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2018年10月

2018年10月29日 (月)

レオン・ラッセルのライヴ

 さて10月も最後の週になった。今月も台風が来たり、地震があったりと天変地異も相変わらず起こり、落ち着かない1か月だった。人知でどうにもならないものは、どうあがいても仕方がない。しばらくは自分の好きな音楽に耳を傾けて行こうと思っている。

 さて、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズ第7弾は、場所をアメリカに移してアメリカン・ロックの中から探してみたいと思う。
 とりあえず最初は、前回のエリック・クラプトンも夢中になったアメリカ南部の音楽から始めようと思い、やはりこの人は外せないよなあということで、レオン・ラッセルの登場である。0ad94b681b2b69e16d00d57fe73b41ea
 レオン・ラッセル本人については、昨年秋のスワンプ・ロック特集で扱ったので詳細は省くことにした。それで数ある彼のアルバムの中から、1974年に発表された「ライヴ・イン・ジャパン」を取り上げようと思う。“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”というテーマに相応しいと思ったからである。

 このアルバム「ライヴ・イン・ジャパン」は、1973年の来日時に日本武道館でライヴ・レコーディングされたもので、当時は日本国内でのみの発売であった。
 レオン・ラッセルの初来日は、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、香港を含む“極東ツアー”の一環だったようで、日本武道館では11月8日と9日の連続公演だった。レコードには、11月8日の音源が使用されている。51k1yxyxk4l
 1974年に発売されたLPレコードでは9曲が収められていて、約43分程度のレコードの収録時間に合わせて選曲されていた。それでも曲順はほぼ当日の演奏順になっている。ちなみに曲順は、次のとおりである。

1.Heaven
2.Over the Rainbow/God Put a Rainbow
3.Queen of the Roller Derby
4.Roll Away the Stone
5.Tight Rope
6.Sweet Emily
7.Alcatraz
8.You Don't Have to Go
9.A Song for You/Of Thee I Sing/Roll in My Sweet Baby's Arms

 とにかく一聴しただけで分かった、これは教会のゴスペル大会であると。ロック・ミュージックなかんずくスワンプ・ロックというのは、まさに黒人霊歌といわれるゴスペル・ミュージックだった。このアルバムを聞いて、あらためてこのことを認識した次第である。

 1曲目の"Heaven"という曲の作者は、レヴァランド・パトリック・ヘンダーソンという人が書いていて、彼は当時の“シェルター・ピープル”の一員だった。
 彼の演奏するピアノと3人の女性のコーラスから始まり、途中からレオン・ラッセルが登場し、パトリックが弾くピアノの上に上がり、おもむろにギターを演奏するという演出だったようだ。確かに途中から拍手が再び起こるので、その時にレオン・ラッセルが登場したのだろう。

 この3人の女性ボーカルは“ブラック・グラス”と呼ばれていて、この極東ツアーの時に選ばれたメンバーで、聖歌隊で歌っていた人たちだった。また、パトリック自身もオーディションを受けてピアノ奏者として参加していた。彼は元々は、テキサス州ダラスの聖歌隊のピアノ奏者とスタジオのセッション・プレイヤーだった。

 次のゴスペル調にアレンジされた“オズの魔法使い”で有名な"Over the Rainbow"とレオン・ラッセル作曲の"God Put a Rainbow"は"Rainbow"つながりで選ばれたのだろうか。レオン・ラッセルよりもブラック・グラスの方が絶対に目立っていると思う。完全なゴスペル・ナンバーである。

 3曲目の"Queen of the Roller Derby"から、やっとレオンの真骨頂が発揮されてくる。ここから次の"Roll Away the Stone"、"Tight Rope"までは全盛期のレオンの歌声やピアノ演奏を聞くことができる。ほとんどメドレーといっていいほど、繋がっているからだ。
 ただ残念ながら、"Tight Rope"がフェイド・アウトされていたのが残念だった。たぶんここまでが、当時のレコードのA面だったのだろう。

 レオンの歌声は、何となくミック・ジャガーに似ていると思う。決して美声ではなく、また上手でもないが、言葉の区切り方や歌い方、間の取り方などがミックに似ていて、「バングラディッシュ・コンサート」で、なぜレオン・ラッセルが"Jumpin' Jack Flash"を歌ったのかが何となくわかった。Leonrussellheaven1974ab
 後半は、“ウエスト・コーストの歌姫”エミルー・ハリスのことを歌ったバラード曲の"Sweet Emily"から始まる。
 続くレオン流のハード・ロックである"Alcatraz"では、このツアーからメンバーになったギタリストのウェイン・パーキンスのリード・ギターを聞くことができる。彼は一時ミック・テイラーの後釜としてザ・ローリング・ストーンズの加入を打診されていたギタリストでもあり、ストーンズのアルバム「ブラック・アンド・ブルー」にもクレジットされていた。ここでも歪みのある流麗な演奏を聞くことができる。

 8曲目の"You Don't Have to Go"は、1950年代から60年代にかけて活躍したアメリカのブルーズ・シンガーのジミー・リードの曲で、レオン・ラッセルのお気に入りの曲でもある。初期の彼のライヴでは必ずと言っていいほど歌われていたミディアム調の曲だ。

 最後の曲は3曲のメドレー形式で構成されていて、アカペラで"A Song for You"のサビの部分を短く歌った後、アップテンポの"Of Thee I Sing"が始まる。ここでもまたゴスペル大会だ。レオンとコーラス隊の“コール&レスポンス”が繰り広げられる。
 この3曲のメドレーはアンコール部分にあたるので、途中実際に演奏された数曲がカットされている。まさか"You Don't Have to Go"が本編最後の曲とは思えないから、もっと盛り上がる曲で最後を締めているはずだ。やはり当時のレコードでは、これが精一杯の収録だったのだろう。

 アンコール最後の"Roll in My Sweet Baby's Arms"は、アメリカのカントリー・シンガーでギタリストのレスター・フラットという人の曲で、ここでもウェイン・パーキンスのギターが目立っている。この曲もレオンのフェイヴァリット・ソングのようで、その後もカントリー・アルバムの中やライヴで歌ったりしている。

 ここで終わってしまうと、今回のテーマ“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”に適さない。
 実はこのCD「ライヴ・イン・ジャパン」は世界初CD化であり、「ライヴ・イン・ジャパン」というタイトルとは裏腹に、ボーナス・トラックとして7曲のライヴ曲が収められていたのだ。51wj23e2qal
 その7曲が違う日時の日本公演のものならまだ整合性があるが、実際は1971年4月22日のアメリカテ、キサス州ヒューストンでのライヴ曲なのである。果たしてこれで「ライヴ・イン・ジャパン」と言い切っていいのかどうなのかが問われると思うのだが、アルバム・タイトル名は「ライヴ・イン・ジャパン」だった。

 まあファンから見れば、曲数も増えているし、しかも絶頂期のレオンのライヴを体験できるのだから、これはこれでいいのかもしれないが、もう少し正確に、例えば「ライヴ・イン・ジャパン'73&ヒューストン'71」としてもよかったのではないだろうか。
 ちなみに、このCDを車のCDデッキに入れると、「Leon Live '71-'73」と表示され、決して「ライヴ・イン・ジャパン」とは表示されなかった。確かにこれは、適正な表示かもしれない。

 だけど一番いいのは、「ライヴ・イン・ジャパン」の完全盤と「ライヴ・イン・テキサス(ヒューストン)」の完全盤を発表することだろう。それぞれ2枚組ぐらいにはなるだろうし、レオンの音楽を愛するファンならきっと購入するに違いない。

 日本のファンにとってみても、確かにヴォリュームアップになった「ライヴ・イン・ジャパン」は朗報だろう。でも曲のダブりもあるし、ライヴの熱気を1枚のCDに収めるのにも無理がある。日本武道館でのライヴの興奮を最初から最後まで味わいたいと思うのは、みんなに共通した感情ではないだろうか。

 ちなみに7曲のボーナス・トラックは次のようなものだった。

1.Alcatraz
2.Stranger in A Strange Land
3.Superstar
4.Roll Over Beethoven
5.Blues Power/Shoot Out on the Plantation/As The Years Go By/The Woman I Love
6.Jumpin' Jack Flash
7.Of Thee I Sing/Yes I Am

 見てわかるように、5曲目と7曲目はメドレー形式で流されている。また、この音源は世界初のお目見えだそうで、未発表ライヴ音源だった。
 ほとんどがおなじみの曲なので解説は必要ないと思うが、5曲目のメドレーでの最後の曲"The Woman I Love"の作曲者は、この当時の“シェルター・ピーポル”のメンバーでシンガー兼ギタリストのドン・プレストンだった。

 ただ、こうやって録音時の違いはあるとはいえ、日本とアメリカのライヴ演奏を聞き比べてみると、何となくアメリカの音源の方が迫力があるような気がするのだが、これは気のせいだろうか。

 いろんな意味で、楽しめるレオンのライヴ・アルバムである。彼の1973年の当時3枚組レコードだった「レオン・ライヴ」の陰に隠れて目立たないライヴ・アルバムだが、自分としてはお買い得なアルバムだと思っているのである。

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2018年10月22日 (月)

デレク&ザ・ドミノス(2)

 デレク&ザ・ドミノスをブリティッシュ・ロックに分類するのはいかがなものかとは思うのだが、バンド・リーダーがエリック・クラプトンということなので、お許し願いたい。クラプトンがアメリカ人ミュージシャンと結成したバンドが、デレク&ザ・ドミノスだったし、やっている音楽もブルーズやサザン・ロックに影響を受けているものだから、本来はアメリカン・ロックの範疇に入るのだろう。

 それで、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズ第6弾は、エリック・クラプトンが在籍していたデレク&ザ・ドミノスのライヴ・アルバムについてである。

 クラプトンについては何回もこのブログで取り上げているので、今さら詳しく説明はしないし、デレク&ザ・ドミノスについても既出なので、詳細は省きたい。
 ただ、エリック・クラプトンという人の人生は、まるでジェット・コースターのように激しく上下していたし、特に1970年という年は、クラプトンにとっては分岐点だったのではないかと考えている。

 以前にも書いたのだけれども、クラプトンはブラインド・フェイス解散後、デラニー・ブラムレットらとアメリカ・ツアーを続けていた。同時に、ツアー・メンバーだったジム・ゴードンやカール・レイドル、ボビー・ウィットロックとともにバンド活動を始め、レコーディングを行った。そのアルバムが歴史的名盤と言われている「いとしのレイラ」である。

 さらにまた、初めてのソロ・アルバムを制作し、“ギタリストのクラプトン”から“ボーカリストのクラプトン”へと重心を移そうとしていた。
 これらはいずれも1970年を中心にクラプトンの周りで起きていた出来事であって、いかにこの年が充実していて、彼にとって重要だったかが分かると思う。

 それで、「いとしのレイラ」を発表したクラプトンを含むデレク&ザ・ドミノス一行は、ライヴ活動を行うのだが、1973年には「イン・コンサート」としてライヴ・アルバムが発表された。61kegn40jcl
 このアルバムは、ニューヨークのフィルモア・イーストにおける1970年10月23日と24日の2日間、それぞれ昼夜2公演から抜粋された計9曲(最後の曲をメドレーとしてカウントすれば計8曲)が収められていた。

 ただ、1973年にはすでにデレク&ザ・ドミノスは解散していたから、なぜこのアルバムが発表されたのか、アルバム契約枚数を消化するためか、あるいはヤク中から回復しようとしていたクラプトンの治療費を稼ぐためだったのか、よくわからない。
 いずれにしてもこのアルバムは、スタジオ・アルバム1枚、しかもそれがロックの歴史に残るような名盤を残して解散したバンドによる貴重なライヴ・アルバムだったから、待望のライヴ盤になったのだ。

 しかし、如何せん曲数が少ない。2枚組とはいえ8曲や9曲、約90分ではファンとしてはまだまだ満足できなかっただろう。おそらくまだ未発表曲があるだろうとファンは思っていただろうし、実際、その考えは正しかったのである。

 1994年に「ライヴ・アット・ザ・フィルモア」として、未発表曲を含む全13曲、約122分のフル・ヴァージョンが発表されたのだ。71ja5mlnqel__sl1284_
 このアルバムには、「イン・コンサート」の中の9曲中6曲が含まれていた。それらは次の曲であった。
"Got to Get Better in A Little While"
"Blues Power"
"Have You Ever Loved A Woman"
"Bottle of Red Wine"
"Roll It Over"
"Presence of The Lord"

 残りの曲で未発表曲、つまり「イン・コンサート」と違うテイクは次の通り。
"Why Does Love Got to Be So Sad?"
"Tell The Truth"
"Nobody Knows You When You're Down and Out"
"Little Wing"
"Let It Rain"

 残りの2曲は、1988年の4枚組CDボックス・セットの「エリック・クラプトン・アンソロジー~クロスロード」に収められていたフィルモアでの23日と24日のライヴ曲で、ディスク2の最後のアンコール曲"Crossroads"が23日の2回目公演、"Key to The Highway"が24日の2回目公演から収録されている。

 このシリーズは“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”というものだが、「イン・コンサート」については決してショボいレコードとは思っていない。
 むしろ当時は、デレク&ザ・ドミノスが残した唯一のライヴ・アルバムということで、大変貴重なものだと個人的には崇め奉っていたくらいだった。

 ただ、約90分の収録時間が「ライヴ・アット・ザ・フィルモア」では約122分になっていたし、未発表曲もあったから、「イン・コンサート」の影が薄く感じられてしまった。

 この時のクラプトンは、まだまだ元気がよかったし、さあこれから自分のキャリアを築いていくぞという勢いがあった。だから私生活でも許されない恋に走り、それに悩みながらも求めて行こうとするエネルギーがまだあった。

 このライヴ・アルバムでも、シンガーとしてはまだまだだが、ギタリストとしてはまさに神がかっていると思えるほど弾きまくっていて、“ギタリスト・クラプトン、ここにあり”といった感じだった。71sevhmlvil__sl1050_
 ところが、翌1971年になると、バンド内の対立からデレク&ザ・ドミノスは解散し、フィルモア・ライヴから約1年後には盟友デュアン・オールマンが交通事故で亡くなり、私生活ではジョージ・ハリソンとの三角関係で悩むといった様々な問題が起きてしまい、クラプトンはアルコールとドラッグ依存症に陥ってしまうのである。

 このあと表舞台から身を隠すように消えていったのだが、「レインボー・コンサート」をきっかけに徐々に活動を開始していく。しかし、これ以降のクラプトンについては、別の機会に譲りたい。別の機会があればのお話だが…

 ただ、今年の11月7日にはクラプトンの新作が発表されるが、そのタイトルは「ハッピー・クリスマス」といい、クリスマスの企画ものアルバムである。71ji7dhlvxl__sl1500_
 クリスマスの定番ソングなどのいくつかは、ブルーズにアレンジされているそうだが、心身ともに幸せそうな彼の近況が伝わってきそうなアルバムだ。でも個人的には、生活に満足しているブルーズマンの音楽といったものは耳にしたくないのである。

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2018年10月15日 (月)

ジョー・コッカー(2)

 “レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズの第5弾である。
 このシリーズを続けてみると、やはり記憶媒体の容量が原因だというのがよくわかる。そしてそれは、ライヴ・レコーディングの時に顕著に表れるということだった。 

 要するに、レコードとCDの違いからくるのである。80年代初めまでは主流だったレコードだが、CDが登場したことで表舞台から消えてしまう結果になってしまった。やはり45分と80分では、昔のレコードなら1枚分くらいの違いはあるだろう。

 また、昔のスタジオ・アルバムがCD化された場合には、ボーナス・トラックをつけることで、レコードよりもお得感が増すし、ファンならば購買意欲も高まっていくだろう。そうすると、再発アルバムのリマスター盤なら、音質も向上しているし、未発表曲も聞けるとあって、ファンならば何度も聞いていたとしても、手に入れようとするに違いない。

 特にライヴ・アルバムとなると、その傾向はますます強まるのではないだろうか。音も向上していれば臨場感も違ってくるだろうし、しかも未発表曲が含まれているとなれば、実際のライヴを味わっている雰囲気に近づくだろう。

 だからというわけではないだろうが、このシリーズを始めてみてライヴ・アルバムにお買い得感が高まるものが多いということに改めて気がついてしまった。レコード発表当時は時間の関係で曲数も限られていたものの、CD化されて曲数も増えていれば、これはもう即買いになるだろう。

 さらに、スタジオ盤のボーナス・トラックとは違って、ライヴ・アルバムでは“その時その場所での記録”という意味合いもある。制限時間に合わせて曲数を削り、ベスト・トラックだけが選ばれたとしても、ファンからすれば、やはり完全な記録として、その時に演奏されたトラックを聞きたいと思うだろう。だからライヴ・アルバムのCD化には期待が高まるのではないかと考えている。

 前置きが長くなってしまったが、今回はジョー・コッカーの「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」のことについて記したい。
 ジョー・コッカーについては昨年の“スワンプ・ロック特集”で紹介したので、それと重複がないように気をつけたいと思う。

 このアルバムを聞きながらジョー・コッカーの人気について考えてみたのだが、やはり彼が世界的に有名になったのは、映画「ウッドストック」における映像が強烈だったからではないだろうか。
 確かに、発作か何かで痙攣でも起こしたのではないだろうかと思わせるようなボーカル・スタイルには、忘れがたい印象を与えるパワーが備わっていた。まるで男性版ジャニス・ジョプリンだった。

 もちろん彼は、1968年秋に発表された"With A Little Help From My Friends"がイギリスでヒットしたおかげで有名になったのだが、このライヴ・アルバムでもそうだけれど、果たして彼にはオリジナルの曲、オリジナルでヒットした曲などがあるのだろうか。

 「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」のレコードでは2枚組だったし、2010年に発表された再発CDも1枚もので全19曲だった。正確に言うと、曲の紹介なども曲数に含まれていたので、実際に歌われていた曲は14曲だった。
 そしてその14曲すべてが誰かのカバー曲か他の人の手によるものであった。つまり、ジョー・コッカー自身が作った曲はないのである。51nbrhz31l
 自身はソングラィティングをしなくても、他の人の曲を歌って十分食っていけるのである。それだけ元歌を自分流に解釈して、聴衆に訴えていく表現力が豊かなのだろう。
 自分はロック・シンガーについては詳しくないのだが、あのロッド・ステュワートやジャニス・ジョプリンでさえも自分で曲を作っていたから、カバー曲だけで売れるというのも、それはそれで才能のひとつなのかもしれない。

 ちなみに、ここに彼のベスト・アルバムがある。そのタイトルも「ザ・ベスト・オブ・ジョー・コッカー」というベタなものだが、12曲あってそのすべてが他の人の手による曲だった。曲の中にはジェフ・リンやエルトン・ジョン&バーニー・トーピン、ランディ・ニューマンなどの有名ミュージシャンの名前もあるのだが、ジョー・コッカーのオリジナル曲はなかった。ただ、ジョーに歌ってほしいという意味で贈られた曲はあるかもしれない。

 それで「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」に話を戻すと、2005年にCD2枚組の「デラックス・エディション」が発表された。ディスク1には12曲、ディスク2には14曲が収められていて、そこには曲名の紹介は曲数には含まれてはいなかった。
 合計26曲になるが、ディスク2の最後の4曲はシングル用のスタジオ・セッションの曲だったから、ライヴだけの曲は22曲だった。Joecockermaddogsandenglishmen3cd
 だからライヴ曲は14曲から22曲に増えたわけで、しかも4曲のボーナス・トラックまで付属しているのだから、これはもう即買いのアルバムだと思っている。だから今回“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズの中に入れてみたのだ。

 スタジオ・セッションの曲も含む追加された12曲のうち、もちろんジョー・コッカーのオリジナル曲は含まれていない。また、追加された曲は以下の曲だった。
"The Weight"
"Something"
"Darling Be Home Soon"
"Let It Be"
"Further On Up The Road"
"Hummingbird"
"Dixie Lullaby"
"With A Little Help From My Friends"
 以上がライヴにおける曲だ。次の4曲はスタジオ・セッションの曲になる。"Warm Up Jam including Under My Thumb"、"The Letter"、"Space Captain"、"The Ballad Of Mad Dogs & Englishmen"

 それにしてもザ・ビートルズ関連の曲からザ・バンド、古いブルーズの曲などいろいろ歌っているのだが、どういう基準で選曲したのかが気になるところ。自分の歌いたい曲や適している曲を選んだのだろうか。

 また、曲数だけでなく曲順も違っていた。実際のライヴに近い曲順は、こちらのデラックス・エディションの方だろう。3曲が披露された"Blue Medley"で盛り上がって"With A Little Help From My Friends"で締めて、アンコールがボブ・ディランの"Girl From The North Country"だ。1148366882
 このライヴ・アルバムは、1970年の3月27日と28日の2日間、ニューヨークのフィルモア・イーストにおける昼夜2回の公演から収録されていて、2006年にはリミックスされたCD6枚組の「コンプリート・フィルモア・コンサート」が発表されている。すでに廃盤になっているので、もし中古店やネットで見かけたら、ファンならずともゲットした方がいいかもしれない。

 結局、ジョー・コッカーはブルーズ・シンガーだったと考えている。ブルーズ・シンガーなら古い曲の再解釈もできるし、新しい曲でもブルーズにアレンジすることもできるからだ。だから自分で曲を作らなくても済むのである。
 しかも、彼のしわがれた声は、アメリカ南部のブルーズやトラディショナルな曲に相応しいし、このライヴを聞けばわかるように、レオン・ラッセルを中心として当時大流行したスワンプ・ロックにもピッタリだ。

 それに、レオンの曲は当然のことだけど、ザ・ビートルズの"Let It Be"やザ・ローリング・ストーンズの"Honky Tonk Women"など、元々ゴスペルやブルーズの要素を備えた曲だからブルーズ・シンガーが歌ってもおかしくない。そういう意味でもジョー・コッカーは、自分に合う曲を選んでいたのだろう。

 前回のジョー・コッカーのところでも述べたけれど、1970年のこのツアーは全米39都市を巡回することになり、約2か月間も続いた。毎日ではないけれど、ほぼこのライヴ・アルバムと同じような曲を披露していたのだから、その疲労やストレスなどはかなりのものだったに違いない。Lindaontour2_2
 しかも途中からレオン・ラッセルとの確執も表面化してきたし、バンドとも対立してしまい、自分自身を見失うまでになってしまった。確かに当時のレオン・ラッセルとリタ・クーリッジは恋人同士だったし、周りのミュージシャンはレオン・ラッセルを慕っていたから、ジョーが孤立してしまったのも無理もないだろう。

 しかもこのデラックス・エディションの方を聞いていると、ライヴの最後はレオン・ラッセルのピアノが主導する"Girl From The North Country"で、ジョーとレオンのデュエットになっているし、スタジオ・セッションの曲も"The Ballad Of Mad Dogs & Englishmen"で終わる。この曲はストリングスも施された美しいバラードだが、レオン・ラッセルの独り舞台である。

 だから最後まで聞いていると、ジョー・コッカーのアルバムなのか、レオン・ラッセルのアルバムなのか、分からなくなってしまった。ジョー・コッカーは単なるメインのシンガーで、仕切っているのはレオン・ラッセルだ、しかも十分存在感を示しているとあっては、ジョーの立場もないだろう。ジョーが酒やドラッグに溺れてしまったのもむべなるかなという気がした。

 このあとのジョーのことについては、既述しているので省略したい。ただ、2007年にはそれまでの功績が評価されて、女王陛下より大英帝国勲章を受けている。Screenshot20141222at124251pm
 ジョー・コッカーは、2014年12月22日にアメリカのコロラド州クロフォードで肺癌のために亡くなった。享年70歳だった。生きている姿はもう見られなくなったけれども、あの素晴らしいパフォーマンスはロック・ファンの記憶の中に生き続けるに違いない。

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2018年10月 8日 (月)

ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル

 いま自分の前に1枚のレコードがある。1977年に発売されたもので、タイトルは「ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!」と名付けられていた。これは日本でのタイトルらしく、正式なタイトルは“The Beatles at The Hollywood Bowl”というものだった。The_beatleslive_at_the_hollywood_bo
 これは、ザ・ビートルズが1964年の8月23日と翌65年の8月30日に、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルで行ったライヴ演奏を収めたもので、全13曲、時間にして33分余りだった。
 当初は、レコードとして発表する予定はなかった。当時の彼らのライヴ映像を見ればわかると思うけれども、観客が興奮してしまい、声援というか奇声があまりにも激しすぎて、音を拾える状態ではなかったからだ。

 ザ・ビートルズのメンバー自身も、当時はモニター自体がなかったし、たとえあったとしてもモニターからの音も聞こえなかっただろうと述べている。しかも当時の貧弱な録音機材では十分な音質も保証されなかったことは間違いないだろう。だからステージの上で彼らの音が合っていること自体、奇跡のような出来事だった。

 しかし、これは奇跡でもなんでもないと考えている。彼らはドイツのハンブルグやイギリスのリバプールでライヴ・バンドとして日夜、経験を積んでいたし、ザ・ビートルズとして正式にデビューしてからも世界中を回っては演奏していたからだ。当時の彼らにしてみれば、モニターから流れる自分たちの演奏を耳にしなくても、普通に歌や演奏を行って、当たり前に音もあっていたのだろう。

 当時のレコードの解説に、このアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティンが記したコメントが載せられていた。それによると、最初からライヴ・アルバムのことを頭に入れて、録音されていたらしい。 しかしそれでも10年以上もお蔵入りになっていた。当時集まった1万7千人以上のファンの声で聞き取れなかったからだ。

 それをジョージ・マーティンと当時の録音技師のジェフ・エメリックが、3トラックをマルチトラックに移し替え、リミックスやイコライジングを施して、ついに鑑賞に堪えうる歴史的なライヴ・アルバムにまで仕上げたのである。
 ジョージ・マーティンによれば、この作業に取り掛からせる思いに至ったのは、ザ・ビートルズの演奏から伝わってくる熱狂的な雰囲気と荒削りなエネルギーをみんなに伝え、後世にまで残そうとする情熱からだった。

 だから、声と楽器はすべて当時のオリジナルのままだったし、オーヴァーダビングなどは一切加えられていないのだ。楽曲は、2回分の公演の中からベスト・トラックを選んだそうである。Yhst73969762682587_2180_44116662
 当時の記録では、2回の公演での楽曲数は、2回とも12曲だった。このライヴ・レコードでは13曲だったから、実際のライヴよりは1曲分多いことになる。
 また、2回の公演で実際には演奏されたが、録音状態の問題で収録を見合わされたのは、次の曲群だった。
"You Can't Do That"
"If I Fell"
"I Want to Hold Your Hand"
(以上1964年8月23日分)

"I Feel Fine"
"Everybody's Trying to Be My Baby"
"Baby's in Black"
"I Wanna Be Your Man"
"I'm Down"
(以上1965年8月30日分)

 ザ・ビートルズの公式アルバムはすべてCD化されていたが、なぜかこのライヴ・アルバムの公式CD盤は発売されていなかった。

 2016年に、アカデミー受賞監督のロン・ハワードによる、彼らの初期のキャリアを追った、バンド公認の長編ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ: Eight Days A Week - The Touring Years』が公開されたが、これに合わせて発表されたのが、「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」だった。61qvarhmq3l

 それでこのアルバムには、1977年のアルバムの曲数+ボーナス・トラックとして4曲が加えられていた。
 結局、このCD化されてもなお収録されなかった曲は、"If I Fell"、"I Feel Fine"、"I'm Down"の3曲だけになった。ただ、ブートレッグなどでは完全収録盤なども出回っているようなので、その気になれば聞くことができるようだ。

 また、CDのプロデュースは、ジョージ・マーティンの息子であるジャイルズ・マーティンが担当している。彼が言うには、1977年の父親がプロデュースしたレコードをリミックスした際に、曲順も印象の強さと音の鮮明さをもとに自分で新しく考えて決めようとしたが、結局、それは父親が考えたのと同じ曲順になったという。息子も父親と同じ才能を引き継いでいるのだろう。61jmko7dqdl

 それでCDは、全17曲で時間にして約44分にヴォリューム・アップしている。これはやはり即買いだろう。“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズの第4弾は、ザ・ビートルズの「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」だった。

 それにこのアルバムは、純粋にザ・ビートルズの音楽を楽しむだけでなく、歴史的な記念品として味わう側面もあるのではないかと思っている。

 ちなみに、ハリウッド・ボウルとは、アメリカのカリフォルニア州ハリウッド・ヒルズに位置する半円形の野外公会堂のことで、1922年から使用されている。主にクラシックのオーケストラや人気歌手、エンターティナーなどの公演が催されている。Hb_shell_2010_03_hi
客席数は17,376席だそうである。

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2018年10月 1日 (月)

レインボー・コンサート

 レッド・ゼッペリン、ディープ・パープルとくれば、次はブラック・サバスかクリームか、ということになるのかもしれない。それで今回はエリック・クラプトンのライヴ・アルバム、「レインボー・コンサート」の登場だ。

 “レコードの時は貧弱だったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズ第3弾は、1973年1月13日に行われたライブ盤である。
 最初のアルバムは同年の9月に発表されたが、全6曲の34分48秒しかなかった。自分も80年代に再発されたレコードを購入して聞いたものだが、非常に物足りずに、これでいいのかクラプトンと愚痴ったものだった。516hcje3pl

 6曲しか収録しなかったというよりも、収録できなかったといった方が正確だろう。何しろこの時のクラプトンは、ヘロインの後遺症が続いていたし、引きこもりからやっと出てきた状態だった。だからギター演奏もキレがなく、ボーカルも伸びがなかった。

 ご存知のように、エリック・クラプトンは60年代半ばから、ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー・アンド・フレンズ、デレク&ザ・ドミノスと、その都度輝かしい名声と素晴らしい業績を残してきた。

 そのクラプトンが1971年の途中から引きこもりを見せるようになったのだ。デレク&ザ・ドミノスの解散、親友であるデュアン・オールマンの事故死、ジョージ・ハリソンとその妻パティとの三角関係、そんな人間関係の複雑さや煩わしさと音楽的キャリアの行き詰まりなど諸々のことが原因で引きこもってしまった。

 単に引きこもるだけならともかく、コカインやヘロインというドラッグに手を出してしまい、ほとんど廃人になりかけていた。この時クラプトン28歳だった。
 当時のクラプトンは、アリスという女性と同棲をしていた。このアリスという人は上流階級出身で、父親はワシントンにあるイギリス大使館の元アメリカ大使も務めたサーの付く貴族だった。
 このハーレック卿という人は音楽に理解がある人で、ロック・ミュージックにも造詣が深く、エリック・クラプトンのことももちろん知っていた。

 世の中何が災いになり、逆に何が幸いするかわからないものである。エリック・クラプトンにとって幸いだったのは、ガールフレンドの父親がたまたま音楽に理解があり、そして娘とその恋人がドラッグ中毒だったから何とか助けてあげたいと思ったことだろう。

 もう一人クラプトンのことを心配していた人がいた。ザ・フーのピート・タウンゼントである。彼もまた古くからクラプトンと親交があり、クラプトンもまたピートのことを信頼していた。この引きこもり状態の時に、唯一連絡を取り合えることのできたミュージシャンがピート・タウンゼントだった。

 このハーレック卿とピート・タウンゼントのおかげで、このコンサートが企画され、メンバーが集められ、ロン・ウッドの家でリハーサルを行い、1月13日にコンサートが開かれた。ただ、引きこもり状態は約2年ほど続いたので、たった数回のリハーサルでは完全に復活することは無理があったようだ。81ihimf54zl__sl1084_

 この1月13日には18:30スタートの第1部と、20:30スタートの第2部の2回の公演だったが、やはり1回目の時のクラプトンの状態はあまり芳しいとは言えず、むしろまだリハーサル状態に近いものだったようだ。だからアルバムには2回目の演奏のものを多く収録していた。

 ちなみに、レコードで(もちろん初期のCDでも)聞くことのできる6曲は次の曲だった。
1.Badge
2.Roll It Over
3.Little Wing
4.After Midnight
5.Presence of The Lord
6.Pearly Queen
 この6曲のうち、1回目のライヴで演奏された曲は"After Midnight"だけだった。また、エリック・クラプトンのボーカルは4曲だけで、"Presence of The Lord"、"Pearly Queen"の2曲ではオリジナルと同様に、スティーヴ・ウィンウッドが務めていた。

 6曲という収録数と4曲のクラプトンのボーカルを聞いて、これでクラプトンが戻ってきたと安堵したファンは少なかっただろう。むしろ、逆に、これからクラプトンは大丈夫だろうかと不安に思った人の方が多かったのではないだろうか。

 自分も不安に思ったし、このアルバムを購入してむしろ損をした気分になっていた。ところが1995年に、当日のステージのほぼ完全盤が発表されたのだ。71np5pp0wl__sl1242_
 これはオリジナルの6曲に8曲も追加収録をされていて、さらに当日のライヴのほぼ演奏順に配置されていた。これはもう自分にとっては、欣喜雀躍、狂喜乱舞、完全跳躍?、とにかくオリジナルの倍以上の73分49秒も聞くことができたのである。この時に追加された曲は、次の8曲だった。
1.Layla
2.Blues Power
3.Bottle of Red Wine
4.Bell Bottom Blues
5.Tell the Truth
6.Key to the Highway
7.Let It Rain
8.Crossroads
 
 このリストを見れば、むしろこちらの8曲の方が華があり、演奏も期待できそうな気がする。ちなみに、この8曲の中で第1部で演奏された曲は"Bell Bottom Blues"だけであり、逆に、第2部でしか演奏されなかった曲は、オリジナルの6曲分も含めて、ブルーズの名曲である"Key to the Highway"だけだった。

 また、実際のライヴでは"Nobody Knows You When You're Down And Out"も演奏されたそうだが、こちらもスティーヴ・ウィンウッドがボーカルを務めているためか、収録されていない。確かに、クラプトンのためのコンサートなのだから、スティーヴばかりがそんなに目立っちゃいけないよね。

 世の中には、この時の2回分のライヴの完全盤がブートレッグとして出回っているようだが、それだけこの時の演奏を聴きたいという熱心なファンが多くいるのだろう。需要は未だ尽きないようだ。

 余談だが、この時のメンバーはクラプトンの他には、ギターにロン・ウッドとピート・タウンゼント、ベース・ギターにリック・グレッチ、キーボードはスティーヴ・ウィンウッド、ドラムスにはジム・キャパルディとジミー・カーシュタイン、パーカッションにリーバップというミュージシャンたちだった。A0054043_16135454
 また、当日の聴衆の中にはジョージ・ハリソンにジミー・ペイジ、エルトン・ジョン、ジョー・コッカーなどの有名人もいたと伝えられている。

 エリック・クラプトンはこのコンサートをきっかけに自信を取り戻し、ドラッグ中毒の治療を開始して、約1年後には「461オーシャン・ブールヴァード」という名盤を携えて見事完全復活を遂げるようになるのだが、ある意味、彼の人生の転機となった記念碑的ライヴ・アルバムといってもいいのではないだろうか。

 おそらく今は、この8曲を追加した計14曲の「レインボー・コンサート」のCDしか出回っていないと思うのだが、私のような昔からのファンからすれば、よくぞこのアルバムを出してくれたと当時のポリドール・レコードに感謝しているに違いない。

 最後に、この日のクラプトンは、第1部で“ブラッキー”という愛称の黒のフェンダー・ストラトキャスターを、第2部では赤のレスポールを演奏したという。この時の写真を見れば、第1部か第2部かの違いが分かるはずである。Hqdefault

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