« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »

2016年11月

2016年11月28日 (月)

パルツィヴァル

 今年は、というか今年もワーナーミュージック・ジャパンから「プログレッシヴ・ロック・1300・コレクション」シリーズが発売されている。
 これは昨年が「プログレッシヴ・ロック生誕45周年」ということで企画されたものだが、今年も同様な企画ものとなっている。

 だから自分は勝手に「プログレッシヴ・ロック生誕46周年」シリーズとして考えていたのだが、カタログの内容を見ると、ロックの歴史の陰に埋もれていたものを発掘しているといった観がしてならない。
 逆に言えば、さすがにほとんどのアルバムがカタログ化されていて、出尽くしているのではないだろうか。

 日本は意外と再発ものが多く出されていて、海外のコレクターにとっても魅力的な市場のようだ。ただ難点は、発売期間が短くて、すぐに廃盤になる点だろう。
 CDショップの店員に聞いたところ、有名人気アイドルのアルバムならともかく、企画ものや新人のアルバムで売れないものは、早くて半年で廃盤扱いになるという。そうなってしまえば、あとはインターネットで探すしかないようだ。

 そんな中で、国内未発売のアルバムがカタログに載っていた。それがドイツのバンド、パルツィヴァルのデビュー・アルバム「レジェンド」である。51ewxtaoql
 このアルバムは1971年に発売されている。内容はアメイジング・ブロンデルやグリフォン、もしくはエレクトリックなインクレデブル・ストリングス・バンドのドイツ版のような感じがした。

 もともと“パルツィヴァル”というバンド名は、中世ドイツの詩人エッセンバッハによるロマン詩から取られていて、アーサー王の聖杯伝説に登場する円卓の騎士の名前だった。

 1971年に発表された彼らのアルバム「レジェンド」は、ポップな要素とクラシカルな要素の両面を味わうことのできるものだった。
 全10曲だが、冒頭の1曲と最後の2曲はシングル曲のようで、残りの7曲がオリジナル・アルバムに収録されていた曲だった。

 その冒頭の"One Day"という曲は、ザ・ビートルズの"Eleanor Rigby"にイアン・アンダーソンのフルートが絡み合っているような曲で、緩急付けた展開は彼らの才能の片鱗をうかがわせてくれた。

 この曲は1972年に発表されている。ということは、デビュー・アルバムの発表後だったのだが、なぜかアルバムでは冒頭に配置されていた。普通、こういう曲はアルバムの最後にボーナス・トラックとしてもってくると思うのだが、どうだろうか。

 いきなり冒頭にもって来られると、アルバム・オリエンティッドな聞き方をしている自分にとっては、アルバム全体の音の傾向や先入観につながる恐れがあると思う。最初にもってくることはないと思ったのだが、その意図が分からなかった。

 次の"Marshy Legend"からオリジナル・アルバムの曲になるのだが、テンポがよく、ロックとクラシックの融合というよりも、ロック色の強い曲に仕上げられていた。
 ただ、フルートが前面に出ていて、メロディー自体は60年代後半の ブリティッシュ・ビート・バンドのようにポップで耳に馴染みやすいものだった。

 このCDの2曲目から6曲目まではボーカル入りの曲が目立っている。曲はすべて英語で歌われているので、世界的な活躍を視野に入れていたのだろう。

 4曲目(オリジナル・アルバムでは3曲目)の"8 Years Later"は表記ではインストゥルメンタル曲となっているが、実際は短いボーカルが入っていて、完全なインストゥルメンタル曲ではない。確かにボーカルの部分はとても短いので、あまり意味のある内容ではないのだろう。

 また、6曲目の"Senseless No.6"については、確かにインストゥルメンタル曲だった。この曲がオリジナル・アルバムではサイドAの最後の曲になるのだが、2分40秒程度の短い曲だ。

 このアルバムの中で一番話題になるのは"Groove Inside"だろう。この曲にも短い歌詞がついているのだが、むしろインストゥルメンタル曲といっていいほど、クラシカルでダークな印象がした。
 強いて言えば、サード・イヤー・バンドに近いだろうか。ポップなサイドAと比べると、180度違う、全く印象の異なった曲になっていて、これを聞いた当時の人たちはきっと驚くと同時に、困惑したに違いない。チェンバー・ロックとは、まさにこういう風な音楽を指すのだろう。

 とにかく16分という長い曲で、好き嫌いが分かれるような感じがした。タムタムとチェロ、バイオリンがメインで、それぞれがフィーチャーされていて延々とつながっていく。
 それなりに緊張感もあり、徐々に盛り上げようとする作り手の意思は感じるのだが、やっぱりちょっと違うよなあと思った。

 それになぜか最後の30秒にザ・ビートルズの"When I'm 64"をふざけて歌っていた。こういう意図もよくわからない。

 自分はこういう音楽は苦手なので、普段はほとんど聞かない。カタルシスを味わえないからというのが1番の理由なのだが、プログレであろうとなかろうと、精神的にもスッキリしないと聞いた気がしないのである。

 もともと彼らは、ザ・ビートルズのようなバンドになることを夢見ていたようで、スティーヴ・ウィンウッドの兄でアイランド・レコードのA&Rマンだったマフ・ウィンウッドに手紙を送り、ジョージ・ハリソンやリンゴ・スターに紹介状を書いてもらったりしていた。
 だからザ・ビートルズのようなポップ・テイストを備えた曲を書いたり、"When I'm  64"を歌ったのだあろう。

 バンド・メンバーのヴァルター・クイントゥスは9歳で地元のオーケストラのコンサート・マスターを務めるほどの実力を持っていて、18歳の時には、日本の大阪フィルハーモニー・オーケストラからコンサートマスター就任の要請まであったようだ。ただし、本人は断っている。

 因みに、パルツィヴァルは基本的に3人のメンバーで構成されていた。先ほどのヴァルターの他には、ドラムス、パーカッション担当のトマス・オリヴィエ、ギター&ボーカル担当のローター・ジームズだった。
 アルバム制作時には、チェロやフルート奏者などのゲスト・ミュージシャンが参加していた。

 彼らは、デビュー・アルバムから約2年後の1973年にはセカンド・アルバムとなる「バロック」を発表した。このアルバムのタイトルは、クラシックのバロック音楽とロック・ミュージックを掛け合わせている。彼らの音楽性を象徴しているかのようなアルバムになっていた。61bqcp6y4l 
 このアルバムも変則的な内容になっていて、オリジナルの楽曲にシングル曲や未発表のデモなどが添付されている。

 冒頭の"Souls Married to the Wind"は1972年に発表されたシングル曲で、前述の"One Day"とのカップリング曲だった。いかにも70年代を表しているようなメロディアスで覚えやすく、ドイツというよりもオランダやイタリアのシングル曲のような感じがした。エンディング部分のホーン・セクションがザ・ビートルズの"All You Need is Love"を髣髴させてくれる。

 オリジナルのレコードでは1曲目になる"Stories"もフルートが軽やかに舞い、リズムも軽快で、これまたシングル曲に向いている。彼らはかなりのポップ・センスを身につけているようだ。

 一転して、次の曲"Black Train"はプログレ色が強くなる。フルートが前面に出ているものの、演奏の部分では手堅いリズム・セクションにブラスやギターが加わり、疾走感を味わうことができる。8分34秒という時間を感じさせない曲だ。

 "Mrs.Virgin"にはプログレッシヴ・ロックでの必需品であるメロトロンが使用されているし、2分少々の短いインストゥルメンタル曲"Frank Supper"では映画の会話のようなSEも使用されていた。

 このアルバムは、前作よりもマイルドになっていて聞きやすい。長い曲も2曲しかなく、しかも8分程度だ。
 メロディーはわかりやすく、難解さは全くない。"Scarlet Horses"もバイオリンとメロトロンがメインで、3分過ぎに40秒程度のギター・ソロが出てくるものの、すぐにバイオリンのソロに取って代わられた。

 だから前作よりもロック色が出ていて、クラシカルな要素は後退している。要するに、売れるような音楽にシフトしたのだろう。
 音楽に向かう姿勢はプログレッシヴだったのだろうが、それでは食っていけないので、ポップ路線を歩み始めたといった感じがした。

 "It's A Pity"などはポップ・チャートで売れてもおかしくない曲で、オランダのショッキング・ブルーと比べても遜色はない。

 クラシカルな要素といえば、8曲目(オリジナル・レコードでは7曲目)の"Thought"だろうか。
 メロディはポップなものの、イアン・アンダーソン張りのフルートとエディ・ジョブソンのようなバイオリン・ソロが緊張感を高めてくれるし、時々顔をのぞかせるメロトロンもなかなかいい味を出している。

 しかもこの"Thought"は次の"Paradise"とつながっていて、エンディングを飾っていた。トータルでは14分近いパートになるのだが、当然意図した結果だろう。できれば、もう少しギターが目立ってくれるということはないのだが…

 彼らの音楽を聴きながら思ったのは、ドイツのバンドの中で、こういう楽曲の傾向を示すのは、どちらかというと少ない方だろうということだった。彼らはどんなバンドを手本にしたのだろうか。

 メロディは、ザ・ビートルズなどの60年代のバンドを意識しているのだろうが、曲の形式や雰囲気などはイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドを意識しているとは思えない。強いて言えば、ロイ・ウッド在籍時のエレクトリック・ライト・オーケストラ風なのだが、おそらくはメンバーとプロデューサーのコンラッド・プランクの協議の結果だろう。

 プロデューサーのコンラッドは、クラフトワークやグル・グル、ウルトラヴォックスにユーリズミックスなどを手掛けていて、アヴァンギャルドからエレクトロニクス系まで幅広く対応することができるプロデューサーだった。彼らの音楽性は、このコンラッドのアドバイスもあったのだろう。

 結局、商業的な成功を得ることができなかったパルツィヴァルだが、メンバー間の仲は良くて、今でも連絡を取り合っているようだ。

 たった2枚で解散してしまったが、特に2枚目の「バロック」などは隠れた傑作だと思っている。ジャーマン・ロックの中では、芸術的や抽象的な傾向に走らず、ポップとプログレッシヴ・ロックの間を繋いだ特異な存在だったのではないだろうか。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月21日 (月)

アブソリュート・エルスホェア

 さてさて、プログレッシブ・ロック生誕46周年を記念しての企画を継続中で、今週の一枚は1976年に発表された「古代宇宙人の謎」というアルバムである。

 このアルバムは全曲インストゥルメントで構成されていて、一応バンド名はアブソリュート・エルスホェアとなっているが、実際は、ポール・フィッシュマンというミュージシャンの手によるものだった。要するに、企画ものというわけだ。51mcyyyjjl
 ポール・フィッシュマンという人は、イギリス人のキーボード奏者だ。1955年5月生まれで、父親のジャック・フィッシュマンも映画音楽のスコアなどを手掛けるミュージシャンだった。

 簡単に彼の経歴を説明すると、父親の影響で音楽を始め、16歳でアート・スクールを卒業後に、ギルドホール音楽演劇学校に進学した。この学校にはあの有名なジョージ・マーティンも卒業しているという。

 ポールは、フルートや作曲法を学びながら、当時の先端楽器だったシンセサイザーなどの電子楽器にも親しんでいった。
 彼はビートルズや1970年代初期のクラシックとロックを融合したような音楽に関心をもち、スタジオ・ミュージシャンとして働きながら、自分でも作曲や演奏活動を始めていったようだ。

 ポール・フィッシュマンは、かつてビートルズの広報担当で、大手レコード会社のWEAイギリスの設立にもかかわったデレク・テイラーと親交を深めていき、彼の助言に従って、キーボード中心の電子楽器を使用したアルバムを制作しようと決意した。

 それでアート・スクール時代の同級生に声をかけ、ベーシストやギタリストを確保し、女性チェリストもギルドホール音楽演劇学校の卒業生に声をかけて録音に参加してもらった。

 問題はドラマーだった。なかなか決まらずにいたところ、何とあのロバート・フリップからビル・ブルーフォードを紹介されたのである。当時はクリムゾンも解散していたから、フリップもブルーフォードも特に問題はなかったのだろう。

 特にビルの方は、当時はイギリスのジェネシスやアメリカのパヴロフスズ・ドッグのアルバムやツアーに参加したり、ソロ・アルバムを発表したりしながら、自分の技量を高めていた時だったから、好都合だったかもしれない。

 アルバムのテーマを薦めたのもデレク・テイラーだった。最先端の楽器を古典音楽の手法で使用するという方法論に合うようなコンセプトということで、エーリッヒ・フォン・デニケンの著作「太古の宇宙人~太古に地球を訪れた宇宙人」が選ばれた。

 これはタイトルの通りの内容で、要するに古代文明でよく見られる宇宙服を着たような人物やロケット(のように見える)などの壁画やオーパーツなどの遺物を例に挙げて、古代の地球に宇宙人が飛来して、人類に文明を授けたもしくは親交を結んだというものである。
 確かに、古代と宇宙だから、古典的な音楽と最新電子楽器という組合せに相応しいといえるかもしれない。

 ほかにも、コロンブスが新大陸を発見する前に南極大陸が描かれていた古代の世界地図やツタンカーメン王の墳墓から発見された錆びないナイフなども記されていたようだ。雑誌「ムー」なら飛びつきそうな内容である。

 当時のLPレコードには、これを示すかのようなブックレットが付属していたようで、著書の簡単な内容やそれを証明するかのような写真などが記載されていたようだ。残念ながら、今年再発されたCDは廉価盤だったせいか、何もついていない。10940172233
 それで肝心のサウンドの方だが、確かに企画ものだけあって、トータル・アルバムという形式をとっていて、それなりに盛り上がるような構成になっている。

 全7曲だが、最後の"Return to the Stars"はエピローグを示すような環境音楽的要素を持つ楽曲なので、実質1曲目から6曲目までが聞かせる内容になっていた。

 基本は、ポールの操るキーボード群がメインなので、他の楽器はそんなに目立っていない。確かにビル・ブルーフォードの叩くドラムスはやや目立ってはいるものの、ジャズ的でもロック的でもなく、ひたすら陰に徹している。

 彼特有の硬質で乾いたサウンドは聞かれず、正確で無駄のないビートが刻まれているだけである。

 自分は、ビル・ブルーフォードが叩いているからという理由でこのアルバムを購入したので、その点では少しがっかりした。

 それでも6曲目の"Chariots of The Gods"では、手数の多いドラミングが楽しめるし、7分過ぎからのチェロの挿入やハイハットの多用などには、プログレッシヴ・ロック・ファンなら思わず聞きこんでしまうだろう。

 また1曲目の"Earthbound"のパート2"Future Past"は、たぶん冒頭から5分くらいに始まると思うけれど、この部分のエレクトリック・ギターが始まるところからのビルの演奏は、さすがにイエスやキング・クリムゾンで活動してきただけあって、緊張感を高めることに一役買っている。

 楽曲的に一番メロディアスなのは、3曲目の"Miracles of The Gods"で、マイナー調の日本人好みのフレーズを聞くと、何となくムーディー・ブルースを思い出してしまった。10940172232
 この曲は5部形式の組曲になっていて、全体で11分以上もあった。特に前半は、メロトロンも使用されていて、なかなかよい。フレーズ自体もイギリスらしく湿っぽくて、具体的なイメージを喚起しやすいものになっていた。

 4分過ぎのフルートもポール自身の演奏によるもので、なかなかリリカルで印象的な旋律を聞かせてくれる。このフルートの次にはエレクトリック・ピアノの調べも聞こえてきて、晩秋の今頃には似合いの曲だと思う。

 こういう曲がもう少しほかにもあれば、このアルバムも、もっと人気が出たような気がする。1976年ならアラン・パーソンズ・プロジェクトもデビュー・アルバム「怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界」を発表しているので、時期的にも相違はないだろう。

 ただ、あちらがこれ以降、世界中で人気になり、こちらのアルバムは一部の好事家の間だけで有名になっていったというのも、アルバムのコンセプトと同時に、制作者の意図というか意欲の違いによるものだろう。

 このアルバム以降のポール・フィッシュマンは、シンセサイザーを使ったディスコ・バンドを経て、1981年にリフレックスというシンセ・ビートのポップ・バンドを結成してヒットを飛ばしている。また、今もなお作曲活動を続けているそうである。

 何がきっかけでプログレッシヴ・ロックのアルバムは1枚きりで終わらせて、ポップ・バンドに変身したのかはよくわからない。手っ取り早く売れようとしたのか、それともコンセプト・アルバムのような大作を考えるのに疲れたのか。
 一度会ったら聞いてみたいものである。会うことは絶対にないと思うけれど。

 ともかく、このアルバムはいまだに再発されているということは、それなりにインパクトがあったのだろう。でも、どうせ発売するのなら、値段は多少高くなっても仕方ないので、できればオリジナルの形で再発してほしかった。

 プログレッシヴ・ロックの歴史的な変遷(音楽的進化やコンセプトの変化も含めて)も味わえるのではないかと思ったからだが、どうだろうか。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2016年11月14日 (月)

アラン・ホールズワース

 さて、秋も本格的に深まりつつある今日この頃、というより、むしろ冬の寒さが時折顔をのぞかせるような今日この頃といってもいいかもしれない。

 そんな晩秋に聞く音楽には、やはりプログレッシヴ・ロックが相応しいのではないかと思っている。
 それでプログレッシヴ・ロック生誕46周年を記念して、今回はイギリス・プログレッシヴ・ロック界の至宝あるいはマエストロと呼ばれるギタリスト、アラン・ホールズワースについて記したい。

 アランは、今年で70歳になった。常識的に考えれば高齢者の域に入るのだが、まだまだ若いものには負けられないとばかりに、現在も活躍中だ。Ilan1013_ilan_me
 あのフランク・ザッパは、アランのことを“地球上で、もっとも興味深いギタリストの一人だ”と称賛していたし、ジャズ・ギタリストのロべン・フォードは、“アランは、ギター界のジョン・コルトレーンだ。誰も彼のようには弾けない”と述べていた。

 また、エドワード・ヴァン・ヘイレンが最も影響を受けたギタリストとして、アランの名前を挙げている。「彼のフィンガリングが左手だけでコピーできなくて、だから右手も使うようになった」とライトハンド奏法のきっかけについて説明していた。

 アラン・ホールズワースは、1946年にイギリスのヨークシャー州、ブラッドフォードで生まれている。父親が音楽家だったせいで、幼い頃から音楽に親しみ、ピアノやサックスなどを演奏していた。

 普通は中学生の13、14歳くらいからギターを始めたというケースが多いのだが、アランの場合は17歳という遅咲きだった。
 アランにギターを教えたのは父親が最初だったが、ピアニストだったせいか、ピアノ鍵盤を叩くような感じでギターのフレット上の音を押さえさせていた。

 一般的に、クラシック・ピアノを専攻している人にとっては、コードで弾くという概念は希薄のようだ。だからアランの父親は、例えばCコードならド、ミ、ソを押さえるというように指導していて、元々アランは身長が高く、手も大きいのだが、あの驚異的な指の開きは父親の指導のせいだといわれている。

 また初めてのギターは、父親が祖父から譲り受けた中古のものだった。それをアランに与えたのだから、ひょっとしたらギター演奏に関しては、父親はあまり期待はしていなかったのかもしれない。Holdsworthlive
 地元のブラッドフォードでは、イギンボトムというジャズ・バンドを結成して、アルバム「イギンボトムズ・レンチ」を1枚発表したが、あまり満足しなかったようで、ロンドンに出てきてギター・フェスティバルなどに出場している。

 彼の正確で超人的な演奏は瞬く間に有名になり、1971年にはキーボーディストのアラン・ゴゥウェン、パーカッショニストのジェイミー・ミューアとともにサンシップというバンドを結成したが、アルバム録音までは至っていない。

 1972年にはイアン・カー率いるジャズ・ロック・バンドのニュー・クリアスのアルバムに参加し、翌年にはジョン・ハイズマンが結成したテンペストに加わり、デビュー・アルバムにクレジットされた。

 アランのキャリアの中で一番ロック寄りだったのが、このテンペストでの活動ではないだろうか。基本的にはジャズ・ロック・バンドなのだが、そんなに演奏中心ではなくて、むしろ歌ものアルバムだった。

 だから2分や3分台の曲もあって、アランのギターが目立つという訳ではなかった。それでも2曲目の"Foyers of Fun"や5曲目の"Up and On"、6曲目"Strangeher"におけるギター・ソロはさすがアラン・ホールズワースともいうべき流麗なギター・ソロを聞かせてくれている。0720tempest20ollie20halsall20and20a

 また、このアルバムの最終曲"Upon Tomorrow"ではバイオリン演奏も披露していて、最初のパートではジョン・ハイズマンのドラムと対抗しているのだ。その後は本来のギターに移るのだが、なかなか器用なところを見せてくれた。これも父親の影響なのだろう。

 その後、1975年にはソフト・マシーンに移籍し、アルバム「バンドルズ」制作に取り組んでいる。もともとはカンタベリー系のバンドだったソフト・マシーンは、1970年のアルバム「サード」からジャズ・ロックを志向し始めたが、リード楽器に関しては、サックスやキーボードが中心だった。

 だからバンドに初めて加入したギタリストがアラン・ホールズワースで、アルバム「バンドルズ」では、ギターがメインのリード楽器になっていてすべてインストゥルメンタルの曲で構成されていた。
 アランはエレクトリック・ギターだけでなく、一部アコースティック・ギターも演奏している。

 このアルバムでは、彼はかなり弾きまくっていて、十分その存在感を示していた。でもなぜか、この1枚を残してアランは脱退している。音楽的な相違があったのか、メンバー間における軋轢などがあったのかは定かではないが、いずれにしてもこのアルバム以降、ギターとキーボードの掛け合いを聞くことができなくなったのは、非常に残念なことだった。Soft_machinelr_mr_rb_kj_jm_ahpromo_
 その後、トニー・ウィリアムスのニュー・ライフ・タイムやゴング、ジャン=リュック・ポンティのアルバム「秘なる海」を経て、1978年にはあの伝説のバンド、U.K.に参加して、デビュー・アルバム「憂国の四士」を発表した。

 彼が一番プログレッシヴ・ロックのフィールドに近づいた時が、この時だったのではないだろうか。個人的にはエイジアの成功に対しての英国からの回答という感じがしたのだが、どうも最初から企画倒れだったような気がしてならない。

 何しろ4人とも個性が強すぎた。ジョン・ウェットンとビル・ブルーフォードのクリムゾン組は理解できるが、それにエディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースという取り合わせはよくなかった。

 エディのキーボードとバイオリンの自己主張が目立ってしまい、アランのギターが活かしきれていない。また、ジョンも歌を通して自分の存在感を示そうとするし、みんながそれぞれの方向を向いていた。アランももう少し自己主張をしたがっただろうが、残念ながらその願いは叶えられなかったようだ。

 結局、ロック組のジョンとエディ、ジャズ組のビルとアランという棲み分けになってしまい、後者の組が脱退してしまった。Allanholdsworth_uk_500px372p
 確かに"Thirty Years"でのギター・ソロは秀逸だと思うのだが、この天才ギタリストにたったこれだけしか弾かせないというのも問題だろう。クリムゾンのように、もう少し個人の活躍する余地を与えてあげれば、もっと長続きしたのではないかと思っている。

 アランが作曲にかかわったのは、最後の2曲だけだった。"Nevermore"ではイントロの部分と中間部で、アコースティック・ギターやエレクトリック・ギターの腕前を披露してくれているが、せめて自分の名前がクレジットされた曲においては、もう少し頑張ってほしかった。それにジョン・ウェットン歌い過ぎである。

 約8年間で8つ以上のバンドを経験したアランには、やはり欲求不満状態が募っていたに違いない。1977年にはソロ・アルバムを出してはいたが、アルバム制作上の制約が多く、また本人の承諾を得ないままリリースされてしまい、アランにとっては満足のいくものではなかった。

 必要以外のギターとアンプを売り払い資金を調達して、1982年に自主制作でソロ・アルバム「I.O.U.」を発表したものの、一部のプログレ・ファンを除いて、まだまだ世間の認知度は低かった。

 そしてアランを何とかメジャー・デビューさせたいと援助したのが、彼から最も影響を受けたというエドワード・ヴァン・ヘイレンだったのである。

 彼は、アランを当時アメリカのワーナー・ブラザーズ社長だったモー・オースティンに紹介し、何とかアルバムが制作されるように頼み込んだ。そして制作されたのが1983年作のミニ・アルバム「ロード・ゲームス」だった。61i88enxe2l
 ワーナーにしてみれば、売れるかどうかわからないミュージシャンと判断したのだろう。だからトータルで24分少々しかないアルバムになってしまった。

 ただミニ・アルバムにしては、プロデュースの一部をテッド・テンプルマン、ゲスト・ボーカルにテンペストの同僚だったポール・ウィリアムズと元クリームのジャック・ブルース、ベースにビル・ブルーフォード・バンドのジェフ・バーリン、ドラムスにはフランク・ザッパ・バンドのチャド・ワッカーマンと豪華な顔ぶれが並んでいた。

 アルバムの裏ジャケットには"There is no synthesizer or keyboards on this record"とまで記載されていて、まるでクイーンのレコードのようだった。

 このアルバムは大変評判になり、商業的にも成功して、1984年度グラミー賞のベスト・ロック・インストゥルメント・パフォーマンス部門にノミネートされ、ついにアランは世界的な名声を得るようになったのである。まさにエドワード・ヴァン・ヘイレンは、アランにとっては恩人に違いないのだ。

 この後アランは、ソロ・アルバム発表やライヴ活動を中心に活動している。自分は1993年に発表された「ハード・ハット・エリア」も好きで、時々車を運転しながら聞いている。71o8e5d68bl__sl1000_
 まあこのアルバムの速弾きも見事で、まるでフレットの上を滑走しているかのように弾きまくっている。とにかくフレーズが速すぎて音程や音の長短を理解する時間がない。サウンドが耳から入り頭の中で解釈している間に、次のサウンドが入ってくるのである。音楽を聞きながら目が回りそうになったのは初めての経験だった。

 それにエレクトリック・ギターの音というよりも、キーボードの音のように滑らかでアクがない。音の歪みがなくて聞きやすい反面、インパクトに欠けるというところもある。ただ、あの速さの方が衝撃的過ぎて、サウンド・エフェクトの方はそんなに気にはならないだろう。

 いまだに1回のピッキングで、最も多くの音数を出せるギタリストと言われているアランである。秘訣は大きな手を使ってのハマリングやプリング・オフであろうが、理屈ではわかっていても、誰も真似はできないところに彼の真骨頂が存在している。Aholdsworth1
 面白いことに、彼は自分をジャズ・ギタリストは思っていないし、インタビューでもそれを認めようとはしない。ジャズっぽいロック・ギタリストだと思っているようだ。

 アランは、ロックやジャズの分野を超越して、ギタリストが憧れる唯一無二のギタリストだ。まだまだ新作を発表してほしいし、今後の活躍を期待しているのである。

【追記】
 2017年の4月17日に、彼の訃報が突然入ってきた。詳細は不明だが、70歳だった。まだまだ、アルバムを発表してほしかっただけに、非常に残念だった。
 きっと、エドワード・ヴァン・ヘイレンも悲しんでいるに違いない。謹んでアランのご冥福をお祈りいたします。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月 7日 (月)

マン

 今日は朝の4時くらいに目が覚めた。冒頭から変な話で申し訳ないが、何となくウ〇コ臭くて、その匂いで目が覚めたのだ。ひょっとしたら自分が失禁ではなくて、脱糞をしたのではないかという不安が頭をよぎり、思わず自分のお尻を触ったのだが、そんなことはなくてホッと安心した。

 それでも、もし失禁を通り越して脱糞をしていたのなら、これはもう病気ではないかと思ったりしたのだが、それならこの悪臭は何なのだろうかとも考えた。でも、そんなことを考えながら再び惰眠に落ちてしまったのである。

 結局、目が覚めてテレビをつけると、ニュースで火山の噴火による噴煙が12000m以上も上がり、その影響だったということがわかった。ウ〇コ臭かったのも噴煙と同時に上がった硫黄の臭いということで、改めて自然の脅威を感じた。そして、直下型大地震や南海トラフの実現性や重大性を再認識した次第である。

 イギリスに、マンというバンドがあった。1960年代の初期から70年代にかけて活躍したバンドだが、今も散発的に活動を続けているようだ。Manslowmotion
 自分は一時、“マンフレッド・マン”と、この“マン”というバンドを混同していて、同じものだと思っていた。つまり、マンフレッド・マンが中心となって結成したバンドが、マンだと思っていたのである。

 マンフレッド・マンは、キーボーディストの個人名である。のちに、マンフレッド・マンズ・アース・バンドやマンフレッド・マン・チャプターⅢなどを結成して、優れたアルバムを次々と発表していたが、後者のマンはバンド名だった。

 彼らは、1962年にイギリスのウェールズで結成された。もともとはザ・バイスタンダーズと名乗っていて、1964年から68年の間に8枚のシングルを発表している。そのうち67年にシングル・カットされた"98.6"や68年の"Jesamine"などはヒットしているようだ。

 当時のメンバーは専任のボーカリストを含む5人で、中心人物はギタリストのミッキー・ジョーンズだろう。彼は設立当初から21世紀に至るまで、バンドに所属していたからだ。
 彼らは60年代後半から頻繁にメンバーチェンジを行っていて、68年ごろからマンと名乗るようになった。

 69年にファーストとセカンド・アルバムを発表し、メンバーを一新したあとの1971年に3枚目のアルバム「マン」を発表した。61enhitd1zl
 当初のマンは、時代の流れを反映して、ビート・バンドからサイケデリック・サウンドを追及するようになっていったが、一時期、プログレッシヴなサウンドを追及していた時があった。

 3枚目のアルバム「マン」も、そんなプログレ期へ移行していくマンのサウンドが詰め込まれていた。全5曲だが、1曲目の"Romain"は、スライド・ギターが効果的に使用されている普通のロックン・ロールだった。
 2曲目の"Country Girl"は、タイトル通りの幾分カントリーっぽい雰囲気に満ちていて、時間的も3分8秒と短い。

 3曲目の"Would The Christains Wait Five Minutes? The Lions Are Having A Draw"は、タイトルも長いが時間も長くて、12分52秒もあった。普段からライヴでは演奏していて好評なようで、それなら今回スタジオ・アルバムの中に収録しようということで、収められたらしい。

 曲は、ゆったりとした曲調で進んでいき、特にギターやキーボードが目立つということはない。インストゥルメンタルなので、もう少し起伏があって、エンディングに向けて盛り上がりがほしいところなのだが、あまりパッとしなかった。

 なぜこういう音楽がライヴで好評だったのか、よくわからない。おそらくはライティングやサウンド・エフェクトなどのステージ上の演出と相俟って、印象的だったからではないだろうか。

 "Daughter of The Fireplace"は、ピアノとギターのリフが印象的なロックン・ロールで、疾走感があってカッコいい。こういうところが、このバンドの真骨頂ではないだろうか。こんな曲をもっとやれば、すぐにメジャーになったのではないかと思われる。5分少々のよく練られた曲だった。作曲者は、もう一人のギタリストのロジャー(デューク)・レナードである。

 最後の曲"Alchemist"は20分41秒という長尺曲で、“錬金術師”というタイトルが示すように、イントロのSEか、もしくはキーボードのピコピコ音がちょっとおどろおどろしい感じがした。

 この曲も20分もある割にはまったりとし過ぎていて、面白みに欠ける。プログレッシヴ・ロックというよりは、ホークウインドのようなサイケデリック・ミュージックである。
 ただし、ホークウインドのような躍動感はなく、酩酊状態のようなトリップ感覚を呼び起こすような感じだった。

 この時のメンバー構成は、ギタリストが2名(そのうち1名はキーボードも兼任)に、キーボーディストとリズム・セクションだった。
 同じ1971年には4枚目のアルバムを発表したものの、長いライヴ活動からくる疲労で、キーボーディストのクライヴ・ジョンが脱退してしまった。上に張っている写真は、その時のものであろう。

 ただこのクライヴは、5枚目のアルバム制作時に、新しいメンバーとともにバンドに復帰している。そして新しい5人組で制作されたのが、1972年の「ビー・グッド・トゥ・ユアセルフ」だったのである。51zhmwh3j2l
 このアルバムには4曲しか収められていなくて、これらの曲が収められたアルバムを聞く限りは、プログレッシヴ・ロックのフィールドに近づいたように思えた。

 1曲目の"C'mon"から11分という長い曲になっている。“急~緩~急”という構成で、リスナーを飽きさせないようになっていた。最初と最後のパートではグニャグニャしたギター・ソロとキーボードが強調されていて、それなりに緊張感が漂っている。

 そしてシームレスで2曲目の"Keep on Crinting"に続いているが、この辺は何となくカンタベリー系のバンドのアルバムのようだった。

 前述のアルバム「マン」よりは演奏がしっかりしていて、曲構成もよく考えられている。特にこの2曲目の"Keep on Crinting"はインストゥルメンタルなので、各自の演奏技術が試されているのだが、安定したリズムの上に、ギターやキーボードがそれぞれの個性を発揮していてなかなか良い。高速道路を走るときのBGMに相応しいような8分余りの曲だ。

 オリジナルのLPレコードではこの2曲がサイドAで、3曲目の"Bananas"からサイドBになる。

 この"Bananas"は9分28秒もあり、イントロのギター・リフから始まり“俺はバナナが好きだ、骨がないから”とか“俺はマリ〇ナが好きだ、気持ちよくさせるから”などという訳のわからない歌詞がついてくる。

 歌詞は意味不明だが、曲調はノリが良くて安定感があった。まあ歌詞よりも演奏を重要視しているのであろう。ただ、それぞれの楽器のテクニカルな要素というのは少なくて、総合的な曲構成やフレーズで印象づけている。

 最後の曲の"Life on the Road"はやや遅めのブギウギ風ロックン・ロールで、これはやはりプログレッシヴ・ロックとは言えないだろう。むしろアメリカ南部のサウンドで、レナード・スキナードあたりがやってもおかしくない曲だと思う。

 だからマンは、長いバンドの歴史の中で、どの時期かによるけれども、様々な様態を持っている。
 ただ言えることは、プログレッシヴ・ロックというよりは、サイケデリック・ロックやロックン・ロール・バンドに近いということだろう。

 彼らは、1976年に一旦解散してしまうのだが、1983年に元ジェントル・ジャイアントのドラマーだったジョン・ウェザーズを迎え入れて再結成し、アルバムを発表、活動を再開した。

 ただ残念なことに、中心メンバーだったミッキー・ジョーンズは、脳腫瘍が原因で2010年に亡くなっている。現在は、ベース&ギター担当のマーティン・エースが後を引き継ぎ活動を続けていて、2015年には「リアニメイティッド・メモリーズ」を発表した。

 マンというバンドは、日本では潜在的な能力は高いがそれを十分に発揮できなかったバンドとして認知されている。もう少し商業的に売れていれば、あるいはもっとアルバム・ジャケットを工夫していれば、もっと違う立場になったであろう。

 それは噴火した火山のようなもので、内に秘めた力を発揮できたかできなかったかによる差のように思えてならないのである。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »