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2019年10月28日 (月)

ホワイト・ストライプス

 自分はこのバンド、ザ・ホワイト・ストライプスのことは深く聴き込んだわけではないのでよくわからない。でも、このバンドやバンドに所属していたジャック・ホワイトのことについては、今のロック・シーンを語るに触れざるをえない重要なことなので、あえて今回ここに記すことにした。
 なーんて堅苦しく始まったけれども、要するに、ザ・ラカンターズつながりでここにたどり着いたというわけである。ただし、いつかはこのバンドについて触れざるを得ないだろうと思っていたことは確かで、これなくして今のアメリカン・ロックは語れないだろうと思っている。150302whitestripes640x426

 ザ・ホワイト・ストライプスが結成されたのは、1997年のミシガン州デトロイトだった。デトロイトといえば、ロックン・ロールというよりもどちらかというと、ソウル・ミュージックやラップ・ミュージックのイメージが強い街だ。モータウン・レコードもデトロイトから生まれたし、エミネムもデトロイトで育っている。

 ただし、ロックン・ロールと全く無縁の街かと言えばそうとも言えず、60年代後半にはMC5というロック・バンドが活躍していたし、イギー・ポップもミシガン州出身だった。キッスには"Detroit Rock City"という曲をヒットさせた実績もある。まあ、とにかくデトロイトには様々な音楽シーンがあったということだ。
 そんな音楽シーンを横目にザ・ホワイト・ストライプスは生まれたわけだが、当時姉弟と言われていて実際は夫婦だったメグ・ホワイトとジャック・ホワイトは、自分たち流のロックン・ロール・ミュージックを追及していた。

 デビュー当時は、メグがドラムを叩き、ジャックがギターを演奏するという姿が斬新で、自分なんかは90年代のザ・カーペンターズだなどと訳の分からないことを口走っていたのを思い出してしまった、音楽性は全く違うというのに。

 1990年代の後半は、"ロックン・ロール・リバイバル"というブームが一時的に流行していて、ザ・ホワイト・ストライプスもその流れの中で出てきたような感じになった。でも実際は、そんなブームとは関係なく、ブームがあろうとなかろうと彼らは頭角を現してきただろうし、そして売れたことは間違いないだろう。20180201164348

 彼らが売れた理由は、他にもある。一つは芳醇なアメリカン・ロックの源流の中からベーシックなものを取り上げて、それを21世紀の今の形にあうように作り替えたことだ。具体的に言うと、アメリカ人の心のどこかに潜んでいる郷愁を見つけ出し、それを揺さぶり、顕在化させたことである。もっと言うと、カントリー・ミュージックやブルーズ・ミュージック、ゴスペル・ミュージックなどをブレンドし、再解釈して提示させてくれたのである。そのセンスが、他のバンドやミュージシャンとは一線を画していたことだ。

 もう一つの理由は、リフの印象度である。彼らというかジャック・ホワイトの創造するリフの鋭さや印象度は、かの有名なジミー・ペイジのものと比べても遜色はないだろう。
 ジミー・ペイジは、自分のリフを瓶詰にして売ればかなり儲かるだろうと不遜なことをのたまわっていたが、確かにそれは否定できない。しかし、そのジミー・ペイジが、ジャック・ホワイトのギターのリフやテクニックは今のロック・シーンを代表するものであるというお墨付きを出しているわけで、如何にギタリストとしてのジャックの評価が高いかが分かると思う。だから2009年に「ゲット・ラウド」という映画で、ジミー・ペイジと共演できたのだろう。

 とにかくそんなジャック・ホワイトは、当時のデトロイトの音楽シーンがラップ・ミュージック一色に染まっていたことが嫌で嫌でたまらなくなり、自分たちで何とかしようということで、当時レストランで働いていたメグと知り合って、バンドを結成したのである。
 だから、彼らが"ロックン・ロール・リバイバル"というブームに便乗したというのは間違いで、むしろ彼らの方がそういうブームを作ろうと思っていたのだ。それで、自分たち流のカントリー・ミュージックやブルーズ・ミュージックを作り上げようとしたことが、非常に斬新だったわけである。

 彼らが2005年に発表した5枚目のアルバムに「ゲット・ビハインド・ミー・サタン」というものがある。全英・全米ともにアルバム・チャートの3位を記録し、グラミー賞では「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞」を受賞しているが、このアルバムを聞くと、どういうふうにして彼らがロックン・ロールを再構築していったかがよくわかると思う。21世紀風のアメリカン・ロック・リバイバルなのである。714h1ef1okl__sl1425_

 まず冒頭の"Blue Orchid"である。ジャックはファルセットで歌い、メグが破壊的なまでにドラムを連打する。バックの演奏はギターとドラムだけで、ベース・ギターはギターで代用されている。たったそれだけのシンプルな構成なのに、一度聞いたら忘れられない"リフ"の姿がそこにあるのだ。自分はこの曲をラジオで聞いて、即購入を決意した。それくらい印象的だったし、カッコよかった。やはり、ロックン・ロールにはカッコよさが付随してこないと良くないと思っている。カッコ悪いロックン・ロールは聞きたくもないし、時間の無駄だと思う。

 この曲は最初のシングルに認定された曲で、わずか2分37秒しかないけれども、カナダではチャートの首位になり、英国では最高位9位を、米国では43位にまで上昇した。
 続く"The Nurse"ではマリンバが使用されている。マリンバだよ、マリンバ。ロック・ミュージックでは珍しい楽器だが、要するに木琴みたいなものだ。昔々、ジェスロ・タルというイギリスを代表する素晴らしいプログレッシヴなバンドがライヴで使用したことのある楽器だ。
 このアルバムでは、このマリンバが随所で使用されていて、この曲ではマリンバがメインで、ところどころに破壊的なドラムとノイジーなギターとピアノが断片的に使用されていた。こういう手法がロックン・ロールの再解釈と言われる由縁だろう。

 ジャックはマルチ・プレイヤーで、ギターからベース、ドラムにキーボードと多種多彩である。もちろんここでのマリンバもジャックが演奏していた。3曲目の"My Doorbell"はこのアルバムからの2枚目のシングルになった曲で、ミディアム調の力強いまともなロックを聞かせてくれる。ちなみにこの曲は2006年のグラミー賞にノミネートされた。

 冒頭の3曲には曲間がなく、連続して聞こえてくる。だからアルバムに疾走感が満ち溢れていて、そういう意味でも"ロックの初期衝動"を感じさせるアルバムに仕上げられている。また、スタジオにこもり、レコーディングをする中で曲を完成させていっており、しかもわずか2週間で全曲のレコーディングが終わっている。だから、オリジナルのアイデアに近い原曲の姿がむき出しにされているような感じがするのである。

 4曲目の"Forever for Her(is Over for Me)"にもマリンバが使用されていて、しかもこの曲はバラードなのだが、全く違和感なく曲とマリンバがマッチしていた。こういうセンスが天才的なのだろう、ジャック・ホワイトという人は。
 次の"Little Ghost"はアップテンポのカントリー・タッチの曲で、曲をリードしているのは、ジャックのアコースティック・ギターとメグのタンバリンだ。この2種類の楽器とボーカルだけだから、何という安上がりというか、ボブ・ディランでもデビュー当時しかこういうレコーディングはやっていないのではないだろうか。でも似合うのである、彼らの演奏となると。

 3枚目のシングルになったのが"The Denial Twist"で、これはザ・ホワイト・ストライプス流ロックン・ロール、いやブルーズ・ロックといっていいだろう。とにかく古典的なブルーズではなくて、ブルーズに影響された曲でもある。でも、ロック・ミュージックは基本的にはブルーズに影響を受けているわけで、2分35秒しかないこの曲世界には人々の情念や怨嗟、諦観などで満ち溢れているようだ。

 一転して、バラードに戻る"White Moon"もブルーズに影響を受けていて、呟くように歌うジャックの姿と音数の少ないメグのドラム、ダビングされたジャックのピアノが哀愁味を感じさせる。続く"Instinct Blues"には"Blues"という言葉が示すように、まさに現代版ブルーズだ。スローな曲調だがしなやかで、パワフルである。しかも"極端に"といっていいほど音数が少ない。ナイフで削ぎ落としたかのようにソリッドでエッジが立っている。形式は典型的なブルーズなのだが、70年代以前では想像もできないほど、モダンでメタリックだ。自分たち流の再解釈なのだろう。それに歌い方が何となくロバート・プラントに似ていた。20070619_jmc_a29_809

 "Passive Manipulation"は、メグのリード・ボーカルと若干の装飾音で飾られた曲で、35秒しかなかった。後半のエンディングへと転換する分岐点の役割を果たしているのかもしれない。それを証明するかのように"Take,Take,Take"では、再び力強いジャックのボーカルを聞くことができる。途中転調してパーカッションがリードする場面も用意されていたが、基本はジャックのボーカルだった。本当にこのアルバムでは、バックの演奏をシンプルにしていて、その結果、むき出しのサウンドを味わうことができるのだ。意図的にアレンジされたのだろう。

 11曲目の"As Ugly As I Seem"では、ジャックのアコースティック・ギターとボーカルが前面に出ていて、メロディアスでややポップな雰囲気を醸し出している。全体的にロックの初期衝動で覆われたアルバムではあるが、この曲と最後の曲だけは例外で、60年代終わりのフラワー・ムーブメントを思い出させてくれるようだった。むしろこの曲の方が万人受けすると思ったのだが、彼らはシングル向きではないと考えたようだ。

 "Red Rain"は、このアルバムの趣旨に戻ったような曲調で、再びメグとジャックの共闘体制が敷かれていく。とにかく、ジャックのエレクトリック・ギターはどこまでも破壊的で衝動的だ。それはこの曲に限ったことではなく、エレクトリック・ギターが使用されている曲ではすべてそうだ。だからその分、パワーがあり、ロックン・ロールのもつ原初的な力強さや呪縛性を改めて感じさせてくれるのである。恐るべし、ザ・ホワイト・ストライプス。

 そしてラストは、叙情的なピアノ一台をバックにジャックが歌う。"I'm Lonely(But I Ain't That Lonely Yet)"という曲は、まるでザ・ホワイト・ストライプス流"Amazing Grace"である。つまりこの曲はゴスペル・ミュージックなのである。最後まで聞いた人は心が洗われていく思いがしたに違いない。たぶんリスナーは、アルバム冒頭から曲を聴き続けるうちに、自分の人生とオーバーラップさせながら、現実生活における様々な辛苦や辛酸を思い出したに違いない。しかし、その苦しみも最後のこの曲で救われるというわけである。何となく安直なキリスト教的解釈ではあるが、ダンテの「神曲」のような、そんな荒廃さと荘厳さを兼ね備えたようなアルバムだと思っている。71x4zlb4oel__sl1260_

 というわけで、なぜザ・ホワイト・ストライプスが受け入れられたのかという意味というか理由が、このアルバムには秘められている。このアルバムだけにとどまらず、彼らの創り出す音楽には、ちょうど灰の中から生まれてきた不死鳥のように、ロックン・ロールを自分たち流に再解釈して新たに生み出していくという物語が備わっているからだ。それは既存の音楽に飽き足らなくなってきたキッズにはもちろんのこと、概ね50年代から70年代を生きてきたロック・リスナーたちにも新鮮さを伴って受け入れられていったのである。

 ザ・ホワイト・ストライプスは、残念なことに2011年に解散してしまったが、ジャック・ホワイトの再解釈の旅はまだまだ続いている。次はどんな意匠を伴ってアルバムを出して来るのか、楽しみでならない。


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