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2017年10月30日 (月)

1970年のエリック・クラプトン

 前回は、ジョー・コッカーがデラニー&ボニーのバック・バンドと一緒にツアーに回っていった過程を主に述べたのだが、当時のイギリス人ミュージシャンには、ロックン・ロールのルーツであるアメリカ南部の音楽に回帰していくということが流行していた。

 ジョー・コッカーのみならず、デイヴ・メイソンや彼が所属していたトラフィックのスティーヴ・ウインウッドもアメリカの南部音楽に影響を受けていたし、今回のお題であるエリック・クラプトンもデイヴ・メイソンの後を追うように、ルーツ音楽を探し求めていた。

 そういうミュージシャンの意識が英米のミュージシャンの交流を生み、やがては“スワンプ・ロック”というムーヴメントを生み出していった。その中心にいたのが、デラニー&ボニーだったという話はすでに述べた。

 今回は、1970年に発表されたエリック・クラプトンのソロ・アルバムについて、特にデラニー・ブラムレットがミキシングをしたバージョンについて述べることで、当時のスワンプ・ロックやデラニー&ボニーの影響力などについて考えてみたい。

 クリーム解散後、エリックはリック・グレッチやジンジャー・ベイカー、スティーヴ・ウインウッドとともに、スーパー・グループのブラインド・フェイスを結成してアルバムを発表した。1969年のことである。

 アルバムはその年の8月に発表されたが、その前の6月にはロンドンのハイド・パークでデビュー・コンサートを行っている。このコンサートは、フリー・コンサートで誰でも自由に観ることができた。
 その後彼らは、ヨーロッパをまわってアメリカに渡った。ツアー中にデビュー・アルバムが発表されたのだが、残念ながら、その時にはすでにバンドは崩壊しかけていたのである。

 エリック・クラプトンやジンジャー・ベイカーはクリームのようなインプロヴィゼーション中心のハードな音楽も追求しようとしたが、残りの2人はソウルフルなR&Bも視野に入れたロック・ミュージックの可能性も探ろうとしていた。

 結局、それぞれの思惑が微妙に異なっていて、やがてそれが大きな亀裂に結び付いていき、最終的には1年ももたずに解散してしまったのである。

 エリック・クラプトンにとって幸いしたのは、ブラインド・フェイスのツアー時のオープニング・アクトがデラニー&ボニーだったことだ。
 彼らのアメリカのルーツに結び付いた音楽に触れることによって、エリック・クラプトンはバンド解散後の方向性を確立しようとしたし、刺激を受けることで、もっと深くアメリカ南部の音楽を学ぼうとした。920a3f0807b3dc454d1e6f1c2db852ab
 エリック・クラプトンは、ロサンゼルスにあったデラニー・ブラムレットの自宅を訪ね、彼とともにソロ・アルバムの構想を練っていった。
 その時、デラニーからアドバイスを受けたことは、もっと自分自身の声を使えというものだった。ギターのテクニックについては、当然右に出る者はいなかったが、誰もが所有している“声”という楽器については、まだまだ不十分なものだったようだ。

 確かに、クリーム時代でも曲によっては歌っているものもあったが、あくまでもボーカルはジャック・ブルースだった。だから、本格的にボーカリストとして足を踏み出したのは、1970年からと考えていいだろう。

 ソロ・アルバムのレコーディングは1969年の11月から始まり、翌年の1月にはロサンゼルスで最終セッションが行われた。
 もちろんレコーディングの主導権は、デラニー・ブラムレットが握っていて、彼のリーダーシップのもと、錚々たるミュージシャンが集められ、アルバム制作が進められていった。

 元々のアルバム・タイトルは「エリック・シングス」と名付けられていて、まさに“弾くクラプトン”ではなくて、“歌うクラプトン”がフィーチャーされていたのである。

 それにこのソロ・アルバムには、トム・ダウドがミックスしたバージョンとプロデューサーだったデラニー・ブラムレットが直接ミックスしたバージョンが存在していて、2006年にはその両方のバージョンを収録したデラックス盤が発表されている。71wvhqcmnjl__sl1200_
 トム・ダウドのミックス盤は全11曲、ボーナス・トラックが3曲で、そのボーナス・トラックの中には"Let It Rain"のオリジナル・バージョンの"She Rides"や10分25秒もある"Blues in A"という曲が収められていた。

 一方、デラニー・ブラムレットのミックス盤は、10曲+ボーナス・トラック4曲の計14曲で、カーペンターズも歌った"Superstar"のオリジナル・バージョンだった"Groupie"が含まれていた。

 また、トム・ダウド盤にあってデラニー盤になかったのは、"I've Told You For the Last Time"という曲で、デラニー・ブラムレットとスティーヴ・クロッパーの作品だった。
 ただし、デラニー盤では、この曲はボーナス・トラックとして、1969年の12月にロンドンのオリンピック・スタジオで録音されたバージョンが収録されていた。

 デラニー・ブラムレットのミックス盤は、トム・ダウド盤と比べて曲順と曲の長さが微妙に違っていた。
 1曲目の"Slunky"は同じだが、2曲目の"Bad Boy"はデラニーのミックスの方が8秒ほど長い。また、デラニー盤の方がレオン・ラッセルのピアノとサックスなどのホーンが強調されている。

 3曲目はトム・ダウド盤と入れ替わっていて、トム・ダウド盤では"Lonesome And A Long Way From Home "だったが、デラニー盤では"Easy Now"だった。
 この曲はアコースティック・ギター1本で、まるでシンガー・ソングライターのようにやっているので、今では珍しい爽やかな曲調を持っている。"Easy Now"については、トム・ダウド盤と同じである。

 4曲目は、J.J.ケールの書いた曲である"After Midnight"だった。トム・ダウド盤ではロック・アレンジだったが、デラニー盤の方では、それに加えてピアノとホーン・セクションがフィーチャーされている。時間的にもこちらの方が26秒ほど長い。

 5曲目はトム・ダウド盤は"Easy Now"だったが、デラニー盤では"Blues Power"で、こちらの方もレオン・ラッセルやボビー・キーズが頑張っている。11秒ほど長いのも魅力的である。

 次の曲は、デラニー盤では"Bottle Of Red Wine"で、トム・ダウド盤は"Blues Power"だ。この"Bottle Of Red Wine"については両盤ともほぼ同じで、ほとんど違いがない。デラニーとエリック・クラプトンの曲である。

 "Lovin' You Lovin' Me"については、デラニー盤の方が44秒も長い。その分エンディングが強調されているというか、最後までしっかりと聞くことができる。クラプトンの曲には、エンディングがフェイド・アウトする曲が多いのだが、この曲についてはエンディングが長いので、何となくお得感があった。

 8曲目の"Lonesome And A Long Way From Home"は、トム・ダウド盤では3曲目に置かれていた。この曲もデラニー盤の方が19秒ほど長い。クラプトンのワウワウ・ギターがかわいらしく聞こえるし、これもエンディングまで楽しめる曲に仕上げられている。

 最後から2曲目は"Don't Know Why"で、これもデラニー盤の方が33秒も長い。エリック・クラプトンの自宅に立ち寄ったデラニー・ブラムレットが作った曲で、クレジットではクラプトンとの共作になっている。当たり前のことだが、エンディングのギター・ソロがさすがクラプトンである。

 最後の曲は、両盤とも"Let It Rain"だった。トム・ダウド盤との違いは、1秒ほどデラニー盤の方が長いという点だろう。ただ、素人が聞いてもあまり違いは判らないのではないだろうか。81aamui7j8l__sl1361_
 ボーナス・トラックの1曲目は、9曲目の"Don't Know Why"の別バージョンで、こちらはオリンピック・スタジオで録音されたものだった。トム・ダウド盤よりも2分以上長くなっていて、全体的にラフな作りになっている。その分、“スワンプ・ロック”の匂いがプンプン漂っているような感じがした。

 ボートラの2曲目は、"I've Told You For the Last Time"で、トム・ダウド盤よりも4分16秒も長い。これもオリンピック・スタジオにおけるラフ・ミックス・バージョンのようだが、エリック・クラプトンのギター・ソロがフィーチャーされていて、十分鑑賞に堪えうるものだった。
 クリームの幻影を追い求めるロック・ファンにとっては、こちらの方がよかったのではないかと思っている。

 3曲目は、デラニー&ボニー・アンド・フレンズによる"Comin' Home"で、文字通りデラニー&ボニーを支えるバック・ミュージシャンとエリック・クラプトンがセッションをしている。
 時間的に3分14秒というのが辛い。ただ、彼らのイギリス公演では、5分以上長くやっていた。ライヴだったから長めにやったのだろう。

 最後の曲は"Groupie(Superstar)"で、リード・ボーカルはボニー・ブラムレット。名曲は誰が歌っても名曲だろう。レコーディングにはデイヴ・メイソンやリタ・クーリッジなども参加していた。

 というわけで、デイヴ・メイソンの後を追うようにアメリカに渡った(というか既に渡っていた)エリック・クラプトンだったが、デラニー&ボニーとその友人たちと一緒になって制作されたのが1970年のソロ・アルバムだった。Be30fe8f29ce7bfe465eed9df7be9567eri
 このあと、バック・ミュージシャンはレオン・ラッセルとともにジョー・コッカーと全米ツアーを行い、そのあとジムとカールとボビーはクラプトンとともにデレク&ザ・ドミノスを結成することになるのだが、その後の展開についてはまた別の機会に譲ろうと思う。
 別の機会があればのお話だが…


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コメント

 いよいよエリック・クラプトンですね。
 私は実はこのころの彼には思い入れが無くて白紙状態でして、興味深く拝見しました。
 そうですね、なんとなく彼に興味を持ったのはブルースなのかも知れません。ただ何となく垢抜けた感がなく”西洋お百姓のお父さん”みたいな一時のイメージがどうしても抜けません。しかしギター・メロディーの美しさには感動もしました。
 その後のクラプトンにもスポットを当てて楽しませてください。

投稿: 風呂井戸(photofloyd) | 2017年10月30日 (月) 22時19分

 風呂井戸さまへ コメントありがとうございました。時間を取らせて申し訳ありません。

 写真を見てもお分かりのように、この時のクラプトンはまだ若く、25歳でした。それでもcreamやblind faithなどの活動を通して、すでに名声を獲得し、彼の活躍を求めるファンは数多く存在していました。

 「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」のメンバー紹介でも、クラプトンの時は、他のメンバーよりも歓声が沸き起こっています。

 このあと彼は、デレク&ザ・ドミノスを結成し、「いとしのレイラ」を発表しますが、デュアン・オールマンは亡くなり、バンドも解散して、自暴自棄になりドラッグとアルコールに逃避していきました。

 この点においては、彼もまた普通の感性を持った人間だったようです。私も含めて多くの人は、こういった人間臭いところにも魅かれるのかもしれません。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2017年10月31日 (火) 20時14分

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