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2018年2月

2018年2月26日 (月)

ウォブラー(2)

 前回のホワイト・ウィローに続いて、今回もノルウェーのプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介しようと思う。
 と言っても、このバンドも以前このブログで紹介したことがあった(2013年の12月14日付)ので、今回が2回目となる。

 そのバンドの名前は、ウォブラー。1999年にノルウェーのヘネフォスで結成されている。現在のメンバーは5人で、今までのメンバー交代は2回、2009年にリード・ボーカリストが、2011年にはリード・ギタリストが交代している。
 また、このバンドのキーボーディストのラース・フレドリク・フロイスリーは、同じノルウェーのプログレッシヴ・ロック・バンド、ホワイト・ウィローのキーボードも担当しており、両バンドにまたがって活躍している。A111159115039574358048_jpeg
 自分は、2009年のセカンド・アルバム「アフターグロウ」と2011年のサード・アルバム「夜明けの儀式」の2枚を聞いたが、両アルバムとも世界的な水準レベルのプログレッシヴ・ロック・アルバムだった。

 ただ、セカンド・アルバムはキング・クリムゾン風で、サード・アルバムはイエス風の楽曲が収められていたから、バンドの音楽的な方向性が揺れているのではないかと心配していたのだ。その答えが今回の4枚目のアルバム「フロム・サイレンス・トゥ・サムホエア」にありそうなので、期待しながら聞いてみたのである。

 内容に行く前に、このバンドの特徴をもう一度確認してみると、
①1975年以降に製造された楽器類は使用しない
②楽器はコンピューター類には接続せずに使用する
③楽器の補修・改修はすべてメンバーで行う

 要するに、アナログの楽器を使用した70年代風プログレッシヴ・ロックを、21世紀の現在でも続けて行おうとする稀有なバンドなのだ。

 今回の6年ぶり4枚目のスタジオ・アルバムである「フロム・サイレンス・トゥ・サムホエア」も彼らの意向が反映されていて、全4曲、約46分40秒の内容であり、形式的には確かに70年代のプログレッシヴ・ロックのアルバムによく似ている。61pciotg3xl__sl1000_
 1曲目の"From Silence to Somewhere"のイントロのキーボードから続いて19秒過ぎに始まった曲調を聞けば、このバンドの方向性はイエスを基調とした構築感のある音作りということがわかるだろう。
 走り出すリズムにそれに負けないと食らいつくフルートとキーボード、ギター、静的情景を表現するアコースティック・ギターとメロトロン、3分過ぎのボーカルの声質などは、全体的に判断すると、確かにイエスの音楽観に似ている。

 徐々に音数が増え、キレのあるリズムが前面に出されて、それをハモンド・オルガンとフルートが引き継いでいくのだが、20分59秒という時間の長さを感じさせない展開である。
 全体は3部構成で、“パート1”、“パート2”、“エピローグ”となっている。5分過ぎから長めのフルート・ソロが演奏されるのだが、歌詞カードではそこが“パート1”と“パート2”の分岐点になっていた。

 唯一の問題はギターがあまり目立たないという点だろうか。確かにこの曲でも8分26秒あたりに短いギター・ソロがあるのだが、曲に添えるような感じで全体をリードしていこうとする野心が見られない。
 10分過ぎからキーボード・ソロ、フルート・ソロときて、やっとギター・ソロに繋がっていくが印象的なフレーズに乏しい気がしてならない。ただし、ドラマティックに盛り上げていくにはギタリストの存在は重要で、この曲でもフルートやキーボードとともに十分にその存在感を示している。

 14分過ぎに一旦ブレイクして静寂な時間が訪れ、再びアコースティック・ギターとメロトロンが流れてボーカルが歌い始める。“パート2”の後半にあたる部分だろう。また、歌い出しは、ジョン・アンダーソンに似ていると思う。

 "Epilogue"は18分過ぎにやってきて、19分から歌が始まって行く。残りの1分30秒余りを穏やかなボーカルと静かなキーボードで占めているのだが、印象としてはイエスのアルバム「リレイヤー」の中の"The Gate of Delirium"に似ていると思った。

 あの曲では最後に"Soon"が流れるのだが、このウォブラーの曲でも形式としては似ていた。ただ、あそこまでメロディアスではないのが残念である。

 2曲目の"Rendered in Shades of Green"は、インストゥルメンタルで、2分5秒しかない。グランド・ピアノの調べからチェロやメロトロンへと繋がるチェンバー・ロックのような感じの曲。あるいは3曲目の"Fermented Hours"のプロローグなのかもしれない。

 10分10秒の"Fermented Hours"は不協和音的なキーボードとアグレッシヴなギター・ソロ、キレのあるリズムから始まり、1分40秒あたりにデス・ボイスみたいな声が挿入される。ドリーム・シアターの曲をもっと転調させて構成したような感じだ。

 この曲ではラースの演奏するミニ・ムーグが目立っていて、曲の端々に登場している。また、メロトロンのみならず、ソリーナ・ストリング・アンサンブルなどのキーボード群が曲に深遠さを与えているし、8分過ぎからのギター・ソロはジャズっぽくて、素早いフレージングが耳に残る。一致団結してエンディングに向かおうとする潔さと力強さを感じさせてくれた。

 1曲目をイエスの"The Gate of Delirium"に譬えたけれど、この"Fermented Hours"は、さぞかし"Sound Chaser"だろうか。何となく雰囲気的に想起させてくれたのだが、とすると、最後の曲"Foxlight"は"To Be Over"になるのだろうか。51caxzqldvl
 そんなことを思いながら最後の曲"Foxlight"を聞いたのだが、確かに最初の3分過ぎまでのうっすらと霧がかかったようなキーボードとアコースティック・ギターのアルペジオにフルートの部分は、少しテンポの速い"To Be Over"といってもいいような気がした。

 しかし、それではおさまらないのがウォブラーである。3分50秒過ぎからは力強いリズムが前面に出され、キーボードとフルートが全体をリードしていく。7分前からはメロトロンも全体を包み込むように表に出てくる。
 その後、アコースティック・ギターのソロが始まり、一旦落ち着きを見せ、9分過ぎから再びボーカルが入りエンディングに向かっていくのである。

 エンディングのアコースティカルでダンサンブルな曲調は、ノルウェーの舞踏的なフォークロアなのかもしれない。彼らが、現代のエレクトリックな部分と北欧の民族的な伝統部分とを融合させている点も見逃せない。こういうところにも北欧の“プログレッシヴ”な部分が見え隠れしているようだ。

 ウォブラーもイギリスで生まれたプログレッシヴ・ロックを上手に咀嚼消化し、さらに自分たちの中に脈々と流れている民族的な要素も取り入れて昇華させているところが素晴らしい。単なる時代錯誤のバンドではないのである。

 とにかく、この21世紀の現在で、こういうこだわりを見せるプログレッシヴ・ロック・バンドも珍しく、貴重ではないだろうか。Maxresdefault
 ここまで70年代の機材に固執し使い続け、さらに曲のイメージ、雰囲気をも当時に似せようとするところは、70年代のプログレ愛好家にとっては、まさに頭の下がる思いがする。
 しかもそれだけでは終わらせずに、自分たちの愛する郷土や歴史に基づいた曲調も反映させようとする意欲もまた忘れてはならないだろう。

 ウォブラーは2作目のキング・クリムゾン的作風から転換して、イエス的な構築美を誇る音楽を目指そうとしているようだ。
 もともと彼らは、イタリアのP.F.M.やバンコ、ムゼオ・ローゼンバッハ、イル・バレット・ディ・ブロンゾなどから強い影響を受けているという。だから単なる70年代のプログレッシヴ・ロック・バンドの二番煎じに終わらずに、自分たちのオリジナリティーを創出しながら楽曲を生み出しているのだろう。

 北欧のプログレッシヴ・ロックは、マーケット的にはそんなに大きくはないかもしれないが、まさに今を生きるプログレッシヴ・ロック・バンドとして、さらに活躍の場を広げていこうとしている。個人的には、もっとワールド・ワイド的に評価されてほしいと願っている。

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2018年2月19日 (月)

ホワイト・ウィロー(2)

 今の若い人にはよくわからないと思うけれど、昔は「ジャケット買い」というのがあって、レコードのジャケット写真(もしくは絵画等)の印象だけで購入するということがよくあった。
 ザ・ビートルズやローリング・ストーンズのアルバムは言うに及ばず、ロキシー・ミュージックやウィッシュボーン・アッシュのアルバムなども思い出深いが、特に、プログレッシヴ・ロックの分野では顕著だったと思う。

 レコードというのは、塩化ビニールで作られた直径約30cmの円盤で、リスナーは、その溝に音が刻み付けられたものを針で引っかきながら再生して聞いていた。
 それで、例えば、ロキシー・ミュージックの「カントリー・ライフ」のジャケットを見て興奮に胸を躍らせていたし(あとで性転換した元男性という噂を聞いて落胆したけれど)、ムーディー・ブルースの「童夢」のファンタジックなイラストには、自分も子どもながらに夢見るような感覚にさせられたものだった。

 また、クィーンのセカンド・アルバムには荘厳な雰囲気が漂っていたし、ドゥービー・ブラザーズの「キャプテン・アンド・ミー」には現代社会への批判のようなメッセージを感じ取ることができた。

 プログレッシヴ・ロックの分野では、イエスやキング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ジェネシス、E,L.&P.などのレコードはどれも「ジャケット買い」に相応しいものだったと思っている。クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」を見ただけで、これはただものではないぞと感じたし、E,L.&P.の「恐怖の頭脳改革」の特殊ジャケットなどは、レコードを買っただけで満足してしまうほどの気分を味わうことができた。

 ところが、1980年代後半からCD化の波が押し寄せてくると、当然のことながらジャケットの絵が小さくなってしまい、「ジャケット買い」という衝動的な買い物をしなくなってしまった。

 しかし、今回、ひさしぶりに「ジャケット買い」をしてしまった。理由は、ロジャー・ディーンだからである。Img_2194rm
 ロジャー・ディーンという人は、イギリス人の画家、イラストレイターで現在73歳。自分はイエスのレコードを通して彼の存在を知ったのだが、とにかく幻想的で想像性にあふれた世界観を描かせたら、彼の左に出る人はいても右に出る人はいないのではないかと思っている。

 それで今回久しぶりに「ジャケット買い」をしてしまったアルバムは、ノルウェーのバンドのホワイト・ウィローの最新アルバムだった。タイトルを「ヒューチャー・ホープス」という。
 このアルバムは、昨年3月に発表されたもので、ボーナス・トラック2曲を含む合計7曲で構成されていた。71ivahchw3l__sl1200_
 ホワイト・ウィローについては、2008年2月11日付のこのブログで述べているが、今回ニュー・アルバムが発表されたということでもう一度取り上げようと思う。
 彼らは1993年に結成され、1995年にデビュー・アルバム「鬼火」を発表した。このアルバムは、タイトル通りの幻想的で幽玄な雰囲気を秘めていて、女性ボーカルがフィーチャーされていた。

 前にも述べているが、「アイランド」期のキング・クリムゾンをバックにアニー・ハズラムが歌っているようだった。
 基本的には穏やかなフルートとバイオリンを含んだアコースティックな雰囲気に、うっすらとメロトロンが鳴り響いているという感じで、躍動感はなくて静謐とした寂寥感が漂っていた。

 自分はこの雰囲気が大好きだったのだが、数度のメンバー・チェンジを行う中で、徐々にロック的なダイナミズムを獲得していって、2004年の4枚目のアルバム「ストーム・シーズン」の頃になると、「太陽と戦慄」の頃のキング・クリムゾンのようになっていた。
 まあ、そこまでの緊張感はないものの、エレクトリック・ギターの使い方やフルートやバイオリンの入り方などは、本家クリムゾンから学んだに違いないと思われるほど色濃い影響力が感じられた。

 それから約13年たって、その間に2枚のスタジオ・アルバムを挟んで今回ニュー・アルバムが発表されたわけだが、これがまあ何というか、微妙なアルバムになっていた。
 まず、時間的に本編だけでは39分53秒しかない。それでスコーピオンズのボーナス・トラックを含む2曲入れたというわけで、その結果やっと50分24秒になった。

 でも時間が短くても、内容が良ければ別に問題はないわけで、じっくりと聞いてみたのだが、「ストーム・シーズン」のようなロック的なダイナミズムに比較すると、少々難があった。

 1曲目の"Future Hopes"は、まさにタイトル通りの高揚感のある楽曲になっていて、4分30秒と短いものの、分厚いキーボード群に伴われてベンケ・ナッツソンという女性のボーカルが聞こえてくる。さらにトランペットと断続的なエレクトリック・ギターが祝福を与えるように奏でられて、ゆったりとした曲調がバンドの今までの歴史とこれからの展望を語ってくれているようだ。

 2曲目はデビュー時に戻ったかのようなアコースティックな曲"Silver & Gold"で、ドラム・サウンドのように聞こえる音は、フェアライトによるサンプラーだ。ベンケのボーカルは、囁くようなウィスパー・ボイスだったし、こういう感じの曲をもっとやってくれると、個人的にはうれしい。

 このアルバムには10分台の曲が2曲含まれている。3曲目の"In Dim Days"はそのうちの1曲で11分7秒もあるが、シンセサイザーにメロトロン、ボコーダーにハモンド・オルガンと多種類のキーボードが使用されている。
 それはそれでいいのだが、どうも演奏に緊張感がない。単にダラダラとやっていますよというような感じなのである。全体的に単調で、起承転結が伴っていないのだ。

 ギター・ソロはヘドヴィグ・モレスター・トーマセンという女性ギタリストが担当しているが、速弾きでもないし、メロディアスでもないし、ヘタウマな印象を残してくれた。ただ、本人の名誉のために申し上げると、本来はジャズ・ギタリストなので、テクニカルな面では全く問題はない。曲調に合わせて演奏しているのだろう。

 ところで、ホワイト・ウィローのファンには申し訳ないのだが、アルバムの中盤でこういう曲が置かれると、3曲続けて同じようなリズムの曲が続くので、単調に思えてしまう。ちょっと目先を変えてほしかった。

 続く4曲目の"Where There Was Sea There Is Abyss"は次の18分16秒もある"A Scarred View"という曲の前奏曲のようなもので、1分59秒のインストゥルメンタルだった。
 もちろん、基本はメロトロンで、私のようなメロトロン信者にはうれしいのだが、5曲目も冒頭はメロトロンとサウンド・コラージュから始まるので、どうせなら2曲をまとめて1曲にして組曲形式にまとめればいいのではないかと、余計なことを思ったりもした。

 その"A Scarred View"はシンセサイザーやメロトロンなどのキーボードの前奏から女性ボーカルが導かれ、6分過ぎにはマティアスの手数が多くなってきて、徐々に盛り上げようとするのだが、どうも消化不良というか沈殿してしまうのである。

 マティアスというのは、このバンドのドラムス&パーカッション担当者で、マティアス・オルソンという。スウェーデンのプログレッシヴ・ロック・バンドのアングラガルドのオリジナル・ドラマーだった人だ。

 7分過ぎにはジャズ・ギタリストのヘドヴィイグが伸びのあるギター・ソロを展開するのだが、ボーカルとギター・ソロ、メロトロンを含むキーボードが順に後退していくような感じでエンディングを迎えようとする。
 16分過ぎからはギター・ソロも聞こえてきて、それなりに盛り上がったりはするものの、もう少し激しく燃え上がってほしかったなあというのが本心だ。

 例えば、イエスのアルバム「究極」の中の"Awaken"は15分少々ある曲だが、起承転結がはっきりしていて、曲に起伏があるから非常に聞きやすいし、時間的にも短く感じてしまう。
 また、同じイエスのアルバムで、発表当時は評価の低かった「リレイヤー」の中の"The Gate of Delirium"は21分55秒もあって、エンディングは"Soon"という歌謡曲のような感じになるのだが、途中には緊張感はあったし、新加入だった当時のキーボーディストのパトリック・モラーツもそれなりに頑張っていて、実力的には脱退した元キーボーディストと負けず劣らずのテクニックを披露していた。今になって聞けば、聞き応えのあるアルバムだと思う。

 むしろボーナス・トラック1曲目の"Animal Magnetism"の方が、ゲスト・ミュージシャンであるシェルスティ・レーケンの演奏するクラリネットによって一時期のクリムゾンを彷彿させてくれた。
 曲の解釈も斬新で、ダークな雰囲気の中に破壊衝動を秘めたクラリネットが咆哮しているのだ。この曲を書いたクラウス・マイネたちもきっと驚くに違いない。もとは5分56秒の曲が7分7秒まで伸びているし、まったく別の曲のようにも聞こえるのである。71ztulmx8wl__sl1200_
 もう1曲のボーナス・トラックである"Damnation Valley"は、このバンドのキーボーディストであるラース・フレドリク・フロイスリーの自作曲で、彼一人によるピアノやメロトロン、ムーグ・シンセサイザー、ソロイスト、プロフェット5などの各種キーボードの多重録音になっている。
 ピアノから始まるこの曲は、静寂さの中にも力強さを秘めており、基本的にはピアノでクラシックのような厳かな雰囲気を、ムーグ・シンセサイザーで衝動的な力強さを表現している。
 
 バンドは、基本的にはギター&キーボード担当のヤコブ・ホルム=ルポがリーダーシップをとっているようで、ボーナス・トラック以外の曲は、すべて彼の手によるものである。また、バンド結成から現在までに在籍しているのは、彼だけである。

 それくらいメンバーが流動的なホワイト・ウィローであるが、中心メンバーはヤコブとマティアスの2人で、それにキーボーディストであるラース・フレドリク・フロイスリーほかの3人が集まっている。
 もう少し付け加えると、女性ベーシストのエレン・アンドレア・ワングとフルート、サックスなどを担当するケティル・ヴェストラム・アイナースンが加わって、現在のホワイト・ウィローは、6人編成になっている。

 女性ボーカルのベンケ・ナッツソンは、ヤコブとマティアスのプロジェクトに参加したことをきっかけに今回ホワイト・ウィローに参加したということだった。元々はポップ・シンガーで、本国ノルウェーでは多くのトップ10に入るヒット・シングルを出している。Whitewillow
 自分的には、「ストーム・シーズン」の路線で進んでほしかったのだが、とにかくホワイト・ウィローはメンバー・チェンジが頻繁だし、特に女性ボーカリストに関しては、出入りが激しくて、過去には同じ人が再加入したこともあったようだ。

 今回の「ヒューチャー・ホープス」に関しては、初期の静謐さが戻ってきた感じはしたが、それでもエレクトリック・ギターにはゲスト・ミュージシャンが参加していたし、キーボードはキーボードで頑張っているし、あまり統一感を味わえることはなかったし、イマイチ方向性が見えにくいのは事実だろう。

 原点回帰を果たして、静謐な寂寥感をさらに醸し出していくのか、あるいは“キング・クリムゾンのノルウェー版”を追及していくのか、今後の展開に期待しようと思っている。

 今回は「ジャケット買い」から話が始まったのだが、かように「ジャケット買い」には良いこともあればそうでない時もあるのだ。“人は見かけで判断してはならない”とよく言われるが、「ジャケット買い」にはそういう教訓も含まれているのかもしれない。

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2018年2月12日 (月)

ロンリー・ロボット(2)

 今月は「いまを生きるプログレッシヴ・ロック」というお題で、現代社会でもしぶとく活動を続けているプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介しようと思う。

 最近の邦楽では相変わらずグループ関係の勢いが強くて、集団でパフォーマンスする方が人気も出て目立っているし、洋楽部門ではダウンロード中心で、バンドで活動するよりは個人で活動した方が儲かるという、ますますパイの奪い合いが目立つようになってきた。

 そんな中で70年代の遺物といわれている(というか勝手にそう思っているだけなのだが)プログレッシヴ・ロックについては、拡大再生産路線を突き進んでいて、過去の作品のリマスター盤やライヴ録音を含む未表曲集、さらには〇〇周年記念盤などで往年のファンの財布のひもを何とか開こうとしているようだ。

 確かに昔プログレッシヴ・ロックに夢中だった子どもは、今や人生の最終章を飾ろうとしており、棺桶に入る前にあの時代のあのバンドの曲をクリアな音で今一度聞きたいとか、あるいは未発表音源に囲まれて余生を過ごしたいと思っているに違いないのだ。

 そういう需要があるからこそ、70年代に全盛期を迎えていたプログレッシヴ・ロック・バンドたちは、往年の名曲を中心としたセット・リストでライヴ活動を行っているし、新作を発表するよりはリスナーたちを満足させる方法を探っているようだ。衰えかけた創造性を発揮して無理に売れない曲を発表するよりは、既発の再解釈などの曲を発表した方がミュージシャンとリスナーの相互利益につながるように思える。

 しかし、そういう状況下でも自分たちの存在意義を証明するために、もしくは言葉本来の意味で、プログレッシヴ・ロックにふさわしい楽曲をクリエイトするために真剣に音楽に取り組んでいるバンドやミュージシャンも確実に存在するのである。

 プログレッシヴ・ロックは、熱力学の第二法則のように、イギリスから各国、各地域に広がっていったが、その本家イギリスにおいてもプログレッシヴ・ロックを追及しているミュージシャンたちは存在している。例えば、スティーヴン・ウィルソンであり、クライヴ・ノーランたちであろう。今回紹介するジョン・ミッチェルもその1人であり、しかもリーダー的存在として異彩を放っている。

 ジョン・ミッチェルについては、以前のこのブログでも簡単に述べているが、もう一度確認してみると、1973年6月アイルランド生まれの44歳で、12歳からギターを始め、その後はピアノ、ドラムス、作曲などを学び、音楽活動に取り組んでいる。1
 1997年にアリーナに2代目ギタリストとして参加すると、瞬く間にプログレッシヴ・ロック・ファンの間で人気になり、2006年にはイッツ・バイツにもフランシス・ダナリーの代わりとして、ボーカル&ギター担当でメンバーに加わった。

 彼の尊敬するミュージシャンは、トレヴァー・ラビンとフランシス・ダナリーだそうだが、ジョン自身も彼らと同じようにマルチ・ミュージシャンだ。
 とにかく、今のプログレッシヴ・ロック界を代表するワーカホリックでもあり、自分はスティーヴン・ウィルソンとロイネ・ストルト、そしてこのジョン・ミッチェルの3人をプログレ界の三大ワーカホリックと呼んでいる。

 とにかくアリーナとイッツ・バイツだけでなく、キノ、フロスト*、ジ・アーベインにも在籍しているし、ジェスロ・タルの元ギタリストのマーティン・バレのバンドではボーカリストとして活躍している。また、Aというバンドではベース・ギターを弾いている。
 それ以外にも、様々なバンドのエンジニアやプロデューサーとしても活動しているし、そしてまた当たり前のようにソロ活動も行っている。

 2014年に、ということは彼が40歳を過ぎてからということだが、自分の手で最初から最後まで完全にコントロールされた音楽をやろうと決意したそうで、しかも内容的にはSF的で人類の発展に関するようなものをプログレッシヴ・ロックを通して表現したいと考えたようだ。
 そうやって発表されたのが2015年のアルバム「プリーズ・カム・ホーム」であり、バンド名はザ・ロンリー・ロボットと名付けられていた。510niqkqusl
 このアルバムは彼の音楽的な方向性が示されていて、宇宙飛行士の旅がテーマになっていた。しかも3枚のアルバムを通してテーマを完成させるとのことで、ザ・ロンリー・ロボット名義では、少なくとももう2枚は発表される予定になっていた。

 そしてそれから約2年後、2017年4月にセカンド・アルバム「ザ・ビッグ・ドリーム」が発表された。このアルバムのコンセプトは、宇宙飛行士を宇宙から切り離し、奇妙で見知らぬ環境に身を置くことというものらしい。
 ジョンはまた、アラン・シルヴェストリの「コンタクト」、クリント・マンセルの「月に囚われた男」のようなSFに対するサウンドトラック的愛情を抱いていて、そういう音楽を目指していると述べている。

 それでこの「ザ・ビッグ・ドリーム」のアルバムについて聞いてみたが、全11曲のコンセプト・アルバムだった。前作の「プリーズ・カム・ホーム」は3人編成のバンド形式で制作されていて、それに多くのゲスト・ミュージシャンが参加していた。

 今回のセカンド・アルバムでは、基本的にはジョンとドラムス担当のクレイグ・ブランデルの2人で制作されていて、ゲスト・ミュージシャンもバッキング・ボーカルとナレーション担当などの3人だけだった。

 だから、ジョンはギターだけでなく、キーボードにベース・ギター、チェロにハープとハーモニウム、アイリッシュ・ホィッスルなどのドラムス以外の全ての楽器を担当していた。81gcij4ecl__sl1500_
 1曲目は"Prologue(Deep Sleep)"というインストゥルメンタルで、ピアノやストリングス・キーボードを背景にナレーションが流れて行く。
 間を置かずに2曲目の"Awakenings"が始まる。雰囲気としてはスティーヴ・ハケットの曲風にメロディアスなフレーズを乗せたような感じで、サビの部分は耳に残る。3分過ぎに一旦ブレイクして静寂が訪れ、エモーショナルなギター・ソロが始まって曲を盛り上げていく。

 続く"Sigma"も5分少々の曲で、リフレインのところの"Sigma Sigma"と叫ぶところが印象的だった。ミディアム・テンポの曲で"Awakenings"ほどヘヴィではない。こういうメロディアスな曲も書けるところがジョン・ミッチェルの特長だろう。間奏のギターも伸びがいいし、ストリングス・キーボードとの絡みもドラマティックである。

 "In Floral Green"では、アルバム冒頭の"Prologue"で使用されたメロディが繰り返される。どうやらこのメロディがこのアルバムを貫くメイン・テーマのようだ。
 静かなバラード・タイプの曲で、プログレッシヴ・ロックというよりも、叙情的なロック・アルバムに収められていそうな曲だ。後半に短いギター・ソロが用意されているが、テクニック的には素晴らしいと思う。この曲では、ギタリストのジョンよりもソングライターとしてのジョンの資質が発揮されている。

 5曲目の"Everglow"は一転してハードな曲になっていて、テクニカルなジョンの才能が垣間見える。煌びやかなキーボードの音とバックのピアノが印象的だが、3分20秒過ぎからエフェクティヴなギター・ソロが始まる。ただ30秒くらいしか続かないので、ギター小僧には物足りないだろう。

 "False Lights"は変拍子を用いてリズムに凝っている曲で、コーラス部分が3拍子に転調されるところが如何にもプログレッシヴである。
 それ以外は、むしろポピュラー・ソングといってもいいような出来具合だ。特に目立つギター・ソロもなく、ソング・オリエンティッドな仕上がりになっている。

 またまたハードな展開になるのが"Symbolic"という曲で、車の運転時に聞いてみたいノリのよい楽曲だ。ライヴのオープニングの時などにも聞いてみたい曲だと思う。
 ジョンはテクニカルなギタリストなのだが、スタジオ盤ではあまり弾きまくる様子はない。それでもこの曲では印象的なギター・ソロを展開している。もっと目立てばいいのにと思わず声を出して応援してしまう。

 8曲目の"The Divine Art of Being"になると、80年代のジェネシスかあるいはマイク&ザ・メカニクスの曲のように思えてしまう。2曲目から徐々にライトに、そしてポップス化してしまうのがこのアルバムの特徴だろう。演奏よりも歌ものとして捉えた方がいいのかもしれない。

 2曲目から8曲目までは、ほぼ5分前後の曲でまとめられていて、非常にバランスがいいのだが、アルバム・タイトル曲の"THe Big Dream"は8分2秒の最も長いトラックになっている。
 この曲は、2曲目の"Awakenings"のようなダークな雰囲気をまとっていて、やはりスティーヴ・ハケットの曲を思い出してしまった。そしてこの曲には歌詞がない。つまりインストゥルメンタルなのである。だから、ボーカル入りの曲は初期のマイク&ザ・メカニクスであり、インストゥルメンタルはスティーヴ・ハケットを意識しているのかもしれない。ギターの入り方などはよく似ている。

 スペイシーな前奏からエフェクティヴなギター・ソロ、そしてナレーションを挟んで落ち着いたかと思うと、今度はスローでエモーショナルなギター・ソロが響いてくる。これらの演奏を聞けば、確かにジョンは今の時代を生きるプログレッシヴ・ロックのギタリストということが分かるだろう。

 "Hello World, Goodbye"は3分52秒の短い曲で、アルバムのエンディングに向かうにはふさわしい曲だろう。女性ボーカルも参加していて、叙情的な雰囲気を醸し出している。ジョンのギターも情感が込められているようで、とても印象的だった。

 最後の曲"Epilogue(Sea Beams)"はリリカルなピアノ・ソロで始まり、アイリッシュ・ハープが色どりを添えている。ここにはジョンのギター・ソロは添えられていない。71firfp8rsl__sl1200_
 国内盤には、もう3曲ほどボーナス・トラックが用意されているようだが、その中の"Why Do We Stay?"という曲では、元タッチストーンというバンドの女性ボーカルだったキム・セヴィアーとジョンがデュエットしていて、これがまた印象的なのだが、でもどう聞いてもこれはポップスの分野だろうと思った。シングルにしたら、かなり売れるのではないだろうか。

 とてもよくできたアルバムで内容的にも十分だと思うのだが、強いて欠点を挙げるなら、もう少しギター・ソロを聞かせてほしいという点だろうか。これが3部作の2作目というから、3作目にはその点も期待したい。

 いずれにしても、プログレッシヴ・ロックの発祥の地でもあるイギリスでは、スティーブン・ウィルソンの最新作のように、メロディアスなプログレッシヴ・ロックが主流なのかもしれない。

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2018年2月 5日 (月)

ベアードフィッシュ

 今までイギリスのビッグ・ビッグ・トレインや彼らのアルバムについて述べてきたが、今回はその関連として、ビッグ・ビッグ・トレインに参加しているリカルド・ソーブロムが所属していたバンドについて記そうと思う。

 そのバンドの名前はベアードフィッシュといった。スウェーデンで生まれたバンドで、結成は2001年だった。そのバンドで、リカルドはメイン・ボーカルとキーボードを担当していた。

 他のメンバーには、ギタリストのデヴィッド・ザックリッソンとドラマーのマグナス・オステグレン、ベーシストのロベルト・ハンセンがいた。そして、2003年からはもう一人のキーボーディストであるステファン・アロンソンも加わって、5人体制で活動していた。

 これはどうでもいい話かもしれないけれど、ステファンは元々はリカルドらと一緒に活動をしていたが、2003年のデビュー・アルバムを発表する前には脱退していた。だから正確に言うと、彼は出戻りということになる。Beardfish20121024x682
 それはさておいて、バンドは徐々に人気が出てきて、スウェーデン国内では国外のメジャー・バンド、例えばドリーム・シアターの公演などでは、そのオープニング・アクトを務めるようにもなった。
 また、2006年にはプログレ系大手のレーベルであるインサイド・アウト・ミュージックと契約を結び、セカンド・アルバムを発表するとすぐに世界中に名前が知れ渡るようになり、それ以降は定期的にアルバムを発表しては、国内外でライヴ活動を行うようになっていった。

 自分が最初に聞いたアルバムは、2009年に発表された彼らの5枚目のスタジオ・アルバム「デスティンド・ソリティア」だった。61sqak2gfml
 一聴した限りでは、プログレッシヴ・ロックというよりは、プログレ風なハード・ロックという感じだった。
 たとえばこのアルバムの冒頭では、いきなりハモンド・オルガンが鳴り響き、重いリズムに乗ってギターとオルガンのユニゾンに繋がってゆくのである。そして、その後ろからは微かなメロトロンが申し訳なさそうに聞こえてくるのだ。

 3分過ぎにはベース・ギターのソロ・プレイもあって、なかなか豪華な盛り付けである。リカルドの考えなのだろうけれど、シンセサイザーやソリストなどのキーボードが代わるがわるに現れては消えていく。キーボードの大祭のようだ。

 このインストゥルメンタルの曲"Awaken the Sleeping"の次にはボーカル入りのアルバム・タイトル曲の"Destined Solitaire"がほとんど継ぎ目なく始まる。1曲目よりもテンポがよくて力強い。まさにハード・ロックだろう。

 それに自分の嫌いなデス・メタルのような、いわゆる“デス声”も一部で歌われているので、ちょっと困る。そんな自分の不安をわかってくれたのか、5分過ぎにはアコースティック・ギターが使用され、続いてエレクトリック・ギターがハードに奏でられ、長いギター・ソロが始まる。結構デヴィッドも頑張っているようだ。ひょっとしてこの曲は組曲形式なのだろうか。10分51秒と長い曲だった。

 次の曲も15分21秒もある"Until You Comply"という曲で、メロディ自体はポップで気持ち良いのだが、やはり基本はハード・ロックなのである。それでも、しいて言えばハード・ロックを展開するE,L&Pといった感じだろうか。
 緩急をつけた曲展開が時間の長さをそんなに感じさせない。ひょっとしたら彼らは、スウェーデンのドリーム・シアターかクイーンズライチを目指していたのかもしれない。

 出だしは変拍子を用いたメロディアスな曲調で、ハモンド・オルガンがガンガン前に出ているが、徐々にタンバリンやSEも使用されるようになり、単なるハードなロック・バンドでは出せない雰囲気を見せるようになって行く。

 5分過ぎから転調されて穏やかな様相を呈していくが、これは単なるつなぎに過ぎず、ボーカルはピーター・ガブリエル化していき、それにあわせて様々なコーラスが煌びやかに加わる。後半の3分はまさに戦場と化していて、エフェクティヴなギターが炸裂し、ハモンド・オルガンとグランド・ピアノが締めくくるといった感じだった。

 4曲目の"In Real Life There is No Algebra"は、まさにベアードフィッシュ流のポップ・ソングだろう。しかしここまで聞いてやっとわかったことだが、ひょっとしたら彼らは“ハードなE,L&P風ロック”ではなくて、“ハードなジェントル・ジャイアント風ロック”ではないだろうか。

 特にこの曲を聞けば、彼らは“21世紀のジェントル・ジャイアント”ということが理解できると思う。このボーカル、それに付随する奇妙なコーラス、変拍子の多いリズムなどは、まさにジェントル・ジャイアントからの遺伝子を感じさせてくれるのであった。

 5曲目の"Where the Rain Comes In"は、軽快なリズムに乗って始まり、2分近い前奏のあとボーカルが入ってくる。そのあと転調して曲が変化していくのだが、この変拍子や曲構成などは、まさにジェントル・ジャイアントである。
 だから9分近い曲もそんなに長く感じさせないし、中盤からはハモンド・オルガンとともにメロトロンも使用されているので、自分のようなメロトロン信者は思わず随喜の涙を流してしまうのである。

 続く"At Home...Watching Movies"は1分53秒の曲だったので、これはインストゥルメンタルだろうと予想していたのだが見事に外れてしまった。確かにアコースティック・ギター主体の短い曲だったが、しっかりとボーカルが入っていた。
 逆に、その次の"Coup De Grace"は9分49秒と長いのだが、こちらの方がインストゥルメンタルで、見事にだまされてしまった。

 軽妙なアコーディアンで始まり、序盤は異国情緒が溢れていたが、中盤になると重たいハモンド・オルガンがフィーチャーされて行き、終盤になるとエレクトリック・ギターが表に出てきてアコーディオンと融合し、加えて各種キーボードもミックスされて、最後はメロトロンで包み込まれて行った。よく練られた楽曲だと思う。

 "Abigail's Questions (In an Infinite Universe)"も9分12秒と長い曲なのだが、短いイントロの後すぐにボーカルが入り、それから次々と転調して行く。基本はキーボードなのだが、ハモンド・オルガンだけでなく、シンセサイザーやソリスト、メロトロンなど様々な楽器が使用されているし、5分過ぎからは女性ボーカルも加わり、まさにシアトリカルな展開が繰り広げられてゆく。そう考えると、今どき珍しいロック・バンドといえるだろう。
 最後はエレクトリック・ギターも全面的に押し出されて、デヴィッドも頑張っているのがよくわかった。

 9曲目の"The Stuff That Dreams Are Made Of "もまた10分40秒と長い。しかしただ単に長いだけでなく、エキセントリックなボーカルや演劇的な曲調、技巧的な曲構成などはまさに“今を生きるジェントル・ジャイアント”といってもいいくらいだ。
 曲自体は3部構成になっていて、序盤はボーカルとキーボードが引っ張っていき、中盤はデヴィッドのギター・ソロが配置されている。8分過ぎにはメロトロンが少しだけ顔を出してエンディングに向かって走り出して行く。この辺はジョン・ロード主体のディープ・パープルっぽい。もう少しギターも暴れてほしかった。

 というわけで、結構このアルバム気に入っていて、2011年に発売された「マンモス」もアマゾンで購入したのだが、結局、品切れのようで現物を手に入れることはできなかった。今は販売されているようだが、同じ轍は踏まないようにしていて、それからは手を出していない。天下のアマゾンでも不可能なことはあるようだ。

 それはともかく、ベアードフィッシュは、2012年にはフライング・カラーズの、翌2013年にはスポックス・ビアードのオープニング・アクトとしてヨーロッパ中をツアーしていた。
 その間にはスタジオ盤の制作にも取り組んでいて、2012年には「ザ・ヴォイド」を、2015年には「+4626‐コンフォートゾーン」を発表している。61ruzljnujl
 自分は8枚目のスタジオ・アルバムである「+4626-コンフォートゾーン」の方を購入して聞いたのだが、いい意味でも悪い意味でも、洗練されて聞きやすくなったというのが本音である。個人的にはテクニカルでシアトリカルな部分が少し引いたようで、自分としてはむしろそちらの部分をもっと表面に出して欲しかった。

 このアルバムはトータル・アルバムのようで、"The One Inside"という曲がパート1からパート3まで散りばめられていて、その間にボーカル曲が置かれている。

 Part1には"Noise in the Background"という副題が付けられていて、SEのようなつぶやきからもの悲し気なストリングスが演奏される。
 1分47秒過ぎには2曲目の"Hold On"が始まるのだが、これがまた曲構成は複雑なものの、全体としては聞きやすい曲だ。7分40秒以上あるが、メロディアスなのである。これを4分程度にまとめれば、十分ヒットを狙えるのではないだろうか。

 3曲目の"Comfort Zone"もまた9分34秒という長尺曲になっていて、彼ら特有の変拍子や転調、複雑な曲構成を持っている。珍しく最初からメロトロンが使用されていて、自分のようなメロトロン信者にはうれしい限りである。
 これもまた美しいメロディを伴ったサビを持った曲で、日本の有線放送で流せば結構有名になるのではないかと思わせるほど日本人の琴線に触れるようなメロディだ。

 "Can You See Me Now?"は彼らにとっては短い曲で、これまた超ポップな曲だ。スウェーデンといえば、70年代のABBAを思い出すのだが、あそこまではいかないけれども間違いなくスウィーデッシュ・ポップの系統に属する曲で、久しぶりにスウィーデッシュ・ポップという言葉を思い出させてくれる3分44秒だった。

 続く"King"という曲も5分43秒と、本来の彼らからすれば長いとは言えないだろう。これもベアードフィッシュ流イージー・リスニング曲で、かつてのハード・ロック風音楽という片鱗がほんの少しだけ聞ける曲に仕上げられている。それでもデス声はもう聞くことはできない。あれだけ嫌だったデス声もこうなると懐かしくなってくるから不思議だ。

 6曲目の"The One Inside: Part2"はアコースティックな感じの曲で、ホッと安心してしまった。副題として"My Companion Through Life"が付けられていて、確かに人生を通して友人にしたいような曲でもある。

 一転して、本来のハードな味わいが十分発揮されているのが、"Daughter/Whore"で、デヴィッドの演奏するエレクトリック・ギターが前面に押し出されているので、そう感じさせてくれるのであろう。3分過ぎのギター演奏は、ラッシュのアレックス・ライフソンを連想させてくれた。かなりテクニカルなギター奏者のようだ。81jcdtn2ypl__sl1095_
 8曲目の"If We Must Be Apart"には"A Love Story Continued"というサブタイトルが付随している。15分34秒と、このアルバムの中では一番長い曲でもある。
 ミディアムテンポな導入部では、シンセサイザーを含むキーボードやベース・ギター、エレクトリック・ギターなどがそれぞれの役割を果たしながらボーカル部分へと繋いでいく。2分30秒過ぎにはアコースティック・ギターに導かれてボーカルが始まる。

 意外と牧歌的な導入部からメロディアスな中間部へと移行していくのだが、やはりかつてのメタリックな部分は影を潜め、比較的穏やかに進行していく。7分55秒あたりからギターが強調されてピッチも上がってゆくところが、以前の面影をしのばせてくれた。少しおとなしいのではないかと思うのだが、彼らの音楽的な志向なのだろう。

 11分過ぎからはさすがにエンディングを意識してか、一旦収束して再び盛り上がっていこうとするのだが、またまた沈静化するのが残念な気がする。一気に最後まで突っ走ってほしかった。最後はアコースティックに終わっていったが、ちょっと消化不良のような気がしてならない。

 9曲目の"Ode to the Rock'n'Roller"はタイトルからして期待させるものがあり、最初からデヴィッドのギターも目立っているのだが、テンポはそんなに速くはないので、全体的にはロックン・ロールという感じはしなかった。ベアードフィッシュ流ロックン・ロールと考えれば、理解できるかもしれない。

 それでも3分40秒過ぎからギター・ソロが始まり、時々ボーカルとかぶりながらも目立っているところがよいと思う。相変わらず転調が多くて技巧的なのだが、最後までギターとボーカルは頑張っていた。これも7分20秒もあるのだが、あっという間に終わってしまった。

 最後の曲は"The One Inside: Part3"でパート1からパート3の中で一番長い曲だ。ただ長いと言っても、4分33秒だから彼らにしてみれば、短い方かもしれない。
 この曲にも"Relife"という副題がついているが、全体を通して“(魂の)再生”か何かをテーマにしているのだろう。
 この曲はごく普通の感じの曲なので、特に印象に残るようなポイントはなかった。逆に、ボーカルの表現力のうまさが目立った。リカルドが歌っているのだろうが、以前の作品よりも表現力や歌唱力が向上してきたような気がした。

 いずれにしてもスリリングな曲展開やテクニカルな演奏はやや影を潜め、全体として歌ものアルバムに仕上げられていた。それはそれなりに素晴らしいとは思うのだが、個人的には「デスティンド・ソリティア」の方が気に入っている。

 この21世紀にジェントル・ジャイアントのDNAを受け継ごうとしたバンドがいただけでも驚異である。ジェネシス風やキング・クリムゾン風のバンドはあまたあるが、ジェントル・ジャイアント風のバンドとなると、そう滅多にお目にかかれるものではないからだ。

 バンドのリーダーだったリカルド・ソーブロムは、2014年からビッグ・ビッグ・トレインとともに行動を開始していた。最初はツアー・メンバーとしてギターやキーボードを担当していたのだが、彼の才能の豊かさに気づいた他のメンバーからの要請と、本人もこのバンドで自分の居場所を見つけたのだろう、すっかり馴染んでしまい、ついにはバンドに加入してしまったのである。

 だからこのアルバムを制作していた時のリカルドは、二足の草鞋を履いていたことになる。おそらく発表時にもビアードフィッシュの解散などは考えてはいなかったに違いない。Maxresdefault
 バンドの正式な解散発表は、このアルバムの発表後の約1年半後の2016年7月だった。残念なバンドを失ってしまったが、ひょっとしたら何年かたってからの再結成はあるような気がする。その時は、さらにスケールアップしたビアードフィッシュが期待できるに違いない。

 最後に一言、このバンドのアルバム・ジャケットももう少し何とかならないだろうか。ムーン・サファリといいベアードフィッシュといい、スウェーデンのプログレッシヴ・ロック・バンドはあまりジャケットには関心がないのだろう。

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