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2016年8月

2016年8月29日 (月)

アウトローズ

 お盆を過ぎて、朝夕は少しは涼しく感じられるのではないかと思っていたが、そんなことは全くなくて、残暑はまだまだ続いていて暑い。そんな今頃の時期にふさわしいアルバムを紹介したいと思う。

 それがアメリカのバンドのアウトローズである。といっても70年代のバンドなので、今の若い人たちは知らないだろうけれど。4
 このバンドがなんで今どきの時期にふさわしいかというと、このバンドの特長を考えればわかると思う。

 アウトローズは、基本的にサザン・ロックのジャンルに属するバンドだった。サザン・ロックといえば、“スカイ・ドッグ”こと天才ギタリストのデュアン・オールマンがいたオールマン・ブラザーズ・バンドや悲劇のバンド、レーナード・スキナード、80年代ではスティーヴィー・レイ・ヴォーンやZZトップ、最近では解散したけどブラック・クロウズや、21世紀ではデレク・トラックス・バンドなどが有名だろう。

 サザン・ロックは、基本的にカントリー・ロックがハード・ロックに変質したような音楽で、ギターが中心のバンドが多かった。だいたい有名なバンドには優れたギタリストがいたような気がする。

 それで話をアウトローズに戻すと、このバンドはサザン・ロック・バンドでありながら、熱っぽいハードな部分と西海岸のウエスト・コースト・ロックのような爽やかなハーモニーを活かした音楽をやっていた。だから付いたキャッチフレーズが“南部のイーグルス”だった。

 もともと彼らは、1967年頃にフロリダ州タンパで、ギタリストのヒューイ・トマソンを中心に活動していた。数回のメンバー・チェンジを経て、1973年に5人組のバンドとして本格的に始動している。

 当初はスペイン語で“無法者”と名乗っていたのだが、レーナード・スキナードのボーカリストだったロニー・ヴァン・ザンドのアドヴァイスに従って、英語名に変えている。
 また、5人のうちヒューイ、ビリー・ジョーンズ、ヘンリー・ポールの3人がギタリストで、いわゆる“トリプル・ギター”が売り物だった。

 面白いのはサザン・ロックのバンドながら、ギタリストのビリーはミシガン州、ヘンリーはニューヨーク出身ということで、メインのギタリストの3人のうち2人が北部出身だったことだ。また、地元のフロリダ出身は、ドラマーのモンテ・ヨーホーただひとりだった。
 そういう意味では、従来のサザン・ロックに固執することなく、幅広い音楽性を最初から身につけていたのかもしれない。

 最初は、フロリダやジョージア州のクラブやライヴ会場を中心に活動をしていたが、やがて人気が出て、レーナード・スキナードやマーシャル・タッカー・バンドのオープニング・アクトを務めるようになった。

 1974年に元コロンビア・レコードの社長だったクライヴ・ディヴィスが彼らのステージを見て、自分が設立したアリスタ・レコードと契約をした。その際、先ほどのロニー・ヴァン・ザンドがクライヴ・ディヴィスに向かって“アウトローズと契約しないとは、俺が会った中では最低の音楽関係者だな”と言ったという逸話が残されている。

 当時のアリスタ・レコードには、バリー・マニロウやメリサ・マンチェスターなどのシンガーが在籍していて、ロック・バンドとは初めての契約だった。
 この後アリスタは、カプリコーン・レーベルに代って、ディッキー・ベッツ&グレイト・サザン、ポイント・ブランク、シー・レヴェル、ディキシー・ドレッグス等と契約をするようになるのだが、その礎をつくったのがアウトローズというわけだ。

 こうして彼らは、1975年にデビュー・アルバム「戦慄のアウトローズ」を発表した。このアルバムは全米アルバム・チャートの13位を記録し、その勢いをかってローリング・ストーンズの全米ツアーのオープニング・アクトも担当した。

 自分が初めて聞いた彼らのアルバムは、1976年に発表されたセカンド・アルバム「淑女と無法者」だった。3
 このアルバムを聞いて驚いたのは、1曲目の"Breaker-Breaker"がいきなり三声のハーモニーから始まったことだ。確かにこれは、まさに初期のイーグルスだった。曲調もポップだったし、時間も3分にも満たなかった。

 次の"South Carolina"はカントリー・ロックだし、3曲目の"Ain't So Bad"も耳に優しいソフトな楽曲だった。
 サザン・ロックといえば、“血湧き、肉躍る”ような汗の滴り落ちる粘っこい音楽性だと思っていた自分は、こういう音楽を聞きたいのなら本家のイーグルスやポコ、バーズを聞いた方がいいと思って、すぐに彼らのことを忘れていった。

 それに彼らの持ち味はトリプル・ギターにあるのに、レコードからではそれがまったく伝わってこなかった。強いて言えば、最後の曲"Stick Around for Rock&Roll"が6分39秒もあり、爽やかなハーモニーと切れ味のよいギターが程よくブレンドされていてよいと思った。これならまさにサザン・ロック・バンドと言われてもおかしくないだろう。

 それから40年以上たって、彼らのアルバムが再発されたという話を聞いた。本来ならそのままスルーするのだが、1枚1300円+消費税ということで、安いものには目がない自分は、衝動的に購入してしまった。それが3枚目のスタジオ・アルバム「ハリー・サンダウン」だった。1
 このアルバムのプロデューサーは、イーグルスも手掛けたビル・シムジクで、その効果からか前作よりもロック寄りで、自分はこういうサザン・ロックを聞きたかったんだと思うほど、なかなかの力作だった。こういう音楽を若いときに聞いていれば、もう少し彼らのことを追っかけていただろう。ちょっと悔しかった。

 "Gunsmoke"、"Hearin' My Heart Talkin'"とギター中心の疾走感のある曲が続く。ドライヴのお供にピッタリの曲だ。続いてカントリー・タッチの"So Afraid"、イントロがウィッシュボーン・アッシュの曲に近い"Holiday"と味のある曲が続いている。

 このアルバムはギターがメインになっているので、彼らの持ち味がよく発揮されている。またハードなギターと爽やかなハーモニーのバランスが良くて、この辺もプロデューサーのビルの手腕が発揮されていると思った。

 アルバム・タイトルの"Hurry Sundown"はメロディが良くて、シングル曲にしてもおかしくないと思う。また、途中のギター・ソロやエンディングのソロもいかしている。こういう曲が他にもあれば、もっとこのアルバムは話題になっただろう。

 バラード曲の"Night Wines"にはペダル・スティール・ギターも使用されていて、なかなか味わいがある。"Heavenly Blues"はウエスト・コースト風の曲だし、"Man of The Hour"はレイド・バックしたミディアム調の曲だ。最初はゆったりとしているが、キーボード(シンセサイザー)も加わり徐々にテンポが上がってくる。よくアレンジされていると思った。

 アルバム・チャート的には全米51位とあまりふるわなかったが、彼らはこのアルバムに手ごたえを感じたのだろう。あるいは自分たちの本来の姿はスタジオ盤ではなくライヴ活動だと思ったのか、1977年に行われたライヴ演奏をまとめたアルバムを翌年の1978年に発表した。

 邦題では「嵐のワイルド・ライヴ」と名付けられたこのアルバムは、ライヴ盤ならではの臨場感がよく表れていて、確かに彼らはライヴ・バンドということがよくわかるのだった。2
 理由のひとつは、デヴィッド・ディックスというドラマーが加わったからだろうか。つまり彼らはトリプル・ギターにツイン・ドラムスの6人編成になった。その迫力がこのライヴ盤に丸ごと収められている。

 そのせいか、このアルバムは2枚組だったにもかかわらず、全米チャートで29位まで上昇している。やはり彼らはサザン・ロック・バンドだったのだ。その証明をしたのがこのライヴ・アルバムだったのかもしれない。

 このライヴを行っているときに、彼らの恩人ともいえるレーナード・スキナードが乗っていた飛行機が墜落してコーラス・メンバーを含む3名が亡くなった。その中にはクライヴ・ディヴィスに契約を勧めたあのロニーも含まれたいた。彼らもツアー中だったのだ。

 アウトローズのライヴ・アルバムのラスト曲に"Green Grass and High Tides"という20分58秒の曲が置かれているが、これはそのレナード・スキナードに捧げられたものだった。

 オールマンの曲でいえば、"Mountain Jam"か"Whipping Post"、レーナードの曲でいえば、"Free Bird"に当たるようなもので、彼ら6人が一丸となって演奏している様子が伝わってきた。こんな素晴らしい曲を演奏できるのであれば、もうウエスト・コースト風の曲などいらないと思ったのだが、どうだろうか。

 彼らはその後もメンバー・チェンジを繰り返しながら、今も活動を続けているようだ。ただ、ビリー・ジョーンズとベーシストのフランク・オキーフは1995年に亡くなっているし、中心メンバーだったギタリストのヒューイ・トマソンは、2007年に55歳の若さで心臓発作のために亡くなっている。

 バンドは元メンバーのヘンリー・ポールとモンテ・ヨーホーが中心となって運営されていて、2012年には新作スタジオ・アルバムを、2015年には「ライヴ・イン・ロサンゼルス1976」というライヴ・アルバムを発表している。

 いずれにしても70年代のスタジオ・アルバムでは、暑さと爽やかさを味わえるし、ライヴ盤では熱気を感じることができる。サザン・ロックの中ではやや異質な傾向性を有していたかもしれないが、その本来の姿はやはり伝統的なサザン・ロック・バンドのようだ。個人的には、今どきの季節にピッタリだと思っているのである。

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2016年8月22日 (月)

ザ・ブラックベリー・トレイン

 「ザ・ブラックベリー・トレイン」とは、ジェイムズ・マッカートニーによる2枚目のスタジオ・アルバムである。
 ところで、ジェイムズ・マッカートニーのことはご存じだろうか?写真で見る限りでは、何となくスティーヴン・スティルスに見えてくるのだが、それは間違いなく錯覚である。Imagescdcu2zv3
 このロック・ミュージック界の中で、“マッカートニー”といえば誰もがあの人のことを思い出すのではないだろうか。そう、世界で最も有名な4人組バンドの中の一人のあのミュージシャンのことである。

 ジェイムズの方は、1977年に生まれた。ちょうどウィングスのワールド・ツアーが終了した後のことで、父親はニュー・アルバムを制作中だった。マッカートニー一家にとっては、唯一の男の子の誕生になった。188
 自分の記憶では、1975年から76年にかけてのワールド・ツアー終了後に生まれたように記憶していたのだが、そうなると大きなお腹を抱えてライヴ活動を続けていたことになるので、やはりそれはどう考えてもおかしなことに違いない。当時のライヴ映像を見ても、妻のリンダの方はスレンダーで、とてもお腹の中に子どもがいるとは思えない。つまりは自分の記憶違いだった。

 そんなことはどうでもいいのだが、ジェイムズの方は、やはり環境が環境なだけに、子どもの頃から音楽に慣れ親しんできたようだ。父親と同じように、ギターやピアノ、ベース、マンドリン、バンジョー、ドラムと一通り器用に扱える。

 実際、父親のアルバム「フレイミング・パイ」でギターを弾いたり、「ドライヴィング・レイン」では父親と曲作りもしていた。また、父親のライヴではバックで演奏するなど、ツアーにも同行していた。

 ジェイムズは、ソロ活動するにあたって、当初はジェイムズ・ライトと名乗っていた。父親の名前を借りるのではなくて、自分自身の力でキャリアを積んで行こうと決意していたのだろう。

 そんな彼の最初のアルバムは、2010年に発表された「アヴェイラブル・ライト」で、ジェイムズ33歳の時だった。

 遅咲きのデビューだが、アルバムも最初は通信販売だった。のちに他の曲と合わせてCD化されたが、まだ音楽的な修業段階だと思っていたのだろう。
 2013年になって、初の本格的なアルバム「ミー」を発表した。本人の気持ちはどうか分からないが、父親も数曲でギターなどを演奏していた。

 そんなジェイムズが今年2枚目のアルバムを発表した。それが「ザ・ブラックベリー・トレイン」である。全11曲で、父親っぽいメロディアスな曲からグランジ系のダークでちょっとざらついた曲まで、幅広い楽曲で埋められている。61isflgplpl
 一番の話題は1曲目の"Too Hard"だろう。アルバム冒頭の曲に相応しく軽快なポップ・ソングだが、バックでギターとコーラスをつけているのは、ダニー・ハリソン、そう世界で最も有名な4人組のバンドの中で一番若かったあの人の息子だ。

 つまり2世同士の共演ということで、ひょっとしたら4人のそれぞれの息子が意気投合してバンドを結成するかもしれないという憶測を生む原因にもなった曲だった。

 ジェイムズ自身は乗り気のようだが、たぶん実現はしないだろうし、実現しても長続きはしないだろう。少なくとも自分は見たくない気がする。Img_0

 さて話をアルバムに戻すと、疾走感のあるロック・ナンバー"Unicorn"、母親との思い出を歌に込めたミディアム調の"Waterfall"と冒頭の3曲はまずまずの出来で、マッカートニーのDNAの片鱗が伺えるようだ。

 問題はここからで、4曲目の"Paralysis"、5曲目"Ballerina"とグランジ系の曲が続く。これはジェイムズがカート・コバーンのファンでニルヴァーナに影響を受けていたからだろう。
 しかもプロデューサーがニルヴァーナを手掛けたスティーヴ・アルビニとくれば、こういう曲が含まれていてもおかしくはない。

 しかし、こういう大物プロデューサーを引っ張ってこれるあたりに、父親の権力の行使を感じさせてくれる。そんなことが2世ミュージシャンの悲劇なのかもしれない。痛くもない腹を探られ、結局、何をやっても父親の影響力を感じさせてしまうのだ。

 ニール・ヤングっぽい爆音ギターを聞くことができる"Peyote Coyote"もメロディはわかりやすいが、無理してグランジ色に染めている感じがした。

 後半に移って、タイトルとは程遠くてサビの部分だけは美しいバラード曲"Fantasy"、不思議の国のアリスからモチーフを取った"Alice"と、やはりこのあたりも重たい曲が続く。
 このアルバムを聞いてスカッと明るい気分になりたい人は、あるいはマッカートニーの遺伝子を感じ取りたい人は、4曲目から8曲目を飛ばして聞いた方がいいだろう。

 9曲目の"Ring A Ring O' Roses"は、アコースティック・ギターがメインの軽い曲で、彼の父親の"I've Just Seen A Face"や"For No One"を聞いたような気分にさせてくれる。まさに父親譲りの曲だと思った。この曲では、声質も父親によく似ていると思う。

 次の曲"Prayer"もなかなかの佳曲で、バックのエレクトリック・ピアノがいい味を出している。こういうバラード曲をもっと聞きたいと思った。

 ラストの"Peace And Stillness"は、タイトル通りの静謐で穏やかな曲で、本人はこういうスローな曲の方が得意なのではないだろうかと思ってしまった。

 これはあくまでも個人的な独断と偏見で綴っているのだけれど、本人が本当にやりたい音楽は、こういうスローな曲や、このアルバムの中の4曲目から8曲目のような曲ではないだろうか。だからスティーヴ・アルビニにお願いしたのだろう、プロデュースを。

 ということは、周囲から求められているような、あるいは色眼鏡で見られるような、ポップな曲、このアルバム冒頭3曲、9曲目や10曲目のような曲は、本当は遠慮できるものなら遠慮したいと思っているような気がしてならないのだ。

 要するに、自分の求めている音楽はロック系、グランジ系なのだが、どうしても周囲の(声にならない)期待に応えてしまうために、また商業的な成功を求めるためにも父親系の楽曲を配置してしまうのだろう。

 だから、アルバム全体を聞くと中途半端な印象しか残らないのだ。ここは思い切って自分のやりたい曲で占めたアルバムと、周囲の期待に応えた曲用のアルバムとを交互に発表すればいいのではないだろうか。そうすれば父親との違いがはっきりして、本人の独自性が際立つと思ったのだが、どうだろうか。

 アルバム自体としては、鑑賞には耐えうるものなのだが、やはり背負っているものが大きすぎるようで、期待し過ぎてしまうと、金返せと言ってしまいそうなアルバムでもある。今回、国内盤が出たものの、最近出た父親のベスト盤よりは売れないような気がする。

 38歳にして、やっといちミュージシャンとしてスタートラインに立ったようなものだ。周囲の人はあくまでもジェイムズ・マッカートニーとして見守ってやらないといけないのだろうが、どうしても父親の陰がチラつくのである。Paulmccartneyjamesmccartney628092
 2世ミュージシャンとして、逆に大きなハンディ・キャップを持っている気がしてならない。それでも本人が選んだ道である。今後の活躍を期待したいと思っているのである。

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2016年8月15日 (月)

21世紀のプリンス(3)

 2007年に「プラネット・アース」が発表されたあと、日本のプリンス・ファンは、2014年の「アート・オフィシャル・エイジ」までの7年間、日本での公式アルバムについては待たされることになった。

 だから、日本ではプリンスの動向がよく伝わらずに、様々な憶測が流されていたが、実際は、様々なフェスティバルに参加したり、意欲的にアルバムを発表したりしていたのである。

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 特に、2009年には再び3枚組のアルバムを発表し、話題になった。「ロータスフロー」と名付けられたこのセットは、3枚のうち2枚はプリンスの作品、残り1枚はプリンスが見出した新人女性シンガー、ブリア・ヴァレンティのアルバムだった。
 このアルバムは、3枚組にもかかわらずビルボードのアルバム・チャートでは初登場2位を記録している。

 また、2010年にはイギリスのデイリー・ミラーやベルギーの新聞、ドイツ版の雑誌「ローリング・ストーン」の付録として、無料でCD「20テン」を発表した。タイトルは西暦に因んだもので、内容はプリンス流のファンクやロック・ミュージックだった。
 そして2010年以降では、様々なツアーやフェスティバルに参加したり、未発表曲の再録音などをiTunesを通して発表したりしている。

 だから、日本では彼の動向がなかなか伝わらずにやきもきさせられたのだが、実際はワーカホリック・ミュージシャンの一人のプリンスのことだから、自宅にいるときは曲を書き、録音し、外に出ればライヴ活動に励んでいたのである。

 ただ、インターネット上の違法行為(いわゆる海賊盤の横行)には憤っていて、著作権が保護されない限り、新たなアルバムは発表しないと宣言していた。
 
 そんなプリンスが、2014年には何と喧嘩別れしていたワーナー・ブラザーズと契約を結んだことで、多くのファンや関係者を驚かせた。やはり自分の作品を世界中の人に知ってもらうためには、メジャーなレコード会社との関係は必要不可欠だと感じたのだろうか。

 そして発表されたアルバムが、サード・アイ・ガール名義の「プレクトラム・エレクトラム」と、自身のアルバム「アート・オフィシャル・エイジ」だった。61mcp6qm4l
 自分は貧乏なので、「アート・オフィシャル・エイジ」の輸入盤しか購入できなかったのだが、「プラネット・アース」よりはファンク/ソウル色が強くて、プリンス本来の持つ粘っこさや力強さがよく発揮されていると思った。

 特に印象的だったのは、"Art Official Age"、"Breakdown"、"This Could Be Us"などであろうか。"Art Official Age"ではイントロの緊張感が聞く側に伝わってきて、ワクワクさせてくれるし、バラードの"Breakdown"、"This Could Be Us"などは聞くたびにウットリさせてくれる。何度も言うが、この人の書くバラード曲はどの曲もすばらしいと思う。何か秘訣でもあるのだろうか。

 また、後半の"Way Back Home"、"Funknroll"、"Time"の展開も見事である。バラードからノリのよいリズム曲、そして最後を締めるエンディング曲という配列もよく練られていると思った。

 ただ、個人的には物足りなさも覚えた。天才プリンスにしては、平均点よりもやや上程度の作品だったのではないだろうか。曲によって出来の差が見られるし、80年代の作品よりはやや劣っているような気がしてならなかった。

 これくらいの曲ならプリンスにしてみれば、それほど苦も無く出来上がるだろう。ファンとしては、せめて「ザ・ゴールド・エクスペリエンス」や「ミュージコロジー」、「プラネット・アース」並みの作品を期待していたのだが、何かが足りなかったようだ。
 それでもチャート的には、全米5位、全英8位と健闘した。日本では久々の国内盤だったせいか、よく売れていたようだ。

 翌年には、「ヒット&ラン・フェーズ・ワン」と「ヒット&ラン・フェーズ・ツー」の2枚のアルバムを立て続けに発表した。この2枚は、いずれも2013年あたりから書き溜めていたものやそれ以前の未発表曲、既発の曲の再録などを収めたものだが、さすがプリンス、それなりの統一感がきちんと表れていた。61evg3d6zsl__sl1181_
 前者の「フェーズ・ワン」の方はどちらかといえば、ファンク/ソウル色が強くて、「フェーズ・ツー」の方は、ロック/ポップ色が強い。
 「フェーズ・ワン」では、「アート・オフィシャル・エイジ」にも収められていた"This Could B Us"やプリンス流エレクトリック・ダンス・ミュージックともいえる"Fallinlove2nite"やブルーズ・ファンク・ミュージックの"Hardrocklover"などが印象的だった。

 また後半になるにつれて、ダンス・ミュージックの要素も濃くなり、まさにプリンスの本領発揮といった感があった。

 一方で「フェーズ・ツー」では、ポップでおとなしめな曲"Baltimore"から始まる。この曲は2015年の4月にボルチモアで警官から拷問を受け死亡した黒人青年フレディ・グレイのことを歌ったもので、メロディは明るいものの内容はダークだった。

 プリンスは争いを止め、平和に過ごそうと呼び掛けているが、現実にはつい最近も黒人が一方的に白人警官から射殺されるという痛ましい事件が起こったばかりだ。このままいけば、第二の南北戦争が起きるのではないだろうか。

 「フェーズ・ツー」では、"Rocknroll Loveaffair"、"2Y.2D."、"Look at Me, Look at U"とわかりやすくポップな曲が続く。61supj6uudl__sl1200_
 5曲目の"Stare"あたりから黒っぽくなっていくのだが、"Xtraloveable"は1982年に当時プリンス・ファミリーの一員だったヴァニティー6のために用意されたもので、当時は使用されずにお蔵入りになっていた。今回はそれを再録したものである。

 "Groovy Potential"、"Screwdriver"は2013年の作品。後者の"Screwdriver"なんかはシングル・ヒットが狙えそうな曲。ちょうど"Around the World in A Day"の頃の曲に似ていて、軽い感じが逆に猥雑な感じを与えてくれる。

 このアルバムでも"When She Comes"、"Revelation"などのバラードが素晴らしいが、前者は2011年頃に、後者は2014年に発表されたものだった。
 「フェーズ・ワン」も「フェーズ・ツー」も古くは80年代から、新しいところでは2015年当時の新曲まで収められているが、「フェーズ・ワン」はファンク色が、「フェーズ・ツー」ではポップな色合いが濃い。そんな統一感があったので、だから聞いていて違和感は無かった。

 この「ヒット&ラン」シリーズは、もとはインターネットの定額スクリーミング・サービスで配信されていたのだが、特に「フェーズ・ツー」の方は、地元ミネアポリスでのライヴ会場とそのミネアポリスのダウンタウンにあるCDショップ「The Electric」でのみCDとして販売されるようになった。13ドル99セントだったらしい。

 これは地元愛に溢れるプリンスが、地元の店を支援しようとして考えたプランだったが、逆に世界中のファンが海賊版に悩まされるという事態が起きたため、結局、CD化されたという事情があった。

 ただ、もしプリンスがこの「ヒット&ラン・フェーズ・ツー」が最後のアルバムになると知っていたら、果たしてこのようなアルバムになったかどうか。もしかしたら、というか全曲オリジナルで固めるのではないだろうか。

 プリンスと同じく、今年亡くなったデヴィッド・ボウイの場合は、これが最後のアルバムになることを知っていて制作したものだった。
 しかし、プリンスの場合は全くこれとは逆で、最後になるとは夢にも思っていなかったはずだ。

 ただ、この「ヒット&ラン」シリーズを通して、今までの未発表曲や再録音をまとめようとは思っていただろう。その上で、さらに新しい局面へと進んで行ったに違いない。
 例えば、「ヒット&ラン」シリーズの発表を通して過去の自分の作品と向き合いながら、新作も発表していっただろう。

 また、プリンスは「パープル・レイン」や「バットマン」のように、映画のサウンドトラックと相性が良かったから、サントラ盤も発表していたかもしれない。ただ残念ながら、我々はもうそこには行き着くことは無いのだ。

 ジミ・ヘンドリックスの場合は、エディ・クレイマーという優秀なエンジニアと一緒に仕事をしていたから、ジミの死後も、エディがジミの真意を探り、彼の意図を鑑みて、彼の意思が反映されたアルバムを、次々とニュー・アルバムとして発表することができた。

 プリンスも未発表曲が数百曲と残されているらしいが、残念ながら彼は演奏からアレンジ、プロデュースをひとりで行っていたから、どんなに優秀なプロデューサーが担当したとしても、彼の意思が正確に反映されたアルバムを発表することはできないだろう。

 もちろん、彼の未発表曲のアルバムが今後も発売されるだろうが、それらが発表されたことをプリンスが聞いたら、果たして完璧主義者の彼はどう思うだろうか。

 享年57歳だった。自分のソウル・ミュージックのCDラックには、プリンスのアルバムがこれからも収められるように、アニタ・ベイカーやホイットニー・ヒューストンのアルバムを売ってしまったのだが、意味がなかったようだ。

 自分は、これからもプリンスのアルバムを何回も何回も聞き続けるだろう。ただ、それはこれからの彼のアルバムではなくて、今まで発表されたものになるだろう。それらのアルバムには、彼の“ソウル”が込められているからで、そうすることが彼の意思を尊重し、彼の魂に耳を傾けることになると思うからである。

 本当に不出世の偉大なミュージシャンだった。ソウル・ミュージックとロック・ミュージックとポップ・ミュージックの境界を軽々と飛び越えてしまったミュージシャンだった。今まで突っ走ってきたのだから、これからはゆっくり休んでほしいと願っている。

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2016年8月 8日 (月)

21世紀のプリンス(2)

 21世紀になっても、プリンスの旺盛な創作力は続いていた。2004年に「ミュージコロジー」を発表した後も、同年にウェブサイトを通して通信販売できる「ザ・チョコレート・インヴェイジョン」と「ザ・スローターハウス」という2枚のアルバムを発表している。
 しかもこの3枚のアルバムは、アメリカ本国では同日(3月29日)に一斉に発売していて、いかに彼の創造性が高かったかが分かると思う。

 これは彼がファンとの交流を大事にしていて、レコード会社を通さずに直接ファンに届くようにしていたからで、この頃のプリンスは、商業的な利益よりも自分の芸術性の発露を求めていたようだった。

 それで2004年に3枚のアルバムを発表したプリンスは、2006年に31枚目のスタジオ・アルバムである「3121」を発表した。418xolt02l

 このアルバム・タイトルが何を表しているのか、はっきりしていない。いくつかの説があって、
①当時ロサンゼルスに借りていたマンションの番地を表している説
②旧約聖書の章と節を意味しているという説
③既発のアルバム枚数と発売日(3月21日)を表している説

 などが主に唱えられているが、どうもはっきりしないようだ。いずれにしてもアルバム・タイトルだけで充分世間からの注目を集めることができた。おそらくプリンス本人は、レコード会社の協力を得ずとも世間の注目を集められるぞと思っただろうし、まさにわが意を得たりという心境だったのではないだろうか。

 このアルバムもまた原点回帰というか、ソウル/ファンク路線に立ち還ったような雰囲気に満ちている。一方で、前作の「ミュージコロジー」のようなメロディアスでバリバリの売れ線狙いの曲は、めっきり減少していた。

 とはいえ、彼の書くバラード曲の素晴らしさは相変わらずで、"Te Amo Corazon"などは渋くて、個人的には大好きである。また、"Satisfied"も70年代のソウル・ミュージックぽくてなかなか良いと思った。

 ジミ・ヘンドリックスばりにギターがフィーチャーされているのは"Fury"という曲で、このアルバムからの3枚目のシングルになった曲だ。メロディ自体も比較的ポップで聞きやすい。この曲はプリンスひとりで制作したワンマン録音である。

 アルバムの後半になるにつれて、比較的メロディアスな曲が目立つが、女性ボーカリストのテイマーと共演した"Beautiful, Loved and Blessed"も美しいメロディを持つスローなR&B曲だし、プリンス自身が演奏するピアノが印象的な"The Dance"もまた5分以上もあるドラマティックな曲だ。こういう曲を聞くと、プリンスが自分の本来のあるべき場所に帰ってきたような感じがした。

 このアルバムは発売と同時にアルバム・チャートのNo.1を記録したが、これは彼のキャリアの中で初めてのことだった。また、No.1を記録したアルバムは、1989年の「バットマン」のサウンドトラック盤以来のことだった。

 だから何度も言うけれども、プリンスの才能は決して枯渇していたわけではなく、むしろより一層高みを目指して成長し続けていたのである。

 それを証明するかのように、翌年の2007年に「プラネット・アース」を発表した。前作はソウル/ファンク色が強かったが、このアルバムでは幾分ロックの部分が強調されていて、よりパワフルな音楽を聞くことができる。81zbu3v1bl__sl1500_
 1曲目の"Planet Earth"は静かなピアノの調べに乗ってプリンスのボーカルが始まり、徐々にリズムが刻まれていき、3分過ぎからは壮大なアンサンブルにつながっていく。エンディングにプリンスのギター・ソロが爆発しているが、なかなかの力作だと思う。

 次の"Guitar"はタイトル通りの曲で、前作ではあまり目立っていなかったギターが強調されていて、カッコいい。

 このアルバムは全体的に高揚感に満ちていて、聞いていて気持ちがよくなってくる。3曲目のバラード曲"Somewhere Here on Earth"もプリンス流の抒情性がよく表現されていて、思わず聞き惚れてしまった。

 これも何度も言うけれど、プリンスの作るバラード曲はどれも本当に優れていて、素晴らしいと思っている。この曲ではプリンスの弾くピアノとゲスト・ミュージシャンのトランペットがいい味を出している。

 また、"Future Baby Mama"も同様なバラードで、ファルセットで歌うプリンスはまさに性別も年齢も超越した存在のように感じられた。

 ゲストといえば、このアルバムにはシーラ・Eやかつての盟友ウェンディ&リサも参加している。だからというわけではないだろうが、メジャー調の明るい曲が目立っていて、だからアルバム全体を異様な高揚感が包んでいるのだろう。

 "The One U Wanna C"や"All the Midnights in the World"などを通して、音楽をやることの楽しさや喜びが伝わってくるし、シングル・カットされたディスコ調の"Chelsea Rodgers"などはホーン・アレンジが秀逸で、クラブでかかれば朝まで踊れそうな曲だった。

 興味深いのはラストの曲"Resolution"で、“解決”という意味のこの曲は反戦、平和の歌になっていることだ。今までのプリンスの曲の中で、これほどまでシンプルで直接的な平和を希求する曲は、覚えがなかった。

 曲自体もアコースティック・ギターのイントロで始まる超ポップな曲で、あまりひねりがない。その分だけストレートにリスナーに届くのだが、そういう効果を狙っていたのだろう。

 個人的には、久しぶりに明るくて肯定感あふれるアルバムを聞いたような気がした。「ザ・ゴールド・エクスペリエンス」以来の捨て曲なしのアルバムだと思った。
 全10曲45分と時間的に短いのが気に入らないのだが、それを除けば久しぶりに大衆受けしそうなアルバムだったと思う。

 実際、このアルバムはチャートで3位まで上昇して、ゴールド・ディスクを獲得しているし、隣国カナダでは1位を記録している。
 もう少し売れても良かったと思うのだが、CDを買って聞く時代から好きな時に好きな場所でダウンロードして聞く時代になったせいだろう。ゴールドディスクに認定されただけでも大したものだと思う。時代はもう80年代ではないのだから。

 このアルバムを発表した時、プリンスは49歳だった。40歳代の最後をこの絶対的高揚感に溢れたアルバムを発表することで締めくくったのだが、まさかこの9年後にこの世から去っていくとは、本人も思いもつかなかっただろう。Artistprince01
創造性あふれる天才児だったからこそ、神は早く召されたのだろうか。

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2016年8月 1日 (月)

21世紀のプリンス(1)

 最近はプリンスばかり聞いていて、新譜を購入してもほとんど聞く時間がない。自分でも勿体ないとは思うが、とりあえず後回しにしている。
 別にこのブログを書くためでもないのだが、何かと誤解されることの多かったミュージシャンだったから、その誤解を解きたかった。それで「1999」から発表順に聞いていて、やっと21世紀のアルバムに到達した。

 人の偉大さというのは、同時代に生きているものにとっては、理解するのが難しいのかもしれない。自分の仕事や趣味、生き方と全くかけ離れているのなら、ある程度評価できるかもしれないが、自分自身の何かと重なり合うところがあれば、どうしても自分と比べてしまい、真っ当な評価ができなくなってしまう。

 プリンスもデビュー当時は、“黒いミック・ジャガー”、“JB(ジェイムズ・ブラウン)とスライ&ザ・ファミリ・ーストーンのいいとこ取り”などと言われて、正当な評価を与えられていなかった。

 ストーンズのオープニング・アクトで全米を回った際は、観客から物を投げられ、ブーイングを浴び、30分程度で楽屋に引っこんでシクシク泣いていたという。感性豊かな彼のことだから、よほど悲しく、また悔しかったに違いない。

 彼が世界的に正当な評価を得るようになったのは、2枚組アルバム「1999」がヒットした時からだろう。ということは1982年の終わり頃からということになる。親会社のワーナーも、2枚組アルバムの制作の許可をよく出したなあと思っている。
 このアルバムが売れなかったら、間違いなくその後のプリンスなかっただろうし、プリンスも自信があったから、敢えて2枚組にして発表したのだろう。

 それで今回は21世紀に入ってからのプリンスである。彼が2001年に発表したアルバムが「レインボウ・チルドレン」だった。71zxamipotl__sl1395_
 このアルバムは、音楽的にはプリンスが最もジャズに接近した産物と言われているが、個人的にはプリンスの“プログレッシヴ・ロック”アルバムだと思っているし、もう少し正確に言えば“プログレッシヴ・ファンク・ロック”だと思っている。

 また歌詞的には、神や宗教(キリスト教)に対する独自の解釈と概念が散りばめられていて、非常に哲学的・宗教的なものだった。
 それに、このアルバムからは元の名前のプリンスに戻っていて、ある意味、心機一転して音楽活動に専念しようとする彼の姿勢もうかがえた。
 
 この時期、彼が宗教に啓発を受けていたのも、やはり子どもの死や最初の妻との離婚などのプライベートな出来事が重なっていたからだろう。また、2001年9月11日のニューヨークにおける同時多発テロを受けての影響もあったかもしれない。

 だから聞いていくうちに、何となく息苦しくなってしまった。1曲目の"Rainbow Children"は10分3秒もあるし、"Family Name"、"The Everlasting Now"なども8分以上もあった。

 自分がこのアルバムを“プログレッシヴ・ロック”アルバムと思ったのも、曲の長さや曲間がないという理由だけではなく、全体を貫くトーンや雰囲気が、極めてコンセプチャルでソリッドだったからだ。

 だからといって、音楽的に質が劣るかというと決してそんなことはない。そこはプリンス、ファンキーな"The Work pt.1"や、ブラスが炸裂しゴージャス感満載の"Everywhere"、彼のギター・ソロが聞けるインストゥルメンタルの"The Sensual Everafter"など、聞きどころもまた多いのである。

 実は自分は結構このアルバムを気に入っていて、時々引っ張り出しては聞いていたが、やはりそうさせる魅力をこのアルバムは秘めていると思う。特にプログレが好きな人なら、このアルバムから先に聞いた方が、プリンスの才能の豊かさが理解できるだろう。そんな人がいるかどうかはわからないけれども…

 アルバム最後の曲は"Last December"というバラードで、これまた優れた楽曲だった。以前にも書いたが、彼の書くバラードは一級品で、特にスローな出だしから徐々に盛り上がっていく"Purple Rain"のような曲を書かせれば、彼に右に出る人はいなかっただろう。
 この"Last December"もまたそんな感じで、時に中間部の彼のギター・ソロが印象的でもあった。

 この後、彼はインターネットを利用しての音楽活動(アルバム発表)に取り組んでいる。これは90年代の後半から彼が取り組んでいるもので、ひょっとしたら、ネットを利用しての音楽の可能性を、最初に提示してくれたビッグ・ネームのミュージシャンは、プリンスだったかもしれない。
 
 2004年になって、プリンスはグラミー賞でパフォーマンスを行ったり、ロックの殿堂入りを果たしたりして、プリンス再評価の機運が高まっていった。そんな中で発表されたのが28枚目のスタジオ・アルバム「ミュージコロジー」だった。51cahwdyggl

 このアルバムでは、久しぶりにポップでファンキーなプリンスの音楽を味わうことができた。当時は、“原点回帰”などと言われていたが、前作が異色だったためで、プリンス本来の姿が発揮されたという意味として受け取っていいだろう。

 最初の2曲はプリンスらしいファンキーなナンバーで、3曲目の"A Million Days"あたりから王道プリンス節を聞くことができる。
 このアルバムのキラー・チューンは、この"A Million Days"と6曲目の"Cinnamon Girl"だろう。

 前者はミディアム・テンポのポップな曲で、後者はそれに輪をかけてよりポップだった。特にセカンド・ヴァースからのフレーズは口ずさめるほどメロディアスで、一度聞けばすぐに覚えることができた。

 また、"Call My Name"は優れたバラードだし、"On The Couch"は珍しくプリンス流のスロー・ブルーズだった。ファルセットで歌うプリンスは1986年の"Kiss"を髣髴させるものだった。
 ラストの"Reflection"はタイトル通りの内省的で落ち着いた曲調になっていて、プリンスも40代後半になったせいか、年相応に落ち着いた印象を与えてくれた。

 とにかく、このアルバムは売れた。アメリカでは200万枚以上のダブル・プラチナ・アルバムに認定されたし、イギリスやドイツでもチャートの5位以内に入ることができた。

 そして、このアルバムに伴うツアーでは、2004年における全米年間最高観客動員数と最高収益を記録し、翌年の第47回グラミー賞ではベストR&Bボーカル・パフォーマンスとベスト・トラディショナル・R&B・ボーカル・パフォーマンスの2部門を獲得している。

 こうしてプリンスは、21世紀になってから元の名前に戻し、そして再び何回目かの黄金期を迎えていったのである。恐るべし、プリンス。

 今になって思えば、やはり彼は天才だった。日本では80年代のような人気はなかったけれど、その音楽性は常に時代と対峙していて、80年代と同等かそれ以上のものを備えていたのであった。

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