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2017年6月26日 (月)

ジム・クロウチ

 さて、6月の最後はジム・クロウチについて語ることにしよう。彼については、このブログが開設されて間もない頃に、「たまにはポップ・ソングをpart2」という短い拙文の中で綴っていたのだが、十分な紹介ができずに終わってしまっていた。
 それではジムに対しても失礼だと思ったし、彼の歌の素晴らしさをもっと世の中の人に知ってもらいたかったので、きちんと取り上げることにした次第である。10731499jimcroce1450838062
 ジムは、アメリカのシンガー・ソングライターだった。「だった」ということは、文字通りで、すでに彼はこの世にいないということを意味している。

 1973年9月20日、ノースウエスト・ルイジアナ大学での公演を終えたジム一行は、約112キロ離れたテキサス州シャーマンへ向かうために、ナッチトチェス飛行場でチャーター機に乗り込んだ。オースティン大学での公演が控えていたからだった。

 飛行機は離陸後まもなく、飛行場内に1本しかないぺカンの木に接触し、ジムを含む乗員全員が即死した。享年30歳だった。墜落事故の原因は諸説あるが、パイロットの冠動脈疾患のせいで意識を失ったという説が有力である。パイロットは57歳のベテランだった。0165ce232bd1c6fd2403e8be4fd5976d_2
 ジム・クロウチは1943年の1月に、フィラデルフィアで生まれた。両親はイタリア系の移民で、彼の本名はジェイムズ・ジョセフ・クロウチといった。
 子どもの頃から音楽が好きで、最初はアコーディオンを弾いていたらしい。5歳ころのお話である。

 大学生になると、フォーク・ソングに興味を持ちようになり、スパイアーズというグループを結成して、人前で歌うようになった。また、おもちゃ屋でアルバイトをしてアコースティック・ギターを購入していた。
 その時に、トミー・ウェストと友人になった。彼はのちにテリー・キャッシュマンという人とプロデューサー・チームを結成し、ジムを前面的にバックアップするようになる。

 大学を卒業してからは定職にも就かず、時間があれば音楽活動をするようになった。地元のヤミのラジオ局の広告取りの仕事をしたり、建設現場での肉体労働のような作業をしながら、自分のオリジナル音楽を追及していった。

 ある時、アルバイト中に大型ハンマーで自分の左手を打ち付けてしまった。幸いにして指は切らずに済んだものの、傷ついた指を使わないで済むような変則的なギター奏法を考えなければならなかったようだ。

 1966年に、イングリットという女性と結婚したジムは当面の生活費を稼ぐために、友人のトミーのアドバイスを受け入れ、ニューヨークに引っ越ししてキャピトル・レコードと契約し、妻と一緒にデュオ・アルバム「アプローチング・ディ」を制作し発表したが、残念ながら注目を集めることはなかった。

 失望したジム夫婦は、ペンシルヴァニアに戻って様々な仕事に従事しながら、次の機会をうかがっていた。
 ジムは、トラックの運転手をしながら曲を書き続け、6曲分をカセットテープに吹き込んで、ニューヨークに住むトミーに送ったのである。

 曲を聞いたトミーとテリーは、その内容にいたく感動し、ジムにニューヨークに来てレコーディングをするように勧めた。1972年のことだった。その年の7月にデビュー・アルバム「ジムに手を出すな」が発表され、2枚のシングル・ヒットを生み出した。

 アルバム・タイトルと同名の"You Don't Mess Around With Jim"はシングル・チャートの8位に、続く"Operator"は17位まで上昇した。
 そのせいか、このデビュー・アルバムはゴールド・ディスクを獲得し、アルバム・チャートで首位を獲得している。

 気をよくしたジムは、続くセカンド・アルバム「ライフ・アンド・タイムズ」を翌年の7月に発表した。このアルバムからの2枚目のシングル曲"Bad, Bad Leroy Brown"は、7月21日から2週間連続でシングル・チャートの首位に輝いた。そして、このアルバムもまたチャートの1位に輝き、ゴールド・ディスクを獲得している。

 ジムは、この曲のモチーフを、彼がニュージャージーで電話の配線工をしていた時に知り合った友人から頂戴している。

 ジムの話によると、“彼は1週間ばかり働いた後、疲れた、もううんざりだと言って、仕事場から逃げ出してしまった。その後、給料を取りに戻ったところを、無断欠勤したという理由で逮捕されてしまった。彼のしゃべる話を聞いたときに、いつか彼のことを歌にしようと思った”ということだった。

 1973年の9月12日には、彼の3枚目のアルバム「アイ・ガッタ・ネイム」のレコーディングが完成した。このアルバムのタイトル曲は、映画「ラスト・アメリカン・ヒーロー」の主題歌に使用された。
 また、このアルバムはこの年の12月に発表され、全米アルバム・チャートでは2位を記録している。ちなみにこのアルバムの邦題には、「美しすぎる遺作」という副題が付けられていた。

 同時に、この日の夜、当時のABCテレビでドキュメンタリー番組が放映された。内容は、癌で亡くなった若い女性の半生を描いたものだったが、このテレビ番組のテーマ・ソングにジム・クロウチの"Time in A Bottle"が選ばれたのである。

 放映後、全米にあるABCテレビの各放送局に、この主題歌は誰が歌っているのか、どこで手に入れることができるのか等々の問い合わせが殺到した。この曲は、まだ世に出回っていなかったのである。そして、この日から8日後に彼は亡くなったのだ。

 彼の死後、3枚目のアルバムが発表され、そこからシングル曲"I Got A Name"がチャートで10位になったとき、"Time in A Bottle"がシングル・カットされ、12月29日から2週間、シングル・チャートの首位に立っている。
 つまり、彼の死後に発表された曲が1位を記録したわけで、当然のことながら、彼はこの記録を知ることはなかった。

 また、"I Got A Name"はジムの作品ではなく、ロバータ・フラックが歌ったことで有名になった"Killing Me Softly With His Song"を手掛けたチャールズ・フォックスとノーマン・ギムベルによるもので、息子の成功を夢見ながら亡くなっていったジムの父親のことを示唆しているようで、ジム自身が気に入って自分のアルバムの中に取り入れたという。

 ジムの父親のことを歌っているようで、実際は、ジム自身にも当てはまるような曲になってしまった。若い時に苦労を重ね、まさにこれからという時にジムは亡くなったわけで、運命の皮肉さを感ぜざるを得ない。

 言い忘れていたが、"Time in A Bottle"はジムのデビュー・アルバムに収められていた曲で、ジムもまさかシングル・カットされるとは思ってもみなかっただろう。

 この曲のリード・アコースティック・ギターは、モーリー・ミューライゼンという人が演奏していて、彼はジムの重要なパートナーだった。この曲以外にも"Operator"や"I'll Have To Say I Love You in A Song"などでも彼の演奏を聞くことができる。そしてまた、モーリーもまたジムと同じ飛行機に同乗していたため、帰らぬ人になってしまったのである。
「交換手さんよ
ちょっと手伝ってくれないか
わかるだろ
電話帳が古くて文字が薄いんだ
彼女はロスに住んでいる
俺の元親友だったレイと一緒にね
彼女が言うには知り合いだけど
時々嫌いになるっていう奴なんだ

だから奴らがうまくいくとは
思えない
でも、そのことは忘れてくれ
もしわかったら番号を教えてくれよ
電話してみるから
ただ元気だと言うだけさ
俺は何とか順調だ
そんな自分の言葉に
勇気づけられることを
願っているけど
だけど本当じゃなかった
そんなふうには思えないんだ

交換手さんよ
助けてくれよ
あんたが教えてくれた
番号が見えないんだ
目の中に
何か引っかかっていてね
俺を救ってくれるはずの
彼女との愛について考えると
いつもこうなるんだ

交換手さんよ
今までのことは忘れてくれ
誰もそこにはいないさ
ただ俺はあんたと
話したかっただけさ
時間をとってくれてありがとう
ほんとにあんたは親切だな
電話料金はあんたのもんさ」
(“Operator” 訳;プロフェッサー・ケイ)

 電話交換手に昔の恋人の電話番号を教えてもらうように頼んでおきながら、番号が分かっても電話を掛けるのを躊躇して、結局やめてしまうという男の心情を素直に表現していて、同じような経験をしたことがある人はきっと泣けてくるのではないかと思ってしまう。

 しかも、ジムの声自体も哀愁味があって、曲のイメージと見事に重なってしまうのである。この"Operator"や"Time in A Bottle"、"Photographs & Memories"などのスローやミディアム調の曲だけではない。
 "Rapid Roy"や"Workin' at the Carwash Blues"などのテンポのよい曲でも、どこかユーモラスで諧謔さが漂っていて、一度聞くと忘れられない。41uy2vr4jbl
 それは彼の温かな人間性から来るのであろう。決して裕福ではなかった移民の家庭で育ち、父親は息子の成功を見ることもなく亡くなってしまう。

 彼自身も様々な職業を経験し、ある意味、報われない人生を歩んでいる人たちとの交友を通して学んだことが、彼の人生観や人物観察の基となり、それが歌詞や曲調に反映しているようだ。

 何度も言うけれど、30歳という若さで、まさにこれから本格的にスポットライトが当たろうとする時期だった。象徴的なアルバム・タイトルや亡くなった後でのNo.1ヒットなど、ひょっとしたら彼の命運は最初から決定事項だったのかと思わせるような人生だった。

 彼の曲を聞くと、思わずそんなことを考えてしまうのである。


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