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2019年3月 4日 (月)

レイ・トーマス

 今月は、主にムーディー・ブルース関連のミュージシャンについて、記そうと思った。理由は、ムーディー・ブルースのオリジナル・メンバーだったレイ・トーマスが、昨年の1月4日に亡くなったからだ。享年76歳で、死因は前立腺癌が原因のようだ。Raythomasthemoodyblues1193820_2
 知っている人は知っていると思うけれど、ムーディー・ブルースはイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドである。解散宣言は出ていないと思うけれど、メンバーの脱退などもあって、実質的には活動を停止しており、恐らく再活動はありえないだろう。

 このブログでも、散々彼らのことを推奨してきた。曰く、世界で最も小さなロック・オーケストラとか、メロトロンを最初にメジャー化させたバンドだとか、あのジミー・ペイジがプログレッシヴ・ロック・バンドという名称に相応しいのは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだと言ったとか、とにかく、個人的には大好きなバンドだった。逆に今では、最も過小評価されているプログレッシヴ・ロック・バンドではないかと思っている。

 ムーディー・ブルースは、1964年にイギリスのバーミンガムで結成された。結成当時のメンバーは5人で、その中にはのちにポール・マッカートニー&ザ・ウィングスのメンバーになったデニー・レインも含まれていた。

 基本的に、ムーディー・ブルースはマルチ・インストゥルメンタリストの集まりだった。もちろんレコーディングやライヴ・ステージでは、各人が自分の担当楽器を演奏しているが、その役割に関わらず、基本的な楽器であるギター、ベース、キーボード、ドラムスなど一通りは操ることができると言われていた。
 そして、レイ・トーマスはボーカルとフルートやハーモニカなどを担当していたが、もちろんそれ以外でも演奏することはできた。ただ、上手かどうかは定かではない。

 レイ・トーマスは、9歳の頃に父親からハーモニカの手ほどきを受けたが、14歳で学校を自主退学し、ものづくりの職人の道を歩み始めた。しかし、何を思ったかその道を断念し、再び音楽関係へ進もうと考えたのである。それが16歳の頃だった。
 その後、数多くのローカル・バンドで活動を始め、その中で彼の祖父がフルートを演奏していたのを思い出して、彼もまたフルート奏者としてスタートした。当時のバンドメイトには、のちに同じバンドで活動することになるジョン・ロッジもいた。ジョンとレイとは、エル・ライオット&ザ・レベルズというバンドで一緒だった。“エル・ライオット”とは、当時のレイ・トーマスの芸名だったようだ。

 ある意味、レイ・トーマスとマイク・ピンダーが、ムーディー・ブルースの創立者だった。彼らが中心となって、デニー・レインやドラムス担当のグレアム・エッジ、当時のベーシストだったクリント・ワーウィックを募集したからだ。
 そして結成当時の彼らは、イギリス流のR&Bやソウル・ミュージックを追及していて、60年代初期のイギリスのブームを反映した活動を行っていた。だから、初期のムーディー・ブルースはビート・バンドだったのだ。その影響は、のちにプログレッシヴ・ロック・バンドと呼ばれるようになってからも、彼らの作る楽曲の中に色濃く残っていった。

 1966年に、デニー・レインとクリント・ワーウィックの代わりに、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが加入して、本格的なプログレッシヴ・ロックを追及するようになった。当時としては画期的な楽器であったメロトロンやシンセサイザーの使用、そしてオーケストラとの共演、哲学的な内容を伴うトータル・アルバム制作などは、まさに文字通り“プログレッシヴ”な音楽的展開だった。Moody_blues
 とにかく、ムーディー・ブルースのアルバムは売れた。イギリスでは当然のことだが、アメリカでも1968年の「失われたコードを求めて」から1986年の「ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ」まで、10枚のスタジオ・アルバムの全てがチャートの30位以内に入っていた。具体的には、全米チャート1位のアルバムが2枚、2位と3位のアルバムが1枚ずつ、9位が1枚、10位台が2枚、20位台が3枚とセールス的にも全く問題はなかったのである。

 ムーディー・ブルースは、1972年から78年の間に活動を休止した。それまでの長い間の活動中に、少しずつたまってきたメンバー間の軋轢やストレスなどが、その原因だったのだろうし、当時としては画期的だった(というかザ・ビートルズが運営したアップル・レコードのように)、自分たちのレコード・レーベルである“スレッショルド”の運営に専念したのもその理由にあたるのだろう。

 この活動休止中に、各メンバーは、それぞれソロ・アルバムを発表した。もちろん、自分たちのレーベルである“スレッショルド”から発表されたものだった。
 そして、レイ・トーマスもまたこの時期に2枚のソロ・アルバムを発表している。彼は最初のソロ・アルバム「樫の木のファンタジー」を1975年に発表したが、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが共作した「ブルー・ジェイズ」、グレアム・エッジのソロ作品「キック・オフ・ユア・マディ・ブーツ」が発表されるまで待たされている。理由は、スレッショルドの専用レコーディング・スタジオが彼らに使用されていて、使えなかったからだ。

 この「樫の木のファンタジー」には9曲収められていたが、1曲目の"From Mighty Oaks"はオーケストラが使用された壮大なシンフォニーだった。まるで「デイズ・オブ・ヒューチャー・パスト」の再演のようだ。
 このアルバムの特徴は、レイのボーカルがフィーチャーされていることと、オーケストラやストリングスで優しくコーティングされていることだ。51ixmzmtqnl
 彼は本家ムーディー・ブルースでは、"Floating"、"Our Guessing Game"、"Nice to Be Here"などを手掛け、歌も歌っていたが、そんなに声量のあるシンガーとは思っていなかった。このファースト・ソロ・アルバムでも同様に、ジェントルでソフトな歌声を聞かせてくれる。だから場合によっては、のちの80年代に流行したアメリカ西海岸のA.O.R.のような曲調も見られた。
 例えば"Rock-A-Bye Baby Blues"では、ゲストのB.J.コールの弾くペダル・スティール・ギターがメインに出てきているし、"Love is The Key"などは、まるでB.J.トーマスかスコット・マッケンジーのようだった。

 アルバム・ラストの"I Wish We Could Fly"に使われているメロディが、アルバム冒頭の曲の"From Mighty Oaks"にも使用されているのが分かって、ああこのアルバムは、そういう意味では、円環的なアルバム、ちょっとこじつけに近いけど、トータル・アルバムに近い性格を有しているんだというのが分かった。

 このアルバムの9曲のうち、レイ1人が作った曲は2曲("Rock-A-Bye Baby Blues"と"I Wish We Could Fly")しかなく、残りはニッキー・ジェイムスという人との共作曲だった。このニッキー・ジェイムスという人は、ムーディー・ブルースと同郷のミュージシャンで、スレッショルド・レーベルとも契約をしていたシンガー・ソングライターだった。
 また、ギターとベースにはジョン&トレヴァー兄弟、ドラムスにはデイヴ・ポッツが参加していて、彼らはいずれも当時のプログレッシヴ・ロック・バンドだったジョーンジーのメンバーだった。

 ただし、そういう優れたミュージシャンが参加している割には演奏的には目立っていなくて、ギターもキーボードもソロを聞かせるところは全くと言っていいほどなかった。だから、このソロ・アルバムはロック的なダイナミズムには欠けていたといえるだろう。逆に、レイ・トーマスの内面から滲み出るようなジェントルな雰囲気がそこかしこに漂っていたのである。

 ほぼ1年後の1976年の6月には、セカンド・ソロ・アルバム「希望、願い、そして夢」を発表した。レコーディング・メンバーは前作とほぼ同様だったが、ペダル・スティール・ギター担当のB.J.コールは参加していなかった。また、ドラムスにはグラハム・ディーキンという人が担当していて、彼はジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのアルバム「ブルー・ジェイズ」にも参加していたドラマーだった。51hrsttcvll
 このアルバムは全10曲で構成されていて、最後の曲"The Last Dream"のみがレイ・トーマス一人の楽曲で、残りの9曲はレイとニッキー・ジェイムスとの共作だった。また前作よりもロック色、リズム感が強く前面に出されているところは、前作と大きく異なっている点だった。1曲目や2曲目の"In Your Song"、"Friends"では、エレクトリック・ギターのソロが聞こえてくるし、3曲目の"We Need Love"では甘美なストリングスの合間からエレクトリック・ギターも少しだけ自己主張をしていた。

 "Within Your Eyes"では、レイ・トーマスの演奏するフルートを耳にすることができるし、全体的にキャメルのような耽美性を感じさせてくれた。逆に、次の"One Night Stand"では、トランペットなどの金管楽器や女性ボーカルがフィーチャーされていて、R&B色が強い。この辺は、元々ビート・バンドとして出発したムーディー・ブルースの基本的な遺伝子が発動しているのかもしれない。

 このアルバムは、バラエティに富んでいて、ロックン・ロール調の"Keep On Searching"を聞いていると、何となくアメリカのスワンプ・ロックではないかと思ってしまうし、"Didn't I"などは前作同様のアメリカンA.O.R.だ。あるいはフランク・シナトラのようなスタンダード曲といってもいいかもしれない。アルバム後半には、こういう曲調が続くので好悪が分かれるかもしれない。

 セールス的な話をすると、前作「樫の木のファンタジー」は全英で23位、全米アルバム・チャートでは68位だった。2枚目の「希望、願いそして夢」は全英ではチャート・インせず、全米では147位だった。
 この結果に動揺したのかどうなのか、レイ・トーマスは二度とソロ・アルバムを発表することはなかった。90年代以降はアルバムごとには楽曲を提供するものの、ミュージック・ビジネスから遠ざかろうとしていたようだ。原因のひとつには、癌という病に冒されたことも挙げられるだろう。

 2002年には、今後楽曲の提供はあるものの、ツアーには参加しないと明言し、バンドを脱退してしまった。これ以降、ムーディー・ブルースは、ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジ、グレアム・エッジの3人で構成されることになったのである。

 レイ・トーマスは、ムーディー・ブルースの情緒面というか、牧歌的雰囲気や叙情性を生み出すような役割を果たしていたようだ。彼は2018年の1月に亡くなったが、それから3ヶ月後、バンドは“ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム(ロックの殿堂)”入りを果たしている。きっとレイ・トーマスも授賞式に参加したかっただろう。あらためて哀悼の意を捧げたい。


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