« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月31日 (月)

トム・ニューマンのソロ・アルバム

 秋のプログレ祭りの2回目は、前回のジュライの続きである。ジュライの中心メンバーは、トム・ニューマンであるということを述べたのだが、今回は彼の代表作についてちょっとだけ記したい。

 トムは、1943年5月7日生まれ。アイルランド人の母とロシア系ユダヤ人の父親の間に生まれ育った。15歳頃からバンド活動を始めたが、それ以降の音楽的経歴やその中で結成したジュライについては前回触れたので、今回は割愛したい。Tomnewman1999
 ジュライが1969年に解散した後、トムはエンジニアやプロデューサーとして、ヴァージン・レコードのスタジオで働き始めた。その時に制作されたのが、「チューブラー・ベルズ」だったというのは前回述べた。

 ヴァージン・レコードの設立当初は、1970年にリチャード・ブランソンによって始められた通信販売用のレコード会社だった。今はもうEMIに売却されて傘下に入っているが、レコード販売とほぼ同時に、制作の方にも携わるようになり、レコーディング・スタジオを設立した。
 それがマナー・スタジオだった。そのスタジオにエンジニアとして雇われたのが、トム・ニューマンだったのである。

 それで、スタジオで働きながらソロ・アルバムを発表したわけだが、それが1975年に発表された「ファイン・オールド・トム」だった。

 全12曲で構成されていたこのアルバムは、摩訶不思議な雰囲気に満ちていて、ジュライのサイケデリック路線の踏襲の上にアヴァンギャルドな要素をふりかけたような感じがした。

 1曲目の"Sad Sing"はもろにサイケデリックなポップ・ソングだが、続く2曲目、3曲目の"Nersery Rhyme"や"Song For SP"などは、アイデアで勝負したような曲だった。
 明確なメロディラインはなく、エキセントリックなギター・ソロやSEなどが目立ったり、インド哲学を勉強しているような瞑想曲だったりした。

 さすがトム・ニューマン、普通のポップなアルバムなどは作らないのである。また、参加しているミュージシャンの顔触れを見ても、このアルバムは普通のアルバムではないということが分かると思う。5131ffzvxtl_sx466__2
 まず、ヴァージン・レコードといえば、マイク・オールドフィールドである。彼はギターで参加しているが、同じギター担当として、ヘンリー・カウに在籍していたフレッド・フリスや元バンドメイトのトニー・デューグも弾いていた。

 キーボードでも元ジュライのメンバーだったジョン・フィールドも参加していたし、ボンゾ・ドッグ・バンドのニール・イネスもオルガンやスライド・ギターを演奏していた。

 とにかくこのアルバムは、普通のロック、ポップ調の曲の間に環境音楽やアヴァンギャルド風な曲を散りばめたような構成になっていて、まるでサーカスを観ているかのように、印象がコロコロと変わっていく。

 バラードもあれば、ロックもあり、またインド音楽やレゲエっぽい曲もあるし、普通に歌っていると思えば、次の曲では囁くように、あるいはまた叫ぶように歌っていた。

 ビートルズの"She Said, She Said"が収められていたが、アレンジはあまり施されておらず、再解釈もなされていなかったようなので、逆にビートルズの楽曲レベルの高さが際立っている感じがした。

 ちなみに、このアルバムのプロデューサーはトムではなくて、盟友といっていいかもしれないジョン・フィールドだった。
 また、アルバムの裏ジャケットには、ローリング・ストーンズでも演奏していたあのミック・テイラーも集合写真に写っていて、このアルバムのセッションに参加したようだが、楽曲ごとのクレジットには彼の名前は見られない。アウトテイクスには収録されていたのかもしれない。

 さらに、1995年当時に再発された国内盤には、10曲のボーナス・トラックが収録されていて、お買い得感はあったものの、繰り返し聞こうとは思わなかった。
 理由は簡単で、ほとんどがバージョン違いのアルバム録音曲だったし、未発表曲はあったものの、スタジオ・セッションを隠し録りしたような音楽だったからだ。

 私のCD棚には、もう1枚トムのソロ・アルバムが置かれていて、それが1977年作の「妖精交響曲」である。61t42rpkel
 このアルバムは、なぜかヴァージン・レコードからではなく、デッカ・レーベルから発表されている。理由は定かではないが、ヴァージンのマナー・スタジオではなくて、自分のスタジオを使って制作されたからだろう。

 前作はサイケデリックでアヴァンギャルドな要素が目立ったが、このアルバムではそれが洗練されていて、叙情味あふれるトータル・アルバムになっていた。

 「ファイン・オールド・トム」は、基本的に歌もの中心のアルバムで、インストゥルメンタル曲は12曲中1曲しかなかった。
 この「妖精交響曲」は、13曲で構成されているが、すべてインストゥルメンタルで、ちょうどマイク・オールドフィールドの初期三部作のような感じだった。

 オリジナル・タイトルの「Faerie Symphony」に倣って、森の中の妖精が戯れているような、そんな印象を与えてくれるアルバムで、まさにアルバム・ジャケットが全体の印象や雰囲気を表現しているといっていいだろう。

 ゲスト・プレイヤーとして、フルートに元ジュライのジョン・フィールドやドラムスにピーター・ギブソンなどが参加しているが、基本はすべてトム1人が演奏を行っている。

 なぜこういった観念的なアルバムを制作したかはわからないが、マイク・オールドフィールドのアルバムの成功に刺激を受けたのかもしれない。何しろ彼もそのアルバムの制作を手伝ったのだから、無意識的にそういう方向性に走ったのだろう。

 ただ面白いことに、マイク・オールドフィールドのアルバムもこの「妖精交響曲」も、アイルランド音楽の影響がみられることだ。メロディ自体もそうだし、ケルト音楽でしばしば使われるアイリッシュ・フルートやフィドル、アイリッシュ・バグパイプなども使用されていて、部分的にはマイクの作品ともつながっている気がした。61fovid1d0l
 マイクの作品が表だとすれば、このトムのアルバムは“裏マイク”といっていいかもしれない。
 トムの70年代は、この2枚のアルバムの発表をもって終わった。全くジャンルの違うアルバムといっていいかもしれない2枚だが、これもトム・ニューマンの幅広い感性のなせる業だろう。

 この後、9年間の年月を経て次のスタジオ・アルバムが発表されるのだが、それはニュー・エイジ・ミュージックのような環境音楽で、そこには大衆性や叙情味は含まれていなかった。

 1999年には「妖精交響曲」の未発表曲やデモ・バージョンを含んだ「妖精交響曲&アザー・ストーリーズ」が発表され、一時、彼の名前が再び話題になったことがあったが、それ以降、ジュライの再結成には参加したものの、プログレッシヴ・ロックの道に進んだとは聞いていない。

 この「妖精交響曲」は、決してメジャーな作品ではないけれど、静謐で叙情的だし、じっくりと聞きこむたびに新しい発見が見いだされるような気がする。秋の夜長にはぴったりの1枚かもしれない。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月24日 (月)

ジュライ

 一般的に言って、“プログレッシヴ・ロック”というと、キーボードはシンセサイザーやメロトロンを使ったり、超絶テクニックを駆使したギター・ソロがあったりと、それぞれの楽器が個性を発揮しながら、同時に絶妙なアンサンブルを聞かせてくれる音楽を想像してしまう。

 だから時間的に長い曲が多くなるし、曲の特徴によっては、構築美やシンフォニック系、叙情性などがフィーチャーされてくるのだが、“プログレッシヴ”の本来の意味は、“進歩的な、急進的な”というものだろう。

 だから1970年代のプログレッシヴ・ロック全盛期を経験している人にとっては、“プログレッシヴ・ロック”といえば、イエスやピンク・フロイド、ジェネシス、キング・クリムゾンなどを思い浮かべるだろうが、60年代や70年代の同時期を生きていた人にとっては、新奇的な音楽やそれを演奏するバンドなどは、すべて“プログレッシヴ・ロック”や“プログレッシヴ・ロック・バンド”だっただろう。

 今回のバンド、ジュライも21世紀の今から思えば、サイケデリックなブリティッシュ・ロック・バンドなのだが、1968年当時は紛れもなく“プログレッシヴ・ロック”だったに違いない。Julyalanjamestomnewmantonyduhigjonf
 このジュライはマイナーなバンドで、1枚しかアルバムを残していない。それは、1968年に発表された「スーパー・サイケデリック!」というもので、商業的にも成功はしなかった。成功していれば、バンドは長続きしてもう数枚アルバムを発表していただろう。

 このバンドのキー・パーソンは、トム・ニューマンだ。彼の名前を知っている人は、きっとマイク・オールドフィールドのことも知っているに違いない。トムは、マイクの1973年のアルバム「チューブラー・ベルズ」 のエンジニアを担当していたからだ。

 このアルバムには、26種類の楽器の音が複雑に絡み合って、まるで壮大な交響曲のように構成されているが、マイク一人で多重録音を繰り返し、そのオーヴァーダビングの回数は2000回以上になったと言われている。

 マイクは当時のヴァージン・レコードが所有していたマナー・スタジオでレコーディングを行ったのだが、そこでエンジニアとして働いていたのが、トム・ニューマンだった。Maxresdefault
 トムは1943年にイギリスのロンドン郊外ぺリヴェイルで生まれている。今年で73歳になるが、若い時から音楽活動を行っていて、ドリーマーズやトム・キャッツというバンドを結成してライヴ活動を行っていた。

 トム・キャッツは1965年に解散したが、翌年にはスペインにおいてバンドを結成して、活動を始めている。当時はリズム&ブルーズなどを演奏するバンドだったようだ。
 彼らは、マドリッドやバルセロナなど、活動の拠点を移しながらレコーディングも行い、シングル・ヒットも出していたらしい。まさにボヘミアン的というか、ヒッピーというか、いかにも当時の若者らしいライフ・スタイルである。

 ところが、トムはなぜかスペインから帰国し、もう一度イギリスでの音楽活動を始めている。ホームシックに罹ったのか、はたまたスペインで何かトラブルでもあったのか、定かではない。

 ロンドンに戻ったトムは、元トム・キャッツのメンバーだったギタリストのピーター・クックとともに曲つくりをはじめ、今度は当時の流行だったサイケデリックな音楽を目指すようになった。

 間違いなく、ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響だろう。このアルバムは1967年の6月に発表されているからだ。

 彼らは、自らのバンドをジュライと名付けた。バンドの結成が7月だったからだ。たぶん1967年の7月だろう。
 彼らは1968年にシングル曲"My Clown"を発表した。サイドBは"Dandelion Seeds"というもので、前者はピーターが、後者はトムが作詞・作曲したものだった。

 これらの曲は、如何にもこの時代の空気を反映したような作風で、3分から4分少々の短い曲の中に、ポップなメロディーとテープ操作にエフェクトの効いたやラーガ・ロックのようなタムタムが施されていて、摩訶不思議な雰囲気に満ちた曲調だった。

 メンバーはトムとピーターの2人に、ドラムスのクリス・ジャクソン、ベース・ギターのアラン・ジェイムズ、もう1人のギタリストのトニー・デューグ、フルート&オルガンのジョン・フィールドの5人だった。

 この5人で先ほどのデビュー・アルバム「スーパー・サイケデリック!」を発表したのだが、シングルもアルバムも両方とも売れなかった。61ivypuwiel_sx466_
 当時は「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響を受けたアルバムが数多く発表されていて、ジュライのアルバムの独自性というか個性が、ほかのバンドのアルバムと区別がつかなかったからだろう。

 何しろあのローリング・ストーンズでも「サタニック・マジェスティーズ」というパクリのようなアルバムを発表しているし、他にもザ・フーやホリーズ、ゾンビーズ、アメリカでもザ・バーズやフランク・ザッパなども影響を受けたアルバムを発表していた。
 
 「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、プログレッシヴ・ロックそのものの歴史を生み出したアルバムだと言ってもおかしくない記念碑的存在になったし、その後のロックの歴史を塗り替えたアルバムでもあった。

 とにかく、ジュライのアルバムは、有名無名のバンドの同傾向のアルバムの中では埋もれてしまい、ロック史の中では光を放つことはできなかったのである。

 たとえばジュライのアルバムでも"Jolly Mary"のように転調が目立つ曲もあれば、弦楽器等をアレンジした"Hallo to Me"のような曲も収められている。ただ、耳に残るようなキャッチーなメロディは無いし、思わず唸らせるようなアイデアも見られなかった。

 12曲中、トム・ニューマンの手による曲は5曲で、6曲はピーターが、残り1曲はドラムス担当のクリス・ジャクソンが手掛けている。

 ピーター・クックの曲は、どちらかというとポップなメロディーが目立ち、トム・ニューマンの方はSEが使われていたりと、少々手の込んだ技巧的な曲が多いようだ。
 クリス・ジャクソンの曲である"Crying is For Writers"はどちらかというとロック寄りで、途中とエンディングのワウワウ・ペダルを用いたギター・ソロが印象的だった。Julyb
 だからバンド解散後、トムがエンジニアを目指してスタジオで働き始めたのも理解できるように思えた。彼は売れる曲を作るよりも、できた曲をアレンジしたり、プロデュースしたりする方が性に合っていたのだろう。

 ジュライは1969年に解散して、リード・ギターを担当していたトニー・デューグとフルート、キーボード担当だったジョン・フィールドは、ジェイド・ウォーリアーを結成した。

 一方のトムは、マイク・オールドフィールドやハットフィールド&ザ・ノースのアルバムのエンジニアやプロデューサーを務めるかたわら、自分のソロ・アルバムをコンスタントに発表している。

 また、1995年には「ザ・セカンド・オブ・ジュライ」という未発表曲などを収録した編集盤が発表されているが、どこまでメンバーが関与したのかはよくわからない。

 ただ、2009年には元ジュライのメンバーだったトムとピーターに、アラン・ジェイムズとクリス・ジャクソンが加わって、ジュライが再結成され、2013年には「リザレクション」という12曲入りのオリジナル・アルバムが発表されている。

 このアルバムには、トムも2曲提供しているし、バンドは新旧の曲を入り交えてのライヴ活動も行ったようである。今では活動を継続しているかどうかは不明だが、時々は集まってパブなどで演奏しているのかもしれない。

 いずれにしても、当時は“プログレッシヴ”なバンドはたくさんあっただろう。同時に、こういう音楽性を示していた新進気鋭のバンドやそのメンバーの心の中には、成功するしないにかかわらず、時代を切り拓いているという力強い意志があったに違いない。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2016年10月17日 (月)

マキャヴェル

 今年はプログレッシヴ・ロック生誕46周年ということで、大いに盛り上がっているようだ。ワーナーミュージック・ジャパンでは、“Progressive Rock SHM-CD Collection 1300”という企画を打ち出し、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンのソロ・アルバムをはじめ、ホークウインドやケヴィン・エアーズ、イタリアのアレア、イ・プーなどの有名どころや無名のバンドの再発、国内初のアルバムを発売している。

 それで今回は、ベルギーのバンド、マキャヴェルのアルバムを紹介しようと思う。ベルギーのプログレッシヴ・ロック・バンドといえば、以前このブログでも登場したベルギーのE.L.O.こと、ウォーレス・コレクションがいたが、あまり世界的に有名なバンドは見当たらないようだ。

 今回のマキャヴェルは、1975年に結成されている。1975年といえば、世界的にもプログレッシヴ・ロックは衰退傾向にあり、イギリスやアメリカでは、すでに新しいムーヴメントのパンク・ロックが生まれていたが、ベルギーではまだまだ余韻が残っていたようだ。

 マキャヴェルの中心人物は、ドラムス担当のマルク・イザイとベース・ギター担当のローラン・ドゥ・グレーフだった。彼らはキーボード担当のアルベール・レテシュールとギター担当のジャック・ロスカムを加え、モビー・ディックというバンドを結成したが、同名のバンドがアメリカにあったことを知り、マキャヴェルに変更した。

 もちろんこの名前は、ルネッサンス時代にイタリアで活躍した思想家のニッコロ・マキャヴェッリから取られたわけでが、どうせなら同じベルギー人のエルキュール・ポアロなどにすればよかったのにと思った。架空の人物だけど…

 1976年に、彼らはアルバム「マキャヴェル」を発表した。このアルバムはいわゆるトータル・アルバムのようで、1曲目の題名が"Johan's Brother Told Me"となっていることからも分かるように、ジョンの兄の口を借りて、ジョンと彼の恋人?のナタリーの出会いと別れを述べている。61zztyaftdl
 別れといっても具体的なその原因は語っていないが、最終的にはジョンは悲しみのあまり亡くなっている。自殺したのかもしれないし、病死かもしれない。そのあたりは不明だ。ちなみに歌詞はすべて英語である。

 全6曲だが、物語の内容が内容だけに、物悲しくマイナーな曲調で占められている。その中で時折オーヴァーダビングされたギターが光っていて、特に4曲目の"When Johan Died, Sirens Were Singing"ではキーボードと堂々と渡り合っている。

 また、5曲目には"I Am"というインストゥルメンタル曲も収められていて、構成にも演出的にもよく練られていると思った。この曲はアコースティック・ギターによる1分30秒余りの小曲だが、前後の曲が大曲なので(9分台と8分台)、お口直しには適しているだろう。

 アルバム・ジャケットはチープだけれども、演奏力も確かだし、歌も決して下手ではない。母国語で歌えばもっと上手に聞こえるのだろう。英語だから少しは歌いにくいのかもしれないが、それでも日本人の英語よりはマシだろう。

 このアルバムのプロデューサーは、ドラマーのマルク・イザイの叔父であるジャック・セイで、当時の彼は、ベルギーでも一、二を争うほどの有名な実力プロデューサーだったらしい。

 このアルバムは、ベルギー国内で話題になりそれなりに売れたようだが、1977年にはメンバー・チェンジが行われ、課題だった線の細いボーカルを専任のボーカリストを入れることで解消している。
 また、ギタリストがジャン=ポール・デュボーという人に交代した。ボーカルがドラマーと専任のボーカリストの2人になったおかげで、より歌詞の部分が重視されるようになり、その影響が77年のアルバム「ジェスター」に反映されていた。Machiavel_rock_belge_2
 前作はどちらかというと、キーボード重視の音楽性だったのだが、このアルバムではボーカルの部分と演奏のアンサンブルの両方が重視されているようだ。

 全7曲だが、全体的に前作よりも起伏に富んでいて洗練されている。大雑把に言って、フィル・コリンズとピーター・ガブリエルの2人がともにバンドにいて歌っているようなジェネシスといった感じがした。歌詞は前作同様、英語だから違和感は全くない。

 面白いのは、新加入のマリオ・グッチョはイタリア人だということだ。どうせなら英語を母国語にしている人か、同じベルギー人を加入させればいいのにと思うのだが、なぜかイタリア人だった。まあ、それでも問題はなかったからいいのだろうけれども。

 とにかくこのアルバムは、3分台の曲が1曲あるものの、あとは6分前後や7分以上と比較的長い時間の曲が目立つ。最後の曲"Rock,Sea And Tree"などは9分52秒もあった。51bsaiieixl
 イギリスでは80年代に入ってから、マリリオンなどのいわゆる“ポンプ・ロック”が興隆していったが、ひょっとしたらこのマキャヴェルは、その先駆けとなったかもしれないバンドだった。それぐらいメロディ自体は聴きやすくポップだし、構成がしっかりしている曲ばかりだ。

 とにかくデビュー・アルバムと比べてみると、1曲の中に転調が多く、中にはSEも使われていたりと、ドラマティックな曲ばかりで、また、プログレッシヴ・ロックの特徴である変拍子が目立っている。

 それにアルバム・ジャケットも見ればわかるように、ミステリアスで印象的な絵が描かれていて、これもまた前作よりも一段と進化したような感じだった。

 どうもベルギーや隣国オランダなどでは、メロディ重視の傾向が強いようだ。ポップ・ミュージックはいうに及ばず、プログレッシヴ・ロックにおいてもフォーカスやカヤック、そしてこのマキャヴェルと、美しい旋律を伴う曲を発表するバンドが多い。

 3枚目のアルバム「メカニカル・ムーンビームス」でもこの傾向は、顕著だった。1978年に発表されたこのアルバムは、ツイン・ボーカルやドラマティックな曲構成を含むなど、前作の成功を引き継ぐような形で制作されている。

 このアルバムは、前作の70年代後期ジェネシスの影響を受けた作風にイエスの構築美を加えたような雰囲気を携えている。61ojlzehfzl
 特に1曲目の"Beyond the Silence"には、それが顕著で力強いボーカルを支える多種多様なキーボードと鋭角的なギターが魅力的である。そして前作よりもメロトロンの使用度が高いのもまた、プログレッシヴ・ロック・ファンにとってはたまらない。

 2曲目はエレクトリック・ピアノがスーパートランプのようだし、途中のスティーヴ・ハウ風ギターから一転して、バラードがアップテンポに変わる。"Summon Up Your Strength"という曲名だが、このタイトル通り、力強い曲風で終わっていった。

 このアルバムには2曲のシングル・ヒット向けの曲が用意されていて、そのうちの1つは3曲目の"Rope Dancer"である。3分40秒の短いこの曲は、その後の彼らのキャリアを象徴するかのようなメロディアスなバラードである。

 もう1曲は、6曲目の"Mary"で、これまた4分10秒という長さで、"Rope Dancer"がキーボード主体の曲なら、こちらはアコースティック・ギターのイントロからもわかるように、ギターが目立っている曲だった。

 こういう曲がプログレッシヴ・ロック・のアルバムに収められているのだから、ベルギーのプログレッシヴ・ロックの特徴が分かろうというもの。別に良い悪いという意味ではなくて、彼らの音楽的志向と、売れて何ぼという商業主義の絶妙なバランス感覚が生み出したものと考えれば、理解できると思う。

 この3枚目のアルバムは、一般的に彼らの最高傑作と言われていて、確かに前作の成功を基にして作られただけあって、彼らの自信が伝わってくるような力強い雰囲気に満ちている。シングル向けのメロディアスなバラードもあれば、5曲目の"After the Crop"のように、アコースティックなバラードから一転して、パワフルなロック調になる曲もある。確かに彼らの最高傑作といっても過言ではないだろう。

 この後彼らは、1979年に「アーバン・ゲームズ」を発表したが、ここから彼らはAOR風に方向転換してしまった。翌年に発表された「ニュー・ラインズ」もこの傾向を引き継ぐような形になり、シングル・カットされた"Fly"は国内チャートで1位を記録している。

 結局、この音楽的変化が彼らには僥倖になったようで、ヨーロッパ中にヘッドライナーでツアーするまでになった。

 80年代のマキャヴェルは、イギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドの多くがそうだったように、メンバー・チェンジを行いながら、各メンバーは個人のキャリアを追及していった。

 1996年には結成20周年ということで、久しぶりにファンの前に姿を現し、ライヴ活動を行った。これがまた大いに受けたようで、予想外の展開にメンバー自身も驚いたようで、それならばとニュー・アルバム「ヴァーチャル・サン」を発表している。Machiavel

 現在でも彼らは活動を続けていて、最近でも2009年、2011年、2013年とほぼ2年ごとに新作を発表している。彼らは“プログレッシヴ”なバンドから“プロフェッショナル”なバンドとして、今もなお元気なのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月10日 (月)

ラウド・ヘイラー

 「ラウド・ヘイラー」とは、“大声で呼びかける”という意味で、“いま、世界で起こっているいくつかの不快なことを目にしたときに、コメントを発表したいと考えた。そして、集会に参加し、拡声器を使って自分の見解を叫ぶというアイデアが気に入ったのさ”とアルバム制作者のジェフ・ベックは述べている。
 
 そう、今回のアルバムは、あの伝説のギタリスト、歴史に残るミュージシャンであるジェフ・ベックの11枚目のスタジオ・アルバムについてである。
 このアルバムのタイトルの由来が、冒頭にあるジェフ・ベックの言葉だった。だからジェフの“異議あり”という声が伝わるようなパワフルでエッジのきいた楽曲でまとめられている。
 
 ジェフ・ベック、今年の6月24日で72歳になった。72歳である。自分にとっては脅威の72歳だ。72歳になった人のサウンドとはとうてい思えないほど、バリバリとギターを弾き、ガンガンとでかい音を出し、ビンビンとロックしているのだ。このアルバム、彼の長いキャリアの中でも歴史的かつ画期的なアルバムになることは間違いないだろう。519drnc0fwl
 このアルバムは今年の6月に発表されているから、もういろいろなところで書かれているので、多くの人はご存知だと思うが、あえて書かせてもらうと、ボーンズというバンドからボーカリストとギタリストをゲストに招いている。
 
 それがロージー・ボーンズとカーメン・ヴァンデンバーグだった。きっかけは、クイーンのロジャー・テイラーのバースディ・パーティーで、ジェフとカーメンが出会ったことからだった。
 そのときジェフは、ガールズ・パンクか何かをやっているのだろうと思い、ちなみに誰が好きなのか聞いたところ、アルバート・コリンズだと彼女は答えたという。
 
 23歳の若い女の子が渋いブルーズ・ギタリストが好みと答えたことがジェフの興味を引いたようで、彼女たちのライヴを見に行き、さっそくその夜に彼女たちをディナーに誘い、このプロジェクトが始まったといわれている。
 実は2010年に発表されたアルバム「エモーション&コモーション」のあと、2014年にはニュー・アルバムの作品が完成していてミキシング中だったのだが、ジェフの意向により、急遽、お蔵入りになってしまった。
 ジェフが言うには、自分の言いたいこととは少し違って、レトロ過ぎるということで、ジョン・マクラフリンみたいな音楽マニア向けするような作品だったようだ。

 それはそれで聞いてみたい気がするのだが、ジェフにとっては良い思い出にはなっていないし、それをプロモーションするために時間をかけたくなかったと述べている。また、このお蔵入りになった幻のアルバムについては、自分の生前には発表する意思はないとも語っていた。Jeffbeckfb2015
 だから「ラウド・ヘイラー」の方は、全くの別物として新たに曲を書き下ろし、録音した曲群で占められているのである。
 
 冒頭の"The Revolution Will Be Televised"は、ハードなリフが特徴的なスロー・ブルーズ風味の曲で、ロージーのポエム・リーディング調の語りとバックのこれぞジェフ・ベックというギターの絡みが斬新でもある。
 続く"Live in the Dark"は21世紀のジェフ・ベック流ハード・ロックだろう。彼のフィンガー・ピッキングによる一音一音の粒が際立っていて、音のキレが素晴らしい。何度も言うようだが、とても72歳の人の感性とは思えないのだ。
 "Pull It"は1990年代後半から導入されたエレクトロニクス・ミュージックの系統をひくようなインストゥルメンタルで、"Thugs Club"も語り調のボーカルをジェフのギターが切り裂くような曲だ。
 今になっては、こういう曲はもはやジェフ・ベックしか演奏できないのではないだろうか。後半のボレロ調におけるエフェクティヴなギターは、もはや彼のトレードマークといっていいだろう。
 
 5曲目の"Sacred for the Children"は、デレク&ザ・ドミノスの"Little Wing"をバラード風に仕立て上げたような名曲だ。ジェフ・ベックには“泣きのギター”というフレーズは似合わないのだが、そういえばロッド・スチュワートと共演した"People Get Ready"という曲もあったし、久しぶりに涙腺が緩むような気がした。
 今思い出したけど、ジェフは、"A Day in The Life"をインストゥルメンタルで演奏していたけれど、あれもかなりの叙情性を秘めていて、感動的だった。原曲が良いからジェフのギターも冴えていたけれど、改めて秀逸なテクニックに裏打ちされたエモーショナルなジェフの演奏を堪能した。
 この"Sacred for the Children"という曲も、もしロッド・スチュワートが歌ったなら、"People Get Ready"以上のインパクトとポピュラリティを獲得したのではないだろうか。ジェフの久々の名曲だと思っている。
 
 ジミ・ヘンドリックスを髣髴させるようなイントロが印象的な"Right Now"、50年代のダンス・パーティー中に流されるようなスロー・バラード"Shame"、ファンキーなカッティングがカッコいい"O.I.L."など、佳曲が多いアルバムでもある。
 そういえば、このアルバムは、ニューヨークのエレクトリック・レディランドで録音されている。ジミ・ヘンドリックスの建てたスタジオだ。そういう環境でレコーディングされているので、ジミの幻影が感じられるような曲も収められているのだろう。
 8曲目の"Edna"は続く"The Ballad of the Jersey Wives"の導入曲のようで時間も1分2秒と短い。

 2001年の9月11日のテロ、いわゆる“9・11”でユナイティッド航空93便に搭乗していてテロリストの計画を阻止し、ペンシルヴァニア州郊外に墜落して亡くなった夫たちの妻のことを歌った"The Ballad of the Jersey Wives"は後半のハイライト曲だろう。
 バラードとはいいながらも実際は怒りや嘆きが込められていて、インパクトが強い。それらが乗り移ったかのようにロージーのボーカルとジェフのギターもまた激しい。
 
 ラストの曲"Shrine"は、日本語でいうと“神社”という意味になるが、自分を信じ、ロックン・ロールを信じ、そして他人を信じて生きていける世の中にするために、祈りを捧げ今を生きていこうというメッセージ・ソングだ。穏やかな曲調の中にも力強さを感じさせてくれる。ジェフの新境地なのだろうか。
 ジェフ自身は、どんなスタイルにしたらいいか最も苦労した曲と言っていて、ボブ・ディランのようなギターをどうやって曲に入れ込むかが難しかったようだ。
 
 とにかく、このアルバムは、どこをどう聞いても72歳のミュージシャンのアルバムではない。20歳代後半か30歳代前半の脂ののったミュージシャンのものだ。どうしてこんなアルバムが作れるのだろうか。
 
 彼はヴェジタリアンだが、ポール・マッカートニーもヴェジタリアンだった。ヴェジタリアンは年を取らないのだろうか。Getty621images76055600
 ただ、ジェフはレッド・ゼッペリンやピンク・フロイドで活動するような、いつも同じ演奏を繰り返すことはできないと言っていて、常に自分のやりたいことを自由にやっていきたいと述べている。要するに、わがままで自分のやりたいことをやっているから、いつまでも感性が瑞々しいのだろう。

 だから60年代から70年代はバンドを結成しても、アルバム1、2枚を発表してすぐに解散させてしまったのだろう。もちろんメンバー間の緊張感や軋轢、音楽的な相違などもあったのだろうが、いきなり解散まで行ってしまうところに、ジェフ・ベックの精神性というか、性格的な傾向が反映されているように思えてならない。
 ジェフ・ベックは、今年の11月11日に両国国技館でライヴを行う予定だ。“クラシック・ロック・アワード2016+ライヴ・パフォーマンス”というイベントのためである。

 彼はステージ上ではギターを替えないそうだ。弦が切れた時のスペア用はあるものの、通常は1本のギターで済ませるという。

 今回のレコーディングでも、テレキャスターとストラトキャスター、ブリキ缶のギターの3本しか使用しなかったという。職人肌で自分の意思を貫き通すジェフ・ベックである。彼の音楽のフレッシュネスさの原因は、こんなところにもあるのかもしれない。
 昔は三大ギタリストというのがあったが、今では、一人は過去の遺産で食っているし、もう一人はギターの上手なシンガーになってしまった。残ったジェフ・ベックだけが今もなおロックの可能性を追及しているようだ。

| コメント (3) | トラックバック (1)

2016年10月 3日 (月)

エルトン・ジョンの新作

 今年は、70年代から21世紀の今に至るまで活躍してきているミュージシャンの新作が相次いで発売されている。エリック・クラプトンをはじめ、サンタナやジェフ・ベック、ジョン・アンダーソンなどのアルバムがそれにあたるが、今回紹介するのもその中の1枚である。

 エルトン・ジョンは、今年で69歳になる。4歳からピアノをはじめ、幼い頃から一度耳にした楽曲はどんな曲でも弾きこなせたといわれている。いわゆる神童のようで、ひょっとしたらモーツアルトの生まれ変わりなのかもしれない。

 また、1969年のデビュー以来、シングルとアルバムの売り上げは全世界で3億枚以上にのぼり、これはローリング・ストーンズやピンク・フロイドの2億枚を上回っている。ちなみにエルトン・ジョンよりも上回っているのは、ビートルズやエルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、ABBAなどで、いずれも今は現役では活動していないミュージシャンやバンドばかりであった。

 さらには、長年の功績が認められて(外貨獲得の功績か?)、1998年には英国王室より“ナイト”の称号を与えられている。だから“サー・エルトン・ジョン”なのだ。130915_eltonjohnguar
 そんなエルトン・ジョンだが、神は音楽的才能を授けるとともに、身体的な特徴もまた授与したようで、以前にもこのブログで書いたが、口の悪い評論家やファンなどからは“チビ・デブ・ハゲ・ホモ”の四重苦と揶揄されていた。

 しかし、そんな悪口や非難をものともせず、彼は、多少の浮き沈みはあったものの、約半世紀にわたってミュージック・シーンの第一線で活躍してきた。だからこそ3億枚以上の売り上げを達成し、叙勲もされたわけである。

 それにエルトン・ジョンは、そんな自分の姿を客観的に見ているようで、雑誌のインタビューや共演した他のミュージシャンとの受け答えの中でもユーモアを交えながら自分のことについて述べている。

 自分は2013年に発表された2枚組アルバム「ザ・ダイヴィング・ボード」を購入したのだが、全体的にダークで沈鬱な雰囲気が漂っていて、中古CDショップに売ってしまった。バラード曲やテンポの遅い曲がほとんどで、聞いていて全く気分が晴れなかったのだ。

 その時に、もう彼は終わった、二度と新しいアルバムを購入することはないだろうと思ったのだ。

 ところが、今年、何の前触れもなく(あったと思うのだが、ほとんどメディアの話題にはのぼらなかったと思う)、彼のニュー・アルバムが発売された。それが32枚目のスタジオ・アルバムになる「ワンダフル・クレイジー・ナイト」だった。

 購入しようかどうしようか迷ったのだが、世間の評判は上々のようで、好意的な評価が多かった。だから二度とアルバムは購入しないと決めていた禁を破り、このアルバムを手にしたのである、ただし輸入盤としてだが。614banjl0sl
 このアルバム、もし70年代の彼の絶頂期に発売されていたら、間違いなくビルボード初登場第1位、他の国でも軒並みベストセラーになっていたに違いない。それほど内容が充実しているのである。

 前作はピアノがメインの曲が多くて、しっとりはしているものの躍動感に乏しく、途中で聞くのに飽きてしまったのだが、このアルバムは全く違う。まるで前作の反動が出たような感じで、ロックン・ロールやブギウギ調の曲で占められていたのだった。

 またメロディーも耳になじみやすく、覚えやすい曲が多い。自分なんかは、こういうエルトン・ジョンを待っていたのだが、ほかの人はどう思ったのだろうか、気になるところだ。

 冒頭の"Wonderful Crazy Night"からノリノリのエルトンの姿が浮かんでくる。続く"In The Name of You"もややミディアム・テンポながらもリフレインのところはしっかりとしたメロディ・ラインだし、3曲目のレイ・クーパーがタンバリンで参加した"Claw Hammer"も同様だ。

 今回はバックのエルトン・ジョン・バンドにドラマーのナイジェル・オルソン、ギタリストのデイヴィー・ジョンストンが久しぶりに参加している。2006年のアルバム「キャプテン&ザ・キッド」以来だという。
 また、長年の付き合いであるパーカッショニストのレイ・クーパーの参加も古くからのファンにはうれしいことだった。

 そんなこともあって、エルトンにとっては久しぶりに気合の入った演奏になったのだろう。そんな彼の波動が伝わってくるアルバムになっている。

 特に"Blue Wonderful"などは、哀愁を帯びた抒情性とセンチメンタルなメロディー・ラインが絶妙なバランスで融合していて、またまたエルトンのソングブックの中に名曲が増えた気がしてならない。

 ただ残念なことは、彼の声が往年の深みを帯びた声質を失っていることだった。1988年に彼は喉を手術している。これは長年のツアーで声を酷使していったことや、薬物やアルコールの過剰摂取が原因と言われていて、手術以後、年齢からくる変化と相まって、伸びのある高音や深みのある低音が出にくくなっているようだ。

 もしこの曲が往年の彼の声で歌われていたなら、"Your Song"や"Daniel"のように、間違いなく彼の代表曲になったに違いない。また、この曲の間奏のギターは、エルトンとの共同プロデューサーのT-ボーン・バーネットが弾いている。

 アコーディオンの音が哀愁味をかき立てる"I've Got 2 Wings"、このアルバムでは唯一のバラード曲"A Good Heart"、イントロのピアノのフレーズが印象的な"Looking Up"など、このアルバムには佳曲が多く、捨て曲が全くない。

 70年代のアルバム「カリブ」や「キャプテン・ファンタスティック」と比べても全く遜色はないと思うのだ。「黄昏のレンガ路」には少し及ばないけれど…

 アルバムの後半もノリノリのロックン・ロール曲の"Guilty Pleasure"、"Blue Wonderful"と肩を並べるほど素晴らしい出来の"Tambourine"と続き、最後は透明感のあるピアノの響きが美しさを演出している"The Open Chord"で締めくくられている。

 ここまでの41分少々が本編で、輸入盤にもボーナス・トラックとしてもう2曲ついていた。最初の曲は"Free and Easy"というミディアム調の曲で、エンディング近くのストリングスとハープシコードが何となくビートルズっぽいアレンジだった。

 もう1曲は"England and America"という3分51秒の疾走感のある曲で、まるで21世紀版の"Crocodile Rock"みたいな感じだった。まだまだ才能は枯れずといった良質のロックン・ロール曲でもある。

 前作の内容で彼の才能を見限っていたが、それは自分の大間違いだった。彼や彼のファンには申し訳ないと思う。

 このアルバムは、17日間で制作されたようだが、こういう素晴らしいアルバムが作れるのだから、エルトン・ジョンは、まだまだやればできるのである。Eltonjohn2
 最後に、このアルバムはイングリッド・シシーという南アフリカ出身の作家、ファッション・美術評論家に捧げられている。彼女もLGBTの人で、代理出産で生まれたエルトン・ジョンの息子の名付け親になった人だった。
 彼女は63歳という若さで、2015年の7月に乳癌で亡くなっている。"In the Name of You"という曲は、彼女のことを指すのかもしれない。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »