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2018年12月

2018年12月31日 (月)

師匠と弟子が語るジェスロ・タル

師匠:いよいよ今年も終わりじゃな。平成の大晦日も今日が最後じゃ。やはり最後に相応しく今年はこのアルバムで締めようかのう。一年の終わりに一番ふさわしいアルバムじゃ。

弟子:それがジェスロ・タルですか。なんで一年の締めくくりがタルのアルバムなんですか。

師匠:お前は知らんのか。今年はジェスロ・タルのデビュー50周年なんじゃ。奴らがデビュー・アルバムを出したのが1968年。ちょうど今から50年前じゃな。それで50周年を記念して3枚組のアルバム「50 for 50」を出したんじゃよ。71ailoklp8l__sl1145_
弟子:そうですか、もう50年ですか。最近はさっぱり音沙汰がありませんが、まだ活動していたんですね。それにしても3枚組のアルバムを出すなんて、今どき時代遅れではないですか。

師匠:何を言うとるんじゃ。タルは今でも現役じゃ。何も知らんとは、だから若造は困るわい。いいかい、今年は結成50周年という特別な年じゃったんじゃ。当然のことながら世界ツアーを行うじゃろ。しかも昨年は昨年で、“The Rock Opera”というタイトルで、ジェスロ・タルのレパートリーや新しい曲などを披露して回っておるのじゃ。ヨーロッパだけでなく、オーストラリアやアメリカまでも行っとるんじゃぞ。まだまだ現役バンドじゃわ。Jethrotull20181123sa1200x600
弟子:そうですかね。ジェスロ・タルは2011年に解散したんじゃなかったですかね。何かそういう話をネットで見たような気がするのですが。

師匠:よく知っておるのう、若いのに感心、感心。その通りじゃな。あの頃のジェスロ・タルはリーダーのイアン・アンダーソンと長年連れ添ったギタリストのマーティン・バレの関係が悪化していたんじゃ。マーティンも42年間もバンド活動に専念してきて、そろそろ自分のやりたいことを自由にやろうとしたんじゃろ。だから最後は、イアンとマーティンの双頭バンドになってしまったんじゃな。しかもバンドとしては、ブルーズからハード・ロック、フォークにクラシックまで幅広く手掛けてしまって、やりつくした感があったんじゃろ。

弟子:確か、イアンもマーティンもソロ・アルバムを発表していたという話ですが、それが何で、イアンはマーティン抜きで再結成したんですかね。

師匠:それはやはりジェスロ・タルというネーム・バリューじゃな。いくらイアン・アンダーソンの人気が高くともジェスロ・タルという名前には勝てんな。ニュー・アルバムを発表しても、ファンはタルの曲を聞きたがっていたし、イアンもタルの曲を歌った方がライヴ自体も盛り上がるということが分かったんじゃよ。ジェスロ・タルといっても、元々はイアン中心のバンドだったし、イアンとマーティン以外は、めまぐるしくメンバー・チェンジも行われてきたわけじゃから、それならジェスロ・タルと名乗った方がいいじゃろうというふうになったんじゃ。イアンもファンの要望に応えたわけじゃよ。

弟子:40年も一緒にやってきて、今さらという気もしないではないですが、もっと早くからわからなかったんですかね、自分たちの置かれている状況が。D1anqn5gkvs__sl1000__2
師匠:2003年にはイアンもマーティンもソロ・アルバムを出していたわけじゃから、バンド活動を続けながらソロ・アルバムを出すことについては、誰も何も言わんじゃろ。問題は、イアンがバンド活動以外でのソロでの活動が目立っていったことじゃろうなあ。

弟子:具体的にはどういうことですか。

師匠:例えば、元メンバーのデヴィッド・パーマーが指揮するオーケストラと南アフリカで一緒にライヴを行ったことがあるんじゃ、2000年ぐらいの時じゃな。2002年にはドイツでも似たようなライヴを行っておる。また、その年からは“Rubbing Elbows”というソロ・ステージを繰り返し行うようになって行ったんじゃよ。これはイアンとファンとの集いみたいなもので、アコースティックなタルの曲や自分のソロ・アルバムからの曲を披露していたんじゃな。だからこの頃のイアンは二足の草鞋を履いていたことになる。これは2005年頃まで続いたぞ。その後もバンドに女性バイオリニストを加えたり、2009年からはジェスロ・タルとイアン・アンダーソンの両方の公演を行ったりと、イアンも二重に活動することに疲れて行ったんじゃないかな。

弟子:だいたいジェスロ・タルは、スタジオ・アルバムは出してないでしょ。最後にいつ出したかは忘れましたけど、普通はスタジオ・アルバムを発表してからツアーに出て、新作からの曲をいくつか披露するというのが一般的でしょ。それなのにニュー・アルバムも出さずにツアーだけやるというのは、単なる“懐メロショー”にしかすぎませんよ。いくら自分がソロ・アルバムを出したとしても売れていませんからね、ライヴも盛り上がりませんよ。

師匠:それも一理あるな。そういう思いもあったんじゃろう。結局は、“一元化”したというわけじゃな。それで2011年の終わりから2017年まではソロ活動に専念して、結成50周年と今年のデビュー・アルバム発表50年を記念して再結成したというわけじゃ。それに、タルのスタジオ・アルバムは、2003年のクリスマス・アルバム「ザ・ジェスロ・タル・クリスマス・アルバム」が今のところ最後じゃな。このアルバムは企画アルバムじゃから、オリジナルは1999年の「ジェスロ・タル・ドット・コム」まで遡るかもしれんな。因みに2017年に「ザ・ストリング・クァルテット」というストリングスを交えたタル名義のスタジオ・アルバムを出しとるが、内容的にはイアンのソロ・プロジェクトといった方がいいじゃろうなあ。

弟子:「ザ・ジェスロ・タル・クリスマス・アルバム」には過去のタルの曲が7曲ほど含まれていましたよね。それ以外も定番のクリスマス・ソングとかあって、ほんとに企画盤という感じがしました。イアンの創作能力は底をついたんじゃないですか、もう71歳ですからね。61hwt7cdyfl
師匠:何を言っとるんじゃい。まだまだ現役じゃよ。来年は自身のソロ・アルバムの発表とそれに伴ってのツアーも計画されているんじゃ。一歳年上のマーティン・バレの方も2013年から2015年まで毎年1枚ずつスタジオ・アルバムを出しとるし、今年も「ローズ・レス・トラベルド」というバラエティ豊かなアルバムを出しとるしな。女性ボーカリストを加えたり、ザ・ビートルズの曲を演奏したりしとる。まだまだ若いもんには負けんじゃろ。613wbswv27l__sl1200__2
弟子:それにしても50周年で3枚組アルバムってどういうことなんですか。ひょっとしてベスト盤じゃないでしょうね。いまさらそんなものを出しても売れないでしょう。ファンなら今までのアルバムは持っているでしょうし。何か新曲とかライヴ曲とか目玉となるような企画はあるんですか。

師匠:そうじゃな、"Teacher"はUSアルバム・ヴァージョンだし、"Minstrel in the Gallery"はシングル・エディットになっておったな。他にも"Critique Oblique"はスティーヴン・ウィルソンの手でリミックスされておったぞ。これは聞き物じゃろ。それにディスク1はブルーズや初期の楽曲がおもじゃし、ディスク2は70年代のトラッド中心の聞かせる内容になっておるな。さらには最後のディスク3では、エレクトリックでハードな曲が中心になっておる。さすが1988年にグラミー賞ハード・ロック/ヘヴィメタル・アワードを獲得したバンドは違うわな。

弟子:それだけで買う人なんかいますかね。よほど熱心なファンじゃないと手に入れようと思わないでしょう。やはり年を取ってしまうと、考え方もワンパターンになってしまうんですよね。「〇〇周年=ベスト盤」とか、ストーンズも似たようなアルバムを何枚も出しているし、やはり昔気質の人は似たような傾向に陥るんでしょうね。それに、1988年のグラミー受賞はメタリカと間違えたという説もありますし、誰がどう見ても聞いても、ミスマッチですよね。会場からはブーイングは出るし、イアン・アンダーソン自身も困惑していましたよ。だから、翌年からこの賞は廃止されてしまったじゃないですか。ハード・ロック部門とヘヴィ・メタル部門に分かれちゃいましたし。

師匠:いやいや、そうじゃなくて、このアルバムの選曲はイアン・アンダーソン自身がセレクトしとるのじゃ。50周年だから50曲じゃな。さらには国内盤が出ているということは、それだけ需要があると認められたわけじゃろ。ジェスロ・タルもまだまだ根強い人気を誇っておるのじゃ。だから国内盤には、日本のファンに向けてイアンの直筆メッセージが載せられているんじゃよ。81zn0bds8tl__sl1144_
弟子:直筆といっても印刷ですからね。それじゃなくて音楽で勝負してほしいですよね。イアンのソロもいいですけど、ジェスロ・タル名義で出してほしいですね。

師匠:ジェスロ・タルは昔からベスト・アルバムを出すのが恒例になっているんじゃ。70年代でも編集盤も入れて3枚の公式ベスト・アルバムを出しているぞ。イアンは定期的に過去を振り返ることで自分たちの音楽性を確認するとともに、これからの方向性を定めていく必要があるからと理由を述べていたな。その後も20周年、25周年、30周年と定期的に出しておるしな。もう習慣化しとるな。

弟子:要するに、ファン泣かせのバンドですよね。ベスト盤なら70年代から80年代、90年代から2000年代と、時系列で区切って出せば新たなファン獲得にもつながると思うんですよ。どのベスト・アルバムも同じような曲が収められているんじゃ、1枚あれば十分だと思うんですけど。

師匠:いろいろ言う前に、とりあえずはこの50曲を聞いて、その音楽性の豊潤さや多様性を味わってほしいな。一筋縄でいかんのがジェスロ・タルの凄さじゃよ。“半端ないって、ジェスロ・タルは”が合言葉じゃ。

弟子:何を言ってるんですか。私に“そだねー”を言わせたいんですか、今年の流行語じゃないんですからね。

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2018年12月24日 (月)

エジプト・ステーション

 今日はクリスマス・イヴということだった。バブルの頃は、日本中が何かに浮かれていたような感じで、高級宝飾品が飛ぶように売れ、一流ホテルは一年以上前からブッキングされて満室状態という様子だった。最近のクリスマス・イヴは、みんなどういうふうに過ごしているのだろうか。

 自分が若かった時、クリスマス・イヴの夜に街に繰り出すと、飲み屋はどこもガラガラ状態で何故か異様にチヤホヤされたことがあった。店員さんは頻繁に話しかけてくるし、おしぼりやお水を持ってくるなどの接客が半端ではなかった。他にお客がいないのだから仕方がないことなのだが、独身の人たちは恋人や友人と過ごすだろうし、家庭を持っている人はこの日ばかりは家族で過ごしたのだろう。そんな思い出がクリスマス・イヴの日にはある。

 それで神聖なそんな日に相応しいアルバムを紹介しようと思う。イギリス人の貴族であるサー・ポール・マッカートニーが今年の9月に発表したアルバム「エジプト・ステーション」である。アルバム・ジャケットは、ピラミッドの壁画のような横6面体の変則ジャケットだった。これはポール自身が1988年に制作したペインティングであり、絵の中に象形文字も書かれているという。81xh4mfzl__sl1000__2
 何しろ5年ぶりのニュー・アルバムということで事前の期待も高かった。しかも10月31日からは「フレッシュ・アップ・ジャパン・ツアー」という来日公演も予定されていたから、これはもう話題殺到だった。
 このアルバムは全16曲(国内盤はボーナス・トラック付きの18曲)が収められていて、約57分(国内盤は約64分)の間、ポールの楽曲に合わせてトリップ出来るということが謳われていた。

 どういうことかというと、今作はポールというか、ザ・ビートルズが得意としていたコンセプト・アルバムで、“エジプト・ステーション”という架空の駅を舞台に、人々が自由に往来するというテーマだったからだ。ポールは“1時間のヘッドフォンの旅”という譬えをしていたけれど、その通りだと思った。Main_2
 このアルバムについて、ポールは次のように述べていた。「最近のスターであるビヨンセやテイラー・スウィフトなどのアルバムはヒット・シングルの寄せ集めに過ぎない。ピンク・フロイドやザ・ビートルズのような流れがそこにはないんだ。それにテイラー・スウィフトみたいなミュージシャンには勝ち目がないし。何しろ足で負けているからね。
 自分は何が得意かというと、コンセプト・アルバムなんだ。全体を通して流れがあり、どこかに連れて行くようなアルバムだよ。新作はそんなアルバムだし、ジャケットにもエジプトの象形文字が含まれているからね」

 「このアルバムは駅のざわめきから始まる。駅の中に入ると、聖歌隊の歌声が聞こえてくる。ざわめいた駅が神聖な場所へと姿を変えるんだ。トリップだよ。そして、最後も駅に戻ってくる。それがコンセプトだよ。好きな曲だけ飛ばして聞きたい人はそうしてもいいし、全曲を聞きたい人は最後まで聞いてほしいな」

 というわけで、御年76歳にもかかわらず、音楽に捧げるこの情熱や創作欲には、ただただ頭が下がるばかりである。
 普通なら引退してもおかしくない年齢だし、実際、昔は名を馳せた有名ミュージシャンやバンドも引退状態で、最新アルバムは過去のアルバムのリマスター盤か、せいぜい最新ライヴ盤を出す程度だ。やっていることはどちらも過去のヒット曲というだけで、確かにファンなら喜ぶだろうが、そこには進歩も成長も見られない。

 ところが、ポール・マッカートニーは違う。2013年には「アウト・ゼア・ツアー」で11年振りに来日を果たしたかと思うと、2015年、2017年と立て続けに来日してツアーを行っている。そして今年もそうだった。その間に新作をレコーディングしていたのだから、この人の精神構造というか、創作意欲はいったいどこから湧いてくるのだろうか。まさに“メロディー・メイカー”であり、“ジーニアス”という名称がふさわしいミュージシャンである。

 今の彼には“元ザ・ビートルズ”という肩書は不要だろうし、名誉やお金のために音楽を創造しているわけではないだろう。お金など使いきれないほどあるだろうし、何もしなくても著作権などでかなりの額が入ってくるだろう。
 そんな人がそれなりに苦労しながら(たぶん)、曲を書き、演奏してレコーディングを行い、アルバムにまとめるのだから、これはもう黙って耳を傾けるしかないだろうということで、早速聞いてみたのだった。

 第一印象は、ポールの特徴がよく表れているということだった。つまり起伏のあるメロディー展開を基本としながらも、木管楽器や金管楽器、シタールなどの様々な楽器を使って、ロックからバラード、ダンス・ミュージック、サイケデリック風味の曲などが混然一体となりながらも、トータル・アルバムとしてリスナーに迫ってくるのである。

 今までのポールの音楽の集大成という見方もできるし、総合力を結集したともいえるだろう。個人的には1978年のアルバム「ロンドン・タウン」のような雰囲気があったし、それに1982年の「タッグ・オブ・ウォー」のようなコンセプトと曲の流れを加えたようなそんな感じがした。712tldatj4l__sl1094_
 プロデューサーは、アデルやベック、フー・ファイターズ等のアルバムを手掛けていたグレッグ・カースティンという人で、元々音楽大学を卒業したジャズ・ピアニスト出身の作曲家兼スタジオ・ミュージシャンだった人だ。
 ただ1曲"Fuh You"という曲についてはライアン・テダーという人が担当していて、これはスケジュールの都合上でそうなったようだ。

 普通のミュージシャンなら、プロデューサーが戻ってくるまで待つとか、自分でできるところまで進めておくとか、そういう方法をとると思うのだが、ポールはどうしても待てなくて、急遽探してきてようだった。ミューズの神が下りている間に、何とかやり遂げたかったのだろう。天才型ミュージシャンはやはり普通の人とは違うのである。

 このライアンという人も凄腕のプロデューサーで、エド・シーランやアデル、ビヨンセなどとも共演している。そういう人に声をかけて、すぐに担当させることができるというのも凡人には程遠い行いだろう。

 ライアンは、ポールに電話で何をしたいのかと聞いたらしい。するとポールは、「ヒット曲だ」と答えると、ライアンはすかさず「それなら僕に任せて。世界はヒット曲が大好きだから」と言った。確かにヒットする要素はある曲だった。
 それでも時にはポールは、曲の上に即興で歌詞をつける作業に怒りを露わにして、「僕には意味のある曲を書いてきたというキャリアがあるのに、いま行っていることには意味があるのか」と憤ったという。この辺はジェネレーション・ギャップの表れかもしれない。

 ライアンとは3曲ほど一緒にレコーディングしたそうだが、そのうち1曲がアルバムに収録された。残りの曲はいずれ世に発表されるに違いない。そんな未発表曲を集めれば、すぐに3枚組の、いやそれ以上のボックス・セットくらいはなるだろうなあ。

 全16曲のうち、冒頭の曲と15曲目は短いインストゥルメンタル曲だ。曲というよりは環境音楽といってもいいかもしれない。
 2曲目の"I Don't Know"と3曲目の"Come On To Me"が両面シングルとして発表されたもので、"I Don't Know"がピアノ中心の穏やかな曲で、"Come On To Me"の方はエレクトリック・ギターやピアノ、ハーモニカ、ブラス・セクションなどが使用されたミディアム・テンポのややハードな曲だ。インタビューの中では、"I Don't Know"はポールがこのアルバムの中で一番好きな曲と答えていた。

 4曲目の"Happy With You"はアコースティック・ギターがメインの楽曲で、肩の力を抜いたようなリラックスした状態で歌っている。ここまでの曲の流れが「ロンドン・タウン」の最初の方の曲と似ていると感じたのだ。
 ただ残念なことに、声自体の衰えは否定できない。もし20歳代のポールが"Happy With You"を歌ったならば、"Mother Nature's Son"や"Blackbird"、"I Will"と比較されるほど話題になっただろう。

 それでも"Who Cares"ではしっかりとシャウトしているし、"Fuh You"でも高音部までしっかりと歌い上げている。76歳になってもここまでできるのだ。奇跡の76歳、自分もこうなりたいものである。
 12弦ギターの弾き語りというか、コード・カッティングをバックに歌っている"Confidante"を挟んで、平和を訴えた"People Want Peace"、ピアノ主体のバラード曲"Hand in Hand"と続いていくが、この辺は比較的おとなしめの曲が続いている。年相応というべきか、そういう意図があるのか、よくわからない。

 10曲目の"Dominoes"あたりから少しずつ様相が異なって来ていて、"Dominoes"は転調の多いミディアム・テンポの曲で、「バンド・オン・ザ・ラン」や「ヴィーナス・アンド・マーズ」の頃の佳曲を思い出させるし、ラテン音楽にインスパイヤされた"Back in Brazil"はポールのアイデアの豊富さを示している。

 "Do it Now"もまたピアノがメインのスローな曲で、後半にストリングスが用いられて壮大な風景が現出する。一旦終わったかと思ったら、また復活するところもかつての曲のアイデアを拝借しているようだ。冬景色の中の家の中で、暖炉の前でうたた寝をしているような気持ちにさせられる。3分17秒しか何のだが、5分くらいの長い曲に感じさせてくれた。

 "Caesar Rock"は“She's A Rock”との掛詞のようで、ポールの遊び心満載の楽曲に仕上げられている。全く意味不明の歌なのだが、その意味不明さが、逆に面白さに拍車をかけている。曲調も勢いがあって、なかなかインパクトがある。

 アルバムの中で一番問題作なのは、14曲目の"Despite Repeated Warnings"だろう。誰が聞いてもこの歌は、世界で一番有名な大統領のことを指しているということが分かるだろう。“Captain is Crazy”というところが痛快無比、拍手喝采である。
 楽曲の展開は、シングルの"Band on the Run"に似ていて、転調に次ぐ転調で、グイグイと引き込まれて行く。6分58秒の大作だが、まだまだこういう曲が書けるところが、並の老人ではないのである。

 オリジナルでは最後の曲、"Hunt You Down/Naked/C-Link"は、タイトル通りのいくつかの曲のイメージを合体させたもので、これもまた6分22秒と長い曲になっている。

 このアルバムの中では、一、二を争うほどのかなりハードな"Hunt You Down"からロッカ・バラードの"Naked"、ピンク・フロイド風のプログレッシヴ・ロック的な"C-Link"へと連なっていく。1973年の「レッド・ローズ・スピードウェイ」の中に"Loup"という曲があったが、あれを少しブルージィーにしたような感じだ。デヴィッド・ギルモアだったら喜んでギター・パートを担当しただろう。

 このアルバムは世界中で評価され、商業的にも成功している。本国イギリスでは最高位3位で終わったが、ドイツやスコットランドでは1位、ベルギー、オランダ、オーストリアなどのヨーロッパの国々でも2位などを記録しているし、アメリカのビルボードでは「タッグ・オブ・ウォー」以来、36年振りにNo.1に輝いている。Http___i_huffpost_com_gen_2890924_i
 今年の7月26日に、リバプールのキャバーン・クラブでシークレット・ギグを行ったポールだが、このアルバムの中から"Come On To Me"、"Confidante"、"Who Cares"、"Fuh You"の4曲が披露された。ポール・マッカートニー、まだまだその能力には翳りは見えないようだ。

*ポールのインタビューに関しては、雑誌「ロッキング・オン」の10月号と11月号を参考にしました。

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2018年12月17日 (月)

ザ・スリルズ

 いよいよ今年も残り2週間余りになってきた。時が経つのは早いものである。それで年末ということで、今年1年間を振り返ろうと思った。
 今年の夏に、このブログの中で90年代から2000年代に活躍したマイナーなブリティッシュ・バンドを書き綴ってきた。だいたい10個くらいのバンドだったと思うけれど、その中にもう一つバンドを書き忘れていた。

 それで今回は、そのバンドについて紹介してみたい。アイルランドのダブリン出身の5人組、ザ・スリルズのことである。
 このバンドは、マイナーには違いないけれど、日本にも来日公演しているので、決して無名ではない。このブログを読んでいる人はごくわずかだと思うけれど、そんなわずかな人の中にもこのバンドのことを知っている人は、いると思っている。

 彼らはダブリン郊外の小さな港街のブラック・ロックというところで結成された。バンド・メンバーは5人で、ボーカルのコナー・ディージーとギターのダニエル・ライアンが幼馴染だったことから、2人で音楽活動を始め、徐々にドラマーやベーシストが集まってきた。
コナー・ディージー(ボーカル)
ダニエル・ライアン(ギター&ボーカル)
ベン・キャリガン(ドラムス)
ケヴィン・ホラン(キーボード)
パドリック・マクマーン(ベース・ギター)P01bqdm8
 彼らの音楽性は、ズバリ70年代初期のウェストコースト・サウンドである。もう少し正確に言うと、60年代のポップなテイストを備えたウェストコースト・サウンドというべきだろう。
 コナーとダニエルの2人は、子どもの頃からサイモン&ガーファンクルやエルトン・ジョン、ロネッツ、ゾンビーズなどを聞いて育ったそうで、自分たち自身もそういう音楽をやってみたいと思っていたそうだ。

 だから、基本はポップなロック・サウンドだった。やがてはニール・ヤングやザ・バーズなどにも影響を受けていった。
 活動開始時期は、はっきりとはわからないが、90年代の半ば以降だと思われる。その時はまだアルバム・デビューする前だったから、アマチュア・バンドでの活動だった。

 転機が訪れるのは1999年だった。この時彼らはアメリカ西海岸のサン・ディエゴに約4ヶ月間滞在した。理由は、バンド内がギクシャクしていて解散状態だったのを回避しようとしたからだという。
 幼い頃からあこがれ続けていたアメリカ西海岸の音楽や文化をじかに触れようと思って、どうせ解散するなら最後にみんなで体験しようと思ったらしい。

 この時彼らは、それまであまり耳にしていなかったマーヴィン・ゲイやビーチ・ボーイズ、バート・バカラック、フィル・スペクターなどを知り、愛聴するようになった。そして、音楽観が変わっていったという。
 コナー・ディージーは、その時の様子をこう述べていた。「あの時アメリカに行ってなければ、僕たちは解散してしまっていただろう。あの時の経験がみんなをもう一度奮い立たせてくれて、僕たちの音楽を見つめ直すことができたんだ」

 それで、彼らはダブリンに戻り、バンド名を“ザ・スリルズ”として音楽活動を再開した。バンド名は、マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」とフィル・スペクターがプロデュースしていたガールズ・グループ名をヒントにしてできたと言われている。
 彼らは、その後約2年間アイルランド中をライヴして回り、ついに2001年にイギリスのヴァージン・レコードと契約を結ぶことができたのである。

 彼らはアマチュア時代から有名だったようで、元スミスのモリッシーも自分の公演のオープニング・アクトに彼らを指名しているし、デビュー後も当時オアシスのノエル・ギャラガーやコールドプレイのクリス・マーティンから絶賛されていた。

 そんな彼らが発表したのが、2003年の「ソー・マッチ・フォー・ザ・シティ」だった。まさに彼らの魅力満載のアルバムで、ちょっとロックっぽくなった“ウォール・オブ・サウンド”といった感じだった。
 非常に聞きやすくてポップだし、ところどころサイケがかったところもある。その辺のバランスが見事だと思う。41gvjk778fl
 1曲目の"Santa Cruz"はザ・バーズのようなキラキラとしたポップなメロディーにハーモニカとバンジョー、短いコーラスが絡み合って、自分たちの音楽性を忠実に反映している。この曲は2002年にシングルとして発表したときは、さっぱり売れなかったが、翌年に再発したときは、英国シングル・チャートで33位まで上昇している。

 "Deckchair and Cigarettes"はゆったりとした曲展開やバックの厚いキーボード・サウンドが、アメリカのサイケデリック・バンドのマーキュリー・レヴに似ている。決して陽の当たる西海岸のポップ・サウンドだけを再現するようなバンドではないということがわかるだろう。

 このアルバムの中で大ヒットした曲は"One Horse Town"で、まさにアップテンポでメロディアスなアルペジオや要所要所で的を得た美しいコーラスなどが耳をとらえて離さない。彼らの代表作だろう。
 逆に、"Old Friends, New Lovers"は、ストリングスも使用されていて、日曜日の午後にまどろむときに相応しい美しいバラードだ。フィル・スペクターが聞いたらきっと喜ぶに違いないだろう。

 こういうポップ感満載の音楽が売れないわけがない。ということで、このアルバムは全英チャートの3位を記録し、ノルウェーなどの北欧でも商業的に成功した。
 母国アイルランドでは、当然のこと1位を記録し、トップ75位の中に61週間も留まっていた。
 この時日本にも来日して、単独公演を行ったり、フジ・ロック・フェスティバルに参加したりしている。

 この成功に気をよくした彼らは、翌年の2004年にセカンド・アルバム「レッツ・ボトル・ボヘミア」を発表した。前作がどちらかというとドリーミーでポップな楽曲が中心だったが、このアルバムでは前作以上にロック色が強まっていた。61vhdlw59sl
 それは1曲目の"Tell Me Something I Don't Know"の冒頭のギター・カッティングでもわかると思うし、続く"Whatever Happened To Corey Haim?"のバート・バカラックmeetsバッファロー・スプリングスフィールドのような緩急つけたアップテンポなストリング・サウンドが証明している。

 デビュー・アルバム発表後に数多くのライヴを経験し、さらにストーンズやボブ・ディランのオープニング・アクトを務めたことなどもよい効果を及ぼしたのだろう。個人的には、このセカンドは大好きだった。
 チャート的にも、アイルランドで1位は当然だとしても、イギリスでもアルバム・チャートでは最高位9位を記録したし、ヨーロッパの国々でもチャートに顔を出している。

 やはり成功することは大事なことのようで、このアルバムではアメリカ人ミュージシャンのヴァン・ダイク・パークスが3曲目の"Faded Beauty Queens"ではアコーディオンを、10曲目の"The Irish Keep Gate-Crashing"では、ストリングスをアレンジし、指揮までとっている。  
 また、当時のR.E.M.のギタリストだったピーター・バックも"Faded Beauty Queens"ではマンドリンを、9曲目の"The Curse of Comfort"ではギターで貢献していた。

 この年はまた、“バンド・エイド・2004”に参加したり、“ライヴ8”のエディンバラ公演で楽曲を披露したりと、彼らの人気もピークに達していたようだった。この時の模様はDVDでも収録されている。

 この後彼らは、休暇を取っている。デビュー以来約3年間、ひたむきに走り続けたせいだろう。ただし、完全な休みではなくて、次作に向けてのアイデアを練ることも忘れなかった。この間に多くの曲が出来ては捨てられていった。一説には、約30曲が録音されたが、最終的にアルバムに残ったのは11曲だったと言われている。

 その11曲を収録したアルバムが「ティーンエイジャー」で、前作から約3年後の2007年に発表された。61sdoroiuhl
 今までもよりもアイリッシュ風味が強調されていて、冒頭の"The Midnight Choir"などは、21世紀の"Maggie May"といってもおかしくないほどの上質なトラッド・ソングだった。

 アルバムの最初から4曲目までは、マンドリンやアコースティック・ギターがフィーチャーされていて、ブリティッシュ・トラッドが好きな人にはたまらないと思う。
 逆に、アメリカ西海岸風な爽やかなハーモニーやポップネスは消えていて、フィル・スペクターやバート・バカラックはどこかに隠れてしまったようだった。

 また、5曲目の"I Came All This Way"などは、まさにザ・バーズのような12ストリングス・ギター・カッティングが印象的で、そういう面ではまだアメリカ西海岸テイストは失われてはいないようだった。
 それに、ほとんどの曲がアップテンポかミディアム・テンポの曲で、時間にして約40分55秒、潔さというか歯切れがよいというか、ノンストップで畳み掛けるかのように彼らの魅力が迫ってくるのである。

 このアルバムの中でスロー・バラードといっていいのが、アルバム・タイトルにもなっている9曲目の"Teenager"とその次の"Should've Known Better"だろう。前作にはティーンエイジャー特有の倦怠感というか物憂げな雰囲気が上手に表現されている。
 "Should've Known Better"にも"Teenager"で使用されたスライド・ギターが効果的に使用されている。この2曲はまるでアルバムの中の双子のようだった。驚くほど雰囲気がよく似ている。

 そして楽曲のレベルに関しては、非常に高い。彼らの3枚のアルバムの中で一番充実しているのがこのアルバムではないだろうか。やはり約3年間のインターバルは必要だったのである。
 このアルバムは、カナダのヴァンクーヴァーにあるブライアン・アダムスが所有するスタジオで録音された。ゲストに前作にも参加したピーター・バックと同じR.E.M.の当時のギタリストだったスコット・マッコウィーが、アルバムの所々でギターを弾いている。

 ただ残念ながら、力が込められて制作されたアルバムにもかかわらず、商業的には失敗した。英国アルバム・チャートでは48位、母国アイルランドでも24位と振るわなかったのだ。その結果、ヴァージンEMIから契約を解除され、彼らは活動休止に陥った。2004年当時と比べれば、まさに天と地の違いになってしまったのである。

 その後、彼らは個人活動を開始して、ドラムス担当だったベンはソロ・アルバムまで発表している。
 彼らは解散宣言はしていないが、2011年にはベスト・アルバムも発表されているし、もう10年以上も活動を休止しているから実質的には解散しているといってもいいだろう。100_emi5099908497352
 ネット上では彼らの活動休止を惜しむ声は多いようだし、まだまだ忘れられていないようだ。確かに以前のような爆発的な人気は望めないだろうが、このままポピュラー・ミュージック史の中に消えていくのはもったいないバンドだと思っている。

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2018年12月16日 (日)

クリムゾン来日公演

 キング・クリムゾン結成50周年記念ということで、7回目の来日公演が行われた。今回は、11月27日の東京オーチャード・ホールから始まって、12月21日の名古屋センチュリー・ホールまで約1か月間、15回のロング・ランだった。Kingcrimson2018flyer
 公演タイトルは、「アンサーティン・タイムズ・ジャパン・ツアー2018」というもので、何故こういうタイトルになったのかはよくわからない。ただ、公演パンフレットにはロバート・フリップによって、このように書かれていた。

 『通常50周年記念といえば人生や展開中の物事の過程における意義深い岐路として祝賀されるものであり、King Crimsonの50周年記念も慣例に従い様々な形での祝賀が予定されている。
 しかし私にとっては、むしろ49周年記念の方が重要な意味を持つ。なぜなら、それは複数の過程に内在するあるひとつの過程が完了することを意味しつつ、再度の新たな始まりの可能性をも意味するからだ。(中略)未知で不安定な時代において、時おり分別のある人間は絶望に打ちひしがれる。しかし、「希望」は法外な面を持ち、「愛」はさらに偉大である』

 相変わらず小難しいことを仰るフリップ翁であるが、この不安定な時代の中で唯一確かなのは、我々の音楽であり、それを伝導するために公演を行っているということだろうか。そしてまた、我々クリムゾンとファンとの間に存在する関係性こそが、音楽を通して確かなものになるということを訴えているような、いないような気がした。

 それはともかく、自分は今世で最後となるであろうキング・クリムゾンのコンサート会場に足を運んだのである。
 しかも貧乏人のくせして、思わず公演パンフレット2500円とトートバック1500円を買ってしまった。しかもこのパンフレット中身がスカスカなのだ。映画のパンフと同じように、メンバーの詳しい略歴とか、バンド・ヒストリーが記載されていると思ったら、単なるメンバー写真と短いコメントだけだった。立ち読み出来たら買ってなかったと思っている。2
 今回のクリムゾンは、第何期にあたるのだろうか。フリップ翁に言わせれば、今回は8人編成ということで、「ダブル・カルテット・フォーメイション」というらしい。ギタリストが2人にベーシストが1人、サックス奏者が1人とキーボーディストが1人、そしてドラマーが3人だ。(そのうち1人はキーボードも演奏する)

 今まで何回かライヴ会場に足を運んだが、スマホや携帯電話による写真撮影や録音がこれほど厳しくチェックされたライヴは初めてだった。
 実際、私の前にいた男性は公演前のステージの様子をスマホで写真に撮っていたのだが、係員に見つかってしまい、全部消去させられていた。おまけに最後には、これ以降撮影されますと退去させられるかもしれませんのでご注意くださいと念を押されていた。

 ただ公演前のアナウンスでは、すべての演奏が終了後、トニー・レヴィンがカメラを取り出したら写真をとってもいいと言っていて、確かに最後は撮影大会になっていた。
 たぶんクリムゾン側は、すべての公演の音源を録音しているのだろう。それでいいものはCD化されるのだろう、あの2015年の高松公演のように。

 今までのキング・クリムゾンは、約3年ごとにメンバー・チェンジをしてきたが、このトリプル・ドラム体制になってからは、一時メンバーの交代はあったものの、約5年ほど続いている。よほどみんなは満足しているのだろう。

 3人のドラマーとは、アメリカ人ドラマーのパット・マステロットとキーボードを兼任するジェレミー・ステイシー、ポーキュパイン・トゥリーのメンバーだったギャヴィン・ハリソンだ。
 この3人の中で、リーダー格はパットだろう。彼はシンセサイザー・ドラムからパーカッションまで手広く担当していて、もちろん実力は折り紙付きだ。ジェイミー・ミューアの役割も兼ねているように見えた。

 ギャヴィンはロック・ドラマーのようだったし、ジェレミーはキーボードも時おり演奏するから、時々、トリプルからダブル・ドラムになっていた。
 また、彼ら3人はステージの前方に横一列に並んでいて、後ろにメル・コリンズやトニー・レヴィン、ロバート・フリップなどが並んでいた。ライヴの出だしは、3人のドラム・ソロから始まったから、まるで“ドラム・タオ”のような感じがした。2018120500106609roupeiro00011view
 正確なセット・リストはよくわからない。70年代からクリムゾンを聞き続けてはいるのだけれど、“クラシック・クリムゾン”の曲ぐらいしかわからなかった。
 全体は2部構成になっていて、第1部が約1時間20分、20分の休憩の後、第2部が約1時間少々、午後7時から始まって午後9時50分過ぎに終わった。

 “クラシック・クリムゾン”の曲は、第1部の3曲目あたりで"Cadence and Cascade"が演奏された。この時、ジェレミーもキーボードを演奏していたので、ドラムはパットとギャヴィンだった。
 さらに、"One More Red Nightmare"、"Epitaph"なども演奏された。こういう曲は自分のようなオールド・ファンにとってはうれしいものである。

 "Epitaph"の時のキーボード・プレイは、ビル・リーフリンとジェレミーが担当していたが、ビル・リーフリンの方がメロトロン風のキーボードを演奏していたようだ。ただ、キング・クリムゾンにおけるキーボードの比重はそんなに高くはなく、もちろんキース・エマーソンのようなソロ演奏はなかった。
 このビル・リーフリンという人は、元々はドラマーとして活躍していたアメリカ人ミュージシャンで、クリムゾンに入る前はシアトル周辺のグランジ・ロック系のバンドに在籍していた。キーボードも弾けるとは芸達者である。そういえば、イエスのアラン・ホワイトもピアノを演奏していたから、ドラマーとキーボードとは縁がありそうな気がする。

 それから"Islands"も演奏された。この時の客席の反応はというと、一瞬、間をおいてから一気に盛り上がっていった。でも、曲自体が静かな曲だったので、静かに盛り上がったと言った方が正しいだろう。

 昔から思っていたけれど、昔というのは彼が21th・センチュリー・スキッゾイド・バンドにいた時からだけど、そんなにボーカル上手だったかなあと思っていた。もちろん、彼とはボーカル&ギターのジャッコ・ジャコジスクのことだ。
 ジャッコは元クリムゾンのメンバーだったマイケル・ジャイルズの娘と結婚していて、そういう意味でも、クリムゾンとは縁があったのだろう。

 それで彼のボーカルは、グレッグ・レイクよりは深みがないし、ジョン・ウェットンより声量もない。バックの演奏に負けているといつも思っていたのだが、実際のライヴで聞いてみると、声の伸びはないものの、高い音も出せるし声に張りもある、そんなに悪いものではないし、新生クリムゾン(そんなに新しくはないけれど)には合っているように思えてきた。不思議なものである。

 第2部では、"Discipline"、"Easy Money"、"Larks' Tongues in Aspic partⅡ"などが演奏されたが、一番驚いたのは"Moonchild"が演奏されたときだった。これは「ライヴ・イン・トロント」や「ライヴ・イン・シカゴ」では演奏されていなかった。かろうじて最近発表された「ライヴ・イン・メキシコ」では演目に上がっていたけれども。71lmascp7l__sl1200_
 まさかの"Moonchild"だった。生きてこの曲を生で聞けるとは思ってもみなかった。生きててよかったと思っている。しかも、この曲から続けて"The Court of The Crimson King"が演奏されたのだから、これはもう驚天動地、欣喜雀躍、狂喜乱舞、言葉にならないくらいの歓喜だった。
 そして最後は"Starless"である。これは長かったなあ。実際は15分くらいだったのだろうけれど、20分以上に感じた。だけど名曲は名曲。これを本編の最後にもってくるあたりは、さすがロバート・フリップ、ファン心理や自分たちの立ち位置をよくわかってらっしゃる。

 そして一旦中断して、お約束のアンコールである。そう、あの曲をまだ聞いていない、ファンならだれでも思うはずだ。その曲を今か今かと待ちわびていると、3分くらいで戻ってきた。カップラーメンができるかできないかの時間だ。ウルトラマンならもう倒れかかっているかもしれない。

 アンコールは1曲だけ。それでも期待通りの"21th Century Schizoid Man"は貫禄があったし、一人一人が目立っていた。ドラム・ソロも含まれていたからこの曲も20分近くあったような気がした。
 同じ演奏は二度とないのがクリムゾンのよいところだと思っている。この曲も他のライヴ・アルバムで聞く曲とはどこかが違っているのだろう。9459602709_7c769507c5_z
 とにかく安心してみていられるのが、メル・コリンズとトニー・レヴィン、御大ロバート・フリップである。メル・コリンズは周りに透明のアクリル板を立てていて、自分の音をフォローしていたようだった。
 トニー・レヴィンは、ロバート・フリップを除けば、キング・クリムゾンでの在籍期間が一番長いミュージシャンになってしまった。この人も器用な人で、チョップマン・スティックやエレクトリック・アップライト・ベース、4弦や5弦のエレクトリック・ベースを弾きこなしていた。

 フリップ翁は、いつものようにヘッドフォンをして椅子に座り、ギターを奏でていた。自分の席から反対側にいたのでよく見えなかったのだが、とにかくほとんど動かなかった。こういうロック・ギタリストは珍しい。これで50年間生き抜いてきたのだから、やはり名を成した人は違うものである。

 もう二度と会えないかもしれないキング・クリムゾンである。まさか中学生の時に聞いたあのアルバムの曲を、目の前で聞くことができるとは思えなかった。欲を言えばきりがないが、「ポセイドンのめざめ」、「リザード」や「アイランズ」の中からの曲ももっと聞きたかった。組曲"Lizard"なんかはどんなふうに演奏されるのだろうか。

 基本的には、その日のセットリストは、その日の朝にフリップ翁が決めると言われている。40~50曲のうちから選ぶのだから、さすが英国伝統技能集団はレベルが違う。服装もきちんとスーツ姿が目立っていたし、プライドと自覚はレベル5並だろう。

 ただ、進化するキング・クリムゾンである。トリプル・ドラムになったのも、8人編成になったのも、ひたすら自分たちが望む音を追及した結果だろう。デビューして50年たっても懐メロバンドにならないのがキング・クリムゾンの偉大な点である。メンバーはやや高齢化してきたけれども、まだあと10年くらいはできるのではないだろうか。

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2018年12月10日 (月)

ライヴ・アット・リーズ

 “レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズの最終回である。前回はアメリカン・ロックを代表して、オールマン・ブラザーズ・バンドのライヴ・アルバムだったが、今回はブリティッシュ・ロックを代表して、ザ・フーのアルバムについて記したい。Thewho
 ザ・フーが初めて発表したライヴ・アルバムが「ライヴ・アット・リーズ」だった。これはザ・フーがイギリス北部にある地方都市の大学で行った公演をレコーディングしたものであり、最初からライヴ音源として発表することを意図して企画されたものだった。

 公演が行われたのは、1970年の2月14日である。ザ・フーは、前年の5月に歴史的名盤であるロック・オペラの2枚組スタジオ・アルバム「トミー」を発表していて、その後アルバムのプロモーションも兼ねてツアーで演奏して回り、アルバム全曲を披露することで彼らの人気はますます高まっていった。また、ツアーにはあのウッドストックでのライヴ演奏も含まれていて、彼らの人気はアメリカでも急上昇していった。

 このアルバムとツアーの成功で、彼らはそれまでのシングル・ヒット中心のロック・バンドから攻撃的で破壊的なステージングのみならず、文学的で哲学的なロック・バンドとして認められるようになったのだが、当時の彼らの最高のパフォーマンスを記録として残すと同時に、世の中に発表したのがこのリーズ大学でのライヴ演奏だったのである。

 この時の様子を、バンド・メンバーのピート・タウンゼントは、次のように語っていた。「このアルバムには、当時の俺たちの音には、並外れた流動性があるってことを証明しているんだ。恐ろしいほどのパワーが漲っていた。
 そして、ザ・フーにとって重要なことは役割が逆転していたってことだ。つまり、リード・ギターがベース兼ドラムスで、ベースとドラムがリード・ギターの役割を果たしていた。それでもベースとドラムは、リード・ギターに支えられてリズムをリードしていたっていうのかな。疑問に思うかもしれないけれど、この素晴らしいやり方がとてもうまく作用していた。8トラックでレコーディングしたわりには良く録れたと思うよ」Maxresdefault
 この「ライヴ・アット・リーズ」のプロデューサーも兼ねていたピートだから言える言葉だろう。このライヴ・アルバムに行きつくまでに、彼らはイギリスやアメリカで行ったライヴの模様をレコーディングしていたのだが、なかなか満足するものがなかったらしい。
 それで、彼らはリーズ大学で移動式のレコーディング・システムを持ってきて録音したのだが、万一、うまく行かなかったことを考慮して翌日もレコーディングを行った。これが世に名高い“ハル公演”である。

 結局、「ライヴ・アット・リーズ」は、1970年の5月に発表されたのだが、当然その時はレコード形式だったので、全6曲、約36分として収録された。
 それでもこのアルバムは、圧倒的な高評価を受けて、全英で3位、全米で4位を記録し、当時最高のライヴ・アルバムといわれていた。ちなみにその6曲とは、次のようなものだった。
サイドA
1.Young Man Blues
2.Substitute
3.Summertime Blues
4.Shakin' All Over
サイドB
1.My Generation
2.Magic Bus61dorxcsjjl__sl1184_
 今の時代からは信じられないのだが、たった6曲で“最高のライヴ・パフォーマンス”と呼ばれるくらいだから、どれだけ彼らのエネルギーというかパワーが凝縮されていたのだろうかと思ってしまう。それだけ彼らのライヴ・アルバムを待望する機運が高まっていたのだろうし、それだけでなく、実際にレコードを通して、凄まじい彼らのライヴ・アクトを経験することができたからだろう。

 そして、1995年に「“ライヴ・アット・リーズ”25周年記念アルバム」が発表され、それにはほぼ当日のセットリストに従って14曲が収められていた。41nlgxragml
1.Heaven And Hell
2.I Can't Explain
3.Fortune Teller
4.Tattoo
5.Young Man Blues
6.Substitute
7.Happy Jack
8.I'm A Boy
9.A Quick One, While He's Away
10.Amazing Journey/Sparks
11.Summertime Blues
12.Shakin' All Over
13.My Generation
14.Magic Bus

 御覧の通りに、オリジナル盤より8曲も増えている。これはやはり“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”に認定されてもいいんじゃないかと思っている。71mdnkayiol__sl1194_
 ただここには、当時ツアーで演奏されていた「トミー」の楽曲は含まれていなかった。いや、正確に言うと、10曲目の"Amazing Journey/Sparks"は「トミー」に含まれていたので、それ以外の曲は収録されていなかったということになる。71l0lbkof2l__sl1257_
 それでもザ・フーのファンならば、「25周年記念エディション」でも十分満足できただろう。かくいう自分もこのCDは購入してしまった。
 ところが、それを凌駕する「“ライヴ・アット・リーズ”デラックス・エディション」が2001年に発表されたのだ。31周年記念だったのだろうか。51ue6cacudl
 このアルバムは2枚組になっていて、ディスク1が"Amazing Journey/Sparks"を除く全13曲、ディスク2は「トミー」全曲、全20曲が収められていた。
 オリジナルの「トミー」は2枚組、全24曲だったから、このライヴ・ヴァージョンでは4曲が削られていた。削られた4曲は次の曲たちだった。数字はオリジナル盤の曲順を意味している。
サイドB
2.Cousin Kevin
4.Underture
サイドC
8.Sensation
サイドD
4.Welcome

 アルバム「トミー」の楽曲は、実際にはディスク1の9曲目と10曲目に演奏されていた。だから「25周年記念エディション」では、その残滓として"Amazing Journey/Sparks"が残されていたのだろう。
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 また余談だが、このエディションでは、ディスク1における"Happy Jack"と"A Quick One, while He's Away"のボーカル部分をロジャー・ダルトリーが、"Heaven And Hell"のボーカルの一部をジョン・エントウィッスルが録音し直している。つまり25年後の声を入れたわけだが、全く違和感を覚えない。レコーディング技術が進歩したせいだろうか。

 ところが、である。これで終わったと思ったのだが、商魂たくましい、いやファンの心情に寄り添ったレコード会社は(なぜかポリドールが多いような気がするのだが)、2010年に今度は「40周年記念コレクターズ・エディション」を発表したのだ。

 これにはリーズ公演の次の日に行われた「ハル公演」(ハル・シティ・ホールにおける演奏)も含められており、ハル公演でのディスク1では"Magic Bus"が収録されていなかった。(ディスク2は全20曲で同じだった)
 また、「スーパー・デラックス・コレクターズ・エディション」というのも発表されていて、これには「リーズ公演」と「ハル公演」の合計4枚のCD、オリジナルLPに7インチ・シングル、豪華写真集などが備えられていて、お値段的には25000円以上もした。当然ながら、貧乏な自分は手を出していない。41skbdqml
 さらにさらに、2014年には音楽配信、いわゆるダウンロードして聞くことができるようになり、これは当時のセットリスト通りに全33曲を通して耳にすることができる。これも有料なのはいうまでもない。
 そして、2016年にはアナログのレコード盤でも入手することができるようになって全3枚組らしいが、自分はまだお目にかかっていない。

 次は紙ジャケ化とか、「50周年記念」とかになるのかもしれない。一体いつまで続くのかわからないが、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”については、「ライヴ・アット・リーズ25周年記念エディション」までで十分なように思うのだが、どうだろうか。

 というわけで、ミュージシャンたちも高齢化すると、なかなか新作を発表できないでいるが、その代わりに今まで表に出なかった曲などを含めた既発アルバムの再編集盤が発表されるのだろう。
 それにはスタジオ・アルバムよりも、当時の“熱狂”や“興奮”が詰まったライヴ・アルバムの方がふさわしいし、ファンもそれを望んでいるはずだ。

 まだまだ探せばこのテーマに相応しいアルバムは見つかるだろうが、きりがないのでこの辺で終わらせたい。みんなで、このアルバムやあのアルバムなどと、話題にしてみるのも面白いと思っている。

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2018年12月 3日 (月)

オールマン・ブラザーズ・バンド(3)

 いよいよ師走になった。平成最後の12月になった。本来なら今年を振り返ってのアルバムなどを発表するのだが、今回と次回は、もう一度、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”について記そうと思う。

 本当は前回のチープ・トリックの項で、このシリーズは終わろうと思っていたが、もう2回分だけ、英米を代表するバンドのアルバムについては紹介した方がいいだろうと考えた。
 そして、今回はアメリカン・ロックの中から、オールマン・ブラザーズ・バンドのライヴ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」について記すことにした。81swjjuy5ql__sl1400_
 オールマン・ブラザーズ・バンドについては、以前もこのブログに書いているので、詳細は省略したいが、ごく簡単に言うと、彼らは、いわゆる“サザン・ロック”といわれるジャンルに属していて、アメリカ南部の泥臭いブルーズを洗練させ、その上で豪快で迫力のあるロックンロールを演奏していた。この“サザン・ロック”という言葉自体が市民権を得るようになったのも、このオールマン・ブラザーズ・バンドの影響といってもいいだろう。

 彼らは1969年にデビューし、2枚のスタジオ・アルバムを発表するもなかなか売れず、全米的にはまだまだ名前は知られていなかった。
 それがこのライヴ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」で一挙に全米を代表するバンドのひとつになっていき、先ほどにもあるように、“サザン・ロック”という言葉が知名度を得たのである。

 このアルバムは、1971年の発表当時では2枚組全7曲だった。当時はレコードだったから、レコード4面で7曲ということは、平均すると1面で1~2曲になる。正確に記すと、当時の曲構成は以下のようなものだった。
サイドA
1.Statesboro Blues
2.Done Somebody Wrong
3.Stormy Monday
サイドB
4.You Don't Love Me
サイドC
5.Hot 'Lanta
6.In Memory Of Elizabeth Reed
サイドD
7.Whipping Post61selz2ol_2
 このアルバムについては、全体で約78分だったから、短い曲ならもう2曲くらいは含まれていてもおかしくないと昔から思っていた。だから1989年にCD化されたときには、レコードとは違って曲数が増えているのではないかと期待していたのだが、残念ながらそうはならなかった。81ex50ndrtl__sl1411__2
 話は前後するが、このフィルモア・イーストのライヴは、彼らにとっては3度目の公演になった。一番最初は、1969年12月で、その時はブラッド、スウェット&ティアーズのオープニング・アクトだった。次が翌年の2月のグレイトフル・デッドと共演したときだった。

 ライヴ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」がレコーディングされたときは、1971年3月12日と13日の金曜日と土曜日で、週末ということもあり多くのオーディエンスが駆けつけていた。
 この時は2日間で計4回のライヴ公演が行われており、それぞれ午後8時からと午後11時30分から始まっていた。1回目と2回目の公演の間は、そんなに時間間隔があいていなかったので、午後8時からの公演は約1時間程度のコンパクトなものだった。

 ただ、13日の2回目の公演の前に爆弾予告の電話があって、ライヴは一時中断している。その後再開したのだが、最後の曲"Drunken hearted Boy"が終了したときは朝の6時を超えていたという。こういう経験はめったにないことだろう。

 彼らは1972年に、当時のレコードでは2枚組だった「イート・ア・ピーチ」というスタジオ録音とライヴ曲が混合されたアルバムを発表していて、このアルバムにも3曲のフィルモア・イーストにおけるライヴ音源が含まれていた。要するに例えていうならば、オールマン・ブラザーズ・バンド版「クリームの素晴らしき世界」だろう。61pgbqhggl__sl1400_
 そしてこの時の3曲"Mountain Jam"、"Trouble No More"、"One Way Out"が、1992年に発表された「フィルモア・イースト・ライヴ」拡大版に収録された。

 さらにこのアルバムにはそれまで収録されていなかったフィルモアでのライヴ曲、"Don't Keep Me Wondering"と"Drunken Hearted Boy"も含まれていて、全部で12曲になっていた。こうなると、確かにレコードよりは充実しているように思えるし、実際のライヴ感覚に近づいてきたように思える。

 ところが、2003年の9月に入って、このライヴ盤のデラックス・エディションが発表された。それにはもう1曲、ディスク1の最後に"Midnight Rider"という2分55秒の短い曲が収録されていて、これで全13曲という内容になった。もとのレコードから考えれば、2倍近い増量になっている。7176ppiuxl__sl1098_
 また、このデラックス・エディションでは曲順も代えられていて、実際の演奏順に近いものになっていた。ちなみに、拡大盤とデラックス・エディションの"One Way Out"と"Midnight Rider"の2曲は場所はフィルモア・イーストだが、録音時は同年の6月27日のものが使用されていた。71uiwzifkhl__sl1096_
 この6月27日というのは、この日をもってフィルモア・イーストを閉鎖するという、いわば最終公演の歴史的な日だった。出演したバンドは、オールマン・ブラザーズ・バンド以外に、J.ガイルズ・バンド、アルバート・キング、特別ゲストとして、マウンテン、エドガー・ウィンターズ・ホワイト・トラッシュ、ザ・ビーチ・ボーイズなどであった。

 そして、これでもう最終版だと思っていたのだが、ところが商魂たくましいレコード会社は、さらに「フィルモア・イースト・ライヴ」完全版を2014年の6月に発表した。これは1971年の3月12日と13日の4公演と6月27日の公演を、美しい写真集とともに6枚組のボックス・セットに収めたもので、全37曲、6時間を超える名演奏を堪能することができる。まさに歴史の目撃者を実感させるような内容になっていた。715tlbonyl__sl1295_
 とにかく長生きしてよかったと思わせるような名演奏の数々である。確かにレコードとしての音の質感や温かみなどは独特のものだし、レコードならではの味わいはあると思うのだが、せっかくの未発表の音源があるのであれば、たとえCDであったとしてもやはり聞いてみたくなるのが人情というものだ。81nrjxiu4l__sl1500_
 デュアンが亡くなってもう45年以上が経つし、弟のグレッグ・オールマンも昨年の5月に病気で亡くなった。もう再びバンドが息を吹き返すことはないだろう。"In Memory Of Allman Brothers"である。

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