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2019年1月 7日 (月)

今年は亥年

 今年は亥年ということで、イノシシのアルバム・ジャケットを探してみようと思った。ところが、これがなかなか見つからない。ロック・ミュージック以外ならソウル・ミュージックやポップスの分野ではネットで検索できたのだが、自分としては聞いたことがない音楽については勝手なことは言えないので、そういうものは除外して探してみたのだ。

 それでもよくわからなかった。なので、今年はパスしようと思ったのだが、せっかくのお正月だし、こんなつまらないブログでも世界で3人くらいは楽しみにしている人もいると思うので、イノシシの代わりにブタを探そうと思った。

 よく知られているように、ブタの祖先はイノシシである。イノシシが家畜化されてブタになったと言われている。
 一番古い記録では、約一万年前の中国にはブタが飼われていた。ブタの骨が化石となって発掘されている。新石器時代のようだが、もう少し歴史が下がって、エジプト文明やカスピ海沿岸でもブタの骨が見つかっている。

 確かに、イノシシの肉もブタの肉も食べられるし、栄養価に富んでいる。イノシシもブタも綺麗好きだし、雑食性だ。そういう面では共通点は挙げられるだろう。
 また、イノシシは10年くらい人に飼われると、鼻が短くなりブタのような顔になるともいわれているし、逆にブタが野生化する場合もあるらしい。

 オーストラリアにはイノシシはいないのだが、イギリス人が食料にするために持ち込んだブタが野生化して、広い荒野を走り回っていると言われている。その野生化したブタは、鼻は長く、体も大型化しているという。ひょっとしてあと100年ぐらいしたら、新種のイノシシが誕生しているかもしれない。

 そんなイノシシネタは置いといて、肝心のブタのアルバム・ジャケットを探してみたのだが、これもまたあまり思いつかなかった。やはりイノシシやブタという動物は、ロック・ミュージックには相容れないものなのだろうか。

 そんな中で一番有名なのは、やはりこのアルバムだろう。前作での元メンバーでリーダーでもあったシド・バレットへの郷愁の念から一転して、社会体制への批判というメッセージ性を強く出したこのアルバムは、非常に衝撃的だった。511hpkez7fl
 このアルバムの中では、“ブタ”は裕福な資本家にあたり、“ヒツジ”は従順な労働者で“イヌ”は、エリート・ビジネスマンという設定だった。
 そして商業的にも大成功で、ドイツやオランダ、スペインなどではチャートの1位を獲得し、本国イギリスでは2位、アメリカでは3位まで上昇し、約半年間チャートに留まっていた。

 ブタと言えば、ジョン・レノンのこの写真も忘れられない。中学生の頃は、何でブタの耳を掴んでいるのだろうと不思議に思っていたのだが、おとなになってからその理由が理解できた。
 この頃のジョンとポールの関係は冷え切っていたということが分かる写真だった。要するに、ポールのアルバム「ラム」のジャケットで、ポールが羊の耳を掴んでいることに対抗してジョンはブタの耳にしたのである。6468af895f48c56e1b3590be2b5a3d90
 だけど逆に言えば、それだけジョンはポールのことを意識していたともいえるわけで、当時は世界中からビートルズ解散の元凶とかバッシングされていたポールに対して非難や悪意を込めることで、逆説的に愛の手を差し伸べていたのかもしれない。いかにも皮肉屋のジョンのやりそうなことである。(だけどポールも「ラム」でひどいことを歌っていたので、お互いさまと言えばお互いさまなのだろう)

 1971年の歴史的名盤「イマジン」のおまけ写真(ポストカード)に映っていた写真だった。だから正確に言えばアルバム・ジャケットではないのだけれど、アルバムに付属していた写真ということでお許し願いたいと思う。

 さて、次はイギリスのバンド、ピンク・フェアリーズのサード・アルバムである。ピンク・フェアリーズについては、以前のこのブログでも紹介しているので、そこから少し引用することにした。彼らを語るには1960年代末のロンドンまで話を戻さなければならない。オリジナルのピンク・フェアリーズは、1969年の終わりに結成されたからだ。

 メンバーは、デヴィアンツというバンドにいたボーカル担当のミック・ファレンと、ティラノザウルス・レックスにいたベーシストのスティーヴ・トゥック、スティーヴ・ハウもいたトゥモロウのドラマーだったトゥインク、そしてジ・エンタイア・スー・ネイションというアングラ・バンドのギタリストだったラリー・ウォーレスの4人だった。

 ただバンド名は、その都度変わることがあり、彼らはピンク・フェアリーズと名乗ったり、シャグラットと言うこともあった。

 バンド名は、トゥインクがいつも着ていたピンクのジャケットと、彼が以前結成していたバンドのザ・フェアリーズに因んだものというのが定説になっている。ちなみにトゥインクは、ザ・フェアリーズからトゥモロウ、プリティ・シングスへとバンドを渡り歩いている。何となくアングラ臭のするバンドばかりだ。Pinkfairies

 それで話を元に戻すと、オリジナルのピンク・フェアリーズのメンバーだったミック・ファレンはデヴィアンツのリーダーでもあったのだが、彼がトゥインクのソロ・アルバム「スィンク・ピンク」のレコーディングに他のメンバーを呼んで参加させた。 

 この共演がきっかけとなって、ツイン・ドラムスの4人組バンドである第2期ピンク・フェアリーズが誕生することとなった。1970年の初めの頃のお話である。
 この時のメンバーは、トゥインクと同じドラマーのラッセル・ハンター、カナダ人ギタリストのポール・ルドルフ、ベーシストのダンカン・サンダースだった。

 彼らは、アルバムごとにメンバー・チェンジをしている。1972年のセカンド・アルバム「ホワット・ア・バンチ・オブ・スウィーティーズ」では、トゥインクが抜けて3人組になり、1973年のサード&ラスト・アルバムでは、ギタリストが交代してラリー・ウォーレスが戻ってきている。

 ラリーは、第1期ピンク・フェアリーズが自然消滅したあと、ピーター・バンクスの後釜としてブロドウィン・ピッグに参加して、そのバンドの解散後は1972年に、マイケル・シェンカーも在籍していたUFOに参加した。もちろんマイケルが参加する随分前である。

 この3枚目のアルバム「キングズ・オブ・オブリヴィオン」は、彼らの最高傑作と呼ばれているもので、たぶんその基準は、ロックの持つ疾走感や焦燥感を備えていて、それがのちのパンク・ムーヴメントに大きな影響を与えているところからきているのだろう。

 アルバムのタイトルは、デヴィッド・ボウイの1971年の「ハンキー・ドゥリー」の中の曲"The Bewlay Brothers"の1節から引用されたもので、アルバム・ジャケットも当時のアヒルが飛んでいる装飾品のパロディだった。

 2002年のリマスター盤には4曲のボーナス・トラックが収められているが、オリジナルは7曲で構成されていて、1曲目の"City Kids"からノリのよいロックン・ロールを聞くことができる。ここで聞くことのできるラリーのギターは、テクニック的には普通で、特に聞くべきところはないが、曲と非常にマッチしているので、有名ギタリストたちとひけをとらない感じがする。Photo
 2曲目の"I Wish I was a Girl"は9分以上もある大作で、長い曲の割には聞きやすく、あっという間に終わってしまう。この曲や6曲目の"Chambermaid"などは、ロング・ドライヴに最適な曲の1つだろう。
 また3曲目の"When's the Fun Begin?"はイントロが長いミディアム調の曲で、ややサイケデリックな匂いを漂わせている。

 ところでラッセル・ハンターはドンドン、ドコドコ、ドラムを叩いていて、何となくキース・ムーンのようだし、ベース担当のダンカンもバンドの屋台骨を支えている。とても3人とは思えない演奏だ。完全インストゥルメンタルの"Raceway"を聞くと、そのことがよくわかると思う。まさにB級ハード・ロックの真骨頂だろう。

 最後は日本のバンドから。1971年に発表されたPYGの唯一のスタジオ盤である。このバンドは、今でいうスーパー・バンドだった。何しろギターに井上堯之、ベースに岸辺一徳、キーボードは大野克夫、ドラムに大口ヒロシで、そしてなんとボーカルは沢田研二と萩原健一というツイン・ボーカルだった。

 当時のグループ・サウンズに詳しい人ならわかると思うけど、日本のグループ・サウンズを代表する三大バンドであるザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズのメンバーが集まっていた。81g2u6rxoll__sl1500_
 ただ、やはり“両雄並び立たず”というか、沢田研二と萩原健一やその他のメンバーを含めてバンド内の人間関係が悪化してしまい、1年余りで自然消滅してしまった。バンドはやがて井上堯之バンドとして続いたのだが、時折、沢田研二や萩原健一が加わるものの、前者はソロで、後者は俳優として活躍の場が広がったせいか、バンド自体が大衆性を獲得することはなかった。

 おまけとしてその名の通り、映画「紅の豚」のオリジナル・サウンドトラック盤を紹介して締めくくろうと思う。本年もよろしくお願い致します。410pfnnqphl


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コメント

明けましておめでとうございます
 ブタとくればPink Floydというのは私の場合全てです。「Animals」の曲”Pigs”はロジャーがこのアルバムの為に急遽書き上げた曲と言われているが、これも"Three Different Ones" で、言われているように「資本家」なんでしょうか、未だに私は解らない。このアルバムを作り上げた時には既に何回とステージで取りあげた”Dogs”は、"You gotta be crazy"でほんとにインテリ中間層なんですか?実は私は未だに解らないのです。
 ただ言えることは全編に流れる”You”と”I”の関係、人と人との繋がり希薄になり、孤独になる。ロジャー・ウォーターズが抱えているのは一貫して疎外感と孤独感。「狂気」の"Us and Them"にも共通するところばかりが私は気になるのです。ほんとはロジャーに聞きたいのですが・・・・

投稿: photofloyd(風呂井戸) | 2019年1月 7日 (月) 21時57分

 コメントありがとうございます、風呂井戸さま。確かに仰るように、社会体制への批判という側面を借りながら、その本質は人としての疎外感や孤独感だったのですね。仰ることはよくわかります。

 結局、この「アニマルズ」を経て、次の大作「ザ・ウォール」でロジャーの意図するものが結実するということですか。だから、「狂気」から「ザ・ウォール」まで、ロジャーの表現するものは一貫していて、ブレていないというわけですね。ありがとうございました。新年早々、勉強になりました。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2019年1月 8日 (火) 23時01分

明けましておめでとうございます。
今年も素敵な記事を楽しみにしております。
PYGの「花・太陽・雨」は「帰ってきたウルトラマン」で使用されていて、音楽の事など何も知らない子供ながらにカッコいいなと思ったのを覚えています。

投稿: ふぁぶ | 2019年1月 9日 (水) 20時07分

 コメントありがとうございます。ふぁぶ様。自分はそれまでのアイドルのようなGSサウンドから脱却して、日本独特のロック・バンドを目指そうとしたのが、PYGだと思っていました。

 なかなか和製ロック・バンドが売れなくて、結局、自分は洋楽に走ってしまいました。70年代のロック・ミュージックは次から次へと新しいバンドやミュージシャンが生まれてきて刺激的な時代だったからです。日本では、それを追いかけるのにいっぱいいっぱいだったのかもしれません。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2019年1月 9日 (水) 21時27分

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