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2017年2月

2017年2月27日 (月)

サーカ(2)

 Yosoというバンドは長続きしなかったが、それでも3年間近く活動し、1枚だけアルバムを残している。「エレメンツ」という名前のアルバムで、これは今でもアマゾン等で手に入れることができる。

 基本的にYosoは、2009年当時のサーカにボビー・キンボールが参加したもので、専任のボーカリストが入ったおかげで、ビリーは演奏に集中できるようになり、バンドとしてもまとまっていった。Yoso_band

 当時の彼らのライヴでは、TOTOの"Rosanna"や"Hold the Line"、イエスの"Owner of A Lonely Heart"や"Roundabout"、メドレー形式での"Yours is No Disgrace"や"Heart of the Sunrise"などもYosoのオリジナル曲と一緒に演奏されていて、それらはライヴ・アルバムとしても発表されていたようだ。自分は聞いていないので、近いうちに購入しようと思っている。

 ボビーのドラッグ癖や酒癖の悪さは昔から定評があったようで、だいたいあんなに売れていたTOTOを辞めたのも、辞めたというよりは首になったといった方が正しかった。

 結局、2011年にはサーカの再活動を始めたのだが、その時はギタリストとドラマーが不在だったので、ビリーがキーボードを除くすべての楽器を演奏した。そうしてつくりあげたのがバンドとして3枚目の「アンド・ソウ・オン」だった。

 このアルバムのジャケットには写真が掲載されていたが、それにはビリー・シャーウッドとトニー・ケイしか写っていなかった。要するに、バンドというよりは、2人のプロジェクトになっていったようだ。

 アルバムは全9曲で、1曲目のアルバム・タイトル曲からイエスっぽい雰囲気を漂わせている。61a62um7tl
 こうやってイエスの二番煎じ的なバンドの曲を聞いていると、逆に本家のイエスがどういう音楽性を持っているのかがよくわかるというものだ。

 結局、イエスの特徴は
①緩急つけた複雑でドラマティックな曲展開
②プログレにはおよそ似つかわしくないハーモニー・コーラス
③聞かせどころを押さえたそれぞれの楽器のソロ・プレイ
④アタックの効いたハードなベース音と硬質なドラム・サウンド
⑤効果的なアコースティック&スティール・ギターの使用
⑥多種多彩なキーボードの使用
⑦複雑な曲の中にも分かりやすいメロディー・ラインを含む
 等だろう。
 
 このアルバムでもビリーの演奏するベース・ギターはクリス・スクワイヤの演奏にそっくりだし、1曲目は9分弱、7曲目のややスローなイントロから徐々に盛り上がっていく曲"True Progress"も7分弱もある。途中でアコースティック・パートを挿入するあたりも本家イエスを踏襲しているようだ。

 3曲目の"'Til We Get There"では、アコースティック・ギターが導入されて牧歌的なイントロからやがてアップテンポになり、モダンな雰囲気に変わっている。こういう曲をイエス・ファンは待っているのではないだろうか。曲時間も6分35秒あった。

 4曲目の"Notorious"も素朴で分かりやすいメロディーラインを持っていて、清涼剤的な役割を持っている。こういう曲が収められている点でも、サーカは1st、2ndアルバムよりは進化してきたといえるだろう。

 サーカ的ミディアム・ハード・ロックが"Half Way Home"だ。ここではビリーの弾くエレクトリック・ギターが炸裂している。ただところどころにコーラスがついている点が、純粋な意味でのハード・ロックとは異なってくる。この辺がイエス・ファミリーのいいところではないだろうか。

 "In My Sky"はアコースティック・ギター弾き語りのバラードで、ジョン・アンダーソンが歌ったらもっと印象的になるだろうと思ってしまった。

 このサーカの弱点は3つあって、一つはボーカルの弱さだろう。せっかくの申し分のない曲が印象薄になっているのも、ボーカルが弱いからだ。そういう意味では、専任のボーカリストを入れたYosoもアイデアとしては悪くなかったと思う。

 ただ、ボビー・キンボールではポップネスさが表に出てしまって、プログレ色が薄くなってしまうと思うのだがどうだろうか。それを確かめるためにも、Yosoのアルバムは手に入れた方がいいと思っている。

 2つ目は、トニー・ケイのソロ・プレイだ。基本的にこの人はオルガニストなので、ハモンド・オルガンのソロ・プレイは素晴らしいが、それ以外のソロはほとんど稀である。このアルバムの最後の曲"Life's Offering"は10分以上もあるのだが、それでもオルガンを弾いていた。イエスでなぜリック・ウェイクマンが重宝されているかがよくわかると思う。3334
 ところで、このアルバムには「オーヴァーフロウ」というミニ・アルバム、といっても7曲40分以上もあるものが付属していて、2枚組になっていた。
 これは彼らの1stと2ndアルバムのアウトテイク集のようだ。それにしてもよくできていて、オリジナル・アルバムに収録されなかったのが不思議なくらいだった。

 このアルバムの曲は4分、5分台の曲が多いことから、どちらかというとポップな傾向が強かった。おそらくは曲の傾向と時間的な問題から、オリジナル・アルバムには収録されなかったのだろう。

 アルバムを発表するごとに、徐々にイエス色が薄れていき、ポップで耳に残りやすいメロディーを含む曲が増えていった。だからこの3枚目のアルバム「アンド・ソウ・オン」はなかなかの良盤だと思っている。

 3枚目のアルバムから約5年後、彼らは「ヴァレー・オブ・ザ・ウィンドミル~風車の谷の物語」というアルバムを発表した。
 このアルバムでは、前回までのポップな要素をやや削ぎ落として、プログレッシヴ・ロックの王道的なサウンドに回帰していた。

 全4曲(国内盤ではボーナス・トラック付きの5曲)で、最も短い曲で7分32秒、最も長い曲で18分43秒だった。4曲合計で50分20秒である。本家のイエスを凌ぐ容量だ。さすがビリー&トニーである。
 しかもこのアルバムでは、バンド編成になっていて、ベーシストとドラマーが新たにクレジットされていた。

 このアルバムでも、さすがにトニーは他のキーボードも演奏しているようだが、基本はオルガンを弾いている。また、如何せんボーカルの線が弱いのもネックのままだった。クリス・レインボウのような専任ボーカリストを入れればいいのに、といつも思ってしまう。

 それから彼らの弱点の3つ目を言い忘れていたけれども、それはギター・ソロが目立たない点である。長厚重大な曲の中に埋もれてしまっていて、せっかくのギター・ソロが目立たないのである。

 せめてソロ・プレイの時にはもう少しバックにおとなしくしてもらうとか、ギターにエフェクトを効かせるとか、あるいは際立って速いパッセージを弾くとか、何か工夫がほしいのだ。51emnfwijml

 このアルバムではボーカリストではなく、リック・ティアーニーという専任ベーシストを加入させていて、ビリーはギターにまわっている。だからギター・ソロはそこかしこに用意されているのだが、アルバムを通して聞くと印象に残らないのである。

 ある意味、器用貧乏なのかもしれない。ギターもベースもキーボードやドラムまで、何でも一通りこなすことができて、しかもレベルも高いのだが、なぜか記憶に残るようなフレーズが少ないのである。自分の感性が鈍ってきたせいだろうか。

 ちなみに、このアルバムのドラムはスコット・コナーが担当していた。彼は現在56歳で、歌も歌えるという。Yosoからの付き合いのようだ。

 確かに良いアルバムには違いないと思うのだが、繰り返し聞きたくなるかというと、ちょっとどうかなあと思ってしまう。
 自分にとってはトランスアトランティックやムーン・サファリ、スティーヴン・ウィルソンのアルバムの方に手が出てしまうのである。

 だから、もっとメジャーを目指すのであれば、
①専任ボーカリストを加入させる
②トニー・ケイにピアノやメロトロンも使用させる
③印象的なギターのフレーズを考える
 等を工夫すればいいと思っている。

 あとは曲もコンパクトにまとめればもっといいかもしれない。90125イエスで学んだことをビリーにはもっと発揮してもらいたいと願っている。そうすれば、このバンドは単なるコピー風なバンドから、オリジナリティ溢れるバンドへと変身していくだろう。

 本家のイエスは、クリスが亡くなり、アランも病気で以前のようには叩けない状況だ。まさに“スティーヴ・ハウズ・イエス”になってしまった。これをイエスと呼んでいいのかどうなのか、わからない。むしろサーカの方がよりイエスらしいだろう。

 ファンは、イエスの遺伝子を正統に受け継いでくれるバンドを欲している。ビリーはまだ51歳だ。イエスのみならず、願わくば次世代のプログレ界の牽引をしてほしいものである。

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2017年2月20日 (月)

サーカ(1)

 昨年の話であるが、何かいいアルバムはないかと探していたら、サーカというバンドに出会った。ちょうどジョン・アンダーソンとロイネ・ストルトとのアルバムが発表された後の頃だった。

 このサーカというバンドに驚いたのには、理由がある。何しろオリジナル・メンバーの4人のうち3人が元イエスに所属していたし、残りの一人もイエスのアルバムで演奏していたのである。正確に言うと、次のようなメンバーで構成されていた。

 ベース   …ビリー・シャーウッド
 ドラムス  …アラン・ホワイト
 キーボード…トニー・ケイ
 ギター    …ジミー・ハーン

 見てわかるように、トニー・ケイはイエスのオリジナル・メンバーだったし、アラン・ホワイトも2代目ドラマーとして70年代から活躍している。
 ビリーは1996年から2000年までイエスに在籍して、「オープン・ユア・アイズ」や「ザ・ラダー」制作に携わっていた。

 ギタリストのジミーもイエスの1991年のアルバム「結晶」にサポート・ミュージシャンとして参加していたし、クリス・スクワイアとビリー・シャーウッドのアルバムにもクレジットされていた。要するに、みんな“イエス・ファミリー”の一員なのである。Circa_portrait
 トニー・ケイは1994年のアルバム「トーク」に参加はしたものの、ミュージック・ビジネスに興味を失ったようで、その後は、一時、引退生活を送っていた。
 ところがピンク・フロイドのトリビュート・アルバムを制作するときにトニー・ケイにもお声がかかり、ビリー・シャーウッドと再会して、彼らはバンド結成に至ったのである。

 彼らは2006年末に正式にバンドとして活動を始め、デビュー・アルバムは翌年の1月からビリーの自宅で録音が始まり、その年の9月には発表された。
 全9曲で、一聴してわかるように、イエスのコピー・バンドといっていいようなサウンドで固められている。61oqkidr9fl
 ビリーのベース・プレイは、クリス・スクワイアのそれといっていいほど酷似しているし、アランのドラミングもまだまだ現役でも十分通じるような(今となっては考えられない程)溌溂とした切れ味のよい演奏を披露している。当時57歳だったから、まだまだ叩けたのだろう。

 イエスといってもその活動歴は50年近くなるので、彼らのサウンドといっても、その時期によって多少ニュアンスが違ってくる。
 このサーカの場合は、90125イエスにやや近い。ちょっとモダンでコンパクトな雰囲気を携えていて、それぞれのソロ・テクニックもやや控えめである。

 1曲目の"Cut the Ties"などを聞くと、1971年の3枚目のアルバムである「イエス・アルバム」の"Yours is No Disgrace"によく似たギター・フレーズやメロディが飛び出してきて、思わずニンマリしてしまった。

 また、2曲目の"Don't Let Go"と8曲目の"Look Inside"の曲のクレジットには、トレヴァー・ラビンの名前も見られる。おそらくは、90125イエスの時に作った曲群のアウトテイクではないだろうか。

 両曲ともゆったりとした曲調で、そんなに耳に残るようなメロディや、印象に残る構築美を誇るものではない。やはり当時の90125イエスの公式アルバムには収録されなかった理由がありそうな気がした。

 個人的に気になったのは、最後の曲"Brotherhood of Man"だ。この曲だけは、このアルバムの中で11分以上もあり、組曲のような形式になっていた。ただ、これも残念なことには、全体的には穏やかな曲に仕上げられていることで、最初の2分程度はアップテンポになっていて、これでグイグイ押していくと思ったら、やがてまたスローダウンしていってしまった。

 往年のイエスなら、ここでギター・ソロやピアノ、キーボード・ソロを織り交えて展開していくのであるが、ここではそうなっていない。イエス・ファンとしてはちょっと物足らないのである。

 その後、イエス本体が活動を再開したため、アラン・ホワイトはそちらの方に戻ってしまった。
 ドラマーが不在になったために、ビリーは80年代末にロサンジェルスで結成したバンド、ワールド・トレイドで一緒に活動していたジェイ・シェリンに声をかけてバンドに誘った。彼はまた、ギター担当のジミー・ハーンともロジックというバンドで活動していたので、サーカにとっては気心が知れたミュージシャンだったようだ。

 彼らは2008年から曲作りを始め、翌年にはセカンド・アルバム「HQ」を発表した。デビュー・アルバムはイエスというバンドのコピー程度のものだったが、このアルバムから徐々に彼らのオリジナリティーが芽生えてくる。61sufxiyqbl

 何しろ1曲目の"If It's Not Too Late"から10分50秒もある大作が用意されている。複雑な構成を持つこの曲は、4人のチームワークの結果から生み出されたというべきものだろう。

 2曲目はギタリスト、ジミー・ハーンによるアコースティック・ギターのインストゥルメンタル曲で、1分18秒と短い。ただ、この曲においてはテクニック的には見るべきものはなく、トレヴァー・ラビンの方が100倍は上手に聞こえてきそうだ。

 ただ、本人の名誉のために言っておくが、ジミー自体は非常に優秀なギタリストであり、テクニック的にも決して劣っているわけではない。ヴァンゲリスや日本人の喜多郎とも交流があり、最近では映画のスコアも手掛けているほどだ。
 あくまでもこの"Haun Solo"という曲においては、彼のテクニックが十分発揮されたわけではないと思っているだけである。

 また、5曲目のインストゥルメンタル曲"Set to Play"は1分49秒と短いものの、白熱したインタープレイになっていた。個人的にはこの曲をもう少し膨らませて、完全な独立した曲として扱ってほしかったと思っているのだが、でも、次の曲"Ever Changing World"とつながっていて、そういう意味では、よく考えられていると思った。

 その"Ever Changing World"はアップテンポで、ロック的なダイナミズムに溢れている。こういう曲をもっとやると、若者にも受けるのではないかと思ったりもした。

 3曲目の"False Start"の3分過ぎでは、1974年のアルバム「リレイヤー」の3曲目"To Be Over"の中に出てくるフレーズによく似たメロディ・ラインを聞くことができて、この辺はご愛嬌というか、昔のファンなら泣いて喜びそうなところだと思う。

 個人的に好きなのは8曲目の"Twist of Fate"で、このスリリングな曲展開や途中の爆発するギター・ソロなどは、とても魅力的なのである。こういう傾向の曲がもう1,2曲あれば、もっと話題になって売れたのではないだろうか。

 最後の曲"Remember Along The Way"もドラマティックな曲で、12分36秒もあった。さすがにこういう長い曲になると、ギター・ソロあり、キーボード・ソロあり、果てはアコースティックな部分やハードな部分も盛り込まれて、興味深く聞くことができた。途中のフルート・ソロはクレジットがないところを見ると、キーボードで出しているのかもしれない。

 8分過ぎにはギターとキーボードのソロを聞くことができるのだが、相互に掛け合うかと思ったら、すぐに終わってしまった。
 
 21世紀の時代には、昔のような重厚長大な楽曲は似合わないのかもしれないが、ファンとしてはもう少し引っ張ってほしかったと思っている。そうはいってもエンディングは非常に盛り上げられていて、なかなかのものであった。 

 セカンド・アルバムは、全体的にはデビュー・アルバムよりは各曲の構成が複雑になり、時間が長くなっている。そういう点では努力の跡がうかがえるだろう。

 彼らはアルバム発表後、ツアーを行ってプロモーションを行ったが、話題にはなったものの、商業的には成功しなかった。
 ただ、面白いことに、元TOTOのボーカリストであるボビー・キンボールと合体してYOSOというプロジェクトを始め、2010年にはアルバムを発表している。

 YOSOとは“Yes”と“TOTO”が合体してできたネーミングだった。彼らはアルバム発表後もツアーを行ったのだが、ボビー・キンボールはアルコール中毒だったために、途中でドロップアウトしてしまい、結局、バンドは2011年に解散してしまった。

 それでビリー・シャーウッドとトニー・ケイは、サーカに戻って活動を再開したのだが、ジミー・ハーンとジェイ・シェリンは自身の活動が忙しくなってしまい、サーカには加わらなかったのである。(To Be Continued...)

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2017年2月13日 (月)

コンスパイラシー・ライヴ

 昨年は、プログレッシヴ・ロック界でも偉大なミュージシャンが鬼籍に入った。3月にキース・エマーソンは自殺するし、年末にはグレッグ・レイクが病死している。これでE,L&Pはひとりになってしまい、もう伝説の中でしか存在しなくなってしまった。

 また、今回のブログの話題に関するイエスのクリス・スクワイアは一昨年の6月に亡くなっている。まだ67歳だった。イエスの中で唯一のオリジナル・メンバーだった。

 オリジナル・メンバーがいなくなると、普通は解散して歴史の中でしか存在しなくなるのだが、イエスの場合は代わりのメンバーを入れて、ツアーを続けていた。そのクリスの代わりに加入したのがビリー・シャーウッドだったのである。

 一説によると、クリスを見舞いに行ったビリーは、クリスからこう言われたらしい。“イエスの継続にとって、君は重要な存在だ。私の存在を意識せず、イエスで自分の役割を全うしてくれ”

 その結果、イエスのツアーに参加してベース・ギターを演奏しコーラスをつけるなど、クリスの遺志を継いだ熱いパフォーマンスを繰り広げていた。Billysherwood
 そんなビリーは1965年に、アメリカのラスヴェガスに生まれた。父親は俳優でジャズ・バンドのリーダー、母親は歌手という音楽一家に生まれていて、兄のマイケル・シャーウッドもキーボード・プレイヤーだった。ビリーがこういう人生を送るのも、ある意味、歴史の必然だったのだろう。

 このブログでも2006年に取り上げていたので、知っている人は知っていると思うけれど、クリスとビリーは昔から交流があって、1989年のビリーが中心になって結成したバンドであるワールド・トレイドのデビュー・アルバムから具体的に始まっていた。

 当時のイエスは、“90125イエス”と呼ばれていて、コンパクトでエッジのきいたプログレッシヴ・ロックをやっていた。これは当時ギタリストとして加入していたトレヴァー・ラビンの功績だったのだが、アルバム「ビッグ・ジェネレイター」発表後、そのトレヴァーとボーカルのジョン・アンダーソンが脱退してしまった。

 そのあとを埋めるために、クリスはビリーとビリーの友人だったギタリストのブルース・ゴーディに声をかけたのだ。

 結局、彼らはイエスには加入しなかったのだが、ビリーの方は「トーク」ツアーにサポート・ミュージシャンとして参加したり、1997年にはキーボード・プレイヤーとしてイエスに参加し、アルバム「オープン・ユア・アイズ」制作に加わったりしていた。これもクリスからのプッシュがあったからだろう。

 ビリーはまた、いわゆるマルチ・ミュージシャンで、ベース・ギターやキーボードだけでなく、ギターやドラムの方も達者のようだ。イエスの1999年のアルバム「ラダー」では、ギターを担当していた。

 イエスのような高度な技術を求められるバンドで、いくらサポート・ミュージシャンとはいえ、キーボードやギターを自由に操ることができたミュージシャンは、ビリー・シャーウッドしかいないのではないだろうか。(トレヴァー・ラビンもマルチ・ミュージシャンだったが、基本的にはギタリストとして参加していた)

 また楽器演奏だけでなく、それぞれのアルバム曲の作曲やアレンジも担当していて、トレバー・ラビン脱退後の90年代後半において曲の水準を一定以上に保つことができたのも、彼のおかげだといわれている。

 クリスとビリーが最初に書いた曲"The More We Live"はアルバム「結晶」に収録され、"Love Conquers All"はボックス・セット「イエス・イヤーズ」に収められている。(両曲とものちに彼らのファースト・アルバムにもアレンジされて収録された)

 話を少し前に戻すと、イエスとしてのツアーが一段落した1992年には、クリスは自身のバンド“ザ・クリス・スクワイア・エクスペリメント”を発足させ、アメリカ西海岸を中心に小規模のライヴを行った。
 ちなみにそのときのメンバーはクリスにビリー、アラン・ホワイト、ジミー・ハーン、映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムスの息子マーク・ウィリアムス、TOTOのスティーヴ・ポーカロだった。なかなかの面子である。

 そうこうするうちにクリス・スクワイアに1975年のアルバム「未知への飛翔」以来、25年ぶりとなるソロ・アルバムの話も出てきて、結局その話がビリー・シャーウッドとの合作というかコラボレーションになったのが2000年に発表されたアルバム「コンスパイラシー」だったのである。
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 全10曲+ボーナス・トラック3曲という構成で、内容的には90年代のイエスをポップに味付けしたような音になっている。

 もともとイエスはビートルズの曲をアルバムに取り入れるなど、ポップな要素は備えていたのだが、シンフォニックなイエスになったあとも、特に80年代以降は最新テクノロジーとイエスにしては短めの楽曲を中心にアルバムを制作していった。

 このクリスとビリーのアルバム「コンスパイラシー」も“リトル・イエス”といった感じで、当時のイエスのアルバムに入っていてもおかしくない楽曲で占められていた。あるいはイエスのアウトテイク集といってもいいかもしれない。ボーカルの声質が違うだけである。
 
 それに前述したマーク・ウィリアムスやジミー・ハーン(彼はアルバム「結晶」でギターを弾いている)、アラン・ホワイトと気心の知れたミュージシャンも参加していて、リラックスして制作されたことが予想される。

 また1曲だけギターにスティーヴ・スティーヴンスが参加して流暢な演奏を聞かせてくれる。彼は80年代に有名になったギタリストで、ビリーはビリーでも、ビリー・アイドルのバンドで頭角を表し、今ではソロ・ギタリストとして活躍している。

 彼らは2枚のスタジオ・アルバムを残しているのだが、昨年は2004年のスタジオ・ライヴ盤が発表された。
 「コンスピラシー・ライヴ」というこのアルバムには、クリスとビリーをサポートする形で、キーボードにビリーの兄のマイケル・シャーウッドとスコット・ウォルトン、ドラムにジェイ・シェリンが参加していた。スコットはセッション・ミュージシャンで、ジェイは元バンドメイトだった。

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 彼らはアルバムを発表したものの、それぞれのスケジュールの調整がつかずにライヴ活動ができなかった。だからスタジオ・ライヴ盤を制作したのである。DVDの方では2004年に発表されていたが、CDでは初めてだった。

 全8曲で、彼らの2枚のスタジオ・アルバムから3曲ずつ、クリスのソロ・アルバムから1曲、イエスのアルバムから2曲("The More We Live"と"Universal Garden")収められていた。("The More We Live"はイエスとコンスパイラシーの両方に収められている)

 中でも一番の話題は、先ほどのクリスの1975年のソロ・アルバム「未知への飛翔」からメドレーで2曲選ばれていることである。
 この"Hold Out Your Hand"と"You By My Side"は「未知への飛翔」の冒頭の2曲だった。オリジナル・アルバムでもメドレーで並べられていた。

 自分の中でもこの2曲を含む「未知への飛翔」は忘れがたいアルバムで、カセット・テープに録音したものをよく聞いたものだった。イエスのように構築美というよりは、歌ものアルバムになっていて、しかも抽象的な歌詞ではなく、恋愛などのような日常的な題材も含まれていたから、ビックリしたことも覚えている。

 それにスタジオとはいえ、クリスの曲がライヴで演奏されたのはイエスの1976年のツアーにおけるアメリカ公演10回分だけだったから、こうしてアルバムの中に記録としてまとめられたのは、まさに僥倖といえるだろう。

 他の曲では、"New World"の変幻自在の転調やリズムのキレの良さ、印象的なギター&キーボード・ソロも捨てがたい。もう少しボーカルがパワフルであれば、言うことはないだろう。

 "The More We Live"はイエスの1991年のアルバム「結晶」やコンスパイラシーのファースト・アルバムにも収録されていた曲で、元々はクリスとビリーの共作曲だった。ここではやや幻想的な装飾が施されていて、イエスの長い歴史を思い出してしまうと、神妙な気持ちにさせられてしまった。

 最後の曲の"Universal Garden"もイエスの曲で、リック・ウェイクマン脱退後に加入したビリー・シャーウッドが正式にクレジットされたアルバム「オープン・ユア・アイズ」に収められていた。マイナー調からメジャーに展開するあたりが、いかにもイエスの楽曲に相応しいような気がした。

 それにしても、アルバム・ジャケットは何とかならないものか。ロジャー・ディーンにするとイエスっぽくなってしまうので、それは彼らも嫌だっただろうから、せめてメンバーの写真を使うとかライヴ風景を使用するとか、考慮してほしかった。

 今となっては、二度と実現できないプロジェクトである。おそらくビリーは、今後もクリスの遺志を引き継ぐ形で、イエスに帯同するとともに、自分の音楽道を進んでいくのであろう。それがあとに残された者の使命でもあるかのように。

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2017年2月 6日 (月)

追悼;ジョン・ウェットン

 1月31日にジョン・ウェットンが亡くなった。67歳だった。ジョン・ウェットンといえば、プログレッシヴ・ロック界のみならず、広くロック・ミュージックの分野でも、なくてはならないレジェンダリーなベーシストだった。C09eb7cd53846ea70ec1445da6415c11
 2007年頃から体調を崩していて、心臓の冠動脈のバイパス手術を受けていた。手術は成功し、体調も回復してエイジアやUKの再結成アルバムを発表していたが、2015年には結腸癌になり、翌年の5月には約1kgの悪性腫瘍摘出を行っていた。その後、容体は一進一退を繰り返していたようだが、結局、残念ながら帰らぬ人になってしまった。

 もともとお酒が好きで、一時はアルコール依存症に苦しむほどの飲みっぷりだったようだ。だからそのせいかどうかは不明だが、かなり太っていた時期もあった。Johnwetton630x420
 最後は本人も自覚したようで、長年の友人だったロバート・フリップやビリー・シャーウッドのところに赴き、今までの感謝とニュー・アルバム制作にかける意気込み等も語ったと言われている。最後まで楽天家で、彼の人柄の良さを示しているようだ。001

 ジョンは1949年6月12日に、イギリスの西部、ダービーというところで生まれている。12歳の時にボーンマスに引っ越し、そこでベーシストとして音楽活動を始めた。
 その時に参加したバンド・メイトには、ロバート・フリップやグレッグ・レイク、リチャード・パーマー・ジェイムズなどがいたというから、彼の運命はこの時に決まっていたのかもしれない。

 学校卒業後は、プロ・ミュージシャンとして1971年に、元コロシアムのメンバーがいたモーガル・スラッシュのアルバムに参加した。

 同年にはファミリーに参加して約1年活動を共にし、2枚のアルバムにクレジットされた。翌年にはキング・クリムゾンに加入して、約2年間で3枚のアルバムに参加している。あくまでも個人的意見ではあるが、日本人の間では、このクリムゾン参加の時期から名前が知られるようになったのではないかと思っている。9c88d25efee37cde7f4ce518c783d780_10
 その後は、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ブライアン・フェリー・バンド、ウィッシュボーン・アッシュ等々のアルバムやツアーに加わって、誰が名付けたか“ベース・ギターを背負った渡り鳥”状態になる。

 何しろジョンは人が好いというか、頼まれたらいやといえない人柄のようで、ブライアン・フェリーやユーライア・ヒープに加わったのも、友だちのフィル・マンザネラや幼馴染のリー・カースレイクなどから声をかけられたからだった。行き当たりばったりに見えるが、友だちからの頼みと同時に、できるだけ仕事をしたかったからという理由だったようだ。

 1977年には、リック・ウェイクマンとビル・ブルーフォードとともに、ウェットン、ウェイクマン&ブルーフォードを結成しリハーサルを行ったが、リック・ウェイクマンが参加できなくなり、最終的にエディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースを誘って、UKを結成した。

 パンク・ロック全盛期に結成されたプログレッシヴ・ロック・バンドということで、このバンドはヨーロッパや日本ではかなり好意的に迎えられた。Uk_polydor_1978
 相変わらずのメンバー・チェンジはあったものの、約3年も続き、3枚のアルバムを残している。やはり本人が中心になって結成したせいか、ジョンには責任感が伴っていたのだろう。

 音楽的な時流に乗れず、なおかつ商業的な原因もあり、UKは解散してしまう。しかし、この時の失敗を次のバンドでは見事に生かすことができたようだ。

 1979年にはリチャード・パーマー・ジェイムズらとともにジャック・ナイフを結成してアルバムを発表したが、内容的にはリハビリのようなものだった。曲の半分は古いブルーズや昔のヒット曲を再解釈したものだったからだ。

 そして1980年末には、イエスのマネージャーと契約してゲフィン・レコードに移ると、新バンドの結成を図った。それで生まれたのが、かの有名なエイジアだった。
 デビュー・アルバム「詠時感~時へのロマン」は全米で9週間アルバム・チャートの1位を独走し、全世界で1500万枚以上も売れた。

 売れた原因は、上にもあるように、パンクの洗礼を受けたプログレッシヴ・ロックをやったからだ。つまり、“4分間のプログレッシヴ・ロック”というわけである。

 それぞれのメンバーが一流のプログレッシヴ・ロックのミュージシャンであり、それぞれのソロを強調しながらも曲自体をコンパクトにまとめて、ラジオやMTVなどでのローテーションの回数を増やした。もちろん曲自体もキャッチーでメロディアス、歌謡プログレッシヴ・ロックだったということも売り上げの上昇には影響しただろう。

 もともとジョンは、4分間のポップな曲を書くのが得意だった。彼はインタビューでこう答えている。
 『70年代のプログレッシヴ・ロックは、新しいものを創造するために、既存の価値観や世界観を解体していたはずだった。ところがいつのまにか解体が目的化してしまい、様式美を再生産するだけのものに成り下がってしまったんだ。だから、もう一度原点に戻ろうとしたのさ。例えば、"Heat of the Moment"も単純には聞こえるけれど、コード進行などを分析してみると、かなり複雑な構造を持っているんだ』

 彼が言うには、クリムゾン時代の曲"The Book of Saturday"や"Starless"なども、もともとは3分から4分程度のものだったらしい。それが結局、10分から11分もある曲に仕上げられていたという。だからジョンのプログレ観によると、プログレッシヴ・ロックとは曲ではなくて、アレンジに対する名称だと言い切っている。

 ただ彼の人生は、順風満帆ではなかった。スーパー・グループにつきもののエゴとエゴのぶつかり合いの結果、ジョンの知らないところで彼は解雇されてしまったのである。

 原因はジョンのアルコール依存症といわれていたが、実際はジョンとスティーヴ・ハウとの確執からだった。
 だから1983年の武道館ライヴでは、ジョンの代わりになぜかグレッグ・レイクがテレプロンプターで歌詞を見ながら歌っていたのだ。

 この時の模様は“Asia in Asia”という企画で全米生中継されていたし、日本でもテレビ放映されている。
 ジョンとしては面白くなく、弁護士を雇って訴えようとしたのだが、公演自体をキャンセルさせられることを知ったのにもかかわらず、何もそこまでしなくてもいいだろうと思ったという。何という人の良さだろうか。

 ところが、今度はグレッグ・レイクが辞めていったために、ジェフからバンドに戻ってきてほしいと懇願されたのである。
 もちろんジョンは、喜んでエイジアに戻った。まるで何事もなかったかのように。この辺もジョンの人柄をよく表しているエピソードではないだろうか。Asia
 1986年にエイジアが一時活動休止に陥ると、ジョンはフィル・マンザネラとのプロジェクトやソロ活動にいそしむようになった。80年代後半から90年代にかけて、また2006年からもエイジアに復帰していた。

 もともと彼もまた、ワーカホリックだったのだろう。ソロ活動を続けながらもエイジアや再結成されたUKで活動を続けていた。
 また、ジェフ・ダウンズやスティーヴ・ハケットとのコラボやアニー・ハズラムのいるルネッサンスとの共演も果たしている。本当に頼めば何でもやってくれるミュージシャンだった。

 プログレ界では、クリス・スクワイア、グレッグ・レイクと今回のジョン・ウェットンと、立て続けに偉大なベーシストが亡くなっている。
 また、キング・クリムゾン関係でもボズ・バレル、グレッグ・レイクと、3人もベーシストを失ってしまった。

 でもまあ、人の好いジョンのことだから、天国に行ってもセッション・ミュージシャンとして活動していくだろうが、メンバーがまだそろっていないから、手持無沙汰なのかもしれない。ともあれ謹んでジョンの冥福を祈りたい。

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