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2018年7月

2018年7月30日 (月)

ジェイムス・モリソン

 最初、彼の名前を聞いたときに、ジム・モリソンと聞き間違えてしまって、同姓同名の人が現れたのかと思ってしまった。ジムではなくて、ジェイムスだった。

 彼は1984年の8月生まれなので、もうすぐ34歳になる。まだまだ十分に若いし、可能性も広がっている。ただ、デビュー時の人気がすごく高くて、いまだにその時の様子が忘れられないし、本人もそれを超えるために頑張っているのではないかと思ってしまう。

 遠く離れた極東の日本では、彼に関するニュースは少なくて、もちろん今でも活動を続けているのだけれども、なんだか半分引退したような扱いをされている気がしてならない。_86499535_c863421e38cf4240a9f22e900
 また、彼よりも少し早くデビューしたシンガー・ソングライターにジェイムス・ブラントという人がいて、この人とよく間違われていたこともあった。"You're Beautiful"をヒットさせたミュージシャンだ。どちらも才能豊かなミュージシャンなので、間違われるのかもしれない。

 彼がデビューした直後には、こんな紹介文が載せられていた。「破格の才能が、ここに登場した。20年後、いや100年後にこのジェイムス・モリソンがどう語られているだろうかを想像すると今から体が震えてくるし、彼にとってのはじめての一歩であるこのデビュー作『ジェイムス・モリソン』を同時代に体験できることを、本当にうれしく感じる。これが決して大げさな話でないことは、このアルバムを聴いたあなたならば、きっとわかってくれるのではないだろうか」71crjbgmpel__sl1122_
 かなり激賞している文だと思うが、確かにシンガー・ソングライターとしては、予想以上に才能豊かだとは思った。ただ、ボブ・ディランやエルトン・ジョンのような感じではなくて、ソングライターよりもシンガーの方が似合っているような気がした。

 彼自身はこう述べている。「子どもの頃はソウル・ミュージックをたくさん聞いていたんだ。スティーヴィー・ワンダーやアル・グリーン、オーティス・レディング、キャット・スティーヴンス、ヴァン・モリソンみたいな声の良い人たちを。
 声を通して感情を表現する人たちが好きだった。だから自分で歌うことを習得するのは、僕にとって当たり前のことだったんだよ」

 だから、自分は彼のことを自作自演ができるシンガーだと思っている。もちろん、そういう人をシンガー・ソングライターと呼ぶのはわかっているが、ソングライターよりもシンガーの方に重点を置いているミュージシャンだと認識している。

 それで、彼のデビュー・アルバムの「ジェイムス・モリソン」には、曲の良さを引き立てようとするアレンジが目立っていて、それがさらに彼の声の良さを際立たせているのである。
 すべての曲では、もちろん彼の名前はクレジットされているものの、他の人の名前も同時に記載されていて、チームとして曲を発表していたことが分かる。だから、曲の骨格は彼が手掛けているが、それに血肉をつけ膨らませていくために、他の人の手を借りていたのだろう。

 ジェイムス・モリソンは、1984年にイギリス中部のラグビーというところで生まれた。父親はフリーターのようで、仕事をしたりしなかったりの生活を送っていて、一家は主に母親の稼ぎに頼っていた。

 彼は子どもの頃に100日咳にかかり、ほとんど死にかけていたと言われていて、医者はこの子がこれから生き残るであろう生存率は、30%ぐらいしかないと言ったらしい。今の彼の独特の声質は、この病気のせいだとも言われている。本当かどうかは不明だが、確かに彼の声はハスキーであり、アフリカ系アメリカ人のような雰囲気を漂わせている。

 父親も母親も音楽好きだったようで、父親の方はフォークやカントリーを、母親はソウル・ミュージックを聞いていた。
 やがて父親は家を出て、母親はパブなどで歌うようになった。だから3人兄弟の真ん中だったジェイムスは、10歳頃から母親の代わりに家事全般を行うようになっていった。いわゆる苦労人なのである。

 13歳の時に叔父からアコースティック・ギターを渡され、簡単なコードやブルーズのリフなどを教えてもらった。そして14歳になると、ストリート・ミュージシャンとして活動するようになっていた。若い頃に苦労すると、生きる力が必然的に見についてくるようだ。

 15歳頃からバンド活動を行い始め、ソウル・ミュージックを筆頭に、様々なミュージシャンの持ち歌や、もちろん自分で書いた曲も歌っていた。
 そのあと、ホテルの客室係や室内装飾業などに従事していたようだが、アイリッシュ・バーで知り合った人の手を借りてデモ・テープを録音し、それが紆余曲折を経て、レコード会社の手に渡り、最終的にデビューに至った。

 彼はまたこうも述べている。「オアシスは良いバンドだと思うが、僕の目から見ればビートルズの二番煎じにしか見えない。だったら新しいものより、僕は古い方を聴きたい。いろんな人に影響を与えたオリジナルの方から自分のヴァージョンを創り出したい。二番煎じから三番煎じを作るんじゃなくてね」

 彼のデビュー・アルバムは、2006年7月に発表された。全英アルバム・チャートでは初登場1位になり、2週間そこに留まった。アイルランドやオランダでもチャートの上位にまで上がっていて、イギリスを含むヨーロッパではヒット作品になった。(ただし、アメリカでは24位に留まっている)

 全13曲(国内盤は14曲)のうち、5曲がシングル・カットされ、特に、ファースト・シングル曲の"You Give Me Something"とセカンド・シングルの"Wonderful World"は売れた。
 その他のシングル曲は、"The Pieces Don't Fit Anymore"、"Undiscovered"、"One Last Chance"の3曲で、面白いことにこの5曲は、アルバムの前半の2曲目から6曲目に配置されている曲だった。71danxgdtcl__sl1250_
 個人的には、デビュー・アルバムにしては手の込んだアレンジとオーヴァープロデュースが目立っているような気がした。ほとんどの曲にストリングスやホーン・セクションが使用されていて、それはそれで確かに効果的だとは思うものの、もう少し抑えてもよかったような気がする。

 逆に、アルバム最後の"Better Man"や国内盤ボーナス・トラックの"My Uprising"の方がしっくりと心に染み込んでくる。新人なので、もう少しアコースティック色を活かして欲しかった。この辺はシンガー・ソングライターというよりも、ソウル・シンガーのアルバムといった感じがする。たぶん、本人もそれを望んだのだろう。

 ジェイムス・モリソンは、世の中の辛い経験をした人たちや、哀しみを味わっている人たちに届くように曲を書いて歌っていきたいと語っていたが、悲しみを表現しながらも、どこかポジティヴな彼の気持ちが伝わってきそうなアルバムだった。

 このアルバムのおかげで、彼はブリット・アワードで“ベスト男性ボーカル賞”を受賞した。その後も2008年、2011年、2015年とスタジオ・アルバムを発表していて、特に3枚目の「ジ・アウェイキング」は、再び全英アルバム・チャートの首位に輝いている。

 最初にも書いたが、彼のことについては情報が少なくて、日本では徐々に知名度を失っているような気がしてならない。今回彼のことを取り上げたのは、彼が決して消えてしまったのではなく、むしろまだ現役で頑張っていることを紹介したかったからである。

 今年くらいはニュー・アルバムが届きそうな気がするのだが、もしもまだ待たされるとなると、ますます彼のことは忘れられていきそうだ。何とか頑張ってほしいと願っている。

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2018年7月23日 (月)

ザ・グリム・ノーザン・ソーシャル

 さて、90年代から2000年代にかけて活躍した?というよりも話題になった、もしくは存在していたブリティッシュ・ロック(ポップ)・バンドの第6回は、スコットランドのグラスゴー出身のザ・グリム・ノーザン・ソーシャルが登場する。

 とにかくこのバンドについては、資料が極めて少ないので何とも言えない。どこまで書けるかわからないが何とか努力してみることにした。Maxresdefault
 はっきり言って、このバンドを知っている人は、少ないような気がするのだがどうだろうか。彼らの唯一のアルバムと思われる「グリム・ノーザン・ソーシャル」は2003年に発表された。当時のレコード会社であるテイチク・エンタテインメントによるキャッチ・コピーによると、“コステロもその才能を認めた、グラスゴー発、グリム・ノーザン・ソーシャル、デビュー‼ ソウルフルで華やかなボーカル、そしてプレイフルな旋律は伝説的な60年代を彷彿させる。”とあった。

 確かにこのバンドは、エルヴィス・コステロや同郷のコズミック・ラフ・ライダーズなどのミュージシャンやバンドのオープニング・アクトを務めていたから、その才能は周りの誰もが認めていたのだろう。

 それにこのザ・グリム・ノーザン・ソーシャルというバンドは、はっきりいってボーカル&ギターのユアン・マクファーレンのソロ・ユニットといってもいいだろう、そんな気がする。
 たとえば、すべての楽曲はユアンが手掛けているし、バンド・メンバーもユアンの募集によって集まったからだ。Thegrimnorthernsocialglastobandfina
 ユアンは若い頃からミュージシャンを志していて、ロンドンでは“ストーンホース”というバンドを結成して活動していたらしい。
 結局、そのバンドの活動に見切りをつけてグラスゴーに戻ったユアンは、友人のキーボード奏者であるアンディ・コーワンと連絡を取りながら曲を書きためていった。

 そして、残りのベース奏者やドラマー、リード・ギタリストを新聞広告で募集してバンドを結成した。2000年頃のようだ。
 彼らは地元のパブなどでライヴ活動を続けながら、様々なフェスにも参加していた。そしてスコットランドの音楽フェスティバル“In the City 2001”では「最優秀未契約バンド」に選出されている。

 そして翌年には、ワン・リトル・インディアンとアルバム契約を結ぶことができ、プロのバンドとして活動を開始した。
 ユアンはこう述べている。「僕たちはポップ・バンドだけど、いわゆる60年代のポップ・バンドに近いんだ。決して商業主義的なポップ・バンドじゃないっていう。例えばビートルズやビーチボーイズ、U2といったバンドに近いんだ。U2はロック・バンドだけど、それと同時にポップ・バンドでもあるよね。だから、僕たちのアルバムが当てはまるのは、そういうジャンルだと思う」

 ユアンが尊敬するミュージシャンは、ジョン・レノンとデヴィッド・ボウイだそうで、そういえばこのアルバムにも、どことなくそんな雰囲気が漂っているような気がする。
 彼の歌声は、どことなくジョン・ライドンにも似ているし、曲によってはデヴィッド・ボウイにも似ている。また、そう思わせるような曲調も備えているのだ。

 2003年にデビュー・アルバム「グリム・ノーザン・ソーシャル」を発表したのだが、11曲と2曲のヒドゥン・トラックが含まれていた。51e6wqe7mdl
 冒頭の"Urban Pressure"は、80年代のようなチープなシンセとテンポのよいリズムをバックにジョン・ライドンがクィーン&デヴィッド・ボウイの"Under Pressure"を歌っている感じだ。曲自体もかの曲を意識して作られたような気がしてならない。

 曲間もなく次の曲"The Changes"が始まるのだが、この曲名も何となくデヴィッド・ボウイの曲名をパクったのではないかと勘繰ってしまう。
 曲調も焦燥感を湛えているし、歌い方もデヴィッド・ボウイを意識していることは間違いないようだ。ここまで来ると、グラスゴー出身のパロディ・バンドかという気もしないではない。

 3曲目の"Maybe Its Time"も曲間がないので、いきなりやってくる感じだ。ただ、この疾走感というか切迫感というか、こういうフィーリングを持ったバンドも珍しいのは事実で、若返ったジョン・ライドンが久しぶりに暴れまくっている感じがした。遅れてきたグラスゴー発のパンク・バンドなのかもしれない。

 とにかく冒頭の3曲のインパクトが強すぎるのだが、こうなると残りの曲も期待が高まってくる。"Star"という曲ではトミー・リーガンという人の演奏するエレクトリック・ギターがスパイダーズ・フロム・マーズのミック・ロンソンのそれに似ていて、思わず頬が緩んでしまった。

 続く"Snap the Imposters"には“ペテン師どもに噛みつけ!”という邦題が付けられていて、6分44秒もある長いスローな曲に仕上げられている。インストゥルメンタル部分では、ちょっとしたプログレッシヴ・ロック風味が備わっていて、やっとオリジナリティが出せたのかと思ってしまった。

 でもよく聞くと、センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドのような感じがしてきて、そういえばアレックス・ハーヴェイ自体もグラスゴー出身だったということに気づいてしまった。グラスゴーという場所は、そういうドラマティックでシアトリカルな音楽性を有している土地柄なのだろうか。

 それに歌詞の中に、"que sera sera"と出てくるのだけれど、これはアレックス・ハーヴェイも歌っていたような記憶がある。ユアンはアレックス・ハーヴェイの精神性もまた受け継ごうとしているのだろう。

 5曲目と6曲目の"New Rage Hope Song"の曲間もなくて、大掛かりで時代的な曲が始まる。なるほど、やっぱりアレックス・ハーヴェイだ。彼は1982年に亡くなっているから、ひょっとしたら彼の生まれ変わりなのかもしれない、ユアン・マクファーレンという人は。
 あるいは、幼い頃に体験したアレックス・ハーヴェイの音楽を記憶していたとか、ユアンの両親がアレックス・ハーヴェイのファンだったとか、何となく関連性があるような気がした。

 7曲目の"Honey"という曲は最初にシングル・カットされた曲で、確かにシングル向きの曲だと思う。U2のボノが売れ線ポップを歌うとこうなりますよ、とでも言いそうな感じで、疾走感もあるし、声質もわざと似せているかのようだ。

 一転して"Clash of The Social Titans"はバラード曲で、名曲とは言えないけれど、けっこうイケてる曲。印象度も深い。何しろ曲の4分あたりからストリングスが使われていて、何となく映画かドラマのテーマ曲にもなりそうな雰囲気なのだ。

 "Gasoline Queen"という曲もややスローな曲で、アルバム前半の疾走感が後半に来て急に穏やかになってしまった。突然、バラード歌手にでもなったようだ。
 この曲は、前の曲"Clash of The Social Titans"よりもさらにメロディラインが美しく磨かれていて、そう考えるとユアンという人は、コステロも推薦するように優秀なメロディメイカーなのかもしれない。

 10曲目の"Money"という曲に来て、やっとアルバム前半のパワーとポップネスを発揮してくれた。この曲も単なるポップ・ソングではなくて、よく練られたメロディとSEも交えてのアレンジメントが曲の価値をさらに高めている。
 "Money"という曲は急に終わり、続いてブロンディの"Sunday Girl"のワン・フレーズが歌われて最後の曲"Favourite Girl"が始まる。

 ただこの曲は12分40秒もあって、本編の曲とヒドゥン・トラック2曲が含まれているから聞きごたえがある。"Favourite Girl"自体はジョン・ライドンが歌いまくっているような4分40秒くらいの曲で、続いて"The Grim Northern Social"と"Elevator Rage"という曲が始まる。

 どこからどこまでが"The Grim Northern Social"で"Elevator Rage"なのかよくわからないのだが、オルタナ系のようなざらついた感じの曲が5分10秒くらい続くので、このボーカル入りのややゆっくりとした曲が"The Grim Northern Social"なのだろう。
 もう一方の"Elevator Rage"の方は1分くらいの、曲というよりはサウンド・コラージュのような感じだった。71pdbqupail__sl1223_
 ユアンは、このアルバムの主なストーリーはどんなものなのかという質問に対して、次のように答えている。“基本的には、人生は短いってこと、でも明日は今日よりもいい日である可能性があるってことかな”

 この言葉通りに、このアルバム1枚で表舞台から消えてしまったバンドだったが(たぶん)、ユアン自身はその後も音楽活動を続けているようだ。
 おそらく地元では熱狂的に受け入れられたバンドだったのではないだろうか、ただ、オリジナリティーという面では、ワールドワイドで注目を集めることはできなかった。

 いい意味でも悪い意味でも、彼らは、スコットランドのグラスゴーという土地柄を反映していたバンドだったようだ。

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2018年7月16日 (月)

キャスト

 イギリスにキャストというバンドがいた。自分はマイナーなバンドだと思っていたのだが、実はどうしてどうして、かなり有名なバンドのようなのだ。てっきり1枚か2枚ぐらいしかアルバムを発表していないだろうと思っていたのだが、実際は、6枚もスタジオ・アルバムを発表していた。勉強不足で申し訳ないと思っている。

 自分はそのうちの「マジック・アワー」を聞いたことがある。彼らにとっては3枚目のスタジオ・アルバムにあたり、1999年に発表された。全英アルバム・チャートでは6位まで上昇している。41862gx069l
 なぜ、このアルバムを持っているのかよくわからないのだが、おそらく雑誌か何かで知って、良さそうだったので購入したのだろう。そして1枚しか持っていないということは、次のアルバムを聞いてみようという気持ちになれなかったのだろう。

 このアルバムからは2枚のシングルが発表されていて、そのうちの1枚がアルバム冒頭に置かれていた"Beat Mama"だった。メジャー調の明るい曲でテンポもよく、思わずスキップをしたくなる曲だった。ここではアルバム・ヴァージョンと記載されていて、シングルとは少し趣が違うようだ。全英シングル・チャートでは9位まで上がっていたから、そこそこヒットしたのだろう。

 続く"Compared to You"も似たような感じの曲で、ボーカルのジョン・パワーの声がファルセットになったりならなかったりと、結構メロディーの浮き沈みが激しい曲だ。
 3曲目の"She Falls"はギター・のアルペジオで始まるややスローな曲で、ここでいったん落ち着かせて曲を聞かせようと意図しているのだろう。

 "Dreamer"は冒頭の"Beat Mama"のようにアップテンポの曲で、バックのリズミカルなキーボードと轟音ギターがうるさいくらい耳に残る。キャスト流ハード・ロックだろうか。
 そして2曲目のシングル・カットとなった曲が"Magic Hour"で、まるでウォール・オブ・サウンドのようにストリングスが全体を包んでいて、甘くコーティングされたチョコレートのようだった。

 確かにこの曲はメロディアスでドリーミングな曲調だった。タイトル通りの“魔法の時間”を味わえるかのようだ。作曲者のジョン・パワーの趣味なのだろう。ただし、チャート的には28位どまりだったので、イギリス人にはこういう曲は不向きなのだろうか。

 "Company Man"もギターのカッティングが強調されていて、どちらかというと激しい曲調だった。あえて言えば、初期のオアシスやステレオフォニックスのようだ。そういえば、ジョン・パワーはザ・フーをフェイヴァリット・バンドに挙げていたので、ザ・フーのハードな面を受け継いでいるのかもしれない。Johnpower845x564
 7曲目の"Alien"という曲にも全面的にストリングスが使用されていて、バラード風味になっていた。4曲に1曲はストリングスが使用されているようだ。ただ、エレクトリック・ギターも最初と最後には目立っているから、ロック・バラードだろう。

 スローな曲の次は、ハードな曲が置かれるのが定番だろう。だから次の"Higher"はややハードな展開になっている。ただ、他のハードな曲との違いがあまり見られず、どれも似たように聞こえてくる。
 バラード曲の方は出来がいいので、こういうハードな曲を整理すれば、このアルバムはもっと引き締まったのではないだろうか。何となくもったいないような気がした。

 そんな声が聞こえたわけでもないだろうが、"Chasing the Day"はエレクトリック・ギターの弾き語りのようなミディアム・テンポの曲で、ギミックも少なく、聞いていてホッとしてきた。このアルバムの中の清涼剤のようだった。
 別にクレーマーではないのだが、こういう曲をアコースティック・ギターでやるともっと素朴な感じが出たのではないかと思ったりもした。中間部のソロだけエレクトリックでやって、後はアコースティックなら、メリハリがついて印象度も違ってきただろう。

 "The Feeling Remains"もギンギンのエレクトリックな曲だったから、次の曲はスローな曲だろうとアタリをつけたのだが、タイトルが"Burn the Light"というタイトルだったから、たぶんハードな曲だろうと思った。実際は、ハードな曲の中にストリングス・キーボードも使用されていた。ちょっとしたアクセントのつもりだったのだろうか。

 オリジナル・アルバムでは最後の曲になった"Hideaway"には壮大なストリングスが部分的に使用されていて、確かにアルバムの最後にはふさわしいような曲だった。だけど無理にエンディングを引っ張りすぎていて、くどい。6分42秒もいらないだろう。
 エレクトリックな曲はそれはそれでいいのだけれども、印象に残るサビやメロディが少ないのである。

 日本盤には2曲のボーナス・トラックがついていて、"Get on You"はポップ感に溢れた佳曲で、何となくチープ・トリックの曲のようだった。
 もう1曲の"All Bright"も軽めのポップ・ソングで、そんなにアレンジも凝っていなくて聞きやすい。こういう曲をもっと増やせば、このアルバムはもっと売れたのではないだろうか。

 なぜ自分がこのバンドの次のアルバムに興味を失ったかというと、やはりアレンジが凝り過ぎていたからだろう。もっと原曲の良さを生かしたアレンジに抑えていれば、もっと売れたと思うのである。
 だから似たようなアレンジになると、どれも同じように聞こえてきてしまい、全体が一本調子になってしまったのではないだろうか。結局、ハードなギターと分厚いストリングスしか耳に残らないのである。

 どうでもいいことだが、国内盤には最後にヒドゥン・トラックがあって、"All Bright"から約13分後に映画のサウンドトラックのようなストリングスだけのインストゥルメンタル曲が準備されていた。決して悪くない曲だと思うのだが、13分も無音が続くのだから、ほとんどの人は気づかないか、気づいても飛ばしてしまうのではないだろうか。ちなみにタイトルは"Solo Strings"というらしい。

 キャストは、1992年にザ・ラーズというバンドを脱退したベーシストのジョン・パワーという人によって結成されたバンドだった。
 彼は新しいバンドではおもにギターとボーカルに専念し、ほとんどすべての曲を手掛けてきた。

 バンド・メンバーは、主にリバプール出身で、ジョン自身もそうであった。最初は売れずに、オアシスやエルヴィス・コステロのオープニング・アクトを務めてきたが、1995年にはポリドールと契約して、シングルを発表することができた。

 時はあたかもブリット・ポップの真っ盛りで、彼らもその流行に乗ったかのように見られていた。だからデビュー・アルバム「オール・チェンジ」は全英アルバム・チャートの7位を、2年後の1997年のセカンド・アルバム「マザー・ネイチャー・コールズ」は3位まで上昇した。

 このサード・アルバムの「マジック・アワー」を発表したときには、ブリット・ポップの波はもう過ぎ去っていて、だからというわけでもないだろうが、このアルバムが彼らにとって最後のヒット・アルバムになってしまった。

 彼らはこのあともう1枚アルバムを発表したが、売れなかった。レゲエやブラック・ミュージック寄りのアルバムだったからだと言われている。
 それで2001年には一度解散したが、2010年には再結成して、活動を再開し、2012年と2017年にはそれぞれスタジオ・アルバムを発表している。Localheroescasttoplayatliverpoolsou
 キャスト自身は、むしろアルバムも売れていて知名度もあるバンドだったが、自分には1枚のアルバムを通してしか、お付き合いのないバンドだった。彼らのファンには申し訳ないが、残念ながら、それほど食指が動かなかったのである。

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2018年7月 9日 (月)

クーラ・シェイカー

 90年代や00年代初頭を回顧するシリーズとして、マイナーなブリティッシュ・ロック・バンドのことを書き綴ってきたが、今回はクーラ・シャイカーが登場する。マイナーとは言えないと思うし、知っている人は知っていると思うのだが、サイケデリック・ロックというか、正確に言うと、ラーガ・ロックの再来あるいは復興と呼ばれたバンドだった。

 「何かものすごい斬新なことが起きなきゃだめなんだ。ポップ・ミュージックがそれを形にできないようじゃ、もうポップ・ミュージックなんてあったってゴミってもんだ。とにかく俺たちは、人々の夢や希望を凝縮する究極のバンドを生み出したいんだ。
 究極のバンドとは?それは社会そのものの神経に触れるかどうかってことだよ。で、俺はそれをやってやろうと思う。革命をやってやろうと言っているんだよ」

 なんかすごい自信満々というか、“ビッグ・マウス”だ。まるで、オアシスのギャラガー兄弟の言葉のようだが、これを言ったのは、このバンドのギター&ボーカル、実質的なリーダーのクリスピアン・ミルズだった。やはり一発当ててやろうと思う人は、これくらいの自信がないとやっていけないのだろう。

 クーラ・シェイカーは、1988年にクリスピアン・ミルズとベース・ギター担当のアロンザ・べヴァンがリッチモンド大学在籍中に知り合って結成された。最初は“オブジェクツ・オブ・デザイア”と名乗っていたようだ。

 このクリスピアンという人は、中産階級出身である。イギリス人は名前を見て、労働者階級出身か中産階級出身かがわかるそうだが、私にはよくわからない。
 事実、クリスピアンの祖父は、イギリスの演劇界を代表するジョン・ミルズという人で、父親は映画監督、母親はハリウッドのディズニー映画にも出演していたヘイリー・ミルズという人だった。
 ただし、両親の結婚生活は4年間ぐらいしか続かなかったようで、クリスピアンは16歳になるまで父親と会うことはなかった。

 また、ベーシストのアロンザ・べヴァンの両親もまたモデル出身だったし、ドラマーのポール・ウィンターハートの両親もミュージシャンだった。だから彼らは、中産階級出身者で固められたバンドだったのである。A
 彼らの音楽性とは無縁の話だけれども、だからというわけでもないだろうが、労働者階級出身のオアシスとは仲が悪い。クリスピアンはこうも言っていた。「俺たちは、人々がため込んできたものをビッグ・バンド状態にできるように、そのために力を尽くしたいんだ。少なくともオアシスにそれをみすみすやらせるつもりじゃないのは、確かだよ」

 一方、リアムは「クリスピアン?何者?お遊びでやっているぽっと出のバンドだろ。流行が過ぎれば、消えていくのが目に見えている。本物は生き残るのさ、俺たちのように」と、これまた冷たい返事。かように階級闘争が、音楽・芸能面にも影響を与えるのがイギリス社会のようだ。

 それはともかく、クリスピアン一行は、メンバー・チェンジを行い、バンド名を何度も変えながら音楽活動を進めていった。その間の1993年頃に、クリスピアンは、バックパッカーとしてインドに旅行した。
 彼は、子どもの頃から生命の永遠性や必然的な身体の限界などについて考えていたようで、夜中に目が覚めては、いずれ訪れる死の前兆などを感じていたようだ。そしてその時に、手元にあったインドの神話的、哲学的叙事詩である「マハーバーラタ」を読んでは心を落ち着かせていたそうである。

 だから、こういうインド音楽に影響されたラーガ・ロックをやるのは、ある意味、運命的な必然性があったのだろう。
 また彼は、子どもの頃から様々な音楽を聞いていた。例えば、アメリカのフォーク・グループのピーター、ポール&マリーが歌った"Puff, the Magic Dragon"から始まり、70年代のラモーンズやアダム&ジ・アンツ、デュラン・デュラン、ボーイ・ジョージなどをよく聞いていたようだ。

 そのうち60年代の音楽にも触手を伸ばし、ザ・ドアーズを聞きながらLSDをきめていたが、ドラッグ中毒になった友だちを見て、ドラッグが人生を豊かにしてくれるとは思わなくなり、そういう習慣を断ち切ったらしい。意志が強かったのだろう。

 彼の運命を決めた曲のひとつが、キンクスの"You Really Got Me"だった。この曲を聞いて、彼はギタリストになる決意を固めた。また、リッチー・ブラックモアのギター・スタイルをお手本にして練習を重ねていった。
 1997年には、ディープ・パープルもカバーした"Hush"もシングルとして、発表しているから、リッチー・ブラックモアの影響は強いものがありそうだ。

 「俺が音楽で一番好きな時期は、1967年なんだ。ジョージ・ハリソンがインドっぽいことをやり始めた頃だね。そのせいで、俺もインドの神秘主義にどっぷりハマってしまって、実際に行ってみたくなったんだ」

 ともかく、クーラ・シェイカーというバンド名も、インドの歴史が影響している。「インドの皇帝の名前なんだ。インドの導師のヨギたちは、誰もがこの皇帝かヴィシュヌ神の武器の化身だといって、その名前をとればヴィシュヌのご加護に逢うということだった。で、そうしてみみたら3ヶ月もしないうちにレコード契約にありついたんだ」

 実際に、インド旅行で巡り合った人の出会いからグラストンベリー・フェスティバルの出演機会を得たり、バンド名を変えてから1995年に行われたマンチェスターでの「イン・ザ・シティ・フェスティバル」のバンド・コンテストで最優秀バンドに選ばれて、イギリスのコロンビア・レコードと契約を結ぶことができたのである。これらの出来事は、インドのヴィシュヌ神の恩恵なのだろうか。

 1996年にレコード・デビューした後は、トントン拍子に売れていった。グレイトフル・デッドの亡くなったジェリー・ガルシアとジャム・セッションをするという内容のセカンド・シングル"Grateful When You're Dead"は、シングル・チャートで35位になると、続くサード・シングル"Tattva"は4位まで上昇した。

 この曲は、500年前にチャイタンヤというインドの聖人によって書かれた宇宙の究極的な真理を唱えたもののようで、“永遠の真理”という意味らしい。この曲にはメロトロンも使用されていて、個人的には大いに気に入っている。

 さらに、デビュー・アルバム「K」の冒頭を飾っている"Hey Dude"は2位に、4曲目に配置された"Govinda"も7位まで上がった。
 確かに、"Hey Dude"には、シャウトするボーカル、うねるようなリズムと疾走感のある雰囲気がすばらしい。チャートの2位になる要素は備えているだろう。51tqm5vdol ただ、"Govinda"という曲は、クリスピアンによるヒンズー教のマントラに曲をつけたもので、インドの神、クリシュナの別名のひとつが"Govinda"で、クリシュナを讃える内容になっている。歌詞的には、パブやカラオケで歌えるようなものではないと思うのだが、演奏的にはインド風味のみならず、スペイシーで音響空間が豊かであり、優れていると思う。

 個人的には、5曲目の"Smart Dogs"の方が好きで、ロックの圧倒的なダイナミズムやギターとキーボードの見事な融合など、聞きどころは多いと思う。
 むしろこういうメロディアスでハードな曲風の方がヒットするのではないかとも思ったのだが、このデビュー・アルバムの素晴らしさは、こういう佳曲がさりげなく置かれているところにもあるのだろう。

 他にも、ジミ・ヘンドリックス的雰囲気のギター・サウンドを味わうことのできる"303"やミディアム・テンポのやや落ち着いた雰囲気の味わえる"Start All Over"、ピアノとシンセサイザーなどのキーボード演奏とアコースティック・ギターのコンビネーションがフィーチャーされたバラード風味の"Hollow Man Parts1&2"など、確かに良い曲が多く含まれているアルバムだと思っている。単なるブリット・ポップの流れの中で出てきたバンドとは思いたくないのだ。

 デビュー当時には、お金持ちの中産階級の若者が時間と金にまかせて作ったアルバムのような声も聞かれたのだが、音楽的な才能がなければこれほどのアルバムは作れないはずだし、クリスピアンの頭の中には音楽によって世の中を変えていくという決意が漲っていたようだ。

 「現実逃避ってのは現状改革の第一歩だと思う。ただし重要なのは、それが幻想に過ぎないものか、それともちゃんとした現実に変換できる意志と可能性を作ったものであるか、それを見極める目を持つことだ。そもそも60年代のオプティミズムが無効になったのは、あれが、結局ただのファッションになってしまったからなんだ。それで僕らは、ただヒッピー風の格好をして、ヒッピー風の音を出したいからこのバンドをやってるわけじゃない。あの時代の基本理念を90年代型にモデル・チェンジしたくて、うずうずしているからだよ」

 確かにこのデビュー・アルバム「K」は売れた。イギリスでは、アルバム・チャートで初登場1位、オアシス以来の最速売上げを記録し、ダブル・プラチナ・アルバムに認定された。

 ただし、3年後に発表されたセカンド・アルバム「ぺザンツ、ピッグス&アストロノウツ」は全英8位になり、ゴールド・ディスクにはなったが、売り上げは芳しくなく、そのままバンドは新世紀の幕開けを見ることもなく、解散してしまった。デビューしてからわずか3年という短さだった。これもまた、ヴィシュヌ神の恩寵によるものなのか。

 ザ・ビートルズは、ロックン・ロールやバラード、室内管弦楽にレゲエ、ブルーズなどなど、様々な音楽性を有していて、その中のひとつにインド音楽があった。
 一方、クーラ・シェイカーには、メインがインド音楽であり、それ以外にも素晴らしい音楽的要素を有していたにもかかわらず、それを活かすことができなかった。この違いが、歴史に残るバンドになったかどうかの違いだと考えている。

 その後、クリスピンはソロ活動を行ったり、新しいバンドを結成したりするものの、思うような結果を出せず、結局、2004年にクーラ・シェイカーを再結成して、3枚のアルバムを発表しているが、アルバムごとにインド音楽を加味したラーガ・ロックから離れようとしたり、接近したりしている。もうこうなったら、インド映画のサウンドトラックを制作するなど徹底的にインド音楽を追及したらどうだろうか。

 というわけで、中産階級出身の人たちのバンドなのだが、音楽的には優れた能力を有しているミュージシャン達だと思っている。ただ、その豊かな才能が十分に発揮されていないのではないかと危惧しているのである。

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2018年7月 2日 (月)

オクトパス

 西洋では、タコは悪魔の魚とか、漁船や人間を海に引きずり込む海の怪物みたいな扱いをされていて、決して食用にはされない。正確に言うと、イタリアやギリシャなどでは食べられているものの、もっと北の方では網にかかっても捨てられてしまうようだ。

 これは、タコが自分の足を食べるという話から、キリスト教では守銭奴のシンボルとして扱われていたり、毒素や催淫作用が含まれているといった俗信によるものらしいのだが、タコにとってはとんだ迷惑な話である。
 実際には、タコにはタウリンがたっぷりと含まれていて、疲労回復や中性脂肪の減少に効果があると、医学的に裏付けられているからだ。

 だから、西洋の人にとっては、タコの英語名であるオクトパスには、あまりいい印象を持っていないのではないだろうか。918
 1995年に、イギリスでオクトパスというバンドが結成され、翌年にアルバムを発表したものの大した結果を残すこともなく解散してしまったが、その原因もバンド名が悪かったのではないかと思っている。「オクトパス」ではなくて、「オクトーバー」とか「オクタビアヌス」、もしくは似たような生き物である「スクゥイッド」か「キャトルフィッシュ」にすれば、もっと売れたのではないかと思ったりもした。

 冗談はこれくらいにして、この「オクトパス」というバンドの唯一のアルバム「フロム aトゥ b」は、結構イケてるアルバムだと思っていたから、このバンドは売れるに違いないと思っていた。ところが、結果は散々でさっぱり売れなかった。なぜだろうか、よくわからない。

 このバンドは、基本的には4人組だった。基本的というのは、当初は4人だったようだが、アルバム制作にはトランペットやハーモニカ、キーボード奏者などが加わっていて、最大8人くらいまでにはなっていた。だから、アルバム・ジャケットの写真には、いろんな人が写っていた。

 彼らはイギリスのグラスゴー近くのランカシャー、ショッツという街で結成された。最初はみんな学校の友だち同士だった。のちにフランス人のドラマー、オリヴァー・グラセットという人が加入するのだが、この人は元テロリストだったという噂があった。

 また、ハーモニカ奏者のニック・レイノルズという人は、有名な列車強盗だったブルース・レイノルズの息子という話もあった。ちなみにブルースの列車強盗事件については、のちに映画になり、フィル・コリンズがその役を演じていた。

 そんなどうでもいいエピソードも伴いながら、彼らはバンドを結成して、当時のブラーも契約していたフーズ・レコードからデビューした。
 彼らのデビューには、ブラーのデーモン・アルバーンの後ろ盾もあったようで、彼らは間違いなくビッグになるとまで言って、応援していたようだ。

 彼らの音楽性は、一言で言うと、サイケデリック・ポップ・ミュージックである。ちょうど60年代後半のイギリスの音楽シーンに出てくるジュライやスティーヴ・ハウも在籍していたトゥモロウのような感じだ。それらの音楽をもっとポップ化したらこう成りましたよという感じの曲が目立つのである。

 メンバーの一人、ギター&ボーカルのマーク・シェアラーは、次のように述べていた。『オクトパスは取っ散らかったバンドなんだ。僕たちは世界一のバンドになろうとは思わないし、なれないのはわかっている。最も重要なのは、いい曲があるかってことなんだ』、『僕たちは、曲を狭いところに押し込めておこうとはしないつもりだ。一つの形のサウンドしか持っていないバンドが多すぎるし、彼らはそれしかできない。そういうのは好きじゃないし、うんざりしているんだよ』

 なんかえらい鼻高々というか、高慢な気がするが、実際に彼らの曲を聞くと、確かに新人バンドとしては、出来過ぎのようなポップ・アルバムに仕上げられていた。彼らも自信を持って発表したのだろう。

 1996年に発表されたアルバム「フロム a トゥ b」には、15曲(日本盤には17曲)収められていて、どこをきってもポップ風味満載だった。6114ugoczl
 1曲目の"Your Smile"はセカンド・シングルに選ばれた曲で、全英シングル・チャート42位まで上昇した。ホーンとストリングス・キーボードのアレンジが、ザ・ビートルズ中期の音楽性を有している。

 基本的に彼らの楽曲はアレンジが素晴らしく、音の装飾については優れていると思う。また、ドラムスがバタバタしていて、何となくリンゴ・スターのドラミングを思い出してしまった。
 2曲目の"Everyday Kiss"もトランペットがぐるぐる回っていて、「リボルバー」や「マジカル・ミステリー・ツアー」の中の曲を連想してしまった。

 エンジンがかかってくるのは3曲目の"If You Want to Give Me More"あたりからだろう。アップテンポのこの曲はノリがいいし、シングル向きでもある。
 ギターのアルペジオが美しい"Kong for A Day"はバラード・タイプでもあるが、途中からサイケデリックな音響空間に導かれ、トリップ感覚も味わうことができる。あえてこういう曲形式をとったのだろう。

 サイケデリックといえば、6曲目と10曲目にはタイトルが付けられていなくて、無題である。6曲目はピアノやキーボードが中心になっていて、それにハーモニカやトランペットが並奏していくスローなインストゥルメンタルだった。
 10曲目は22秒しかない間奏扱いの曲で、楽曲というよりは、サウンド・コラージュとして曲と曲をつなぐブリッジ的な役目を果たしているようだ。

 7曲目の"Jealousy"も管楽器が大きくフィーチャーされていて、ミディアム・テンポの印象的な曲だった。この曲は、このアルバムからの4枚目のシングルに選ばれていて、チャートの59位まで上がっている。

 彼らの最初のシングルは"Magazine"という曲で、このアルバムの中盤8曲目に配置されている。これは疾走感あふれる佳曲で、まさに若さに任せてブッ飛ばしていますというような曲だった。これは売れただろうと思ったのだが、実際は90位と低迷した曲になった。これが売れなかったところが、彼らの不運を象徴していたようだった。

 アルバム・タイトル曲の"From a to b"は、幻想的な雰囲気を持った静かな曲で、ギターのアルペジオと広がりのあるキーボード・サウンド、ハンド・クラッピング、鈴の音などが神秘的で荘厳なたたずまいを表現していた。

 ついでに3枚目のシングルに選ばれたのが、11曲目の"Saved"であり、これまたゆったりとしたミディアム・テンポの曲だった。チャート的には40位とまあまあ健闘していた。
 個人的には、この曲よりももっとテンポの速い"Theme from Joy Pop"の方が、パンキッシュで好きだし、ザ・ビートルズの"She said, She Said"をスロー・バラードにしたような"Night Song"の方が、売れるのではないかと思ったりもした。

 そして、"In This World"は、それほど凝っていないストレートなポップ・ソングで、途中でファルセットで歌われるところなんかは、ボーカルのマークの上手さがよく表れていると思った。やはり、バンド活動後にすぐにレコード・デビューできたのだから、それなりに音楽的能力が高かったのだろう。デビュー時の彼は、ジュリアン・コープの再来とまで言われていたからだ。

 最後に、このアルバムには、ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のように、秘密のメッセージが隠されているという。そのメッセージは、アメリカの作家サリンジャーの作品から引用されていたようだが、そのことに気がついた人は誰もいなかったようだ。まさに本当の“シークレット・メッセージ”になってしまったのである。

 結局、このアルバムが売れなかったのは、あまりにもバラエティに富み過ぎていて、ファンとしては全体像がつかみにくかったからではないだろうか。
 確かにブリット・ポップの時代だったから、レコード会社はこの手の音楽も売れると思ったのだろうが、残念ながら、そうはならなかった。

 ブリット・ポップの時代と言っても、何でも売れるというわけではなかったようだ。このアルバムの場合は、躍動感のある曲がもう2,3曲あれば、もっとバランスの取れた良いアルバムになったし、アレンジを簡素化してメロディの美しさで勝負をすれば、もっと売れたと思うのだがどうだろうか。

 ただ、個人的には結構気に入っていて、今でもたまに聞くことはある。おそらくあと20年もすれば、20世紀末の隠れた名盤として、再評価されるのではないかと期待しているのである。

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