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2019年1月21日 (月)

バランス

 自分が初めてバランスというバンドのことを知ったのは、1993年の頃だった。当時、音楽乃友社という出版社から「ロック・クラシックス」という1400円の本が出版されていた。その本の中に、「HMV渋谷が選ぶRock Classics Best 10」というコラムがあって、その第8位にバランスというバンドのアルバム「イン・フォー・ザ・カウント」がランクしていたのだ。

 そのコラムの中では、こう書かれていた。“80年代ハード・ポップ主流の中で、曲・サウンドともに優れていたと思う。ファーストよりこのセカンドが個人的に好きだった”

 どんなバンドで、どんなアルバムを発表したのか気になった自分は、さっそく探してみたのだが、当時はまだ今ほどインターネットが普及していなかったから、よくわからなかった。それで当時あった小さなCDショップ屋さんに行って、輸入盤を注文した。しばらくすると連絡が来て、受け取りに行った思い出がある。

 だから、バランスというバンドのアルバムは、セカンド・アルバムの「イン・フォー・ザ・カウント」から先に聞いたのだった。61njfmxznjl
 その時、さすが雑誌のコラムに載るだけあって、歴史の中に埋もれてしまった必聴盤のようなものだと思った記憶がある。

 このアルバムは1982年に発表されていて、一言でいうと、80年代に流行ったメロディアス・ハード・ロックといった感じで、当時のチャートを賑わせていたジャーニーやフォーリナーの亜流といったものだ。もう少し具体的に言うと、サヴァイヴァーやヨーロッパといった感じだろうか。

 曲調は疾走感あふれるハード・ロックやハードながらもメロディはしっかりしているミディアム・テンポの曲などバラエティに富んでいて、聞いていて飽きない。時間的にも全9曲中、4分台の曲が3曲で、残りの6曲はすべて3分台だった。だから全体でも35分少々と、40分にも満たないのだ。

 特に、アルバム・タイトル曲の"In For the Count"はヨーロッパの"Final Countdown"をパクったような感じだったし、"Undercover Man"でのギター・ソロは火の出るような激烈さだった。一方、"Is It Over"は疾走感あふれる佳曲だし、ミディアム・テンポの"Slow Motion"ではマイルドで、ラジオでオンエアされそうなポップ・テイストを備えていた。

 ただ、当時のこの手のアルバムには必ず挿入されていたお約束のバラード曲、"Pull the Plug"はいただけなかった。聞いていて気持ちが何となくムズムズしてくるのだ。納得できないというか、気持ちが昇華しないのである。バラード曲といっても、涙涙の涙腺が緩むようなメロディアスな部分もないし、ブルージィーなギター・ソロ(あるいはキーボード・ソロ)もない。この点は失敗だったのではないだろうか。51ipnx2jhl
 だから、徹底的にハードで押し通して、中に感動的なバラードを1曲くらい入れればもっと売れたのではないかと思っていた。ある意味、ハード・ロック路線なのかポップ・ロック路線なのか、特に後半部分の曲に進むにつれて、判別しづらいところがあった。

 とにかく当時は彼らに関して何も資料がなくて、アメリカン・バンドなのかブリティッシュ・バンドなのかもわからなかった。ただ、作曲者名を見ると、どうもヒスパニック系というか、一般的な英語名ではなかったので、これはブリティッシュ・バンドではないだろうと見当をつけていた。

 あとで分かったことなのだが、このアルバムのプロデューサーは、トニー・ボンジョヴィという人で、この人は、あのジョン・ボン・ジョヴィの叔父さんにあたる人だということだった。なるほど、世の中は広いようで狭いものだ。

 そのあと彼らのことはすっかり忘れてしまっていたのだが、昨年、タワー・レコードのネット・ショップを見ていたら、“AOR City1000”というシリーズものがあって、歴代のAORの名盤?を1000円+消費税で販売していることに気づいた。

 その中に、バランスの「ブレイキング・アウェイ」というアルバムが販売されていた。これはひょっとしてあのバランスのアルバムなのだろうか、でもなんでAORなんだろうと不思議に思い、その謎を解明すべく購入してしまった。81wh2qesnil__sl1425_
 このアルバムは、1981年に発表されたバランスのデビュー・アルバムで、2010年にリマスタリングが施され、日本初CD化されたものだった。

 解説書によると、バランスはニューヨークを拠点にして活動する3人組だったようで、当時は西海岸出身のTOTOに対抗して、“TOTOに対する東からの回答”と呼ばれていたようだ。
 でも自分はそんな話は全然聞いたことがなくて、本当にそんな話があったのかどうなのかは、よくわからない。TOTOは有名だったけど、バランスの方はそんなにメジャーなバンドじゃなかったと思う。

 3人組とは、ボーカリストのペピィ・カストロ、ギターのボブ・キューリック、キーボードのダグ・カッサロスのことで、いずれも東海岸では超有名なスタジオ/セッション・ミュージシャンだった。
 そして、このデビュー・アルバムでは、ドラムスに元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのアンディ・ニューマークが、ベースにはドゥービー・ブラザーズにも在籍していたウィリー・ウィークスと元トッド・ラングレンズ・ユートピアのジョン・シーグラーが担当していた。この鉄壁のリズム・セクションだけなら、確かにTOTOと対抗できるだろう。

 ペピィというボーカリストは、ブルース・マグースというバンドで、1966年に全米シングル・チャート5位を記録した"Nothin' Yet"というという曲を歌っていて、このバンドには一時期シンガー・ソングライターのエリック・カズも在籍していたという。
 その後、ミュージカルに出演するなど幅広く活動の舞台を広げていったが、その過程でキーボーディストのダグと知り合った。

 ギタリストのボブもまた有名なセッション・ミュージシャンで、ルー・リードの「コニー・アイランド・ベイビー」やアリス・クーパーのツアーにも呼ばれるほどの腕前だった。
 ボブは、1978年にキッスのポール・スタンレーのソロ・アルバムのレコーディングに参加していたが、その時、ペピィはコーラスで、ダグもピアノ&コーラスでレコーディングに呼ばれていた。

 結局、それがきっかけとなって、バランスが結成された。そこから曲作りやレコーディングを行い、デビュー・アルバムにつながったのである。ちなみに、ギタリストのボブ・キューリックは、のちにキッスに参加したブルース・キューリックの実兄だった。兄弟でバンド活動という発想はなかったのだろうか。

 一聴した限りは、このデビュー・アルバムはメロディアスだし、中にはストリングスでコーティングされるような曲もあり、アレンジは凝っているし、普通のロック・バンドではなかなか表現できないほど技巧的でもあった。
 ただ、あまりにも露骨というか、売ろうとする下心が垣間見えるような気がしてならない。だから、個人的にはあまり好きではないのだ。

 このデビュー・アルバムは、全米アルバム・チャートでは133位とあまり売れなかったが、シングルカットされた"Breaking Away"はシングル・チャートで22位、続くセカンド・シングルの"Falling in Love"は58位を記録している。まあ、それなりに売れたというわけだ。5158ovcecwl
 ただ全10曲で、合計37分程度の内容だった。10曲中4分台の曲は2曲のみで、残りはすべて3分台だった。潔いといえば潔いが、それだけ売れ線に徹していたということだろう。これだけの技量を持つミュージシャンがせっかく集まったのに、何となくもったいないような気がした。

 このあとバランスは、1983年まで活動を続けた。日本の自動車ダイハツのシャレードのTVコマーシャル・ソング"Ride the Wave"も手掛けたといわれているが、自分はよく覚えていない。
 結局、契約を切られてしまったわけだが、2006年にイタリアのレーベルが「イン・フォー・ザ・カウント」の再発を決めたことから、ニュー・アルバム発表を打診され、最終的にオリジナル・メンバーで、2009年に「エクィリブリウム」というアルバムを発表した。51wflb5cqbl
 27年振りのアルバムだったが、基本的にはセカンド・アルバム「イン・フォー・ザ・カウント」をさらにハードにしたロック・アルバムだった。彼らはヨーロッパ、とくに北欧で人気が高く、2010年代に入っても散発的にスウェーデンなどでツアーを行っている。

 こういうハード・ロックながらもメロディアスな楽曲をするバンドは、北欧などでは人気が高いのだろう。でも、21世紀の今になってバランスの名前を聞くとは思ってもみなかった。“芸は身を助く”といわれるが、一芸に秀でることの重要性を、このバンドは教えてくれているようだ。Maxresdefault


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