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2019年1月

2019年1月28日 (月)

ザ・ジェイホークス

 このバンドの名前を聞いて、てっきり日本のバンドのJ-Walkの兄弟バンドかと思っていた。アメリカのバンド、ザ・ジェイホークスのことだ。
 このバンドの最新アルバムを昨年の秋以降、よく聞いたものだ。自分でもこんなにハマるとは思ってもみなかった。

 このバンドのことは以前から気になっていたのだが、その名前やバンドの姿からカントリー系のバンドだと思っていたから、ちょっと手が出せないでいた。自分はカントリー系の音楽はちょっと苦手なのである。

 ところがある日、ラジオから彼らの最新アルバム「寂れたモーテルとズッと続く道と」の中の曲"Come Cryin' to Me"が聞こえてきて、これがまたグッとくる名曲だった。それで、このアルバムをネットで検索してみたところ、アルバム・ジャケット写真も哀愁をそそるもので、これはもう即買いだと思ったのである。71psql0czel__sl1110__2
 ちなみに、このアルバム・ジャケットの写真は、映画監督のヴィム・ヴェンダーズが撮影したものだという。そういわれれば、何となく彼の映画のワン・シーンのようだ。久しぶりにアルバム・ジャケットに魅せられてしまった。

 この2018年の最新アルバムは、彼らのスタジオ・アルバムとしては10枚目にあたり、もちろん新曲もあるが、そのほとんどは他のバンドやミュージシャンが取り上げた曲や彼らに提供した曲を自分たちで再演したものだった。というわけでもないだろうが、アルバムの充実度というか楽曲のレベルが高くて、だから1曲を聞いただけでもアルバム全体の雰囲気や様子などが伝わってきたのだろう。

 2曲目の"Everybody Knows"や4曲目の"Bitter End"などは、女性3人組のバンド、ディクシー・チックスの2006年のアルバム「テイキング・ザ・ロング・ウェイ」に収められていた。ザ・ジェイホークスのリーダーであるゲイリー・ルーリスと彼女たちで作った曲である。
 また、ディクシー・チックスのメンバーであるナタリー・メインズの2013年のソロ・アルバム「マザー」にも、"Come Cryin' to Me"が提供されていた。ザ・ジェイホークスとディクシー・チックスとは、交流が深いようだ。

 また、3曲目の"Gonna Be A Darkness"は、ボブ・ディランの息子であるジェイコブ・ディランとの共作で、アメリカのTV番組「トゥルー・ブラッド」で使用されたものだったし、7曲目の"Need You Tonight"はロサンゼルスのインディ・ロック・バンドのスコット・トーマスのソロ・アルバムで使用された曲だった。

 さらには8曲目の"El Dorado"はテキサス出身のSSWであるキャリー・ロドリゲスとの共作だし、続く"Bird Never Flies"はニューヨーク、ブロンクス出身のSSWアリ・へストの2007年のソロ・アルバム「ザ・ブレイク・イン」に収められていた曲だった。
 
 また、共作したものの、発表されないまま終わった曲もあって、今回のこのアルバムで初めて陽の目を見た曲も含まれている。5曲目の"Backwards Women"はナッシュビル出身のバンド、ワイルド・フェザーズと、6曲目の"Long Time Ago"はペンシルバニアのバンド、トニックのメンバーであるエマーソン・ハートと一緒に作った曲だった。

 ということで、全くの新曲というのは最後の2曲、10曲目の"Carry You to Safety"と11曲目の"Leaving Detroit"の2曲だけだが、それでもアルバム全体としては統一感があり、スローな曲は心に染み込んでくるし、ミディアム・テンポの曲でもしっかりとロックしているのである。ザ・ジェイホークスのリーダーであるゲイリー・ルーリスの作風が反映されているのだろう。決して歴史的な名盤とは言わないが、それでも一生に一回は耳を傾けるべき必聴盤だと思っている。71bea6jc8hl__sl1122__2
 ザ・ジェイホークスは、1985年にミネソタ州のミネアポリスで結成された。当時のメンバーは4人組だった。
・マーク・オルソン(ボーカル、ギター)
・ゲイリー・ルーリス(ボーカル、ギター)
・マーク・パールマン(ベース・ギター)
・ケン・キャラハン(ドラムス)
 バンドはマークとゲイリーの双頭バンドだった。マークが言うには、エヴァリー・ブラザーズやフライング・ブリトー・ブラザーズなどを聞きながら、ハーモニーの練習を重ねていったらしい。01fband_rehearsal_5
 日本盤でのデビューは7年後の1992年「ハリウッド・タウン・ホール~聖林公会堂」だった。全10曲で約42分、ミディアム・テンポの曲調が多くて、途中でまどろんでしまうこともあったが、確かに90年代のグラム・パーソンズあるいは丸くなったバッファロー・スプリングフィールドというか、初期のポコやイーグルスが持っていたカントリー・ロックのテイストがそのまま息づいているような内容だった。

 また、このアルバムのゲスト陣として、4曲目の"Two Angels"、5曲目の"Take Me With You"、10曲目"Martin's Song"のピアノにはニッキー・ホプキンス、それ以外の曲ではトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのベンモント・テンチがキーボードを担当している。さらにチャールズ・ドレイトンもドラムスを担当していたが、どの曲かはわからなかった。

 当時の彼らは、ブラック・クロウズのオープニング・アクトとしてツアーに同行していて、その時には、このアルバムの中の曲をもっとブルージィーに演奏していたという。ただ、このアルバムについては、同じような曲調なので、ちょっと単調に感じる人もいるかもしれない。515ae0rkmbl
 このアルバムから3年後の1995年には、彼らの最高傑作と呼ばれている「トゥモロー・ザ・グリーン・グラス」が発表された。通算では4枚目のスタジオ・アルバムになるのだが、日本では2枚目のアルバムになった。

 このアルバムではメンバー・チェンジが行われていて、ドラマーが脱退して、新しくキーボード担当に女性のカレン・グロットバーグが参加している。ドラマーに関しては、この時はまだ決まっていなくて、スタジオ・ミュージシャンなどで代用していた。
 カレンは「寂れたモーテルとズッと続く道と」でも歌とキーボードを担当しているが、最初の加入以降、途中でバンドを抜けていた時期もあったようだ。

 このアルバムは“彼らの最高傑作”と呼ばれているように、確かに前作よりもロック的で、起伏に富んだ内容になっている。たとえば3曲目のファズ・ギターが前面に出ているロック的な"Miss Williams Guitar"、5曲目の"Real Light"という曲もあれば、一転して穏やかなバラード・タイプの"Two Hearts"という曲も収められていた。
 前作に引き続き、ベンモント・テンチもキーボードで参加していて、そういえば作風がトム・ペティ風になってきたなあとも感じた。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが好きな人なら、このアルバムはまさに必聴だろう。

 他にも、アコースティックな色合いの強い"Blue"、"Over My Shoulder"、グランド・ファンク・レイルロードの"Bad Time"をアコースティックに改変したものなど、ロック色もあるし、スティール・ギターが目立つカントリー・タッチの曲もあるし、幅広いファン層に訴えかける内容になっていた。61r8cqf5fl
 このアルバムの11曲目"Pray for Me"と13曲目"Ten Little Kids"には、ヴィクトリア・ウィリアムスという女性がバッキング・ボーカルを務めているが、彼女は多発性硬化症という治療法も見つかっていない難病に侵されていて、視力や運動に障害を伴っていた。
 ザ・ジェイホークスを始め、他のミュージシャンも彼女を応援していたが、ザ・ジェイホークスのメンバーで中心人物の一人マーク・オルソンは、1994年に彼女と結婚したのである。

 そしてその結果、マークはザ・ジェイホークスを脱退してしまう。理由は、妻のヴィクトリアの看護をするためだった。
 彼はその後、妻と一緒にジ・オリジナル・ハーモニー・リッジ・クリークディッパーズという3人組のバンドを結成し、アルバムを定期的に発表していった。

 ただし、2005年にマークとヴィクトリアは離婚してしまい、マークはソロ活動に専念するようになった。2010年には、再びザ・ジェイホークスに戻るのだが、アルバム1枚とそれに伴うツアーを行った後、2012年にはまた脱退してしまう。マークはソロ活動の楽しさを覚えたようだった。

 自分は昨年のアルバム「寂れたモーテルとズッと続く道と」から遡って、彼らの経歴やアルバムを知っていったのだが、彼らの最高傑作は「寂れたモーテルとズッと続く道と」だと思っている。確かに「トゥモロー・ザ・グリーン・グラス」も素晴らしいのだが、哀愁感や寂寥感は最新アルバムの方が優れていると思うのだ。

 こういう良質なアメリカン・バンドが活躍できる余地のある今のアメリカのミュージック界も、まだまだ捨てたものではないと感じている。

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2019年1月21日 (月)

バランス

 自分が初めてバランスというバンドのことを知ったのは、1993年の頃だった。当時、音楽乃友社という出版社から「ロック・クラシックス」という1400円の本が出版されていた。その本の中に、「HMV渋谷が選ぶRock Classics Best 10」というコラムがあって、その第8位にバランスというバンドのアルバム「イン・フォー・ザ・カウント」がランクしていたのだ。

 そのコラムの中では、こう書かれていた。“80年代ハード・ポップ主流の中で、曲・サウンドともに優れていたと思う。ファーストよりこのセカンドが個人的に好きだった”

 どんなバンドで、どんなアルバムを発表したのか気になった自分は、さっそく探してみたのだが、当時はまだ今ほどインターネットが普及していなかったから、よくわからなかった。それで当時あった小さなCDショップ屋さんに行って、輸入盤を注文した。しばらくすると連絡が来て、受け取りに行った思い出がある。

 だから、バランスというバンドのアルバムは、セカンド・アルバムの「イン・フォー・ザ・カウント」から先に聞いたのだった。61njfmxznjl
 その時、さすが雑誌のコラムに載るだけあって、歴史の中に埋もれてしまった必聴盤のようなものだと思った記憶がある。

 このアルバムは1982年に発表されていて、一言でいうと、80年代に流行ったメロディアス・ハード・ロックといった感じで、当時のチャートを賑わせていたジャーニーやフォーリナーの亜流といったものだ。もう少し具体的に言うと、サヴァイヴァーやヨーロッパといった感じだろうか。

 曲調は疾走感あふれるハード・ロックやハードながらもメロディはしっかりしているミディアム・テンポの曲などバラエティに富んでいて、聞いていて飽きない。時間的にも全9曲中、4分台の曲が3曲で、残りの6曲はすべて3分台だった。だから全体でも35分少々と、40分にも満たないのだ。

 特に、アルバム・タイトル曲の"In For the Count"はヨーロッパの"Final Countdown"をパクったような感じだったし、"Undercover Man"でのギター・ソロは火の出るような激烈さだった。一方、"Is It Over"は疾走感あふれる佳曲だし、ミディアム・テンポの"Slow Motion"ではマイルドで、ラジオでオンエアされそうなポップ・テイストを備えていた。

 ただ、当時のこの手のアルバムには必ず挿入されていたお約束のバラード曲、"Pull the Plug"はいただけなかった。聞いていて気持ちが何となくムズムズしてくるのだ。納得できないというか、気持ちが昇華しないのである。バラード曲といっても、涙涙の涙腺が緩むようなメロディアスな部分もないし、ブルージィーなギター・ソロ(あるいはキーボード・ソロ)もない。この点は失敗だったのではないだろうか。51ipnx2jhl
 だから、徹底的にハードで押し通して、中に感動的なバラードを1曲くらい入れればもっと売れたのではないかと思っていた。ある意味、ハード・ロック路線なのかポップ・ロック路線なのか、特に後半部分の曲に進むにつれて、判別しづらいところがあった。

 とにかく当時は彼らに関して何も資料がなくて、アメリカン・バンドなのかブリティッシュ・バンドなのかもわからなかった。ただ、作曲者名を見ると、どうもヒスパニック系というか、一般的な英語名ではなかったので、これはブリティッシュ・バンドではないだろうと見当をつけていた。

 あとで分かったことなのだが、このアルバムのプロデューサーは、トニー・ボンジョヴィという人で、この人は、あのジョン・ボン・ジョヴィの叔父さんにあたる人だということだった。なるほど、世の中は広いようで狭いものだ。

 そのあと彼らのことはすっかり忘れてしまっていたのだが、昨年、タワー・レコードのネット・ショップを見ていたら、“AOR City1000”というシリーズものがあって、歴代のAORの名盤?を1000円+消費税で販売していることに気づいた。

 その中に、バランスの「ブレイキング・アウェイ」というアルバムが販売されていた。これはひょっとしてあのバランスのアルバムなのだろうか、でもなんでAORなんだろうと不思議に思い、その謎を解明すべく購入してしまった。81wh2qesnil__sl1425_
 このアルバムは、1981年に発表されたバランスのデビュー・アルバムで、2010年にリマスタリングが施され、日本初CD化されたものだった。

 解説書によると、バランスはニューヨークを拠点にして活動する3人組だったようで、当時は西海岸出身のTOTOに対抗して、“TOTOに対する東からの回答”と呼ばれていたようだ。
 でも自分はそんな話は全然聞いたことがなくて、本当にそんな話があったのかどうなのかは、よくわからない。TOTOは有名だったけど、バランスの方はそんなにメジャーなバンドじゃなかったと思う。

 3人組とは、ボーカリストのペピィ・カストロ、ギターのボブ・キューリック、キーボードのダグ・カッサロスのことで、いずれも東海岸では超有名なスタジオ/セッション・ミュージシャンだった。
 そして、このデビュー・アルバムでは、ドラムスに元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのアンディ・ニューマークが、ベースにはドゥービー・ブラザーズにも在籍していたウィリー・ウィークスと元トッド・ラングレンズ・ユートピアのジョン・シーグラーが担当していた。この鉄壁のリズム・セクションだけなら、確かにTOTOと対抗できるだろう。

 ペピィというボーカリストは、ブルース・マグースというバンドで、1966年に全米シングル・チャート5位を記録した"Nothin' Yet"というという曲を歌っていて、このバンドには一時期シンガー・ソングライターのエリック・カズも在籍していたという。
 その後、ミュージカルに出演するなど幅広く活動の舞台を広げていったが、その過程でキーボーディストのダグと知り合った。

 ギタリストのボブもまた有名なセッション・ミュージシャンで、ルー・リードの「コニー・アイランド・ベイビー」やアリス・クーパーのツアーにも呼ばれるほどの腕前だった。
 ボブは、1978年にキッスのポール・スタンレーのソロ・アルバムのレコーディングに参加していたが、その時、ペピィはコーラスで、ダグもピアノ&コーラスでレコーディングに呼ばれていた。

 結局、それがきっかけとなって、バランスが結成された。そこから曲作りやレコーディングを行い、デビュー・アルバムにつながったのである。ちなみに、ギタリストのボブ・キューリックは、のちにキッスに参加したブルース・キューリックの実兄だった。兄弟でバンド活動という発想はなかったのだろうか。

 一聴した限りは、このデビュー・アルバムはメロディアスだし、中にはストリングスでコーティングされるような曲もあり、アレンジは凝っているし、普通のロック・バンドではなかなか表現できないほど技巧的でもあった。
 ただ、あまりにも露骨というか、売ろうとする下心が垣間見えるような気がしてならない。だから、個人的にはあまり好きではないのだ。

 このデビュー・アルバムは、全米アルバム・チャートでは133位とあまり売れなかったが、シングルカットされた"Breaking Away"はシングル・チャートで22位、続くセカンド・シングルの"Falling in Love"は58位を記録している。まあ、それなりに売れたというわけだ。5158ovcecwl
 ただ全10曲で、合計37分程度の内容だった。10曲中4分台の曲は2曲のみで、残りはすべて3分台だった。潔いといえば潔いが、それだけ売れ線に徹していたということだろう。これだけの技量を持つミュージシャンがせっかく集まったのに、何となくもったいないような気がした。

 このあとバランスは、1983年まで活動を続けた。日本の自動車ダイハツのシャレードのTVコマーシャル・ソング"Ride the Wave"も手掛けたといわれているが、自分はよく覚えていない。
 結局、契約を切られてしまったわけだが、2006年にイタリアのレーベルが「イン・フォー・ザ・カウント」の再発を決めたことから、ニュー・アルバム発表を打診され、最終的にオリジナル・メンバーで、2009年に「エクィリブリウム」というアルバムを発表した。51wflb5cqbl
 27年振りのアルバムだったが、基本的にはセカンド・アルバム「イン・フォー・ザ・カウント」をさらにハードにしたロック・アルバムだった。彼らはヨーロッパ、とくに北欧で人気が高く、2010年代に入っても散発的にスウェーデンなどでツアーを行っている。

 こういうハード・ロックながらもメロディアスな楽曲をするバンドは、北欧などでは人気が高いのだろう。でも、21世紀の今になってバランスの名前を聞くとは思ってもみなかった。“芸は身を助く”といわれるが、一芸に秀でることの重要性を、このバンドは教えてくれているようだ。Maxresdefault

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2019年1月14日 (月)

グレタ・ヴァン・フリート

 新年を迎えての実質的な第一弾に当たる今回は、昨年末にヘヴィ・ローテーションしていたこのアルバムを紹介することにした。アメリカの新人バンド、グレタ・ヴァン・フリートのデビュー・アルバム「アンセム・オブ・ザ・ピースフル・アーミー」である。

 知っている人は知ってると思うけど、あのエルトン・ジョンが大絶賛をし、ガンズ・アンド・ローゼズが自分たちのツアーのオープニング・アクトに起用し、そしてあの伝説のバンドのボーカリストであるロバート・プラントまでもが、“彼らはかつての俺たちだ”と称えたと言われているバンドだ。B020
 メンバー構成は、基本的なロックン・ロール・バンドと同じボーカル、ギター、ベース、ドラムスだが、普通のバンドと違う点は、ボーカルとギターが双子の兄弟で、ベースはその弟という点だろうか。要するに、3兄弟とその幼馴染で構成されているのだ。
 しかも、メンバーの平均年齢が20歳というのだから驚きである。現時点では、ベース&キーボード担当のサムはまだ19歳ということで、ますますこれからが期待されるだろう。

・ジョシュ・キスカ(ボーカル)
・ジェイク・キスカ(ギター)
・サム・キスカ(ベース・ギター&キーボード)
・ダニー・ワグナー(ドラムス)

 彼らはアメリカのミシガン州サギノー郡のフランケンムースという場所で結成された。2010年の国勢調査によれば、人口約4944人という小さな町で、アメリカ人の間では世界で一番大きいクリスマス専用ショップがあることで知られているという。

 とにかく田舎町で、メンバーが子どもの頃は広大な草原で走り回ったり、ザリガニを釣りながら川下りをしたりと、自由な環境の中で育っていった。また、そういう自然環境のみならず、両親もR&B やロックン・ロールのクラシック・レコードを集めて聞いていたせいか、家庭環境でも音楽的下地を形成するために役立ったようだ。

 2013年にドラマーが交代したが、その前から"Cloud Train"、"Standing On"などの曲を録音していて、中高生の時から活動を始めていたことがわかる。
 2014年に"Standing On"がデトロイト地区の車のTVコマーシャルに使われたことから徐々に口コミでうわさが広がり、2016年にはiTunesで"Highway Tune"がシングル曲として発表され、翌年にはその曲を含む4曲入りEPが発表された。

 その後は、雪玉が転がることでだんだん大きくなるように、彼らの人気はうなぎのぼり、ライヴ会場もスタンディングの小さなクラブから1200人規模のイス席のホールにまで発展していった。

 そして、待望のフル・アルバム「アンセム・オブ・ザ・ピースフル・アーミー」が2018年の10月に発表されたのだ。輸入盤では10曲、国内盤は4曲のミニアルバム「ブラック・スモーク・ライジング」を含む14曲入りだった。51wkcuemlbl
 音楽性は多様で、ロックン・ロールからブルーズ・ミュージック、フォーク・ミュージックまで幅広いものだったが、一番驚いたのは、誰がどう聞いてもイギリスの伝説的なバンドの音楽性に似ている点だった。

 似ているというか、ギターのリフや入り方、ボーカルのジョシュの高音圧の金切りシャウト、アコースティック・ギターの柔らかな響きなど、完全にパクっているのではないかと思われるほどだ。
 だから人によっては、コピー・バンドとかキングダム・カムの再来などと少し軽蔑じみた言葉を投げていた。確かに聞く人によっては、それはその通りなのだろう。

 彼ら自身は、自分たちを“第二の〇〇”などとは思っていなくて、そういう似た音が出てくるのは、子どもの頃から過去のロック・ミュージックの洗礼を浴びていたからだという。例えば、ギタリストのジェイクは、ザ・フーやザ・ビートルズなどの60年代のブリティッシュ・ロックが好きのようだし、ボーカルのジョシュは、ボブ・ディランやジョン・デンヴァー、ジャニス・ジョプリンにウィルソン・ピケット、ジョー・コッカーなど幅広いジャンルに渡って影響を受けているとインタビューに答えていた。

  そんな彼らが発表したデビュー・アルバムが「アンセム・オブ・ザ・ピースフル・アーミー」である。このアルバムのテーマは、“人類の進化の旅や歴史上の教訓、平和、愛、調和”だそうである。それが全体を繋いでいて、しかも無意識的にそれらが生まれ、自分たちが創造したかったアルバムになったそうだ。Great
 とても新人バンドとは思えないほどの上質なアルバムである。1曲目の"Age of Man"はゆったりとしたブルージーな曲だが、やはり一番耳に飛び込んで来るのは、甲高いジョシュのボーカルである。“ロバート・プラントそっくりとか、意識しすぎ”と呼ばれても仕方ないだろう。

 それがよくわかるのが"The Cold Wind"だ。“Hey”、“Mama、Mama”というかけ声だけでなく、バックのドラミングもジョン・ヘンリー・ボーナムに似せているし、ベースもうねっている。スライド・ギターの入り方もジミー・ペイジに合わせているかのように聞こえてくる。
 3曲目のシングル・カットされた"When The Curtain Falls"も伝説のバンドが甦ったようだし、間奏のギター・ソロも弾きまくっている。できればもう少し長いソロを披露してほしかった。

 次の"Watching Over"はややスローなバラードっぽい曲で、このバンド、意外にバラエティに富んだ楽曲を用意したなと感心してしまった。この曲は“グレタ・ヴァン・フリート版 Since I've Been Loving You”だろう。

 このアルバムでポップな要素を持っているのは、"Lover, Leaver(Taker, Believer)"だろう。ポップというと誤解を招きそうなので、耳に残りやすいと言った方が適切かもしれない。あの偉大な伝説のバンドの曲で例えると、"Communication Breakdown"だろうか。"Living Loving Maid"までのポップ性はないと思う。

 後半の"You're The One"はアコースティック・ギターで導かれた爽やかな雰囲気を醸し出す曲で、この曲だけ聞けば、確かにアメリカン・バンドのような感じがした。間奏にジョン・ポール・ジョーンズのようなオルガンが聞こえてくるところがやはり伝説のバンドに似ていると言われる所以だろう。

 次の曲"The New Day"にもアコースティックな曲で、こちらはややテンポが速い。しかもバックコーラスも少しは聞こえてくるので、この辺は伝説のバンドとの相違点になるのではないだろうか。
 ジミー・ペイジ的スライド・ギターが聞こえてくるのが"Mountain of The Sun"だ。これもまたメロディラインがはっきりしていて、なかなか印象的な曲に仕上げられている。それに曲のアレンジもまた例の伝説のバンドの曲に似ている。途中の演奏が止んでボーカルだけの部分や、長いシャウトなどは本当によく似ていると思う。

 "Brave New World"は、またブルージーな楽曲に戻る。アメリカのロック・バンドでここまで湿った感じの雰囲気を出せるバンドはそう滅多にいないと思う。初期のエアロスミスやマウンテン、初期のグランドファンク・レイルロードなど、70年代のロック・バンドをどうしても思い出してしまう。

 10曲目の"Anthem"は、ほとんどアコースティック・ギターとスライド・ギターがメインの曲で、ジョシュのボーカルが際立っている。歌詞の内容も、世界とは世界を成り立たせているものを指していて、それは私たち一人一人なのだというメッセージ・ソングにもなっている。20歳そこそこの若者にしては、なかなか深遠な世界観を提示していると思った。

 ここまでの10曲は全体で約46分くらいで、こういうところも70年代のクラシック・ロックの世界観にこだわっているようだ。71buoeixol__sl1170_
 国内盤ではこのあと4曲のボーナス・トラックが付属していて、上にもあるようにEP「ブラック・スモーク・ライジング」の曲なのだが、これがまた伝説のバンドそっくりなのだ。ここではあえて省略するが、確かにこのEPだけ聞けば、誰もがあの伝説のバンドの再来だと思うだろう。"Flower Power"などはまさに"Your Time Is Gonna Come"と言われても仕方ないだろう。

 逆に言えば、本編CDの1曲目から10曲目までを聞けば、このバンドがこのEP以降どれほど成長したかが分かるだろう、わずか1年の間に。ちなみにこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートでは、最高位3位を記録している。英国では12位だった。

 もちろんこのまま素直に売れていく保証はない。むしろこの路線を続けて行けばいくほど、バッシングも高まるかもしれない。だから、この次のアルバムが彼らの試金石になるだろう。伝統を継承しながらも、彼らなりのオリジナリティを出して行けば、まさに2020年代を代表するバンドになっていくだろう。そんな期待を込めながら、セカンド・アルバムを待つことにしようと思っている。

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2019年1月 7日 (月)

今年は亥年

 今年は亥年ということで、イノシシのアルバム・ジャケットを探してみようと思った。ところが、これがなかなか見つからない。ロック・ミュージック以外ならソウル・ミュージックやポップスの分野ではネットで検索できたのだが、自分としては聞いたことがない音楽については勝手なことは言えないので、そういうものは除外して探してみたのだ。

 それでもよくわからなかった。なので、今年はパスしようと思ったのだが、せっかくのお正月だし、こんなつまらないブログでも世界で3人くらいは楽しみにしている人もいると思うので、イノシシの代わりにブタを探そうと思った。

 よく知られているように、ブタの祖先はイノシシである。イノシシが家畜化されてブタになったと言われている。
 一番古い記録では、約一万年前の中国にはブタが飼われていた。ブタの骨が化石となって発掘されている。新石器時代のようだが、もう少し歴史が下がって、エジプト文明やカスピ海沿岸でもブタの骨が見つかっている。

 確かに、イノシシの肉もブタの肉も食べられるし、栄養価に富んでいる。イノシシもブタも綺麗好きだし、雑食性だ。そういう面では共通点は挙げられるだろう。
 また、イノシシは10年くらい人に飼われると、鼻が短くなりブタのような顔になるともいわれているし、逆にブタが野生化する場合もあるらしい。

 オーストラリアにはイノシシはいないのだが、イギリス人が食料にするために持ち込んだブタが野生化して、広い荒野を走り回っていると言われている。その野生化したブタは、鼻は長く、体も大型化しているという。ひょっとしてあと100年ぐらいしたら、新種のイノシシが誕生しているかもしれない。

 そんなイノシシネタは置いといて、肝心のブタのアルバム・ジャケットを探してみたのだが、これもまたあまり思いつかなかった。やはりイノシシやブタという動物は、ロック・ミュージックには相容れないものなのだろうか。

 そんな中で一番有名なのは、やはりこのアルバムだろう。前作での元メンバーでリーダーでもあったシド・バレットへの郷愁の念から一転して、社会体制への批判というメッセージ性を強く出したこのアルバムは、非常に衝撃的だった。511hpkez7fl
 このアルバムの中では、“ブタ”は裕福な資本家にあたり、“ヒツジ”は従順な労働者で“イヌ”は、エリート・ビジネスマンという設定だった。
 そして商業的にも大成功で、ドイツやオランダ、スペインなどではチャートの1位を獲得し、本国イギリスでは2位、アメリカでは3位まで上昇し、約半年間チャートに留まっていた。

 ブタと言えば、ジョン・レノンのこの写真も忘れられない。中学生の頃は、何でブタの耳を掴んでいるのだろうと不思議に思っていたのだが、おとなになってからその理由が理解できた。
 この頃のジョンとポールの関係は冷え切っていたということが分かる写真だった。要するに、ポールのアルバム「ラム」のジャケットで、ポールが羊の耳を掴んでいることに対抗してジョンはブタの耳にしたのである。6468af895f48c56e1b3590be2b5a3d90
 だけど逆に言えば、それだけジョンはポールのことを意識していたともいえるわけで、当時は世界中からビートルズ解散の元凶とかバッシングされていたポールに対して非難や悪意を込めることで、逆説的に愛の手を差し伸べていたのかもしれない。いかにも皮肉屋のジョンのやりそうなことである。(だけどポールも「ラム」でひどいことを歌っていたので、お互いさまと言えばお互いさまなのだろう)

 1971年の歴史的名盤「イマジン」のおまけ写真(ポストカード)に映っていた写真だった。だから正確に言えばアルバム・ジャケットではないのだけれど、アルバムに付属していた写真ということでお許し願いたいと思う。

 さて、次はイギリスのバンド、ピンク・フェアリーズのサード・アルバムである。ピンク・フェアリーズについては、以前のこのブログでも紹介しているので、そこから少し引用することにした。彼らを語るには1960年代末のロンドンまで話を戻さなければならない。オリジナルのピンク・フェアリーズは、1969年の終わりに結成されたからだ。

 メンバーは、デヴィアンツというバンドにいたボーカル担当のミック・ファレンと、ティラノザウルス・レックスにいたベーシストのスティーヴ・トゥック、スティーヴ・ハウもいたトゥモロウのドラマーだったトゥインク、そしてジ・エンタイア・スー・ネイションというアングラ・バンドのギタリストだったラリー・ウォーレスの4人だった。

 ただバンド名は、その都度変わることがあり、彼らはピンク・フェアリーズと名乗ったり、シャグラットと言うこともあった。

 バンド名は、トゥインクがいつも着ていたピンクのジャケットと、彼が以前結成していたバンドのザ・フェアリーズに因んだものというのが定説になっている。ちなみにトゥインクは、ザ・フェアリーズからトゥモロウ、プリティ・シングスへとバンドを渡り歩いている。何となくアングラ臭のするバンドばかりだ。Pinkfairies

 それで話を元に戻すと、オリジナルのピンク・フェアリーズのメンバーだったミック・ファレンはデヴィアンツのリーダーでもあったのだが、彼がトゥインクのソロ・アルバム「スィンク・ピンク」のレコーディングに他のメンバーを呼んで参加させた。 

 この共演がきっかけとなって、ツイン・ドラムスの4人組バンドである第2期ピンク・フェアリーズが誕生することとなった。1970年の初めの頃のお話である。
 この時のメンバーは、トゥインクと同じドラマーのラッセル・ハンター、カナダ人ギタリストのポール・ルドルフ、ベーシストのダンカン・サンダースだった。

 彼らは、アルバムごとにメンバー・チェンジをしている。1972年のセカンド・アルバム「ホワット・ア・バンチ・オブ・スウィーティーズ」では、トゥインクが抜けて3人組になり、1973年のサード&ラスト・アルバムでは、ギタリストが交代してラリー・ウォーレスが戻ってきている。

 ラリーは、第1期ピンク・フェアリーズが自然消滅したあと、ピーター・バンクスの後釜としてブロドウィン・ピッグに参加して、そのバンドの解散後は1972年に、マイケル・シェンカーも在籍していたUFOに参加した。もちろんマイケルが参加する随分前である。

 この3枚目のアルバム「キングズ・オブ・オブリヴィオン」は、彼らの最高傑作と呼ばれているもので、たぶんその基準は、ロックの持つ疾走感や焦燥感を備えていて、それがのちのパンク・ムーヴメントに大きな影響を与えているところからきているのだろう。

 アルバムのタイトルは、デヴィッド・ボウイの1971年の「ハンキー・ドゥリー」の中の曲"The Bewlay Brothers"の1節から引用されたもので、アルバム・ジャケットも当時のアヒルが飛んでいる装飾品のパロディだった。

 2002年のリマスター盤には4曲のボーナス・トラックが収められているが、オリジナルは7曲で構成されていて、1曲目の"City Kids"からノリのよいロックン・ロールを聞くことができる。ここで聞くことのできるラリーのギターは、テクニック的には普通で、特に聞くべきところはないが、曲と非常にマッチしているので、有名ギタリストたちとひけをとらない感じがする。Photo
 2曲目の"I Wish I was a Girl"は9分以上もある大作で、長い曲の割には聞きやすく、あっという間に終わってしまう。この曲や6曲目の"Chambermaid"などは、ロング・ドライヴに最適な曲の1つだろう。
 また3曲目の"When's the Fun Begin?"はイントロが長いミディアム調の曲で、ややサイケデリックな匂いを漂わせている。

 ところでラッセル・ハンターはドンドン、ドコドコ、ドラムを叩いていて、何となくキース・ムーンのようだし、ベース担当のダンカンもバンドの屋台骨を支えている。とても3人とは思えない演奏だ。完全インストゥルメンタルの"Raceway"を聞くと、そのことがよくわかると思う。まさにB級ハード・ロックの真骨頂だろう。

 最後は日本のバンドから。1971年に発表されたPYGの唯一のスタジオ盤である。このバンドは、今でいうスーパー・バンドだった。何しろギターに井上堯之、ベースに岸辺一徳、キーボードは大野克夫、ドラムに大口ヒロシで、そしてなんとボーカルは沢田研二と萩原健一というツイン・ボーカルだった。

 当時のグループ・サウンズに詳しい人ならわかると思うけど、日本のグループ・サウンズを代表する三大バンドであるザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズのメンバーが集まっていた。81g2u6rxoll__sl1500_
 ただ、やはり“両雄並び立たず”というか、沢田研二と萩原健一やその他のメンバーを含めてバンド内の人間関係が悪化してしまい、1年余りで自然消滅してしまった。バンドはやがて井上堯之バンドとして続いたのだが、時折、沢田研二や萩原健一が加わるものの、前者はソロで、後者は俳優として活躍の場が広がったせいか、バンド自体が大衆性を獲得することはなかった。

 おまけとしてその名の通り、映画「紅の豚」のオリジナル・サウンドトラック盤を紹介して締めくくろうと思う。本年もよろしくお願い致します。410pfnnqphl

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