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2019年4月29日 (月)

初期のエルトン・ジョン(1)

 最近になって、なぜかエルトン・ジョンを聞きたくなり、デビュー・アルバムとセカンド・アルバムを聞き直してみた。なぜだかわからないが、無性に聞きたくなったのである。そして思ったことは、初期のエルトン・ジョンは、シンガー・ソングライターであり、叙情的な曲が目立っていたということだった。

 エルトン・ジョンについては、10年以上も前にこのブログで記しているので、詳しいことは省きたいが、まさにイギリスが誇る至宝というか、ザ・ビートルズやクィーンと並ぶほどの人気を誇るミュージシャンである。1998年には音楽業界と英国に対する貢献が認められて、“ナイト”の称号をあたえられている。つまり、“サー・エルトン・ジョン”なのである。

 “エルトン・ジョン”とは芸名で、本名はレジナルド・ケネス・ドワイトという。父親は空軍の軍楽隊でトランペットを担当していた。エルトン・ジョンの幼い時から父親と母親の折り合いが悪くて、父親の前では自分は憂鬱な存在だったと認めている。また彼は自伝の中でこうも述べている。『両親が別れるまで何もできなかった。サッカーをすることも父親のバラの木を折るといけないからね』

 エルトン・ジョンが10歳の時に、両親は離婚し、彼は母親のもとに引き取られた。もともとエルトン・ジョンはクラシック音楽を学んでいたのだが、母親は彼を励ますためにエルヴィス・プレスリーの"Heartbreak Hotel"のレコードを買って渡したところ、彼はこれに夢中になってしまい、結局、クラシックのピアノ演奏者の夢を捨てて、ポップ・ミュージックの道を歩み始めたのである。

 14歳の時にいとことバンドを結成し、音楽活動を始めた。このバンドはやがて“ブルーソロジー”と名前を変え、アメリカから来たR&Bのミュージシャン、ドリス・トロイやパティ・ラベルなどのバック・バンドとしてイギリス国内のみならず、ヨーロッパ各国で演奏活動を行っていった。アメリカからのミュージシャンではないが、一緒に演奏活動を行った中にはイギリスの伝説的ブルーズマンのロング・ジョン・ボルドリーもいた。

 1967年に、当時のスポンサー会社だったリバティ・レコードの役員から、バーニー・トーピンという詩人を紹介された。エルトン・ジョンはこの申し出を受けて、バーニーと一緒に楽曲作りやデモ・テープの制作を決めたのである。結局、彼はブルーソロジーと離れて、新しい仕事に合うように名前も変えた。ブルーソロジーのバンドメイトだったエルトン・ディーンと、一緒に活動をしたことのあるロング・ジョン・ボルドリーの両名からそれぞれ取って、“エルトン・ジョン”と名乗ることにした。ここから徐々に彼の運命が動いていったのだった。Eltonjohn19712chriswaltere153435363
 1968年の3月には"I've Been Loving You"という曲をシングルで発表したが、ヒットしなかった。これはオーティス・レディングの曲とは同名異曲で、名義上はエルトン・ジョンとバーニー・トーピンだったが、実際はエルトン・ジョンひとりで作った曲だった。また、翌年の1月には"Lady Samantha"というピアノよりもギターが目立つ曲も発表したが、これもまた不発だった。しかし、この間に彼ら2人は、デビュー・アルバムに向けて着々と制作を進めていたようだ。

 1969年にデビュー作である「エンプティ・スカイ」が発表された。1曲目から8分を超えるアルバム・タイトル曲が収められていて、かなりの力作であることが伺えた。この曲にはフルートやハモンド・オルガン、ハーモニカ、コンガなど多彩な楽器が使用されていて、曲自体も複雑な構成を持っており、一筋縄では掴めないエルトン・ジョンの才能が詰め込まれている。ただそれが曲として昇華されておらず、アイデアだけで勝負しましたという感じがしてならない。81yinzpzasl__sl1400_
 この傾向はこのアルバム全体を貫いているようで、続く"Val-Hala"やアルバム屈指の名曲"Skyline Pigeon"ではハープシコードも使用されていて、今となってはかなり珍しい印象を与えてくれたし、友人のカレブ・クレイのギターがフィーチャーされた"Western Ford Gateway"はアメリカに対する憧憬が聞こえてきそうだった。

 他にもボブ・ディランの歌い方をまねた"Hymn 2000"ではフルートが強調されていたし、6曲目の"Sails"でもカレブのハードなギターを聞くことができた。しかし、一番不思議な印象を持つのは、9曲目、つまり最後の"Gulliver/It's Hay Chewed/Reprise"だろう。

 この曲はタイトル通り3部作のメドレーで、全体で6分58秒もある。最初はミディアムテンポの叙情的な曲なのだが、徐々に盛り上がっていき、"It's Hay Chewed"ではジャージーなピアノとサックスにエレクトリック・ギターが割り込むような形になり、続いてサックス・ソロとギター・ソロが交互に続く、そしてアルバムの各曲が入り混じった"Reprise"で幕を閉じる。何となく、ザ・ビートルズの"Hey Jude"の形式を真似て、最後に"Reprise"をくっ付けたような感じだ。最初のアルバムということで奇をてらって印象的なものにしようとしたのだろうか。989652
 このアルバムについて、エルトン・ジョンは、次のように述べていた。『アルバムのタイトル曲を作り終えた時は、興奮して参ってしまった。生まれてから聞いた曲の中で最高だと思った』また、『当時はどんな音楽スタイルで行くのか定まっていなかったよ、たぶんレナード・コーエンのように聞こえるだろう』というわけで、だからというわけではないだろうがアルバム冒頭の"Empty Sky"や最後の"Gulliver/It's Hay Chewed/Reprise"などの長尺の曲が収められていたのだろう。

 翌年、セカンド・アルバム「エルトン・ジョン」が発表され、このアルバムは全英アルバム・チャートで5位、全米では4位を記録し、まさしく彼の出世作になった。アメリカではゴールド・ディスクを獲得し、翌年のグラミー賞の“アルバム・オブ・ジ・イヤー”にもノミネートされたのである。この成功の裏にはプロデューサーであるガス・ダッジョンの功績が大きいだろう。61menybdkrl__sl1059_
 元々は、デビュー・アルバムを手掛けたスティーヴ・ブラウンが再びプロデュースするつもりだったのだが、このアルバムに収められている"Your Song"を聞いたときに、これは間違いなくヒットする曲だ、それなら自分よりはもっと経験豊富なプロデューサーに任せた方がいいだろうと判断して、ジョージ・マーティンに声をかけたのが始まりだった。

 ジョージ・マーティンは曲のアレンジも任せてくれるならやってもいいと答えたが、アレンジはポール・バックマスターが手掛けることになっていたので、結局、この案は消えてしまった。次に、スティーヴはポール・バックマスターに誰がよいか尋ねたところ、ガス・ダッジョンという返事が戻ってきたのだ。当時のガス・ダッジョンは飛ぶ鳥を落とすほど影響力があり、デヴィッド・ボウイからストローブス、テン・イヤーズ・アフター、ジョン・メイオールズ・ブルーズブレイカーズなど大物ミュージシャンやバンドを手掛けるほどだった。Caribouranch2
 もうひとり名前をあげるなら、やはりストリングスのアレンジを手掛けたポール・バックマスターだろう。アルバム全編にわたってストリングスが施されており、またこのアレンジが絶妙なのだった。そして8曲目の"The Greatest Discovery"では、彼自身もチェロを演奏していた。ガス・ダッジョンとポール・バックマスターは仲が良かったらしく、ガスだからこそここまで大胆にポールにストリングス・アレンジメントを任せることができたのだろう。ジョージ・マーティンだったら、果たしてここまでできたかどうか疑問である。

 このアルバムに関しては、とにかくどの曲もお勧めである。"Your Song"は当然のことながら、ハープシコードが哀愁をかき立てる"I Need You to Turn to"、レオン・ラッセルの影響が濃い"Take Me to The Pilot"、ミック・ジャガーの歌い方を真似た"No Shoestrings on Louise"、ゴスペルのような"Border Song"など、捨て曲などまるでないのだ。

 ちなみに、"First Episode at Hienton"は、バーニー・トーピンの生まれ育った故郷のことを歌ったものであり、続く"Sixty Years On"とともに、ポールのストリングスが効果的なバラードになっている。
 また、"The Greatest Discovery"は弟の誕生を祝福した曲で、"The Cage"は、比較的おとなしめの曲が続く後半では、ブラスやパーカッションがフィーチャーされていて、エルトン・ジョンのロック魂を感じさせられた。最後の曲"The King Must Die"では、リリカルなエルトン・ジョンのピアノ演奏を楽しむことができるし、壮大なオーケストレーションも施されていて、アルバムのエンディングにふさわしい曲でもある。

 とにかく、このセカンド・アルバムはデビュー・アルバムとは違って、プロダクション・チームがしっかりとエルトン・ジョンの曲をバックアップし、期待以上の成果をもたらしている。その理由はいろいろ挙げられるだろうが、音楽的にはエルトン・ジョンの志向するゴスペルやソウル・ミュージックが根底にあり、それをもとにしたメロディアスな楽曲に秀逸なアレンジが加わったからだろう。
 とにかく、ここから彼らは大きく世界に羽ばたいていったのである。エルトン・ジョンがまだ若くて、痩せていて、髪の毛があったころの話である。


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