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2019年11月

2019年11月25日 (月)

シーンズ・フロム・ザ・サウスサイド

 「シーンズ・フロム・ザ・サウスサイド」は、ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジのセカンド・アルバムのタイトルで、1988年に発表されたものである。今回このアルバムを取り上げたのは、結構気に入っていて、今年の夏はよく聞いたからである、30年以上も前のアルバムなのに。91q1islgl__sl1500_

 ブルース・ホーンズビーについては、以前このブログでも取り上げたのだけれどもう一度確認すると、アメリカのバージニア州出身で、現在64歳。若いころから様々な音楽に興味を示し、1984年には"ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジ"を結成して本格的に音楽活動を開始した。翌年には当時のRCAレコードと契約を結んでアルバムを発表することになったのだが、これにはヒューイ・ルイスの後ろ盾があったからだと言われている。ヒューイ・ルイスが彼らの演奏を聞いていたく気に入ったようで、レコード会社に推薦をしたらしいのだ。A25441014574280383471_jpeg

 1986年にデビュー・アルバム「ザ・ウェイ・イット・イズ」を発表するのだが、これがアルバム・チャートで全米3位となる大ヒットを記録し、第29回グラミー賞では最優秀新人賞に選ばれるという快挙を達成している。そしてそれから2年後に、彼らはセカンド・アルバムとなる「シーンズ・フロム・ザ・サウスサイド」を発表したのである。

 もともと彼らの音楽は、ブルース・ホーンズビーのピアノ演奏が基盤になっていて、彼のリリカルで華麗な指使いやジャズやブルース、カントリー・ミュージックを一緒くたに詰め込んだようなアメリカ南部独特のメロディなどが、多くのアメリカ人の琴線に触れるのであろう。だからデビュー・アルバムは300万枚以上売れたし、いまだに彼らの代表作として売れ続けている。

 このセカンド・アルバムも、デビュー・アルバムに負けず劣らず優れていると思う。全9曲だが、そのうち6曲を実の兄のジョン・ホーンズビーと共作している。ジョンとはデビュー・アルバムでも9曲中7曲を一緒に作っていて、あの"Mandolin Rain"もジョンと一緒に書いた曲だった。A1jccr1zxel__sl1500_

 アルバムの冒頭の曲"Look Out Any Window"は2枚目のシングルになった曲で、チャート的には最終的に35位にまで上がっている。ゆったりとシンセサイザーが響き渡り、そしてあのピアノ・タッチが聞こえてくる。デビュー・アルバムの延長線上にある曲調だが、ブルース・ホーンズビーのピアノ・タッチはますます冴えわたっていて、曲を際立たせている。

 2曲目の"Valley Road"は1曲目よりもテンポが速い。その分、ブルースの指も鍵盤上で踊っている。彼の故郷のバージニアで生活している人々の暮らしぶりや喜怒哀楽を描いているようで、その内容が当時の人々の感情を揺さぶったようだ。このアルバムからの第一弾シングルとして発表されて、チャートの5位まで上昇している。

 3曲目の"I Will Walk With You"では肩ひじ張ったような感覚が消えて、リラックスして歌っているように聞こえる。1、2曲目がシングルとして用意されていたせいなのかもしれないが、ブルースのピアノだけでなく、間奏のギター・ソロも目立っていて、その調和というかバランスがいい。
 次の"The Road Not Taken"は7分以上もある曲だが、一向にその長さを感じさせない。アコーディオンも効果的に使われていて郷愁を誘うし、ブルースのピアノ・プレイも長くフィーチャーされていて、聞きどころが多いのだ。

 "The Show Goes On"も7分30秒もある長い曲だが、これがまた人生を振り返させられるような感動的なミディアム・バラード曲である。ここではミュージシャンという立場から、自分の人生を振り返り、そこからさらに前を向いて生きていこうと歌っているが、聞く人にとっては、それぞれの人生に置き換えて聞いているはずだ。だからメロディもいいけど、曲の内容もまた優れていると思う。この曲はまた、1991年のロン・ハワード監督の映画「バックドラフト」でも使用されていた。250x250_p2_g2770165w

 "The Old Playground"もまたデビュー・アルバムの曲を彷彿させるようなテンポの良い曲調で、ピアノだけでなくオルガンのような音を出すシンセサイザーもまた目立っていた。
 7曲目の"Defenders of the Flag"でフィーチャーされているハーモニカはヒューイ・ルイスが吹いていて、ブルース・ホーンズビーとヒューイ・ルイスの良好な関係がうかがえる。のちにブルースはヒューイ・ルイスのアルバムのプロデュースも担当していたから恩義を感じていたのかもしれない。またこの曲での歌い方は、何となくボブ・ディランに似ていたが、曲のメロディがディラン調だったからそうなったのだろう。

 そして次の曲がヒューイ・ルイス&ザ・ニューズが歌って全米No.1になった"Jacob's Ladder"だ。ヒューイ・ルイスのバージョンは、1987年に発表されてNo.1になったが、ブルースはその時のアレンジは気に入らなかったらしい。しかし、このアルバムでもほとんどアレンジを変えることもなく普通にセルフ・カバーをしていた。自分的にはエンディング部分のギター・ソロがカッコよかったので、できればもう少し長く演奏してほしいと思った。

 アルバムの最後を飾るのが"Till The Dreaming's Done"で、この曲もまたゆったりとした大陸的な雰囲気を湛えていて、まさにアメリカ南部と言うか、ミシシッピ川を汽船で下りながら河岸の風景を眺めているような(そういう経験はないけれど)、そんな感じを味わうことができる。とにかくこの当時のブルース・ホーンズビーの曲は、イントロのピアノ部分を聞けばすぐに彼のシングル曲やアルバムの中の曲と分かるほど特徴的であり、印象的でもあった。

 とにかく、彼のピアノ演奏にハマってしまえば、もうこれは虜になってしまうこと疑いなしである。ロックの分野で、ピアノの音色を聞いて誰だかわかるピアノ・プレイヤーは、ブルース・ホーンズビーとニッキー・ホプキンスぐらいではないだろうか。Hqdefault_20191019235801

 この後ブルース・ホーンズビーは、グレイトフル・デッドのツアー・メンバーを担当していたが、徐々にロック・ミュージックからジャズの世界に移行していった。一説では、グレイトフル・デッドのライヴでサイケデリックなソロなどをやっていく中で、インプロビゼーションの奥深さに開眼したそうだが、どうなんだろうか。

 おそらく彼が、再びこのような音楽、つまりアメリカ南部の音楽に影響を受けたロック・ミュージックのアルバムを発表することはないだろう。そういう意味では、アメリカン・ロックにおける貴重なレガシーともいうべきアルバムだと思っている。

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2019年11月18日 (月)

CS&N

  秋の夜長にふさわしいアルバムはないかと探していたところ、何となく当てはまりそうだったのが、このアルバムだった。クロスビー、スティルス&ナッシュの1977年のアルバム「CS&N」である。これはどうでもいいひとり言だけど、バンド名にはカンマが必要で、アルバム名にはカンマはなかった。つまりバンド名は"C,S&N"で、このアルバム・タイトルは"CS&N"だったのである。ホントにどうでもいい話だ。51bzfrvkgl

 このアルバムは、C,S&N名義のスタジオ・アルバムでは1969年の歴史的名盤の「クロスビー、スティルス&ナッシュ」以来になるもので、なかなかの好アルバムだと思っている。確かに69年の「クロスビー、スティルス&ナッシュ」があまりにも素晴らしすぎるので、その陰に隠れてしまっている感はあるのだが、1曲1曲を見ていくと、中にはこれは聞き逃せないという曲もある。結果的には、ビルボードのアルバム・チャートで最高位2位を記録しているのだから、セールス的にも成功したであろう。(ちなみに69年の「クロスビー、スティルス&ナッシュ」の方はチャート的には6位で終わっている)61ulvbalktl

 このアルバム発表前のC,S&Nは、ニール・ヤングを含めたC,S,N&Yの再編ツアーが終わったあとで、各自がそれぞれ好きなことを行っていた。噂では、この時の模様を収めたライヴ・アルバムが計画されているとか、1970年の「デジャ・ヴ」以来のスタジオ・アルバムを発表するかもしれないといわれていたのだが、結局、そのような話は立ち消えになり、デヴィッド・クロスビーとグレアム・ナッシュの2人はソロ活動と並行して2人組としても精力的にライヴなどを行うようになった。

 一方のスティーヴン・スティルスは、これまたソロ活動を行いながら、元ザ・バーズのクリス・ヒルマンや元フライング・ブリット・ブラザーズのアル・パーキンスらとともに、マナサスというバンドを結成してアルバムを発表していた。だから3人がそれぞれのやり方で音楽活動を行っていたわけだ。

 ところが、1976年にロサンゼルスで行われたクロスビー&ナッシュのライヴにスティルスが飛び入りして、アンコールの時に3人で"Teach Your Children"を歌ったのである。これが切っ掛けとなって、また3人でやろうということで、親しいミュージシャンを集めてアルバムをレコーディングした。それが「CS&N」だったのだ。

 このアルバムには12曲が収められていて、3人が曲を持ち寄ったもので構成されていた。基本的には、自分が作った曲は自分が中心で歌っていて、C,S&Nの代名詞である美しいボーカル・ハーモニーがつけられている。
 冒頭の"Shadow Captain"はデヴィッド・クロスビーの曲だが、この曲では3人が一緒に歌っていて、まるで1969年からの夢の続きが行われているようだ。まさにC,S&Nならではの芸当だし、彼らの魅力が満ち溢れている曲だろう。こういう曲をファンは待っていたに違いない。

 続く"See the Changes"はスティーヴン・スティルスの曲で、彼が中心となって歌っている。スティルスらしいアコースティック・ギターを中心とした曲で、彼のソロ・アルバムの延長線上にある曲だ。最初の曲もそうだが、この曲も当時のアメリカの世相を歌っている。当時は建国200年を迎えていたアメリカだったが、ニクソン大統領は国民を欺き、次のフォード大統領の経済政策は功を奏せず、失業者は増え、国の財政も悪化していった。200年前に誰もが夢を抱き海を渡ってきたものの、200年後の現実はその夢を打ち砕くものだった。

 ロック・ミュージック史的には、60年代後半のフラワー・ムーヴメントにおける自由への解放が、単なるドラッグ・カルチャーとして扱われてしまい、ロック・ミュージックは時代の中で意味をなさないのではないかと危惧されるようになり、かわってシンガー・ソングライターたちが個人の内面を中心にして時代と対峙するようになっていった。そういうモチーフがこの2曲には表れているし、このアルバムを貫くテーマになっているのではないかと考えている。

 3曲目の"Carried Away"はまさに晩秋にふさわしい曲で、ナッシュのピアノ弾き語りにクロスビーがハーモニーをつけている。また、途中に挿入されるハーモニカもナッシュが演奏していて、これまた涙を誘うのである。
 続く"Fair Game"はスティルスの曲で、ボサノバっぽいノリで歌われている。当時はマナサスというバンドでも活動していたので、その影響が出たのだろう。この曲はシングル・カットされていて、チャートでは43位と健闘している。アコースティック・ギターのソロもまたスティルスが演奏していて、彼はエレクトリック・ギターよりもアコースティック・ギターの方が慣れているのかもしれない。

 "Anything at All"はデヴィッド・クロスビーの作った曲で、ボーカルは彼一人で歌っていて、ハーモニーを残りの2人で担当している。これもまたピアノ中心の静かな曲で、心を癒されてしまう。

 当時のレコードのA面最後を飾る曲がグレアム・ナッシュの作った"Cathedral"で、ナッシュとクロスビーで歌っている。最初はナッシュがピアノの引き語りで歌うのだが、途中からアップテンポに移り、壮大なストリングスが添えられて、奥行きのある荘厳な音空間を創り出している。このアルバムの中で一番長い曲(5分15秒)でもあり、一説では、ナッシュが故郷イギリスのウインチェスター大聖堂を訪れた際の経験をもとにしているという。ただ、その時のナッシュはドラッグでトリップしていたというが本当だろうか。Slide11969

 続く曲は、"Dark Star"というスティルスの手によるもの。リード・ボーカルも彼自身である。途中のエレクトリック・ピアノが黒っぽい雰囲気を醸し出していて、アメリカ南部のリズム&ブルーズに影響を受けているようだ。当時のスティルスのバンドであるマナサスのアウトテイク作品のような気がする。

 このアルバムの中で一番メロディアスなのが"just a Song Before I Go"で、聞きやすいといえばナッシュの曲だろう。さすが"Bus Stop"をヒットさせたホリーズに在籍していただけのことはあって、こういう短くてポップな作品はお手の物だろう。ハワイでのコンサート前に雨が止むのを待ちながら、ピアノを使って20分程度で書き上げた曲といわれている。シングル・チャートでは7位を記録した。

 "Run from Tears"もスティルスの曲で、彼のエレクトリック・ギターが前面に出ていて、ミディアム・テンポながらもハードなイメージを抱かせてくれる。10曲目の"Cold Rain"もグレアム・ナッシュの曲で、彼の弾くピアノがメインのバラード曲だ。この曲も2分32秒と短くて、出来ればもう少し長く聞かせてほしいと思ってしまった。

 このアルバムには、デヴィッド・クロスビーの書いた曲は3曲しかなくて、そのうちの1曲は、このアルバムのレコーディングにも参加しているキーボード・プレイヤーのクレイグ・ドージとの共作だった(Shadow Captain)。残りの2曲のうち1曲が"In My Dreams"だった。この曲も最初はボーカル・ハーモニーで始まり、静かに流れていく。3分過ぎからドラム・サウンドが前面に出てきて、それまでのミディアム・バラードが崩れていく。全体的にはマイナー調ではあるものの、前半と後半では印象が変わってくる。デヴィッド・クロスビーは、こういう展開のある曲を得意としているようだ。

 そして、このアルバムの最後を締めくくるのが"I Give You Give Blind"で、イントロからスティルスのエレクトリック・ギターと、これまたスティルスが演奏するエレクトリック・ピアノが曲を際立たせていて、彼らとしては珍しいロックン・ロールの曲に仕上げられている。バックのストリングスが曲に性急感や圧迫感を与えている。メインはスティルスが歌っているが、ナッシュとクロスビーもハーモニーをつけていて、こういうテンポの良い曲でも綺麗なハーモニーは合うということが分かる。

 このアルバムの良いところは、"一粒で3度おいしい"というところだろうか。3種3用の味わいというか、3人の個性が曲に表れていて、それぞれのソロ・アルバムを手に入れたような気がしてしまう。だからバラエティに富んでいて聞いてて飽きない。何度でも繰り返し聞いてしまうというマジックを備えている。Csnbio2
 逆に言えば、それが短所でもある。アルバムに統一感がなく、散漫な印象を与えることも考えられるのだ。特に、アルバム後半はそう聞こえてしまう。理由は簡単で、リード・ボーカルがメインになっていて、ボーカル・ハーモニーが聞かれないか、薄いのである。1969年のアルバム「クロスビー、スティルス&ナッシュ」との違いはこの点である。C,S&NもしくはC,S,N&Yの一番の特徴は、何と言ってもあの美しいハーモニーだった。69年のアルバムにはそれが強調されていたが、このアルバムでは前半はそれが聞かれるものの、後半になるにつれて減少してしまう。その点が残念だった。

 原因の一つは、アルバム制作までに時間がなかったということだろう。あるいはC,S&Nとしての計画性がなかったということも挙げられるだろう。最初からセカンド・アルバムとして準備していれば違ってきただろうが、さあ、もう一度3人でアルバムを作ろうと思っても、時間的な余裕がなければ、とりあえず手元にある曲をアレンジして使おうということになってしまう。そういう意味では、最初から意図的に計画していれば、もっと違ったアルバムになっていたに違いないのだ。

 ただ、それでもこのアルバムの素晴らしさは変わらない。曲の一つ一つが優れているからである。秋の夜長にはマスト・アイテムの1枚だと思っている。

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2019年11月11日 (月)

ザ・バンドのラスト・ワルツ

 久しぶりに「ザ・ラスト・ワルツ」を見た。ザ・バンドのファイナル・コンサートの模様を撮影した、マーチン・スコセッシ監督の手による映画である。コンサート自体は1976年11月25日に、サンフランシスコのウインターランドというライヴ会場で行われたが、実際に、映画が公開されたのは1978年で、自分は映画館で見た覚えがある。Resize_image_20190928150201

 基本的には、記録映画だったのでストーリーを追う必要はなかったのだが、見ていて違和感が残ったのは、やたらとギタリストのロビー・ロバートソンが目立っていた点だ。Img_0_20190928150201
 もともとザ・バンドは、ロニー・ホーキンズのバック・バンドだった。当時のオリジナル・メンバーで残っていたのは、ドラマーだったリヴォン・ヘルムだけで、他のメンバーは後から加わったはずだ。順序だてて言うと、ロニー・ホーキンズはアメリカ人だったが、その頃はカナダで活動していた。アメリカでは彼の人気が徐々に失われていったからで、カナダで起死回生を目論んだわけだが、リヴォン・ヘルム以外は故郷が恋しくなって、アメリカに戻ってしまった。だからザ・バンドは、リヴォン・ヘルムはアメリカ人だが、他のメンバーはカナダ人なのである。現地でメンバー募集をしたからだ。

 映画を見る限りでは、解散をする理由が見当たらなかった。まだまだ現役でバリバリ活躍できるはずである。1976年当時では、ロビー・ロバートソンはまだ33歳だったし、リヴォン・ヘルムでも36歳、最高齢のガース・ハドソンでさえ39歳だった。これからも活動できるはずで、これはおかしいと思って調べたところ、本当は解散する予定ではなくて、ライブ活動をやめてレコーディングに専念する予定だったという。それじゃまるで、ザ・ビートルズである。

 話は前後するけど、リヴォン・ヘルム以外のメンバーが加わったあと、しばらくしてロニー・ホーキンズの元を離れて独立して活動するようになったが、その時のバンド名は「リヴォン&ザ・ホークス」と名乗っていた。"ザ・ホークス"というのは、オリジナルのネーミングで、以前は"ロニー・ホーキンズ&ザ・ホークス"と呼ばれていたからだ。D0286848_13502815
 ということは、その時のリーダーはリヴォン・ヘルムだったのだろう。ところが、映画「ザ・ラスト・ワルツ」では、ロビーが目立っていたということは、徐々にバンド内の実権がリヴォンからロビーに移行したのだろう。確かに、ロビーはメインのソングライターだったから、バンド内での発言力も増していったと考えられる。

 実際に、バンドの方向性に対してもロビーが実権を持っていたようで、今後はレコーディングに専念すると言い始めたのもロビーだったからだ。結局、ロビーと他のメンバーとの意見が対立してしまい、最終的に解散という道を選択したのだろう。だから、"ザ・バンド"としては活動を終息させても、音楽業界から足を洗うというわけではなかったから、ファイナル・コンサートを選択したのだろう。それを裏付けるかのように、それぞれのメンバーはしばらくソロ活動を行っていたが、1982年にはザ・バンドが復活して再活動を始めた。もちろん、そこにはロビー・ロバートソンの姿はなかったけれども…

 映画の中でも解散について言及する部分が出ていて、正確ではないけれども、ロビーが"20年も一緒にやるのは考えられない"と言っていた。そんなにライブ活動に専念していたのだろうか。要するに、長期間のライブ活動にロビーは飽きてきたのだろう。そして曲作りをもっとしたかったのだろう。それなら自分だけ脱退すればよかったのにと思う。他のメンバーはもっと反対しなかったのだろうか。

 ザ・バンドのメンバーは、全員が複数の楽器を演奏できる。技術的にも優れているし、プロ意識も高い。だからボブ・ディランからも声がかかり、バック・バンドとして一緒にツアーを行っていたのだろう。映画の中でも、リチャード・マニュエルがドラムを叩いていたし、リヴォン・ヘルムがマンドリンを弾いていた。ベーシストのリック・ダンコもフィドルを演奏していたし、ガース・ハドソンもアコーディオンを担当していた。みんな器用というか、音楽的才能を備えていた。13rgb

 それに改めて、ロビーのギター演奏もあんなに上手とは思ってもみなかった。エリック・クラプトンと一緒にやっていた時に、エリックのギターのストラップが急に取れてしまう場面があったのだが、エリックの指示でその場を上手に取り繕ったのがロビーのギター演奏だった。しかも復活したエリック・クラプトンと交互にリードを取り合うなど、天下のエリック・クラプトンとやり合うのだから、よほど自分の演奏に自信があったのだろう。あらためて過小評価されているギタリストだと思った。そういえば、もう2人過小評価されているギタリストがこの映画に出ていたけど、3人でギター・バトルを展開してほしいと思った。ロビーとニール・ヤングとロン・ウッドである。

 それに、今さら言うことでもないが、豪華なミュージシャンが参加していた。プロの世界に足を踏み入れるきっかけとなったロニー・ホーキンズはもちろんのこと、今年鬼籍に入ったDr.ジョン、ハーモニカ演奏を披露したポール・バターフィールド、エネルギッシュに熱唱したヴァン・モリソン、1983年に70歳で亡くなったマディ・ウォーターズなどなど、ジョニ・ミッチェルの"Coyote"などはいつ聞いても感動してしまう。この映画を見て、ジョニ・ミッチェルに興味を持つようになり、アルバムも聞き始めたのだ。彼女の才能の偉大さに気づくのはしばらく後なのだが、それでもこの映画での彼女の歌は印象的だった。

 彼らがライヴを続けたかったのは、自分たちをライヴ・バンドだと認識していたからだろう。実際に、この映画でのザ・バンドの持ち歌は、レコーディングされているアルバムの中の歌よりもはるかに迫力があり、聞きごたえがあった。あらためて彼らの曲の良さを実感してしまった。これだけの演奏ができるのなら、まだまだ活動を続けてもおかしくないし、続けるべきであろう。もったいないことをしてしまった。

 逆に言えば、彼らの人気と情熱と実力がピークの時に解散を迎えたのだから、それはそれでよかったのかもしれない。だからこれだけの豪華なゲスト・ミュージシャンが集まってきたのだろう。でも、彼らもなぜ解散するのかいぶかしく思ったに違いない。いやー、ロビーとリヴォンが対立してしまって、どうにもこうにもうまく行かなくなったので解散するんですよと、インタビューでは間違っても言わないだろう、永遠に記録として残るのだから。

 また映画の中では、バンド名について触れているところがあって、ウッドストックでボブ・ディランと一緒に曲作りをしていた時に、周りの人から"ザ・バンド"と呼ばれていたらしい。それから自分たちも"ザ・バンド"と呼ぶようになったようだ。
 もとは"リヴォン&ザ・ホークス"だったのだが、一時、リヴォン・ヘルムはバンドから離れてしまったために、"ザ・ホークス"や"ザ・クラッカーズ"などと名乗っていたようだが、リヴォン・ヘルムが再び参加して正式なバンド名を決めようとしたらしい。シンプルで覚えやすい名前ということで最終的に"ザ・バンド"に決まったのだろう。B0301101_19271156

 とにかく、ザ・バンドの楽曲がなぜこれほどまでアメリカ人の気持ちを惹きつけるのか、この映画を見てよくわかった。アメリカ人の郷愁を呼び起こすような演奏スタイル、楽曲の良さ、カントリーからブルーズ、ロックン・ロールと演奏される種類の幅広さ、そしてライヴでの迫力、これらが混然一体となって迫ってくるのだ。それに素朴な味わいもあるし、都会的な冷たさも備えている。そういう多様性も見逃せないと思う。だからニューヨークやロサンゼルスに住んでいる人も、メンフィスやニューオーリンズに住んでいる人も一様に彼らの音楽を歓迎するのであろう。アメリカン・ミュージックの原点を備えていたのが、ザ・バンドだと思っているのだがどうだろうか。

 メンバーのリチャード・マニュエルは1986年に42歳の若さで自死した。薬物中毒だった。唯一のアメリカ人だったリヴォン・ヘルムは、2012年にニューヨークで病死した。71歳だった。ロビー・ロバートソンは2019年に6枚目のソロ・アルバム「シネマティック」を発表した。自分の人生を映画のように例えたのだろう。61e984kkqwl__sl1122_

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2019年11月 4日 (月)

ホワイト・アルバム発売50周年記念盤

 ザ・ビートルズのアルバム「アビー・ロード」の発売50周年記念盤が世に出回っていて、好評のようだ。もう発売から半世紀も経ったのかと思うと感慨もひとしおだが、今回のお題はそれではなくて、昨年発売された「ホワイト・アルバム」の方である。

 話は脱線するのだが、この"白い盤"には思い出があって懐かしい。1970年代のことだが、当時のザ・ビートルズ関連のレコードは値段が高かった。他のミュージシャンやバンドのアルバムは2200円というのもあったのだが、ザ・ビートルズのアルバムはきっちり2500円したし、2枚組の「ホワイト・アルバム」にもなると5000円もしたのである。当時の配給会社である東芝EMIの戦略だろう。同じ東芝EMIのピンク・フロイドのアルバムはもう少し安かったのに。あのレッド・ゼッペリンの2枚組ライブでも3600円だったはずだ。それでも売れるのだから、さすがザ・ビートルズである。

 それで当時貧乏だった自分は、なかなか「ホワイト・アルバム」を買えないでいた。だからお小遣いを貯めようと思ったのだけれど、そのお小遣い自体がなかった。それで修学旅行で持って行ったお小遣いをなるべく使わずに持って帰り、そのお金でやっと「ホワイト・アルバム」を手に入れたのだ。何という涙無くしては語れない話だろうか。そういう意味でも、非常に意義深いアルバムだったのだ。

 それでアルバムがCD化されたときも、もちろん購入した。CDもレコードと同じ2枚組だった。その後も"ザ・ビートルズ販売戦略"は続き、モノラル盤や紙ジャケット盤、リマスター盤といろんな種類が出されたが、やっている曲自体は同じなのだからそんなものは必要ないと思っていた。ところが、2018年には発売50周年記念盤ということで、デラックス盤は6枚組+ブルーレイ盤付きで、通常盤でもCD3枚組になっていた。えっ、3枚組ってどういうこと、ボーナス・トラックがそんなにあったのかと思ってしまったのだが、実際は少し、じゃなくて、かなり違っていた。当時のデモ・トラックが20曲以上収められているということで、それならちょっと聞いてみようと思って購入したのだった。もちろん中古の輸入盤である、いまだに貧乏なのだから仕方ない。71lgdiwklgl__sl1500_   この音源は"イーシャー・デモ"と呼ばれていて、コアなファンなら昔から知っていたことだ。あの「アンソロジー・シリーズ」でも「シリーズ3」の中に一部(7曲)は収録されていたし、ブートレッグでもかなり浸透していた。ジョージ・ハリソンの"While My Guitar Gently Weeps"のアコースティック・バージョンも以前から聞いていたので知っていた。でも、こうやってまとまったもの、全27曲が一度に収録されている公式盤はなかったので、これはぜひ「一家に一枚」と思い、手に入れたのである。

 もう一度確認のために記すと、"イーシャー・デモ"とは1968年の5月に、インドからの瞑想旅行から戻ってきたメンバーが、サリー州のイーシャーという場所にあったジョージ・ハリソンのコテージに集まって、レコーディング・セッションを行った時の音源を指す。当時のジョージのコテージには本格的な、ただし4トラックのレコーディング・システム(といってもオープン・リールだった)が設置されていて、いつでも好きな時にレコーディングできた。それでも設備的には一般的なレコーディング・スタジオと変わらない音質だったという。Kinfauns_george_harrison_house

 ただ、スタジオではなかったため、持ち込める機材は限られており、ほとんどがアコースティック・ギターだった。つまり90年代に流行した"アンプラグド"の原型が、この"イーシャー・デモ"だったわけだ。さすがザ・ビートルズ、30年後のことを予想していたのか先見の明がある。
 冗談はともかく、この音源を聞くと、とても彼らの関係が険悪だったとは思えない。少なくともこの時点では、まだまだバンドという形態を保っていたし、お互いに声を掛け合ったりと、とても友好的なのが分かる。全体的に、キャンプファイヤーをしながら歌っているような感じがするし、手拍子や拍手なども入っている。曲自体もほとんど完成されていて、「ホワイト・アルバム」の中の楽曲と比べても、曲によっては全く遜色のないものもある。彼らは、インドでの瞑想旅行中、瞑想以外にほとんどやることがなかったらしく、曲ばかり作っていたようだ。だから、ポールは1ダースくらい、ジョージは6曲、ジョンは15曲くらい作ってこのイーシャーに集まったという。その曲をお互いで披露しあったのだろう。

 CDの3枚目に収録されている"イーシャー・デモ"の曲順は、「ホワイト・アルバム」の順番に似せている。このアルバムをリミックスしたジャイルズ・マーティンの意向なのだろうか、よくわからない。だから"Back in the U.S.S.R."、"Dear Prudence"、"Glass Onion"と曲は続いている。"Back in the U.S.S.R."も"Dear Prudence"もアコースティック・ギターとポール、ジョンのそれぞれのボーカルはダブル・トラックでレコーディングされている。"Back in the U.S.S.R."にはボンゴのようなシンプルなパーカッションが使われていて、たぶんオーバーダビングされたのだろう。"Glass Onion"の歌詞は一部まだ確定していなかった。  71fezkjidl__sl1123_   "Ob-La-Di, Ob-La-Da"もギター一本で演奏されているし、変なかけ声も挿入されていたが、メロディ自体は正規盤と変わりはない。"The Continuing Sory of Bungalow Bill"も手拍子が入っていて、基本はのちの「ホワイト・アルバム」と同じだが、裏声やオノ・ヨーコが歌う部分はない。"While My Guitar Gently Weeps"はややテンポが速すぎて、叙情性に欠けているが、ギター一本で歌われると、さすがに曲の芯の部分が露わになるので、確かに良い曲だとわかる。

 ジョンの"Happiness is A Warm Gun"は断片的に作った曲を繋ぎ合わせたものということが分かるし、"I'm So Tired"や"Blackbird"などは、このまま収録してもおかしくないほど、すでに体裁を整えている。ハープシコードの伴わない"Piggies"はシンプルだし、元々アコースティックだった"Rocky Raccon"は、「ホワイト・アルバム」での同曲の冒頭の部分が省略された形でレコーディングされていた。まだ未完成だったのだろう。一方で、ジョンの"Julia"はほぼ完成されているし、"Yer Blues"はやや淡白すぎて粘っこさがなかった。曲はいいのだが、ブルーズまでは昇華されていないようだ。

 "Mother Nature's Son"は完成型だし、"Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey"ではイントロのハードなエレクトリック・ギターによる演奏がないので、ラフな感じに聞こえてくる。ジョンの声も裏返っていないし、まだ未完成という感じがした。一方では、"Sexy Sadie"はほとんど完成している。"Revolution"は「ホワイト・アルバム」のそれをシングル・バージョンのテンポで演奏していて、これが「ホワイト・アルバム」ではスローになったんだなあということが分かった。この時までは、ジョンもザ・ビートルズのリーダーとしての自負もあったのではないだろうか。ジョン主導の曲の方が元気がいいような気がしたからだが、まさか1年後には解散状態になるとは思っていなかっただろう。

 ポールの作った"Honey Pie"もメロディーは完成していて、「ホワイト・アルバム」では歌詞の一部を手直ししたようだ。"Cry Baby Cry"も同様にほぼ完成しているが、アウトロの"Can You Take Me Back"は付属していない。そこはポールが後でつけ足したものだった。ジョージの作った"Sour Milk Sea"は「ホワイト・アルバム」に収録されていない。のちに当時のアップル・レコードに所属していたジャッキー・ロマックスというシンガーに、デビュー・シングルとして提供している。ちなみにこのシングルにはジョン以外のザ・ビートルズと、エリック・クラプトン、ニッキー・ホプキンスなども参加していた。

 "Junk"もまた「ホワイト・アルバム」には収録されていなくて、1970年のポール・マッカートニーのソロ・アルバムに収録された。ここでは歌詞の部分がまだ未完成で、ハミングしているところもあった。ただ、この時点でメロディ自体は完成していたから、しばらくポールが温めていたのだろう。"Child of Nature"も同じように、ジョンがのちに1971年の「イマジン」に収録したものだ。ただその「イマジン」では、曲のタイトルが"Jealous Guy"に変更されている。このデモではマンドリンやマラカスなども使用されている。ジョンといいポールといい、良い曲をストックしていたのだろうし、お互いがあの曲はザ・ビートルズ時代に作った曲をモチーフにしているとわかっていただろう。そういう意味でも二人はライバルであり、競い合っていたのかもしれない。

 "Circles"はジョージが作った曲で、この曲もまた「ホワイト・アルバム」未収録である。このCDの後半は未収録曲が並んでいる。ただ、1982年に「ゴーン・トロッポ」というアルバムにジョージ自身が収録していた。ここではハーモニウムが使用されていて、何となく瞑想用のインド音楽といった感じだ。続く"Mean Mr.Mustard"と"Polythene Pam"は「ホワイト・アルバム」には収録されなかったものの、ご存知のように「アビー・ロード」の後半のメドレーに使用されている。"Polythene Pam"は1分26秒しかなかったから、単独では使いにくかったのだろう。

 "Not Guilty"はジョージの曲だが、「ホワイト・アルバム」には使用されていないものの、のちの彼の1979年のソロ・アルバム「ジョージ・ハリソン」でやっと日の目を見ている。また「アンソロジー3」で、違うテイクの音源が使用されている。この曲だけで102テイクを要したというから、他にも違う音源があるに違いない。
 そして最後の曲"What's the New Mary Jane"はジョンが作った曲だが、ザ・ビートルズのアルバムには収録されていない。ここでは2分42秒と短いが、「アンソロジー3」では6分12秒とロング・バージョンが収録されている。たぶんオノ・ヨーコの影響を受けたせいか、実験的な要素が強く、シングルやアルバム収録には向かないと判断したのではないだろうか。Small_photosbyjohnkellyapplecorpsltd_102

 全27曲中の"イーシャー・デモ"のうち19曲が「ホワイト・アルバム」で発表されている。そして、これ以外に「ホワイト・アルバム」で初お披露目されたのは、次の11曲だった。ポールの曲が目立つ。"Wild Honey Pie"、"Martha My Dear"、"Don't Pass Me By"、"Why Don't We Do it in the Road"、"I Will"、"Birthday"、"Helter Skelter"、"Long, Long, Long"、"Savoy Truffle"、"Revolution 9"、"Good Night"

 何度も言うようだが、この時点では彼らはバンドとして機能しており、ジョンもポールも、もちろん他のメンバーも、だれもがザ・ビートルズから脱退するとか、バンドが解散するとか思っていなかっただろう。逆に、2枚組だったにもかかわらず収録されていない曲があったわけで、それ以降のアルバム用としても準備していたかもしれない。Whitealbumhero2
 このイーシャー・デモをモチーフにして、アビー・ロード・スタジオでの収録が始まったわけだが、当時の彼らはみんなが納得するまでレコーディング作業に集中していたらしく、だから何度も何度もテイクを重ねていった。"Not Guilty"が102テイクを重ねて、やっとみんなが納得したにもかかわらず「ホワイト・アルバム」やそれ以降のアルバムにも収録されなかった。自分にはその理由はよくわからないのだが、とにかく当時のザ・ビートルズは完璧主義者集団だったのだ。その完璧主義が仇になって軋轢が生じ、ギスギスした関係になっていったのだろうし、ザ・ビートルズ以外の人たち、たとえばオノ・ヨーコやアラン・クラインなどが口を挟むようになって、バンドは壊れていったのではないかと考えている。

 とにかく、こういう音源がまとまって披露されたという点では、感動ものである。長生きしてよかったと喜びを噛みしめているところだ。ただ、まだまだ音源は残っているようで、"Ob-La-Di, Ob-La-Da"だけでも47テイクもあるというのだから、きっと違うバージョンは存在するに違いない。"ザ・ビートルズの販売戦略"は、まだまだ続くのかもしれない。

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