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2019年3月

2019年3月25日 (月)

金属恵比須(2)

 さて、2ヵ月にわたって綴ってきた“プログレッシヴ・ロック特集”も、今回で一応終わりにしたい。ビリー・シャーウッドのバンドからムーディー・ブルースのメンバーのソロ・アルバムなどを取り上げてきたのだが、正直言って、かなりマイナーだったような気がする。

 まあ、このブログ自体が超マイナーなので、別にどうでもいいことなのだが、いまや“プログレッシヴ・ロック”自体が現在のミュージック・シーンから消えかかりそうな状態なので、何とか復活してほしいという願いを込めて記してきたつもりである。
 でも、昔のバンドやミュージシャンばかりだと、“温故知新”的な面もあるけれど、結局、“あの頃は良かった”的な懐古趣味に陥ってしまう危険性も考えられる。したがって、最終回の今回では、“今を生きる”プログレッシヴ・ロック・バンドについて述べることにした。

 “今を生きる”といっても、2016年の12月12日付で、このバンドのことは紹介していた。日本が世界に誇るプログレッシヴ・ロック・バンドの金属恵比須である。
 彼らのことは既に述べているので、彼らが昨年の8月に発表した一番新しいアルバム「武田家滅亡」について、簡単に紹介しようと思う。

 このアルバムは、タイトルからも分かるように、戦国時代に実在していた武田信玄の息子勝頼のことを歌っていて、武田家の滅亡を描いた伊東潤の傑作歴史小説「武田家滅亡」をテキストにしていた。そして、音楽的には「武田家滅亡」という“小説のサウンドトラック”をイメージして作られたといわれている。

 アルバム・ジャケットのスリーヴ・タイトルには、「武田家滅亡(オリジナル・サウンドトラック)」と書かれていて、まるで映画音楽のような感じがするが、実際は上にも記したように、映画ではなく小説のバックグラウンド・ミュージックなのである。61dtzpscn1l
 また、アルバムの裏ジャケットには、作家の伊東潤氏の次のようなコメントが記載されていた。「天正十年、戦国最強を謳われた武田家は滅亡した。その七年前の長篠合戦後から滅亡までを描いたのが拙著『武田家滅亡』だ。この作品を読んで感銘を受け、音楽で再現しようと思い立ったのが高木大地氏である。氏は文芸作品に造詣が深く、小説や民間伝承をモチーフとした作品を数多く手掛けてきた。その心の琴線に拙著の一つが触れ、こうしてアルバムとして結実したことは、作者として無上の喜びである。
 このアルバムは静と動のコントラストが明確で、戦国時代の非情や悲哀が見事なまでに再現されている。これこそは、音楽、歴史、文芸作品が三位一体となった新しい試みであろう。
 かくして時空を超え、ここに武田家はよみがえったのだ。」

 この文を読めば、このアルバムのコンセプトが明確に伝わると思う。ここに出てくる高木大地氏とは、この金属恵比須のリーダーで、唯一のオリジナル・メンバーでもあるギタリストを指している。

 アルバムは11曲で構成されていて、冒頭の"新府城"から7曲目の"天目山"までが、いわゆる組曲形式の「武田家滅亡」であり、残りの4曲はそれぞれが独立した曲になっていた。

 1曲目の"新府城"は、ゼップの"Kashmir"を70年代のクリムゾンがバックアップしたような曲で、"Kashmir"のあのリフにメロトロンが覆いかぶさってくるようなサウンドが痺れさせてくれる。この曲を聞けば誰でも続きを聞きたくなるもの。この曲だけ聞いて、アルバム全体の進行をStopできる人は、真のプログレッシヴ・ロック・ファンではないと言えるだろう。

 次の"武田家滅亡"は、アップテンポのプログレッシヴ・メタル・ソングだ。歌詞の中に出てくる“東奔西走”、“議論百出”、“孤軍奮闘”、“捲土重来”などの四文字熟語がこれほどマッチするメタルチックな曲は、他にない。演奏テクニックのみならず、歌詞を通してアルバム・タイトルをイメージさせるパワーを持っている。まさに“金属恵比須ワールド”を表出している曲だろう。ちなみに、この曲の歌詞制作には、小説の原作者である伊東潤氏も関わっていて、だから、入試に出るような四文字熟語が使用されたのかもしれない。

 3分40秒程度しかない短い曲だが、リフレインする“武田家”、“滅亡”というところは、まさにコール&レスポンスの世界だ。ライヴだったらきっと盛り上がるだろう。
 続く"桂"はインストゥルメンタル曲で、前曲とは違い、ガットギターのアコースティックな柔らかさを感じさせてくれた。ボーカルは“ラーラララ”と歌うだけで、ガットギターとたぶんメロトロンによるフルート音、ボーカルが三位一体でハーモニーを奏でている。

 一転して"勝頼"では、来ましたE,L&Pの"Tarkus"の再来である。手数の多いドラミング、主旋律を導くハモンド・オルガン、間を飛び交うムーグ・シンセサイザー(最近ではモーグ・シンセサイザーというらしいが、70年代ではこう呼んでいたのだ)、後半に顔を出すフリップ風のギター・サウンド、70年代のプログレッシヴ・ロックのオマージュに溢れている。

 5曲目の"内膳"は穏やかなバラードだ。この曲ではボーカルが入っていて、故郷である甲斐の国への郷土愛や国防の精神を歌っている。この曲もまた2分少々と短くて、アルバム前半は、短い曲が連続して配置されている。
 次の"躑躅ヶ崎館"もまた、不協和音を交えたピアノ・ソロのインストゥルメンタル曲で、雷鳴などのSEも使用されて、武田家の将来を予感させるような不穏な曲だった。次の組曲最後の"天目山"のプレリュードなのだろう。Adjzvep36jhgd4rnhxmkjklrogwuhcojbgb
 7曲目の"天目山"はクリムゾンのセカンド・アルバム「ポセイドンのめざめ」の中の"The Devil's Triangle"のような出だしから、アルバム冒頭の"新府城"でのフレーズへとつながり、エンディングを迎える。いわゆる“円環的な手法”が使われており、トータル・アルバムとしてのアイデンティティが示されているようだ。

 ここまでが“武田家滅亡”の小説のサウンド・トラックで、短い曲が畳み込まれて編成されているから、イントロからエンディングまで、まるでジェットコースターに乗っているかのように流れて行く。強盛を誇っていた武田軍団が、奈落の底に落ちていくかの如く、滅び去るさまが見事にイメージされ音楽として表現されている。まさに圧巻の出来栄えだろう。

 8曲目の"道連れ"は、金属恵比須風のライトタッチなポップ・ソングだ。ポップといっても、普通のラジオで流れるような音楽ではなくて、耳に馴染みやすいという意味でのポップであり、やっている楽曲自体は、ギター・ソロも含めて、ドリーム・シアターの日本版という気がした。3分過ぎからはメロトロンも使用されているし、プログレッシヴ・ロック・ファンなら一度は聞いておいても損はしないだろう。 ただし、この曲も3分55秒しかなかった。

 続く"罪つくりなひと"もボーカル入りで、曲はメンバー全員で作っている。ミディアム・テンポの曲で、途中でメロトロンや分厚いストリングス・キーボード、テクニカルなギター・ソロを聞くことができるところがうれしい。珍しく4分57秒もあった。

 10曲目の"大澤侯爵家の崩壊"は、グランド・ピアノによるソロ演奏で、荘厳で陰影に満ちている。1分53秒の短い曲で、これもまたアルバム最後の曲"月澹荘奇譚"の序曲なのだろう。

 その"月澹荘奇譚"は、ハードなバラード風の曲で、これもまたメンバー5人で作った曲だった。4分25秒くらいからのムーグ・シンセサイザーで前半と後半が仕切られているようで、前半はボーカル主体のメロディアスな構成、後半はブルージィーなギター・ソロがフィーチャーされた後は、再びボーカル・パートが顔をのぞかせ、ギターとシンセサイザーとが絡み合っていく。Euaerm4kauyqoqjo0fcn9tywtwos1bcprur
 ボーカルがフェイド・アウトした後は、やや長いエンディングが気になるのだが、シンセサイザーの主旋律に導かれて終息へと向かっていく。この辺はスウェーデンのフラワー・キングの手法によく似ている。この曲だけは10分27秒と長かった。アルバム全体としては、41分50秒と、今どきのアルバムにしては短い方だろう。

 とにかく金属恵比須は、今の日本を代表するプログレッシヴ・ロック・バンドである。できれば生きている間に一度はライヴに接してみたいと思っているのだが、地方にまで出稼ぎで来てくれない限りは無理なのかもしれない。最後に、この素晴らしいミュージシャンたちを紹介して終わりにしたい。
ギター     …高木大地
キーボード   …宮嶋健一
ベース・ギター …栗谷秀貴
ボーカル      …稲益宏美
ドラムス    …後藤マスヒロ

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2019年3月18日 (月)

ジョン・ロッジ

 1960年代末から80年代後半まで一世を風靡したイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドのムーディー・ブルースのスピン・オフ第3弾は、ジョン・ロッジの登場である。
 彼は、ジャスティン・ヘイワードとともに後からバンドに加入したメンバーだったが、ジャスティン・ヘイワードとともにバンドを発展させた功労者でもあった。P05phr0l
 何しろ曲が書けることが彼の強みだったし、しかもロックン・ロールからフォーク調、バタード・タイプの曲まで、幅広く対応できるところも彼の才能の片鱗を示すものだった。
 ムーディー・ブルースの曲でいうと、1972年のアルバム「セヴンス・ソジャーン」からシングル・カットされた"I'm Just A Singer"であり、そこではノリのよいロックン・ロールを聞くことができるし、1971年の「童夢」には愛する娘に捧げた牧歌的な"Emily's Song"が、1969年の「子どもたちの子どもたちの子どもたちへ」には"Candle of Life"という感動的なバラードが彼の手によって提示されていた。

 基本的には、ムーディー・ブルースのメンバーは、全員が曲も書けて歌も歌えるし、複数の楽器を巧みに操る有能なミュージシャンの集まりだった。だから、それだけでもバンドが有名になる要素はあったのだが、その中においてもジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの才能は、ある意味、突出していたともいえるだろう。Ob_0f4eba_8f1060abd68d1b07b14a7d65e
 ジョン・ロッジは、1945年生まれなので、今年で74歳になる。イギリスのバーミンガム出身で、バーミンガム工科大学に入学したものの、学業にはさっぱり興味を示さず、好きな音楽で身を立てようと、バーミンガム市内のパブやクラブで活動を始めた。小さい頃から彼のアイドルは、バディ・ホリーであり、ジェリー・リー・ルイスだったから、彼の作る楽曲にもその影響が反映されていた。

 1966年にはジャスティン・ヘイワードとともにムーディー・ブルースに参加して、本格的に音楽活動を開始した。それ以降は、バンドのメンバーと切磋琢磨しながら音楽的キャリアを追及し、数々の名曲をアルバムに刻んできたのである。
 そして、ムーディー・ブルースが活動を休止した1972年以降、バンド・メンバーはソロ活動を始めていった。

 ジョン・ロッジはジャスティン・ヘイワードとともに、アルバム「ブルー・ジェイズ」を1975年に発表する。全英アルバム・チャートの4位を記録したこのアルバムについては、前回述べたので割愛するが、それから2年後の1977年には、今度は完全なソロ・アルバムになる「ナチュラル・アヴェニュー」を発表した。
 盟友のジャスティン・ヘイワードも同じ年に、競い合っていたのか、偶然だったのかはわからないが、「ソングライター」という傑作ソロ・アルバムを発表していた。これもユングの唱えた“シンクロニティ”ということに該当するのだろうか。

 それはともかく、オリジナルのアルバムは10曲で構成されていて、すべてジョン・ロッジの手によるものだった。1曲目の"Intro to Children of Rock'n'Roll"は文字通り1分4秒しかないイントロで、最終曲の"Children of Rock'n'Roll"と対をなすものだった。アコースティック・ギターをバックに美しく歌われている。

 2曲目の"Natural Avenue"はゴージャスなロックン・ロールで、何となく50年代を思わせるような雰囲気を備えていた。チェット・アトキンス風のギターは、スティーヴ・シンプソンという人が演奏しているし、サックスはあの大御所メル・コリンズが、ハーモニカはジョン自身が担当していた。聞いているこちら側までが楽しくなってくる曲だ。

 次の"Summer Breeze, Summer Song"はストリングスが曲に厚みをつけていて、曲全体は、タイトル通りの真夏の爽やかな朝を思わせるようなミドルテンポの曲だった。こうやって聞いていると、ジョン・ロッジの豊かな才能を感じさせてくれる。ちなみにここでのサックス・ソロは、ジミー・ジュエルという人が演奏していた。

 "Carry Me (a song for Kristian)"は、ロマンティックなバラードで、ここでもブライアン・ロジャーズが担当するオーケストラが効果を発揮している。メロディラインが美しいし、オーケストラも甘美になりすぎずに、程よい心地よさだった。途中のオーボエやピッコロなどが牧歌的で素朴な雰囲気を高めていた。

 当時のレコードのサイドAでの最後の曲は、"Who Could Change"で、このアルバムの中で最もバラードらしいバラードである。壮大なオーケストレーションに乗って、ジョンは切々と歌っていて、ピアノも彼自身が弾いていた。こういう素晴らしい曲が書けるのであれば、わざわざムーディー・ブルースで歌わなくてもいいのではないだろうか。そんな気もしないではない。

 サイドBの1曲目は、軽快なロックン・ロールの"Broken Dreams, Hard Road"で、ロックン・ロールとはいいながらも、ここでもオーケストラが使用されているし、途中一旦ブレイクしてスローになり、またメイン・テーマに戻っている。ここでのサックスもジミー・ジュエルで、ギターはスティーヴ・シンプソンだった。

 次の"Piece of My Heart"は三拍子のリズムで、ギターはあのクリス・スぺディングが担当していた。クリスは5曲目の"Who Could Change"でも弾いていたのだが、オーケストラの陰に隠れてよく聞こえなかった。でも、ここでは短いながらも印象的なソロを聞かせてくれている。

 このタイトルを見れば、ああきっとバラードだろうと、誰しもが思うはずだ。"Rainbow"という曲は、その名前のような印象に残るバラード曲で、もちろんオーケストラも前面に出ているのだが、クリス・スぺディングのギターも時おり顔をのぞかせてくれる。クリスは"Broken Dreams, Hard Road"以外のサイドBの曲全てに参加していた。

 サイドBの4曲目"Say You Love Me"もバラード曲で、このアルバムで気に食わないところはバラード曲が続いているこの部分だった。こうバラード曲が続くと、何となくジョンが、バラード歌手にでもなったような感じがしてきて、よくない。クリスのギターはこっちの曲の方で目立っているので、前曲の"Rainbow"をもう少し勢いのある曲と差し替えればもっと良くなったのではないだろうか。
 何しろ当時の時代は、パンクなのだ。パンク・ロックと対抗しろとは言わないけれど、これでは時代遅れとか、“ジュラ紀の生き残りの恐竜”と言われても仕方ないだろう。時代の空気感をもう少し反映させてもよかったのではないだろうか。

 そしてアルバム最後の曲が、冒頭の曲を展開させた"Children of Rock'n'Roll"だった。タイトル通りのロックン・ロールで、イントロはゆっくりながらも、やがてミディアム調のロックン・ロールになり、豊かなオーケストレーションやクリス・スぺディングのギターがフィーチャーされてくる。何となくジェフ・リン率いるエレクトリック・ライト・オーケストラの曲を思い出させてくれた。

 ちなみに、このアルバムでは、ケニー・ジョーンズが全ての曲でドラムスを担当している。ある意味、豪華なメンバーが集まっているが、これはジョンが皆に声をかけて集まってもらったという。またこのアルバムは、チャート的には全英で38位、全米で121位を記録した。パンク全盛時代に、よく健闘したのではないかと思っている。また、アルバム・ジャケットは、御覧の通り、あのロジャー・ディーンが手掛けていた。51fpklp5ral
 この「ナチュラル・アヴェニュー」は、良い曲はあるものの、個人的にはバラード色が強すぎて、あまり好きになれなかったのだが、このアルバムから38年後の2015年に、ジョン・ロッジは、2枚目のソロ・アルバムを発表した。「10000ライト・イヤーズ・アゴー~10000光年前に」というタイトルのアルバムだったが、このアルバムが結構イケるし、お薦めなのである。

 全8曲、31分余りしかないのだが、曲が絞り込まれているし、現代風のキレのあるアレンジが施されていて、カッコいいのだ。特に1曲目から3曲目、4曲目まではお勧めである。91xygtgb4ol__sl1500_
 1曲目の"In My Mind"は、ボーカルが始まるまでは、デヴィッド・ギルモアの曲といわれても分からないほどだ。艶とタメのあるギター、バックのコーラス(これは男性コーラス、女性ならまさにギルモアの世界である)、中間部のブルージィーで空間を生かしたギター・ソロなどは、一度は聞いておいて損はないだろう。ギターは前作に続いてクリス・スぺディングが担当していて、絶対にギルモアを意識しているよなと思わせるほど絶妙なのだった。

 2曲目"Those Days in Birmingham"は、ジョンらしいロックン・ロール曲で、ここでもクリス・スぺディングのギターがフィーチャーされているから、疾走感がある。ドラムスはゴードン・マーシャルという人が担当していて、この人は1991年からムーディー・ブルースのライヴに参加している人で、そういう意味でもジョン・ロッジとは息があったのだろう。

 このアルバム制作時のジョンの年齢は70歳だったから、とても70歳の人が作ったアルバムとは思えないほどロックしていたのである。
 3曲目の"Simply Magic"には、何とフルートにはレイ・トーマスが、メロトロンにはマイク・ピンダーが参加していて、曲に色どりを備えていた。アコースティック・ギターがメインの爽やかな曲で、レイのフルートもマイクのメロトロンも表に出過ぎず、裏に隠れ過ぎず、絶妙な塩梅で盛り上げていた。なかなかの佳曲だし、もっと長く聞きたいと思った。

 4曲目の"Get Me Out Of Here"は、ミディアム調ながらも力強い作風を感じさせてくれた。ミキシングが残響を大事にしているのと同時に、余分なものをカットしているからだろうし、クリス・スぺディングのスライド・ギター風の演奏が曲にモダンな印象を与えているからだろう。

 逆に、次の"Love Passed Me By"では、マイク・ピゴットという人のバイオリンがフィーチャーされていて、何となく1920年代のダンスホールのような感じがした。もっとロック調で統一したなら、このアルバムは話題になっただろうし、セールス的にも好調だっただろう。統一感がないのが、ジョン・ロッジの、いい意味でも悪い意味でも、特徴だと思っている。

 6曲目の"Crazy"はまた正統的なロックン・ロールに戻っていた。クリスのギターとアラン・ヒューイットのジェリー・リー・ルイスのようなピアノ演奏は、微妙なバランスを保っていて、御年70歳のボーカルを手助けしていた。
 アラン・ヒューイットという人はアメリカ人で、ジャズからファンク、R&Bにロックン・ロールと幅広く何でもこなすキーボーディストで、2010年よりムーディー・ブルースのツアー・キーボーディストを務めているミュージシャンである。

 続く"Lose Your Love"は哀愁味あふれるロッカ・バラードで、前作のバラードよりも飾り気がなくシンプルで、それがかえっていい味を出している。アルバムに1曲でいいから、こういうバラードを入れてほしいものである。

 そして最後の曲は、アルバム・タイトルの"10000 Light Years Ago"である。このアルバムのテーマについて、ジョンはこのように言っていた。“未来はいつでも手の届くところにある。でもけれど過去は永遠に去ってしまう”、また、“過去の全てが今の自分に結実しているように、このアルバム全体もこの曲に帰結している”とも述べていて、この曲に力を入れて作ったことが伺えた。

 曲自体もミディアム調で、まとまっているし、クリスのギターやアランのキーボードも曲のアレンジに貢献していた。もう少し長めにアレンジするか、冒頭の曲のギルモア風のスペイシーなギター・ソロがフィーチャーされると、もっと印象的になったのではないだろうか。Johnlodgecruiseinterviewjpg
 いまだに現役で活躍しているジョン・ロッジであるが、おそらくこのアルバムが最後のソロ・アルバムになるだろうと思っている。そういう意味では、プログレッシヴ・ロック史には残らないけれど、隠れた必聴盤だと後世に評価されるのではないかと思っている。

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2019年3月11日 (月)

ジャスティン・ヘイワード

 今は“ジャスティン”といえば、ジャスティン・ビーバーやジャスティン・ティンバーレイクを指すが、昔は“ジャスティン”といえば、この人、ジャスティン・ヘイワードだったのだ。というのは、自分が勝手に作った話だが、でも1970年代の初めは、自分の中ではこのジャスティン・ヘイワードだったのである。

 ムーディー・ブルース関連の第2弾は、ジャスティン・ヘイワードについてである。前回も記したけど、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジは遅れて参加したメンバーだった。1966年頃のお話である。

 ジャスティン・ヘイワードは、イギリスのウィルトシャー州、スウィンドン出身のミュージシャンで、現在72歳。15歳頃から活動を始め、若くしてギブソン335を手に入れ、以来ずっと愛用のギターとして使用している。“ギブソン335”というギターは、あのラリー・カールトンも愛用している名器で、赤いボディでセミ・アコースティックという特徴を持ち、多くのミュージシャンや音楽愛好家からも憧れのギターだった。P02k8dw4
 それはともかく、とにかく10代から地元のパブやダンス・ホールで活動を行っていて、その中で演奏テクニックやソングライティングの技術を磨いていったようだ。また、当時の有名なロカビリー歌手だったマーティ・ワイルドと彼の奥さんの3人で、“ザ・ワイルド・スリー”としても活動をしていた。ちなみに、80年代に一世を風靡したキム・ワイルドは、マーティ・ワイルドの娘である。

 ジャスティン・ヘイワードは、若い頃から作曲能力にも秀でたものを持っていたようで、17歳の時に、ロニー・ドネガンのテイラー・ミュージックと8年間の作曲家としての専属契約を結んでいる。この契約は1974年まで有効だったようで、ということは、この間、彼が作った曲の著作権は、ロニー・ドネガンの会社が所有していたということになるのだが、ムーディー・ブルースの楽曲の著作権もそうなるのだろうか。もちろんジャスティンは、この契約のことは後悔していたようである。

 1966年に、メロディー・メイカーの出ていたエリック・バードン&ジ・アニマルズのメンバー募集の広告に応募したのだが、エリックは興味を示さず、ジャスティン・ヘイワードのデモ・テープをマイク・ピンダーに手渡し、それを聞いたマイク・ピンダーがバンドを脱退したデニー・レインの代わりにジャスティン・ヘイワードに声をかけバンドに誘った。ここからが、ジャスティン・ヘイワードの運命が大きく変わるのである。

 その後、彼と盟友ジョン・ロッジが加わって、ムーディー・ブルースは栄光への階段を一気に駆け上っていったのだが、1972年のアルバム「セヴンス・ソジャーン」以降、活動を停止してしまった。その理由は前回記したので省略するが、その間、各メンバーがソロ・アルバムを発表していった。

 最初に発表したのが、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの共同制作アルバム「ブルー・ジェイズ」だった。61rfuptkml
 1975年のアルバムだったが、元のバンド、ムーディー・ブルースのメイン・ソングライター2人が作ったアルバムだったから、本家のアルバムとそんなに違いのない内容だった。ただし、バックの演奏にはストリングスが多用されていて、メロトロンや他の電子音楽機器は、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが演奏していた。

 その理由は、こうである。本当は、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ、それにマイク・ピンダーの3人(+プロデューサーのトニー・クラーク)で、アルバムを作る予定だったのだが、マイクが他の誰ともやりたくない、自分はこのプロジェクトから出ていくといったので、結局、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジで制作せざるをえなかったのである。

 アルバムの2曲目の"Remember Me (My Friend)"とは、マイク・ピンダーに向けて作られたもので、当時の彼らの関係性を歌っている。“僕たちの関係がどうなろうとも、僕たちは君の友だちなんだよ、覚えておいておくれ”と切々と訴えかけている。
 全10曲(ボーナス・トラックを入れて11曲)のうち、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの2人で作った曲は、この曲と10曲目の"When You Wake Up"の2曲だけで、残りの曲はそれぞれで作った曲だった。ジャスティン・ヘイワードは5曲、ジョン・ロッジが3曲手掛けていて、それぞれ自分の曲ではリード・ボーカルをとっている。

 ジャスティン・ヘイワードの曲で印象的なのは、5曲目の"Nights Winters Years"だろう。重厚なストリングスをバックに、切々と歌われるバラードで、"Nights in White Satin"を思わせるような曲(似たようなフレーズも出てきたような気もするし)だったし、深みのあるジャスティンの声と非常によくマッチしていた。
 ジョン・ロッジの曲では6曲目の"Saved By The Music"だろうか。ムーディー・ブルースのメロトロンとE.L.O.の軽快さを掛け合わせたような曲で、聞いているとこちらまで気持ちが軽くなってくる。まさに“音楽に救われるような”曲だった。

 アルバム後半4曲は、まさに牧歌的で静謐な雰囲気に満ちていて、白日夢でも見ているかのような感覚に陥ってしまいそうだった。アコースティックな"Who Are You Now"、ジョンが作ったバラードの"Maybe"、2人で作った"When You Wake Up"ではゆったりとしたストリングスとジャスティンの弾くファズ・ギターが見事に共演していた。71rqgk5drl__sl1293_
 1987年以降のCDには、ボーナス・トラックの"Blue Guitar"が収録されていて、この曲はジャスティン・ヘイワードが10ccのメンバー4人と共演したものだが、クレジットではジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ名義になっていた。もちろん実際は、ジャスティンの曲だった。ジャスティンの曲なので、10ccらしいポップさは見られなくて、むしろムーディー・ブルースの新曲といっても通用するくらいだった。

 前回のレイ・トーマスが、バンドの叙情性や牧歌性を醸し出しているのであれば、バンドの“ロックン・ロール・サイド”という躍動感を表現しているのが、ジャスティン・ヘイワードではないかと思っている。その特長がよく発揮されたアルバムが、1977年に発表された「ソングライター」だろう。51bgt35rc6l
 1曲目の"Tightrope"から走っているし、続く"Songwriter Part1"は、ミディアムテンポながらもストリングスやキーボードのアレンジが凝っていて、切れ目がなく3曲目の"Songwriter Part2"へと流れて行く。"Part2"は"Part1"と違って、叩きつけるようなピアノやキーボード、個性的なエレクトリック・ギターなどロック的なダイナミズムに溢れている。

 また、"Country Girl"は、題名とは裏腹にノリのよい明るいロックン・ロールだったし、当時のLPレコードではサイドAの最後の曲"One Lonely Room"は、一転してサックスがフィーチャーされたお洒落なAOR風のスローな曲だった。
 このアルバムは、ジャスティン・ヘイワードを代表するアルバムといっていいだろう。彼の豊かな才能が発揮されているし、曲もバラエティに富んでいて聞いていて飽きないのだ。

 ジャスティン・ヘイワードは、ギターだけでなく、ベースやドラムス、タンバリン、バイオリン、チェロ、フルートまで演奏している。もちろん、曲によっては当時のトラピーズのメンバーだったデイヴ・ホランドやメル・ギャレー、テリー・ロウリーなども参加して、バックアップしていた。

 8曲目の"Raised On Love"では、当時5歳だったジャスティン・ヘイワードの娘であるドレミ・ヘイワードも参加して、可愛らしい声を聞かせてくれるし、続く"Doin' Time"では、ジャスティン・ヘイワードのギターが大きくフィーチャーされている。
 そして、最後の6分30秒余りの曲"Nostradamus"では、ややダークな雰囲気を湛えながらも、徐々にストリングスやフルートなど楽器が増えていき、ビッグ・エンディングを迎える。

 最後にやっとプログレッシヴな風味を持つ曲を聞くことができた。ちなみに、この曲ではストリングスとタムタム以外の楽器はすべてジャスティン・ヘイワードが操っているという。さすがマルチ・インストゥルメンタリストである。また、アルバム・セールスとしては、全英アルバム・チャートで28位、全米では37位という結果だった。

 自分はもう1枚彼のソロ・アルバムを持っていて、1996年に発表された彼の5枚目のソロ・アルバム「ビュー・フロム・ザ・ヒル」である。51269qmhfql
 このアルバムは、ジャスティン・ヘイワードのルーツを探るような曲で占められていて、60年代のビート・バンドが持つポップでR&B風の曲が目立つ。最初に聞いた感じは、マイク&ザ・メカニックスのソウル風味が薄れていってややポップになったアルバムのように思われた。特に冒頭の3曲"I Heard It"、"Broken Dream"、"The Promised Land"を聞くと、その感じがますます強くなってきてしまった。

 プロデューサーはフィル・パーマーという人で、元デヴィッド・エセックスのバンドのギタリストだった。その後、キーボーディストのポール・ブリスと組んだり、ミッキー・フィートというベーシストとイエロー・ドッグというバンドを結成したり、マイク・オールドフィールドのツアー・ギタリストとしても活動したりしていた。
 
 このアルバムでは11曲収録されているが、ジャスティン・ヘイワード1人で手掛けた曲は7曲で、残りの曲は上記のミュージシャンたちとの共作だった。
 セールス的には恵まれなかったが、このアルバムではソングライターというよりは、ボーカリストとしてのジャスティン・ヘイワードを味わうことができる。さらに、1人のミュージシャンとして成熟した姿も知ることができるのではないだろうか。名盤ではないけれど、好盤と言えるだろう。

 現在のジャスティン・ヘイワードは、もちろんライヴ活動は行っていて、最近では豪華船で開かれる5日間の音楽クルーズ“ザ・ブルー・クルーズ”において、彼がホストを務めており、スティーヴ・ハケットやアラン・パーソンズ、プロコル・ハルム、ウィッシュボーン・アッシュ等々、一世を風靡した豪華ミュージシャンやバンドが出演して、演奏を繰り広げている。
 彼もまた、そのクルーズで歌っているようだが、まだまだ現役ミュージシャンとして今後も活躍してほしいものである。Justinhaywardoptimisedcopy770x46277

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2019年3月 4日 (月)

レイ・トーマス

 今月は、主にムーディー・ブルース関連のミュージシャンについて、記そうと思った。理由は、ムーディー・ブルースのオリジナル・メンバーだったレイ・トーマスが、昨年の1月4日に亡くなったからだ。享年76歳で、死因は前立腺癌が原因のようだ。Raythomasthemoodyblues1193820_2
 知っている人は知っていると思うけれど、ムーディー・ブルースはイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドである。解散宣言は出ていないと思うけれど、メンバーの脱退などもあって、実質的には活動を停止しており、恐らく再活動はありえないだろう。

 このブログでも、散々彼らのことを推奨してきた。曰く、世界で最も小さなロック・オーケストラとか、メロトロンを最初にメジャー化させたバンドだとか、あのジミー・ペイジがプログレッシヴ・ロック・バンドという名称に相応しいのは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだと言ったとか、とにかく、個人的には大好きなバンドだった。逆に今では、最も過小評価されているプログレッシヴ・ロック・バンドではないかと思っている。

 ムーディー・ブルースは、1964年にイギリスのバーミンガムで結成された。結成当時のメンバーは5人で、その中にはのちにポール・マッカートニー&ザ・ウィングスのメンバーになったデニー・レインも含まれていた。

 基本的に、ムーディー・ブルースはマルチ・インストゥルメンタリストの集まりだった。もちろんレコーディングやライヴ・ステージでは、各人が自分の担当楽器を演奏しているが、その役割に関わらず、基本的な楽器であるギター、ベース、キーボード、ドラムスなど一通りは操ることができると言われていた。
 そして、レイ・トーマスはボーカルとフルートやハーモニカなどを担当していたが、もちろんそれ以外でも演奏することはできた。ただ、上手かどうかは定かではない。

 レイ・トーマスは、9歳の頃に父親からハーモニカの手ほどきを受けたが、14歳で学校を自主退学し、ものづくりの職人の道を歩み始めた。しかし、何を思ったかその道を断念し、再び音楽関係へ進もうと考えたのである。それが16歳の頃だった。
 その後、数多くのローカル・バンドで活動を始め、その中で彼の祖父がフルートを演奏していたのを思い出して、彼もまたフルート奏者としてスタートした。当時のバンドメイトには、のちに同じバンドで活動することになるジョン・ロッジもいた。ジョンとレイとは、エル・ライオット&ザ・レベルズというバンドで一緒だった。“エル・ライオット”とは、当時のレイ・トーマスの芸名だったようだ。

 ある意味、レイ・トーマスとマイク・ピンダーが、ムーディー・ブルースの創立者だった。彼らが中心となって、デニー・レインやドラムス担当のグレアム・エッジ、当時のベーシストだったクリント・ワーウィックを募集したからだ。
 そして結成当時の彼らは、イギリス流のR&Bやソウル・ミュージックを追及していて、60年代初期のイギリスのブームを反映した活動を行っていた。だから、初期のムーディー・ブルースはビート・バンドだったのだ。その影響は、のちにプログレッシヴ・ロック・バンドと呼ばれるようになってからも、彼らの作る楽曲の中に色濃く残っていった。

 1966年に、デニー・レインとクリント・ワーウィックの代わりに、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが加入して、本格的なプログレッシヴ・ロックを追及するようになった。当時としては画期的な楽器であったメロトロンやシンセサイザーの使用、そしてオーケストラとの共演、哲学的な内容を伴うトータル・アルバム制作などは、まさに文字通り“プログレッシヴ”な音楽的展開だった。Moody_blues
 とにかく、ムーディー・ブルースのアルバムは売れた。イギリスでは当然のことだが、アメリカでも1968年の「失われたコードを求めて」から1986年の「ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ」まで、10枚のスタジオ・アルバムの全てがチャートの30位以内に入っていた。具体的には、全米チャート1位のアルバムが2枚、2位と3位のアルバムが1枚ずつ、9位が1枚、10位台が2枚、20位台が3枚とセールス的にも全く問題はなかったのである。

 ムーディー・ブルースは、1972年から78年の間に活動を休止した。それまでの長い間の活動中に、少しずつたまってきたメンバー間の軋轢やストレスなどが、その原因だったのだろうし、当時としては画期的だった(というかザ・ビートルズが運営したアップル・レコードのように)、自分たちのレコード・レーベルである“スレッショルド”の運営に専念したのもその理由にあたるのだろう。

 この活動休止中に、各メンバーは、それぞれソロ・アルバムを発表した。もちろん、自分たちのレーベルである“スレッショルド”から発表されたものだった。
 そして、レイ・トーマスもまたこの時期に2枚のソロ・アルバムを発表している。彼は最初のソロ・アルバム「樫の木のファンタジー」を1975年に発表したが、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが共作した「ブルー・ジェイズ」、グレアム・エッジのソロ作品「キック・オフ・ユア・マディ・ブーツ」が発表されるまで待たされている。理由は、スレッショルドの専用レコーディング・スタジオが彼らに使用されていて、使えなかったからだ。

 この「樫の木のファンタジー」には9曲収められていたが、1曲目の"From Mighty Oaks"はオーケストラが使用された壮大なシンフォニーだった。まるで「デイズ・オブ・ヒューチャー・パスト」の再演のようだ。
 このアルバムの特徴は、レイのボーカルがフィーチャーされていることと、オーケストラやストリングスで優しくコーティングされていることだ。51ixmzmtqnl
 彼は本家ムーディー・ブルースでは、"Floating"、"Our Guessing Game"、"Nice to Be Here"などを手掛け、歌も歌っていたが、そんなに声量のあるシンガーとは思っていなかった。このファースト・ソロ・アルバムでも同様に、ジェントルでソフトな歌声を聞かせてくれる。だから場合によっては、のちの80年代に流行したアメリカ西海岸のA.O.R.のような曲調も見られた。
 例えば"Rock-A-Bye Baby Blues"では、ゲストのB.J.コールの弾くペダル・スティール・ギターがメインに出てきているし、"Love is The Key"などは、まるでB.J.トーマスかスコット・マッケンジーのようだった。

 アルバム・ラストの"I Wish We Could Fly"に使われているメロディが、アルバム冒頭の曲の"From Mighty Oaks"にも使用されているのが分かって、ああこのアルバムは、そういう意味では、円環的なアルバム、ちょっとこじつけに近いけど、トータル・アルバムに近い性格を有しているんだというのが分かった。

 このアルバムの9曲のうち、レイ1人が作った曲は2曲("Rock-A-Bye Baby Blues"と"I Wish We Could Fly")しかなく、残りはニッキー・ジェイムスという人との共作曲だった。このニッキー・ジェイムスという人は、ムーディー・ブルースと同郷のミュージシャンで、スレッショルド・レーベルとも契約をしていたシンガー・ソングライターだった。
 また、ギターとベースにはジョン&トレヴァー兄弟、ドラムスにはデイヴ・ポッツが参加していて、彼らはいずれも当時のプログレッシヴ・ロック・バンドだったジョーンジーのメンバーだった。

 ただし、そういう優れたミュージシャンが参加している割には演奏的には目立っていなくて、ギターもキーボードもソロを聞かせるところは全くと言っていいほどなかった。だから、このソロ・アルバムはロック的なダイナミズムには欠けていたといえるだろう。逆に、レイ・トーマスの内面から滲み出るようなジェントルな雰囲気がそこかしこに漂っていたのである。

 ほぼ1年後の1976年の6月には、セカンド・ソロ・アルバム「希望、願い、そして夢」を発表した。レコーディング・メンバーは前作とほぼ同様だったが、ペダル・スティール・ギター担当のB.J.コールは参加していなかった。また、ドラムスにはグラハム・ディーキンという人が担当していて、彼はジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのアルバム「ブルー・ジェイズ」にも参加していたドラマーだった。51hrsttcvll
 このアルバムは全10曲で構成されていて、最後の曲"The Last Dream"のみがレイ・トーマス一人の楽曲で、残りの9曲はレイとニッキー・ジェイムスとの共作だった。また前作よりもロック色、リズム感が強く前面に出されているところは、前作と大きく異なっている点だった。1曲目や2曲目の"In Your Song"、"Friends"では、エレクトリック・ギターのソロが聞こえてくるし、3曲目の"We Need Love"では甘美なストリングスの合間からエレクトリック・ギターも少しだけ自己主張をしていた。

 "Within Your Eyes"では、レイ・トーマスの演奏するフルートを耳にすることができるし、全体的にキャメルのような耽美性を感じさせてくれた。逆に、次の"One Night Stand"では、トランペットなどの金管楽器や女性ボーカルがフィーチャーされていて、R&B色が強い。この辺は、元々ビート・バンドとして出発したムーディー・ブルースの基本的な遺伝子が発動しているのかもしれない。

 このアルバムは、バラエティに富んでいて、ロックン・ロール調の"Keep On Searching"を聞いていると、何となくアメリカのスワンプ・ロックではないかと思ってしまうし、"Didn't I"などは前作同様のアメリカンA.O.R.だ。あるいはフランク・シナトラのようなスタンダード曲といってもいいかもしれない。アルバム後半には、こういう曲調が続くので好悪が分かれるかもしれない。

 セールス的な話をすると、前作「樫の木のファンタジー」は全英で23位、全米アルバム・チャートでは68位だった。2枚目の「希望、願いそして夢」は全英ではチャート・インせず、全米では147位だった。
 この結果に動揺したのかどうなのか、レイ・トーマスは二度とソロ・アルバムを発表することはなかった。90年代以降はアルバムごとには楽曲を提供するものの、ミュージック・ビジネスから遠ざかろうとしていたようだ。原因のひとつには、癌という病に冒されたことも挙げられるだろう。

 2002年には、今後楽曲の提供はあるものの、ツアーには参加しないと明言し、バンドを脱退してしまった。これ以降、ムーディー・ブルースは、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ、グレアム・エッジの3人で構成されることになったのである。

 レイ・トーマスは、ムーディー・ブルースの情緒面というか、牧歌的雰囲気や叙情性を生み出すような役割を果たしていたようだ。彼は2018年の1月に亡くなったが、それから3ヶ月後、バンドは“ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム(ロックの殿堂)”入りを果たしている。きっとレイ・トーマスも授賞式に参加したかっただろう。あらためて哀悼の意を捧げたい。

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