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2017年8月

2017年8月14日 (月)

ディープ・パープルの新作

 夏は暑い。当たり前のことだが、ここ数年、本当に暑く感じる。日本は亜熱帯地域に移動したのだろうか。

 それで、暑い時には熱い音楽をということで、今回はハード・ロックの歴史的巨人、ディープ・パープルの新作を紹介しようと思った。

 ディープ・パープルといえば、1968年の結成以来、幾度ものメンバー・チェンジを繰り返しながら結成50年を迎えようとする老舗のブリティッシュ・ハード・ロック・バンドである。Deeppurple2016
 今更ながらこんなことを言ってもみんな知っているので仕方ないけれど、リッチー・ブラックモアを始め、亡くなったジョン・ロード、ボーカリストのイアン・ギランやデヴィッド・カヴァーデルなど、このバンドに在籍した、あるいは在籍している有名ミュージシャンは数知れない。

 そんな超有名バンドだが、いまだにニュー・アルバムを発表している。自分なんかは、彼らはもうこれ以上稼ぐ必要もないし、これ以上有名になる必要もないので、南の島に行ってゆっくりと余生を過ごしてもいいと思うのだが、いまだに頑張っている。

 イアン・ギランやロジャー・グローヴァーは71歳だし、一番若いギタリストのスティーヴ・モーズも63歳になる。
 そんな彼らが、通算20枚目のスタジオ・アルバムになる新作を今年の春に発表した。タイトルは「インフィニト」というものだった。61naz64a6tl
 自分は前作の「ナウ・ホワット?!」が予想外に良かったので、思わず輸入盤を購入してしまった。
 前作の「ナウ・ホワット?!」はボブ・エズリンのプロデュースのせいか非常に評判が良くて、北欧や東欧ではオーストリアやチェコ、ノルウェーなどでチャートの首位を飾り、母国イギリスでも19位まで上昇した。

 正式メンバーになったドン・エイリーの活躍とともに、スティーヴ・モーズの演奏も目立っていたし、何しろ曲自体もいい曲が多かった。

 それで新作の「インフィニト」だが、ひょっとしたらこのアルバムで彼らは活動を休止するのではないかと噂されていた。冒頭の"Time for Bedlam"という曲の"Bedlam"とは北ヨークシャー州にある有名な保養地のようで、ついに彼らも引退かともいわれていた。

 自分が聞いた限りでは、前作の「ナウ・ホワット?!」よりはインパクトが弱かった気がした。楽曲自体は悪くないのだが、全体的に一本調子であっという間にアルバムが終わってしまい、印象に残る曲が少ないのだ。

 確かに、普通のバンドのアルバムとして聞けば、水準以上のアルバムなのだが、“ディープ・パープル”という看板を背負ったバンドのアルバムとして聞くと、通常の平均的なアルバムになってしまう。

 決して悪いアルバムではない。3曲目の"All I Got Is You"はメロディアスな佳曲だし、6曲目の"The Surprising"ではドン・エイリーのキーボードが活躍している。スティーヴ・モーズも"Time for Bedlam"や"Birds of Prey"で弾きまくっている。
 ただ、70年代の"Highway Star"や"Burn"のような後世に残る曲が見当たらないのだ。

 ああいう名曲は、そうそうできるものではないということを逆に証明しているようだった。一方で、最後の曲"Roadhouse Blues"の方がシンプルで、シンプルがゆえに逆に際立っていて、耳に残った。

 この曲は彼らのオリジナルではなくて、このアルバムの中では唯一のカバー曲だった。カバーされたのはアメリカのザ・ドアーズの曲で、1970年のアルバム「モリソン・ホテル」に収められていたものだ。

 繰り返し言うが、このアルバムは普通のロック・バンドのアルバムとしては優れているのだが、やはりディープ・パープルという看板を掲げたバンドのアルバムとしては、平均的なものになったのではないだろうか。

 チャート的にも前作よりは下回ったようだ。彼らの熱狂的なファンのいる北欧や東欧でもアルバム・チャートの首位を飾ることはできなかった。唯一、ドイツとスイスではNo.1になり、母国イギリスでは、これが最後の作品といううわさが流れたせいか、6位を飾っている。

 ところで、1974年に彼らが発表したアルバム「嵐の使者」というアルバムがあった。いわゆる第3期ディープ・パープルの最後のアルバムで、この後、ギタリストのリッチー・ブラックモアは脱退してしまう。Mv5bztizoti3y2mtzguzzc00nwvilwiwz_2

 リッチーはこのアルバムを嫌っていて、最低のアルバムだと言っていた。理由はハード・ロック・アルバムではなくて、グレン・ヒューズやデヴィッド・カヴァーデルの意向の強いソウルフルでファンキーな路線に走ってしまったからだ。

 リッチーはこれが嫌だった。だからバンドを脱退したのだろう。ただ、自分的にはこのアルバムは結構気に入っていて、いまだに時々車の中で聞いたりしている。

 それまでのハード・ロック路線の"Stormbringer"と"Lady Double Dealer"の両曲を筆頭に、まさにファンキーなリフの目立つ"Love Don't Mean A Thing"や渋いバラードの"Holy Man"など、ディープ・パープルのイメージには似合わないところが、逆に新鮮に映ったものだ。

 アメリカのバンドの曲を聞いているようで、のちにトミー・ボーリンが加入する下地が作られたような雰囲気が漂っていた。アルバム・ジャケットもアメリカ中西部の竜巻のようで、映画やミュージカルの「オズの魔法使い」に出てくるような感じだった。

 のちにリッチーはステージの演出に「オズの魔法使い」を使用していたが、その遠因はこの辺にあったのかもしれない。51pl4eltgl
 ちなみに、"Holy Man"と"Hold On"の曲のクレジットには、リッチーの名前はなかった。ギター・ソロは残っているので、レコーディングにだけ参加したのだろう。

 それ以外の"High Ball Shooter"でも、リッチーの細かいギターの音を聞くことができるし、"The Gypsy"はリッチーが唯一このアルバムの中で気に入っていた曲だった。(でもへそ曲がりの彼のことだから、ジョークで言ったのかもしれない)

 そして、最後の曲がデヴィッドの歌とリッチーのアコースティック・ギター、ジョン・ロードのシンセサイザーで構成された"Soldier of Fortune"の感動的なバラードだった。この曲を最後に、リッチーはバンドを離れ、自分の思い通りになるバンドを結成したのである。

 とにかく、このアルバムは発表当時は評価が分かれてしまい、従来のハード・ロック路線を期待していたファンからは駄作に近い扱いを受けたし、ファンクやソウルが好きなファンや第3期ディープ・パープルを気に入ったファンからは好意的に受け入れられた。

 この傾向は今も同じようなもので、このアルバムの評価は定まっていないような気がする。ただ、当時はソッポを向いていた人たちの中には、このアルバムを受け入れようとしている人もいるようだ。

 というわけで、ディープ・パープルの新作「インフィニト」ももう少し時間がたてば、評価も高まるかもしれない。画家のゴッホの作品と同じように、偉大な人や作品については理解されるのに時間がかかるのであろう。

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2017年8月 7日 (月)

エド・シーラン

 現代の吟遊詩人といってもおかしくないと思っている。エド・シーランのことだ。自分は、もちろん彼のデビューした2011年から彼の名前は知っていたのだが、まさか、ここまでビッグな存在になるとは思ってもみなかった。Edsheeran2017leadpressshot_lo_res
 というのも、雑誌などでは彼の楽曲よりもその経歴の方が注目を集めていて、確かにラジオから流れてきた曲はよかったと思ったのだが、また新人が登場してきたなあという程度の認識しかなかったのである。

 何しろ、当時の彼のキャッチ・コピーは、“住所不定、職業シンガー・ソングライター”というものだった。如何にも何だか怪しい感じがすると思うのだが、そう思ったのは私一人だったのかもしれない。

 以前にも書いたけれども、イギリスの音楽界の新陳代謝は異様に早くて、人口は日本の半分くらいしかないのに、次から次へとニュー・カマーが現れてきて、しかもそのうちの何人かは世界的にもビッグな存在になってしまう。ジェイムス・ブラントにジェイムス・モリソン、エイミー・ワインハウスにアデル、サム・スミス、そしてエド・シーランなどなどである。

 エド・シーランは、ウエスト・ヨークシャーのハリファックスというところで、1991年の2月に生まれている。人口8万人くらいの街だから、そんなに都会ではなさそうだ。
 ただ、エド以外にも有名ミュージシャンが誕生していて、元ユーライア・ヒープのボーカリストのジョン・ロートンや元トンプソン・ツインズの中心人物だったトム・ベイリーなどもいた。

 エドの父親はアイルランド人で、母親はイギリス人だった。幼い頃から両親、特に父親が流す音楽に影響を受けるようになり、4歳頃から教会の聖歌隊で歌うようになった。
 父親はボブ・ディランやヴァン・モリソン、ザ・ビートルズを聞き、エドはエミネムやグリーン・デイ、リンキン・パークなどを好んで聞いていたようだ。

 5歳からはピアノを習い始め、学校ではチェロやバイオリンも手にするようになった。やはり生まれつきの才能のようなものが輝いていたのだろう。

 11歳になると、テレビで見たエリック・クラプトンの影響で、ギターを手にするようになり、アイルランドのシンガー・ソングライターのダミアン・ライスのライヴを見て、自分もシンガー・ソングライターになろうと決心したという。
 
 何と影響を受けやすい人だと思うかもしれないけれど、これでその後の人生が決まったのだから、これはもう天啓みたいなものだったのだろう。

 ここからがエドのすごいところで、自分で曲作りを始め、14歳になるとループ・ペダルを買ってきて、アコースティック・ギターを弾きながら歌を歌い、デモ・テープを制作するようになった。

 16歳になると、とにかく1年365日音楽をやりたいと思い、ついには学校までも退学してしまう。そして、家を出て、時に友人の家に泊まりながら、時に路上生活者のような暮らしを送りながら、ストリート・ミュージシャンとして活動を始めるようになったのである。

 よくまあ、家の人が許したなあと思うのだが、それだけ彼には才能があると周りの人が認めていたのだろうし、まだ若いから失敗しても構わないと考えていたのかもしれない。

 いずれにしても、彼はアコースティック・ギターとループ・ペダルを持ってロンドンに出かけて、ストリートやパブのような居酒屋で歌うようになった。
 2009年には、年間312回のソロ・パフォーマンスを行い、ミニ・アルバム「ユー・ニード・ミー」も発表した。このあたりから徐々に彼の運命が好転していく。

 やがて彼のライヴは噂になり、人々に好意的に受けとめられるようになって、マネージャーも付くようになった。
 これは、もちろん彼の楽曲自体がもつ魅力もあったのだろうが、同時に、彼の明るくてポジティヴな性格も幸いしたに違いないだろう。

 翌2010年には、ミニ・アルバム「ルース・チェインジ」がイギリスのiTunesで1位になり、メジャー・レーベルのアトランティック・レーベルと晴れて契約することができた。

 そして、2011年にはメジャー・デビュー・アルバム「+」が発表される。この中からシングル・カットされた"The A Team"が大ヒットして、一躍彼は世界中に名前が知られるようになった。この曲は、チャートでは首位には立たなかったものの、グラミー賞の「ソング・オブ・ザ・イヤー」やブリット・アワードにノミネートされるくらい有名になった。41wad6qwa0l

 このアルバムを聞いての最初の印象は、21世紀のシンガー・ソングライター像を確立したなあということだった。

 今までのシンガー・ソングライターというと、ギター1本の弾き語りというイメージが自分の中にはあった。ところが、このアルバムでは、確かに基本はフォーク・ギターなのだけれども、ロックっぽい曲もあるし、ラップ調の曲も含まれていた。エミネムから影響を受けたのは間違いないようだ。

 要するに、エドの持つ音楽性が幅広いのである。ただ、アルバムの中盤になるとおとなしめの曲が続いていて、少し退屈さも感じてしまった。この辺はアレンジの問題だろうか。
 国内盤にはボーナス・トラックを入れて17曲が収められていた。そのうち、エドひとりで手掛けた曲は、"The A Team"、"Small Bump"、"Little Bird"、"Sunburn"の4曲だけで、あとはジェイク・ゴスリングなどの音楽パートナーと一緒に作っている。

 幅広いジャンルの音楽を含む新時代のシンガー・ソングライターによるアルバムだったが、基本的にはまだまだフォーク・ソングという雰囲気が色濃く残っていて、その辺はさすがに大英帝国の伝統を感じさせてくれた。

 このデビュー・アルバムは、イギリス国内では予約だけでゴールド・ディスクを獲得し、発売1週目で10万枚を超し、最終的に200万枚以上売れている。また、全世界では400万とも500万とも言われていて、よくわからない。それほど売れているのである。

 続くセカンド・アルバム「×」は、2014年に発表された。フォーク・ミュージックのシンガー・ソングライターというイメージから徐々に脱皮していく様子が、このアルバムから伺われた。81x21cxzizl__sl1425_
 何しろプロデューサーのひとりに、リック・ルービンを迎えているのだ。リック・ルービンといえば、ビースティ・ボーイズやRUN.D.M.C.の他に、メタリカやレッド・ホット・チリ・ペッパーズなども手掛けている大物プロデューサーだ。それにエミネムのアルバムも手掛けていたので、エドにとっては憧れのプロデューサーだったのだろう。

 それにリックだけでなく、"Happy"を歌ってヒットさせたファレル・ウィリアムスも曲作りやプロデュースに参加していたので、ヒップホップの要素も前作よりは強くなっている。
 だからというわけでもないだろうが、全体的に前作よりも黒っぽい気がした。ソウル色というよりは、やはりヒップホップやラップ色がところどころに浮かんできている感じだった。

 このアルバムでも共作が目立つ。自作曲は冒頭の2曲"One"と"I'm A Mess"、エミネム調の"The Man"、ポップな"Shirtsleeves"、映画「竜に奪われた王国」の主題歌である"I See Fire"の5曲で、残りの12曲は他のミュージシャン等とのコラボレーションだった。確かにこれなら売れるのは間違いないだろう。

 しかも前作からの約3年間で、120曲以上の曲を作りその中から厳選したものを、さらに友人たちと磨きをかけていったのである。
 そして没になった曲は、友人のテイラー・スウィフトやジャスティン・ビーバーに提供したのだが、それらの曲もまたヒットしたのだから、エドの才能は計り知れない。

 当然ながら、このアルバムも売れた。全米や全英でチャートのNo.1になったの当然のことで、iTunesでは全世界95か国で1位になり、全世界で1400万枚以上も売れている。
 デビュー・アルバムと合わせると、2300万枚以上と言われているし、フォーブス誌によると、2016年の1年だけでエドは約3300万ドルの収入があったそうである。

 2017年にサード・アルバム「÷」が発表されたが、これはもう21世紀の今の段階では、ほぼ完璧なポップ・アルバムだと思っている。81mvp7ip8l__sl1425_
 プロデューサーには、前作にも参加していたベニー・ブランコがいた。彼はマルーン5やケイティ・ペリーのアルバムなども手掛けていて、今どういうアルバムが売れるのかよくわきまえているミュージシャンでもあった。

 エドは最初から、とんでもなくポップなアルバムにしようと決意して臨んでいて、少なくとも3回は最初からアルバムを作り直したという。その間、数百もの楽曲が用意され、そのほとんどが没になっていった。まさにプロ・ミュージシャンとしての意地とプライドをかけたアルバム制作だったようだ。

 また、イギリスのバンド、スノウ・パトロールのメンバーでエドの友人のジョニー・マクダイドも曲作りに関わっていた。彼は、前作でも7曲をエドと共作していた。
 逆に、自作曲はバラードの"Perfect"と"Supermarket Flowers"の2曲だけにとどまっている。21世紀のシンガー・ソングライターは、ひとりで部屋に閉じこもるのではなくて、他の人と積極的にコラボレーションするという特徴があるようだ。

 だから、普通のフォーク調の曲だけではなく、ラップからソウル風のバラード、スペイン語まで駆使したダンス・ミュージックにアイリッシュ音楽まで、彼の守備範囲は限りなく広がっている。無いのはハード・ロックとプログレぐらいだろう。

 もともと才能のある人が、同じように才能のある人たちと一緒にアルバムを作ったらこうなりましたよという典型的な見本が、このアルバムだ。
 すでに、全世界14か国以上のアルバム・チャートで1位になっている。文明国でなっていないのは、ギリシャとメキシコと日本ぐらいなものだった。

 何しろアルバムを出すたびに、過去のアルバムもチャートに顔を出すのである。「÷」が発表された後にも、デビュー・アルバムの「+」とセカンド・アルバムの「×」が、イギリスのアルバム・チャートのトップ10に登場していた。恐るべし、エド・シーラン。今年の洋楽のシーンの顔は、彼を除いては他にいないだろう。

 面白いことに、アルバムの中では、新時代に相応しい楽曲や制作方法をとってきたエドだが、ライヴにおいては、昔も今もストリート・ミュージシャンのように、ギター1本で勝負している。

 たとえば、2015年の7月にはイギリスのウェンブリー・スタジアムにおいて3日連続で公演を行い、3日間ともソールド・アウトにしている。その時の観客動員数は3日間で計約24万人だった。

 アリーナの収容人数は最大で9万人である。それらの人の前で、ギター1本とループ・ペダルだけで歌い切ったエドは、確かに本物のシンガー・ソングライターに違いない。
 また、今年の5月1日から3日までロンドンのO2アリーナで公演を行ったが、こちらも3日間連続でソールド・アウトになっている。この時は、約6万人のファンが集まったということだった。Vipirelandimage149579620x434
 アルバム・タイトルの「+」は、自分のよいところが出せるようにという意味で、つけたタイトルだった。次の「×」は、前作以上の結果が出せるようにとつけたタイトルだった。そしてその目標は達成できている。さて、「÷」とはどういう意味なのだろうか。

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