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2019年5月 6日 (月)

初期のエルトン・ジョン(2)

 エルトン・ジョンのように活動歴が長いミュージシャンなどでは、”初期”といわれてもどこまでが初期なのかが、よくわからなくなってくる。活動が長くなればなるほど、”初期”の期間が延びてくるからだ。だからアルバム・デビューして50年も経つエルトン・ジョンにすれば、”初期”といえば、やはり1969年のデビュー・アルバムから1979年の「恋に捧げて~ヴィクティム・オブ・ラヴ」あたりまでだろう。
 でも70年代のエルトン・ジョンといえば、まさに飛ぶ鳥を落とすほどの全盛期だったから、その当時のアルバムについてはどれも必聴盤だった。もちろん今になって聴き込んでみれば、優劣とまではいかないまでも、必聴盤と推薦盤くらいの違いは出てくるのだが、とにかく70年代のアルバム群は、特に1972年の「ホンキー・シャトー」以降パンク・ロック登場までは、どれもこれも水準が高く、セールス的にも成功を収めることができたのである。

 そんな中で初期のアルバムを紹介するといっても、膨大な時間と作業が必要になってくるので、69年のデビュー・アルバム「エンプティ・スカイ」から1971年の「マッドマン」までに絞り込むことにした。そして今回は2回目に当たり、その後半部分の2枚のアルバムについて記そうと思った。
 基本的に当時のエルトン・ジョンはシンガー・ソングライターであって、のちの派手なイメージやステージ演出とは一線を画すようなたたずまいだった。また、今回改めて思ったのは、彼がいかにアメリカ南部の音楽、ソウルやゴスペル、R&Bに強い影響を受けていたかであった。この両方の特徴がよく表れていたアルバムが、1970年に発表されたアルバム「エルトン・ジョン3」だった。51slqebp2l  まずアルバム・ジャケットから見てもアメリカという国や文化に影響を受けているということが分かると思う、まるで”西部劇”のようなアートワークだからである。しかも添付されたブックレットに載せられた写真や歌詞、イラストなどはまさに19世紀のアメリカ西部のようだし、セピア色の色どりは古き良き時代を回顧させるような効果をもたらしていた。(ただ実際は、アルバムのジャケット写真はイギリスのロンドンから約40キロ離れたサセックス州のある駅のものだった)

 エルトン・ジョンはこのアルバムについて、「歌詞にしてもメロディにしても、僕たちの作品の中で最も完璧に近いものの1枚だろう、歌詞とメロディが合わない曲はひとつもない」と述べていた。言葉の端はしに強い自信が表れている。また、相棒のバーニー・トーピンは、「みんなが僕が初めてアメリカを見て、興奮してこのようなアルバムを作ったと思うだろうが、実際はアメリカに来る前にレコーディングをしていたんだ。それより自分が強く影響を受けたのはザ・バンドのアルバム”Music from Big Pink”というアルバムと、ロビー・ロバートソンの曲の方なんだ」

 曲名にしても"Ballad of A Well-Known Gun(名高き盗賊の伝説)"や"My Father's Gun(父の銃)"など、いかにもアメリカ西部開拓時代を彷彿させるようなものだったし、そういう意味では、このアルバムもまたトータル・アルバムだったのだろう。
 そして、このアルバムもまたセールス的に売れたのだが、ここからシングル・カットされた曲は1曲もなかった。それでも売れたのだから、いかにこのアルバムが優れていたかが分かるだろう。

 冒頭の"Ballad of A Well-Known Gun"はミディアム調の力強く語りかけるような曲で、バッキングのボーカルがソウルフルだ。この曲はジェイムス・テイラーの妹のケイト・テイラーもカバーしていた。次の"Come Down in Time"はアコースティック・ギターとオーボエやストリングスがフィーチャーされたスロー・バラード曲だった。この曲もまた、アル・クーパーやスティングによってカバーされた。ポール・バックマスターのストリングス・アレンジが素晴らしい。

 3曲目の"Country Comfort"は、ロッド・スチュワートのバージョンの方が有名かもしれない。彼は1970年の自身のソロ・アルバム「ガソリン・アレイ」でこの曲を取り上げている。次の"Son of Your Father"はアップテンポのブギウギ調のナンバーで、ハーモニカやホーン・セクションも強調されていて楽しい雰囲気だが、歌詞を見ると2人の男が議論の果てに喧嘩になって殺し合いを始め、2人とも亡くなるという悲劇的な内容だった。そのせいかどうかはわからないが、エルトン・ジョンは、ライヴではこの曲を一度も歌ったことはない。

 5曲目の"My Father's Gun"も内容的にはアメリカ南北戦争で亡くなった父親の遺品の拳銃のことを意味していて、ボブ・ディランもこの曲を気に入っていたといわれていた。オーランド・ブルームやクリスティン・ダンストが出演した2005年のアメリカの映画「エリザベスタウン」のサウンドトラックにも使用されていた。6分以上にも及ぶ壮大なバラード曲だ。

 サイドBの1曲目"Where to Now St.Peter?"もまた戦場で亡くなろうとしている兵士の最後の想いに言及したもので、自分の魂は天国に行くのか地獄に行くのか、聖ペテロに問うというものだった。ミディアム調な曲ながらも歌詞的には深いものが秘められている。また、セルジオ・メンデスとブラジル77が1976年のアルバム「ホームクッキング」で、ハートのアン・ウィルソンがエルトン・ジョン自身と2007年の彼女のソロ・アルバム「ホープ&グリーリー」でデュエットしている。

 アコースティック・ギターをバックに歌われる2曲目の"Love Song"は、穏やかなバラード・タイプの曲で、イギリス人のシンガー・ソングライターであるレスリー・ダンカンがギターとバッキング・ボーカルを担当していた。次の"Amoreena"もまた1975年の映画「ドッグ・ディ・アフタヌーン」で挿入歌として使用されていた。この曲のレコーディングで、初めてナイジェル・オルソンとディー・マーレイのリズム・セクションとセッションを行ったという記録が残されている。ちなみに"Amoreena"とはエルトン・ジョンが名付け親になった娘のことである。彼の実の娘というわけではないようだ。

 ピアノの弾き語りで歌っているのが"Talking Old Soldiers"で、まるでソウル・ミュージックのように厳かで魂を揺さぶられるような曲である。実際に、アフリカ系アメリカ人のベッティ・ラヴェッテが2007年の彼女のソロ・アルバム「ザ・シーン・オブ・ザ・クライム」で取り上げている。バーで戦争を経験した老人が若者に自身の体験を語りかけるというもので、当時のエルトン・ジョンがどういう気持ちでこの曲を歌っていたんだろうかと気になってしまう。よほど老成した青年だったのだろうか。当時の彼はまだ23歳だった。

 そして最後の曲が"Burn Down the Mission"だった。内容的には、貧しい青年が自分の存在意義と貧困や社会的格差などに悩み、傷つき、ついには教会を焼き払おうと行動に移すというものである。音楽的にもゆっくりとしたピアノの弾き語りから、中盤では素早く鍵盤が叩かれジャージーな雰囲気に一転し、さらに最後は魂が昇天するかのように、コンガやストリングスも加わり、高みまで上がっていくのである。この曲もフィル・コリンズが歌ったり、TOTOが2002年のアルバム「スルー・ザ・ルッキング・グラス」でカバーしていた。

 これまで見てきたように、シングルでヒットした曲はないものの、多くのミュージシャンやバンドがこのアルバムからの曲を取り上げている。それだけ影響力が強かったのだろう。チャート的にも英国のアルバム・チャートで2位、米国のビルボード・アルバム・チャートでは5位まで上昇している。エルトン・ジョンの隠れた名盤といっていいだろうし、彼ら、つまりエルトン・ジョンとバーニー・トーピンにとっては、初めてのトータル・アルバムだったに違いない。そしてさらに自信をつけたエルトンが翌年に発表したのが、「マッドマン」だった。 71lxf5spe6l__sl1101_  
 とは言っても、この「マッドマン」というアルバムの評価は、母国イギリスにおいては低かった。ビッグ・ヒットにつながるようなシングル曲が含まれていなかったというのがその原因の一つだったに違いない。しかもこの年のエルトン・ジョンは、このアルバムを含めて3枚のアルバムを発表していた。4月には初めてのライヴ・アルバム「17-11-70」を世に出し、5月には、映画「フレンズ」のサウンドトラックを発表している。そして11月になって、5枚目のスタジオ・アルバムになる「マッドマン」がリリースされたのだが、ひょっとしたらまたエルトン・ジョンのアルバムか、"Your Song"のような曲はどこにあるんだいと世の中の人は思ったかもしれない。

 確かに、名曲といえるような曲は含まれていなかったかもしれないが、よく練られていて構成が巧みな曲や深い余韻を残すような曲もあって、個人的には決して悪くないと思っているし、むしろもっと高く評価されてもいいのではないかとも思っている。
 シングル向きの曲がないといっても、アメリカではアルバム冒頭の"Tiny Dancer"と2曲目の"Levon"がシングカットされていて、前者は41位、後者は24位まで上昇している。そのせいか、米国のビルボードのアルバム・チャートでは8位を記録した(英国では41位止まりだった)。

 "Tiny Dancer"は、6分12秒もあって、そのせいかラジオではオンエアされにくかったようだ。だからビッグヒットにはつながらなかったと言われている。それでも、ハーブ・アルバートの奥さんのラニ・ホールの1972年のソロ・アルバム「サンダウン・サリー」でカバーされているし、デイヴ・グロールもTV番組で歌っている。また、2002年にはベン・フォールズもライヴ・アルバムの中で披露していた。確かに時間は長いが、多くの人に愛される佳曲だろう。また、この曲は作詞家のバーニー・トーピンの当時の妻のことであり、彼女は実際にダンサーだったようだ。彼女とバーニー・トーピンの結婚生活は約4年続いたが、その影響は彼の書く歌詞にも反映されていて、たとえば"The Bitch is Back"も彼女のことを書いたものと言われている。

 "Levon"は、長い間ザ・バンドのレヴォン・ヘルムのことだと言われていたが、2013年になって、バーニー・トーピン自身がその話を否定している。また、この曲も多くのミュージシャンからカバーされていて、中でもジョン・ボン・ジョヴィは、この曲を書いたのが自分だったら良かったのにとまで言っていたようだ。他にも、アメリカ人ミュージシャンのマイルス・ケネディやカナディアン・ロッカーのビリー・キッパートなどがレコーディングしていた。

 アルバム・タイトル曲である"Madman Across the Water"は、当時のアメリカ大統領だったリチャード・ニクソンのことを歌っているのではないかと言われていたが、もちろんこれは都市伝説だった。当時はウォーターゲート事件で騒がれていたので、この曲と結び付けられたのだろう。この曲は、エルトン・ジョンのトリビュート・アルバム「トゥー・ルームズ」の中で、ブルース・ホーンズビーがカバーしていた。

 このアルバムには多くのゲスト・ミュージシャンが参加していた。3曲目の"Razor Face"と4曲目の"Madman Across the Water"、7曲目の"Rotten Peaches"のハモンド・オルガンは、当時ストローヴスを脱退して間もなかったリック・ウェイクマンが演奏していたし、同じ4曲目のエレクトリック・ギターと7曲目のスライド・ギターは、あのクリス・スぺディングが担当していた。ちなみに4曲目の"Madman Across the Water"のオリジナル・バージョンのエレクトリック・ギターは、デヴィッド・ボウイのバック・バンド、ザ・スパイダーズ・フロム・マーズのギタリストだったミック・ロンソンが弾いている。そのバージョンは、リイシューされたCD「エルトン・ジョン3」で聞くことができる。

 また、のちにエルトン・ジョン・バンドで活躍するようになったギタリストのデイヴィー・ジョンストンが、このアルバムから参加していて、アコースティック・ギターのみならず、6曲目の"Holiday Inn"ではマンドリンとシタールも演奏している。彼はマグナ・カルタというバンドに所属していたのだが、彼らのアルバムをガス・ダッジョンがプロデュースしたことから、エルトン・ジョンのバンドに引き抜かれたようだ。

 さらには8曲目の"All the Nasties"では、これもまたのちのエルトン・ジョンのライヴでは重要な地位をしめるパーカッショニストのレイ・クーパーがタンバリンを叩いている。彼はまさにイギリスのミュージック界の至宝ともいうべき人で、エルトン・ジョンのみならず、エリック・クラプトンからジョージ・ハリソン、はたまたあのザ・ローリング・ストーンズやポール・マッカートニー、ピンク・フロイド、ビリー・ジョエル、その他数多くのミュージシャンやバンドのアルバムやライヴに参加している。2016年のエルトン・ジョンのアルバム「ワンダフル・クレイジー・ナイト」の中の"Tambourine"は、レイ・クーパーの長年の貢献に対して捧げられたものである。

 このアルバムには9曲が収められていて、比較的長い時間の曲が多い。もちろん、"Tiny Dancer"も長いのだが、5曲目の"Indian Sunset"は6分45秒もあって、このアルバムの中では一番長い曲である。バーニー・トーピンがアメリカのネイティヴ・アメリカンの保護地区を訪れた時にインスピレーションを受けて書かれたもので、のちにエルトン・ジョンのライヴでの重要なレパートリーになった曲だった。エルトン・ジョン自身は、この曲はみんなが思っているようなプロテスト・ソングではなくて、ひとつの物語だと述べている。
 曲も彼のアカペラから始まって、ピアノやドラムス、ストリングスなど徐々に楽器が増えていくが、一旦ブレイクして、ピアノの弾き語りに移っていく。最後はまた壮大なエンディングを迎えるのだが、その辺の緩急をつけた構成が見事で、アメリカで行われるライヴではスタンディング・オベーションで迎えられるという。確かに、胸を締め付けられそうなドラマティックなバラードだと思う。

 逆に、エルトン・ジョンのピアノの弾き語りだけで歌われるのが、最後の曲の"Goodbye"で、この曲は1分48秒しかなかった。他の曲と比べてあまりにも短い曲なので、うっかりして聞き流すことが度々あった。71la5budpl__sl1358_  とにかく、この2枚のアルバムは、のちの70年代中盤から後半のアルバムに比べれば、かなり地味な印象を与えていて、評価自体もそんなに高くはない。ただ、アメリカではチャート・アクションもよく、セールス的にもよい結果を出していた。当時のアメリカでは、シンガー・ソングライター・ブームだったから、そういう時代の流れというか、後押しもあったのではないだろうか。
 とにかく、アメリカでの好調なセールスに気をよくしたエルトン・ジョンは、このアルバムに起用したミュージシャンのデイヴィー・ジョンストンやディー・マーレイ、ナイジェル・オルソン、レイ・クーパーを中心にバンドとして活動を開始し、さらに高みを極めていくことになるのだが、その話はまた次の機会に譲ることにしようと思う。次の機会があればのお話だが…53b9fe5a6ba16bd7a96cf9e698521923
 今まで見てきたように、エルトン・ジョンのような偉大なスーパースターでも地味なアルバムを残している。どんな人にも下積みという時期があるのだろうし、こういう経験がやがては大きく花開く土台になるのだろう。何事も地道に取組むことが、遠回りに見えて着実な成功への階段を歩むことにつながる好事例なのかもしれない。


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