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2018年11月

2018年11月26日 (月)

ライヴ・アット・武道館

 「ライヴ・イン・ジャパン」というアルバムや名称を有名にしたバンドは、やっぱりディープ・パープルだと思っている。このブログの「ライヴ・イン・ジャパン」の項でも記したけれど、彼らは最初は日本国内限定アルバムとしてしか考えていなかった。
 ところが、あまりにもこのアルバムの出来が良かったので、彼らは世界販売を決意し、その結果、2枚組ライヴ・アルバムとしては破格の売上げを記録し、結果的に「ライヴ・イン・ジャパン」という名称も広まっていったのだ。

 それと同様に、「ライヴ・アット・武道館」というアルバムや名称を有名にしたバンドは、チープ・トリックだと思っている。彼らは、ディープ・パープルと同様に、いやそれ以上に、このアルバムをきっかけに世界的なバンドに成長したからだ。

 武道館でライヴを行ったバンドやミュージシャンは、それまでにも数多く存在した。1966年にはあのザ・ビートルズも公演を行い、その模様は今でもビデオやDVD、CDなどの映像や音響作品で確認することができる。
 しかし、そのザ・ビートルズでさえも“武道館”という名前を世界的に有名にすることはできなかった。記録媒体として、公式には世界的に発表しなかったからだ。

 それをチープ・トリックは、やってしまった。彼らは1977年に、アルバム「チープ・トリック」でデビューしたものの、さっぱり売れなかった。続くセカンド・アルバム「蒼ざめたハイウェイ」は、アルバム・チャートの73位と何とか顔を出した程度だった。
 そして、日本に来る直前に発表したアルバム「天国の罠」は、バンドの良質なパワー・ポップな側面が発揮されたせいか、バンドはやっと認知されるまでになったという状況だった。

 だから、アメリカでは彼らは営業に次ぐ営業、つまり日夜を問わず、演奏できるところがあればどこでも、例えば小さなクラブやスーパーマーケットのホールでも、巡業をして回っていた。18877
 ところが、極東の小さな国では、彼らは、クィーン、キッス、エアロスミスに次いで、徐々に注目を集め始め、ついにはそれらの先輩格のバンドと並ぶほどの人気を獲得していったのである。

 当時の様子を振り帰りながら、ボーカルのロビン・ザンダーはこのように述べていた。「70年代の日本では、バンドの外見がより重要視された。バンドの個性がはっきりしている方がウケがよかった。だから個性に富んでいたチープ・トリックやキッスが日本では人気があった。彼らはすぐに僕らを受け入れてくれたんだ」

 また、当時の音楽雑誌の編集長だった東郷かおる子氏は、ローリングストーン誌の取材に対して、「それまで一番人気があったのがキッスやクィーンだったけれど、彼らはビッグになりすぎた。何か新しいものをみんなは求めていた」と答えている。

 1978年の4月下旬に、彼らは初めて日本にやってきた。もちろん日本で公演をするためだが、その中にはあの日本武道館が含まれていた。
 「エコノミークラスの窓から外を眺めていると、5000人ぐらいの人が飛行場の建物の上にいるのが見えたんだ。凄い有名人がこの飛行機に乗っているんだと思った。でも、飛行機を降りたら自分達だったいうことが分かったんだ」と、リード・ギタリストのリック・ニールセンは述べていたが、本国アメリカと異国日本との人気の違いに驚いたことだろう。

 また有名な話として、ロビン・ザンダー首刺し事件があった。手にはさみを持った女の子がロビンの髪の毛を切ろうとして、間違って首の後ろを思いっきり刺してしまったというものだった。実際はそんなに大げさなものではなくて、追いかけられたということらしかったが、怖い思いをしたことは間違いないだろう。ただロビンは、1週間はザ・ビートルズになった気分を味わうことができたとも語っていた。

 当時の日本では、CBSソニーがEPICソニーと2つに分かれるところであり、そのEPICソニー・レーベルの意向で、4月27日の 大阪厚生年金会館と、28日と30日の日本武道館の公演がライヴ・アルバム用として録音されている。
 これは余談だが、このチープ・トリックの武道館ライヴとボブ・ディランの武道館ライヴが、販売用アルバムとして、EPICソニーの設立記念のために用意されたものだった。

 そのライヴ・アルバム「ライヴ・アット・武道館」は、その年の10月に日本国内のみで発表された。このアルバムは、全10曲、約42分に編集されていて、過去3枚のスタジオ・アルバムからの曲や新曲、ジョン・レノンも歌ったファッツ・ドミノの"Ain't That A Shame"のカバー・ヴァージョンも含まれていた。81hbgtx9zl__sl1220__2
 このアルバムは、日本では当然のこと売れたが、アメリカでも最初は輸入盤がプロモーション・アルバムとして発売されて、これが7万枚以上も売れたことから、翌年の2月には正式なライヴ・アルバムとして発売された。(当時は史上最も売れた輸入盤といわれていた)
 しかもこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートで4位になり、約300万枚以上も売れ、彼らの最大のヒット作になってしまった。その結果、1979年度のビルボード年間アルバム・チャートでは13位に認定されている。

 ちなみに1994年には、このアルバムの続編「ライヴ・アット・武道館Ⅱ」が発表された。実は、実際の来日公演では19曲が演奏されていて、「ライヴ・アット・武道館」に収録できなかった9曲と1979年の日本ツアーからの3曲("Stiff Competition"、"How Are You?"、"On Top Of The World")の計12曲が約52分に編集されていた。はっきりいって企画盤以外の何物でもなく、話題にはなったものの商業的な成果を得ることはできなかった。Cheap_trick_budokan_ii
 そして、1998年には「ライヴ・アット・武道館」発表20周年記念ということで、2枚組の完全盤が発表された。これは当時の来日公演における19曲をセットリスト順に並べたもので、実際のライヴと同じ雰囲気が味わえるというキャッチコピーだった。81rqx5udrql__sl1203_
 また、その10年後の2008年には今度は30周年記念ということで、4月28日の武道館における演奏を楽曲と映像の2種類にパッケージしたものが発表された。61wd7gnvnhl つまり、CDとDVDである。DVDには、当時テレビで放送されたものをDVD化したもので、まさに昇り竜のような勢いのある若い彼らを見ることができる。これぞ歴史的な記録映像といっていいだろう。81nk3jqvzl__sl1500_
 その後も、2017年にはデビュー40周年ということで、紙ジャケットの「ライヴ・アット・武道館」が発表されていて、1978年の武道館での19曲に翌79年の武道館でのライヴ3曲がボーナストラックとして追加されていた。この3曲とは、「ライヴ・アット・武道館Ⅱ」に収められた曲と同じであり、リマスタリングしたものであった。

 このように手を変え品を変え、「ライヴ・アット・武道館」は発表されている。それだけ彼らにとっては意義のあるアルバムであり、記念碑的な作品なのだ。そして、これこそがアメリカ的商業主義であり、音楽業界におけるプラグマティズムの具象化なのだろう。
 「武道館が俺たちを有名にし、俺たちが武道館を有名にしたんだ」とリックは言ったが、10年ごとに発表されるライヴ・アルバムというのも他にはないと思われる。51prmrbh2wl
 チープ・トリックの人気は、その後も毀誉褒貶というか、上昇と下降を繰り返している。80年代に入ると低迷するが、1987年に一度脱退したベーシストのトム・ピーターソンが復帰すると人気が再上昇し、「永遠の愛の炎」はチャートの16位になり、アルバムはプラチナ・ディスクに認定された。

 ところが、90年代以降は、今まで合計2000万枚以上のアルバム売上を記録したバンドとは思えないほど売れなくなってしまった。
 たぶん、バンド内の内輪もめが原因で、アルバム制作にも精彩を欠いていたのだろう。あくまでも噂ではあるが、ドラマーのベン・E・カルロスとボーカルのロビン・ザンダーの仲が悪いと言われていたが、真相はどうなのだろうか。

 ただ、最近の2作「バン、ズーム、クレイジー...ハロー」と「ウィア・オール・ライト!」では持ち直している。リックの息子のダックスがドラムを叩いていて、バンド内がまとまったからだろう。
 今年は武道館40周年記念ということで、ジャパン・ツアーを行ったが、リックの体調が悪く、医者から長距離での移動を禁止されたため、一部公演がキャンセルされ、振替公演が行われた。その時は、ロビンの息子ロビン・テイラー・ザンダーもセカンド・ギタリストとして参加していた。リックの健康面での不安があったからだろう。

 オリジナル・メンバーは、まだ60歳代の後半だ。こうなったら、“武道館50周年”の記念ライヴ、記念アルバム発表を目指して、親子2代バンドでも構わないので、まだまだ頑張ってほしいと思っている。

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2018年11月19日 (月)

ロータスの伝説

 これは何となくだけど、ブリティッシュ・ロックのアルバムよりはアメリカン・ロックのアルバムの方が、商売上手というか、金銭感覚に優れているというか、要するに金儲けが上手なような気がする。
 これはあくまでも個人的な感覚なので根拠も何もないのだが、それだけサービス精神があるというか、アメリカという国に特有のプラグマティズムの影響なのかもしれない。

 それで、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズ第10弾は、前回のバンド・オブ・ジプシーズまではいかないけれども、それでもリスナーにサービスを提供しているといってもいい3枚組アルバム「ロータスの伝説」である。317lj5nozfl
 ご存知、サンタナが1973年に来日したときのライヴ・アルバムで、7月3日と4日の大阪厚生年金会館でのステージの様子が収められていて、発表は翌74年の5月だった。
 当初は、日本限定の3枚組LPレコードとして発売されたが、あまりにもその出来栄えがよかったので、のちに欧米でも発売された。この辺はディープ・パープルの「ライヴ・イン・ジャパン」の経緯に似ている。

 この時の来日公演は、サンタナにとっては2度目であり、彼らは6月25日月曜日に福岡に到着して、27日の九電記念体育館でのライヴから7月14日土曜日に再び福岡から離陸するまで、7か所12公演を行っている。
 大阪公演は、7月2日から4日まで行われていて、来日公演のほぼ中日にあたり、彼らの演奏も慣れてきたころだと思われる。

 3枚組のLPレコードでは、サイド1の1曲目"Meditation(瞑想)"からサイド6の"Incident at Neshabur"まで全23曲が収められていた。時間にして約121分で、約2時間のサンタナの熱気あふれるステージを堪能することができた。

 ところが1991年に、このライヴ・アルバムがCD化されると、なぜか22曲になっていた。それは約1分余りの冒頭の"Meditation"がカットされていて、いきなり1973年のスタジオ・アルバム「ウェルカム」の中の曲"Going Home"で始まっていたからだ。611wf5fv9yl
 確かにこの"Meditation"は、楽曲ではなくて、その名の通りメンバー全員で“瞑想”して呼吸を合わせ、ライヴに臨もうというものだったから、無くても問題はないかもしれない。

 ただ、実際のライヴを再体験したい人や来日公演としての記録を味わいたい人にとってみれば、やはり完全版を求めるであろうし、その無音の1分間余りが、逆に緊張を高めてくれてスリリングな時間を味わえることができるのではないだろうか。

 もう一つの違いは、LPレコードでは21曲目の"Savor"が、1991年のCD化では"Mr.Udo"に代わっていた。この"Mr.Udo"とは招聘元のウドー音楽事務所の社長さんのことだった。(曲順も最後の方では1曲だけLPレコードとは違っていたけど、詳細は省略することにする)

 ということで、誠に申し訳ないのだが、今回のこのシリーズのテーマである“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”は、このライヴ・アルバム「ロータスの伝説」にはそぐわないのである。

 まず、レコードの時からショボくなかった。この3枚組のレコードのデザインは、イラストレイターの横尾忠則氏が担当していて、22面体という変則ジャケットだった。カルロス・サンタナは、その22面体のアルバム・ジャケットを見た時、合掌して何も言うことはないと感激していたと言われている。それほどコンプリートな出来栄えだったのだ。71rt2vpxusl__sl1000_
 それに“CD化されてお買い得になった”かどうかは、その人の価値観によるだろう。確かに1991年のCD化については、2枚組で、1曲減とはいえほぼ完全版に近かったし、あまりこだわりがなければ、特に問題はないと思われる。

 また、2006年には3枚組紙ジャケットCD全23曲として、ジャケットも含めて、LPレコードを再現したものになっていた。
 しかし、確かに音質は向上したかもしれないが、逆に、LPレコードのアルバム・ジャケットの方が大きく迫力があって、視覚的にも優れているのではないかと感じた。

 自分は2006年の紙ジャケットCDを所有しているのだが、変則ジャケットは本当に素晴らしいし、見ごたえがあるものの、これがレコード・サイズだったらもっと印象的だっただろうと思っている。

 むしろ“CD化されてお買い得になった”といえるのは、2017年に発表された「ロータスの伝説 完全版 -Hybrid 4.0-(完全生産限定盤)」だろう。511xe5g1zl_2
 この3枚組CDは高音質SACDハイブリッド盤になっており、未発表の7曲を含む全30曲で、約36分ボリュームアップされていた。しかも、当日と同じ演奏順に収められていて、これはもう目を閉じて聞けば、目の前でサンタナが演奏しているようなものだった。

 未発表の6曲とは、以下のものである。(数字は通しでの曲順を表す)
ディスク1
  8.Japan
  9.Bambele
10.Um Um Um
ディスク2
22.Light of Life
ディスク3
26.The Creator Has a Master Plan
27.Savor
28.Conga Solo

 発表当時は8000円近くもして、なかなか高価だったが、中古盤では半額近くになっているようだ。興味関心のある方は、手に入れても損はないと思う。61ub3c6acsl_2
 最後に、このSACDの3枚組「ロータスの伝説」は、日本限定発売である。商魂たくましいのはアメリカではなくて、実は日本の方かもしれない。
 またこのCDは、アルバム・ジャケットのみならず、レコーディング方法や再生技術をも含めたトータルな意味で、日本が世界に誇れる芸術作品であり、歴史的な音響記録物だと思っている。
 日本の製造業は、いまだに世界を牽引する技術を有しているのである。

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2018年11月12日 (月)

バンド・オブ・ジプシーズ

 今回の“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズ第9弾は、今までとはちょっと趣が違ってくる。「CD化されてお買い得になったアルバム」という部分は正しいかもしれないが、「お買い得になった」という前に、果たしてCD化が適切だったのかどうかが問われてくるのではないかと考えている。

 そのアルバムというのが、ジミ・ヘンドリックスの「バンド・オブ・ジプシーズ」である。ジミ・ヘンドリックスが自分名義のライヴ・アルバムとして、生前に唯一許可したライヴ盤ともいわれている。
 ただこのアルバムは、今では「ライヴ・アット・ザ・フィルモア」として知られていて、それこそ何種類も世の中に出回っているのである。51lj5mpysml
 まず最初に、ジミ・ヘンドリックスが同じアフリカ系アメリカ人のベーシスト(ビリー・コックス)とドラマー(バディ・マイルス)の3人で結成したバンド名が、“バンド・オブ・ジプシーズ”だった。
 彼らは、ジミ・ヘンドリックスが1969年8月に出演したウッドストック・コンサートの後に結成されたバンドで、それまでのリズム・セクションがヨーロッパ系アメリカ人だったのが3人ともアフリカ系アメリカ人に代わったため、今までよりもよりブルーズ色やファンキーさがサウンドに表れていた。

 それで彼らはお披露目ライヴとして、1969年の12月31日と翌日の1970年1月1日に、ニューヨークのフィルモア・イーストで行われたニュー・イヤーズ・コンサートをライヴ録音し、アルバムとして発表した。1970年の4月のことである。
 この2日間のライヴでは、1日2回の公演だったから、彼らは計4回ステージを務めたことになる。

 それでこのアルバム「バンド・オブ・ジプシーズ」には6曲が収められていて、その6曲とは次の曲だった。
1.Who Knows
2.Machine Gun
3.Them Changes
4.Power of Love
5.Message to Love
6.We Gotta Live Together
 この6曲は、すべて1月1日の2回分のステージから録音されたものである。また、この時のジミは、新メンバーに満足していて、特にドラムス担当のバディ・マイルスは曲も書けて歌も歌えるということで、このライヴ盤でも"Them Changes"、"We Gotta Live Together"を書き、"Them Changes"と"Stop"では渋いボーカルを披露している。(正確に言うと、他の曲でもジミと一緒に歌っているものもあった)

 それにこの時のステージ写真を見ればわかるように、ステージの真ん中にバディ・マイルスのドラムスがセットされて、その両サイドにギタリストのジミとベーシストのビリー・コックスが佇んでいた。だから、ジミ・ヘンドリックスのワンマン・バンドではなくて、3人が平等に存在するということをアピールしていたようだ。71sm6qaz3zl__sl1076_
 ところが、1986年には「バンド・オブ・ジプシーズ2」というアルバム(レコード)が発表されて、これはまさにジミ・ヘンドリックスの知名度を利用した便乗商法アルバムだった。

 例えば、アルバム6曲中3曲はフィルモア・イーストの音源だったが、サイドBの3曲はバンド・オブ・ジプシーズ解散後の音源で、"Voodoo Child"は1970年7月のアトランタ・ポップ・フェスティバル、"Stone Free"と"Ezy Rider"は同年5月のバークレー公演で収録されたものだった。だから、バンド・オブ・ジプシーズとはメンバーが違っていたから、正確にはバンド・オブ・ジプシーズとは関係がないのである。

 それで、CD化されたときには、最初は当初の6曲入りCDだったが、1991年にその6曲と「バンド・オブ・ジプシーズ2」の最初の3曲を収録した9曲入りのアルバムが発表された。追加された3曲は次の曲だった。
7.Hear My Train A Comin'
8.Foxy Lady
9.Stop
 この3曲は、1969年と70年のステージに演奏されたものだったから、このアルバム9曲には整合性があった。ここまでは“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズに適していると思っている。51slzylpl
 さて、問題はここからである。ジミ・ヘンドリックスのアルバムの権利関係は非常に複雑で、歴代のマネージャーやレコード会社が権利関係を主張していたが、1990年代の半ばに遺族が裁判を起こし、権利関係を一本化することに成功した。そして生まれたのが「エクスペリエンス・ヘンドリックス社」で、そこで著作権などを管理するようになった。

 そして1999年に、2日間のフィルモア・イーストのライヴ曲を収録した「ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト」という2枚組CDが発売された。
 このアルバムには2枚組ということで16曲が収められていて、そのうち未発表ライヴ曲が13曲も含まれていたのである。51gzvg8joul
 ただし、未発表曲といってもこの2日間の全ての曲が披露されているわけではなかった。ちなみに既発表の曲は"Hear My Train A Comin'"、"We Gotta Live Together"、"Stop"の3曲で、いずれもリマスターされており、そのうちの"We Gotta Live Together"は以前よりも4分ほど長い完全版だった。

 また、ディスク1もディスク2も12月31日と1月1日の曲が入り混じっていて、どうしてこういう構成になったのかがよくわからない。ただ、やはり初日よりも2日目の方が演奏が慣れてきていて、ジミの演奏も気合が入っているように聞こえてくる。

 確かにファンならぜひ聞きたいと思うような内容だったし、事実、自分も購入してしまった。当時のジミ・ヘンドリックスの意気込みというか、気合を知る上でも貴重な資料となるアルバムだと思う。E5b7fa508
 ただ自分もそうだけれど、ファンならばどうしても完全版を聞きたいという欲求が生まれてくる。しかもこうして未発表曲が出てくるのであれば、他の曲も収録されていたことは間違いないということで、ますます気持ちが高まってくるだろう。

 こうなると純粋に音楽を楽しむというよりは、記録を確かめるというか、その時代性を共有したいという気持ちの方が強くなるような気がしてしまう。あるいは、その両方だろう。
 そういうファン意識につけ込んで、いやいや、ファン意識に寄り添った営業方針をエクスペリエンス・ヘンドリックス社は行っているようだ。だから2枚組の「ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト」が世に出たのだろう。

 しかもメインのプロデューサーはエディ・クレイマーだったから、音質的には全く問題はないし、生前のジミ・ヘンドリックスとも仕事をしていたから、ジミの意思や考え、音楽的な方向性なども理解していただろう。そのエディがプロデュースしているのであれば、ジミの思惑にも叶うはずだ。ファンならずともそう思うだろう。

 そんな期待に答えて発表されたのが、2007年の6枚組ボックス・セット「2ナイツ・アット・ザ・フィルモア・イースト」だった。これは全世界2000セットの限定販売で、日本では800セットしか割当てがないという触れ込みだったが、本当だったのだろうか。国内盤は税込み価格が12960円だった。612jy1v4sl
 これは2日間4回のステージの全48曲(MCなどを含む)が収録されていて、ファンにとっては、まさに家宝というものだろう。
 ただし、これにはエクスペリエンス・ヘンドリックス社は関わっていないため、音質はあまりよくない。ブートレッグに近いものだろうが、その分、実際のライヴの雰囲気に近くて、荒々しいジミのギター・サウンドやソウルフルなバディ・マイルスのボーカルを味わうことができる。“実況録音盤”という言葉本来の意味に近いサウンドだろう。

 こういうブートレッグまがいの商品を世に流通させないためにエクスペリエンス・ヘンドリックス社があるわけで、その対策として、2016年にはエディ・クレイマーもプロデューサーの1人としてクレジットされたアルバム「マシン・ガン:ザ・フィルモア・イースト・ファースト・ショウ」が販売された。61qjk3cwhbl
 これは12月31日の1枚目のステージの全曲を演奏順に収録した完全盤で、全11曲、時間にして約70分余りのライヴ盤だった。ちなみに収録曲は以下のとおりである。
1.Power of Soul
2.Lover Man
3.Hear My Train A Comin'
4.Them Changes
5.Izabella
6.Machine Gun
7.Stop
8.Ezy Rider
9.Bleeding Heart
10.Earth Blues
11.Burning Desire

 見てわかるように、"Hey Joe"や"Purple Haze"のような代表曲は収められておらず、彼ら3人が“新人バンド”としてデビューしたような選曲がなされている。その時はそれだけの意気込みがあったのだろう。Machinegunjimihendrixmachinegunthee
 そして、1回目のステージの完全盤が出されたのだから、当然次は2回目から4回目までの様子がCDとして順次発表されるのだろう。2回目や4回目などは曲数が多いので2枚組になるのだろう。なかなか商魂がたくましいと思うのは、私だけだろうか。

 いずれにせよ、完全盤が良質の音質で聞くことができるのであれば、ファンならずとも有り難いことだろう。
 ただ、個人的には、このフィルモア・イーストでのライヴのエッセンスは、CD化されてお買い得になったアルバムよりも、最初のレコードの6曲分だと思っているのである。

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2018年11月 5日 (月)

リトル・フィートのライヴ・アルバム

 このライヴ・アルバムは必需品だ。一家に一枚といってもいいかもしれない。しかも、オリジナル・バージョンよりもはるかにボリュームアップしているではないか。まさに必聴盤であり、必携盤だと思っているし、これは自分一人だけの思いではないと感じている。

 このリトル・フィートのライヴ・アルバムである「ウェイティング・フォー・コロンブス」のオリジナル・レコードは、1978年に発表された。リトル・フィートに詳しい人はよくわかると思うけれど、ほぼオリジナル・メンバーによるアルバムでは、最後になったものである。

 リトル・フィートは、1969年にロサンゼルスで誕生した。中心メンバーは、スライド・ギターの名手、ローウェル・ジョージだった。彼は、それまでフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションに所属していたから、かなりの才能とテクニックを身に着けていたことは間違いないだろう。A1qsbviwgdl__sl1000__2
 その後、多少のメンバーの出入りはあったものの、1971年にデビュー・アルバムを世に出すと、72年には「セイリン・シューズ」を、73年には「ディキシー・チキン」を発表した。
 この2枚のスタジオ・アルバムは、彼らの全盛期を象徴するアルバムだと思っていて、自分は今でも愛聴している。

 彼らの音楽性はその時々で多少の変貌を備えていて、それだけ多様な音楽性を秘めていると言えるだろう。ただ、基本はサザン・テイストを持ったロックン・ロールとニューオーリンズ・ジャズやブルーズの要素を兼ね備えていて、泥臭いようで同時に都会的なセンスも含むサウンドを奏でていた。

 ただ、リトル・フィートは、徐々にR&Bやジャズ、フュージョン色を深めていき、リーダーのローウェル・ジョージの考える音楽観とはずれが生じてきたようで、70年代の終わりに彼は、ソロ・アルバム「特別料理」を発表してバンドの解散を宣言してしまった。

 この彼のソロ・アルバムについては、以前のこのブログの中でも述べていたので重複は避けるが、当時流行していたアダルト・オリエンティッドなアメリカン・ロックをやっていて、明らかにリトル・フィートとは違う音楽観だった。
 ただ、その時にはすでにドラッグに侵されていたようで、個人的には正確な判断力も失われていたのではないかと思っている。そして、残念ながらローウェル・ジョージは、帰らぬ人となってしまったのだ。Lowell_george2_2013144c
 なので、残されたメンバーは、追悼盤の「ダウン・オン・ザ・ファーム」を発表した後、本当に解散してしまったのだが、1988年には再結成して、メンバー・チェンジを繰り返しながら現在もなお活動を続けている。

 それで、今回のお題は彼らのライヴ・アルバムなのだ。1978年の発表だから、ローウェル・ジョージの中では、これを機にバンド活動に一区切りをつけるというか、バンドの解散も視野に入れていたのだろう。

 そのライヴ・アルバム「ウェイティング・フォー・コロンブス」であるが、1978年のオリジナル・レコードでは2枚組だった。
 その後、80年代後半にCD化されたときは、1枚組になっていて、しかも全14曲74分で、レコードと比べて"Don't Bogart That Joint"、"A Apolitical Blues"の2曲がカットされていた。

 自分はもちろん所有していたのだが、レコードの方は持っていなかったので、何とか完全盤を聞きたいとかねてから思い続けていて、しばらくはそれを購入する機会をうかがっていた。
 そして、2008年に念願かなって完全盤が発表されたのだ。しかも驚くなかれ、リマスターされたうえでの2枚組、全27曲、合計約138分に増量されていて、最初のCDに比べて約2倍近くにも膨れ上がっていた。51xqyoglawl
 これはもうロック・ファンなら即購入すべきものであり、実際に購入しようと思ったのだが、3780円もするものだから、アマゾンで調べて少しでも安い中古盤を探し出してきて購入した。貧乏性は変わらない。
 しかも、未発表曲が10曲も含まれていて(ただしそのうちの3曲は1981年のベスト盤「軌跡」に収録されていた)、これはもう自分にとっては、マスト・バイ・アイテムなのである。

 そしてまたこのアルバムは、1977年のライヴ公演から収録されていて、ロンドンの当時のハマースミス・オデオンとワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学内にあるライズナー・オーディトリアムでの演奏が収められていた。
 また、タワー・オブ・パワーのホーン・セクションが全編にわたってバックアップしていて、迫力のある演奏とキレのあるリズムを堪能することができる。

 これはもうロック史の中でも10本の指の中に入るライヴ・アルバムだと思っているし、全盛期の彼らの様子を知るだけでなく、今でも十分に通じる最高でファンキーなロックン・ロール・ショウを味わうことができるのだ。

 1曲1曲が彼らの極上の代表曲であるとともに、それらが27曲もあるのだから、これはもうお腹いっぱい、目の前で実際にライブが繰り広げられているような錯覚に陥ってしまう。
 特に、ローウェル・ジョージのスライド・ギター、ビル・ペインのR&B感覚に満ちたキーボード・プレイ、リッチー・ヘイワードのパワフルなドラミング、そんな彼らが一丸となって演奏するから、悪かろうはずがない。そんな素晴らしいライヴ・アルバムなのだ。

 ところで、彼らのアルバム・ジャケットは、1972年の「セイリン・シューズ」以来はネオン・パークという人が主に手掛けていて、一般的にはこのアルバム・ジャケットの描かれている“ハンモックで揺られるトマトがコロンブスを待っている”というアルバム・ジャケットがアルバムのタイトルと結びついていると言われている。51ldqlr8yzl_2
 だから何なんだと言われるかもしれないが、いろいろと他にも解釈の余地があるというところに、彼らのアルバム・ジャケットの魅力みたいなものもあるのだろう。

 というわけで、もしあなたがアメリカン・ロックの、特にニューオーリンズ・サウンドやR&B、それらのミクスチャー・ロックなどが好きなら、ぜひ一度はこのライヴ・アルバムに耳を傾けた方がいいと思う。彼らは、いまのレッド・ホット・チリ・ペッパーズの元祖かもしれないのだ。

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