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2018年10月 1日 (月)

レインボー・コンサート

 レッド・ゼッペリン、ディープ・パープルとくれば、次はブラック・サバスかクリームか、ということになるのかもしれない。それで今回はエリック・クラプトンのライヴ・アルバム、「レインボー・コンサート」の登場だ。

 “レコードの時は貧弱だったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズ第3弾は、1973年1月13日に行われたライブ盤である。
 最初のアルバムは同年の9月に発表されたが、全6曲の34分48秒しかなかった。自分も80年代に再発されたレコードを購入して聞いたものだが、非常に物足りずに、これでいいのかクラプトンと愚痴ったものだった。516hcje3pl

 6曲しか収録しなかったというよりも、収録できなかったといった方が正確だろう。何しろこの時のクラプトンは、ヘロインの後遺症が続いていたし、引きこもりからやっと出てきた状態だった。だからギター演奏もキレがなく、ボーカルも伸びがなかった。

 ご存知のように、エリック・クラプトンは60年代半ばから、ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー・アンド・フレンズ、デレク&ザ・ドミノスと、その都度輝かしい名声と素晴らしい業績を残してきた。

 そのクラプトンが1971年の途中から引きこもりを見せるようになったのだ。デレク&ザ・ドミノスの解散、親友であるデュアン・オールマンの事故死、ジョージ・ハリソンとその妻パティとの三角関係、そんな人間関係の複雑さや煩わしさと音楽的キャリアの行き詰まりなど諸々のことが原因で引きこもってしまった。

 単に引きこもるだけならともかく、コカインやヘロインというドラッグに手を出してしまい、ほとんど廃人になりかけていた。この時クラプトン28歳だった。
 当時のクラプトンは、アリスという女性と同棲をしていた。このアリスという人は上流階級出身で、父親はワシントンにあるイギリス大使館の元アメリカ大使も務めたサーの付く貴族だった。
 このハーレック卿という人は音楽に理解がある人で、ロック・ミュージックにも造詣が深く、エリック・クラプトンのことももちろん知っていた。

 世の中何が災いになり、逆に何が幸いするかわからないものである。エリック・クラプトンにとって幸いだったのは、ガールフレンドの父親がたまたま音楽に理解があり、そして娘とその恋人がドラッグ中毒だったから何とか助けてあげたいと思ったことだろう。

 もう一人クラプトンのことを心配していた人がいた。ザ・フーのピート・タウンゼントである。彼もまた古くからクラプトンと親交があり、クラプトンもまたピートのことを信頼していた。この引きこもり状態の時に、唯一連絡を取り合えることのできたミュージシャンがピート・タウンゼントだった。

 このハーレック卿とピート・タウンゼントのおかげで、このコンサートが企画され、メンバーが集められ、ロン・ウッドの家でリハーサルを行い、1月13日にコンサートが開かれた。ただ、引きこもり状態は約2年ほど続いたので、たった数回のリハーサルでは完全に復活することは無理があったようだ。81ihimf54zl__sl1084_

 この1月13日には18:30スタートの第1部と、20:30スタートの第2部の2回の公演だったが、やはり1回目の時のクラプトンの状態はあまり芳しいとは言えず、むしろまだリハーサル状態に近いものだったようだ。だからアルバムには2回目の演奏のものを多く収録していた。

 ちなみに、レコードで(もちろん初期のCDでも)聞くことのできる6曲は次の曲だった。
1.Badge
2.Roll It Over
3.Little Wing
4.After Midnight
5.Presence of The Lord
6.Pearly Queen
 この6曲のうち、1回目のライヴで演奏された曲は"After Midnight"だけだった。また、エリック・クラプトンのボーカルは4曲だけで、"Presence of The Lord"、"Pearly Queen"の2曲ではオリジナルと同様に、スティーヴ・ウィンウッドが務めていた。

 6曲という収録数と4曲のクラプトンのボーカルを聞いて、これでクラプトンが戻ってきたと安堵したファンは少なかっただろう。むしろ、逆に、これからクラプトンは大丈夫だろうかと不安に思った人の方が多かったのではないだろうか。

 自分も不安に思ったし、このアルバムを購入してむしろ損をした気分になっていた。ところが1995年に、当日のステージのほぼ完全盤が発表されたのだ。71np5pp0wl__sl1242_
 これはオリジナルの6曲に8曲も追加収録をされていて、さらに当日のライヴのほぼ演奏順に配置されていた。これはもう自分にとっては、欣喜雀躍、狂喜乱舞、完全跳躍?、とにかくオリジナルの倍以上の73分49秒も聞くことができたのである。この時に追加された曲は、次の8曲だった。
1.Layla
2.Blues Power
3.Bottle of Red Wine
4.Bell Bottom Blues
5.Tell the Truth
6.Key to the Highway
7.Let It Rain
8.Crossroads
 
 このリストを見れば、むしろこちらの8曲の方が華があり、演奏も期待できそうな気がする。ちなみに、この8曲の中で第1部で演奏された曲は"Bell Bottom Blues"だけであり、逆に、第2部でしか演奏されなかった曲は、オリジナルの6曲分も含めて、ブルーズの名曲である"Key to the Highway"だけだった。

 また、実際のライヴでは"Nobody Knows You When You're Down And Out"も演奏されたそうだが、こちらもスティーヴ・ウィンウッドがボーカルを務めているためか、収録されていない。確かに、クラプトンのためのコンサートなのだから、スティーヴばかりがそんなに目立っちゃいけないよね。

 世の中には、この時の2回分のライヴの完全盤がブートレッグとして出回っているようだが、それだけこの時の演奏を聴きたいという熱心なファンが多くいるのだろう。需要は未だ尽きないようだ。

 余談だが、この時のメンバーはクラプトンの他には、ギターにロン・ウッドとピート・タウンゼント、ベース・ギターにリック・グレッチ、キーボードはスティーヴ・ウィンウッド、ドラムスにはジム・キャパルディとジミー・カーシュタイン、パーカッションにリーバップというミュージシャンたちだった。A0054043_16135454
 また、当日の聴衆の中にはジョージ・ハリソンにジミー・ペイジ、エルトン・ジョン、ジョー・コッカーなどの有名人もいたと伝えられている。

 エリック・クラプトンはこのコンサートをきっかけに自信を取り戻し、ドラッグ中毒の治療を開始して、約1年後には「461オーシャン・ブールヴァード」という名盤を携えて見事完全復活を遂げるようになるのだが、ある意味、彼の人生の転機となった記念碑的ライヴ・アルバムといってもいいのではないだろうか。

 おそらく今は、この8曲を追加した計14曲の「レインボー・コンサート」のCDしか出回っていないと思うのだが、私のような昔からのファンからすれば、よくぞこのアルバムを出してくれたと当時のポリドール・レコードに感謝しているに違いない。

 最後に、この日のクラプトンは、第1部で“ブラッキー”という愛称の黒のフェンダー・ストラトキャスターを、第2部では赤のレスポールを演奏したという。この時の写真を見れば、第1部か第2部かの違いが分かるはずである。Hqdefault


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コメント

クラプトンとピート・タウンゼントとロン・ウッドがこんな形でつながっていたんなんて初めて知りました。素晴らしい取材力ですね。

投稿: ローリングウエスト | 2018年10月 3日 (水) 20時06分

 コメントありがとうございます、ローリングウエスト様。これからもよろしくお願い致します。
 クラプトンが元気であれば、ギタリストはクラプトン一人でよかったでしょうが、やはり本調子でなかったせいか、ピートとロンも加わって演奏していました。

 ロンはまだストーンズ加入前でフェイセズにいましたが、基本的にフェイセズはロッド・スチュワートのバンドだったので、ある程度自由がきいたのでしょうね。もちろん声をかけたのはピート・タウンゼントだったようです。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2018年10月 3日 (水) 23時50分

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