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2017年10月 2日 (月)

デイヴ・メイソン(1)

 デイヴ・メイソンというミュージシャンほど過小評価されている人は、いないと思う。というか、1970年代の後半は知名度、人気ともに抜群だったのだが、80年代以降はアルバムを発表する機会が減り、音楽シーンの第一線から遠ざかっていった。

 だから、彼が1995年にフリートウッド・マックのアルバムに参加したと聞いて、少し驚いたのである。彼ほどの知名度と実力があれば、ソロでも新しいバンドでも活動できると思ったからだ。

 むしろ、フリートウッド・マックの残党と組んで、新しいバンドを結成してほしかったと思っている。その音楽的方向性は、フリートウッド・マックの系統を受け継ぐものの、それプラス、ブルーズ・ロックや南部サザン・ロック風のレイド・バックした音楽をやってほしかったのだ。

 デイヴ・メイソンは、今年で71歳になった。エリック・クラプトンが72歳になっているから、ほぼ同時期のギタリストといってよいだろう。0ad5d3a8ed06800d8aa408721d7e94a8
 そういえば70年代には、この2人はよく比較されたものだった。両者には共通点が多かったからだ。英国人であり、ギタリスト、そして途中まではほぼ同じような音楽的なキャリアを経験している。

 例えば、クラプトンはクリームやジョン・メイオール&ザ・ブルーズブレイカーズなどのバンド活動を経験してソロになったが、メイソンの方もトラフィックというバンドを出たり入ったりしながら、ソロ活動を開始し、クラプトンよりも早くアメリカに渡って、現地のミュージシャンとコラボを始めた。

 考えようによっては、クラプトンはデイヴ・メイソンの活動の軌跡を追っているようだった。それに人気も当時はほぼ同じようなものだったし、むしろクラプトンの方がアルコールとドラッグに溺れていて、1974年の「461オーシャン・ブールヴァード」が成功しても不安定な要素は絶えず付きまとっていた。

 一方、デイヴ・メイソンの方は、1970年に初めてのソロ・アルバム「アローン・トゥギャザー」を発表した後、所属していたレコード会社ブルー・サム・レーベルから最終的に訴えられるなどのトラブルはあったものの、1973年に当時のアメリカ・CBSレコードと契約した。ここから彼の音楽的キャリアが大きく花開き、70年代のメイソンは人気、実力ともにトップ・クラスのミュージシャンと認められていったのである。

 彼は1946年の5月10日に、イギリスのウォセスターに生まれた。子どもの頃から音楽に関心を示し、15歳でバンドを結成して音楽活動を始めるようになった。
 やがて、天才少年と言われていた元スペンサー・ディヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッドと出会い、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドとともに伝説的なバンド、トラフィックを結成した。

 しかし、スティーヴ・ウィンウッドとの関係は、いわゆる“両雄並び立たず”の言葉通りにうまくいかず、バンド結成の翌年の1968年に脱退してしまった。
 ただ、セカンド・アルバム制作中やそれ以降のバンド活動には戻って来て、楽曲を提供したり、また脱退したり、ツアーには参加したりと、なかなか落ち着かなかったようだ。

 やはりミュージシャンは、自分の才能を発揮して何ぼという感覚があるのだろう。自分の表現欲求を満足させるためにも、この辺の経緯は彼にとっては必然だったのだろう。
 トラフィックは、元々ウィンウッドのR&Bフィーリングを活かしたサイケデリックなロック・バンドだったから、アメリカの南部のテイストも備えていた。

 それを持ち込んだのもデイヴ・メイソンだと言われているが、結局、彼はその音楽性をもっと追及するために、アメリカへと旅立ち、そこでのミュージシャンと一緒に音楽を作り上げていった。その第1弾が1970年の「アローン・トゥギャザー」だった。

 このアルバムは英国人ミュージシャンによる初めてのスワンプ・ロック・アルバムだと言われていたが、21世紀の今になって聞くと、そんなに泥臭いイメージは少ない。A1xbtcxysll__sl1500_
 これはデイヴ・メイソンの持つ資質の一つだといえよう。彼が加わるとブルーズやR&Bの要素が薄まり、少しロックやポップのテイストが加わってくるのだ。だから、全体として聞くと、非常に聞きやすいロック・ミュージックになってくるのである。

 個人的には、“スワンプ・ロック”というよりは、アメリカ南部の音楽に影響を受けたイギリス人によるロック・ミュージックだろう。
 曲によっては、その後の彼の歩みを暗示させるものもあるし、逆に、彼のルーツを示すようなブリティッシュな雰囲気を湛えたものもある。

 ただ1970年当時に、こういう音楽を作り上げた英国人ギタリストは彼が最初だったことは事実だし、そういう意義においては、歴史的なアルバムといっていいと思う。

 1曲目の"Only You Know And I Know"などは、最初聞いたときはドゥービー・ブラザーズの曲かと思ったほどだ。ノリは良いし、アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの対比も素晴らしかった。
 3曲目の"Waitin' on You"も同様のノリなのだが、バックの女性コーラス隊が艶っぽくて、ソウルフルなのだ。この曲はトラフィックというか、スティーヴ・ウィンウッドが歌った方がより黒っぽくなって適しているのではないだろうか。

 4曲目の"Shouldn't Have Took More Than You Gave"を聞くと、確かにスワンプ・ロックだろうと思う。ピアノはレオン・ラッセルっぽいし、ワウワウのエフェクトを効かせたギターが70年当初の雰囲気を醸し出している。

 それにバラードの2曲、"Can't Stop Worrying, Can't Stop Loving"と"Sad And Deep As You"はとても印象的だった。前者はややアコースティックでカントリーっぽい。ちょうどイーグルスの名曲"Take it to the Limit"を彷彿させる曲だ。後に、なぜ彼がウエスト・コースト・ミュージックに魅かれていったかがよくわかる。

 もう一つのバラード曲"Sad And Deep As You"は、哀愁を誘うバックのピアノ演奏が感涙ものである。ニッキー・ホプキンスが弾いているかと思った。
 もちろん曲自体も陰りを帯びていてなかなかのものである。強いて言えば、もう少し曲に起伏をつけてくれるともっと盛り上がったと思うのだが、どうだろうか。

 このバラードと前述の"Shouldn't Have Took More Than You Gave"は、トラフィックの1971年のライヴ・アルバム「ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン」にも収められているので、聞き比べてみるのも面白いかもしれない。

 最後の曲の"Look at You Look at Me"は、最初聞いたときはボブ・ディランの"All Along the Watchtower"かと思った。それほど最初の部分が似ていたからだった。そういえば、メイソンはジミ・ヘンドリックスのアルバム「エレクトリック・レディランド」にも参加していたから、その時のことをイメージしたかもしれない。

 それにこの曲の後半の部分のギター・ソロは、エリック・クラプトンが演奏していると言われている。1分以上も延々とソロを繰り広げているし、それにメイソンの弾くようなフレージングではないようだ。
 ただ、このアルバムのクレジットには、クラプトンの名前はなかった。シークレットで参加したのだろう。

 アルバム・クレジットといえば、このアルバムに参加したミュージシャンは凄い。確かに、アメリカ南部のミュージシャンが大勢大挙して押しかけたようだった。

 例えば、ピアノ&キーボードにレオン・ラッセルやジョン・サイモン、ベース・ギターにカール・レイドル、ラリー・ネクテル、ドラマーがジム・ゴードン、ジム・キャパルディ、ジム・ケルトナー、バック・ボーカルにデラニー・ブラムレット、リタ・クーリッジとマイク・クーリッジ、アイク&ティナ・ターナーとも経験のあるクラウディア・レニアー等々、確かに錚々たるメンバーである。

 のちに、エリック・クラプトンもアメリカ南部のミュージシャンと一緒にアルバムを制作したり、ツアーを行ったりしたが、その原型はここにあったのだと思っている。クラプトンもこの時のデイヴ・メイソンの行動を参考にしたのだろう。

 とにかく、このアルバムは好評で、これからシングル・カットされた"Only You Know And I Know"は、ビルボードのシングル・チャートで42位まで上昇した。

 この当時のデイヴ・メイソンはミュージシャンからも頼りにされていたようで、ジミ・ヘンドリックスのアルバムだけでなく、ジョージ・ハリソンのアルバム「オール・シングス・マスト・パス」にも客演しているし、クラプトンのデレク&ザ・ドミノスからも参加要請を受けていた。

 また、キャパルディとクリス・ウッドなどとバンドを結成したり、親友のレイ・ケネディのアルバムにも参加している。

 話は前後するが、プロデューサーのジミー・ミラーとも親しくて、その関係でローリング・ストーンズのアルバムにもノン・クレジットで演奏したり、また、イギリスのバンド、ファミリーのデビュー・アルバムにも楽曲を提供していた。この70年前後はかなり忙しくしていたようだ。

 ただ、上にも書いたように自分の求めようとする方向性とレコード会社が要求する音楽性が一致せず、メイソンは会社から訴えられてしまった。よほど自体が紛糾したのだろう。

 最終的には、彼はこのレコード会社に4枚のアルバムを残している。「アローン・トゥギャザー」と「デイヴ・メイソン&キャス・エリオット」、「ヘッドキーパー」、「デイヴ・メイソン・イズ・アライヴ」の4枚で、最後のアルバムはライヴ盤だった。

 “キャス・エリオット”というのは、もちろん元ザ・ママス&ザ・パパスの女性ボーカリストのキャス・エリオットだ。ふたりのデュエット・アルバムという企画ものだった。
 このアルバムは企画ものというせいか、アコースティックで爽やかなアルバムに仕上げられている。曲もなかなかのものだし、一聴に値するだろう。

 また、「ヘッドキーパー」もスタジオ盤とライヴ盤の2枚組アルバムという企画だった。できれば、コンパクトにまとめてスタジオ盤1枚にした方が売れると思うのだが、この頃のメイソンはレコード会社と係争中だったから、そんなにもうけさせてやらないぞという気持ちが出ていたのかもしれない。

 しかも4枚目もライヴ・アルバムだったし、やはりレコード会社移籍の方が気になっていて、ほとんどやる気がなかったのだろう。契約消化のためのライヴ・アルバムだったに違いない。91l2ltxlvyl__sl1500_
 しかし、その問題も1973年までは片付いて、彼はアメリカ・CBSレコードと契約を結び、目指す音楽が詰まったアルバムを本格的に発表できるようになったのである。

(To Be Continued to Tomorrow)


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