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2018年8月27日 (月)

アーケイド・ファイア

 久しぶりのカナディアン・ロックである。最近は特にカナダのロック・ミュージックを聞いていなかったので、紹介するべきバンドも出てこなかった。
 ところが、たまたま彼らのアルバムを聞いて、そういえばアーケイド・ファイアは、カナダ出身だったんだなあと改めて気がついてしまった。しかも21世紀になってデビューしたバンドだった。A7603d8a
 彼らはカナダのバンドではあるものの、中心人物はハイチ出身の難民だったとか、バンドというよりもプロジェクトに近いとか言われていて、肝心のサウンドの方には接していなかった。それで彼らのアルバムを購入して聞いてみたのである。

 最初に聞いたアルバムは、2005年に発表されたデビュー・アルバムの「フューネラル」だった。デビュー・アルバムのタイトルからして“お葬式”というもので、伊丹十三の映画監督デビューも、そういえば同じタイトルだったなあと思い出してしまった。

 一聴した限りでは、ロック・アルバムというよりはフォーク・ミュージックや室内管弦楽の雰囲気に近くて、チェンバー・ロックもしくはアート・ロック、サイケデリック・ロックと呼ばれてもおかしくないような感じだった。
 あるいは、言葉本来の意味での“プログレッシヴ・ロック”といってもいいだろうし、クラシックに近いミクスチャー・ロックと呼んでもいいのかもしれない。81y6tccplal__sl1500__2
 ちょっと雰囲気は違うのだけれど、アメリカのフリート・フォクシーズやイギリスのマムフォード&サンズのような音楽的要素も含んでいると思う。このアーケイド・ファイアが出てこなかったら、フリート・フォクシーズやマムフォード&サンズのようなバンドは生まれていなかったか、デビューしたとしてもあと10年は遅れたのではないだろうか。(ちなみに、フリート・フォクシーズは2006年に、マムフォード&サンズの方は翌2007年に結成されている)

 あるいは、コールドプレイのアルバム「美しき生命」や「マイロ・ザイロト」に似ていると言っていいかもしれない。あのアルバムに込められていた躍動感や高揚感をアーケイド・ファイヤのアルバムでも味わえることができるからだ。

 確かに、エレクトリック・ギターやシンセサイザーなどの電気楽器を使用している点ではロック・バンドだろうが、一方で木琴やアコーディオン、バイオリン、ビオラ、チェロなどの伝統的な楽器も使用している。
 これらの楽器が絶妙なバランスで奏で合っていて、しかも美しいメロディーを支え、さらに高めているのだ。これが売れないわけがないというもの。商業的にも全米でゴールド・ディスク、イギリスや母国カナダではプラチナ・ディスクを獲得した。

 内容的には、友人や知人の葬儀を通して感じえたもの、いわゆる生と死や永遠と刹那、人生の儚さや時の永遠性などを寓話的に表現した"Neighborhood"が#1~#4と前半に配置されていて、このテーマがこのアルバムを象徴しているようだ。
 特に、徐々に楽器が増えて終局に向けて盛り上がっていく#1や高揚感溢れる#3は出色の出来であり、思わず耳を傾けてしまうと同時に、体が動いてしまった。

 歌詞の意味は象徴的で、物語性はあるものの何を訴えているのか、あるいは意味しているのかは様々な捉え方が可能であり、一筋縄ではいかない。おそらく100人の人が聞けば、100通りの解釈の仕方があるに違いない。
 だから逆に、万人に通じる音楽であり、聞く人すべてが自分のことに結び付けて聞くことができるはずだ。だから人気が出たし、商業的にも成功したのだろう。

 バンドは6名とも7名とも言われていて、スタジオでレコーディングする場合と、ライヴで演奏する場合とでは人数が違ってくる。
 中心人物は、テキサス州ヒューストン出身のウィン・バトラーとハイチ出身の難民2世であるカナダ人女性レジーヌ・シャサーニュの2人で、彼らは夫婦である。また、バンド内のウィリアム・バトラーはウィン・バトラーの弟だ。Arcadefire1
 ある意味、血縁関係が濃い人たちが中心となってバンド活動を始めたのだが、ウィンは、レディオヘッドやザ・スミス、ニルヴァーナなどをフェイヴァレットとしていて、レジーヌの方はジャズやドビュッシーなどのクラシック音楽を趣味にしていた。実際に彼女は、ジャズ・シンガーとしてクラブなどで歌っていたようだ。

 ウィンがモントリオールのマギル大学に進学して、レジーヌと知り合い、そこからこのバンドが生まれていった。だから簡単に言うと、80年代~90年代のロック・ミュージックと伝統あるクラシックを母体にしてこのバンドが生まれたのだから、両方の音楽がブレンドされた音楽性を有しているのだろう。

 それがよく表現されているのが2010年に発表された3枚目のスタジオ・アルバム「ザ・サバーブス」ではないだろうか。
 このアルバムには16曲も収められているが、ある意味、“郊外の生活”を描いたトータル・アルバムだと考えられる。

 ウィン・バトラーは、このアルバムについてこのように述べていた。「ボブ・ディランもジョー・ストラマーも、僕らのヒーローはみんな郊外に生まれた。そして、自分は生まれた時から電車を乗り継いで旅をしていたと言わんばかりに、僕らに彼らの本当の体験を音楽を通して語ってくれたんだ」61i8bl5rvgl
 一見して何の変哲もない平凡な郊外の生活において、実際は家庭ごとに様々なドラマが生まれ、家庭ごとに幸せや哀しみが横たわっている。
 国家といえども個人個人から成り立っているわけで、その個人が所属している家庭の存在を無視して政策を進めることはできない。民主国家ならそれが当然だろう。

 そういう郊外の家庭や生活を通して、死と再生、時の流れや変化、普遍と流行などを織り込んだ哲学的で深遠な歌詞を載せている。これがまた若者たちや老成したおとなの心情を掴んでいるのだろう。

 彼らはまたカナダのバンドとして、距離感を持ってアメリカという国に接し、批評し、そして愛情を寄せている。だから2007年のセカンド・アルバム「ネオン・バイブル」では、時のブッシュ政権を批判し、国家の未来を嘆き、その終末観を“現代の聖書”という形で提示させてくれた。
 そしてこの「ザ・サバーブス」でも郊外での生活を通して、理想と現実のギャップや閉塞感や焦燥感、そして一握りの希望などが謳われている。この点は、グリーン・デイのアルバム「アメリカン・イディオット」と共通しているようだ。

 こういう批評性を持つことができるというのは、やはりカナダの持つ土地柄であり、その特質性から、アメリカのバンドよりも、より的確な批評ができるのだろう。
 アーケイド・ファイアが、ザ・バンドやニール・ヤングと同じような視点を有しているのも、やはりカナダという国の持つ特質みたいなものなのだろう。81m7vvkwjtl__sl1295_
 彼らは、2017年までに5枚のスタジオ・アルバムを発表していて、3枚目のこの「ザ・サバーブス」から5枚目の「エヴリシング・ナウ」まで、カナダはいうまでもなく、イギリスやアメリカでアルバム・チャートの連続1位を記録している。
 また、この「ザ・サバーブス」は、第53回のグラミー賞では、最優秀アルバム賞を獲得している。

 アーケイド・ファイアは、音楽的な芸術性と商業性が見事に両立させることができたバンドだと思う。こういうバンドが、支持されているということは、今の世の中まだまだ悪くはないのかもしれない。


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