« ジュリアン・レノン | トップページ | ショーン・レノン(2) »

2019年7月 8日 (月)

ショーン・レノン(1)

 ジュリアン・レノンの次は、やはりこの人しかいないだろうということで、ジュリアンの異母兄弟であるショーン・レノンのことについて記すことにした。考えてみれば、彼ももう43歳、いいおじさんであるし、いつのまにか父親のジョン・レノンの年齢も越えてしまった。Seanonolennon
 彼は10月9日生まれで、これは父親と同じ日の誕生日だった。それが理由かどうかはわからないが、父親は彼を自分の分身と考え、溺愛していたようだ。このへんはジュリアン・レノンと違うところで、ジュリアンの方は父親からの愛情を受けることは少なかった。自分の愛する女性のオノ・ヨーコとの子どもだったのか、あるいはジョンの父性がようやく人並みにまでに成長したせいなのか、その理由はよくわからない。

 いずれにしてもショーンは、両親からの愛情を一身に受けて育った。彼には姉弟がいなかったから、それこそすくすくと育っていった、父親の悲劇的な事件までは。1980年の12月8日の時は、ショーンはまだ5歳だった。わずか5歳で彼は永遠に父親を失ったわけだが、考えてみれば、ジョン・レノンもジュリアン・レノンも、そしてショーンもまた実の父親とは早い時期から、生死の違いはあっても離ればなれになってしまった。それこそ、まるでレノン家に宿っている”業”の深さを表しているかのようだった。90573

 その後は、オノ・ヨーコが彼に音楽的素養を授けていった。子どものうちから母親のソロ・アルバムに参加させられ、長じてはプラスティック・オノ・バンドにも加わった。また、彼はギターやベース、ピアノにドラムスも演奏できるが、それらもまた子どものころから手を触れてきたからだった。1991年にはレニー・クラヴィッツとともに"All I Ever Wanted"という曲を書き、アルバム「ママ・セッド」に収録された。1996年には日本人女性2人組のチボ・マットのEP制作に呼ばれ、そのままベーシストとして彼女たちのツアーにも参加している。そうして1998年には、チボ・マットのメンバーである本田ユカのプロデュースのもと、最初のソロ・アルバム「イントゥ・ザ・サン」が発表された。

 最初から言ってしまうと、ショーン・レノンとジュリアン・レノンの音楽の違いがよく表れているアルバムだった。ジュリアン・レノンの音楽は父親譲りというか、あくまでもロックン・ロールというかロック・ミュージックというフォーマットにこだわっているような、あるいはそれを追及するような音楽観だったのに対して、ショーンの方は、特に音楽のジャンルにこだわらない幅の広さというか、いい意味での趣味的な音楽、自分のやりたい音楽を追及するようなそんな違いがあると感じたのである。

 それはショーンのフェイヴァリットな音楽にも表れている。彼の好きなバンドやミュージシャンは、もちろんザ・ビートルズを筆頭に、ジョンン・レノン、セルジオ・メンデス、ザ・ビーチ・ボーイズ、スティーヴィー・ワンダー、マイルス・デイヴィス、ザ・ビースティー・ボーイズ、チボ・マット、ボアダムズ(日本のバンド)等々、ロックからジャズ、ソウル、ヒップホップと実に幅広いのである。

 1998年の「イントゥ・ザ・サン」を聞いても、そのことがよく伝わってくるのだ。全体的にはややダークな感じで、既成のロック・ミュージックのみならず、それこそマイルス・デイヴィスのサックスから抽象音楽に変化していく"Photosynthesis"のような曲もあれば、十分ポップ・ミュージックとして機能する"Into the Sun"、"Queue"など、これまた一聴しただけでは本質がつかみにくいアルバムに仕上げられていた。51kex9qqyol
 だからこの「イントゥ・ザ・サン」というアルバムは、ジョン・レノンやジュリアンのアルバムを想像して聞くと、ちょっと違うよなあということになってしまう。ある意味、種種雑多な種類の音楽に触れることができる。"Part One of the Cowboy Trilogy"はまるで文字通りのフォーク・ソングだし、"Breeze"はまさにボサノバだった。"Home"はグランジ・ロックだったし、"One Night"はまるでギター一本で歌われる子守歌だった。

 あくまで個人的な感想だが、このアルバムを聞いて父親とはまるで似つかない音楽だったから、自分にとっては畑違いの音楽のように思われた。だから数回聞いて、ラック棚の中になおしてしまった。ちなみにこのアルバムは、全米アルバム・チャートでは153位だった。

 それから約8年後、この間にEPでの発表はあったものの、突然「フレンドリー・ファイアー」というセカンド・アルバムが発表されるというアナウンスがあった。どうしようかなと思ったが、前作から時間も流れていたし、雑誌のアルバム・レヴューも好意的に書かれていたから、しかも映像特典もあるというので、思い切って購入して聞いてみた。そしてその結果、このセカンド・アルバムは前作のアヴァンギャルドな雰囲気は消えていて、しっとりと落ち着いた雰囲気を備えている好アルバムだった。

 このアルバムは、フランスでは売れた。43週にわたってチャートに残り続け、シルヴァー・ディスクを獲得している。ちなみに全米アルバム・チャートでは152位止まりだった。やはりこのアルバムの持つ絵画的というか、耳を傾けるだけで目の前に情景が浮かび上がってくるような映画的な音楽観がフランス人の琴線に触れたのだろう。
 楽曲的にもしっかりと作られていて、特にストリングスのアレンジが素晴らしい。また、ギターにはポール・サイモンの息子のハーパー・サイモンが、ドラムスにはパール・ジャムにも在籍していたマット・チェンバレインが参加して脇を固めている。 51qwklcsanl__sl1013_

 8年間のブランクのうちに、彼は何百曲も手掛けていた。しかし、アルバムに収録した曲は当時の新しい曲を選んだそうだ。『僕は、現在の自分に一番興味がある。だから明らかにこのアルバムでは、僕の最新の姿が描かれている』とショーンは述べていた。
 またこの8年の間に、ニューヨークやロサンジェルスのミュージシャン、ヴィンセント・ギャロ、サーストン・ムーア、ジョン・ゾーン、ライアン・アダムス、ザ・ストロークスのアルバート・ハモンド・ジュニア、ウィーザーのブライアン・ベルなど数多くの人たちと交流して、その創造力を保ってきていた。

 このアルバムでは、彼の恋愛関係が描かれている。彼はこのように述べていた。『どれも元彼女との関係と、その関係の終焉、そして彼女と浮気していた僕の親友のことを書いている。ある意味、それはとても美しい題材だった』この彼女というのは、歌手で女優のビジュー・フィリップスという人で、彼女はママス&パパスのジョン・フィリップスの娘で、ウィルソン・フィリップスにいたチャイナ・フィリップスの異母妹にあたる人だ。このアルバムでもバッキング・ボーカルとして参加していた。
 彼女は、ショーンの元恋人で、同時にショーンの幼なじみだったマックス・リロイとも交際していた。いわゆる二股をかけていたわけだが、もちろんショーンにその事実が知られてしまい、関係は解消された。問題は友人同士だったショーンとリロイの方だが、2人の関係を解決する前に、リロイの方はバイク事故で亡くなってしまった。だからこのアルバムは、ショーンの心象風景を表現していると同時に、リロイへの追悼盤なのでもある。

 全10曲、時間的には37分余りということで長くはないのだが、1曲1曲が際立っていて、どの曲も印象的だった。まるで遊園地のメリーゴーランドのような"Dead Meat"は3拍子のワルツで、アルバムの冒頭にもってくるには勇気がいると思ったのだが、聞き続けていくうちに耽溺してしまうのだ。前作と比べて、8年間の成長を感じさせられる曲だった。

 "Wait for Me"はショーンのファルセットが美しく響く曲で、ファルセットだけ聞くと本当に父親の声に似ていると思う。この曲にはメロディアスな曲が多いのだが、3曲目の"Parachute"は印象的だ。この曲でのショーンの声は何か物憂げで、アンニュイな雰囲気を漂わせていた。アコースティック・ギターのアルペジオで始まる"Friendly Fire"は、寂しげなミディアム・バラードの曲。ショーンの哀しみが曲に表れているようだった。
 一転して"Spectacle"はやや明るい曲で、バックのストリングスが美しい。後半につれて楽器の数が増え、徐々に盛り上がっていくところがよくアレンジされている。ただ、全体的には同じような曲調の曲が目立っていて、単調さがあるのは否めないところだ。それをアレンジでカバーしているのだろう。そして、このアルバムの中で一番ビートルズテイストな曲が"Headlights"だろう。手拍子も使用されているし、どことなく明るい。もう少しテンポを早くすれば、もっと印象に残っただろうし、シングルとして売れたに違いない。

 面白いのは、マーク・ボランの曲がカバーされている点だろう。"Would I Be the One"という曲なのだが、言われないとわからない。確かにサビの部分は70年代の雰囲気がプンプンしているのだが、ショーンのオリジナルと言われても納得してしまう。もともとこの曲は、マーク・ボランやT・レックスのアルバムには収録されていないマイナーな曲だったが、ショーンのアレンジやハーパー・サイモンのギターで再び蘇ってきたようだった。とにかくこのアルバムは、ショーンのボーカル・アルバムだった。最後の10曲目の"Falling Out of Love"もそうだった。ゆったりとしたマイルドなメロディーとそれを印象づけるストリングスとともに、ショーンのボーカルもまた甘美に響き渡るのである。まるで映画のエンドロールのBGMのようだった。61di1hymaal__sl1155_

 その後のショーンは、2009年には映画音楽のスコアを書いているが、それ以降、オリジナル・アルバムを発表していない。しかし、音楽活動を停止しているかというとむしろ逆で、他のミュージシャンと盛んにコラボをしているようだ。最近では、クレイプール・レノン・デリリウムという名義でプログレッシヴ・ロックのアルバムを発表している。そのプログレ・アルバムについては、今年の冬のプログレ祭りで記していこうと思っている。

 とにかく、ショーンにも豊かな才能が備わっているようだが、彼は遊歩人というか遊牧民というか、自分の興味・関心に従って音楽活動を続けているようだ。そこには父親に対する”トラウマ”もなければ、音楽に対する気負いもない。年齢も年齢だし、ある意味、自由気ままに音楽活動を行っているようにも見える。Browlineeyeglasses これは父親レノンの影響というよりは、母親であるオノ・ヨーコの影響ではないだろうか。音楽家というより芸術家としての才能を発揮しているのが、ショーン・レノンのような気がするのである。

 


« ジュリアン・レノン | トップページ | ショーン・レノン(2) »

ポップ・ミュージック」カテゴリの記事

コメント

お久し振りです。ビートルズ特集ですね。実は私はビートルズのレコード等は一枚も持ってません。物心着いた時には既に解散してましたし。それでもたぶん殆んどの曲は聞いているので、買う必要が無かったんですよね。いつかまとめて聞く日がくるのでしょうか?

投稿: 川崎の晴豚 | 2019年7月12日 (金) 00時16分

 コメントありがとうございます。川崎の晴豚様。あくまでも個人的な意見ですが、もしビートルズのレコードを買うのなら、「サージャント・ペパーズ」と「アビーロード」をお勧めします。あの時代に、今まで影響力を持っているアルバムが作られていたという歴史的な価値もありますし、曲自体も突出しています。この2枚はアルバム全体として聞き通してほしいと思っています。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2019年7月13日 (土) 13時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ジュリアン・レノン | トップページ | ショーン・レノン(2) »