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2018年8月

2018年8月27日 (月)

アーケイド・ファイア

 久しぶりのカナディアン・ロックである。最近は特にカナダのロック・ミュージックを聞いていなかったので、紹介するべきバンドも出てこなかった。
 ところが、たまたま彼らのアルバムを聞いて、そういえばアーケイド・ファイアは、カナダ出身だったんだなあと改めて気がついてしまった。しかも21世紀になってデビューしたバンドだった。A7603d8a
 彼らはカナダのバンドではあるものの、中心人物はハイチ出身の難民だったとか、バンドというよりもプロジェクトに近いとか言われていて、肝心のサウンドの方には接していなかった。それで彼らのアルバムを購入して聞いてみたのである。

 最初に聞いたアルバムは、2005年に発表されたデビュー・アルバムの「フューネラル」だった。デビュー・アルバムのタイトルからして“お葬式”というもので、伊丹十三の映画監督デビューも、そういえば同じタイトルだったなあと思い出してしまった。

 一聴した限りでは、ロック・アルバムというよりはフォーク・ミュージックや室内管弦楽の雰囲気に近くて、チェンバー・ロックもしくはアート・ロック、サイケデリック・ロックと呼ばれてもおかしくないような感じだった。
 あるいは、言葉本来の意味での“プログレッシヴ・ロック”といってもいいだろうし、クラシックに近いミクスチャー・ロックと呼んでもいいのかもしれない。81y6tccplal__sl1500__2
 ちょっと雰囲気は違うのだけれど、アメリカのフリート・フォクシーズやイギリスのマムフォード&サンズのような音楽的要素も含んでいると思う。このアーケイド・ファイアが出てこなかったら、フリート・フォクシーズやマムフォード&サンズのようなバンドは生まれていなかったか、デビューしたとしてもあと10年は遅れたのではないだろうか。(ちなみに、フリート・フォクシーズは2006年に、マムフォード&サンズの方は翌2007年に結成されている)

 あるいは、コールドプレイのアルバム「美しき生命」や「マイロ・ザイロト」に似ていると言っていいかもしれない。あのアルバムに込められていた躍動感や高揚感をアーケイド・ファイヤのアルバムでも味わえることができるからだ。

 確かに、エレクトリック・ギターやシンセサイザーなどの電気楽器を使用している点ではロック・バンドだろうが、一方で木琴やアコーディオン、バイオリン、ビオラ、チェロなどの伝統的な楽器も使用している。
 これらの楽器が絶妙なバランスで奏で合っていて、しかも美しいメロディーを支え、さらに高めているのだ。これが売れないわけがないというもの。商業的にも全米でゴールド・ディスク、イギリスや母国カナダではプラチナ・ディスクを獲得した。

 内容的には、友人や知人の葬儀を通して感じえたもの、いわゆる生と死や永遠と刹那、人生の儚さや時の永遠性などを寓話的に表現した"Neighborhood"が#1~#4と前半に配置されていて、このテーマがこのアルバムを象徴しているようだ。
 特に、徐々に楽器が増えて終局に向けて盛り上がっていく#1や高揚感溢れる#3は出色の出来であり、思わず耳を傾けてしまうと同時に、体が動いてしまった。

 歌詞の意味は象徴的で、物語性はあるものの何を訴えているのか、あるいは意味しているのかは様々な捉え方が可能であり、一筋縄ではいかない。おそらく100人の人が聞けば、100通りの解釈の仕方があるに違いない。
 だから逆に、万人に通じる音楽であり、聞く人すべてが自分のことに結び付けて聞くことができるはずだ。だから人気が出たし、商業的にも成功したのだろう。

 バンドは6名とも7名とも言われていて、スタジオでレコーディングする場合と、ライヴで演奏する場合とでは人数が違ってくる。
 中心人物は、テキサス州ヒューストン出身のウィン・バトラーとハイチ出身の難民2世であるカナダ人女性レジーヌ・シャサーニュの2人で、彼らは夫婦である。また、バンド内のウィリアム・バトラーはウィン・バトラーの弟だ。Arcadefire1
 ある意味、血縁関係が濃い人たちが中心となってバンド活動を始めたのだが、ウィンは、レディオヘッドやザ・スミス、ニルヴァーナなどをフェイヴァレットとしていて、レジーヌの方はジャズやドビュッシーなどのクラシック音楽を趣味にしていた。実際に彼女は、ジャズ・シンガーとしてクラブなどで歌っていたようだ。

 ウィンがモントリオールのマギル大学に進学して、レジーヌと知り合い、そこからこのバンドが生まれていった。だから簡単に言うと、80年代~90年代のロック・ミュージックと伝統あるクラシックを母体にしてこのバンドが生まれたのだから、両方の音楽がブレンドされた音楽性を有しているのだろう。

 それがよく表現されているのが2010年に発表された3枚目のスタジオ・アルバム「ザ・サバーブス」ではないだろうか。
 このアルバムには16曲も収められているが、ある意味、“郊外の生活”を描いたトータル・アルバムだと考えられる。

 ウィン・バトラーは、このアルバムについてこのように述べていた。「ボブ・ディランもジョー・ストラマーも、僕らのヒーローはみんな郊外に生まれた。そして、自分は生まれた時から電車を乗り継いで旅をしていたと言わんばかりに、僕らに彼らの本当の体験を音楽を通して語ってくれたんだ」61i8bl5rvgl
 一見して何の変哲もない平凡な郊外の生活において、実際は家庭ごとに様々なドラマが生まれ、家庭ごとに幸せや哀しみが横たわっている。
 国家といえども個人個人から成り立っているわけで、その個人が所属している家庭の存在を無視して政策を進めることはできない。民主国家ならそれが当然だろう。

 そういう郊外の家庭や生活を通して、死と再生、時の流れや変化、普遍と流行などを織り込んだ哲学的で深遠な歌詞を載せている。これがまた若者たちや老成したおとなの心情を掴んでいるのだろう。

 彼らはまたカナダのバンドとして、距離感を持ってアメリカという国に接し、批評し、そして愛情を寄せている。だから2007年のセカンド・アルバム「ネオン・バイブル」では、時のブッシュ政権を批判し、国家の未来を嘆き、その終末観を“現代の聖書”という形で提示させてくれた。
 そしてこの「ザ・サバーブス」でも郊外での生活を通して、理想と現実のギャップや閉塞感や焦燥感、そして一握りの希望などが謳われている。この点は、グリーン・デイのアルバム「アメリカン・イディオット」と共通しているようだ。

 こういう批評性を持つことができるというのは、やはりカナダの持つ土地柄であり、その特質性から、アメリカのバンドよりも、より的確な批評ができるのだろう。
 アーケイド・ファイアが、ザ・バンドやニール・ヤングと同じような視点を有しているのも、やはりカナダという国の持つ特質みたいなものなのだろう。81m7vvkwjtl__sl1295_
 彼らは、2017年までに5枚のスタジオ・アルバムを発表していて、3枚目のこの「ザ・サバーブス」から5枚目の「エヴリシング・ナウ」まで、カナダはいうまでもなく、イギリスやアメリカでアルバム・チャートの連続1位を記録している。
 また、この「ザ・サバーブス」は、第53回のグラミー賞では、最優秀アルバム賞を獲得している。

 アーケイド・ファイアは、音楽的な芸術性と商業性が見事に両立させることができたバンドだと思う。こういうバンドが、支持されているということは、今の世の中まだまだ悪くはないのかもしれない。

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2018年8月23日 (木)

カメラを止めるな

 いま話題の映画「カメラを止めるな」を見に行った。この映画は独立系の映画館で上映されていて、本当は3日間の限定上映だったのが、テレビや雑誌、SNS等でたびたびとりあげられたことから1週間に延長されていたのだ。

 しかも今日は木曜のメンズディということで、1000円で見ることができた。何というラッキーなことだろう。本当に生きていてよかったと思った。相変わらず貧乏性なのである。

 それで、映画自体は大変よく練られた脚本と、それにぴったり当てはまったキャスティング、タイトル通りのユニークなカメラワークと3拍子揃った優れものだった。O1512201614227966429

 〔ここからはネタバレがあるので、内容を知りたくない人は読まない方がよいと思います]

 基本はコメディ映画である。内容は、ゾンビ映画の製作中に本物のゾンビが現れてきて、撮影が中断されるとともに、悲劇的な展開になるというものだったが、それは冒頭約37分の実際のワンカットで撮影しているシーンのことだった。

 そして、そのシーンはいわゆる“劇中劇”というもので、そこから1か月前に戻って、この映画が製作された経緯が示されるのである。
 その中でゾンビ・ステーションという企画で、ゾンビの生放送ドラマを作る、その際のポイントは①30分の生放送番組になること、②カメラ1台を使ってのワンカットだけで撮影することの2点だった。

 自分は最初の37分間は退屈で退屈で、本当にしょうもない自主製作映画といった感じがして、半分眠りつつあった。
 しかし、それは完全なトラップともいうべきもので、前半のゾンビ映画のからくりが後半に明かされて行く。その過程がもうこれは笑いの連続だった。

 後半の撮影シーン(といっても生放送のゾンビ番組という設定だが)のこの部分は、前半のゾンビ映画のあの部分に当てはまるということが、観客に分かるにつれて、笑いの声は爆笑に変わっていった。

 それに無名の役者がほとんどと言われていたのだが、どうしてどうして、演技と配役が絶妙にマッチしていて、見るにつれてどんどん映画の中に引き込まれて行った。“魅入られる”とは、こういうことを言うのだろう。久しぶりの爽快な体験だった。867326_615
 特に、劇中の監督がなぜあれほど激昂していたのか、その監督とメイク役の女性との関係、監督の娘の性格、録音マンの軟水しか飲めない特徴などが、ジワジワとボディブローのように効果的に響いてくるのだ。

 また、主演女優や男優などのそれぞれの役柄が、何となく実際の俳優のキャラクターや現実の撮影現場の雰囲気を表しているようで、なるほどそういう人もいるのだろうなあとか、実際の現場は大変だなあとかも感じてしまった。そういう細かな演出も見事だった。

 そして、ラストの4m上からの撮影の際に、機材が壊れていて使えない中をどういうふうに撮影するかも見ものだし、最後に監督と仲の悪い娘の子どもの頃に父親の監督と一緒に写った写真が意味するもの、これがまた感動的で、単なるコメディ映画ではなくて、ハート・ウォーミングな映画に変化していくのである。

 だから、この映画は、ホラー映画からコメディ映画に変わり、そして心温まるドラマに変化していく。一粒で3度もおいしさを味わえることができるのである。これが1000円で見られたのだから、なんか申し訳ないという思いがして、このブログを綴ってしまった。

 とにかく、久しぶりに面白い日本映画を見て興奮してしまった。しかもこの映画は、約300万円くらいの低予算映画だと言われていて、低予算でも脚本や演出がしっかりしていれば、十分に面白いということが分かった。

 ところで、この映画には元ネタというのがあって、元々、演劇で上演されていた「ゴースト・イン・ザ・ボックス」というものを参考にして作られている。このことは実際の監督の上田慎一郎氏もテレビで述べていた。
 この監督、何となく宮藤官九郎に似ているような気がしたが、気のせいだろうか。でも、新感覚を備えた監督の登場だと思う。これからの活躍が期待できるだろう。Main
 とにかく、1週間で上演終了するのは、まことに惜しい映画でもあった。できればもっと長く上演してもらいたいし、メジャー系列の映画館でも配給されてもおかしくない映画だと思っている。まだまだ邦画も、素晴らしい可能性を秘めているようだ。

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2018年8月20日 (月)

アークティック・モンキーズ

 今年の春、アークティック・モンキーズの6枚目のスタジオ・アルバムが発表された。前作のアルバム「AM」から4年8か月も経っていて、ひょっとしたら彼らはアルバムを発表することもなく解散してしまうのではないかと噂されていたから、ファンにとっては一安心とも呼べる出来事になった。

 ところがこの「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」と題されたアルバムは、それまでのアルバムとは違っていて、ほとんどの楽曲でピアノが使用されていた。
 これはバンドの中心メンバーであるアレックス・ターナーが、30歳の誕生日に友だちからスタインウェイのピアノを贈られ、それを使って曲作りを行ったからだった。

 今まで彼はギターを主体に曲を作っていて、ピアノを使って曲を書いたことがなかった。それで今回ピアノを使ってみたところ、これが思いのほか順調にいったようで、新鮮な気持ちで作曲に取り組むことができたらしい。
 そういうことで、このアルバムはそれまでの5作品とは違い、ロックする疾走感や浮遊感から離れて、まるで映画音楽のようなリリカルな美しい曲で占められている。71bb2fybxkl__sl1215_
 最初に新作の紹介になってしまったが、今回のテーマは、アークティック・モンキーズである。2000年代に入ってのイギリスを代表するロックン・ロール・バンドであり、90年代のオアシス以来、最大の人気と影響力を誇るバンドといってもいいかもしれない。それくらい母国イギリスのみならず、米国を含む全世界で高い支持を得ているバンドなのだ。

 彼らは、2002年にイギリス中部のシェフィールドで活動を始めた。元となったのは幼馴染だったアレックスとギタリストのジェーミー・クックの2人だった。それにベーシストとドラマーが加わって今のようなスタイルになった。

 最初は、彼らも他のバンドと同じように、地元のパブやクラブで演奏を行いながら、自分たちで作った曲をCDにして販売していた。
 すると、ある時彼らの曲がネット上で公開され流れるようになると、あっという間に有名になり、たちまち多くのファンが生まれ、彼らの次の曲やアルバムを待望するようになったのである。91mgvklowl__sl1500__2
 だから、21世紀のインターネット隆盛の昨今に相応しいデビューの仕方であり、名前の売れ方だった。
 また、アークティック・モンキーズのデビュー・シングルの"I Bet You Look Good on the Dancefloor"は、1週間で4万枚以上の売り上げを記録し、シングル・チャートでは初登場1位になった。

 2006年に発表された彼らのデビュー・アルバム「ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット」は、発売後の1週間で約36万枚を売り上げ、これまたチャートでは初登場第1位を記録している。

 このアルバムは米国でも初登場24位と、新人としては素晴らしい結果を収めていて、決して英国だけの人気には頼っていないということを示していた。61n3ikz3yrl__sl1002_
 それにこの年のブリット・アワードでは、最優秀新人賞を獲得したし、それ以降はベスト・ブリティッシュ・グループとベスト・ブリティッシュ・アルバムをそれぞれ3回ずつ受賞している。また、アメリカのグラミー賞にも3回ノミネートされている。

 とにかくデビュー時の彼らは、まさに飛ぶ鳥をも落とす勢いだった。例えば、1992年にブリット・アワードに対抗してマーキュリー・ミュージック・プライズという賞が設立されたが、2006年のアルバム賞は、彼らのデビュー・アルバムに贈られている。
 彼らほど新人バンドとして、人気と実力を兼ね備えているバンドは他に探すのが困難なほどで、ヒップ・ホップを中心としたブラック・ミュージックやダンス・ミュージックであふれかえっていた当時の英国のミュージック・シーンに、大きな風穴を開ける結果になった。

 このアルバムには、新人バンドとしての潔さと純粋さ、疾走感や焦燥感などで溢れかえっていて、ロックン・ロール・バンドからのダンス・ミュージックやブラック・ミュージックへの回答が込められていたと思っている。要するに、ロックン・ロールサイドからダンス・ミュージックなどへの再解釈と考えてもいいのではないだろうか。

 そういえば、当時の音楽雑誌などでは、“ロックン・ロールのリバイバル”とか書かれていたが、21世紀になってのロックン・ロールの新たなる進化だったのかもしれない。

 ギター、ベース、ドラムス、ボーカルという古典的なバンド構成にもかかわらず、ブリット・ポップやクラブ、レイブンなどでのダンス・ミュージックを消化しながら、新たな方向性を提示したのが、アークティック・モンキーズだと考えている。(同時期にフランツ・フェルディナンドもダンス・ミュージックとロック・ミュージックの融合を行っていたが、フランツの方が、どちらかというとポップな要素が強かったのではないかと思っている)

 例えば、このデビュー・アルバムでもシングル・カットされた"I Bet You Look Good on the Dancefloor"だけでなく、アルバム冒頭の"View Fron the Afternoon"、聞くだけで体が思わず動いてしまう"Dancing Shoes"、昔ならガレージ・ロックとでも言われそうな"Perhaps Vampires is a bit Strong But..."など、はっきりとした肉感を伴う優れた曲が多い。

 一方で、詩情漂う"Riot Van"や、意外とポップなメロディラインを持っていて、レッチリの曲にも似ている"Mardy Bum"のような曲も収められている。まさにこのアルバムは、21世紀を代表するアルバムになるであろう。71hk3zyzjdl__sl1153_
 1曲を除いて、すべての曲をアレックスが手掛けているのだが、このバンドのキーパーソンは、ドラマーのマット・ヘルダースだろう。数多くのフィル・インや重たいバスドラ、効果的なハイハットなどは豊かな色彩さえ感じさせてくれるのだ。
 一説によると、彼はレッド・ゼッペリンのジョン・ヘンリー・ボーナムに強い影響を受けたようで、そういわれると何となくそんな気がしてきた。だけど、ジョン・ボーナムはダンス・ミュージックの曲には参加しないだろうなあとも思っている。

 そんな若者の特権を示したようなアルバムがデビュー・アルバムだったが、その当時の彼らは平均20歳の若者だったから、そんな若者たちがこれほど密度の濃いアルバムを制作できたということがまさに驚異であり、それだけ彼らの才能が優れているという証明になったアルバムだと思う。

 その後、出すアルバム出すアルバム、すべて全英チャートでは初登場1位を記録した。2013年に発表されたアルバム「AM」では、デビュー当時のフレッシュさは幾分影を潜めたものの、逆に老成していて、ある意味、貫禄さえも感じさせられるものに仕上げられていた。

 このアルバムでも、全12曲中10曲をアレックス・ターナーが作っていて、彼のアイデアを中心にみんなで話し合いながら曲作りを進めていったようだ。71hetk3acpl__sl1500_
 アルバム自体は主に米国で録音されていて、ゲスト・ミュージシャンには、エルヴィス・コステロのバンド、ジ・アトラクションズのドラマー、ピート・トーマスも参加していた。

 アレックスが言うには、このアルバムは2曲目の"R U Mine?"に触発されて制作されていったようで、この曲が他の曲の青写真になったと述べていた。この曲のボーカルやメロディーを参考にしながら他の曲にも反映させていったそうだ。

 だから時間の制約を受けずに、スタジオを長く借りて時間をかけて進めていった。また、このアルバムがギターが中心となっているのも、アルバム制作前のツアー中に、ブラック・サバスやキャプテン・ビヨンドなどの70年代のクラシック・ロックやアウトキャストなどの今風のR&Bを聞いていたようで、その影響も色濃く出た結果となっている。

 ただ中には、珍しくピアノやストリングスが使用された"No.1 Party Anthem"のような曲も収められていて、何となく「心の壁、愛の橋」のジョン・レノンのような歌声を聞くことができるところがうれしかった。

 このアルバムを聞けば、着実に彼らが音楽的に進化、発展していることが分かる。激しいビートや弾むリズムだけでなく、"Mad Sounds"のようなミディアム・スローの曲もあれば、キーボードも目立つ"Fireside"、ひょっとしてバラード歌手になったのかと耳を疑うような"I Wanna Be Yours"のような曲もある。こういうバレエティ豊かなアルバムに仕上げられたのも、彼らの成長した姿の結果なのだろう。61nn5z4cv7l__sl1036_
 とにかく、今の若手ミュージシャンを代表するのがアレックス・ターナーであり、イギリスを代表するバンドのひとつがアークティック・モンキーズなのである。これからどんな楽曲を提供してくれるのか、ますます期待が高まっている。

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2018年8月13日 (月)

ステレオフォニックス

 今回のこのバンド、イギリスを代表する国民的なバンドだ。デビューしてもう20年以上にもなるのだが、アルバムを発表するたびにチャートの首位を飾り、ライヴでもスタジアム級の観客動員を行ってきている。そういう実力を持っているバンドなのだ、このステレオフォニックスというのは。

 最初は3人でスタートした。ギター、ベース、ドラムスという最低限の基本構成だった。メンバーはケリー・ジョーンズ(G&V)、リチャード・ジョーンズ(B)そしてステュワート・ケーブルだった。
 一般的には、3人ともイギリスのウェールズにある人口15000人くらいの田舎町カマーマン出身の幼なじみと言われているが、最初から3人でバンドを組んでいたわけではなかった。

 ケリーとステュワートと他のメンバーで活動していた時に、ベーシストが休みを取って不在になった。その時の穴を埋めたのがリチャード・ジョーンズで、そこから彼らの輝かしい歴史がスタートしたのだ。1991年頃のお話だそうだ。Stereophonics
 ケリーの父親も歌手で、若い頃はロイ・オービソンのバックでも歌っていたらしい。だからケリーも6歳頃から人前で歌を歌い始め、ギターを手にした。ステュワートも10歳頃からタイコをたたき始めた。
 それに小さな町だったから、あっという間に噂は広まって、彼らは活動の場を増やしていった。時には、メンバーを入れ替え、時にはケリーもステュワートもそれぞれ別のバンドで活動しながら、とにかく音楽活動を続けていったのである。

 ケリーとリチャードとステュワートの3人になった時に、最初彼らは“トラジック・ラヴ・カンパニー”と名乗っていたのだが、地元のコンサートの主催者が名前を変えるように要求してきた。
 地元の有力なプロモーターの指示に逆らうと、ライヴ活動にも制限がかかるだろうと思い、また、彼ら自身も名前が長いと思っていたので、思い切ってステュワートの家にあった蓄音機会社の「ファルコン・ステレオフォニックス」から後ろの部分を頂戴して、バンド名にしたと言われている。

 地元のウェールズでは大人気だった彼らにはマネージャーがついて、彼らの活動をさらにサポートしていった。彼らには30を超えるレコード会社から契約の申し込みがあったが、最終的にマネージャーはV2レコードを選んだ。この会社の設立者は、あのヴァージン・レコード社長だったリチャード・ブランソンだった。

 彼はヴァージン・レコードを育てた後、航空機業界に進出しそこでも成功したのだが、もう一度音楽業界に戻ろうと思って、このレコード会社を設立した。だから“ヴァージン・レコード”の2代目ということで、“V2”という名前にしたようだ。
 名前といえば、この契約時に、彼らは“ザ・ステレオフォニックス”から“ザ”を取って“ステレオフォニックス”にした。ちなみに、彼らがV2レコードと契約した最初のロック・バンドだった。

 彼らのデビュー・アルバムは、1997年に発表された「ワード・ゲッツ・アラウンド」だ。全英アルバム・チャートでは初登場6位を記録し、150万枚以上売れ、4枚のシングル・ヒットを記録した。61ecxove6bl
 面白いことに、彼らはハード・ロック・バンドとして認識されていた時もあったようで、ヘヴィメタルの専門誌「ケラング」には、その年の最優秀ブリティッシュ・バンド賞に認定されていた。一方、1998年のブリット・アワードでも最優秀新人賞を獲得していて、このことはブリット・ポップの終焉とともに、ニュー・ヒーローの登場を示唆するものだった。

 彼らの当時の音楽性については、ザ・フーやザ・ポリスと比べられることが多く、エレクトリック主体でありながら、アコースティック・ギターの使用方法とか、現実を直視したシビアな世界観などが話題に上がっていた。

 このアルバムでも"Billy Daveys Daughter"やシングル・カットされて20位まで上昇したバラードの"Traffic"など、スローな曲も素晴らしいし、ストリングスのアレンジなどは新人とは思えないほど手が入れられていて、レコード会社の期待がどれほど高かったかが分かると思う。

 続くセカンド・アルバム「パフォーマンス・アンド・カクテルズ」は、1999年に発表された。このアルバムからは5枚の曲がシングルになり、いずれも3位から11位まで獲得している。特に、3位になった"The Bartender And The Thief"は彼らを代表するヒット曲で、2分54秒と短いながらも疾走感のある曲調と物語性のある暗喩などがリスナーたちの心をとらえたようだ。

 また、"Hurry Up And Wait"や"Is Yesterday Tomorrow Today?"、"A Minute Longer"など、バラード風の曲も相変わらず美メロだし、スピード感のある曲の間に置かれていて、アルバム全体のバランスが取れるようになっている。こういう配慮もこのアルバムの素晴らしさを引き立てている気がする。

 このアルバムはチャートの1位になり、それから1年以上もの間チャートに残るというロングセラーを記録した。この年の6月にはエアロスミスの全英公演のオープニング・アクトとしてウェンブリー・スタジアムで演奏し、7月には地元のウェールズで5万人を集めた単独野外ライヴを行った。ここから彼らの快進撃が始まったのだ。51hexlysy1l

 このセカンド・アルバムから2007年までのアルバム、つまり「パフォーマンス・アンド・カクテルズ」、「ジャスト・イナフ・エデュケーション・トゥ・パフォーム」、「ユー・ガッタ・ゴー・ゼア・トゥ・カム・バック」、「ランゲージ・セックス・ヴァイオレンス・アザー?」、「プル・ザ・ビン」までの5作品は、連続してすべて全英アルバム・チャートの1位になっている。いかに彼らが多くの人から認められ、支持されてきたかが分かると思う。

 ただし、その道は決して平たんではなかった。2003年のアルバム「ユー・ガッタ・ゴー・ゼア・トゥ・カム・バック」前後からメンバー間の関係が悪化していった。特に、ドラマーのステュワート・ケーブルは、レコーディングとライヴ活動の繰り返しによるストレスからアルコールやドラッグに手を出して、薬物中毒になってしまった。

 また、他のメンバーも自分たちの存在意義を忘れて、単なる“ショウマン”に過ぎないと思うようになり、純粋に音楽の楽しみや喜びを伝えられなくなったと思うようになってしまった。

 2003年9月の全米ツアー中に、ついにドラマーのステュワート・ケーブルが脱退してしまうのだが、それから7年後の2010年6月に、彼はウェールズの自宅で亡くなった。原因は書かなくても分かると思う。まだ40歳という若さだった。

 その後彼らは新しいドラマーを入れたり、2009年にはそれまでのサポート・メンバーだったギタリストを正式なメンバーとして迎え入れるなど、現在では4人組として活躍している。O0600040013977437374
 また、連続1位のアルバム・チャートの記録は2013年の8枚目のアルバム「グラフィティ・オン・ザ・トレイン」で途切れたものの、それでも3位と健闘しているし、2年後のスタジオ・アルバム「キープ・ザ・ヴィリッジ・アライヴ」では再び1位になっている。

 自分は彼らの躍動感あふれる曲やしんみりと胸を打つバラードなどが好きなのだが、ひとつだけ気に入らないのが、アルバム・ジャケットである。セカンド・アルバムは曲はいいのだが、ジャケットが気に入らなかった。
 だから次のアルバムを購入するのにためらいがあり、結局購入しなかったのだ。もう少し工夫してくれれば、彼らのコアなファンになったに違いないのだが、そうはならなかった。

 また、彼らの音楽性は徐々にポップにもなっていった。2001年の"Have A Nice Day"や2005年の"Dakota"などはそのいい例だが、いずれもチャートの5位以内に入っていて、ポップになっても彼らの音楽性は受け入れられていったことを示している。
 一方で、"Maybe Tomorrow"や"Superman"のような少しR&B寄りの曲も演奏するようになっていった。彼らもU2のように、徐々に音楽性も広げていったようだ。

 そんな彼らの最初の10年を俯瞰したいと思うのなら、ベスト盤がお勧めである。2008年に発表されたこのアルバムには、彼らの10年間の代表曲が収められていて、お得感がある。また、新曲も含まれていたので、単なる回顧ではなくて、これからも頑張るぞという彼らの意気込みも感じられた。51wi5jztjxl
 彼らは昨年、10枚目のスタジオ・アルバム「スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ」を発表していて、今はツアーを行っている。ネットからのダウンロード中心のこの時代に、チャートでは2位と良い結果を出していた。まだまだ彼らの人気には衰えが見えない。

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2018年8月 6日 (月)

ザ・セイルズ

 このバンドも非常に気になるんだけれども、実態がよくわからない。いろいろと調べたにもかかわらず、よくわからい。このネット全盛時代にヒットしないのだから、もはや過去の遺物と言っていいのかもしれない。

 このバンドというのは正確に言うと、イギリスのザ・セイルズというデュオ・グループのことだ。それに、過去の遺物といっても、結成されたのは2003年の終わりごろだし、活動を始めたのは翌年だった。そしてアルバムを発表したのは2006年だ。そんなに昔の話ではない。

 ザ・セイルズは、クーラ・シャイカーやトラヴィス、オーシャン・カラー・シーンなどと同時期に活動をしていた。彼らのツアーに同行してオープニング・アクトを務めたりしていた。それでも記録に残っていないというのは、要するに、売れなかったからだろう。

 アルバム「ドラム・ロール・プリーズ」の国内盤の解説によると、中心人物はマイケル・ガリアーノという人で、アルバムの楽曲すべてとプロデュースを行っている。曲もほぼ一人で歌っているのだが、なぜかサラ・キーリーという女性と知り合って、このバンドを結成したようだ。49181172215350450_600x600r
 サラ・キーリーという人とどういう関係かはわからないが、一般的には夫婦デュオと言われている。解説書にはそこまでは書かれていなくて、単なる音楽的なパートナーと書かれているだけだった。
 自分には関係ないのでどうでもいいのだが、国内盤のボーナス・トラックにはサラが歌う曲"Best Day"が収録されていて、バックのストリングスの方が目立っていた。そんなに上手という感じはしなかった。

 マイケルは、エピックというバンドのリーダーで2枚のスタジオ・アルバムを発表している。その後バンド活動の限界を感じたマイケルは、バンドを解散させ、ソロ活動を始めたのである。
 そのエピックというバンドの音楽性は、ポップ・ソングのようなロック・ミュージックのようなあまりはっきりしなかったようで、だから日本でも知名度がなかった。この時に、少しでも売れていたなら、もっと彼の経歴が分かったのだろうが、今となっては是非もないことである。

 ただ元々、彼の音楽観の基本は、ザ・ビートルズやザ・バーズのような60'sのポップス性を備えていたようで、ザ・ビートルズのカバー・バンドだった"The Battles"ではジョン・レノン役を演じて歌っていた。このカバー・バンドの"The Battles"は、2003年のフジ・ロック・フェスティバルにも出演していて、その時集ってきたファンを魅了したようである。

 これは定かではないのだが、マイケル・ガリアーノで検索してみると、“Let It Be”というタイトルで、世界中を演奏している様子が出てくる。今年はアメリカからアジアを公演して回っているようで、6月には日本にも公演に訪れていた。
 ひょっとしたら、この人がマイケル・ガリアーノなのだろうか。決定的な証拠がないので、よくわからないのである。Michaelgalianoletpremieremunichhwqn
 とにかく、マイケルとサラはイギリス・デビューする前に、アメリカで「ザ・セイルズ」というアルバムを発表している。これは、エピック時代のことを知っていたアメリカのニューヨークにあるレインボウ・クォーツ・レコーズのスタッフがマイケルの音楽性を気に入っていて、アメリカでのアルバム発表を手伝ってくれたからである。

 ただ、彼らはアメリカ国内のフェスティバル出演や東海岸ツアーを行ったものの、急いでアルバムを発表したせいか、楽曲の内容には満足していなかったようで、マイケルとサラは、イギリスに戻って納得のいくアルバム作りを行った。それが2006年に発表された「ドラム・ロール・プリーズ」だった。

 このアルバムは、まさに初期のザ・ビートルズや12弦のアコースティック・ギターの響きが美しいザ・バーズのサウンドが再現されたような感じのアルバムで、幾重にも重ねられた音の厚みは、まさに“ウォール・オブ・サウンド”のような印象を与えてくれた。

 それにアルバム全体の時間も37分少々しかない。21世紀の今の時代に、1枚のCDの時間が40分を切るというのは、あまり考えられない。このCDを購入した消費者は、費用対効果を考えた場合には、元を取れないと思ったのではないだろうか。

 しかし、実際に音を聞けば、購入者は納得すると思うのである。特に、フィル・スペクターの音楽やザ・ビートルズ、ザ・バーズ、ティーンエイジ・ファンクラブなどが好きな人にとっては、もうこれは感涙もののアルバムになるだろう。買って外れなし、いや、マストバイ・アイテムになるのは間違いないだろう。

 実際、自分もこのアルバムを買って聞いてみて、ビックリした思い出がある。まさか21世紀のこの時代に、ザ・バーズやザ・ビートルズが復活するとは思っていなかったからだ。
 とにかく、どこを切っても60年代風の“金太郎飴状態”なのである。だから、この音楽を聞いた自分よりは上の世代もまた、きっと随喜の涙を流したに違いない。O0471047714050267346
 まさにポップ・ソングの典型的な曲が"Best Day"で、ザ・バーズのアコースティック・ギターmeetsフィル・スペクターで、フィルがザ・バーズの楽曲をプロデュースしたらこうなりましたよという感じだ。2~3回聞いただけで、出だしやさびの部分は覚えてしまう素晴らしいメロディラインも備えている。
 "See Myself"もまた、キラキラとしたギターのアルペジオがはじけているし、64年のジョン・レノンだったらこういう曲を作るかもしれないという"Chocolate"も一聴の価値がある曲だ。

 個人的には、草原を駆け抜ける爽やかな風のような"Let's Get Started"は何度聞いても飽きないし、フィル・スペクター風の"Yesterday And Today Part1"、永遠のフォーレヴァー・グリーンといってもいいような"Peter Shilton"などが大好きで、とにかく何度でも何回でも聞き続けていたい曲で満ち満ちている。

 アルバムの後半には"Pleasure Bus"や"Liar"、"Dogs"などのギターが中心となった曲が続く。決してハードにはならず、だからといってポップ過ぎてもなくて、ほどよいエッジとマイルド感の調和が素晴らしい。60年代のマージービートから続くイギリスの伝統的なポップ感覚が息づいている。

 11曲目には"Yesterday And Today Part2"が置かれている。この曲は5曲目にあった同名曲"Part1"の続編なのだが、"Part1"と違ってテンポが速く、曲自体も1分26秒と極めて短い。アルバム構成としてもよく考えられているようだ。

 これら以外にも、バックのキーボードがE.L.O.風にアレンジされた"Sorry"や、抑えられた最初のヴァースから一気に盛り上がる曲がユニークな"Beautiful Day"など、まだまだ聞くべきところは多い。"Beautiful Day"などは、何となく70年代初期のジョージ・ハリソン風で興味深い。

 とにかく、マイケル・ガリアーノのこのユニットは、この1枚のアルバムで終わらせるにはもったいない。しかし、結果的には続編が作られなかったということは、マイケル自身がこのユニットをあきらめたということだろう。
 商業的な期待に応えられなかったのか、自分たちの音楽に満足できなかったのか、はたまたサラとの関係が悪化してパートナーシップを解消したのか、その理由はわからない。

 個人的には大好きなバンドというかデュオだったし、アルバム自体も優れていると思っている。現時点でのマイケル・ガリアーノの消息がはっきりしないように、このアルバムもまたひっそりとポピュラー・ミュージックの歴史の流れの中に消えていくのだろう。

 とりあえず、今回のザ・セイルズをもって、90年代から2000年代に登場したマイナーなブリティッシュ・バンドの特集を終わりたいと思う。

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