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2020年2月24日 (月)

ギルバート・オサリバン

 突然、ギルバート・オサリバンについてコメントをしたくなった。なぜだかわからないけれど、急にアルバムを引っ張り出してきて、聞いている。よく考えたら、このブログも始めてから13年になった。バンドやミュージシャンについても、1200以上は項目として存在している。その中でも、ギルバート・オサリバンについて直接言及した項目はなかった。あれだけ有名なミュージシャンにもかかわらず、触れていないのはいったいどうしたことだろうか。Images_20200131234201

 今の新しい人にはよくわからないだろうけれど、1970年代初頭のギルバート・オサリバンといえば、ポール・マッカートニーやジョン・レノンくらい有名だった(と思う)。少なくとも、同じイギリス系のエルトン・ジョンと並び称されるくらいヒット曲を出していた。これは間違いないだろう。今でも時々、日本のTVコマーシャルやバラエティ番組などでも彼の曲は使用されている。きっと、50歳代の番組プロデューサーなどは子どもの頃によく聞いていたのだろう。だから、大人になってある程度自分の権限が及ぶ範囲では、彼の曲を使用したりするのだろう。

 自分が初めてCDを購入したのは1986年頃で、その時のアルバム・タイトル名は「アローン・アゲイン」だった。もちろんギルバート・オサリバンのシングル曲の名称であり、このCDは彼のベスト・アルバムだった。だからギルバート・オサリバンには思い入れが深いのである。
 また、このベスト・アルバムのキャッチコピーには、こう書かれていた。「時代を越えた鮮烈な輝きが、今、また音楽シーンに新たな光明を投げかける '60年代、'70年代の若者には懐かしさを!'80年代の若者には、新鮮な衝撃を

 このアルバムには、ライナーノーツが付いていて、その中で来生たかお氏は、「オサリヴァン無くして、今の僕は存在しなかっただろう」とまで言い切っていた。来生氏は、ギルバート・オサリバンの影響でピアノを弾くことを決心し、音楽的姿勢や詩、そして格好まで傾倒してしまい、銀座で服も似せて作ったようだ。銀座で服を作るというところがセレブだが、それほどギルバート・オサリバンにのめり込んでいたのだろう。

 さらに杉真理氏は、「彼がいなかったら'70年代は何と味気ないものだっただろう。"Alone Again"こそ、一番心を動かされた曲だ」と述べていた。日本のポップ職人もこう言っているのだから、如何に当時のギルバート・オサリバンの人気や実力がすごかったかがわかると思う。そして極めつけは湯川れい子嬢で、「'72年'73年は名曲の生まれた年ですが、その中でも"Alone Again"のインパクトは群を抜いている」と書いていた。音楽評論家で詩人でもある湯川れい子嬢もこのように述べているのだから、これはもう折り紙付きというものだった。

 また、ギルバート・オサリバンの声も特徴的だった。グレッグ・レイクのような深みはなく、ジョン・アンダーソンのように甲高くもない。そして、エンゲルベルト・フンパーディンクのような渋みもないのだが、ややキーが高くて、どこか甘くてマイルド、バラードでもテンポの速い曲でも、一度聞いたら忘れられない、あっギルバート・オサリバンの声だとすぐにわかるのだ。だから子どもの頃はラジオから彼の曲が流れてくれば、すぐにわかったものだった。

 自分が買った彼のベスト・アルバムには14曲が収められていた。曲はおもにデビューから1977年頃までの彼の代表曲を集めているようだ。1曲目はご存じ"Alone Again"で、続いてアップテンポの"Get Down"、ちょっとジャージーな雰囲気を漂わせている"Ooh Baby"と続き、4曲目が"Nothing Rhymed"だった。この"Nothing Rhymed"という曲は1970年の10月に発表されていて、ギルバート・オサリバンの英国での最初のシングルだった。チャート的には英国では8位、オランダでは1位を記録している。また、この曲が収録された彼のデビュー・アルバム「ヒムセルフ」は、全英アルバム・チャートで5位になり、86週にわたってチャートインするなど、記録的なヒット作品になった。ここから彼の栄光の歴史が始まったのである。 61t0t73j2l__ac_

 ちなみに大ヒットした"Alone Again"は1972年の作品で、全英、全米ともに1位を記録し、アメリカではグラミー賞にもノミネートされていた。彼の代表曲の一つで、内容的には両親の死や婚約者にふられた孤独感などが含まれている。ただ、これは彼の自伝的なものではなく、確かに彼の父親は彼が11歳の時に亡くなっているのだが、母親はまだ健在だったし、この曲を書いた時はまだ21歳で、婚約者にもふられてはいなかった。21歳の若者がこれほど老成した曲を書いたのだから大したものである。

 同じ1972年の作品が"Ooh Wakka Do Wakka Day"で、このシングルは全英8位まで上昇している。当時のアルバムには未収録曲だったが、21世紀になってからセカンド・アルバムのリマスター盤「バック・トゥ・フロント」に収められた。このアルバムには"Clair"という曲も収められていて、シングル・チャートでは全英で1位、全米では2位を記録している。曲の最後に子どもの笑い声が入っていて、てっきりこれはギルバート・オサリバンの子どもの声だろう、スティーヴィー・ワンダーの曲のアイデアをパクったのだろうと思っていたら、この曲の方が早くてスティーヴィー・ワンダーの方が後からだった。だからといって、スティーヴィー・ワンダーがパクったとは言えないだろうけれど。 51bavfqra5l__ac_
 そんなことはどうでもいいのだが、この"クレア"という人は、ギルバート・オサリバンのプロデューサーだったゴードン・ミルズという人の3歳の娘のことを歌っているもので、当時のギルバート・オサリバンとゴードン・ミルズは、家族ぐるみの付き合いをしていたということがこれでわかると思う。

 また、ベスト盤にある"Who Was It?"は、この「バック・トゥ・フロント」にある"With You Who Was It?”のことだろう。曲の時間的にもほぼ同じなので、同名曲だと思われる。シングル・カットはされていないので、チャート・アクションの記録はない。

 "Ooh Baby"と"Get Down"、"A Friend of Mine"は、1973年に発表された彼の3枚目のアルバム「アイム・ア・ライター、ノット・ア・ファイター」に収められていて、のちの2012年のリマスター盤には"Why Oh Why Oh Why"も収録された。
 この中で一番印象が強いのは、"Get Down"で、名バラード曲だった"Alone Again"だけでなく、こういうアップテンポでロック的な曲(全然ロック調ではないのだけれど、当時はそんな印象だったのだ)も作って歌うことができるんだと驚いた記憶がある。つまり彼は、"一発屋"ではなかったということだ。当時はそんな言葉は知らなかったけれど、彼の才能というか曲のバラエティの豊かさに感動していた。

 "Get Down"はもともとは、ギルバート・オサリバンのピアノの練習曲で、イントロの部分しかなかったのを彼が曲としてまとめたものであり、ガールフレンドの犬の調教用としての言葉(「おすわり」)について歌っている。内容的にはそんなシリアスなものではないのだが、自分にとっては何か重要なことのように思えて、英語の辞書で意味を調べたのだが、よくわからなかった思い出がある。ちなみにチャート的には、全英1位、全米7位を記録している。 81wlc68hrbl__ac_sl1200_

 1974年に発表されたアルバム「ア・ストレンジャー・イン・マイ・オウン・バックヤード」には甘いストリングス付きのバラード曲"If You Ever"が収められていて、この2012年のリマスター盤には"Happiness is Me And You"がボーナス・トラックになって入っていた。この後者の曲にもストリングスが付随していたから、この頃のギルバート・オサリバンはほぼイージーリスニング化していたようだ。
 アルバムのエンジニアには、ポール・サイモンやビリー・ジョエルなどを手掛けたフィル・ラモーンの名前がクレジットされていたから、ひょっとしたらそんなことも関係していたのかもしれない。アルバム・チャート的には全英19位、全米62位だった。前年に発表されていたシングル"Ooh Baby"が全英18位、全米25位だったから、このあたりから徐々にチャート・アクションのキレが鈍くなってきたようだ。

 また、この年のクリスマス用シングルとして、文字通りの"Christmas Song"という曲も発表されている。全英12位、アイルランドでは5位、全米ではチャートインしなかった。欧米ではクリスマス・シーズンにクリスマス・ソングを発表するシンガーやバンドは、世間から一流と認められているという暗黙の了解があるようで、そういう意味では、ギルバート・オサリバンもまた一流ミュージシャンとして認知されていたのだろう。 51vrg4pysyl__ac_

 翌1975年には"I Don't Love You But I Think I Like You"という曲が発表されている。この曲は、彼にとっては珍しくブラスも使用されており、ギターにもディストーションがかかっているほど、かなりハードな楽曲だった。チャート的には全英14位、アイルランドでは7位と何とか健闘している。また、"Miss My love Today"は、マイナー調のちょっとダークな雰囲気の曲。そのせいか英国でも米国でも、そして母国アイルランドでもチャートインを逃している。1977年のアルバム「サウスポー」に収録されていて、この曲を含むアルバム全体をギルバート・オサリバン自身がプロデュースしていた。51zpfdovdil__ac_

 実は、上にもあったように、ゴードン・ミルズはトム・ジョーンズなども手がげるほどの有能なプロデューサーであり、ギルバート・オサリバンもゴードン・ミルズの娘を題材に曲を書くなど、当初は良好な関係を築いていたのだが、徐々に悪化していった。金銭関係が原因とか、ギルバート・オサリバンの独立問題のせいだとかいわれているが、詳細は不明だった。ただ確かなことは、ギルバート・オサリバンも人間不信に陥ってしまい、本来の音楽活動に専念できずに音楽活動から遠のいていったという事実だ。それが1970年代後半からで、チャート・アクションもそれを証明しているみたいだった。

 ギルバート・オサリバンはアイルランドで生まれたが、7歳の時にイギリスに引っ越して生活を始めた。大学生の時に、"リックス・ブルーズ"というバンドに所属してドラムスを担当していた。このバンドのリーダーは、のちにスーパートランプで活躍したリック・デイヴィスであり、バンド名もそこから来ている。リックはギルバート・オサリバンに、ドラムの演奏方法やピアノの弾き方などを教えたそうだ。何となく結びつかないのだが、才能のある人同士は、お互いに磁石のようにひかれあうのだろう。

 彼の世界的な名声は70年代の後半に終焉していったが、一時遠ざかっていたものの、音楽的活動はその後再開していて、2018年には「ギルバート・オサリバン」というオリジナル・アルバムを発表している。彼にとっては19枚目のスタジオ・アルバムにあたるもので、英国のアルバム・チャートでは20位を記録した。これは、ベスト盤を除いては約40年ぶりにチャートインしたアルバムになった。A119jrcsk1l__ac_sl1500_

 現在73歳のギルバート・オサリバンである。プロデューサーとの確執がなければ、もっと多くのヒット曲を生み、もっと多くの人気を獲得して、今でもなおライヴ活動にいそしんでいたかもしれないほどのミュージシャンだった。ちょっと残念なところはあるけれど、それでも70年代の彼のヒット曲は、いまだに色褪せない。そして年がたてばたつほど、その輝きはより一層光を増すように思えてならないのだ。


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コメント

初めてコメントさせていただきます。ぴょん太と申します。
ギルバート・オサリバンについて最近HPで何か書かれる人がいらっしゃったのに驚くと同時に嬉しかったのでご挨拶代わりにいくつか。

2ndアルバムの"Back To Front"の英オリジナル版には"Clair"が収録されていたのですが、日本で発売する時になぜか"Clair"を消して代わりに"Alone Again"を入れて発売したという経緯がありました。
おかげでクレアのシングルを買わされるわけですが女の子と写っているそのジャケットの写真は非常に良いのでまあよかったのかな笑

"Who Was It?" はいい曲ですよね。日本でもファンが多いと思います。
でもシングルにもなっていない比較的地味なこの曲がなぜわざわざベストアルバムに入れられているかというと…
とある影?の有名人がこの曲をカバーしたシングルを発表しているからです。
その人の名は、ハリケーン・スミスと言います。
知らないでしょう?笑
でももしかすると、ノーマン"ハリケーン"スミス…と言えば、ご存知ではないでしょうか。
Beatles や Pink Floyd のレコーディング・エンジニアとして知られているあの人です。
(例えば https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35764789 とか)
シンガー個人としてはあまりヒット曲を出していませんが、1曲だけ、全米3位になった"Oh Babe, What Would You Say?" という名曲があります。
YOUTUBE とかを検索して是非一度聞かれてみてはいかがでしょうか。
当時日本でなかなか手に入らず非常に苦労した思い出があります。
(RHINO の "Have A Nice Day" シリーズの偉大さがよくわかります汗)
"Who Was It?" がハリケーン・スミスのお気に入りの1曲だったのは間違いないと思います。

こちらで取り上げられていない曲では…
"January Git", "Matorimony"("Himself"収録)、
"Where Peaceful Waters Flow"("I'm A Writer, ..."収録)、
"Victor E"("A Stranger In My Own Backyard"収録)、
"Tomorrow Today"("Southpaw"収録)
…といった曲が好きです。
"Where Peaceful Waters Flow"は Gladys Knight & the Pips の同名異曲が有名で、Jim Weatherly 作のこちらの方も大好きですが、O'Sullivanの曲は、大学生の頃、気分が暗くなるとよく口ずさんでいました。懐かしいです…

しかし、現在73歳ですか…
シミジミするものがありますね…

久しぶりにオサリヴァンのことや曲を思い出しました。
素敵な記事のUP、ありがとうございました。

投稿: ぴょん太 | 2020年3月13日 (金) 23時54分

 コメントありがとうございます、ぴょん太様。ここまでギルバート・オサリバンについて詳しく語ることのできる人に会ったことはありませんでした。ノーマン・スミスからグラディス・ナイツまで、まさに博識というか該博な知識には恐れ入りました。私なんか偉そうにしていますが、まさに穴があったら入りたいくらいです。

 いや実際に、ノーマン・スミスとハリケーン・スミスは結び付きませんでしたし、ライノの「ハヴァ・ナイス・ディ」シリーズを知っている人に接したのは2人目でした。こういう人に出会うと、なんかこちらまでうれしくなってきます。

 これからも私の内容にミスや間違いがあったら教えてください。もちろん、追加事項でも構いません。ぴょん太様もお体に気を付けてお過ごし下さい。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年3月17日 (火) 21時19分

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