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2019年5月20日 (月)

ウィズ・ザ・ビートルズ

 久しぶりに、ザ・ビートルズのセカンド・アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」を聞いた。自分のザ・ビートルズ体験を言うと、初期の曲はシングルを通してしか知らなくて、主に中期のアルバムを通して知るようになった。最初に印象を受けたのは1965年に発表された「ラバー・ソウル」だったし、最初に買ったアルバムは同じく65年の「ヘルプ」だった。もちろん"Yesterday"が収められている英国盤の方である。ただ、自分はザ・ビートルズと同世代に生きていたわけではなく、70年代になって遅れて知ったから、アルバムを聞いたときにはすでにバンドは解散していた。Withthebeatles2_700

 だからすでに解散していたこともあって、中期から後期へと聞き進んでいって、最後の「レット・イット・ビー」から初期のアルバムへとさかのぼっていった。そして「ウィズ・ザ・ビートルズ」を聞いてぶっ飛んでしまった。まさに革新的ともいえる珠玉の名曲群が並んでいたからだった。
 その前に、アルバム・ジャケットの写真を見て、子ども心でもカッコいいと思っていた。単なるモノクロームの写真なのだが、まるで夜空に浮かぶ半月のように、正面の顔の半分だけが照らされているし、背景も漆黒に塗り固められていた。のちに「ハーフ・シャドウ」と呼ばれるようになった写真だが、1963年のイギリスツアー中に、ホテルの食堂で撮影されたものだった。このアルバム・ジャケットを見ただけでも購買意欲がそそられるようだった。811yclohkal__sl1500_ 

 そして中身の曲も鮮烈で、斬新で印象的だった。特に冒頭の曲"It Won't Be Long"でのイントロなしの歌い出しや、ジョンとポールやジョージとの掛け合い(Yeah)などは、それまでそういった曲を聞いたことがなかったのでとても新鮮に思えた。さすがザ・ビートルズである。こういう発想はどこから出てきたのだろうか。アルバム冒頭に相応しいノリのよい曲でもある。

 続く"All I've Got to Do"もジョンの曲だが、一転してミディアム調のメロディアスな曲だ。あらためてジョンの作曲能力の高さを感じさせられた。ポールとともに2人の天才的なミュージシャンがいたのだから、売れないわけがない。当時の2人はいい意味で競い合って曲作りをしていたのだろう。

 そのポールが作った曲が"All My Loving"だった。並のミュージシャンなら、生涯を通してこういう曲1曲だけで充分評価されるだろうが、ポールはこのレベルの曲を何百曲と作ってきたのだから、まさに天才的なメロディーメイカーである。一度聞いただけで覚えてしまいそうなメロディーやジョージ・ハリソンのチェット・アトキンスをまねたリード部分は初期の彼らを代表するオリジナル曲だと思っている。

 4曲目の"Don't Bother Me"はジョージ・ハリソンの曲で、ツアー中のホテルの中で体調を崩した時に書いたものらしい。この曲も意外とメロディアスで、最初はジョージが作った曲とは知らなくて聞いていた。バンドの中では一番若かったジョージ・ハリソンだったが、ジョンとポールの影響を受けて曲作りを進めていった。ただ、アルバムには取り上げられる回数は少なかった。ジョンやポールとほぼ同じ水準の曲を作れと言われても、そう簡単にはいかなかっただろう。しかし、活動の後期には"Something"、"Here Comes The Sun"などのスタンダード曲と化した超名曲を発表している。

 "Little Child"は誰かのカバー曲だとずっと思っていて、”レノン=マッカートニー”の作品とは思っていなかった。実際は、ジョンの曲だそうで、ハーモニカもジョン自身が演奏している。ちなみにピアノはポールが弾いているらしい。
 "Till There Was You"はカバー曲で、1957年のミュージカル「ミュージック・マン」の中の挿入曲だった。ただし、ザ・ビートルズは、1960年のアニタ・ブライアントという人が歌ったバージョンを参考にしていて、レコーディングを勧めたのはポールだった。ここではジョージ・ハリソンがクラシック・ギターを、ジョンがアコースティック・ギターを演奏していた。

 A面最後の曲だった"Please Mister Postman"は、カーペンターズも歌った有名曲で、元はモータウンのR&B曲だった。モータウンの女性コーラス・グループのマーヴェレッツが歌って、1961年12月11日に全米シングル・チャートでNo.1になっている。

 1956年のチャック・ベリーの古典ともいうべき楽曲が、"Roll Over Beethoven"で、ここではジョージがリード・ボーカルをとっていた。こういう曲を聞くと、初期のザ・ビートルズはロックン・ロール・バンドだったということが分かる。おそらくデビュー前のハンブルグ修業時代から歌っていたのだろう。

 このアルバムには、メンバー間の”掛け合い”の曲が多く収められていて、この"Hold Me Tight"でも同様に聞くことができる。ポールの作った曲で、ホントはデビュー・アルバムに収められる予定だったが、出来具合が良くなくてセカンド・アルバムに収録されたもの。このアルバムの中の曲はどれも素晴らしくて捨て曲などないのだが、強いてあげれば、この曲くらいがやや薄い印象かもしれない。

 続く"You Really Got A Hold On Me"は、このアルバムの中で唯一3分に届いた曲で、オリジナルは、モータウン・レコードのスモーキー・ロビンソンとザ・ミラクルズが1962年に歌っていた。全米シングル・チャートでは、8位まで上昇している。ここではジョンが歌い、ジョージがハーモニーをつけ、途中からポールも参加して歌っていた。ピアノはプロデューサーだったジョージ・マーティンが担当している。

 "I Wanna Be Your Man"は、元々ザ・ビートルズが作った曲を当時のライバル・バンドとみなされていたザ・ローリング・ストーンズの2枚目用のシングルとして1963年に贈ったもので、楽屋でジョンとポールが書き上げた曲だった。このアルバムではリンゴ・スターがリード・ボーカルをとっている。リンゴは本当は"Little Child"を歌う予定だったらしいのだが、なぜかこの曲を歌うようになった。音域が合わなかったのだろうか。

 "Devil in Her Heart"もまたアメリカのアフリカ系アメリカ人女性グループ、ザ・ドネイズが、1962年に発表した曲。この曲はヒットせずに、ザ・ドネイズ自体もこのシングルだけを残して解散してしまった。ザ・ビートルズが取り上げたおかげで有名になった曲で、レコーディングを提案したのはジョージ・ハリソンだった。そのせいか、彼自身がリード・ボーカルをとっている。この曲もまた”掛け合い”が見事である。

 13曲目の"Not A Second Time"は、レノン=マッカートニーの作品で、実質的にはジョンが作った曲だった。もちろんボーカルもジョン自身である。当時のザ・ビートルズは、というか、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは徐々にそれぞれ個人による楽曲制作が進んでいて、それぞれが作った曲をお互いにアドバイスを受けながらレコーディングを進めていったと言われている。そういう意味では、まだまだ共同作業といえるかもしれない。

 そして最後の曲、"Money"はバレット・ストロングというシンガーが1959年に歌ったもので、翌年にはモータウン・レコードから再発されて、全米シングル・チャートの23位を記録した。ジョンが歌い、ポールとジョージが”掛け合い”のコーラスを付けている。歌詞を見ると、とにかくお金が欲しいという切実な内容になっていて、夢も希望もないような現実的な歌詞だった。日本のロック・シンガーだった忌野清志郎もザ・タイマーズとしてレコーディングしていた。もちろん日本語で歌っている。 51zkg6zmj0l

 とにかく、このアルバムを聞いて思ったことは、この時期のザ・ビートルズはロックン・ロール・バンドだったということであり、さらにまた彼らが作ったオリジナル曲は優れていて、カバー曲は元のオリジナル曲よりもハードでロックン・ロールしているということだった。
 同時に、ロックン・ロールやリズム・アンド・ブルーズの影響が強くて、ヒットした曲からあまり知られていない曲まで、幅広いレパートリーを誇っているということだった。特に女性コーラス・グループの曲には詳しくて、その影響からか"掛け合い"を含む曲が目立っている。

 とにかく、21世紀の今でも影響力を残しているモンスター・バンドのザ・ビートルズである。聞くたびに新しい発見があり、それぞれの曲は、人によってそれぞれの想いを抱かせるパワーを秘めているようだ。


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