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2016年7月

2016年7月24日 (日)

90年代のプリンス(2)

 プリンス追悼企画第2弾の今回は、90年代後半の代表的なアルバムを紹介しようと思った。

 前回も書いたように、この時期のプリンスは、所属レコード会社のワーナー・ブラザーズともめていた。畢生の名盤だった「ザ・ゴールド・エクスペリエンス」も確かに売れたが、もっと会社がプッシュしていればさらに売れただろうし、「パープル・レイン」や「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・ディ」と並び称されるほど評価が上がっただろう。

 それでプリンスは、ワーナーとは縁を切るのだが、契約を果たすために1996年に「カオス・アンド・ディスオーダー」を発表した。契約上仕方なく発表したアルバムのせいか、プリンス自身がアルバムのプロモーションを拒否している。51mvz9sfb4l
 しかも内容も、とりあえず作りました的な印象が強く、11曲収められてはいたが、時間的には39分13秒しかなかった。
 ある意味、プリンス流のハード・ロックみたいで、楽曲を通してワーナーにはこれ以上儲けさせてやらないぞというようなプリンスの怒りや復讐が伝わってきそうだった。

 ただ、個人的には全体を通して疾走感があり、1曲目の"Chaos and Disorder"などはジミ・ヘン張りのギターが超カッコよくて、実は気に入っているアルバムなのであった。
 もし、この中からヒット・シングルが生まれていれば、もっと評価も変わっただろうが、先に述べたように、プリンス自身がプロモーションを拒否していたので、結局、商業的には売れなかったのである。

 そして、ワーナーとの関係が終わったプリンスは、満を持して3枚組のアルバムを「イマンシペイション」をEMI(日本では東芝EMI)から発表した。

 このアルバムもまた、天才プリンスを証明するアルバムになったと思っている。3枚組全36曲、1枚ごとのアルバムがちょうど60分の計180分という緻密な計算のもとに作られたアルバムだった。

 1枚目はモータウンやマイケル・ジャクソン風な曲も収められていて、ポップな傾向が強いものだった。冒頭の"Jam of the Year"などはプリンス流のファンキーなR&Bだし、"Get Yo Groove On"はキャッチーでポップな曲に仕上げられている。
 また、プリンス自身がひょっとしたら今まで書かれた中で一番美しいメロディかもしれないとコメントしている"Betcha By Golly Wow !"は、まるでスタイリスティックスのバラード曲のようだ。

 さらにJB風味の効いた"We Gets Up"もあるし、3枚組ではなくバラ売りした方が、購入しやすいし、そっちの方が売れたと思うのだがどうだろうか。

 2枚目はバラードを重視した作りになっていて、そのせいか恋愛に関する歌が多いようだ。1曲目の"Sex in the Summer"から"One Kiss at a Time"、"Soul Sanctuary"と美しい曲が続く。特に"Soul Sanctuary"と"Curious Child"、"The Holy River"は聞くべき曲だと思っている。

 昔からこの人の書くバラードは定評があって、自分のアルバムの中ではもちろんのこと、他の人にあげた、例えばシンニード・オコナーが歌った"Nothing Compares to U"など、素晴らしいバラードは数えきれないほどだ。

 このアルバムでも、1枚目の"I Can't Make U Love Me"、ピアノの弾き語り"Let's Have a Baby"、自分の結婚式の時に披露した"Friend, Lover, Sister, Mother/Wife"など、惜しげもなく収録されている。7118xxeaiml__sl1000_
 3枚目はファンク色、オルタナティヴの濃い傾向の曲で占められていて、プリンス本来の持ち味、時代を切り裂くような、いい意味での実験性や先端性が発揮されている。"New World"、"The Human Body"などがそれを証明していると思う。

 また珍しいことに、マイケル・ジャクソンもジャクソン5時代にカバーした曲"La,La,La Means I Love You"も収められている。もとはデルフォニックスというボーカル・グループが1968年に発表した曲で、プリンスは割と原曲に忠実に歌っていて、この曲だけディスク3の中では浮いているようだ。

 さらには"My Computer"というタイトルとは不釣り合いのようなミディアム・テンポのメロディアスな曲もあるし、"One of Us"などは、レッチリの曲の雰囲気によく似ている。シングル・カットされてもおかしくない曲だと思う。

 よく考えたら、このアルバムは発表されてもう20年もたつのだが、いまだに色あせていない。今のクラブでかけられてもおかしくないような、EDMのような曲もあるし、ストリングスが使用された曲もある。さすが天才プリンス、時代を超越した音作りは流石というものだ。

 おそらく「カオス・アンド・ディスオーダー」も「イマンシペイション」もほぼ同時期に作られたものだろうが、全く音楽的傾向が違う。特にこの「イマンシペイション」の方は、“解放”というアルバム・タイトルが表しているように、やっと自分の思い通りのアルバムが作れるという安心感がそうさせたのだろう。

 しかもアルバム・ジャケットも手錠が外されたかのように、両拳を天に突き上げていた。よほど嬉しかったのだろう。
 実は、プライベートではこの時プリンスは結婚していたのである。プリンス37歳の時、15歳年下のバック・ボーカル兼ダンサーをしていたマイテ・ガルシアと、1996年のバレンタインデーの日に挙式したのだった。

 ただ、10月に生まれた男の子は、遺伝子による先天的な病気で、約1週間後に亡くなってしまった。
 さらには、たびたび流産してしまい、子どもが作れなかったようだ。結局、彼らは1999年に離婚してしまった。いささかゴシップ的になるけれど、マイテの浮気も一因だったと言われているがどうだろうか。相手はモトリー・クルーのトミー・リーとも噂されていたが、もちろんあくまでも噂である。

 だからかどうか分からないが、次のスタジオ・アルバムまで約3年かかった。プリンスの20世紀最後のアルバムは、1999年に発表された「レイヴ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック」だった。4136qsbvm4l
 このアルバムは80年代に回帰したようなサウンドになっていて、曲調も割とポップでラジオ向きでもあった。
 また、チャック・Dやグウェン・ステファニー、シェリル・クロウ、アーニー・ディフランコなどの著名なミュージシャンが参加したことでも有名になった。

 アルバム・チャートでは18位と、以前のプリンスのアルバムに比べれば低調だったが、それでもゴールド・ディスクは獲得している。
 低調だった理由は不明だが、このアルバムのためのツアーを企画しなかったからだと言われている。その代りに、テレビ番組などでは、このアルバムからの曲を披露していたという。

 1曲目の"Rave Un2 The Joy Fantastic"は、1988年時の「ラヴセクシー」の時に作られていた曲を録り直したもの。
 2曲目の"Undisputed"にはチャック・Dのラップがフィーチャーされている。"The Greatest Romance Ever Sold"のボーカルは、すべてプリンスによる多重録音である。いいバラードだが、どこか暗い雰囲気が漂っている。

 3年ぶりのアルバムだったせいか、ラップからポップな曲まで幅広い楽曲で編集されていて、例えば"Tangerine"はアコースティックなバラードで、プリンスにとっては異色な感じがした。

 ただこの曲からはポップでメロディアスな曲が目白押しで、"So Far, So Pleased"はノー・ダウトの女性シンガー、グウェン・ステファニーがデュエットしていて、時間も3分24秒とラジオ向きだった。シングル・カットすれば売れたと思うのだが、なぜかシングル化される前に、キャンセルされたようだ。

 "The Sun, The Moon And The Stars"もストリングス付きの耳に馴染みやすいバラードだし、"Everyday is Winding Road"はこのアルバムにも参加していたシェリル・クロウの持ち歌だった曲。
 "Man'O'War"も美しいバラードで、やはりプリンスの書くバラードは絶妙であるということを再認識させられるような曲だ。こういう曲を聞けば、プリンスの才能が80年代と比べていささかも衰えていないのが分かるだろう。

 シェリル・クロウとの曲"Baby Knows"は、ギターが目立っていて、ファンキーなロックになっているが、一転して"I Love You But I Don't Trust U Anymore"は離婚の痛手を歌っていて、これまた非常に美しくかつ儚いバラードだ。離婚経験がある人なら、涙なくしては聞けないような曲だろう。

 残りの曲"Silly Game"、"Strange But True"、"Wherever U Go, Whatever U Do"もプリンスらしい印象的な曲で、中でも3分少々の"Silly Game"と"Wherever U Go, Whatever U Do"はよく出来ていると思った。
 さすがプリンス、やろうと思えば、たとえ家庭に不幸が起こったとしても、これくらいのアルバムは難なく作れるのである。

 ただ、このアルバムは3年間のリハビリから戻ってきたような感じがしていて、全体的にはポップではあるものの、「ザ・ゴールド・エクスペリエンス」や「イマンシペイション」のような明快さや高揚感は不足していた。だからチャートでは、18位という結果になったのかもしれない。

 プリンスは1982年に「1999」というアルバムを発表していて、世紀末には朝まで踊り明かすんだと歌っていたが、実際の1999年になったら、そういうダンサンブルでファンキーなアルバムを発表するつもりだったのではないだろうか。
 それが予想外の問題が生じて、明るいような暗いようなアルバムになったと勝手に解釈している。

 もし彼の結婚生活が上手くいっていれば、彼の構想通りのアルバムが発表されていたのではないだろうか。そういう意味では、天才児プリンスもとても人間らしいと思えてしまうのである。

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2016年7月17日 (日)

90年代のプリンス(1)

 今年は偉大なミュージシャンが亡くなっていて、ある意味、歴史の転換点のようにも感じている。そしてその中でも、いまだにデヴィッド・ボウイとプリンスの死については信じられないというか、なかなか気持ちの整理ができないでいる。

 それで90年代以降のプリンスのアルバムを聞いていたのだが、その中で1995年のアルバム「ゴールド・エクスペリエンス」の素晴らしさに改めて気がついてしまった。
 このアルバムは、プリンスにとっては17枚目のスタジオ・アルバムで、全米アルバム・チャートでは6位まで上昇し、ゴールド・ディスクを獲得している。51fcxjk28l
 久しぶりにこのアルバムを聞いたのだが、あらためてその素晴らしさを理解した次第である。というか、日本では(日本だけではないと思うけれど)、あまりにもこのアルバムに対する評価が低すぎるのではないだろうか。

 とにかく何かに吹っ切れたかのようにポップなのだ。もちろんそれだけではなく、20年以上前のアルバムなのに今聞いても全く遜色がないほど、猥雑で先進的で革新的でもある。

 何しろ冒頭の曲のタイトルが"Pussy Control"なのだ。PTAが聞いたら卒倒ものではないかと思うのだが、プリンスは自信を持ってラップしている。
 さらに"Endorphinmachine"では、タイトル通りの非常に高揚した明瞭なギター・サウンドを聞かせてくれる。ここまで肯定的なサウンドをプリンスが選んだという点が素晴らしいと思う。

 しかも、このアルバムはトータル・アルバムのようになっていて、ポップでキャッチーな曲の間に"NPG Operator"による短い語りが挿入されていて、それが一種のメッセージにもなっている。
 この語りは英語やスペイン語で話されていて、“Dawn”という場所(状態)に案内し、そこでのGoldなExperienceを味わってもらうように、リスナーを誘導しているのである。

 当時のプリンスは、というか生涯を通じて、アイデアにあふれていて、それを実現させることのできるミュージシャンだったから、このアルバムもこういう構成にして、しかも曲単体でみても、昔のアルバム「パープル・レイン」のように、どこを切ってもメロディアスで印象的なアルバム制作を行った。

 実際に、"Endorphinmachine"だけでなく、まさにポップ・ミュージックの王道のような"The Most Beautiful Girl in the World"や、プリンス殿下、一体どうしたのと問うくらい弾けたメロディーの"Dolphin"、ファンキーなリズムがカッコいい"Now"など、名曲のオンパレードなのである。

 ちなみに、"The Most Beautiful Girl in the World"は全米シングル・チャートで3位、全英では1位に輝いている。この曲は1位を独走してもおかしくないだろう。それほど仕上がりが素晴らしいのだ。

 また、レニー・クラヴィッツが参加した"Billy Jack Bitch"などは、R&Bとロックが見事に融合した佳曲で、リズムはR&B、ギター・ソロはハード・ロック、途中のキーボードがプリンス色溢れるミネアポリス・サウンドというものだった。後半のトロンボーンやサックス、トランペットも効果的である。

 そして、アルバムは美しいバラードの"I Hate U"を迎え、オペレイターの声を挟んだ後、"Gold"で閉めることになるのだが、この2曲もまた素晴らしい。
 前者は、シングル・チャートの12位まで上昇したバラードで、後半部分での短いながらもプリンスによるギター・ソロが非常にエモーショナルで、感動的だった。

 後者の"Gold"もこのアルバムの特長の高揚感や肯定感をよく表していて、この時期のプリンスの精神的な充実ぶりを反映しているかのようだ。アメリカではあまりヒットしなかったが、イギリスでは最高位10位にランクされている。どうもイギリス人は、アメリカ人よりも正確にプリンスを評価している気がしてならない。

 この当時のプリンスは、ワーナー・ブラザーズとうまくいっていなかった。ワーナー側はプリンスを“昔の人”、“時代遅れのヒット・メイカー”としてしか認識していなくて、それなりの待遇しか与えなかったようだ。

 だからこの前後では十分なプロモーションも行われず、プリンスもワーナー側に対して不信感を募らせていった。だから顔に"Slave"(奴隷)と書いてパフォーマンスを行ったり、プリンスという名前を使わずに、"The Artist Formerly Known As Prince"(以前はプリンスとして知られていたアーティスト)とアルバムに記載していたのである。Gty_prince_cf_160421_12x5_1600

 だから、もし80年代のようにレコード会社によるプロモーションがきちんと行われていたなら、このアルバムはもっと売れただろうし、もっと評判が上がったはずだ。ゴールド・ディスクでは終わらずに、ダブル・プラチナ・ディスクくらいはなっていただろう。それがとても悲しいのである。

 それにこの頃のプリンスも非常に活動的で、多作だった。このアルバムは1995年に発表されたものの、実はその前年には完成していて、「ブラック・アルバム」と同時並行して制作されていた。というか、できた曲をアルバムのイメージ合わせて振り分けていたようで、とにかくこの頃のプリンスは、何度目かの有り余る才能の絶頂期を迎えていたのである。

 また、1996年にはワーナー最後の作品となった「カオス・アンド・ディスオーダー」と3枚組の超大作「イマンシエイション」が発表されてもいた。だからプリンスは決して人気が下がったり、才能が枯渇していったわけではなく、80年代と変わらず、いやそれ以上にアグレッシヴに音楽活動に取り組んでいたのだ。

 プリンスについては、かつては“色モノ”という好奇な目で見られていたが、亡くなった時は某国公共放送でも追悼番組が企画されるほど、正当な評価も出されるようになった。
 しかし、それでも自分はまだまだ十分ではないと感じている。世間は亡くなった今となって、やっとその存在の大きさに気がついたのではないだろうか。

 このアルバムを聞きながら、自分はあらためてプリンスの偉大さを噛みしめているであった。

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2016年7月10日 (日)

エコスミス

 「家族で行う音楽ビジネス」シリーズだが、これを成立させるためには、大家族でなければならない、当たり前のことだが。
 しかし、開発途上国ならまだしも、G7などの先進国では核家族化が進んでいて、ジャクソン・ファミリーやオズモンド・ブラザーズのような9人も子どもがいる家庭はほとんど見られなくなった。

 特殊出生率とは、出産可能な女性が一生の間で何人の子どもを産んでいるかを表した平均値だが、2014年現在の日本は1.48だった。
 この日本の数値は徐々に上向きになっているようだが、オーストラリアは1.85、アメリカ1.86、アイルランド1.96、フランス1.99と欧米先進国は、ドイツなどを除いて、押しなべて日本よりは高いようだ。

 ちなみにイラクは4.56、アフガニスタン4.84と、紛争の絶えない地域は出生率も高い。最も高い国はアフリカのニジェールで7.59、次いでソマリアの6.46である。やはり多くの子どもを産むことで、少しでも自分の遺伝子を残していこうという本能のなせる業なのだろう。

 それで21世紀の今では、世界的な少子化の影響で、かつてのような大家族による音楽ビジネスは確かに減少しつつあるとはいうものの、1960年代の半分の規模数でまだまだ続いているようだ。

 アメリカに、エコスミスというバンドがいる。別に無駄な資源を節約している家族ではない。彼らが影響を受けたエコー&ザ・バニーメンとザ・スミスからとられたという説と、音を表す“エコー”と鍛冶屋の“スミス”を重ねて“音職人”という造語を作った説と両方あるのだが、恐らくその両方を重ねているのだろう。Mcechosmithhithasmadebandsmembersth
 このバンドは、2009年にロサンゼルスで4人の兄妹によって結成された。バンドの構成は次の通りである。
長男 ジェイミー・シエロタ(ギター)
次男 ノア・シエロタ(ベース・ギター)
長女 シドニー・シエロタ(ボーカル&キーボード)
三男 グレアム・シエロタ(ドラムス)

 結成当時の年齢は、長男が14歳、次男が11歳、長女10歳、三男8歳だった。8歳でドラムが正確に叩けるのかどうかわからないが、これはもう最初からバンドを組むぞという意思が感じられるものだ。

 話によると、父親が音楽プロデューサーで、子どもたちも幼い頃から音楽に慣れ親しんでいたらしい。だからといってバンドを組むまでには、かなり両親のバックアップというか、強制力が働いたと思うのだが、どうだろうか。

 当初彼らは"Ready Set Go"と名乗っていて、コールドプレイやアデル、マンフォード&サンズなどのカバー曲を演奏していた。
 そのうち自分たちのオリジナル曲を作り始め、インターネットの映像サイトなどでフリー・ダウンロードとしてアップするうちに、徐々に口コミで人気が出たようだ。

 そうこうするうちに、2012年のデビュー・シングル"Tonight We're Making History"がアメリカ3大ネットワークのNBCのロンドン・オリンピックのテーマ曲に採用されて、一気に彼らの名前が全米中に知れ渡っていったのである。

 バンド・マネージャーは、父親のジェレミーが担当していて、その伝手でデビュー・アルバムはエミネムやマルーン5を担当したマイク・エリゾンドという人がプロデュースした。
 そのアルバム「トーキング・ドリームス」は、2013年に発表された。曲のいくつかはすでにネット上で発表されていたもので、そのせいかアルバムも好評、ビルボードのアルバム・チャートでは38位まで上昇している。71kj905280l__sl1251_

 アルバム全体の印象は、浮遊感溢れるポップ・ミュージック調で、非常に聞きやすく、まさに21世紀のポップ・ミュージックといった感じだ。

 詞や曲は兄妹全員で担当していて、特に誰かが中心になって行っているような感じではない。
 特にアルバム冒頭の3曲"Come Together"、"Let's Love"、"Cool Kids"は聞きものだろう。曲の緩急の付け方が上手く、またアレンジも曲が単調になるのを防いでいる。

 例えて言うなら、ストロベリースウィッチ・ブレイドの曲を21世紀に甦らせたかのようだ。ポップでキュートで、どことなくアンニュイな感じが漂っている。

 元々彼らは、バンド名の由来のところでも見てきたように1980年代の曲が大好きで、その当時のバンド、U2、フリートウッド・マック、ニュー・オーダー、ジョイ・ディヴィジョンなどが彼らのフェイヴァレット・バンドだった。81gi4rni2cl__sl1254_
 だから彼らの作った曲には、そういう影響や雰囲気が漂っているのだろう。ちなみにシングル化された"Cool Kids"は13位、"Bright"は40位まで上昇している。個人的には"Come Together"もシングル・カットされれば、もっと上昇したのではないかと思っている。ミドル・テンポながらも、なかなかの名曲だと思う。

 それにリード・ボーカルのシドニーは、この当時はまだ高校生だったが、とても高校生とは思えないほど歌が上手であり、また表現力も備えている。"Talking Dreams"のようなアップテンポの曲ではシャウトしているし、アコースティックな"Bright"では切々と訴えかけるように歌っている。しかも美人とくれば、これはもう人気が出るしかないだろう。

 個人的には、もう少しゆったりとした曲やカントリー系の曲もあれば、バラエティ豊かになって、彼らの表現の幅が広がったのではないかと思っているが、そこはやはり若者らしくエネルギッシュさの方が溢れ出てしまったのだろう。

 それでも10代でこんな素晴らしいアルバムを発表できるあたりが、彼らの才能の素晴らしさを表しているようだ。

 ただ“好事魔多し”の言葉ではないが、長いツアーとバンド活動のせいか、次男のノアが肺病にかかり、現在療養中とのこと。回復には向かっているようだ。
 また、長男のジェイミーは2015年の8月にバンドから離脱している。本人によれば、結婚して子どもができたせいか、とりあえずゆっくりしたいということらしい。しばらくすれば、またバンドに戻ってくるだろう。

 というわけで、今は活動休止中のようだが、そんなに遠くないうちにセカンド・アルバムも発表されるだろう。彼らの音楽を特徴づけるカリフォルニアの青い空のようなサウンドと、明るい未来を夢見るドリーミィーな歌詞で世界中のファンを魅了してくれるに違いない。Mgid_uma_video_mtv

 約2カ月にわたって綴ってきた「家族による音楽ビジネス」シリーズも、今回で終了する。ジャクソン5からエコスミスまで、主にアメリカとアイルランドの家族バンドを見てきたが、いずれも歴史に名前が残るようなバンドやグループだった。

 これからも同じようなファミリーが出てくるだろうが、出てくるとしたら中近東やアフリカ系の人たちかも知れない。ただ政情不安だから大家族になるという意味ではなくて、大家族になっても安全に暮らしていけるような国に一刻も早くなってもらいたいと願っている。

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2016年7月 3日 (日)

ザ・コアーズ

 さて、今回も「家族で行う音楽ビジネスシリーズ」のアイルランド編である。前回でも見てきたように、アイルランドも歴史的に見て困難な道のりを歩んできたようで、そういう地域には特色のある文化が生まれてくるようだ。

 音楽的観点からいうと、アイリッシュ・ミュージック、アメリカ南部のデルタ・ブルーズやケイジャン・ミュージック、日本の沖縄民謡など、差別や抑圧、生活環境の厳しさなどは、そういう文化や音楽を生み出すのだろう。

 前回のノーランズは1970年代後半から80年代が主な活動時期だったが、今回は時代は下がって20世紀から21世紀にかけて活躍した4人の兄妹登場する。4人とも楽器の演奏ができて、作詞・作曲も行うという点では、ノーランズとは全くの正反対だった。
 唯一、共通する点は、自分たちの名字をバンド名に使っていたということと、メンバー全員が歌えるという点だろうか。

 このザ・コアーズは、コアーズ4兄妹によって1991年に結成された。場所はアイルランドのダンダルク(ダンドーク)といところで、北アイルランドとの国境に近い人口4万人足らずの地方都市だった。

 コアーズ4兄妹は、次の4人で構成されていた。
長兄 ジム・コアーズ       (キーボード&ギター)
長女 シャロン・コアーズ       (バイオリン)
次女 キャロライン・コアーズ (ドラムス&ピアノ)
三女 アンドレア・コアーズ  (リード・ボーカル)

 両親がミュージシャンだったせいか、幼い頃から音楽に親しんでいたようだが、先にジムとシャロンが叔母の経営するパブなどでそれぞれソロ活動を始めた。
 やがて次女と三女も加わり、ザ・コアーズとして動き始めたのだが、1991年の「ザ・コミットメント」という映画のオーディションが切っ掛けでデビューした。Corrs20the20rockbook204
 彼らのデモ・テープは、アメリカ人の有名プロデューサー兼ミュージシャンだったデヴィッド・フォスターの手に渡り、彼に認められてデビュー・アルバム「遥かなる想い」が1995年に発表された。

 もちろんこのアルバムは、長兄ジムとデヴィッド・フォスターの手によってプロデュースされたものだが、デヴィッドの彼らに対するサポートはそれだけでは終わらず、セリーヌ・ディオンのアルバムをプロデュースしていた縁で彼女のワールド・ツアーのオープニング・アクトに起用されるように取り計らっている。

 そのせいか、デビュー・アルバムは全世界で450万枚以上の売り上げを記録し、翌年には来日公演も行われた。

 音楽面もさることながら、写真を見ても分かるように美男美女の4兄妹だったせいで、ファッション雑誌の表紙を飾ったこともあった。また、三女のアンドレアはマドンナ主演のミュージカル映画「エビータ」にも出演している。

 デビュー・アルバムから2年後の1997年にはセカンド・アルバム「トーク・オン・コナーズ」が発表されたが、今度はデヴィッドだけでなく、グレン・バラードなどの有名プロデューサーも参加して制作された。

 彼らの音楽的特徴は、アイルランド出身なのにアイリッシュの雰囲気が幾分抑えられている点だろう。
 長兄のジムは“アイルランド色を全面に出すよりも上質なポップ・ソング作りを目指している。そしてその中で、アイルランドの音楽的要素が見え隠れするくらいの方がいいと思っている”と述べていたが、確かにその通りで、彼らの楽曲には、ケルト的なフレーズやジグ・ダンスのようなリズミックな要素は見いだせない。E352a9ee
 90年代後半は、まさに彼らの最盛期だったようで、先ほどのセカンド・アルバムが870万枚以上の売り上げを記録し、アイルランドのみならず、イギリス、シンガポール、マレーシア、ニュージーランドでトップになったし、MTVの影響で世界的にアコースティック・ブームが流行った時には「アンプラグド」アルバムが、ベルギーやオーストリアでもチャートの首位を獲得している。

 さらには2000年に発表された「イン・ブルー」は、ヨーロッパ諸国はもとより東南アジアや南アフリカなど、世界18ヶ国で1位を記録し、700万枚以上の売り上げを記録した。いかに彼らの音楽が世界的、普遍的かが分かると思う。それだけ世界中の人たちの気持ちをつかみ、感情を揺さぶる音楽を奏でていたのだろう。

 楽曲の詞についてはアンドレアとシャロンが中心となって書いていて、曲作りは全員で行っているようだ。それにしてはよく出来たポップ・ソング集だと思う。

 自分は彼らのベスト盤を持っているが、アップテンポでノリのよい曲もあれば、静かなバラードも収められていて、まさに現代のイージー・リスニングといった感じで耳に馴染みやすいのだ。

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 確かにジムの言う通りで、ベスト盤を聞いてもアイルランド風味は感じられない。せいぜいシャロンの演奏するバイオリンがアイリッシュな哀愁をかき立てるくらいだろう。
 興味深いのは、フリートウッド・マックの1977年の大ヒット曲"Dreams"のカバーが収められていることだ。

 この曲がヒットしていた時、ジムは13歳、アンドレアはまだ3歳だった。ジムやシャロンは子どもの頃に聞いたことがあったかもしれないが、アンドレアは恐らくそうではなかっただろう。このことからも彼らのお好みの音楽がどこにあるかが分かると思う。
 ベスト盤では、オリジナルよりもテンポが速くなっていて、バイオリンが全体をリードするかのように覆っている。

 それに、ザ・コアーズの4人全員が歌えるという点も心強い。アイルランドの音楽では、楽器演奏と同等の比重をボーカル(歌うこと)も担っているような気がしてならない。だからヴァン・モリソンやエンヤのような人が出てくるのだろう。

 その後彼らは、2枚のアルバムを発表しながらも、母親の死、メンバーの結婚や出産を迎えて、徐々に活動の機会が減っていき、2005年に一旦解散している。Corrs_p
 しかし、昨年の2015年には6枚目のスタジオ・アルバム「ホワイト・ライト」を発表して、音楽シーンの第一線に戻ってきた。全盛期のようなチャート・アクションは見られなかったが、イギリスではゴールド・ディスクに認定されている。

 また、本年には久々のヨーロッパ・ツアーが予定されているが、きっとあっという間にチケットがソールド・アウトになるに違いない。

 というわけで、ジャクソン5から始まったこのシリーズも、次回で終わりを迎えることになった。1950年代から2010年代まで、多産家族による音楽ビジネスは続いてきたのだが、21世紀の現在では、さすがに7人も8人もいる一流の音楽一家はいなくなったようだ。これも世の中の経済状況と関係しているのかもしれない。

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