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2019年11月11日 (月)

ザ・バンドのラスト・ワルツ

 久しぶりに「ザ・ラスト・ワルツ」を見た。ザ・バンドのファイナル・コンサートの模様を撮影した、マーチン・スコセッシ監督の手による映画である。コンサート自体は1976年11月25日に、サンフランシスコのウインターランドというライヴ会場で行われたが、実際に、映画が公開されたのは1978年で、自分は映画館で見た覚えがある。Resize_image_20190928150201

 基本的には、記録映画だったのでストーリーを追う必要はなかったのだが、見ていて違和感が残ったのは、やたらとギタリストのロビー・ロバートソンが目立っていた点だ。Img_0_20190928150201
 もともとザ・バンドは、ロニー・ホーキンズのバック・バンドだった。当時のオリジナル・メンバーで残っていたのは、ドラマーだったリヴォン・ヘルムだけで、他のメンバーは後から加わったはずだ。順序だてて言うと、ロニー・ホーキンズはアメリカ人だったが、その頃はカナダで活動していた。アメリカでは彼の人気が徐々に失われていったからで、カナダで起死回生を目論んだわけだが、リヴォン・ヘルム以外は故郷が恋しくなって、アメリカに戻ってしまった。だからザ・バンドは、リヴォン・ヘルムはアメリカ人だが、他のメンバーはカナダ人なのである。現地でメンバー募集をしたからだ。

 映画を見る限りでは、解散をする理由が見当たらなかった。まだまだ現役でバリバリ活躍できるはずである。1976年当時では、ロビー・ロバートソンはまだ33歳だったし、リヴォン・ヘルムでも36歳、最高齢のガース・ハドソンでさえ39歳だった。これからも活動できるはずで、これはおかしいと思って調べたところ、本当は解散する予定ではなくて、ライブ活動をやめてレコーディングに専念する予定だったという。それじゃまるで、ザ・ビートルズである。

 話は前後するけど、リヴォン・ヘルム以外のメンバーが加わったあと、しばらくしてロニー・ホーキンズの元を離れて独立して活動するようになったが、その時のバンド名は「リヴォン&ザ・ホークス」と名乗っていた。"ザ・ホークス"というのは、オリジナルのネーミングで、以前は"ロニー・ホーキンズ&ザ・ホークス"と呼ばれていたからだ。D0286848_13502815
 ということは、その時のリーダーはリヴォン・ヘルムだったのだろう。ところが、映画「ザ・ラスト・ワルツ」では、ロビーが目立っていたということは、徐々にバンド内の実権がリヴォンからロビーに移行したのだろう。確かに、ロビーはメインのソングライターだったから、バンド内での発言力も増していったと考えられる。

 実際に、バンドの方向性に対してもロビーが実権を持っていたようで、今後はレコーディングに専念すると言い始めたのもロビーだったからだ。結局、ロビーと他のメンバーとの意見が対立してしまい、最終的に解散という道を選択したのだろう。だから、"ザ・バンド"としては活動を終息させても、音楽業界から足を洗うというわけではなかったから、ファイナル・コンサートを選択したのだろう。それを裏付けるかのように、それぞれのメンバーはしばらくソロ活動を行っていたが、1982年にはザ・バンドが復活して再活動を始めた。もちろん、そこにはロビー・ロバートソンの姿はなかったけれども…

 映画の中でも解散について言及する部分が出ていて、正確ではないけれども、ロビーが"20年も一緒にやるのは考えられない"と言っていた。そんなにライブ活動に専念していたのだろうか。要するに、長期間のライブ活動にロビーは飽きてきたのだろう。そして曲作りをもっとしたかったのだろう。それなら自分だけ脱退すればよかったのにと思う。他のメンバーはもっと反対しなかったのだろうか。

 ザ・バンドのメンバーは、全員が複数の楽器を演奏できる。技術的にも優れているし、プロ意識も高い。だからボブ・ディランからも声がかかり、バック・バンドとして一緒にツアーを行っていたのだろう。映画の中でも、リチャード・マニュエルがドラムを叩いていたし、リヴォン・ヘルムがマンドリンを弾いていた。ベーシストのリック・ダンコもフィドルを演奏していたし、ガース・ハドソンもアコーディオンを担当していた。みんな器用というか、音楽的才能を備えていた。13rgb

 それに改めて、ロビーのギター演奏もあんなに上手とは思ってもみなかった。エリック・クラプトンと一緒にやっていた時に、エリックのギターのストラップが急に取れてしまう場面があったのだが、エリックの指示でその場を上手に取り繕ったのがロビーのギター演奏だった。しかも復活したエリック・クラプトンと交互にリードを取り合うなど、天下のエリック・クラプトンとやり合うのだから、よほど自分の演奏に自信があったのだろう。あらためて過小評価されているギタリストだと思った。そういえば、もう2人過小評価されているギタリストがこの映画に出ていたけど、3人でギター・バトルを展開してほしいと思った。ロビーとニール・ヤングとロン・ウッドである。

 それに、今さら言うことでもないが、豪華なミュージシャンが参加していた。プロの世界に足を踏み入れるきっかけとなったロニー・ホーキンズはもちろんのこと、今年鬼籍に入ったDr.ジョン、ハーモニカ演奏を披露したポール・バターフィールド、エネルギッシュに熱唱したヴァン・モリソン、1983年に70歳で亡くなったマディ・ウォーターズなどなど、ジョニ・ミッチェルの"Coyote"などはいつ聞いても感動してしまう。この映画を見て、ジョニ・ミッチェルに興味を持つようになり、アルバムも聞き始めたのだ。彼女の才能の偉大さに気づくのはしばらく後なのだが、それでもこの映画での彼女の歌は印象的だった。

 彼らがライヴを続けたかったのは、自分たちをライヴ・バンドだと認識していたからだろう。実際に、この映画でのザ・バンドの持ち歌は、レコーディングされているアルバムの中の歌よりもはるかに迫力があり、聞きごたえがあった。あらためて彼らの曲の良さを実感してしまった。これだけの演奏ができるのなら、まだまだ活動を続けてもおかしくないし、続けるべきであろう。もったいないことをしてしまった。

 逆に言えば、彼らの人気と情熱と実力がピークの時に解散を迎えたのだから、それはそれでよかったのかもしれない。だからこれだけの豪華なゲスト・ミュージシャンが集まってきたのだろう。でも、彼らもなぜ解散するのかいぶかしく思ったに違いない。いやー、ロビーとリヴォンが対立してしまって、どうにもこうにもうまく行かなくなったので解散するんですよと、インタビューでは間違っても言わないだろう、永遠に記録として残るのだから。

 また映画の中では、バンド名について触れているところがあって、ウッドストックでボブ・ディランと一緒に曲作りをしていた時に、周りの人から"ザ・バンド"と呼ばれていたらしい。それから自分たちも"ザ・バンド"と呼ぶようになったようだ。
 もとは"リヴォン&ザ・ホークス"だったのだが、一時、リヴォン・ヘルムはバンドから離れてしまったために、"ザ・ホークス"や"ザ・クラッカーズ"などと名乗っていたようだが、リヴォン・ヘルムが再び参加して正式なバンド名を決めようとしたらしい。シンプルで覚えやすい名前ということで最終的に"ザ・バンド"に決まったのだろう。B0301101_19271156

 とにかく、ザ・バンドの楽曲がなぜこれほどまでアメリカ人の気持ちを惹きつけるのか、この映画を見てよくわかった。アメリカ人の郷愁を呼び起こすような演奏スタイル、楽曲の良さ、カントリーからブルーズ、ロックン・ロールと演奏される種類の幅広さ、そしてライヴでの迫力、これらが混然一体となって迫ってくるのだ。それに素朴な味わいもあるし、都会的な冷たさも備えている。そういう多様性も見逃せないと思う。だからニューヨークやロサンゼルスに住んでいる人も、メンフィスやニューオーリンズに住んでいる人も一様に彼らの音楽を歓迎するのであろう。アメリカン・ミュージックの原点を備えていたのが、ザ・バンドだと思っているのだがどうだろうか。

 メンバーのリチャード・マニュエルは1986年に42歳の若さで自死した。薬物中毒だった。唯一のアメリカ人だったリヴォン・ヘルムは、2012年にニューヨークで病死した。71歳だった。ロビー・ロバートソンは2019年に6枚目のソロ・アルバム「シネマティック」を発表した。自分の人生を映画のように例えたのだろう。61e984kkqwl__sl1122_


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