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2019年5月27日 (月)

スローハンド

 「スローハンド」といえば、エリック・クラプトンの代名詞でもある。彼のギター・ソロの時に、指運びはゆっくりなように見えて、実際は多くの音を弾き出している様子やフレージングの豊かさなどを表現した言葉だが、当時のニックネームにもなっていた。Eric・"Slowhand"・Clapton というわけだ。
 その言葉をアルバム・タイトルにしたのが1977年に発表された彼の5枚目のスタジオ・ソロ・アルバムだった。世間一般の評判ではかなり人気があって、70年代の彼のソロ・アルバムの中では1974年の「461オーシャン・ブールヴァード」と並び称されるほどだった。

 当時の彼の音楽は”レイド・バック”と呼ばれていて、かつてのクリームのようにギターをメインに置くのではなくて、曲の合間にさりげなく聞かせるくらいで、彼のボーカルと楽曲、演奏、ギター・ソロと、トータルな意味で表現しようとしていた。だから、60年代の彼を知る者としては、少々物足りない気もしていた。 09_spx450

 自分はそんな彼を表面上しか見ていなくて、ヒット曲や”イージーリスニング・アルバム”ばかりつくって、商業主義に毒されたミュージシャンだと思っていた。せっかくドラッグ中毒から復活したのに、もう激しい曲はやらないんだ、ひょっとしたらドラッグの後遺症かとも思っていた。だからもっと激しいハードな曲を求めて、レインボーやマイケル・シェンカーなどに走っていった。若気の至りだったかもしれない。

 だからこのアルバムが発表された当時は、シングル・カットされた"Cocaine"や"Lay Down Sally"ばかりが耳に残ってしまい、アルバム自体についてはまっとうな判断もできなかった。ただ後になって、後といってもこのアルバムを発表したクラプトンとほぼ同じ年齢になった時、つまり32歳頃だろうか、何となくこのアルバムの良さが分かったような気がした。クラプトンのような浮き沈みの激しい人生は送っては来なかったものの、実の母に拒絶されたり、人を信じられなかったり、そういう経験は自分にも覚えがあったし、人生は理不尽なものだということも体感できていたからかもしれない。41b7xnxwqzl__sx466_   アルバムは、JJケイルの曲"Cocaine"から始まる。この曲は、アルゼンチンでは当時の軍事政府によって1984年まで発売禁止処分になった。理由は、若者が誘導されてドラッグに走ってしまうからというものだった。もちろん、クラプトンはこれを否定し、これはアンチ・ドラッグの曲ということをわかってもらうために、ライヴでは"that dirty cocaine"と歌詞を変えて歌っていたという。さすがクラプトン、このことをもっと早くから知っていたら、コカインに耽溺した芸能人も出てこなかったのかもしれない。全米のビルボードのシングル・チャートでは30位だった。

 "Wonderful Tonight"はライヴではもう少しゆっくりと演奏される曲で、この曲のエピソードはエリックの自伝映画でも述べられていたから、多くの人が知っているはずだ。ポール・マッカートニー夫妻が主催したバディ・ホリーを記念するパーティーに出かける間際の10分くらいの間に作った曲で、その10分というのは、当時の恋人だったパティ・ボイドの身支度を待っている間の時間だったのだ。
 だから歌詞にも、何の服を着ていこうか迷っている彼女に対して、”今夜の君はステキだよ”と臆面もなく囁いているのである。当時のパティはジョージ・ハリソンとの離婚が成立していたから、法律的にも道義的にも何の問題はないのだが、まあこうやって歴史の中で、また世界中に永遠に残っていくのだから、歌というのは考えようによっては諸刃の剣みたいなものだろう。ちなみにエリックとパティはこの2年後に正式に結婚し、その10年後に離婚した。もちろんこの曲は今でもステージ歌い継がれている。

 "Lay Down Sally"は全米シングル・チャートで3位まで上昇したヒット曲で、JJケイル風のカントリー・ブルーズを意識して作った曲だった。クラプトンのギターも小刻みに動いているが、当時のバックでギターを弾いていたテリー・リードのギターもクラプトンに負けじ劣らず頑張っている。
 このアルバムの優れているところは、いわゆる”捨て曲”が見当たらない点だろう。4曲目の"Next Time You See Her"もメロディアスかつポップであり、一度聞くとサビのフレーズが頭から離れない。クラプトンの歴史の中ではそんなに重要な曲ではないだろうが、それでもこのアルバムの中では、あるべきところに納まっている感じがする。

 それは次の曲"We're All the Way"にも当てはまることで、呟くようなクラプトンのボーカルが印象的だが、うっかりすると子守歌のように聞こえてきて、目を閉じると思わず眠りに落ちてしまいそうになった。この曲は、アメリカのカントリー・シンガーであるドナルド・レイ・ウィリアムスという人が作った曲で、彼はカントリー・ミュージックの殿堂入りを果たしている。ただ残念ながら2017年の9月、肺癌により78歳で亡くなった。

 レコードではここからサイドBになる。このB面の1曲目が強烈だった。この”The Core”という曲でのクラプトンのギターは、全盛期つまり60年代後半を彷彿させる音を出していて、聞き方によってはサックスのメル・コリンズとバトルを繰り広げているようだった。ただメインはやっぱりボーカルなので、曲自体は8分44秒もあるのに、バトルの時間はそんなに長くはないのが悲しいところだ。クラプトンと女性ボーカルのマーシー・レヴィの掛け合いもまたこの曲を際立たせている。

 "May You Never"はイギリス人のシンガー・ソングライターであるジョン・マーティンという人の持ち歌で、ポップなミディアムテンポの曲だった。大作"The Core"のあとの曲だったから、お口直しみたいな感じがするようなそんな小曲だった。この曲の作曲者だったジョン・マーティンも2009年の1月に肺に関する病気で、60歳で亡くなっている。彼は才能のわりにはイギリス以外では正当な評価を得ることができず、そのせいかドラッグやアルコールで苦しんでいたようだ。

 8曲目の"Mean Old Frisco"は、これもまたこのアルバムを象徴するようなカントリー・ブルーズ調の曲で、発表当時はクラプトンのオリジナル曲と記載されていたが、今はエルビス・プレスリーの曲"That's All Right"も書いたデルタ・ブルーズの巨匠アーサー・クルドップと表記されている。自分はどちらでもよいのだが、こうやって見ると、クラプトンという人は、自分のボーカル・スタイルに合う曲を見つけてきては、実に上手にカバーし、自分のものとしている。こういった音楽センスもまた一流ミュージシャンとしての証なのだろう。

 そして最後の曲"Peaches And Diesel"は、4分49秒のインストゥルメンタル曲だった。何となく"Wonderful Tonight"のインスト版みたいに聞こえてくるのだが、気のせいだろうか。この曲はクラプトンとアルビー・ギャルーテンというアメリカ人作曲家の2人で作った曲だった。このギャルーテン(もしくはガルーテン)という人は、13曲の全米ナンバーワンのヒット曲に携わった人で、主にビージーズやバーブラ・ストライザンドに曲を提供したり、彼らのアルバムをプロデュースしたりしている。91d1c0i64zl__sl1500_

 このアルバムは、それまでジャマイカやアメリカのマイアミでレコーディングされていたのを、久しぶりにイギリスのロンドンに戻り、プロデューサーをトム・ダウドからグリン・ジョーンズに替えて制作されたものだった。だからというわけではないだろうが、サックス・プレイヤーにあのメル・コリンズを招いたのだろうし、同じイギリス人としても呼びやすかったのだろう。
 従来のファンからすれば、イギリスに戻ったのでそれまでのアメリカナイズされた音楽から原点回帰されて、ブルーズ・ロック中心になるのではないかと思われていたが、実際は上記のようなカントリー・ブルーズやアメリカ南部のブルーズに影響された楽曲が中心になった。

 彼の伝記映画である「エリック・クラプトン~12小節の人生~」によると、当時のクラプトンはドラッグ中毒で、コカインからヘロインへとよりヘヴィなドラッグに移っていった。ヘロインはかなりお金がかかるようで、クラプトンでさえも経済的な余裕がなければやらなかったと告白していたし、静脈注射だと一度で多量に摂取してしまうので、鼻から吸引するようにしていたという。実際に、ヘリコプターで病院に運ばれたこともあったようで、現在、こうやって生きていられるのは彼自身奇跡のようなものだとインタビューに答えている。確かに、クラプトンのことを知っている人なら、だれしもそう思うに違いない。

 さらに、ドラッグだけでなくアルコール中毒にもなっていて、恋人のパティ・ボイドにも"Wonderful Tonight"のように優しく接するときもあったし、それとは全く逆に、我を失って空の酒瓶を投げつけたこともあった。もちろん酩酊していて自分が何をしているのかわからなかったのだろう。だから当時のパティに対して”奴隷兼パートナー”と後になって説明していた。クラプトンにとってもパティにとっても天国と地獄を往来していたに違いない。

 それにしても、そんな状態の中でこれだけレベルの高い、しかも商業的にも成功したアルバムを発表していたのだから、エリック・クラプトンとは、常識の範囲内では捉えきれない、あるいは常識で判断してはいけない、規格外のミュージシャンだと思う。もし彼がドラッグやアルコールに手を出していなかったなら、どうなっていただろうか。もっと素晴らしい音楽を創造できたかというと、それはよくわからない。あるいは全くの逆で、ドラッグやアルコールに手を出していたからこそ、これだけの音楽を創出できたのかもしれない。0eric_clapton105
 そして彼がなぜそういう危険なものに手を出していったかというと、それはやはり彼自身の弱さであり、ある意味、幼少期の親子関係からくる運命的なものかもしれない。自分は、彼自身が依存体質だと思っているし、実際、ドラッグとアルコールだけでなく女性(恋愛)にも依存していた。

 そして、クラプトンの偉大さは、そんな自分自身を対象化し、ブルーズという音楽とギター演奏という技術を通して、自分の想いや感情を万人に伝わるように表現していったところだと思っている。彼が死を意識し、それと隣り合わせでも今まで生きて来れたのも彼の類まれなる能力のおかげだろう。また、自分自身をブルーズという音楽の体現者として意識しているからに違いない。

 結局、彼は最終的には”ブルーズ”という音楽に依存していたからこそ、生き延びることができて、現在では満ち足りた生活を送ることができているのだと思っている。今年の4月には22回目の来日公演を行ったクラプトンだが、恐らく自分の人生がブルーズだと認識している限りは、これからも世界のどこかでライヴを行っていくだろう。


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コメント

 エリック・クラプトン興味深く拝見しました。私の知らなかった話も多く・・・人、一人を掘り下げるとなかなか味のあるものですね。
 私はもともとそれ程のファンではなかったのですが、ロジャー・ウォーターズがピンク・フロイドから離れて、まず共にしたギタリストで、あの「ヒッチハイクの賛否両論」ライブでのギルモアとは違った彼独特のギター・プレイに陶酔したことを思い出します。彼はピンク・フロイドの曲も決して二番煎じはしないで、ロジャーとともに自分を演じきったライブは素晴らしいものだった。
 当時、ギルモア・ピンク・フロイド側の圧力で、きちんとした記録が残せなかったのが悔やまれます。

投稿: photofloyd(風呂井戸) | 2019年5月30日 (木) 10時00分

 お久しぶりです。コメントありがとうございました。個人的なお話で恐縮ですが、実は引っ越しまして風呂井戸氏とも連絡が取れないのではないかと思っていました。やっとネット環境が整いました。

 そんなことはともかく、ロジャーとクラプトンとの蜜月関係というか、ジョイント・ライヴを見てみたかったです。ギルモアの圧力とは許せませんねえ。でも何となくギルモアならやりそうな気もします。

 でもロジャーはジェフ・ベックとも共演していたような記憶があります。ギタリストを起用する嗅覚が優れていたのでしょう。さすがロジャーです。ギルモアが趣味的なサウンドに走っているのに対して、ロジャーにはしっかりと時代に対峙したサウンドを鳴らしてほしいと願っています。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2019年6月 3日 (月) 22時53分

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