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2016年5月29日 (日)

ネヴィル・ブラザーズ

 動物行動学者の竹内久美子さんの話によると、先進国よりも発展途上国や紛争地域の方が子だくさんの家庭が多いということだ。
 つまりそういう地域では、飢饉や戦争、政情不安による治安の悪さ等で、いつ自分の家系(遺伝子)が絶えてしまうかわからないからで、だから子どもをたくさん作って、遺伝子の生き残る可能性を高めているそうだ。

 もちろん、これは無意識のうちに行われ、本能(遺伝子)のなせる業らしいのだが、日本でも同じような傾向が見られると思う。
 今でこそ少子高齢化などと言われているが、昭和の時代では普通に子だくさんの家庭があって、特に医療の発達していない田舎に行くほど、子どもがたくさんいたような気がする。

 それで今回も「家族で行う音楽ビジネス」“ソウル・ミュージック編”を行うのだが、やはりアフリカ系アメリカ人は、アングロ・サクソン系アメリカ人に比べて抑圧されてきた歴史があるせいか、1930年代や40年代では、子だくさんの家庭が多かったのではないだろうか。個人的な偏見かもしれないけれど…

 本題に入って、前回はアイズレー・ブラザーズだったので、今回も同じ“ブラザーズ”つながりで、ネヴィル・ブラザーズについて簡単に記したいと思う。ちなみにアイズレーの方は5人+1人だったけど、ネヴィル・ブラザーズの方は、4人兄弟である。Nevillebrothers

 彼らは、アメリカのルイジアナ州ニューオーリンズ出身だ。自分はまさに“ブラック・ミュージック”の聖地と思っていたのだが、実際は、一時、フランス領だったせいか、ヨーロッパ文化の影響もあって、ブラック・ミュージック一辺倒ではないらしい。だから、様々な音楽的要素がミックスされた国際色豊かな音楽性が見られるのだろう。

 彼らはそういう音楽的な環境から影響も受けたのだろうが、もちろんそれぞれが才能豊かなミュージシャンでもある。長兄のアートは18歳の頃からレコーディングやライヴ演奏を行っていたし、次男のアーロンも19歳の時には全米R&Bチャートに自作曲を送り込んでいる。

 三男チャールズはサックス・プレイヤーで、地元のクラブで演奏したり、ニューヨークでジョーイ・ディー&ザ・スターライツなどと共演をしている。

 その後、チャールズは、アート、アーロン、末弟シリルとともに、ネヴィル・サウンズというバンドを60年代半ばに結成するが、アーロンが1967年に"Tell It Like It Is"というシングルをヒットさせたためにソロ活動で忙しくなり、このバンドは1968年に解散してしまった。
 ちなみに"Tell It Like It Is"は、R&Bチャートでは5週間首位をキープしているし、全米シングル・チャートでは2位まで上昇している。

 一方で長兄アートは、ネヴィル・サウンズのリズム・セクションとともにミーターズを結成して、同郷のアラン・トゥーサンとともにレコーディングやライヴ活動を行うようになった。その時に、Dr.ジョンやロバート・パーマーのバック・バンドとしても活動していたようだ。

 1975年にはシリルも加わって、ローリング・ストーンズの全米ツアーのオープニング・アクトを務めているし、翌年にはアーロンとチャールズも加入した。ここからミーターズをネヴィル・ブラザーズと名前を変えて活動を開始するようになったのである。

 ミーターズ名義では4枚の全米ヒット・アルバムを出していたが、1978年に発表したアルバム「ザ・ネヴィル・ブラザーズ」は、それらに比べれば評価も低く、商業的な成果には結びつかなかった。
 その後、ベット・ミドラーが彼らをA&Mレコードに推薦してバックアップを行ったが、これも成功に結びつくことはなかった。

 彼らが有名になったのは、1989年にアーロンとリンダ・ロンシュタットのデュエット曲"Don't Know Much"が全米2位の大ヒットになったことが切っ掛けになり、同年発表された「イエロー・ムーン」の大成功に結びついたときからだった。71xxislrcyl__sl1057_
 個人的には、"Don't Know Much"の大成功がなくてもこのアルバムは売れたと思うのだが、確かにタイミングが良かったのは間違いないだろう。運を味方につけるとは、こういうことを言うのだろうか。

 とにかく、このアルバムは名盤である。サム・クックやボブ・ディランのカバーを含む楽曲自体もよいが、アメリカの公民権運動がテーマになっているせいか、まるでトータル・アルバムのような気がしてならない。また、ブライアン・イーノのゲスト参加やダニエル・ラノアのプロデュースも、このアルバムの評価を高める結果につながったようだ。

 以前にもこのブログで紹介したが、このアルバムは全米アルバム・チャートで半年間以上もランクインしていて、彼らの代表作でもある。

 また、1996年に発表された彼らのベスト・アルバム「ネヴィル・ブラザーズ:ザ・ベスト」には、このアルバムから15曲中5曲、3分の一収められていて、やはり彼らにとってもこのアルバムは、マイルストーン的なものということがわかるだろう。41tbzaed1l

 90年代に入っても、彼らはほぼ2~3年おきにコンスタントにアルバムを発表している。自分はその中でも1992年に発表された「ファミリー・グルーヴ」が気に入っていて、スティーヴ・ミラー・バンドの"Fly Like An Eagle"のファンク的解釈や都会的でお洒落な"One More Day"など、聞きやすくてノリのよい曲が多い。ラップの部分はアーロンの息子ジェイソン・ネヴィルが担当しているようだ。

 また、アーロンのシルキー・ヴォイスが強調されている"I Can See It in Your Eyes"やヴゥードー教のような呪術的雰囲気が味わえる"It Takes More"、気分はまるでジェイムス・ブラウンになれる"Family Groove"など聞きどころ満載だと思っている。

 それでも彼らの現実を見る視点は相変わらず厳しく、"On the Other Side Of Paradise"では、南国風のカリプソのリズムに乗ってストリートの現実から逃れようとする人を表現しているし、"Let My People Go"では、麻薬に染まる子どもたちや争い合う大人たちを前にして、個人の尊厳や自由を訴えている。この辺はアフリカ系アメリカ人しか持ちえない視点ではないだろうか。61cv0ucq5l

 とにかく彼らの音楽はバランスが良い。100%ブラックにはならず、アーロンの声質を活かしたバラードもあるし、単純なラヴ・ソングもあれば、社会問題をテーマにして歌っているものもある。

 これらのバランスの良さは、取りも直さず4人の兄弟の関係性から来ているような気がしてならない。兄弟でしか出せない雰囲気や味わいというものが、アルバムの音楽性に表出していると思っている。Nevillebrothers2004047f17bc08a42485
 21世紀になってからは、長兄アートの体調が思わしくなくて、アルバムも1枚しか発表していない。思えば彼も78歳なので、体力的に厳しいのかもしれない。

 逆に、アーロンの方は75歳になるにもかかわらず、益々元気なようで、1991年のアルバム「ウォーム・ユア・ハート」から2013年の「マイ・トゥルー・ストーリー」まで、合計13枚のソロ・アルバムを出している。最近はオリジナル曲よりもカバー曲中心の内容になっていて、彼の声の美しさが強調できるような編集内容になっている。

 “血は水より濃い”という言葉があるが、やはり他人同士で作る音楽よりも何かが違うのだろう。“以心伝心”ではないけれど、言葉を交わさずとも、お互いに気持ちは理解できるのではないだろうか。

 逆に、一転してお互いに憎しみ合うことになれば、“骨肉相食む”という言葉があるが、それこそ他人以上に深く傷つけていくのだろう。たぶんネヴィル・ブラザーズには、そんなことは訪れないだろうけれど。

 ところで彼らも功成り名を遂げたので、自分たちの遺伝子をたくさん残さなくていいだろう。最近のアメリカでは、アフリカ系アメリカ人やアングロ・サクソン系アメリカ人については核家族化が進み、逆に、エスニック系の移民については今も多産家族が多いような気がするのだが、気のせいだろうか。


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