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2019年8月 5日 (月)

ザ・ラヴィン・スプーンフル

 ジョン・セバスチャンつながりで、彼が元所属していたバンド、ザ・ラヴィン・スプーンフルについて記すことにした。前回にも同じことを書いたのだが、このバンドの曲を聞いて、ニューヨーク出身だとは気づかなかった。むしろサンフランシスコかロサンジェルスのような西海岸出身のバンドだと思ってきた。曲にひんやりとした大都会の雰囲気が備わっていなかったし、むしろ明るくて陽気な雰囲気が漂っていたからだ。

 このバンドの代表曲といえば、やはり"Do You Believe in Magic?"だろう。日本のCMにも使用されていたし、その明るくて弾むような曲調は一度耳にしたら、忘れられない印象を与えてくれるからだ。220pxdo_you_believe_in_magic_lovin_spoon
 また、この曲は彼らのデビュー曲で、1965年の8月に発表されて瞬く間にシングル・チャートを駆けのぼり、最高位9位を記録している。個人的には"サマー・オブ・ラヴ"を象徴するような曲調だったし、バックのコーラスもザ・ビーチ・ボーイズ風だったりして、軽快で躍動感あふれる曲だと思っている。
 この曲を書いたジョン・セバスチャンは、曲のイントロ部分をモータウンに所属していた女性ボーカル・グループのマーサ&ザ・ヴァンデラスの曲"Heat Wave"から思いついたとインタヴューで答えていた。またこの曲は、多くのミュージシャンからカバーされていて、特に1978年にはショーン・キャシディが歌って、ビルボードのチャートで31位を記録している。

 それから約3ヶ月後、今度は"You Didn't Have to Be So Nice"という曲がヒットした。これはビルボードのシングル・チャートの10位まで上昇した。こちらは彼らの2枚目のシングルにあたり、ジョン・セバスチャンとバンドのベーシストのスティーヴ・ブーンの共作だった。ジョンが言うには、ザ・ビーチ・ボーイズの曲"God Only Knows"からインスピレーションを受けたようだが、ザ・ラヴィン・スプーンフルの方が明るい感じがするのは気のせいだろうか。_you_didnt_have_to_be_so_nice__lovin_spo
 ちなみにこの曲もまた、ザ・グラスルーツやボサノバ歌手のアストラッド・ジルベルトなどにカバーされている。特に、エイミー・グラントとケヴィン・コスナーが主演した映画「ザ・ポストマン」ではエンドクレジットで使用されていた。

 デビューして最初の2枚のシングルのヒットのおかげで、彼らは一躍有名になり、60年代中期を代表するアメリカのバンドになった。それまでザ・ビートルズを始めとするイギリスのバンドからアメリカのチャートが席巻されていたのだが、これでようやくイギリス勢に対抗できるアメリカのバンドが誕生したというわけだった。

 ザ・ラヴィン・スプーンフルは、1964年に結成されたが、最初のドラマーのジャン・カールはすぐに脱退し、代わりにジョー・バトラーという人が担当するようになった。元々、ジョーとベーシストのスティーヴ・ブーンはザ・キングスメンというバンドで一緒に活動していたから、お互いに気心の知れた間柄だったようだ。
 ところが彼らは、最初は素人に毛の生えたような演奏テクニックしか持っておらず、あまりにお粗末な内容だったため、クラブのオーナーからもっと練習してから人前で演奏しろ、それまでここには来るなと言われたようで、それから必死になって練習していったという逸話が残されている。

 1966年は、彼らにとってはまさに全盛期と呼ばれるにふさわしい年になった。2月に発表した"Daydream"は、全英、全米ともにチャートの2位を記録した。まさに”白昼夢”というタイトルに相応しいほんわかとした曲で、ジョンの口笛がフィーチャーされていた。この曲もまたチェット・アトキンスにドリス・デイ、マリア・マルダーやアート・ガーファンクル、デヴィッド・キャシディ、リッキー・ネルソンなど数多くのミュージシャンによってカバーされている。

 そして4月には"Did You Ever Have to Make Up Your Mind?"がヒットして、これまた全米シングル・チャートの2位になった。Did_you_ever_have_to_make_up_your_mind__ そしてそれから3ヶ月後の7月には、ついに"Summer in the City"が全米チャートの首位を獲得したのである。今までの曲よりは幾分ロック寄りの激しいビートを持つこの曲は、幾分アグレッシヴでそれまでの夢見るような曲調とはかなり違うものだった。騒がしい都会の喧騒を表現しようとしたのか、車のクラクションや工事中のドリルの音が使用されていて、彼らの音楽的質の変化が表されていた。ザ・ビートルズでいえば、中期の「リボルバー」的変化に当たるだろう。この曲は3週にわたって首位を飾っている。220pxsummer_in_the_city

 そのあとフォーク・タッチの"Rain on the Roof"はシングル・チャートの10位を記録し、カントリー風の"Nashville Cats"は8位になった。とにかく出す曲出す曲すべてチャートのトップ10に入るという勢いだったから、いかに彼らの人気が高かったかが分かると思う。それに、クラブのオーナーからもっと練習して来いと言われたバンドとは思えないくらい、ポップ・ソングからロックン・ロール、カントリーにフォークと音楽的なバックグラウンドも広かった。そういう音楽性の幅広さというのも多くの人たちから支持されたいたのだろう。

 さらにバンドは、ブロードウェイのミュージカル"ヘア"にも楽曲を提供するし、ウッディ・アレンやフランシス・フォード・コッポラの映画のサウンドトラックにも協力するといった具合に、様々な分野にも進出していった。それだけ彼らの音楽性に需要が求められていたのだろう。監督が使いたいと思ってしまうような何らかの魅力を秘めていたに違いない。そんなこんなで、夢のように1966年は過ぎて行ったのである。

 で、”好事魔多し”の譬え通り、翌年の67年になると、バンドは徐々に下り坂を迎えていくのである。まず"Six O'clock"がチャートの18位までで止まってしまった。今までトップ10内に入っていたのだが、18位だった。それでも立派と言えば立派なのだが、ブラスとハードなギター・カッティングがフィーチャーされてこの曲は、ジョー・ウィザードという人がプロデュースを担当していた。のちにボズ・スキャッグスなどのアルバムのプロデュースも手掛けた人であるが、今までのプロデューサーと違う選択をしたのが、あまりうまく行かなかったのかもしれない。

 5月になると、ギタリストのザル・ヤノフスキーがドラッグで逮捕されてしまった。まるでザ・フーのピート・タウンゼントのようなハードなリフやカッティングを得意としていた人で、バンドのハードな面を担当していたギタリストだった。彼はカナダの市民権を持っていて、このまま黙秘を続けていくとアメリカに再入国できないと言われて、全面的に罪を告白してしまった。それで一旦は執行猶予がついて保釈されるのだが、結局、音楽業界から足を洗ってしまい、カナダに戻ってレストランを開いてオーナーになった。

 バンドは当然のごとく、新しいギタリストのジェリー・イエスターを迎え入れるのだが、ロック的なダイナミズムは失われてしまい、マイルドなポップ・バンドになってしまった。例えば"She is Still A Mystery"という曲があるのだが、ブラスやストリングスがバックで鳴っていて、まさに”東海岸のザ・ビーチ・ボーイズ”といった感じだった。これもジョー・ウィザードのプロデュースで、彼はこういった装飾音で飾り付けるのが得意なプロデューサーなのだろう。61k8wmcjgel__sl1200_

 バンドがポップ化するのが嫌になったのか、それともほかの理由があったのかよくわからないのだが、翌1968年には今度はジョン・セバスチャンがバンドを脱退してしまった。メイン・ソングライターを失ったバンドが長続きするはずもなく、1969年に解散してしまった。
 解散前のバンドは、基本的にギターとベースとドラムスの3人組だった。ドラムを担当していたジョー・バトラーは歌が歌えたので、彼をメイン・ボーカルにしてセッション・ミュージシャンを起用しながら演奏を続けていたようだ。ちなみにジョーが歌った"Never Goin' Back"という曲は、シングル・チャートの73位まで上昇している。
 この曲はジョン・スチュワートという人が作った曲で、この人はザ・モンキーズのあの有名な"Daydream Believer"を書いたことでも有名なソングライターだった。712vfrnypql__sl1200_

 その後ザ・ラヴィン・スプーンフルは、1979年にポール・サイモンの「ワン・トリック・ポニー」という映画の中で、オリジナル・メンバーが再結成して歌っている。また、2000年にはロックの殿堂入りを果たしていて、その時も受賞セレモニーの中で、オリジナル・メンバーが"Do You Believe in Magic?"と"Did You Ever Have to Make Up Your Mind?"を歌っている。
 それ以外は、基本はジョー・バトラーとスティーヴ・ブーン、ジェリー・イエスターの3人でザ・ラヴィン・スプーンフルを名乗って公演などを行っているようだ。また、ジェリーの弟のジムがギタリストになったり、ジェリーの娘のレナがキーボードで参加して脱退していったりするなど、メンバーの出入りが流動的でもある。

 そして、2002年にオリジナル・メンバーだったザル・ヤノフスキーが亡くなってしまうと、ジョン・セバスチャンは声明を発表し、もう二度とザ・ラヴィン・スプーンフルのメンバーとして活動はしないと述べている。バンドは今も活動はしているようだが、実質的には2002年で終わったとみてもいいのではないだろうか。

 とにかく、フォークからカントリー、映画音楽にロックン・ロールと幅広く多様な音楽性を有していたザ・ラヴィン・スプーンフルだった。あのジョン・レノンも愛聴していたし、ポール・マッカートニーも"Good Day Sunshine"は、ザ・ラヴィン・スプーンフルの"Daydream"からの影響を認めているくらいだ。活動期間は短かったものの、その功績は、まさにロックの殿堂入りに相応しいものと言えるだろう。


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