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2018年7月30日 (月)

ジェイムス・モリソン

 最初、彼の名前を聞いたときに、ジム・モリソンと聞き間違えてしまって、同姓同名の人が現れたのかと思ってしまった。ジムではなくて、ジェイムスだった。

 彼は1984年の8月生まれなので、もうすぐ34歳になる。まだまだ十分に若いし、可能性も広がっている。ただ、デビュー時の人気がすごく高くて、いまだにその時の様子が忘れられないし、本人もそれを超えるために頑張っているのではないかと思ってしまう。

 遠く離れた極東の日本では、彼に関するニュースは少なくて、もちろん今でも活動を続けているのだけれども、なんだか半分引退したような扱いをされている気がしてならない。_86499535_c863421e38cf4240a9f22e900
 また、彼よりも少し早くデビューしたシンガー・ソングライターにジェイムス・ブラントという人がいて、この人とよく間違われていたこともあった。"You're Beautiful"をヒットさせたミュージシャンだ。どちらも才能豊かなミュージシャンなので、間違われるのかもしれない。

 彼がデビューした直後には、こんな紹介文が載せられていた。「破格の才能が、ここに登場した。20年後、いや100年後にこのジェイムス・モリソンがどう語られているだろうかを想像すると今から体が震えてくるし、彼にとってのはじめての一歩であるこのデビュー作『ジェイムス・モリソン』を同時代に体験できることを、本当にうれしく感じる。これが決して大げさな話でないことは、このアルバムを聴いたあなたならば、きっとわかってくれるのではないだろうか」71crjbgmpel__sl1122_
 かなり激賞している文だと思うが、確かにシンガー・ソングライターとしては、予想以上に才能豊かだとは思った。ただ、ボブ・ディランやエルトン・ジョンのような感じではなくて、ソングライターよりもシンガーの方が似合っているような気がした。

 彼自身はこう述べている。「子どもの頃はソウル・ミュージックをたくさん聞いていたんだ。スティーヴィー・ワンダーやアル・グリーン、オーティス・レディング、キャット・スティーヴンス、ヴァン・モリソンみたいな声の良い人たちを。
 声を通して感情を表現する人たちが好きだった。だから自分で歌うことを習得するのは、僕にとって当たり前のことだったんだよ」

 だから、自分は彼のことを自作自演ができるシンガーだと思っている。もちろん、そういう人をシンガー・ソングライターと呼ぶのはわかっているが、ソングライターよりもシンガーの方に重点を置いているミュージシャンだと認識している。

 それで、彼のデビュー・アルバムの「ジェイムス・モリソン」には、曲の良さを引き立てようとするアレンジが目立っていて、それがさらに彼の声の良さを際立たせているのである。
 すべての曲では、もちろん彼の名前はクレジットされているものの、他の人の名前も同時に記載されていて、チームとして曲を発表していたことが分かる。だから、曲の骨格は彼が手掛けているが、それに血肉をつけ膨らませていくために、他の人の手を借りていたのだろう。

 ジェイムス・モリソンは、1984年にイギリス中部のラグビーというところで生まれた。父親はフリーターのようで、仕事をしたりしなかったりの生活を送っていて、一家は主に母親の稼ぎに頼っていた。

 彼は子どもの頃に100日咳にかかり、ほとんど死にかけていたと言われていて、医者はこの子がこれから生き残るであろう生存率は、30%ぐらいしかないと言ったらしい。今の彼の独特の声質は、この病気のせいだとも言われている。本当かどうかは不明だが、確かに彼の声はハスキーであり、アフリカ系アメリカ人のような雰囲気を漂わせている。

 父親も母親も音楽好きだったようで、父親の方はフォークやカントリーを、母親はソウル・ミュージックを聞いていた。
 やがて父親は家を出て、母親はパブなどで歌うようになった。だから3人兄弟の真ん中だったジェイムスは、10歳頃から母親の代わりに家事全般を行うようになっていった。いわゆる苦労人なのである。

 13歳の時に叔父からアコースティック・ギターを渡され、簡単なコードやブルーズのリフなどを教えてもらった。そして14歳になると、ストリート・ミュージシャンとして活動するようになっていた。若い頃に苦労すると、生きる力が必然的に見についてくるようだ。

 15歳頃からバンド活動を行い始め、ソウル・ミュージックを筆頭に、様々なミュージシャンの持ち歌や、もちろん自分で書いた曲も歌っていた。
 そのあと、ホテルの客室係や室内装飾業などに従事していたようだが、アイリッシュ・バーで知り合った人の手を借りてデモ・テープを録音し、それが紆余曲折を経て、レコード会社の手に渡り、最終的にデビューに至った。

 彼はまたこうも述べている。「オアシスは良いバンドだと思うが、僕の目から見ればビートルズの二番煎じにしか見えない。だったら新しいものより、僕は古い方を聴きたい。いろんな人に影響を与えたオリジナルの方から自分のヴァージョンを創り出したい。二番煎じから三番煎じを作るんじゃなくてね」

 彼のデビュー・アルバムは、2006年7月に発表された。全英アルバム・チャートでは初登場1位になり、2週間そこに留まった。アイルランドやオランダでもチャートの上位にまで上がっていて、イギリスを含むヨーロッパではヒット作品になった。(ただし、アメリカでは24位に留まっている)

 全13曲(国内盤は14曲)のうち、5曲がシングル・カットされ、特に、ファースト・シングル曲の"You Give Me Something"とセカンド・シングルの"Wonderful World"は売れた。
 その他のシングル曲は、"The Pieces Don't Fit Anymore"、"Undiscovered"、"One Last Chance"の3曲で、面白いことにこの5曲は、アルバムの前半の2曲目から6曲目に配置されている曲だった。71danxgdtcl__sl1250_
 個人的には、デビュー・アルバムにしては手の込んだアレンジとオーヴァープロデュースが目立っているような気がした。ほとんどの曲にストリングスやホーン・セクションが使用されていて、それはそれで確かに効果的だとは思うものの、もう少し抑えてもよかったような気がする。

 逆に、アルバム最後の"Better Man"や国内盤ボーナス・トラックの"My Uprising"の方がしっくりと心に染み込んでくる。新人なので、もう少しアコースティック色を活かして欲しかった。この辺はシンガー・ソングライターというよりも、ソウル・シンガーのアルバムといった感じがする。たぶん、本人もそれを望んだのだろう。

 ジェイムス・モリソンは、世の中の辛い経験をした人たちや、哀しみを味わっている人たちに届くように曲を書いて歌っていきたいと語っていたが、悲しみを表現しながらも、どこかポジティヴな彼の気持ちが伝わってきそうなアルバムだった。

 このアルバムのおかげで、彼はブリット・アワードで“ベスト男性ボーカル賞”を受賞した。その後も2008年、2011年、2015年とスタジオ・アルバムを発表していて、特に3枚目の「ジ・アウェイキング」は、再び全英アルバム・チャートの首位に輝いている。

 最初にも書いたが、彼のことについては情報が少なくて、日本では徐々に知名度を失っているような気がしてならない。今回彼のことを取り上げたのは、彼が決して消えてしまったのではなく、むしろまだ現役で頑張っていることを紹介したかったからである。

 今年くらいはニュー・アルバムが届きそうな気がするのだが、もしもまだ待たされるとなると、ますます彼のことは忘れられていきそうだ。何とか頑張ってほしいと願っている。


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