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2018年7月 9日 (月)

クーラ・シェイカー

 90年代や00年代初頭を回顧するシリーズとして、マイナーなブリティッシュ・ロック・バンドのことを書き綴ってきたが、今回はクーラ・シャイカーが登場する。マイナーとは言えないと思うし、知っている人は知っていると思うのだが、サイケデリック・ロックというか、正確に言うと、ラーガ・ロックの再来あるいは復興と呼ばれたバンドだった。

 「何かものすごい斬新なことが起きなきゃだめなんだ。ポップ・ミュージックがそれを形にできないようじゃ、もうポップ・ミュージックなんてあったってゴミってもんだ。とにかく俺たちは、人々の夢や希望を凝縮する究極のバンドを生み出したいんだ。
 究極のバンドとは?それは社会そのものの神経に触れるかどうかってことだよ。で、俺はそれをやってやろうと思う。革命をやってやろうと言っているんだよ」

 なんかすごい自信満々というか、“ビッグ・マウス”だ。まるで、オアシスのギャラガー兄弟の言葉のようだが、これを言ったのは、このバンドのギター&ボーカル、実質的なリーダーのクリスピアン・ミルズだった。やはり一発当ててやろうと思う人は、これくらいの自信がないとやっていけないのだろう。

 クーラ・シェイカーは、1988年にクリスピアン・ミルズとベース・ギター担当のアロンザ・べヴァンがリッチモンド大学在籍中に知り合って結成された。最初は“オブジェクツ・オブ・デザイア”と名乗っていたようだ。

 このクリスピアンという人は、中産階級出身である。イギリス人は名前を見て、労働者階級出身か中産階級出身かがわかるそうだが、私にはよくわからない。
 事実、クリスピアンの祖父は、イギリスの演劇界を代表するジョン・ミルズという人で、父親は映画監督、母親はハリウッドのディズニー映画にも出演していたヘイリー・ミルズという人だった。
 ただし、両親の結婚生活は4年間ぐらいしか続かなかったようで、クリスピアンは16歳になるまで父親と会うことはなかった。

 また、ベーシストのアロンザ・べヴァンの両親もまたモデル出身だったし、ドラマーのポール・ウィンターハートの両親もミュージシャンだった。だから彼らは、中産階級出身者で固められたバンドだったのである。A
 彼らの音楽性とは無縁の話だけれども、だからというわけでもないだろうが、労働者階級出身のオアシスとは仲が悪い。クリスピアンはこうも言っていた。「俺たちは、人々がため込んできたものをビッグ・バンド状態にできるように、そのために力を尽くしたいんだ。少なくともオアシスにそれをみすみすやらせるつもりじゃないのは、確かだよ」

 一方、リアムは「クリスピアン?何者?お遊びでやっているぽっと出のバンドだろ。流行が過ぎれば、消えていくのが目に見えている。本物は生き残るのさ、俺たちのように」と、これまた冷たい返事。かように階級闘争が、音楽・芸能面にも影響を与えるのがイギリス社会のようだ。

 それはともかく、クリスピアン一行は、メンバー・チェンジを行い、バンド名を何度も変えながら音楽活動を進めていった。その間の1993年頃に、クリスピアンは、バックパッカーとしてインドに旅行した。
 彼は、子どもの頃から生命の永遠性や必然的な身体の限界などについて考えていたようで、夜中に目が覚めては、いずれ訪れる死の前兆などを感じていたようだ。そしてその時に、手元にあったインドの神話的、哲学的叙事詩である「マハーバーラタ」を読んでは心を落ち着かせていたそうである。

 だから、こういうインド音楽に影響されたラーガ・ロックをやるのは、ある意味、運命的な必然性があったのだろう。
 また彼は、子どもの頃から様々な音楽を聞いていた。例えば、アメリカのフォーク・グループのピーター、ポール&マリーが歌った"Puff, the Magic Dragon"から始まり、70年代のラモーンズやアダム&ジ・アンツ、デュラン・デュラン、ボーイ・ジョージなどをよく聞いていたようだ。

 そのうち60年代の音楽にも触手を伸ばし、ザ・ドアーズを聞きながらLSDをきめていたが、ドラッグ中毒になった友だちを見て、ドラッグが人生を豊かにしてくれるとは思わなくなり、そういう習慣を断ち切ったらしい。意志が強かったのだろう。

 彼の運命を決めた曲のひとつが、キンクスの"You Really Got Me"だった。この曲を聞いて、彼はギタリストになる決意を固めた。また、リッチー・ブラックモアのギター・スタイルをお手本にして練習を重ねていった。
 1997年には、ディープ・パープルもカバーした"Hush"もシングルとして、発表しているから、リッチー・ブラックモアの影響は強いものがありそうだ。

 「俺が音楽で一番好きな時期は、1967年なんだ。ジョージ・ハリソンがインドっぽいことをやり始めた頃だね。そのせいで、俺もインドの神秘主義にどっぷりハマってしまって、実際に行ってみたくなったんだ」

 ともかく、クーラ・シェイカーというバンド名も、インドの歴史が影響している。「インドの皇帝の名前なんだ。インドの導師のヨギたちは、誰もがこの皇帝かヴィシュヌ神の武器の化身だといって、その名前をとればヴィシュヌのご加護に逢うということだった。で、そうしてみみたら3ヶ月もしないうちにレコード契約にありついたんだ」

 実際に、インド旅行で巡り合った人の出会いからグラストンベリー・フェスティバルの出演機会を得たり、バンド名を変えてから1995年に行われたマンチェスターでの「イン・ザ・シティ・フェスティバル」のバンド・コンテストで最優秀バンドに選ばれて、イギリスのコロンビア・レコードと契約を結ぶことができたのである。これらの出来事は、インドのヴィシュヌ神の恩恵なのだろうか。

 1996年にレコード・デビューした後は、トントン拍子に売れていった。グレイトフル・デッドの亡くなったジェリー・ガルシアとジャム・セッションをするという内容のセカンド・シングル"Grateful When You're Dead"は、シングル・チャートで35位になると、続くサード・シングル"Tattva"は4位まで上昇した。

 この曲は、500年前にチャイタンヤというインドの聖人によって書かれた宇宙の究極的な真理を唱えたもののようで、“永遠の真理”という意味らしい。この曲にはメロトロンも使用されていて、個人的には大いに気に入っている。

 さらに、デビュー・アルバム「K」の冒頭を飾っている"Hey Dude"は2位に、4曲目に配置された"Govinda"も7位まで上がった。
 確かに、"Hey Dude"には、シャウトするボーカル、うねるようなリズムと疾走感のある雰囲気がすばらしい。チャートの2位になる要素は備えているだろう。51tqm5vdol ただ、"Govinda"という曲は、クリスピアンによるヒンズー教のマントラに曲をつけたもので、インドの神、クリシュナの別名のひとつが"Govinda"で、クリシュナを讃える内容になっている。歌詞的には、パブやカラオケで歌えるようなものではないと思うのだが、演奏的にはインド風味のみならず、スペイシーで音響空間が豊かであり、優れていると思う。

 個人的には、5曲目の"Smart Dogs"の方が好きで、ロックの圧倒的なダイナミズムやギターとキーボードの見事な融合など、聞きどころは多いと思う。
 むしろこういうメロディアスでハードな曲風の方がヒットするのではないかとも思ったのだが、このデビュー・アルバムの素晴らしさは、こういう佳曲がさりげなく置かれているところにもあるのだろう。

 他にも、ジミ・ヘンドリックス的雰囲気のギター・サウンドを味わうことのできる"303"やミディアム・テンポのやや落ち着いた雰囲気の味わえる"Start All Over"、ピアノとシンセサイザーなどのキーボード演奏とアコースティック・ギターのコンビネーションがフィーチャーされたバラード風味の"Hollow Man Parts1&2"など、確かに良い曲が多く含まれているアルバムだと思っている。単なるブリット・ポップの流れの中で出てきたバンドとは思いたくないのだ。

 デビュー当時には、お金持ちの中産階級の若者が時間と金にまかせて作ったアルバムのような声も聞かれたのだが、音楽的な才能がなければこれほどのアルバムは作れないはずだし、クリスピアンの頭の中には音楽によって世の中を変えていくという決意が漲っていたようだ。

 「現実逃避ってのは現状改革の第一歩だと思う。ただし重要なのは、それが幻想に過ぎないものか、それともちゃんとした現実に変換できる意志と可能性を作ったものであるか、それを見極める目を持つことだ。そもそも60年代のオプティミズムが無効になったのは、あれが、結局ただのファッションになってしまったからなんだ。それで僕らは、ただヒッピー風の格好をして、ヒッピー風の音を出したいからこのバンドをやってるわけじゃない。あの時代の基本理念を90年代型にモデル・チェンジしたくて、うずうずしているからだよ」

 確かにこのデビュー・アルバム「K」は売れた。イギリスでは、アルバム・チャートで初登場1位、オアシス以来の最速売上げを記録し、ダブル・プラチナ・アルバムに認定された。

 ただし、3年後に発表されたセカンド・アルバム「ぺザンツ、ピッグス&アストロノウツ」は全英8位になり、ゴールド・ディスクにはなったが、売り上げは芳しくなく、そのままバンドは新世紀の幕開けを見ることもなく、解散してしまった。デビューしてからわずか3年という短さだった。これもまた、ヴィシュヌ神の恩寵によるものなのか。

 ザ・ビートルズは、ロックン・ロールやバラード、室内管弦楽にレゲエ、ブルーズなどなど、様々な音楽性を有していて、その中のひとつにインド音楽があった。
 一方、クーラ・シェイカーには、メインがインド音楽であり、それ以外にも素晴らしい音楽的要素を有していたにもかかわらず、それを活かすことができなかった。この違いが、歴史に残るバンドになったかどうかの違いだと考えている。

 その後、クリスピンはソロ活動を行ったり、新しいバンドを結成したりするものの、思うような結果を出せず、結局、2004年にクーラ・シェイカーを再結成して、3枚のアルバムを発表しているが、アルバムごとにインド音楽を加味したラーガ・ロックから離れようとしたり、接近したりしている。もうこうなったら、インド映画のサウンドトラックを制作するなど徹底的にインド音楽を追及したらどうだろうか。

 というわけで、中産階級出身の人たちのバンドなのだが、音楽的には優れた能力を有しているミュージシャン達だと思っている。ただ、その豊かな才能が十分に発揮されていないのではないかと危惧しているのである。


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