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2017年4月

2017年4月24日 (月)

ARWのライヴ・レポート

 日頃の行いがよいせいか、念願かなってARWのチケットを手に入れることができて、ライヴを見に行った。
 やってきたのは広島にあるライヴハウスのクラブクアトロだった。キャパが約700名ということで、ビッグ・ネームのミュージシャンにしてはかなり小さな場所になると思う。

 ARWといえば、プログレッシヴ・ロックのファンならすぐにわかると思うけれど、ジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマン、それにトレヴァー・ラビンのことを指していて、彼らの名前の頭文字をとっている。Arwlive

 要するに、元イエスのメンバーである。ただ、現在の本家イエスには、オリジナル・メンバーは誰もいなくなってしまった。唯一のオリジナル・メンバーだったクリス・スクワイアが2015年に亡くなったからで、今はギタリストのスティーヴ・ハウが実質的なリーダーとしてバンドを率いているようだ。

 ジョンは本家イエスについてどう思っているのかわからないけれど、来日公演の直前にバンド名が、“アンダーソン、ラビン&ウェイクマン”から“イエス・フィーチャリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン”に変更になった。

 ということは、ジョンはこのバンドこそがイエスだと思っていることだろう。名前の変更について、ジョンはこう述べている。「それはファンも私たちも望んでいることだ。私たちには、その名目を使う権利がある。イエスの音楽は私たちのDNAの中にあるんだ」

 まさにその通りで、イエスの代表曲、特に70年代の全盛期の曲に関わっていたのは間違いのないことだし、パンク/ニュー・ウェイヴの洗礼から抜け出し、全米No.1のヒット曲を出した80年代前半においても、ジョンはまだ在籍していたからだ。

 それに、このメンバーでのライヴは2016年の10月からアメリカのフロリダから始まっていたが、そのツアー・タイトルは“An Evening of Yes Music and More”と銘打たれていた。もうこれは完全にイエスの音楽であり、1991年の8人編成で行われた「ユニオン・ツアー」の違う意味での再現だろう。

 アメリカや東京の渋谷で行われたライヴ・レポートなどがネットに挙げられているので、詳細を知りたい人はそちらをご覧になっていただくとして、ここからはあくまでも自分の個人的な意見や感想として綴っていきたい。

 こんな小さなライヴハウスになったのは何故かはわからないけれど、たぶんこのメンバーで新作が発表されていないからではないか。
 もしニュー・アルバム発表後なら、プロモーター側ももう少し大きな会場を用意したのではないだろうかなどと、勝手なことを考えたりもした。ただ、インターネットを見ると、アメリカではもう少し大きなホールなどでやっていた。

 もしくは、小さなライヴハウスから大きなホールまで、規模を変えながら演奏したいというミュージシャン側の意向があったのかもしれない。東京では約2000名、大阪や名古屋でも1000名以上のホールだった。広島だけ小さかった。 

 入場開始は午後4時、開演は午後5時ということで、普通のライブよりはかなり早い。確かに"An Evening Of Yes Music"というタイトルに相応しいと言える。

 うがった見方をすれば、ジョンももう72歳だし、高齢化したせいかとも思ったのだが、他の会場ではすべて午後7時開演だったので、広島だけこれも早かった。高齢化ではなくて、早く終わらせて、お好み焼きでも食べに出たかったのかもしれない。

 演奏はほぼ定刻の午後5時3分ごろ始まった。正確なセットリストは覚えていないので、何とも言えないのだが、だいたい次の通りだと思う。

1.Cinema
2.Perpetual Change
3.Hold On
4.I've Seen All Good People
5.And You And I
6.Rhythm of Love
7.Heart of the Sunrise
8.Changes
9.Awaken
10.Owner of A Lonely Heart
[encore]
   Roundabout

 こうしてみると、70年代の黄金期の曲と80年代の90125イエスの曲が、ほぼ半分だった。トレヴァー・ラビンが参加していることから80年代の曲も当然演奏されるだろうとは思っていたが、ここまで平等とは思わなかった。71cre2wuil__sl1500_
 トレヴァー・ラビンやリック・ウェイクマンは普通に登場してきたが、ジョンは小躍りしながら登場してきて、さすが誇大妄想型ミュージシャンだと思った。とにかく、楽しくて楽しくてたまらないという印象があった。

 リック・ウェイクマンは、黒っぽい生地に銀色のスパンコールみたいなものをつけたマントを身に着けていて、時代錯誤のように70年代に浸っていた。
 しかし、このショーマンシップというか、パブリック・イメージに徹する態度はさすがである。自分を客観的に見ることができているのであろう。“キーボードの魔術師”は、年をとっても魔術師だったのだ。

 "Perpetual Change"の時のジョンの声は、低音がややかすれていたが、高音の伸びは素晴らしく、ほとんど衰えを感じさせなかった。よほどヴォイス・トレーニングがきちんとできているのだろう。

 "And You And I"や"Heart of the Sunrise"の時も、高音の部分はどうなるのだろうかとハラハラしながら聞いていたのだが、ほとんど問題なかった。さすがベテラン、声の衰えはテクニックでカバーしていた。

 ジョンは日本の童謡が好きなようで、“どんぐりころころ”や“ぞうさん”を歌うらしいのだが、広島では“ぞうさん”の出だしを歌っていた。"And You And I"の前だっただろうか、よく覚えていないが、確かに歌ったのである。

 "I've Seen All Good People"の時のトレヴァー・ラビンは、最初はアコースティックで、後はエレクトリック・ギターを使用していたが、"And You And I"ではエレクトリック・ギター一本で通していて、中盤のアレンジもギターを使用して工夫していた。

 彼はエネルギッシュにギターを弾きまくっていて、速弾きもスローな部分も見事だった。バンドリーダーみたいに、演奏面ではバンド全体を引っ張っていたと思う。

 90125イエスの曲は当然だが、70年代の曲まで自分の曲のように弾きまくっていた。さすがイエスに引き抜かれただけある。曲も書けて演奏も一流だし、プロデューサーもできるマルチ・ミュージシャンの片鱗が伺われた。

 アルバム「究極」の後半部分を使っていた"Awaken"については、ほぼ完璧に再現していた。ジョンもハープを使用してアルバムの雰囲気を再現していたし、リックもパイプ・オルガン風のキーボードを使っていた。それにジョンも気合が入っているのか、声にもますます艶が出ているように思えた。

 最後の"Owner of A Lonely Heart"では、当然盛り上がってしまい、観客と一体になって、小さな会場がますます狭くなったような気がした。
 そして曲の終わりは、ほとんどジャム・セッション風になってしまい、リックはショルダーキー・ボードをぶら下げてステージ中央まで来るし、ついにはクリームの"Sunshine of Your Love"やクラプトンの"Crossroads"のワン・フレーズも出てきて、大いに盛り上がったのである。

 1000名以上の大きなホールでは、ここでトレヴァー・ラビンやリック・ウェイクマンが下のフロアまで降りてきて、まるでザ・ヴェンチャーズのように観客とスキンシップを行うらしいのだが、クアトロは人で密集していたので、それはできなかったようだ。

 アンコールは予想通りの"Roundabout"だったが、できればもう1曲くらい"Love Will Find A Way"か"Starship Trooper"をやってほしかった。

 時間的にはライヴハウスのせいか、約90分少々というスケールだった。アメリカやイギリスではABWHの曲"The Meeting"や、アルバム「閃光」の中の"Lift Me Up"なども演奏していたようだが、広島では残念ながら、聞くことはできなかった。だから他の会場では、約2時間のライヴになったようだ。

 サポート・メンバーとして、ベーシストはイアン・ホーナルという人で、クリス・スクワイアのようにリッケンバッカーを使用していた(途中フェンダー・プレシジョン・ベースに替えていたところもあった)

 ドラマーのルイ・モリノⅢは、トレヴァー・ラビンやYOSO(ビリー・シャーウッドやトニー・ケイ)と一緒にプレイしていた人で、イエス人脈の中に位置付けられているようだ。"And You And I"のときのウィンドチャイムをおどけて叩いていたのが忘れられない。

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 とにかく生きているジョン・アンダーソンと一緒に口ずさむことができてよかった。多分もう二度とないだろう。ジョンも次にいつ来日公演に来るかはわからないし、果たしてバンド自体が存続しているかどうかも分からない。

 何しろジョンのことだから、今までのキャリからして、いつどうなるかはわからないのだ。ひょっとしたら、スティーヴ・ハウズ・イエスに加入するかもしれないし、再び“8人編成”イエスになるかわからない。

 ただたとえどうなろうとも、この日のことは、人生最高の思い出の一つとして忘れないだろう。広島まで行って本当によかったと思っている。

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2017年4月17日 (月)

キングス・オブ・レオン

 キングス・オブ・レオンは、アメリカのテネシー州ナッシュビル出身のバンドである。デビューしてもう17年くらいなるバンドで、ある意味、ベテランの域に近づきつつある中堅バンドだろう。Bb22feakingsofleona592016billboard1
 自分が彼らのことを知ったのは、2008年のアルバム「オンリー・バイ・ザ・ナイト」によってだった。このアルバムからシングル・カットされた"Sex on Fire"が、タイトル通りになかなか刺激的だったからだ。

 それまで彼らの名前だけは知っていたのだが、わざわざアルバムを買ってまで聞こうとは思わなかった。
 21世紀のアメリカン・ロックのバンドは、1970年代のハード・ロックとは違って、グランジ・ロックを経験しているせいか、ギターの露出が減り、歌ものというか、楽曲全体で勝負してくるような気がした。

 いわゆるオルタナティヴ・ロックなのだろうが、リフ主体であっても70年代ではメロディアスな要素が含まれていた。
 これが2000年代になると、ヒップホップの影響だろうか、もう少しリズミックになってきたのだ。だから若者にはその時のトレンドを代表しているように聞こえるのだろうが、私のような老人になってしまうと、ちょっとついていけないのであった。

 ところが、キングス・オブ・レオンは、デビュー当時からアメリカ南部のブルーズやサザン・ロックの影響を受けたような音楽をやっていて、昔を知る者や評論家にとっては、まさに感涙にむせぶような、そんな感情移入しやすいバンドだったのである。

 たぶんナッシュビルという土地柄もあっただろうし、父親が敬虔なペンテコステ派のクリスチャンで、説教師という立場からアメリカ南部を転々として回ったことも影響したようだ。

 このペンテコステ派はプロテスタントに分類されるようだが、讃美歌の多くはペンテコステ派の信者等によって書かれていて、音楽とペンテコステ派は切っても切り離せない関係があると言われている。

 日本のシンガー・ソングライターである小坂 忠も、このペンテコステ派の牧師で、多くの讃美歌等を手掛けている。
 ちなみに、小坂 忠は、細野晴臣、柳田ヒロ等と“エイプリル・フール”というバンドを結成したり、NHKの“おかあさんといっしょ”のテーマソングも担当していた。今ではマイナーな存在かもしれないけれども、70年代はかなり高名なミュージシャンだったのだ。

 話を元に戻すと、父親がそういう立場だったので、子どもたちもその影響を受けて育っていった。そう、キングス・オブ・レオンは、兄弟バンドだったのである。メンバーは以下の通りだ。
ケイレヴ・フォロウィル…ボーカル&ギター
マシュー・フォロウィル…ギター
ジャレッド・フォロウィル…ベース・ギター
ネイサン・フォロウィル…ドラムス

 フォロウィル・ファミリーという家内工業的音楽活動を行っていたのが、キングス・オブ・レオンだった。この内のケレイヴ、ジャレッド、ネイサンの3人が兄弟で、それぞれ次男、三男、長男にあたり、ギター担当のマシューだけが従兄弟にあたる。

 というわけで、このファミリー・バンドは、父親とともに南部を転々としながら音楽体験を重ねていった。
 一口に南部といってもその土地は広大で、雰囲気も場所ごとによってかなり違うようだ。いわゆる土地柄というものだろう。

 父親は讃美歌を歌いながら、その子どもたちはそれを通して音楽に触れ、その土地からブルーズやサザン・ロック、ゴスペルにカントリーと様々な音楽を吸収し、消化していった。

 1997年に父親は説教師を辞め、両親は離婚した。その後、ネイサンとクレイヴがナッシュビルに引っ越した時、シンガー・ソングライターのアンジェロ・ペトラグリアと運命的な出会いを果たすのである。
 アンジェロは、彼ら兄弟に作曲の仕方やストーンズやクラッシュなどのブリティッシュ・ロックの素晴らしさを伝授した。

 1999年にキングス・オブ・レオンが結成された後も、アンジェロは様々な形で彼らにバンドとしての在り方やレコーディング方法などのアドバイスを与えた。結局、彼らのアルバムの共同プロデューサーとしても関わるようになったし、キーボード・プレイヤーとしてもアルバムに参加するようになった。

 自分が聞いた彼らのアルバム「オンリー・バイ・ザ・ナイト」は、初期のインディー的な要素は全くなくなり、スタジアム級のバンドとして成長した姿を見せてくれている。
 これも彼らがデビュー以来、年間200本以上のライヴ活動を地道に行ってきたからだろう。71xmohlbnrl__sl1500_ 矢沢永吉も言っていたけれど、アメリカは本当に広い。今はネットで動画なども簡単に見ることができる時代だが、やはり動画と本物のライヴは違うし、PVなどの動画は如何様にも加工することもできるが、ライヴは一発勝負である。やはり永続した人気を保つにはライヴ活動を重ねていく外はないのだろう。

 とにかく、この「オンリー・バイ・ザ・ナイト」は、イギリス、アイルランド、オーストラリアのアルバム・チャートでは初登場1位を記録したし、アメリカでも初登場5位になり、最終的には250万枚以上のダブル・プラチナ・ディスクに認定された。

 シングル・カットされた上記の曲も、イギリスではシングル・チャート1位に輝いているし、アメリカ以上にイギリスでは彼らを歓迎する空気が満ちているようだった。

 事実、2009年に入っても彼らのアルバムの人気は衰えず、アルバム・チャートの首位に2回も返り咲いているし、発売から40週以上たってもトップ20位内外を上下し続けていた。
 そして、レディング・フェスティバルや、英国最大のグラストンベリーでも2008年にはトリを務めていた。

 70年代のような印象的なギター・ソロなどはないのだが、メロディーがしっかりしているし、それをサザン・ロック風の豪快さが包んでいるのだ。だから、昔を知る人には郷愁みたいなものを感じるだろうし、若い人にとっては、ヒップホップでもないし、ダンス系でもないし、それが新鮮に感じるのだろう。

 ただ、自分にとっては、そんなにフェイヴァレットなバンドにはならなかった。理由は、新鮮なんだけれども、サザン・ロックやスワンプ・ロックを聞くのならオールマン・ブラザーズ・バンドやレーナード・スキナード、38スペシャル、個人ならレオン・ラッセルなど優れたバンドやミュージシャンの音楽を聞けばいいわけだし、歴史に残るような名盤とは思えなかったからだ。

 そんなこんなで、約8年がたった。その間に、彼らは3枚のアルバムを発表している。その3枚目のアルバムが、昨年発表された「ウォールズ」だった。61kpq3emml__sl1500_ このアルバムは、英米のアルバム・チャートで1位を獲得した。もともと彼らはイギリスでは人気が高かったので、前作や前々作もチャートではNo.1を獲得している。
 ところが、何故か母国のアメリカでは、それまで1位を取ったことがなくて、あの「オンリー・バイ・ザ・ナイト」でも4位どまりだった。だから、これは彼らにとっての初めてのNo.1アルバムになったのである。

 なぜ首位を取ったのかというと、一言でいえば、“ポップ化”である。ポップ化といってもいきなりミーハー化したり、大衆に迎合したりしたわけではない。非常に聞きやすくなっただけである。

 ただ、それでも“21世紀のサザン・ロック”とまでいわれ、その“骨太さ”が評論家たちからも好意的に受け入れられていた彼らだったのに、ここまで売れ線を狙ってもいいのだろうかと思ったりもしたのだが、これは彼らがデビュー当時に立ち返ってアルバム制作を進めたからだと言われている。

 要するに、原点に戻って自分たちを見つめ、志向する音楽を定めたということだろう。それがいい意味での“大衆化路線”につながったに違いない。

 それにアルバムの中の楽曲もロック系とバラード系とバランスよく収められていて、バラード系の曲の"Muchacho"や"Walls"などは、まるでブルース・スプリングスティーンの楽曲に似ていて、感動的だった。

 逆に、シングル・カットされた"Waste A Moment"などはノリノリのロックだし、"Find Me"はヒリヒリさせる焦燥感が漂っている。
 一方では、"Over"のように大陸的な広大さを感じさせてくれる曲もあれば、"Eyes On You"のようにチープ・トリックのようなポップ・ロック調の曲も収められている。

 もちろん、デビュー時のオルタナティヴの匂いがプンプンする"Conversation Piece"やダンサンブルな香りのする"Around the World"などもあって、一筋縄ではいかないのだ。

 こういうバラエティさに富んでいるところが、ファン層やアルバム購買層の拡大につながったのだろう。Rskingsofleoncf3d315315c544dc8f86d8
 面白いことに、彼らはアルバムのタイトルや曲名に5文字以上は使用しないという暗黙のルールがあるようで、今までのどのアルバム・タイトルや、その中の曲名で5文字以上のものはない。

 このアルバムも元のタイトルは“We Are Like Love Songs”というものだったが、これでは5文字になってしまうので、それらの語の最初の文字をつなげて“Walls”と名付けている。彼らなりのこだわりというものだろう。

 ともかく、これで本国アメリカでもボン・ジョヴィのようなメジャー級になったようだ。さらに上を目指して、U2やレッチリのようになるかどうかは、今後の彼らの活躍次第である。今のように多くのライヴ活動を行っていけば、決して夢物語ではないだろう。

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2017年4月10日 (月)

ブックエンズ

 最近のことだが、サイモンとガーファンクルの"America"が聞きたくて、その曲の入っているアルバム「ブックエンズ」を購入した。貧乏なのでブックオフの中古CD棚で探していたら、偶然見つかったのでうれしかった。“捨てる神あれば拾う神あり”である。51nlts26m9l
 自分がロックの道に足を踏み入れた時には、すでにサイモン&ガーファンクルは解散していたので、彼らのことを知ったのは、ラジオから流れてくる彼らのシングル曲を通してだった。当時は、まだ"The Sounds of Silence"や"The Boxer"、"Homeward Bound"などは、よくかけられていたものだ。

 その中でも、この"America"が好きだった。淡々とした曲調ながらも、シンセサイザーを使ったアレンジも印象的だったし、“アメリカを見つけるためにやってきた”という歌詞は、中学生でも何とか理解することができたからだ。
「俺たち恋人になろうぜ
同じ将来を約束し合うんだ
俺の鞄の中にはちょっとした財産もあるし
だから煙草を一箱と
ミセス・ワグナーのパイを買って
アメリカを探すために歩き始めたんだ

 

キャシー、俺は言った、
ピッツバーグでグレイハウンドに乗った時に
ミシガンは俺にとっては夢のようだ
サギノーからヒッチハイクで4日かかって
俺はアメリカを探しに出てきたんだ

 

バスの中で笑いながら
人の顔を見て当てっこをしていた
彼女は言った
ギャバジンのスーツを着ている男はスパイよ
俺は言った
気をつけろよ、
奴の蝶ネクタイは本当はカメラなんだぞ

 

煙草をくれよ、レインコートに1本あったはずだけど
もう1時間前に最後の一本を吸ったわよ
それで俺は景色を見て
彼女は雑誌を読んでいた
月が広い畑の上に上がっていた

 

キャシー、俺は迷っているんだ
俺は彼女が眠っているのを
知っていたけれども
何だか空しくて心が痛むよ
なぜだかわからないけれど
ニュージャージーの高速道路で
クルマを数えながら
俺たちみんなは
アメリカを探しにやってきているんだ」
(訳;プロフェッサー・ケイ)

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 のちに大学生になったときに、太田裕美のベスト・アルバムを生協で購入した。もちろん2割引きだったからだが、その2枚組のアルバムの中に“ひぐらし”という曲があった。作詞は松本 隆、作曲は荒井 由美だった。
「ねぇ私たち恋するのって
鞄ひとつでバスに乗ったの
マクドナルドのハンバーガーと
煙草はイブをポケットに入れ

御殿場までが矢のように過ぎ
緑の匂い胸にしみるわ
昔はカゴで通ったなんて
雪の白富士まるで絵のよう

読んだ漫画をあなたはふせて
内緒の声で耳打ちばなし
スーツを着ているあいつを見ろよ
三億円に似てないかって

最後に吸った煙草を消して
空の銀紙くしゃくしゃにした

窓に頬寄せ景色を見てると
時の流れを漂うようね

ガラスに映るあなたの寝顔
私はふっとため息ついた
生きている事が虚しいなんて
指先見つめ考えてたの

日暮れる頃に京都に着くわ
それは涯ない日暮らしの旅
あなたと二人季節の中を
愛はどこまで流れてゆくの」

 まさに"America"の中で描かれている世界観である。“ひぐらし”ではなくて、"Japan"というタイトルにすればよかったのではないだろうか。
 ただし、この歌は女性の視点で語られており、歌詞の中の2人はお互いのことだけで完結していて、自分(たち)探しの旅と外の風景とは、そんなに深い関連はなさそうだ。

 その点、ポール・サイモンの世界では、自分たちの生き方や人生をアメリカを探す旅と結び付けて、比喩的にまとめている。
 だからポール・サイモンの詩の方が優れているとはこれっぽっちも思っていないのだが、"America"というタイトルに象徴させている、もしくは収斂させているところは、さすがポール・サイモンだと感心してしまった。

 それはともかく、"America"という曲の影響力がここまで及んでいることを知って驚いた記憶がある。やはり、サイモンとガーファンクルの人気や影響力は計り知れないものがあったのだ。

 これも昔の話になるのだが、「ミュージック・ライフ」という雑誌の中で、音楽評論家や音楽雑誌編集者による企画もの「私の好きなアルバムベスト10」というものを、目にしたことがあった。

 その中に「ブックエンズ」があった。なぜ「ブックエンズ」が選ばれて、「明日に架ける橋」ではないのか、その理由が分からなかった。
 それでいつかは「ブックエンズ」を通して聞こうと思っていたのだが、主な曲はほとんど知っていたので、手を出すのをためらっていた。そうこうしている間に、長い長い時間が過ぎて行ったのである。  710csaqtjl__sl1144__2
 話を元に戻すと、アルバム「ブックエンズ」は1968年に発表された。彼らの4枚目のスタジオ・アルバムだった。よく考えたら、ビートルズやストーンズと違って、彼らはそんなにスタジオ・アルバムを出していなかったことに気がついた。

 1964年から1970年までに、5枚しか発表していないのだから、当時としては珍しかったのではないだろうか。60年代の売れっ子バンドやミュージシャンは、年に2枚アルバムを発表するのは当たり前だったのだから。
 レーベルやレコード会社側は、人気のあるうちに、アルバムを売り切ってしまおうという魂胆があったのだろう。

 サイモンとガーファンクルは、そんなにアルバムを発表してはいなかった。ただし、シングルは結構出している。売れ始めた1966年に4枚、67年には3枚出していた。シングル主体の活動だったのだろうか。

 よく言われるように、「ブックエンズ」はトータル・アルバムだった。といっても中途半端なトータル・アルバムである。もともとは当時のレコードのサイドAとサイドBを使ってトータル・アルバムを作る予定だったらしい。テーマは「アメリカ人の生活や人生」で、それを音楽で表すものだった。

 ところがレコード会社の横やりが入ったのか、前半の7曲だけで終わってしまい、残りの5曲は既発のヒット曲が中心になった。要するに、半分はトータル・アルバムで、残りの半分は66年~67年当時のベスト・ヒット・アルバムということだろう。

 これが全曲組曲形式のトータル・アルバムだったら、もっと素晴らしくなっていただろう。ひょっとしたら次作の「明日に架ける橋」を超えるミリオン・セラーになっていたかもしれない。それほど前半の出来はなかなかのものだった。

 「ブックエンズ」というタイトルが示すように、"Bookends Theme"のインストゥルメンタル曲と歌詞入りで挟まれている。
 30秒ほどのインストゥルメンタルのあと、"Save the Life of My Child"が始まるのだが、これがまたサイモンとガーファンクルの曲とは思えない程、サイケデリックでハードな曲調だった。

 しかもシンセサイザーなるものも使用されているようで、当時の状況としては、最先端の音楽機器を使用していたのではないだろうか。
 彼らはフォーク・デュオとしてギター1本でデビューしたのだが、次第にその色どりを増やしていき音楽的な完成度を高めていったのである。

 これもビートルズのサージャント・ペパーズの影響かもしれない。あのアルバムのおかげで、ストーンズやザ・フーなどのイギリス勢を始め、ザ・ビーチ・ボーイズやルー・リードなどのアメリカ勢もインパクトを受けていたが、サイモンとガーファンクルもその例に漏れないようだ。

 続けて"America"が始まるのだが、"Kathy, I'm lost," I said, Though I knew she was sleeping, "I'm empty, and aching and I don't know why"というくだりには何度も感動してしまう。この辺は、のちに言われた“モラトリアム症候群”や“アイディンティティ(自己同一性)の危機”にも相当するところであり、今も昔も変わらない若者意識を表現している。詩人としても評価の高いポール・サイモンならではの言い方だろう。

 若者の次は中年の夫婦の会話だろうか。しかも別れを強く意識した様子である。ギター1本の音楽と歌詞の世界とがうまくマッチしている。
 "Overs"というのは、ゲーム・オーヴァーの"over"を表しているのだろうし、同時に、「考え直す」という意味の"think it over"の"over"も兼ねている。だから"Overs"という複数形になっているのだろう。

 実際の老人の会話を集めた"Voices of Old People"から"Old Friends"になるのだが、ストリングス等が使用されている"Old Friends"は本当に美しい曲だ。

 もちろんこの"Old Friends"はサイモンとガーファンクルの未来像を表していたのだろう。そして、ひっそりとベンチに座っている2人の友人の姿が"Bookends"のように見えるのだろう。Img_1_m_2
 ということは、本物のブックエンドのように2人の間には隙間があったはずだ。サイモンとガーファンクル自身も自分たちのすれ違いを意識していたに違いない。

 だからこのアルバムは、単なるアメリカ人たちの人間模様や人生だけを描いたものではなくて、彼ら2人の現状認識やこれからの姿をも描こうとしていたのだろう。
 アメリカを探そうとしていたのは、恋人同士だけではなくて、本当はサイモンとガーファンクルの2人だったのである。

 何となくビートルズの末期におけるジョンとポールのような関係だ。ポールもジョンに対して"Get Back"と歌っていたし、一流のミュージシャン同士には、目には見えない微妙な関係が流れているようだ。

 オリジナルのアルバムでは、たった29分13秒という中途半端で短いものだったが、描かれている内容は、こんなつまらないブログでは尽きせぬほどの深いものが秘められていた。

 「ブックエンズ」がサイモンとガーファンクルのベストアルバムとして選ばれるのも、当たり前のことなのかもしれない。

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2017年4月 3日 (月)

ニール・ヤングの新作群

 ニール・ヤング。今年の11月で72歳になる。しかし、70歳を超えてもその創作意欲は尽きないようだ。Ny1

 最近の彼のアルバムを見てみると、いずれも何かに対しての怒りや憤りが原因になっているように見える。まさに現状に反抗するロック・ミュージシャンといったところだろう。

 ロック・ミュージックの原点は、“怒り”であり“抗議”だった。アメリカ南部の黒人の音楽とアングロ・サクソン系の北部の音楽が融合して生まれたもので、だからその音楽の底流には、現状への不満が横たわっている。 

 ニール・ヤングが2015年に発表したアルバム「ザ・モンサント・イヤーズ」には、そんなニールの“怒り”が十分すぎるほど詰まっていた。
 このアルバムは、多国籍企業のモンサント社による遺伝子組み換え事業に対して猛烈にプロテストしている。

 モンサント社は、アメリカのミズーリー州に本部を置いているバイオ企業で、2008年の売上高は約1兆1000億円にものぼり、遺伝子組み換え種の世界シェアは約90%まで及んでいる。日本ではラウンドアップという除草剤が有名だが、あれもこのモンサント社の製品である。

 アメリカや日本では、この遺伝子組換え作物やそれを使用した食品が問題になっているが、2014年にアメリカのヴァーモント州で遺伝子組み換え作物を含んだ食品表示義務の法律が成立し、それに対してモンサント社が表示義務の差し止め訴訟を起こしている。

 これに対してニール・ヤングは、すぐに抗議したし、モンサント社の方針にあの有名なスターバックス・コーヒーが賛意を示すと、今度はスターバックスのボイコットを呼びかけている。(のちに、スターバックスはモンサント社の訴訟には関わっていないと表明した)

 もともとニールは、1985年から経営状態の厳しい小規模農場や農家を応援するために、ファーム・エイドというチャリティー・コンサートを始めていて、その中においても遺伝子組み換え食品には反対意見を表していた。
 だから、ニールが音楽を通して抗議するのも必然というもの。そんな彼が発表したのが、「ザ・モンサント・イヤーズ」だったのである。91tlll5kfil__sl1488_

 全9曲だが、時間にして約51分もあり、全編を通してニールらしいエレクトリック・ギターがフィーチャーされていた。

 1曲目の"A New Day For Love"では、イントロはおとなしいものの、すぐにニールらしいハードなギター・カッティングが聞こえてくるし、途中のグニャグニャしたよくわからないギター・ソロも不変である。ただ、年齢のせいか、幾分おとなしくなったような感じもした。

 次の"Wolf Moon"はアコースティックな曲で、"Harvest"系列の曲だし、"People Want To Hear About Love"はミディアム調のロック・ナンバーに仕上げられている。“みんなが聞きたいのは愛の歌で、自閉症の原因になっている農薬の話などするな”というメッセージが逆説的で、いかにもニールらしい。

 ここまでは序の口で、4曲目の"Big Box"は大企業を皮肉っているし、次の"A Rock Star Bucks A Coffee Shop"は文字通り、大手のコーヒー・ショップ・チェーンのことを歌っている。

 例えば日本では、イオンやモスバーガーのような企業を実名を出して批判するような歌を歌えるだろうか、あるいはそういうミュージシャンがいるかというと、ちょっと考えられない。歌おうとしても、事務所やレコード会社が止めようとするだろう。

 あるいはまた、そのミュージシャンが無名のパンク・ロッカーならライヴでそういうこともあり得るかもしれないが、ある程度、功成り名を遂げたミュージシャンは、間違ってもそんなことはしないだろう。

 それができるのがニール・ヤングであり、それを許容するアメリカの音楽業界もまた素晴らしいと思うのである。

「(前略)
開廷中の最高裁判所が
新しい法律を作った
遺伝子組み換えの種と
特許は致命的な傷がある
最高裁判事の
クラレンス・トーマスは
以前モンサント社のために
働いていた
俺はお前を知らないが
俺は自分がだれかを
知っている
(中略)
私たちはモンサント社
から来ました
組み換え種を所有しています
農家のリストを見せて下さい
自分の立場に固執するなら
大金が必要になりますよ
あなたはどう思いますか」
("Workin' Man"より)
訳:プロフェッサー・ケイ

 この曲から以下、"Rules of Change"、"Monsanto Years"とモンサント社を非難する曲が続く。ノリノリのロック調からミディアム調の曲まで曲調は異なっても、訴えている内容は変わらない。ある意味、偏執的というか執拗でもある。ひょっとしたら、このアルバムはトータル・アルバムなのかもしれない。

 最後の曲"If I don't Know"は穏やかな曲で、安らぎを感じさせてくれた。このアルバムの中では、この曲と"Wolf Moon"だけだろう、バラード・タイプなのは。ただし、この曲も毒を含んでいるけれども…

 ニールの創作意欲は、いま何度目かのピークを迎えているようで、同年にはこのアルバムをフィーチャーした2枚組ライヴ・アルバム「アース」を発表している。

 バンド・メンバーはウィリー・ネルソンの息子たち、ルーカス・ネルソン(ギター、ピアノ)とマイカ・ネルソン(ギター)を中心としたプロミス・オブ・ザ・リングで、「ザ・モンサント・イヤーズ」のレコーディング・メンバーと同じである。

 翌年の2016年には、今度はスリー・ピース・バンドとして37枚目のスタジオ・アルバム「ピース・トレイル」を発表した。51mfsd2llxl
 前作は、時間もある程度かけて丁寧に制作されていたようだったが、このアルバムは急遽作られたようだった。
 またエレクトリックの要素がやや薄められて、アコースティックな感じもあったし、アルバム・ジャケットを見ても分かるように、ラフな感じがする作りだった。

 バンド・メンバーは、ニール以外にはドラマーにジム・ケルトナー、ベーシストはポール・ブシュネルである。ジムは超有名なセッション・ミュージシャンで、60年代から活躍しているし、ニールよりも年上である。
 ポールはアイルランド出身の若手ミュージシャンで、現在はロサンゼルスを中心に活動しているようだ。

 時間的にも38分程度の短いものだったが、先ほどの「アース」のツアー中にもこのアルバムの中の曲、例えば"Peace Trail"、"Show Me"、"Texas Rangers"などが歌われていて、まさに出来立ての新曲ばかりがパッケージされているアルバムだった。

 ただそのせいか、中にはちょっとどうかなという曲も収められていて、昔からのファンは納得はできなかったのではないだろうか。

 "Peace Trail"は5分32秒もあり、21世紀の"Like A Hurricane"だろう。ただボーカルが弱い。というか、前作もそうだったけれども、齢70歳を超えるとなかなか声も出せないようで、中低音は大丈夫なんだけれども、高音域の伸びがない。

 これは加齢や脳腫瘍の治療後の影響からくるものだろうか。でもある意味、仕方のないことだろう。70年代と同じように歌えることの方が不思議だろう。

 アルバムの前半はなかなか良い雰囲気で進んでいく。"Indian Givers"、"Show Me"などは、ジム・ケルトナーのドラミングがダークでジャズっぽくてよい。ところが、5曲目の"Texas Rangers"あたりからちょっとニールらしくない曲が並ぶのだ。

 "Texas Rangers"は、童謡かわらべ歌のようだし、物語形式の"John Oaks"はメロディが単調すぎて面白みに欠ける。8曲目の"My Pledge"もボブ・ディランの曲のように、歌うというよりも語りかけるという感じだった。

 "Glass Accident"は、ほんわかとしたアコースティックな曲で、ホッとしたのだが、最後の曲"My New Robot"の雰囲気はほぼ同じなのだが、ボコーダーを使った声の後、急に曲が終わってしまった。
 これもニールの演出方法なのか、もう少し聞きたいという気持ちを沸き立たせようとしているのかもしれない。81nqlbfquel__sl1208_
 とにかく、ツアーの合間に短期間でレコーディングしたのだろうから、曲によってはバラツキがあるのも仕方ないだろう。
 逆に、ニールの創作意欲を褒め称えた方がいいのかもしれない。この意欲は、新しい恋をしているから生まれてくるのだろう。

 現在、ニールは女優のダリル・ハンナと付き合っているようで、アルバム「ザ・モンサント・イヤーズ」のジャケットにもイラストでふたりそろって描かれていた。
 ミック・ジャガーもそうだけれども、恋をすると、人間は行動的になるのだろう。齢70歳を超えても、これだけのエネルギーがあれば、まだまだニールも安泰かもしれない。

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