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2016年11月14日 (月)

アラン・ホールズワース

 さて、秋も本格的に深まりつつある今日この頃、というより、むしろ冬の寒さが時折顔をのぞかせるような今日この頃といってもいいかもしれない。

 そんな晩秋に聞く音楽には、やはりプログレッシヴ・ロックが相応しいのではないかと思っている。
 それでプログレッシヴ・ロック生誕46周年を記念して、今回はイギリス・プログレッシヴ・ロック界の至宝あるいはマエストロと呼ばれるギタリスト、アラン・ホールズワースについて記したい。

 アランは、今年で70歳になった。常識的に考えれば高齢者の域に入るのだが、まだまだ若いものには負けられないとばかりに、現在も活躍中だ。Ilan1013_ilan_me
 あのフランク・ザッパは、アランのことを“地球上で、もっとも興味深いギタリストの一人だ”と称賛していたし、ジャズ・ギタリストのロべン・フォードは、“アランは、ギター界のジョン・コルトレーンだ。誰も彼のようには弾けない”と述べていた。

 また、エドワード・ヴァン・ヘイレンが最も影響を受けたギタリストとして、アランの名前を挙げている。「彼のフィンガリングが左手だけでコピーできなくて、だから右手も使うようになった」とライトハンド奏法のきっかけについて説明していた。

 アラン・ホールズワースは、1946年にイギリスのヨークシャー州、ブラッドフォードで生まれている。父親が音楽家だったせいで、幼い頃から音楽に親しみ、ピアノやサックスなどを演奏していた。

 普通は中学生の13、14歳くらいからギターを始めたというケースが多いのだが、アランの場合は17歳という遅咲きだった。
 アランにギターを教えたのは父親が最初だったが、ピアニストだったせいか、ピアノ鍵盤を叩くような感じでギターのフレット上の音を押さえさせていた。

 一般的に、クラシック・ピアノを専攻している人にとっては、コードで弾くという概念は希薄のようだ。だからアランの父親は、例えばCコードならド、ミ、ソを押さえるというように指導していて、元々アランは身長が高く、手も大きいのだが、あの驚異的な指の開きは父親の指導のせいだといわれている。

 また初めてのギターは、父親が祖父から譲り受けた中古のものだった。それをアランに与えたのだから、ひょっとしたらギター演奏に関しては、父親はあまり期待はしていなかったのかもしれない。Holdsworthlive
 地元のブラッドフォードでは、イギンボトムというジャズ・バンドを結成して、アルバム「イギンボトムズ・レンチ」を1枚発表したが、あまり満足しなかったようで、ロンドンに出てきてギター・フェスティバルなどに出場している。

 彼の正確で超人的な演奏は瞬く間に有名になり、1971年にはキーボーディストのアラン・ゴゥウェン、パーカッショニストのジェイミー・ミューアとともにサンシップというバンドを結成したが、アルバム録音までは至っていない。

 1972年にはイアン・カー率いるジャズ・ロック・バンドのニュー・クリアスのアルバムに参加し、翌年にはジョン・ハイズマンが結成したテンペストに加わり、デビュー・アルバムにクレジットされた。

 アランのキャリアの中で一番ロック寄りだったのが、このテンペストでの活動ではないだろうか。基本的にはジャズ・ロック・バンドなのだが、そんなに演奏中心ではなくて、むしろ歌ものアルバムだった。

 だから2分や3分台の曲もあって、アランのギターが目立つという訳ではなかった。それでも2曲目の"Foyers of Fun"や5曲目の"Up and On"、6曲目"Strangeher"におけるギター・ソロはさすがアラン・ホールズワースともいうべき流麗なギター・ソロを聞かせてくれている。0720tempest20ollie20halsall20and20a

 また、このアルバムの最終曲"Upon Tomorrow"ではバイオリン演奏も披露していて、最初のパートではジョン・ハイズマンのドラムと対抗しているのだ。その後は本来のギターに移るのだが、なかなか器用なところを見せてくれた。これも父親の影響なのだろう。

 その後、1975年にはソフト・マシーンに移籍し、アルバム「バンドルズ」制作に取り組んでいる。もともとはカンタベリー系のバンドだったソフト・マシーンは、1970年のアルバム「サード」からジャズ・ロックを志向し始めたが、リード楽器に関しては、サックスやキーボードが中心だった。

 だからバンドに初めて加入したギタリストがアラン・ホールズワースで、アルバム「バンドルズ」では、ギターがメインのリード楽器になっていてすべてインストゥルメンタルの曲で構成されていた。
 アランはエレクトリック・ギターだけでなく、一部アコースティック・ギターも演奏している。

 このアルバムでは、彼はかなり弾きまくっていて、十分その存在感を示していた。でもなぜか、この1枚を残してアランは脱退している。音楽的な相違があったのか、メンバー間における軋轢などがあったのかは定かではないが、いずれにしてもこのアルバム以降、ギターとキーボードの掛け合いを聞くことができなくなったのは、非常に残念なことだった。Soft_machinelr_mr_rb_kj_jm_ahpromo_
 その後、トニー・ウィリアムスのニュー・ライフ・タイムやゴング、ジャン=リュック・ポンティのアルバム「秘なる海」を経て、1978年にはあの伝説のバンド、U.K.に参加して、デビュー・アルバム「憂国の四士」を発表した。

 彼が一番プログレッシヴ・ロックのフィールドに近づいた時が、この時だったのではないだろうか。個人的にはエイジアの成功に対しての英国からの回答という感じがしたのだが、どうも最初から企画倒れだったような気がしてならない。

 何しろ4人とも個性が強すぎた。ジョン・ウェットンとビル・ブルーフォードのクリムゾン組は理解できるが、それにエディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースという取り合わせはよくなかった。

 エディのキーボードとバイオリンの自己主張が目立ってしまい、アランのギターが活かしきれていない。また、ジョンも歌を通して自分の存在感を示そうとするし、みんながそれぞれの方向を向いていた。アランももう少し自己主張をしたがっただろうが、残念ながらその願いは叶えられなかったようだ。

 結局、ロック組のジョンとエディ、ジャズ組のビルとアランという棲み分けになってしまい、後者の組が脱退してしまった。Allanholdsworth_uk_500px372p
 確かに"Thirty Years"でのギター・ソロは秀逸だと思うのだが、この天才ギタリストにたったこれだけしか弾かせないというのも問題だろう。クリムゾンのように、もう少し個人の活躍する余地を与えてあげれば、もっと長続きしたのではないかと思っている。

 アランが作曲にかかわったのは、最後の2曲だけだった。"Nevermore"ではイントロの部分と中間部で、アコースティック・ギターやエレクトリック・ギターの腕前を披露してくれているが、せめて自分の名前がクレジットされた曲においては、もう少し頑張ってほしかった。それにジョン・ウェットン歌い過ぎである。

 約8年間で8つ以上のバンドを経験したアランには、やはり欲求不満状態が募っていたに違いない。1977年にはソロ・アルバムを出してはいたが、アルバム制作上の制約が多く、また本人の承諾を得ないままリリースされてしまい、アランにとっては満足のいくものではなかった。

 必要以外のギターとアンプを売り払い資金を調達して、1982年に自主制作でソロ・アルバム「I.O.U.」を発表したものの、一部のプログレ・ファンを除いて、まだまだ世間の認知度は低かった。

 そしてアランを何とかメジャー・デビューさせたいと援助したのが、彼から最も影響を受けたというエドワード・ヴァン・ヘイレンだったのである。

 彼は、アランを当時アメリカのワーナー・ブラザーズ社長だったモー・オースティンに紹介し、何とかアルバムが制作されるように頼み込んだ。そして制作されたのが1983年作のミニ・アルバム「ロード・ゲームス」だった。61i88enxe2l
 ワーナーにしてみれば、売れるかどうかわからないミュージシャンと判断したのだろう。だからトータルで24分少々しかないアルバムになってしまった。

 ただミニ・アルバムにしては、プロデュースの一部をテッド・テンプルマン、ゲスト・ボーカルにテンペストの同僚だったポール・ウィリアムズと元クリームのジャック・ブルース、ベースにビル・ブルーフォード・バンドのジェフ・バーリン、ドラムスにはフランク・ザッパ・バンドのチャド・ワッカーマンと豪華な顔ぶれが並んでいた。

 アルバムの裏ジャケットには"There is no synthesizer or keyboards on this record"とまで記載されていて、まるでクイーンのレコードのようだった。

 このアルバムは大変評判になり、商業的にも成功して、1984年度グラミー賞のベスト・ロック・インストゥルメント・パフォーマンス部門にノミネートされ、ついにアランは世界的な名声を得るようになったのである。まさにエドワード・ヴァン・ヘイレンは、アランにとっては恩人に違いないのだ。

 この後アランは、ソロ・アルバム発表やライヴ活動を中心に活動している。自分は1993年に発表された「ハード・ハット・エリア」も好きで、時々車を運転しながら聞いている。71o8e5d68bl__sl1000_
 まあこのアルバムの速弾きも見事で、まるでフレットの上を滑走しているかのように弾きまくっている。とにかくフレーズが速すぎて音程や音の長短を理解する時間がない。サウンドが耳から入り頭の中で解釈している間に、次のサウンドが入ってくるのである。音楽を聞きながら目が回りそうになったのは初めての経験だった。

 それにエレクトリック・ギターの音というよりも、キーボードの音のように滑らかでアクがない。音の歪みがなくて聞きやすい反面、インパクトに欠けるというところもある。ただ、あの速さの方が衝撃的過ぎて、サウンド・エフェクトの方はそんなに気にはならないだろう。

 いまだに1回のピッキングで、最も多くの音数を出せるギタリストと言われているアランである。秘訣は大きな手を使ってのハマリングやプリング・オフであろうが、理屈ではわかっていても、誰も真似はできないところに彼の真骨頂が存在している。Aholdsworth1
 面白いことに、彼は自分をジャズ・ギタリストは思っていないし、インタビューでもそれを認めようとはしない。ジャズっぽいロック・ギタリストだと思っているようだ。

 アランは、ロックやジャズの分野を超越して、ギタリストが憧れる唯一無二のギタリストだ。まだまだ新作を発表してほしいし、今後の活躍を期待しているのである。

【追記】
 2017年の4月17日に、彼の訃報が突然入ってきた。詳細は不明だが、70歳だった。まだまだ、アルバムを発表してほしかっただけに、非常に残念だった。
 きっと、エドワード・ヴァン・ヘイレンも悲しんでいるに違いない。謹んでアランのご冥福をお祈りいたします。


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