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2019年6月10日 (月)

イマジン

 ザ・ビートルズが解散した切っ掛けというのがあって、前回はポール・マッカートニーがザ・ビートルズを脱退して当時のマネージャーだったアラン・クレインを解雇しようとして裁判になったというようなお話をしたと思う。でも実際は、ポールよりも先にジョンの方がザ・ビートルズを脱退するよ電話をしてきたのが定説になっているらしい。今となってはどうでもいいことかもしれないが、70年代の初めではとても重要なことだった。
 そして、何故ジョンがザ・ビートルズを脱退しようとしたかというと、”事件の陰に女あり”の言葉ではないが、ジョン・レノンの背後にはオノ・ヨーコがいて、その影響でジョンが脱退を希望したというのである。だから熱烈なザ・ビートルズのファンなら、オノ・ヨーコを目の敵にしていて、彼女の存在がなければもう少し長くザ・ビートルズは活動したに違いないと思っているのである。

 私たち日本人の中にもそう思っている人は少なからずいると思うし、ましてや海外の人ならもはや確信に近いというか、信仰に近いものがあるのではないだろうか。実際に、私自身もアメリカ人の青年から”オノ・ヨーコ黒幕説”を聞いたことがあったし、それは違うよと私が否定しても、決して自分の説を翻そうとはしなかった。オノ・ヨーコは今でも世界中のザ・ビートルズ・ファンから嫌われているのだろう。ひょっとしたら、藁人形に名前が貼られて五寸釘が打ち込まれていたかもしれない。何という可哀そうなオノ・ヨーコだろうか。

 ザ・ビートルズの最後のフィルムが「レット・イット・ビー」だったが、そのレコーディング風景にもオノ・ヨーコは写り込んでいた。髪の毛も長くて黒いし、服装も黒っぽかったから、まるで背後霊のようだったが、ほかのメンバーの奥さんや恋人はレコーディングには参加していなかったのに、彼女だけがジョンから招かれたのだろう、レコーディング・スタジオの中でずっと座っていた。このことも他のメンバーから反感を買ったようである。ジョンに言わせれば、彼女の存在は”ミューズ”のように彼の音楽的創造性の源泉だった。また、音楽的な影響のみならず、平和や文化活動、反戦行動のような具体的な理念や行動面まで影響を受けていたから、彼ら2人は恋人や夫婦という枠組みを超えていて、もはや”ソウルメイト”とも言うべきものだった。だからジョンの行くところ常にオノ・ヨーコがいたし、逆にオノ・ヨーコがいれば、必ずジョンもまたその場に存在していたのだ。 Johnandyokoaboveusonlysky20181

 それで前回のブログでは、ポールが滅茶苦茶他のザ・ビートルズのメンバー、特にジョンやオノ・ヨーコのことを非難していたことを述べたのだが、その原因についてはあまり触れなかった。その原因については、もちろん他のメンバーとの確執みたいなものもあっただろうし、ザ・ビートルズが解散した切っ掛けが、ポールの思いと関係なく、ポールの言動にあったと決めつけられたことにも無念さがあったに違いないだろう。

 そしてまた、もっと具体的にいうなら、ポールのソロ・アルバム「マッカートニー」が本家ザ・ビートルズのアルバム「レット・イット・ビー」発売よりも1ヶ月も早く発表されていて、バンドのラスト・アルバムになるであろうアルバムよりも自分のソロ・アルバムを優先させた形になってしまったからだろう。しかも内容的に優れているのならまだしも、半分近くはインストゥルメンタルだったし、残りの半分も宅録でシンプルな飾りつけのみだったから、ザ・ビートルズのファンのみならず、批評家や何より元バンド・メンバーからも非難されてしまった。ポールはそういう状況の中で、自分のプライドを守り、自分の存在を主張し、自分の音楽性を認めさせようと思ったのだろう。そして、特に自分を強く批判していたジョンに対してメッセージを込めた楽曲を作ったに違いない。そういう音楽性も孕んでいたのがポールのアルバムの「ラム」だった。

 そしてそれに反論する形でアルバムを制作し、発表したのが、1971年の9月(イギリスでは10月)に世に出された歴史的名盤である「イマジン」だったのだ。81wjk15j6el__sl1300_
 自分は発表当時にはこのアルバムを聞いていなくて、中学生になって初めて聞いた。アルバムが発表されてから3年は経っていたと思う。アルバム冒頭の"Imagine"を聞いたときには、何というシンプルな曲だろうと思ったし、その歌詞もまた単語の意味が分かれば文の意味が分かるような簡単なものだった。もちろんジョン・レノンのことは知っていたし、どんな思いでこのアルバムを作ったかもだいたいはわかっていたし、当時は平和活動家というイメージが私の中では強くて、ある意味、もう少し硬質な音楽性を期待していたから肩透かしを食ったような気がした。ジョンってロックン・ローラーなんだろう、もっとロックしてよと言いたかったのだ。何という若気の至りだろうか。当時は本当のジョンの強さや優しさを理解できなかった、まだそういう感性が備わっていなくて、もう少し大人になってから初めてジョンの偉大さが分かったのだ(それでも本当に理解しているのかと問われると何とも言えない)。

 個人的な見解だけど、ポールのアルバムは個々の楽曲だけを聞いても問題ないと思うけれど、ジョンのアルバムは全体をきちんと聞かないと正確に理解できないと考えている。例えばこの「イマジン」というアルバムも、冒頭の"Imagine"やロッド・スチュワートやブライアン・フェリーもカバーした名バラード"Jealous Guy"だけを聞いて、ジョンという人の性格や才能、このアルバムの価値を判断することはできない。むしろ”群盲像を評す”という失敗を犯してしまうだろう。A0e5a3d71ffdcc53e2565ef6f63c9f6d

 だからこのアルバム「イマジン」も"Imagine"や"Jealous Guy"、"How?"だけ聞いて判断するのではなくて、ジョンの魂の叫びとも言うべき"It's So Hard"や"I Don't Want to Be a Soldier"、"Give Me Some Truth"も聞いてから全体として味あわないといけないと思っている。ポールのアルバムは優等生的で確かに楽曲的にも構成的にも技巧的で素晴らしいものだと思っているけど、ジョンのアルバムはジョン自身の生き方や考え方、”知行一致”ではないけれど、ジョン・レノンという人間性の一部がサウンドや歌詞として表現され、発表されてきた経緯があると思っているし、どちらかどうと優劣を競い合うのは意味がなく、それぞれの独創性として尊重するべきだと思っている。

 それで、特に1970年の「ジョンの魂」と、この「イマジン」は、そういうジョンの人間性が一番よく表現されていると思っていて、この2枚のアルバムはやはり歴史的な名盤だと考えている。そして気楽に聞いてみようかという気持ちで聞いてもいいのだけれども、むしろジョン自身はそれを望んでいるに違いないのだろうけれど、自分にとってはやはりワンクッションを置いて、気持ちを新たに気合を入れ直して聞いている。新興宗教の教祖に近づくような、そんな厳粛な気持ちになってしまう。51fste2ymql

 それで本題に戻すと、本題というのはポールの宣戦布告に対してのジョンの返答のことだが、これも個人的な見解なのだが2曲目の"Crippled Inside"もポールに対する当てつけではないかと思っている。ただこの曲を聞くと、歌詞の内容よりもジョージの演奏するドブロ・ギターの方が印象的だし、曲自体も軽快で聞きやすい。だからどうしても”怒り”や”憎しみ”などは印象が薄くなってしまうのだが、でも歌詞をよく見ると、やっぱり何か気になるよなあという感じになってしまうのである。

 このアルバムは3部構成ではないだろうか。第1部は平和を希求し、個人としての生き方を考える楽曲で、"Imagine"や"I Don't Want to Be a Soldier"、"It's So Hard"、"Give Me Some Truth"であり、第2部はヨーコに対する愛情を示す楽曲、"Jealous Guy"や"How?"、"Oh My Love"、"Oh Yoko!"、そしてポールに対する反論である第3部、"Crippled Inside"と"How Do You Sleep?"だろう。
 第1部の楽曲は穏やかな雰囲気とハードでロックン・ロールとして躍動する両面を味わえるし、第2部ではオノ・ヨーコに対するストレートで率直な愛情に満ち溢れていて感動的だった。そして第3部では同じミュージシャンとは思えないほどの辛辣で悪意に満ちた歌詞が書き留められている。

 特に、"How Do You Sleep?"はそこまで言うかと思うほど中傷している。この時の「イマジン」の制作過程が収められたビデオが残っていて、その中でもジョンはいつもと違って、かなり激しく悪意を込めて演奏するようにジョージやアラン・ホワイトに述べていたが、そこまでしなくてもいいのではないかと思ってしまうのだ。だって、”人生は短し、芸術は長し”の言葉通りに、作られた作品は永遠に残ってしまうのである。ある意味、証拠物件として保存されているのと同じだろう。
 曲の冒頭もザ・ビートルズのアルバム「サージャント・ペパーズ」のオープニングをパロディに使っているし、歌詞の中にも"Yesterday"という言葉や"Another Day"というポールの曲名を使用している。"Your Momma"というのは、当時の年上女房だったリンダのことを言っているのだろう。でもオノ・ヨーコも年上だったはずだが、その点はどうなのだろう。

 実際にも同席していたリンゴ・スターがジョンに忠告して何とか聞くに堪えられる内容まで戻したというから、実際はもっと悲惨で恐らくは放送禁止語に満ち満ちていたのだろう。もしそのまま発表していたら、おそらく当時のアップル社が販売停止処分にしただろう。

 これも有名なお話だが、ザ・ビートルズ時代のポールには、”目が大きすぎて夜は目を開けたまま眠る”という都市伝説みたいなものがあって、他のメンバーはポールをからかう時にこれを用いていたようだ。だからポールのことを揶揄するために、このタイトルを用いたのだ。このお話はメンバー以外にも広く流通していたようで、当時の彼らのファンなら知っている話だったらしい。

 まあとにかく、この曲1曲で、ポールの"Too Many People"や"3 Legs"、"Dear Boy"などをまとめて粉砕するようなパワーを秘めていて、強烈な印象と憎悪をリスナーにもたらしている。あらためて違う意味でも、ジョンの才能の偉大さを感じ取ることができる楽曲だった。敵にまわすと怖い相手だ。敵にまわすことはもうないけれど…Dh510ee7c7

 結局、ジョンは1980年になって『ひどい悪意や恐ろしい敵意を表明するためではなく、曲を作るためにポールに対する恨みを利用したんだ。それにポールやザ・ビートルズから撤退しようと思っていてね、ポールに対しては、本当にいつもそんなふうに思っているわけじゃないんだよ』とインタビューに答えている。確かに公式には、ポールに対してこれぽっちも悪意や恨みを述べたことはない。この「イマジン」に収められた"How Do You Sleep?"についても、1969年から曲を作り始めたと述べていたからポールに対しての確執はないと述べていた。ちょっと眉唾なのだが、ジョンのポールに対するおとなの対応というものだろう。

 ポールが「ラム」という素晴らしいアルバムを発表できたのも、リンダと彼女を含む”家族”の支えや彼らに対する愛情があって、制作できたと思っている。それと同様に、ジョンもまたヨーコに対する愛情があったからこそ、この歴史的名盤ともいえる「イマジン」を制作し、発表することができたのだろう。
 そう考えると、偉大な2人のビートルズの陰には偉大な女性の存在が外せないのである。ジョンもポールも、最終的にはザ・ビートルズを脱退したことになってしまったが、その原因は音楽性だけではなくて、愛する女性の影響力も見逃せないと思っている。

 今となって考えれば、偉大な才能を持つ2人のミュージシャンが、その有り余るほどの才能を使って、お互いに非難中傷を、歴史に残る形で行ったという事実の方が、画期的というか衝撃性を持っているし、そのインパクトは、時間が流れるに従って、いろんな意味でますます輝きを発しているように思えてならない。


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