となるものだった。彼がサックスを演奏するようになったのも、ジャズに興味を持ち、チャーリー・パーカーを崇拝していたからだった。15歳から19歳まではジャズ系のバンドでも活動を行っていたようだ。

 また、このアルバムでは、ドラマーのマーク・ジュリアナの存在が大きいと思う。彼は、超絶技巧派の奏者で、まるでサンプラーか打ち込み音楽のように、正確なビートを刻みだすことができると評価されている。

 他にも、ヒップホップからフュージョンまで幅広い分野で活躍するキーボード・プレイヤーのジェイソン・リンドナーやソロ・アルバムを何枚も出しているギタリストのベン・モンダーなどが参加していた。

 これはボウイ自身が、ヒップ・ホップのケンドリック・ラマーの音楽を聞いていたことに起因していて、ケンドリック・ラマーのようにジャンルを超えた音楽、ヒップ・ホップやソウル、ジャズ、ロックなどがミックスされたものを参考にしようとしていたからだ。

 ここからは推測が混じるので、あくまでも個人的な意見ということで理解していただきたい。

 このアルバムには7曲しか収められていない。時間にして41分13秒である。7曲の中で、先行シングル"Sue(Or In A Season Of Crime)"と"'Tis A Pity She Was A Whore"は2014年にシングルとして発表されていたが、このアルバムでは、コンパクトなエディット・バージョンになっている。

 そして残りの曲は、それ以降に書かれてアルバムに収められている。つまりこのアルバムに収められている曲は、すべてこの2年以内に書かれた新曲だったわけで、本来ならもう4,5曲作って60分ぐらいのものを発表したかったのではないだろうか。

 だからこのアルバムは、はっきりと死を自覚して、その上で制作されたアルバムだったのだ。
 たとえば1曲目の"★"には、"star"という言葉が何度も出てくるが、もちろんこれには自分の姿が投影されているに違いない。

 現在の中東情勢を暗喩で表わしているような"'Tis A Pity She Was A Whore"は、時代を反映していると言えるし、3曲目の"Lazarus"にはズバリ"Look up here, I'm in heaven"(ここを見上げるんだ、私は天国にいる)という歌詞も見られる。

 さらには"Dollar Days"には"If I never see the English evergreens, I'm running to"(もし英国庭園を二度と見ることがないのなら、走り出していくだろう)や"I'm falling down"(私は落ちていく)という言葉も見られる。

 そして極めつきは、最後の曲だろう。"I can't give everything away"(私はすべてを与えることができるというわけではない)と名付けられた涙が出るほど美しいバラード曲には、次のような歌詞が見られるのだ。

"Seeing more and feeling less
Saying no but meaning yes
This is all I ever meant
That's the message that I sent
I can't give everything"
「よく見ようとすれば感じることができなくなる
ノーということはイエスを意味する
これが私が言いたかったことのすべてだ
これが私が送ったメッセージだ
私はすべてを与えることができるわけではない」
(訳:プロフェッサー・ケイ)

 ボウイは死を自覚し、自分の誕生日にアルバム発表ができるように、アルバムの完成を急いだのだろう。だから7曲41分13秒という中途半端な形になったのだ。61wc2v45hxl__sl1200_
 しかし、その内容は、死に臨んだ人の感性とは思えないほど瑞々しく、時代に対しても自覚的で、新しい音楽的胎動を感じさせるものだった。

 本当にここから新三部作が始まったかもしれない、そんなことを予感させるアルバムでもあった。一体どこをどう聞いたら、“陰々滅々”の音楽になるのだろうか。先の音楽評論家は深くこのアルバムを聞くこともなく、とりあえず新聞発表用のコメントを用意したのだろう。

 デヴィッド・ボウイは、なぜ変化を繰り返したのか。一つは、時代の音に対して自覚的だったからだ。
 ボブ・ディランに影響されたフォーク調のデビュー・アルバムから始まり、グラム・ロックからソウル・ミュージック、ヨーロッパ流デカダンスの反映された音響音楽にパンク・ミュージックを経て、ダンサンブルなポップ・ミュージック等々、常に時代に対峙していて、その動きを見極め、消化し、取り入れていった。

 もう1つは、自分自身の自我(精神)に対して自覚的だったからだ。ボウイの母親には5人の兄妹がいたが、そのうちの3人の妹は、いわゆる統合失調症だった。
 同時に、母親と最初の夫の間に生まれた義兄のテリーも精神病院に長く入院していて、母親自身もやがて精神に異常をきたすようになっていった。

 テリーとボウイは、非常に仲が良くて、7歳年上のテリーは少年時代のボウイを溺愛していたと言われている。ただ、テリーとの仲は、ボウイがメジャーになるにつれて、だんだん疎遠になっていった。

 ボウイは、常に神経症的な不安を抱えていたのではないだろうか。自分もテリーや母親のように、やがては自分が誰なのかわからなくなり、病院に収容されて世の中から隔離されてしまうのではないかという不安である。

 「僕は精神分析医に行ったことはない。両親や兄や姉はみんな行ったけど、その結果、彼らはみんなもっと悪くなってしまった。だから僕は医者に行かない。その代りに、歌を書いて問題を解消しているんだと思う」
 のちに、ボウイはこう述べているのだが、彼がカメレオンのように好んで音楽的変化を遂げていったのも、停滞は自己崩壊の始まりだと、捉えていたのではないだろうか。

 ちなみに義兄のテリーは、1985年、ボウイがアルバム「トゥナイト」発表直後に、鉄道自殺で亡くなっている。ある意味、ボウイの創造意欲の源泉の一つだったテリーだったが、ボウイは葬儀には顔を出さなかったと言われている。

 ただ逆説的に言えば、ボウイには優れた音楽的素養や芸術的な感性が確かに備わっていたことは間違いないだろうが、それはある意味、平凡と非凡、もっと言えば正常と狂気の境界線上にあったのではないだろうか。そういう意味で、彼は母親や自分の家系に自覚的だったことが、功を奏したに違いない。

 とにかく、彼は生と死を、生涯を通じて演出していった唯一のミュージシャンだった。自分は、彼が本当にアルバム発表の2日後に亡くなったとは思えないし、信じていない。このことはやがては都市伝説につながるのではないかと思っているのだが、もし本当に2日後に亡くなったとしたら、やはりボウイは生まれながらにして特異な人間だったのだ。“神が愛でられし子”とは、まさに彼のことを言うのだろう。

 ボウイは、最初のアルバムが売れなかったときに、ミュージシャンをやめてチベット仏教の僧侶になろうと思っていたようだが、仏教でいう“諸行無常”、“輪廻転生”を亡くなるまで信じていたような気がする。Ofinalphotofacebook
 そうでないと、今年の1月8日の誕生日のこの笑顔の意味が理解できないのだ。この2日後に本当に亡くなったのだろうか。Davidbowie_1
 ボウイは、また生まれ変わって、異星の地でスターマンを演じていくに違いない。彼自身もそれを信じていたからこそ、こういう表情を出せたのだろう。そんな彼の今までのところ最後の贈り物が、「★」だったのである。


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コメント

 イメージ・デモ・ヴィデオを観ると、明らかに人間の終焉をイメージした如くの映像に不可解な人間像という結論に導いているようで、寒気がします。前作の如く"圧倒的な支持"と簡単に言うのとは、別の意味で注目作であることは間違いないでしょう。しかし私にとっては難解!。 プロフェッサー・ケイさんのお話を見ながら”何か”を知りたいと思っているところです。
 ミュージック・スタイルでは、”ボウイは、ジャズにアプローチしている。もう少し正確に言うと、ジャズをやっているのではなくて、ジャズ・ミュージシャンを起用して、ジャズの方法論を取り入れた斬新で実験的なロック・アルバムを制作したのである”との話には納得です。
 ただ私は「ベルリン三部作」とは、異次元のものと捉えています。
 

投稿: 風呂井戸 | 2016年3月 3日 (木) 18時18分

 早速のコメントありがとうございました。自分は「ベルリン三部作」のような、新たな出発の第一歩となるアルバムだと思っていました。

 ジャズだけではなく、ロックやソウル、EDMなどをひっくるめたボウイの集大成となる音楽をやろうとしたのではないか、そのための第1作だったと思うのです。

 「ベルリン三部作」とは異次元の三部作の始まりでしたが、残念ながらその一作目も志道半ばで終わってしまったようです。

 それにしても自分の死をも対象化し、作品化するとは、はやり常人ではできないことだと思います。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2016年3月 3日 (木) 23時19分

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