« ザ・ヴァーヴ | トップページ | キーン »

2018年5月28日 (月)

レディオヘッド

 90年代のブリティッシュ・ロックといえば、やはり“ブリット・ポップ”の影響を避けて語ることはできないだろう。“ブリット・ポップ”の主流だったオアシスとブラーは言うに及ばず、トラヴィスやオーシャン・カラー・シーン、エンブレイスにザ・ヴァーヴなどは、オアシスなどと同様に、一時代を築いたバンドだった。

 それで今回は、レディオヘッドについてである。バンドの結成は80年代とは言え、90年代に大きく開花し、世界的にも有名なバンドになったわけだから外すわけにはいかない。ロック史上においても重要なバンドと言えるだろう。1462197677radiohead051
 ただ、このバンドについては自分は苦手である。最初はよく聞いたのだが、今では彼らの音楽性についていけなくなってしまったのだ。
 何しろ彼らの音楽性はアルバムごとに変化している。まるで万華鏡のように美しくカラフルに変化していった。その変化に追いついていけなくなったということだろう。感性が劣化したのかもしれない。

 彼らの凄いところは、音楽性が変化していっても、その水準は常に一定以上の高レベルをキープしていて、アルバムを発表するたびに、世界中のファンや評論家たちから高評価を得てきた点である。
 “バンド版デヴィッド・ボウイ”と自分は呼んでいたのだが、まるでカメレオンのように変化する音楽は、つねに時代性への認識と変革への挑戦を秘めていて、その時々の音楽的潮流を築いていた。

 自分が初めて聞いた彼らのアルバムは、彼らのセカンド・アルバムだった「ザ・ベンズ」だった。1995年に発表されたものだ。
 自分はある人からこのアルバムはいいと勧められて聞いたのだが、その時の感想は“イギリス版グランジ・ロック”といったものだった。91qnwrj56hl__sl1400_
 ザラザラとささくれ立ったような音質、ハードな楽曲とソフトなバラードの対比などが、アメリカのシアトル系のバンド群を思い出させたのだった。やや遅れてきたニルヴァーナやパール・ジャム、スマッシング・パンプキンズといった感じだろうか。(スマパンはシアトル出身ではないけれど、グランジ・ロックという範疇で語らせてもらいました)

 だから、基本的にはエド・オブライエンやジョニー・グリーンウッドのギターやキーボードと、バンドのリーダーであるトム・ヨークのボーカルが目立っていた。
 それに、このアルバム自体も素晴らしかった。確かに“グランジ・ロック”の影響は感じさせられるものの、普通のロックにはない前衛性や革新性を備えていたし、ギターやキーボードの音色にも彼らのそういう意思みたいなものが宿っていた。

 それと自分たちが生きている時代に対する覚醒というか対峙というか、危機意識や不安、危うさなどが漂っていて、まさに時代を意識したアルバムなのだということが理解できた。

 何しろアルバム・タイトルの「ザ・ベンズ」という意味自体が、潜水病や高山病における“痛み”のようなものを指しているそうで、これはまさに彼らが今を生きる時代や社会に対して感じている“痛み”や“苦しみ”、そこから導き出される“諦観”や“反抗”などではないかと思っている。

 だからこのセカンド・アルバムは、刺々しさと同時に、儚く美しいのだ。だから、通常のポップ・ソングなどは収められていないし、ほかのバンドと同様なロック・アルバムでもない。
 彼ら独特のオリジナリティーと時代感覚、音楽性を備えていて、唯一無二の存在であった。

 これは当時からそうだったのだが、自分はその時はまだ気づいていなかった。彼らレディオヘッドを通常の音楽フォーマットのバンドとしか捉えることができずに、オアシスやトラヴィスなどと同等のバンドとしか思っていなかった。

 今から考えれば、それは完全な間違いだったのだが、それには気づけなかった。確かにこのセカンド・アルバムの中の"The Bends"や"Black Star"などを聞けば、メロディアスでドラマティックな音楽性を備えたバンドと思ってしまうかもしれない。
 あるいは、冒頭の"Planet Telex"や"Sulk"などの轟音ギターを聞けば、シアトルから来たバンドと思うかもしれない。

 しかし、彼らは決してそんなバンドではなかった。アルバム5曲目の"Bones"や7曲目の"Just"のギターやキーボードの使い方を聞けば、単なるチャート狙いの商業主義的ロック・バンドではないということが分かるはずだ。
 でも当時の自分には、それがわからなかった。彼らを単なる流行のロック・バンドとしてしか認識できていなかったのだ。

 そして、約2年後、サード・アルバム「OKコンピューター」が発表された。これは今までのレディオヘッドのイメージを覆すような、レディオヘッドだけでなくロック・ミュージックというフォーマットの転換を促すような、そんなアルバムだった。

 だから、言葉本来の意味での“プログレッシヴ・ロック”だったと思う。そこにはメロトロンもないし、各楽器の冗長なソロも含まれていない。もちろん曲自体も10分も20分もない。しかし、間違いなくこれは“プログレッシヴ”なロック・ミュージックなのだ。

 当時、彼らの音楽を評して“ロック・ミュージックの解体と再構築”といわれていたが、今回改めて聞き直してみると、まさに通常のロック・フォーマットに捉われない音楽がそこに横たわっていた。
 もう少し付け加えると、楽器自体は普通のバンドが使用しているものと同じものだが、その使用方法が独特だし、楽曲自体がそれまでの常識から意識的に離れようとしているかのようだった。

 これはまさに革新的であり、しかもその試みに対して自覚的、意欲的だった。そして、結果的には、世界中で彼らの音楽が受け入れられたのである。
 これままさに、何度も言うようだが、真の意味での“プログレッシヴ・ミュージック”であり、ニュー・タイプの音楽だ。

 ただし、このアルバムにおいては、あくまでもその萌芽が見られているだけで、これ以降の「キッドA」や「アムネージア」においては、もっと“解体と再構築”が進んでいる。これについては、また別の機会に述べたいと思う。別の機会があればのお話だが…

 この革新性と商業性の絶妙な“止揚”を、果たして彼らは予測していたのだろうか。ひょっとしたら、失敗するかもしれないという可能性も考えていたのだろうか。
 その点はよくわからないのだが、それでも彼らは自分たちの音楽性に自信を持っていたはずであり、失敗しようがしまいが、そんなことは眼中になかったはずだ。51rowiiznl
 むしろ時代の方が、後からついてくるだろうという意識だったのではないだろうか。それがわかるのが、このアルバムの中の"Airbag"であり"Paranoid Android"だと思っている。
 通常の楽曲の中に、変則的なビートと機械的な装飾音が散りばめられたこの2曲は、このアルバムの方向性を示していた。

 特に、"Paranoid Android"は、それこそプログレッシヴ・ロックに通じるような複雑な曲構成を持っていて、エキセントリックなギター音などは通常のロック・ミュージックからはかなりかけ離れている。この曲を聞けば、当時の世紀末的な世相や来るべき新時代への不安などが想起されたはずだ。ロック・ミュージックは、まさに時代を映す鏡なのである。

 "Subterranean Homesick Alien"は、ボブ・ディランの"Subterranean Homesick Blues"から借りてきたタイトルだし、"Exit Music"は映画「ロミオ&ジュリエット」のエンディング・テーマに使用されたものだった。

 ところが、意外にも"Let Down"は、後半に近づくにつれて大々的なバラードとして仕上げられていたし、"Karma Police"もまたピアノを基調とした静かなバラード・タイプの曲だった。ただエンディングには電子音が使用されていて、ただのバラード曲では終わらせないという意思も伝わってきた。

 "Fitter, Happier"は、ポエトリー・リーディングであり、その周りに電子音が飛び交っていて、ある意味、ピンク・フロイドの雰囲気に似ていた。"Electioneering"はレディオヘッド的ロックン・ロールだろうし、間奏やエンディングのギター・ソロというか、環境音楽にギターが突っ込んでいるような雰囲気もまた彼ら独特のものだった。

 “音楽の解体と再構築”と同時に、ボーカルの再認識と音楽との再編もまたこのアルバムにおける重要なテーマだと思っている。
 このテーマを追及し、実現させたのは、もちろんメンバーたちと同時に、このアルバムを担当したプロデューサーであるナイジェル・ゴッドリッチの手腕によるものである。このアルバムの後半に進むにつれて、そのあたりの感覚が伝わってきて、ますます魅力的に感じさせてくれた。

 9曲目の"Climbing Up the Walls"でのキーボードの使い方や、シングル・カットされた"No Surprises"におけるアコースティック・ギターとキーボードとボーカルの絶妙なバランスなどは、このアルバムをして90年代を代表するアルバムのみならず、ロックの歴史に残せしめるものとなった。

 後半の4曲、"Climbing Up the Walls"、"No Surprises"、"Lucky"、"The Tourist"はどれも比較的静かな曲で、深遠な世界に引きずられそうになる。
 逆に言えば、ロック的なダイナミズムには欠けているのだが、それでも"Lucky"におけるギター演奏などは十分にプログレ的で、目立っていた。

 この後半を聞くと、何となくポーキュパイン・ツリーのアルバムを聞いているような感じがしてくるし、ギターの音色などはマリリオンのスティーヴ・ロザリーに似ているような気がした。
 だから、前半は電子音楽との融合やロック・ミュージックの再構築や復権がテーマになっていて、後半はよりプログレッシヴな音楽を目指しているようだった。

 今になって考えれば、社会やシステムに対する抗議や反抗を含み、実験性をそなえたロック・アルバムだった。タイトルには“コンピューター”という言葉が使われていたが、実際にはそんなに使用頻度は高くはない。むしろ次作の「キッドA」の方にコンピューターの使用度がかなり高くて、実験的な作風に満ちていた。

 個人的には、最初の2枚のアルバムがレディオヘッドの初期にあたり、叙情性と衝動性がフィーチャーされたアルバムだったと思っている。
 そして、1997年の「OKコンピューター」以降、実験性や前衛的作風の比重が増えていった。そういう意味では、分岐点となったアルバムだと思っている。

 このアルバムは全英1位、全米21位を記録して商業的にも大成功した。全英チャートに関しては、次作の「キッドA」以降、2007年の「イン・レインボウズ」まで5作連続してチャートのNo.1になっているし、全米のビルボードのチャートでもいずれも3位以内に入っていた。

 この1997年以降のアルバムに関しては、断片的にしか聞いていなくて何とも言いようがないのだが、とにかく時代の最先端を走っていたバンドのひとつだったと言えるだろう。
 なので、通常のロック・バンドとして聞いてしまうと、私みたいについていけなくなる人も出てくるかもしれない。

 だから、むしろプログレッシヴ・ロック・バンドのアルバム群として聞けば、十分に満足できたに違いないだろう。実際に、欧米ではこのアルバムを“プログレッシヴ・ロック”としてジャンル分けしているところもあるくらいだ。

 当時の時代の渦中においては、自分にとって身近過ぎて、その役割が曖昧なものに映ってしまった。もう少し正しい認識や距離感があれば、当時からこのバンドの価値や素晴らしさが分かったはずだったのにと思うと、今更ながら後悔している。
 今さらながらで恐縮だが、このアルバム以降のものを、もう一度聞き直してみて、その内容や価値などを考えていきたいと思っている。


« ザ・ヴァーヴ | トップページ | キーン »

ブリティッシュ・ロック」カテゴリの記事

コメント

RADIOHEADは私の一番好きなバンドです。
確かに「OK COMPUTER」は、プログレッシブな側面も持つ作品ではありますが、個人的には「The Bends」の頃から片鱗は現れていると思っています。
「Pablo Honey」から「The Bends」への変化の方が大きく、メンバー自身も「この2作の間にはもう1枚アルバムがあると思えるほどだ」という趣旨のコメントをしています。

90年代の名盤と言えば、必ず名前の上がる「OK COMPUTER」ですが、出来上がった時点で自信のあった彼らも、レーベルの反応の悪さに、とても心配になったそうです。
この頃の世界ツアーの様子を追ったドキュメンタリー作品では、トリプル・プラチナに認定され表彰される様子が映されていますが、彼らの複雑な表情は少し笑えます。

そして、彼らの魅力の一つはLiveです。
ギターがほとんど鳴りを潜め、ロックを裏切ったと言われた事もある「Kid A」「Amnesiac」ですら、Liveでは再構築されると恐ろしいほど肉感的になります。
Live mini Albumもリリースされていますので、もしご興味ありましたら聴いてみてください。
長々と失礼いたしました。

投稿: ふぁぶ | 2018年5月29日 (火) 11時28分

ふぁぶ様、コメントありがとうございました。Radioheadは、聴けば聴くほど惹きつけられる、まさに麻薬のようなバンドだと思います。もちろんドラッグには手を出したことはありませんけれど。

 この続きを書きたくて、「KidA」以降のアルバムを「In Rainbows」まで聞いていますが、まさに彼らの音楽的な才能が発揮されていると思います。特に、アルバムごとにその様相が異なるところは、凄すぎると思います。
 機会があれば、この続きを感想として、記してみたいと思っているのです。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2018年6月 2日 (土) 20時38分

お返事ありがとうございます。
個人的な見方ですが、同時期に録音された「Kid A」「Amnesiac」は変革期、「Hail to the Thief」は停滞期、「In Rainbows」が円熟期(=集大成)だと感じています。
特にIRは2年ほどかけてじっくりLiveで演奏され、完成した作品は隙のないものになりました。
そういう面で、Pink Floydの「狂気」と共通点も感じてしまいます。
また次の記事も楽しみにしております。

投稿: ふぁぶ | 2018年6月 3日 (日) 00時30分

 コメントありがとうございました。その個人的な見解を近々借用させていただきます。私もロックン・ロールと同じで、何でもどん欲に吸収するのです。

 それはともかく、やはりRadioheadはプログレッシヴ・ロック・バンドということがよくわかりました。言葉本来の意味において、プログレ・バンドだったと思います。それでもこれだけの人気と大衆性を獲得していたのですから、やはり凄いことですね。

 まだまだRadioheadには頑張ってほしいと思っています。観念的なサウンドが肉感的な躍動感を伴っているところも素晴らしいと思いました。
 

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2018年6月 4日 (月) 19時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/257206/73387324

この記事へのトラックバック一覧です: レディオヘッド:

« ザ・ヴァーヴ | トップページ | キーン »