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2019年7月22日 (月)

マリア・マルダー

 先月亡くなったDr.ジョンつながりで、この人のアルバムを紹介しようと思う。マリア・マルダーが1973年に発表したアルバム「オールド・タイム・レイディ」である。知っている人は知っていると思うけれど、このアルバムは彼女の代表作の一枚といわれていて、シングル・カットされた"Midnight at the Oasis"はビルボードのシングル・チャートで6位まで上昇している。また、シングルだけでなく、アルバム自体もチャートの3位まで上昇してゴールド・ディスクを獲得した。51dks1bhojl

 彼女の特徴は、単なるフォーク・シンガーでもなく、またカントリー・ミュージックの信奉者でもないところだろう。どういうことかというと、単なる歌を歌うだけでなく、その歌の解釈の仕方や歌い方を通して、彼女の持つ表現力の高さや感性の豊かさ、そしてそれぞれの歌を通してアメリカという歴史の浅い国で育ってきた様々な種類の音楽やそれらが持つ普遍的な魅力をリスナーに伝えようとしているところである。

 もし彼女が自分で曲を書き、自分で歌うというシンガー・ソングライターだったら、ここまでの表現力を発揮できたかどうかは疑問である。自分の気持ちや考え、感情を披露し、それを聞き手に向けて発表できるだろうが、そこから先がどうなるかわからないし、見えて来ない。ひょっとしたらそこで終わってしまうかもしれないのだ。
 逆に、むしろ他の人の曲を取り上げることで、別の解釈の仕方を提示し、それを彼女の歌を待っている私たちに伝えようとする意志みたいなものが、彼女自身を更なる高みに持って行くような気がしてならない。だからこそ歌唱力のみならず豊かなで幅広い表現力が発揮できるのだろう。

 彼女の持つ資質は、彼女がもともと持っていたのかもしれないが、それだけでなく子どもの頃から歌うことが好きで、高校生になっても授業をさぼって歌の練習をしたり、公園や街角で歌っていたりと、そういう環境から磨かれ育って行ったのだろう。
 彼女は元々ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの出身である。1943年の9月生まれだから現在75歳になる。ということは1950年代後半から60年代前半に青春時代を送ったわけで、当時のニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの新しいムーヴメントが生まれるまさにその影響を浴びながら育って行ったわけだ。だからフォーク・ソングからカントリー・ミュージック、ブルーグラスやジャズまで幅広く吸収できたのだろう。その影響が、後に彼女のシンガーとしての成長に大きく役立ったのである。

 マリア・マルダーの本名は、マリア・グラシア・ロサ・ドメニカ・ダマートといった。イタリア系の移民なのかもしれない。高校生の頃からコーラス・グループを結成して歌っていたが、卒業後は本格的にプロの道を歩もうと決意し、ドック・ワトソンの義理の父親だったガイザー・カールトンからフィドルの演奏の仕方を習いにノース・キャロライナ州まで出かけてしばらくそこで過ごしていた。ちなみに、ドック・ワトソンとは60年代を中心に活躍した盲目のギタリストで、そのフィドルのような速弾きは後進のギタリストに多大な影響を与えている。

 ノース・キャロライナから戻ったマリア・マルダーは、再び小さなカフェやクラブで歌を歌い始めるが、21歳になった時にブルーズ・シンガーだったヴィクトリア・スパイヴァから誘われて、イーヴン・ダズン・ジャグ・バンドに参加した。このバンドにはマリアの他に、ジョン・セバスチャン、のちにブラッド、スウェット&ティアーズのギタリストになるスティーヴ・カッツ、マンドリンの名手デヴィッド・グリスマンなどがいた。ただ、バンドは1枚のアルバムを残して解散してしまった。これだけの有能なミュージシャンが集まっていたのだから、なかなか意見がまとまらず長続きできなかったのだろう。Mariamuldaurd43422725ed7445c97e72f9b1be4

 マリアの方は、すぐにジム・ウェスキン・ジャグ・バンドに加わって活動を続けた。そしてこのバンドのギタリストだったジェフ・マルダーと結婚したのである。それで名前がマリア・マルダーになったのだが、そんなことよりもこのバンドでの活動は約6年にも及んだが、1969年にバンドは解散した。そして夫婦だったジェフとマリアは、共同名義でアルバムを2枚発表しているが、ブルーグラスやフォークが好きな人ならともかく、世間的にはそんなに話題にはならなかったようだ。

 そして1972年に夫婦は離婚したが、マリアの方はそのままマルダー姓を名乗り続けていった。未練があったのかはたまた韻を踏んで言いやすかったのか定かではない。それはともかく、元夫のジェフ・マルダーはポール・バタフィールドとともに”ベター・ディズ”を結成してバンド活動を続けていった。そして元妻であるマリアはソロ・アルバムを発表した。それが「オールド・タイム・レイディ」である。ただし、このアルバム・タイトルは日本のレコード会社が決定したもので、オリジナル・タイトルは単純に彼女の名前「マリア・マルダー」だった。

 アルバムの内容も素晴らしいのはいうまでもないが、それだけでなく制作に集ったミュージシャンの顔触れがまたすごいのである。まずスライド・ギターの名手ライ・クーダー(ただしこのアルバムではスライド・ギターは手に取っていない)、スタジオ・ミュージシャンとして名を馳せたジム・ケルトナーにデヴィッド・リンドレー、キーボードにはマーク・ジョーダンにグレッグ・プレストピノ、マンドリンのデヴィッド・グリスマン、バイオリンにはリチャード・グリーンとラリー・パッカー、フライング・ブリット・ブラザーズにも在籍していたベーシストのクリス・エスリッジ、それになぜかクラウス・ヴアマンもベースを演奏していたし、デレク&ザ・ドミノスのジム・ゴードンは太鼓を叩いていた。さらにはザ・バーズにもいたクラレンス・ホワイトにニック・デカロ、アンドリュー・ゴールド、エイモス・ギャレット、そしてマルコム・ジョン・レベナックである。やっと出てきた、マルコム・ジョン・レベナックこそDr.ジョンの本名だ。このアルバムではホーン・アレンジも担当していた。71hh3sa003l__sl1001_

 もちろんこれ以外も多くのミュージシャンが参加していたのだが、ここでは割愛する。あまりにも多すぎるので紹介しただけでこの稿を終わってしまうからだ。とにかくこれだけ多くの有能なミュージシャンが集まって作り上げたアルバムである。発表前から手ごたえはあったようだ。これを企画したのはもちろんマリアもそうだが、主にはプロデューサーを務めていたジョー・ボイドとレニー・ワロンカーの2人のおかげだろう。

 ジョー・ボイドはアメリカ人ではあるが、初期のピンク・フロイドやインクレディブル・ストリングス・バンド、フェアポート・コンヴェンションなどのイギリスのバンドもプロデュースしている人で、基本的にはフォーキィな音作りに堪能である。もう一方のレニー・ワロンカーの方は、のちにワーナーブラザーズの社長にもなった人だが、リッキー・リー・ジョーンズやランディ・ニューマン、ポール・サイモンなどのアルバムのプロデューサーも担当したことがある。この2人がプロデューサーだったから、こんなに幅広く人を集められたのだろう。しかもそれなりの人ばっかりだから、これはもう素晴らしいとしか言いようがない。

 アルバムの内容だが、これはソウル・ミュージックやリズム&ブルーズを除くアメリカン・ミュージックの集大成のようなもので、ヨーロッパ系アメリカ人なら、あるいはジャズを生んだアフリカ系アメリカ人にもどこか郷愁を感じさせるような楽曲で占められていて、そういう意味でもまたヒットしたのではないかと思っている。
 1曲目の"Any Old Time"はライ・クーダーの弾くアコースティック・ギターの演奏が耳に残るのだが、20世紀初頭のラグタイム・ミュージックになっているし、2曲目の"Midnight at the Oasis"は都会的なジャズだ。続く"My Tennessee Mountain Home"はフィドルが強調されたカントリー系の曲で作曲者はドリー・パートンで、"I Never Did Sing You a Love Song"はゆったりとしたバラード系のジャズ・ボーカルもしくはスタンダード曲風の装飾が施されている。

 "The Work Song"は徐々に楽器が増えていき、最終的にはディキシーランド風の音楽が形作られて行き、"Don't You Feel My Leg"もまたマリアの表現力がパッケージされた曲で中間部のピアノ・ソロはジョン・レベナックが担当しているし、次の"Walkin' One&Only"ではジャズ畑からベーシストとドラマーを呼んでスウィングしながら歌っている。バイオリン演奏はリチャード・グリーンが担当していて、最後はアコースティック・ギターと競い合っていた。

 "Long Hard Climb"はゆったりとしたバラードで、ドリーミングな心地にさせてくれる名曲だ。"Midnight at the Oasis"もそうだが、ストリングスのアレンジはニック・デカロが担当している。この曲は最後がフェイド・アウトしてしまうのでもったいない気がした。エンディングまで聞かせてほしい曲でもある。"Three Dollar Bill"にもDr.ジョンは参加していて、そのせいでもないだろうがビルボードのアダルト・コンテンポラリー部門のシングル・チャートで7位まで上昇している。

 "Vaudeville Man"はそのタイトルのようにクラリネットやホーンがフィーチャーされているが、アレンジを担当したのはDr.ジョン、ベースはクラウス・ヴアマンが、アコースティック・ギターはアンドリュー・ゴールドが演奏している。アルバム最後の曲"Mad Mad Me"は何となくケイト・ブッシュのような高音と表現力を伴っている曲で、バイオリンはラリー・パッカー、ピアノはグレッグ・プレストピノ、ドラムスはジム・ケルトナーではなくてクリス・パーカーというジャズ・ミュージシャンが参加している。言い忘れたがジム・ゴードンは"Midnight at the Oasis"でドラムスをたたいていた。

 このアルバムの演奏をきっかけにブレイクしたのが、ギタリストのエイモス・ギャレットで、"Midnight at the Oasis"でのギター・ソロが評価されて脚光を浴び、ソロ・アルバムを発表するようになった。そういった意味でも、歴史的な評価が高いアルバムかもしれない。201904170035_ex
 この後マリア・マルダーは、ゴスペル・ミュージックやジャズ、リズム&ブルーズなどの様々分野で活躍するようになって行った。そしてDr.ジョンはもとより、ブルーズやジャズ界のミュージシャンともコラボを重ねながらアルバムを発表し続けており、その数は何と41枚にも達しているという。まさにアメリカン・ミュージックの伝道師のようなマリア・マルダーだ。まだまだ現役で頑張ってほしいものである。


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