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2016年5月15日 (日)

ジャクソン5

 今月は、ファミリーに着目して、話題を選んでみた。ファミリーというからには、親子や兄弟など、血縁関係で成り立っているグループのことだ。前々回のアンディ・ギブも兄弟グループのビー・ジーズとつながりがあった。

 それで今回は、アフリカ系アメリカ人グループのジャクソン5の登場である。あのマイケル・ジャクソンも子どもの頃に所属していたファミリー・グループだった。

 1960年代のアメリカのチャートでは、ビートルズやストーンズなどの外国のバンドの曲とアメリカ国内のバンドやミュージシャンの曲で占められていた。そのうち国内のヒット曲は、主にアングロ・サクソン系のポップ/ロックとアフリカ系アメリカ人による音楽とに分かれていて、後者は主にモータウンというレコード会社から発表されていた。

 60年代のモータウン・レコードには、スモーキー・ロビンソンやマーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロス&シュープリームスなどのドル箱スターがいて、次々とヒット曲を出していた。

 そして70年代の幕開けは、彼らに代って5人の兄弟によって行われたのである。ジャクソン5は、インディアナ州のゲイリーという場所で結成された。父親のジョー・ジャクソンは、プロのミュージシャンを夢見て、兄弟2人と“ファルコンズ”というR&Bバンドを組んで活動していたこともあった。

 彼と妻のキャサリンの間には9人の子どもがいて、次男のティト(トリアーノ)の提案で、家族でグループを作ろうということになった。彼はギターが得意だったようだ。
 最初は3人の兄弟、シグムンド(ジャッキー)、ジャーメイン、ティトでトリオを組んで始められ、その後、マーロンとマイケルが参加して5人組になった。ちなみに末っ子のランディはのちにジャーメインに代ってジャクソン5に加入している。32_jacksonfive
 話は少し脱線するけれども、残りの3人の子どものモーリーン、ラトーヤ、ジャネットの女の子もソロ・デビューしているので、結局、ジャクソン家の9人の子ども全員が音楽ビジネスに携わったことになる。

 彼らが初めて人前でライヴを行った時のギャラは、わずか8ドルだった。その時のマイケルは5歳だったが、ステージ上には客からの投げ銭が投じられ、合計100ドル以上にもなったという。

 やがて彼らは父親のフォルクスワーゲンに乗って、近くの町でライヴを行うようになった。当時はビジネス上の契約も緩やかだったようで、有名なミュージシャンが地方に来たときには、お願いして許可を受ければ、その前座としてステージに立てることができた。
 だからジャクソン5もテンプテーションズやミラクルズ、グラディス・ナイト&ザ・ピップスのオープニング・アクトを務めている。

 彼らのデビュー・シングルは、1969年に発表された"I Want You Back"で、翌年の1月31日にNo.1になった。Japan180
 もともとこの曲のタイトルは"I Wanna Be Free"というもので、ダイアナ・ロスに歌ってもらおうとしたのだが、モータウンの創業者、ベリー・ゴーディ・Jrが契約したばかりの子ども5人組に歌わせようと決めた。こうしてジャクソン5がメジャーになっていったのである。

 彼らの次のヒット曲"ABC"は、1970年の3月に2週間だけ全米No.1になった。ただ、この曲の前のNo.1の曲は、ビートルズの"Let It Be"だった。
 また、3文字から成るタイトル曲というのは、全米No.1の中でも最も短い曲名として認定されている。他にはマイケル・ジャクソンの"Ben" 、エドウィン・スターの"War"、フランキー・アヴァロンの"Why"などがあるようだ。

 彼らの中で、やはりマイケル・ジャクソンは飛び抜けていたようで、メイン・ボーカリストとしての表現力や変声期前の歌唱力など、やはり天才としての片鱗をのぞかせてくれている。個人的にはマイケル・ジャクソンはあまり好きではないのだけれど、ジャクソン5の曲を聞けば、誰でも彼の才能は間違いなく本物であることに気がつくだろう。

 その後彼らは、1970年の6月に"The Love You Save"を、同年10月には"I'll Be There"をそれぞれシングル・チャートのNo.1に押し上げている。
 デビュー・シングルから4曲続けてNo.1ヒット曲を出したのは、今のところこのジャクソン5だけのようだ。

 "I'll Be There"はバラード曲で、当初、モータウン・レコードの重役たちは、彼らにバラードを歌わせるのに反対していた。プロデューサーのハル・デイヴィスは、インストゥルメンタルだけのものをベリー・ゴーディ・Jrに聴かせたところ、すぐに気に入った彼は、その場で歌詞を書き上げたという。Jpic20140320175057

 結果的に"I'll Be There"は、5週間No.1を続け、ジャクソン5のみならず、モータウン・レコードとしても最も売れたシングルになったのである。

 その後は、ロック激動期の時代になり、また、マイケルも変声期を迎えて声質も変わっていった(高音の伸びはあまり変わらないが、その美しさはやはりジャクソン5時代にはかなわないようだ)。

 1975年には、彼らはモータウンからエピック・レコードに移籍したが、ベリー・ゴーディ・Jrの孫娘と結婚したジャーメイン・ジャクソンだけが1984年までモータウンに留まっている。

 彼らのベスト盤には上記の曲以外にも、全米No.2を記録した"Mama's Pearl"や、スモーキー・ロビンソンのペンによる曲で、とても小学生の子どもが歌っているとは思えないほど情感豊かなバラード曲"Who's Lovin' You"、ノリのよい"Goin' Back to Indiana"など聞きどころは多い。一度は耳を傾けても損はないと思う。41d9pf1ya9l
 いずれにしても、ボーイズ・グループの元祖ともいうべき5人組だった。またこの中から“キング・オブ・ポップ”といわれた天才ボーカリストが生まれたことも特筆すべきだろう。

 マイケル・ジャクソンの人生やジャクソン家のスキャンダルなど、音楽と関係ないところで話題になることもあるのだが、やはりここは天真爛漫なマイケルの歌声や、彼らの音楽を純粋に味わってみてはいかがだろうか。


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コメント

Jackson 5 とは・・・また懐かしいのが出てきましたね。ラッパ・ズボンの5人が印象深かったです。80年代にはマイケルも整形して鼻がスーと通ってしまったけど、その前が可愛かったです。
 ところで私はもっと懐かしかったのが、フランキー・アバロンでね。彼が1960年にジョン・ウェインの映画「アラモ」に出演した頃はなんとなくよき時代でした。私はこの「アラモ」を大阪難波の映画館で見たのですが、立体音響で素晴らしかっですね。1959年のやはりジョン・ウェインの映画「リオ・ブラボー」は、リッキー・ネルソンが出た訳で、当時はプレスリー以降のロカビリー、ロックが華でした。懐かしい。

投稿: 風呂井戸 | 2016年5月17日 (火) 20時04分

 コメントありがとうございました。フランキー・アバロンはよくわかりませんが、リッキー・ネルソンはわかります。当時は(そして今も?)映画と音楽の関連が深かったのだと思います。

 ただミュージシャンが直接映画に出演していた時と比べて、80年代になると映画のサウンドトラックに有名ミュージシャンが起用されることが多くなりました。これも時代の流れでしょうか。

 いまの有名ミュージシャンで映画に出ているのは、ジャスティン・ティンバーレイクか一部のラッパーしか思いつきません。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2016年5月18日 (水) 22時21分

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