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2020年2月10日 (月)

クラウディッド・ハウス

 クラウディッド・ハウスは、オーストラリアのバンドだ。3人組で、いわゆるギターにベース、ドラムスと最もオーソドックスなバンド構成だった。中心人物は、ギター&ボーカルのニール・フィンという人で、ほとんどの曲が彼によって作られていた。
 ただし、オーストラリアのバンドといっても、ニール・フィンはニュージーランド人で、それ以前に在籍していたバンドのスプリット・エンズが解散したので、お隣のオーストラリアに移ったというわけだった。1_n4nemgw56myjwlre75smq

 自分はスプリット・エンズのアルバムはもっていないけれども、当時のラジオやMTVのビデオで視聴したことがあって、ポップで耳になじみやすい楽曲をやっていた覚えがある。そのメンバーだったニール・フィンが結成したバンドだったから、これまたスプリット・エンズのような音楽をやるのだろうと期待していたら、その通りになったので驚いた記憶がいまだに残っている。

 当時というのは、1980年代の初めの頃で、スプリット・エンズが1984年に解散したから、それ以降のお話だ。ちなみにニール・フィンには兄がいて、彼がスプリット・エンズを始めたようなもので、弟のニールが後から加入している。兄の名前はティム・フィンといって、ニールより6歳年上だった。

 それはともかくとして、彼ら兄弟は子どものころから音楽に親しんでいたようで、話によると、母親が自分の家で友人を招いてパーティーを開いた時にはいつもピアノを弾いて盛り上げていたらしい。そして、子どもに向かって歌を歌うように言ったり、楽器を使って演奏するように仕向けさせたようだ。また、アイリッシュ・ミュージックからマオリ人の音楽まで、幅広く聞かせて音楽的な環境を整えて言ったという。別にミュージシャンにするつもりはなかったようなのだが、とにかく音楽好きの家系だったのだろう。

 ニールやティムの人気は日本ではあまり感じられないのだが、オーストラリアやニュージーランドでは絶大なる人気を誇っており、地元のARIA賞では何回も受賞しているし、オーストラリアのホール・オブ・フェイムの殿堂入りも果たしている。それに兄弟で"フィン・ブラザーズ"
という名前でアルバムも発表していた。
 また、スプリット・エンズやクラウディッド・ハウスにおけるレコード・セールスやアドバタイズメントにより、オーストラリアやニュージーランドの国威高揚に貢献したとして、大英帝国勲章も受賞している。だからこのフィン兄弟は、日本では考えられない程の知名人なのである。P01bqfxw

 それで、ニールがオーストラリアにわたって結成したクラウディッド・ハウスだが、ドラムス担当のポール・へスターは、スプリット・エンズに在籍していた最後のドラマーだった。ニールが連れてきたのだろう。ただ彼は、スプリット・エンズやクラウディッド・ハウスで大成功を収めたものの、バンドが解散してからは精神的に参ってしまったようで、46歳の若さで自殺してしまった。まだ5歳と10歳の娘がいたというのに、残念なことである。

 バンドは、1986年にデビュー・アルバム「クラウディッド・ハウス」を発表した。全11曲ながらも38分という短さだったが、内容的にはどの曲も瑞々しい勢いとフレッシュな若さが詰め込まれていて、今聞いても全く違和感はないほどだ。
 1曲目の"Mean to Me"は、ニュージーランドに昔あった街のことを歌っていて、このアルバムからの第1弾シングルだった。アコースティック・ギターから始まり、途中からブラスも加わって陽気な曲調になっていく。このあたりはプロデューサーのミッチェル・フルームのアドバイスに違いない。61myz00lvl__ac_

 続く"World Where You Live"は、このアルバムからの第2弾シングルだった。この曲もミディアム・テンポながらも転調が多くて、キーボードの装飾というか効果音が目立つ。最初の曲よりもいくぶんロック調で、ハードな感じがした。
 "Now We're Getting Somewhere"では、ジム・ケルトナーが太鼓をたたいているし、ベース・ギターもニコラス・セイモアではなくて、ジェリー・シェフというミュージシャンが担当していた。これもプロデューサーのミッチェル・フルームの示唆だろうか。曲自体もアメリカ南部の影響を受けていて、オルガンやアコースティック・ギターが目立っている。何となくザ・バンドの音楽をよりポップにしたような感じだ。このアルバムからの3枚目のシングルになった。

 4曲目の"Don't Dream It's Over"のおかげで、このアルバムは世界中で売れたと言ってもいいだろう。このアルバムからの4枚目のシングルになったこの曲は、まるで夢に誘うかのような魔法みたいなバラードで、米国のビルボードのシングル・チャートでは2位まで上昇した(1位はアレサ・フランクリンとジョージマイケルのデュエット曲だった)。途中のキーボードのソロとギターの調べが印象的でもある。また、カナダやニュージーランドではチャートの首位を獲得したが、なぜかオーストラリアでは8位止まりだった。

 "Love You 'till The Day I Die"は叫び声から始まるエキセントリックな曲で、ちょっと実験しているよなという感じがした。リズム面が強調されていて、キーボードの(当時流行ったフェアライトか?)装飾音が目立っている。
 続く"Something So Strong"は、5番目にシングル・カットされた曲で、これまた大ヒットとなった。ニール・フィンとプロデューサーのミッチェル・フルームとの共作で、実に軽快で明るく、快い気持ちにさせられる曲だ。ニュージーランドではチャートの3位になり、米国のビルボードでは7位まで上がった。ちなみにオーストラリアでは18位だった。

 "Hole in the River"はニールと元スプリット・エンズのキーボード奏者だったエディ・レイナーとの共作曲で、ミディアム・テンポながらもニールの力強いボーカルを聞くことができる。途中でブラスやキーボード・ストリングスが入ったりするが、基本はロック調の曲だ。エンディングはブラスとキーボードの融合で幕を閉じていく。
 "Can't Carry On"も同様な曲だが、こちらの方が曲の構成がすっきりしているし、メロディアスだ。クレジットを見ると、この曲だけプロデュースが先ほどのエディ・レイナーになっていた。一世を風靡したスプリット・エンズの曲を思い出させてくれた。

 "I Walk Away"はそのスプリット・エンズの曲で、1984年の彼らのラスト・アルバム「シー・ヤー・ラウンド」に収められていたもの。この曲でもニールの力強いボーカルを聞くことができるのだが、スプリット・エンズというバンドから離れて、ソロとして活動していくという決意が込められていたからだろう。ロック調だが聞きやすい。メロディが優れているからなのか。ちなみに、発売当初はアルバムに収録されていなくて、のちになって収められた。71e4i8lhpl__ac_sl1313_
 "Tombstone"はアコースティック・ギターのコード・ストロークから入るが、もちろんフォーク調ではなくて、これまたポップン・ロールといった感じの曲だ。シングル・カットはされなかったけれど、されてもおかしくない曲だろう。

 最後の曲"That's What I Call Love"はドラムス担当のポール・へスタートの共作曲。ポールの影響からか、リズムが強調されていて、この時代特有の跳ねるようなベース音や打ち込みのようなドラム・サウンドが目立っている。途中でセリフが入ったり、キーボードのサウンド・エフェクトが強調されたりと、やや実験的な作風だ。でも今となっては懐かしいし、当時を知らない人にとっては、逆に新鮮に映るのではないだろうか。

 クラウディッド・ハウスは、このあと3枚のアルバムを発表し1996年に解散したが、そのあと再結成をして2枚のアルバムを出している。現在も解散はしていないようで、新しいメンバーでライヴなどを行っているようだ。もちろん中心はニール・フィンだが、なぜか彼は2018年のフリートウッド・マックのツアーに、リンジー・バッキンガムの代わりにギタリスト兼ボーカリストとして参加していた。もちろんフリートウッド・マックには加入しないのだろうが、白羽の矢が当たったということは、それだけ人気と実力を兼ね備えているということだろう。

 自分にとっては、決して過去のバンドとは思えないクラウディッド・ハウスである。できれば、それ以前のスプリット・エンズのアルバムからじっくりと聞き直したいと考えているのである。


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