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2018年11月26日 (月)

ライヴ・アット・武道館

 「ライヴ・イン・ジャパン」というアルバムや名称を有名にしたバンドは、やっぱりディープ・パープルだと思っている。このブログの「ライヴ・イン・ジャパン」の項でも記したけれど、彼らは最初は日本国内限定アルバムとしてしか考えていなかった。
 ところが、あまりにもこのアルバムの出来が良かったので、彼らは世界販売を決意し、その結果、2枚組ライヴ・アルバムとしては破格の売上げを記録し、結果的に「ライヴ・イン・ジャパン」という名称も広まっていったのだ。

 それと同様に、「ライヴ・アット・武道館」というアルバムや名称を有名にしたバンドは、チープ・トリックだと思っている。彼らは、ディープ・パープルと同様に、いやそれ以上に、このアルバムをきっかけに世界的なバンドに成長したからだ。

 武道館でライヴを行ったバンドやミュージシャンは、それまでにも数多く存在した。1966年にはあのザ・ビートルズも公演を行い、その模様は今でもビデオやDVD、CDなどの映像や音響作品で確認することができる。
 しかし、そのザ・ビートルズでさえも“武道館”という名前を世界的に有名にすることはできなかった。記録媒体として、公式には世界的に発表しなかったからだ。

 それをチープ・トリックは、やってしまった。彼らは1977年に、アルバム「チープ・トリック」でデビューしたものの、さっぱり売れなかった。続くセカンド・アルバム「蒼ざめたハイウェイ」は、アルバム・チャートの73位と何とか顔を出した程度だった。
 そして、日本に来る直前に発表したアルバム「天国の罠」は、バンドの良質なパワー・ポップな側面が発揮されたせいか、バンドはやっと認知されるまでになったという状況だった。

 だから、アメリカでは彼らは営業に次ぐ営業、つまり日夜を問わず、演奏できるところがあればどこでも、例えば小さなクラブやスーパーマーケットのホールでも、巡業をして回っていた。18877
 ところが、極東の小さな国では、彼らは、クィーン、キッス、エアロスミスに次いで、徐々に注目を集め始め、ついにはそれらの先輩格のバンドと並ぶほどの人気を獲得していったのである。

 当時の様子を振り帰りながら、ボーカルのロビン・ザンダーはこのように述べていた。「70年代の日本では、バンドの外見がより重要視された。バンドの個性がはっきりしている方がウケがよかった。だから個性に富んでいたチープ・トリックやキッスが日本では人気があった。彼らはすぐに僕らを受け入れてくれたんだ」

 また、当時の音楽雑誌の編集長だった東郷かおる子氏は、ローリングストーン誌の取材に対して、「それまで一番人気があったのがキッスやクィーンだったけれど、彼らはビッグになりすぎた。何か新しいものをみんなは求めていた」と答えている。

 1978年の4月下旬に、彼らは初めて日本にやってきた。もちろん日本で公演をするためだが、その中にはあの日本武道館が含まれていた。
 「エコノミークラスの窓から外を眺めていると、5000人ぐらいの人が飛行場の建物の上にいるのが見えたんだ。凄い有名人がこの飛行機に乗っているんだと思った。でも、飛行機を降りたら自分達だったいうことが分かったんだ」と、リード・ギタリストのリック・ニールセンは述べていたが、本国アメリカと異国日本との人気の違いに驚いたことだろう。

 また有名な話として、ロビン・ザンダー首刺し事件があった。手にはさみを持った女の子がロビンの髪の毛を切ろうとして、間違って首の後ろを思いっきり刺してしまったというものだった。実際はそんなに大げさなものではなくて、追いかけられたということらしかったが、怖い思いをしたことは間違いないだろう。ただロビンは、1週間はザ・ビートルズになった気分を味わうことができたとも語っていた。

 当時の日本では、CBSソニーがEPICソニーと2つに分かれるところであり、そのEPICソニー・レーベルの意向で、4月27日の 大阪厚生年金会館と、28日と30日の日本武道館の公演がライヴ・アルバム用として録音されている。
 これは余談だが、このチープ・トリックの武道館ライヴとボブ・ディランの武道館ライヴが、販売用アルバムとして、EPICソニーの設立記念のために用意されたものだった。

 そのライヴ・アルバム「ライヴ・アット・武道館」は、その年の10月に日本国内のみで発表された。このアルバムは、全10曲、約42分に編集されていて、過去3枚のスタジオ・アルバムからの曲や新曲、ジョン・レノンも歌ったファッツ・ドミノの"Ain't That A Shame"のカバー・ヴァージョンも含まれていた。81hbgtx9zl__sl1220__2
 このアルバムは、日本では当然のこと売れたが、アメリカでも最初は輸入盤がプロモーション・アルバムとして発売されて、これが7万枚以上も売れたことから、翌年の2月には正式なライヴ・アルバムとして発売された。(当時は史上最も売れた輸入盤といわれていた)
 しかもこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートで4位になり、約300万枚以上も売れ、彼らの最大のヒット作になってしまった。その結果、1979年度のビルボード年間アルバム・チャートでは13位に認定されている。

 ちなみに1994年には、このアルバムの続編「ライヴ・アット・武道館Ⅱ」が発表された。実は、実際の来日公演では19曲が演奏されていて、「ライヴ・アット・武道館」に収録できなかった9曲と1979年の日本ツアーからの3曲("Stiff Competition"、"How Are You?"、"On Top Of The World")の計12曲が約52分に編集されていた。はっきりいって企画盤以外の何物でもなく、話題にはなったものの商業的な成果を得ることはできなかった。Cheap_trick_budokan_ii
 そして、1998年には「ライヴ・アット・武道館」発表20周年記念ということで、2枚組の完全盤が発表された。これは当時の来日公演における19曲をセットリスト順に並べたもので、実際のライヴと同じ雰囲気が味わえるというキャッチコピーだった。81rqx5udrql__sl1203_
 また、その10年後の2008年には今度は30周年記念ということで、4月28日の武道館における演奏を楽曲と映像の2種類にパッケージしたものが発表された。61wd7gnvnhl つまり、CDとDVDである。DVDには、当時テレビで放送されたものをDVD化したもので、まさに昇り竜のような勢いのある若い彼らを見ることができる。これぞ歴史的な記録映像といっていいだろう。81nk3jqvzl__sl1500_
 その後も、2017年にはデビュー40周年ということで、紙ジャケットの「ライヴ・アット・武道館」が発表されていて、1978年の武道館での19曲に翌79年の武道館でのライヴ3曲がボーナストラックとして追加されていた。この3曲とは、「ライヴ・アット・武道館Ⅱ」に収められた曲と同じであり、リマスタリングしたものであった。

 このように手を変え品を変え、「ライヴ・アット・武道館」は発表されている。それだけ彼らにとっては意義のあるアルバムであり、記念碑的な作品なのだ。そして、これこそがアメリカ的商業主義であり、音楽業界におけるプラグマティズムの具象化なのだろう。
 「武道館が俺たちを有名にし、俺たちが武道館を有名にしたんだ」とリックは言ったが、10年ごとに発表されるライヴ・アルバムというのも他にはないと思われる。51prmrbh2wl
 チープ・トリックの人気は、その後も毀誉褒貶というか、上昇と下降を繰り返している。80年代に入ると低迷するが、1987年に一度脱退したベーシストのトム・ピーターソンが復帰すると人気が再上昇し、「永遠の愛の炎」はチャートの16位になり、アルバムはプラチナ・ディスクに認定された。

 ところが、90年代以降は、今まで合計2000万枚以上のアルバム売上を記録したバンドとは思えないほど売れなくなってしまった。
 たぶん、バンド内の内輪もめが原因で、アルバム制作にも精彩を欠いていたのだろう。あくまでも噂ではあるが、ドラマーのベン・E・カルロスとボーカルのロビン・ザンダーの仲が悪いと言われていたが、真相はどうなのだろうか。

 ただ、最近の2作「バン、ズーム、クレイジー...ハロー」と「ウィア・オール・ライト!」では持ち直している。リックの息子のダックスがドラムを叩いていて、バンド内がまとまったからだろう。
 今年は武道館40周年記念ということで、ジャパン・ツアーを行ったが、リックの体調が悪く、医者から長距離での移動を禁止されたため、一部公演がキャンセルされ、振替公演が行われた。その時は、ロビンの息子ロビン・テイラー・ザンダーもセカンド・ギタリストとして参加していた。リックの健康面での不安があったからだろう。

 オリジナル・メンバーは、まだ60歳代の後半だ。こうなったら、“武道館50周年”の記念ライヴ、記念アルバム発表を目指して、親子2代バンドでも構わないので、まだまだ頑張ってほしいと思っている。


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