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2019年8月12日 (月)

エイモス・ギャレット

 マリア・マルダーのアルバムから始まって、彼女に関係のあるミュージシャンについて調べてきた。今回はおそらく最後になるであろうギタリストのエイモス・ギャレットが登場する。彼はマリア・マルダーのアルバムに参加してから脚光を浴びるようになったミュージシャンでもある。

 今の日本で、エイモス・ギャレットの名前を聞いて、ああ、あの人かと何人の人が気づくだろうか。かくいう自分もマリア・マルダーのアルバムを聞くまでは全く知らなかったし、聞いてからも上手なギタリストだと思ったものの、具体的なイメージがつかめないでいた。
 彼が有名になったきっかけは、上にもあるように、マリア・マルダーの1973年のアルバム「オールド・タイム・レイディ」の中に収められていた"Midnight at the Oasis"で印象に残るギター・ソロのおかげだった。このプレイのおかげで一気に彼の名前は知れ渡っていったのだが、もちろんそれ以前から彼の名まえは知られていて、ある意味、”ミュージシャンズ・ミュージシャン”として、その筋の人たちからは尊敬と信頼を集めていた。Hqdefault

 例えば、彼は150以上のミュージシャンやバンドと一緒にレコーディングや共演を果たしている。古くは1969年のアン・マレーのNo.1ヒット曲"Snowbird"であり、トッド・ラングレンやスティーヴィー・ワンダー、エミルー・ハリスにボニー・レイットとジャンルを問わない。最近では元フェアポート・コンヴェンションのリチャード・トンプソンや元ザ・バンドのリック・ダンコなどと共演している。あのジミー・ペイジでさえも、最も好きなアメリカ人ギタリストの1人と名前を挙げているくらいだ。だから、欧米では玄人好みのミュージシャンというイメージだったのだろう。

 彼は1941年生まれだから、今年で78歳になる。もちろんいまだに現役だ。生まれはアメリカのミシガン州デトロイトなのだが、5歳の時にカナダのトロントに引っ越していて、アメリカとカナダの両方の国籍を有している。音楽好きの両親のもとで育ち、幼い頃からピアノやトロンボーンに親しんできて、14歳頃からギターを弾き始めたようだ。
 きっかけは、クラブなどでベン・E・キングやB.B.キング、T-ボーン・ウォーカーなどの演奏を見たからで、自分もやってみようと思ったのだろう。その後、アメリカの大学で英文学を学んだあと、トロントに戻ってローカル・バンドに加わりテクニックを磨いていった。

 60年代初めは様々なバンドを渡り歩いていったが、そこで後に”ザ・バンド”として有名になった”レヴォン&ザ・ホークス”と出会っている。1968年からは2年間、カナダ人のフォーク・デュオであるイアン&シルヴィアのレコーディングやツアーに参加していて、やがては彼らと一緒にカントリー・ロック・バンドのグレイト・スペックルド・バードを結成して、アルバムも発表した。ナッシュビルで録音された彼らのデビュー・アルバムは、トッド・ラングレンがプロデュースしていた。自分は未聴なので、一度聞いてみたいと思っている。

 1970年にニューヨークに移り住んだエイモス・ギャレットは、ジェフ&マリア・マルダーに出会い、これまた彼らと一緒に活動を始めた。この時の関係で、彼ら2人だけでなくニューヨーク郊外のウッドストック周辺に住んでいたミュージシャンたちと交流が始まったようだ。つまり、ジョン・サイモンやジェシ・ウィンチェスター、ポール・バタフィールドなどである。
 1972年には、元グレイト・スペックルド・バードのメンバーとハングリー・チャックというバンドを結成して、アルバムを1枚発表したが、バンドはすぐに解散してしまった。また、この年はジョン・サイモンのセカンド・アルバム「ジャーニー」にも参加している。

 翌年になると、交友関係をたどってポール・バタフィールドのベター・ディズというバンドに加わって豪快なギターを聞かせたりしたが、バンド活動はここまでで、これ以降はソロ・ミュージシャンとして、様々なセッションやレコーディングに参加するようになって行った。マリア・マルダーのアルバムへの参加もそうだし、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアの2枚目のソロ・アルバム「コンプリメンツ」では2曲で昔習っていたトロンボーンを演奏している。なかなか芸達者なミュージシャンだ。
 また、マリア・マルダーの元夫であるジェフ・マルダーのソロ・アルバムにも参加しているし、エミルー・ハリスの1975年のアルバム「エリート・ホテル」では、ザ・ビートルズの"Here,There and Everywhere"にも客演していた。その後は、ボストンやサンフランシスコに移り住んで、セッション・ミュージシャンとして活動を続けていった。81h89qny2xl__sl1022_

 80年代に入ると、本格的にソロ活動を開始して、80年に「ゴー・キャット・ゴー」、82年には「エイモスビヘイヴィン」、89年には「ホーム・イン・マイ・シューズ」というアーシーでアットホーム的なアルバムを発表している。中でも「エイモスビヘイヴィン」は名盤との誉れが高く、レイドバックした演奏やリラックスしたボーカルなどを味わうことができる。61jzttppmml__sl1500_
 もともとエイモス・ギャレットは歌が歌いたくてしょうがなかったのだが、ずっとセッション・ワークが続いたため、またバンドでは他にボーカルがいたため、なかなか歌う機会に恵まれなかった。しかし、ソロになってからは当然のことながら、すべてのアルバムで歌声を披露している。

 中でも1992年に発表された「雨のジョージア」(原題はサード・マン・イン)では、彼のルーツがうかがい知れるようなカバー曲やオリジナル曲で占められていて、今でも比較的入手しやすいアルバムだ。彼はテレキャスターを弾くことで知られていて、このアルバムでもテレキャスター独特の枯れた味わい深い音色を聞かせてくれる。71lqffrg91l__sl1500_
 全10曲で38分余りしかないアルバムだが、1曲目の"Poor Fool Like Me"は軽快なカントリー・ロックで、アルバム冒頭からエイモスは飛ばしている。中間のソロ演奏は、何となくスティーヴィー・レイ・ヴォーンを彷彿させてくれた。
 続く"Baby Your Feets is Cold"はミディアム・テンポの曲で、今度はテックス・メックスのような陽気な雰囲気を漂わせている。途中でセリフのようなものが挿入されるところが何となくユーモラスな感じで、劇中歌のようだ。

 3曲目の"But I Do"はボビー・チャールズという人の曲で、彼とエイモスは親友のようだ。ボビー・チャールズもウッドストック系のミュージシャンで、シンガー・ソングライターだった。ギタリストというよりも作曲家というイメージが強くて、彼の書いた曲はレイ・チャールズやファッツ・ドミノ、Dr.ジョンなど、多くのミュージシャンによってカバーされている。残念ながら、2010年の1月に71歳で亡くなっている。
 この曲はお洒落で都会的な感じの曲で、バックのピアノがナイトクラブでカクテルを飲むような感じを与えてくれる。中間部でのギター・ソロはこれまたスローでジャジーな調べで、サスティーンがよく伸びていて印象的だ。エイモスの曲調の幅の広さを示してくれている。

 一転して"I Ain't Lying"ではシャッフル調になり、続く"What a Fool I Was"ではホーン・セクションが使用されていて、モダンなスロー・ブルーズといった感じだ。この曲はエイモスの敬愛するアフリカ系アメリカ人ミュージシャンのパーシー・メイフィールドのオリジナル曲であるが、R&Bというよりはこれまたモダンでジャズっぽくアレンジされている。
 パーシー・メイフィールドという人は、1950年代から60年代にかけて一世を風靡したブルーズ・シンガーで、彼の落ち着いた低いバリトン・ボイスは神をも聴き入らせてしまうほどといわれていた。1952年に自動車事故に遭ってからはライヴ活動を控えるようになったものの、その後もヒット曲を連発し、60年代では作曲家として活躍している。ただ、彼もまた1984年に心臓発作で亡くなった。64歳だった。

 "Got to Get You Off My Mind"はローリング・ストーンズもカバーした有名な曲だが、ここでの曲はそれとはまったくアレンジが異なっていて、最初聞いたときは軽めの曲だったせいか、ほとんど印象に残らなかった。アレンジが異なればここまで曲が変わるのかという典型的な見本かもしれない。時間があれば、聞き比べてみるのも面白いと思う。ちなみに、オリジナルはミック・ジャガーが崇拝していたR&Bシンガーのソロモン・バークという人の曲だった。

 7曲目は、日本語盤のタイトルにもなっている曲"Rainy Night in Georgia"(雨のジョージア)で、 オリジナルはトニー・ジョー・ホワイトというシンガー・ソングライターの曲だ。トニー・ジョー・ホワイトといえば"Rainy Night in Georgia"、"Rainy Night in Georgia"といえばトニー・ジョー・ホワイトといわれるくらい有名な曲だが、この曲も多くのミュージシャンによってカバーされている。ミディアム・スローの曲調が印象的で、何度聞いても心にじわっと哀愁が染み込んでくる。このアルバムの中でも一聴に値する曲だろう。

 "Flying Home"は、このアルバムでは珍しく彼と同じギタリストのトム・ラヴィンが共作したインストゥルメンタルで、最初サックスから入ってビックリしたのだが、途中からはエイモスとトムのギターの掛け合いが始まったので、少し安心した。でも最初と最後のサックスは要らないから、その代わりにギター・ソロを聞かせてほしかったなあと思った。せっかくのインストゥルメンタルが何となくもったいない。
 "Let Yourself Go"もまたボビー・チャールズのオリジナル曲で、この曲もまた"Rainy Night in Georgia"と同じくらい印象的なバラード曲だ。バックで演奏されるエイモスのギターもまた、それに拍車をかけてブルージーである。ただエンディングがフェイドアウトされるのが残念で、もう少し最後まで聞かせてほしかった。

 ブルージーといえば、このアルバムの中で一番ブルージーな曲が最後の曲"Lost Love"だろう。完全なスロー・ブルーズで、間奏ではクラプトンも顔負けの渋めのチョーキングを聞かせた速弾きを聞かせてくれる、ほんの少しだけど。この曲もカバー曲で、オリジナルはカナダのブルーズ・ギタリストのジョニー・V・ミルズの手によるもので、4曲目の"I Ain't Lying"もジョニーのオリジナル曲だった。91cp8e3rvkl__sl1500_

 エイモス・ギャレットはまた親日家としても有名で、1970年に大阪万博でのカナダの音楽大使として来日して以来、幾度となくライブを行っていて、1990年には東京や大阪での公演を収めた「ライヴ・イン・ジャパン」というライヴ・アルバムも発表している。
 顔は俳優のジェームズ・コバーンに似ているし、ギターの腕前は超一流、ギターの教則本の本やビデオを出しているくらいだ。日本でももっとメジャーになっておかしくないのに、ヒット曲がないせいか、一部の人たちを除いてあまり知られていない。このまま玄人受けのミュージシャンとして終わってしまうのだろうか。


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