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2017年5月 8日 (月)

3人のデビー(1)

 春の陽気に誘われて、久しぶりにポップ・ミュージックのジャンルについて書こうと思った。それでお題は「3人のデビー」である。

 “デビー”というからには女性だけれど、だからといって、間違ってもデビ夫人なんかは登場しないはずだ。

 1人目のデビーは、デビー・ブーンである。あの有名なパット・ブーンの娘であり、20世紀の一発屋というランキングがあるなら、間違いなくベスト10の上位にランクされるであろう曲“恋するデビー”(原題は"You Light Up My Life")を歌ったシンガーである。336870c0d60cadde7e939c8a781c3e59c32
 それに、この邦題については今でも異論が続出していて、原題とのミスマッチ・ベスト10があるなら、間違いなく3本の指に入るであろうとも噂されている(と思う)。

 そんなデビーの曲ではあるが、その曲に入る前に、父親のパット・ブーンについて簡単に述べてみたい。今どきの人にとっては、パット・ブーンと言われても、きっとピンと来ないだろうから。

 パット・ブーンは、1950年代後半から60年代にかけて、3曲のビルボード全米No.1シングルを持っている歌手兼俳優である。当時の歌手は、エルヴィス・プレスリーなどがよい例だが、歌をレコードで発表するのと同時に、映画に出演して歌ってもいたのだ。もちろん、それなりの容姿が求められただろうが…

 パットは、フロリダで敬虔なクリスチャンの家庭で生まれた。本名は、チャールズ・ユージーン・ブーンといい、1934年6月1日生まれの現在82歳になる。
 アメリカの西部開拓時代にネイティヴ・アメリカンと激しく戦って、白人の領土を広げていったダニエル・ブーンは、彼の祖先と言われている。

 母親の手ほどきで、パットと弟のニックはコーラスをつけて歌うようになり、兄弟で学校や教会に出かけて行くようになった。
 18歳でレコード・デビューし、19歳で結婚。やがて4人の娘を持つ父親になるのだが、レコード・デビューしても、いったん引退して、その後再デビューしている。

 理由は、もともと彼は教師になるつもりだったからだ。歌やレコーディングは趣味で行っていて、多少ヒットが出ても、クリスチャンとしての信仰を続けながら、堅実な生活を選ぼうとしていた。

 当初は、オーティス・ウィリアムズ&チャームズ、ファッツ・ドミノやリトル・リチャードなどのR&Bをカバーしていたが、1957年の6月に"Love Letters in the Sand"が5週間No.1になると、一気にアメリカ中に名前が広がり、この曲は23週連続でチャートに残っていた。Patboone0
 もともとこの歌は、ビング・クロスビーなどが歌っていたのだが、当時の20世紀フォックスの映画「バーナディーン」に、パット自身が出演して歌っていた挿入曲だった。映画との相乗効果もあったのだろうか。

 また、同年の12月には"April Love"が2週続けてビルボードのシングル・チャートで首位になったが、それでもまだ教師になる道をあきらめなかったようで、学問との二足の草鞋を続け、翌年の6月に言語学と英語学の学位を取って、コロンビア大学を卒業している。

 その後はテレビや映画での活動が優先されたせいか、ヒット曲も少なくなったが、1961年にカントリー・ミュージックの"Moody River"をアレンジして歌ったところ、これが大ヒットして1週間だけ全米1位を記録している。

 全米でのヒットはここまでのようで、これ以降はレコード会社を転々としていき、ポピュラー・ミュージック界よりは、ゴスペル・ミュージックなどのクリスチャン系の音楽活動を続けていった。同時に、全米のテレビ番組のMCなどで活動を続けたのだった。

 4人の娘は“ブーンズ”として活動を始めたが、なかなかヒット曲には恵まれなかった。お姉さんたちが結婚をし、妹のローラが大学生活を送っているときに、プロデューサーからソロ活動を勧められ、同名映画の主題曲"You Light Up My Life"を発表した。

 この曲は、1977年の9月に71位でチャートに初登場すると、6週間後の10月15日に1位になり、その後も10週間チャートの首位に留まった。
 同時に、この曲のヒットのおかげで、アメリカン・ミュージック・アワードでの全米人気ベスト・ポップ・シングル賞やアカデミー賞でのベスト・オリジナル・ソング賞を受賞した。

 ただ、この曲のあとに続くヒット曲がなかったため、驚異の一発屋としてデビーは見られているが、実際にそうだったのだろうか。

 確かに、セカンド・シングルの"California"は50位止まりで、3枚目で最後のシングル曲にもなった"God Knows/Baby, I'm Yours"は33位と74位で終わっている。
 ところが、後者の曲は、アダルト・コンテンポラリー部門やカントリー・ミュージック部門ではチャート・アクションがよくて、その結果、彼女はカントリー・ミュージックの世界で活動を始めるようになったのである。

 カントリー・ミュージックでの最初のシングルはうまくいかなかったものの、コニー・フランシスのカバー曲やそれを収めたアルバムは、チャートの上位にあがり、結果的にはその後のヒット曲や成功にも繋がるようになった。

 デビー・ブーンの70年代後半は、カントリー・ミュージック界での成功と考えていいかもしれない。そして80年代になると、今度は父親と同じようにクリスチャン・ミュージック界での活躍になっていったのである。
 しかもコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック部門ではグラミー賞まで獲得するという結果までついてきたのだから、彼女を一発屋といってしまっていいのかというと、決してそんなことはないだろうと思っている。

 だからアメリカの音楽業界の中では、決して一発屋とは言ってはいけないと思うのだ。1986年に発表された彼女のベスト・アルバム「ザ・ベスト・オブ・デビー・ブーン」には10曲が収められていて、大ヒット曲の"You Light Up My Life"は当然のこと、他にも興味深い曲を聞くことができる。51lxzm9rl
 アルバム冒頭は"You Light Up My Life"で始まり、続いてコニー・フランシスのカバーである"Everybody's Somebody's Fool"、3枚目の両面シングルとしてチャートの最高位33位と74位を記録した"Baby, I'm Yours"と"God Knows"と配置されている。

 コニー・フランシスのカバーはもう1曲あって、1960年に全米No.1を記録した"My Heart Has A Mind of Its Own"もカントリー調にアレンジされて収録されていた。ちなみに前述した"Everybody's Somebody's Fool"も1960年に全米No.1を記録したものをカントリー調にアレンジして歌っている。

 このアルバムは、カントリー・アルバムといっていいほどそういう傾向の曲が収められていて、中でも"Are You On the Road To Lovin' Me Again"は、1980年の5月に1週間だけカントリー・チャートでNo.1を記録したほどの曲でもある。当時のエミルー・ハリスやクリスタル・ゲイルを押さえての首位だから大したものだろう。

 このアルバムはカントリー調の曲と、"You Light Up My Life"のような静かなバラード・タイプの曲に分けられるようで、他のバラードでは、"When You're Loved"と"The Promise(I'll Never Say “Goodbye”)"の2曲があった。

 いずれも映画のサントラ曲のようだが、映画自体はどんなものなのかよくわからなかった。そういえば、"You Light Up My Life"も同名映画の主題歌だったのだが、映画自体がヒットしたかどうかは記憶にない。
 
 記憶にないということは、ここ日本ではそんなに話題にはならなかったのだろう。(追記;"When You're Loved"は1978年の映画"The Magic Of Lassie"の主題歌で、ジェームズ・ステュアートが主演した名犬ラッシーのことのようだ。日本で封切りになったのかどうかは、よくわからなかった)

 デビー・ブーンは一発屋ではないことが分かったと思う。むしろ美人で、歌も上手な才色兼備なシンガーのようだ。Debbybooneheightweightageaffairsbio
 活躍するフィールドがポピュラー・ミュージック界からカントリーへ、そしてクリスチャン・ミュージック界へと変遷していったことが、彼女の状況をわかりにくくしていったのだろう。

 ただ言えることは、決して親の七光りではなくて、実力でポピュラー・ミュージック界に名前を残したという点である。
 さすが実力社会のアメリカだ。今のアメリカは格差社会になってしまったと言われているが、"Land of Opputunity"の精神は、これからも守ってほしいと願っている。


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コメント

 懐かしさいっぱいで拝見しました。パット・ブーンとか、コニー・フランシスの話です(笑)。~~歳がバレますね。
 いろいろと回顧してしまいますね。私は当時から洋楽派で当然当時のヒットはラジオからでしたが、映画音楽全盛期でしたね。パット・ブーンの"Love Letters in the Sand"はもう誰もが口ぶさむ歌で、私も納得の歌でした。それはそれは女性は痺れていたと思います。ただ私のクセで、どうもその時代の問題意識なしのアメリカン・スタイルに抵抗も感じていたというところで、このパット・ブーンにはファンという感覚は生まれませんでした。
 そして60年代後期からのロック開花時代にようやく私の感覚が満たされたのです。
 懐かしい気分させて頂いて有り難うございました。

投稿: 風呂井戸(photofloyd) | 2017年5月14日 (日) 10時34分

 コメントありがとうございました。自分の実体験とは少し離れているので、今回は難しかったです。

 デビー・ブーンの曲はラジオでよく聞いていたので、実体験として理解しやすかったのですが、父親の方となると、いろいろ調べないと書けませんでした。
 やはり、70年代以降のハード・ロックやプログレの方が、自分にとってはとっつきやすいです。

 よせばいいのに、ほとんどごく少数の人しか読まないのにもかかわらず、なぜかこういうテーマを選んでしまうのです。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2017年5月14日 (日) 22時36分

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